とんだハプニングがあったが、まあ何とか無事トレヴァークに辿り着くことができた。
それにしても、こっちに来るときは中々大変だった。
やはり他人の心を通らせてもらうとなると、それなりに親しい相手でも抵抗があるものだな。気をしっかり持っていないとやられてしまいそうで、あまり快適な旅とは言えなかった。
帰りは普通に『心の世界』を通ってユイのところから出ることにしよう。
あと、小さいとか思ってごめんね。リク。
あまり人のをじろじろ見る趣味はないのだけど、目の前にあったからつい。
ちなみに俺は顔に見合わずそれなりらしい。いつだかカルラ先輩も目を丸くしてたし(見るなよと思ったものだけど、今日少しだけ気持ちがわかった気がする)、リルナもいいって。
……こほん。そんなことはどうだっていいよな。うん。
しばらく大人しく待っていると、水の流れる音がして、不機嫌な足取りでリクが出てきた。
やや憮然とした表情をこちらに向けてくる。
色々と文句言ってやりたいけど喉元で抑えている。そんな感じだ。
「あの、本当にごめんね?」
「いいですよもう。よくわからないですけど、事故みたいなもんなんでしょうし」
はあ、と彼は大きく溜め息をして、もうこの話はおしまいとばかりにひらひらと手を振った。
彼は廊下に突っ立っていた俺を横切ってリビングへ向かう。
邪魔にならないように追いかけてみると、タンスから靴下を取り出して履き出した。
その間もずっと口がへの字になったままへばりついているところを見るに、結構根に持たれてしまったらしい。
悪かった。ほんと。
「どこか出かけるのか」
「買い物に行くんですよ。うちにいてもらってもあれですし、ユウさんもどうですか?」
まあ特にこれと言って用事もないしな。こっちに来られるか半分お試しみたいなところもあったし。
「うん。俺も行くよ。ところで何を買うつもりなんだ」
「服とか。就活の準備をそろそろしなきゃなあって。うわあ憂鬱だああ」
大袈裟に頭を抱えてみせるリク。どこか可愛げがあって可笑しかった。
就活かあ。
「もうそんな季節なんだね」
この世界に来てから、もうすぐで一年になる。
刺激の多い毎日に囲まれて、あっという間だった気がするな。
「再来年の1月から社会人ですよ。僕。なれればね……」
夢想病の蔓延により、労働人口の減少と医療費の増大が起こっている。経済は活力を失い、慢性的な不況に陥っている。
リクの不安ももっともだろう。
俺が異世界に旅立ってからは知らないけど、日本もやれ不況だ高齢化だ非正規労働の増加だと暗い話題が地味に多かった気がする。他人事のように思えない。
他の国の事情はさておき、このトリグラーブ市を囲むラグル都市連合では、新年度は1月から始まる習わしになっている。その辺りは欧米と同じような感じだ。
ちなみにラグル都市連合は、『世界の壁』グレートバリアウォール内部全域と『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスを含む広大な領域を治める世界最大の都市連合国家である。
『世界の道』は本で知っているだけだが、『世界の壁』はリクの家の窓からでもよく見える。
『世界の壁』と呼ばれるに相応しく、グレートバリアウォールの高さと言ったら圧巻だ。
なんと平均の高さが、あのエベレストを遥かに超えているらしい。
ここからでも、遠景を高い山々が囲んでいるのがぱっと見でわかる。
「ところでユウさんは仕事とか――あ、さりげなく目逸らさないで下さいよ」
「いやあ。あはは」
仕事か。今はまあ何でも屋をしてると言えばしてるけど。
サラリーマンの俺。フェバルにならなければ、あったかもしれない俺。
正直さっぱり想像も付かないけど、それはそれで楽しかったんだろうなと思う。
普通に就活とかしてみたかったかもなあ。
「普通に就活とかしてみたかったかもなあ」
そのまま心の声が漏れていた。
「ユウさんってやっぱり普通の仕事」
「したことあるように見える?」
「いいえ。まったく」
素晴らしいくらいの即答ありがとう。
「だから仕事を探す苦労とかわからないし、何もアドバイスらしいこと言えないや。悪いね」
「いいですよ。僕の問題だから、僕が何とかしないと。代わりにユウさん、普通の人がしてないような経験いっぱいしてそうなんで逆に羨ましいです」
羨ましいか。俺なんかはリクの平穏な暮らしの方が羨ましかったりもするけどね。
人はないものを欲しがるものだからな。
俺の代わりに世界を救う手伝いでもしてみるか? と冗談でも言おうかと思ったけどやめた。
リクには平穏無事に暮らして欲しいと思うよ。君は退屈と思うかもしれないけど、やっぱり平和が一番さ。
***
『あなたの~暮らしの~す~ぐそば~に~タ・ナ・キア~ン~♪』
というわけで、やってきましたタナキアン。電器チェーンだけど、服から何まで色々売ってるタナキアン。
タナキ ニケヤという人が創業したからタナキアンらしい。タナカさんじゃないんだね。ニアミス。
就活シーズンとあって、店内の衣類コーナーは就活セールと題して装飾が施されていた。
「どこから見ていこうか」
「まずモップですかね。それから靴とかばんと、あとバッジも忘れずに」
モップと言うとあの掃除用具がどうしても浮かんでしまうのだけど、そうではない。
愛玩動物でもあるモコだが、それとは別に毛を取るための大型種がいる。
むしろそちらが元で、品種改良によって小型犬程度の大きさのペットになっていったという順序が正しい。
モコの毛から作られる真っ白なスーツ様の服をモップという。これと名前入りの銀バッジが、世界共通の正装である。
何でも歴史的な由来があるそうで、産業化時代の初期に黒服匿名のマフィアじみた組織(現在も残る幾多の闇組織の源流になっている)が乱立し、不当な搾取や取引で市民の生活をひどく苦しめていたと言う。
彼らの横暴に反対した市民が団結し、安いモコの毛でできた白服を着たのが始まりだった。色合いは黒に反対する意義が強かったのだろう。
さらに名入りの銀バッジを右胸に付けて身分を示し、公平誠実たる社会を掲げて、堂々と市民運動を展開したのだ。
やがて一般市民が力を付けるにつれて運動も自然と落ち着き、いつしか歴史的な意味合いも薄れて、現在は単なるスタンダードになっている。
したがって由来から、白は公平誠実さを示す意味合いを持ち、銀バッジは一般市民の証である。
ちなみにネクタイというものはない。
「そうだ、リク。モップ代くらいは出してあげるよ。良いのを選ぶといい」
「えっ。悪いですよ」
「いいって。色々手伝ってくれたお礼と、今後ちょくちょくご迷惑をおかけするだろうからね……」
トイレのことを思い出し、苦笑いして言った。
リクが何してるのかなんて出てみるまでわからないからな。
あまり人に見せられないことしてるときにバッティングしてしまうかもしれない。
「ああ、またああいう風にいきなり出て来るわけですね……」
リクも思い返して恥ずかしいんだろうな。小さく首を振り、顔を赤くしている。
ともあれ、買ってもらうことに対する抵抗も減った気がするので、改めて申し出た。
「他に何もできないから、応援のつもりで買わせてくれ。もし悪いと思うなら、きっちり就職して何かで返してくれたらいいよ。ほんと何でもいいからさ」
「ユウさんがそこまで言うなら……。ありがとうございます! お世話になります!」
屈託のない笑顔で、はきはきと礼を述べるリク。
そこまで喜ばれると、こちらとしても気分が良いよ。
それからリクは、先ほどまではどこか根に持っている節があったのが、もうあからさまに上機嫌になっていた。
あまり人のことは言えないけど、根が単純で助かる。
俺があえて申し出たのは、何も親切や罪滅ぼしだけのことではない。
モップが安かったのもずっと昔の話。今や大量生産される合成繊維なんかと比べれば、立派な高級衣類の部類だ。
何年も使える上等なものとなれば、いくらバイトしているとは言っても、貧乏学生が手を出すのは躊躇われる値が張られている。
そこをさっと出してあげるのが、人生の先輩としての務めじゃないか。たまには大人らしいこともしてみたい。
そういや、『人のための金はよく考えて使うんだよ。必要な分だけ使わないことも、必要より無駄に使うことも、決してその人のためにならないんだ』とは父さんの言だったかな。
元々誰かの受け売りだった気がする。
まあこういう使い方なら問題ないだろう。
リクはあれこれ迷った挙句、体つきがシャープに見えるスリムフィットタイプのモップが気に入って、試着室へ入っていった。
ややあって、白モップ姿のフレッシュなリクが出てきた。
どちらかと言うと目立たない学生も、服が変われば様変わりするもので。ちゃんと立派な就活生に見える。
「うんうん。中々決まってるじゃないか」
「そうですかね。若干着られちゃってる感じがしなくもないですけど」
こういった格好に不慣れなせいか、そわそわとぎこちない調子で突っ立っているリクがちょっと可愛かった。
「着慣れればそのうち風格も出てくるさ」
「そんなもんでしょうか」
直しをお願いして、仕上るまでの間に残りの品を買い揃えてしまう。
ついでなので、すべて俺の方で出してあげることにした。
リクも申し訳なさそうにしながら、喜んでくれたよ。
ところで、某シルヴィアの中の人さんから頂いた身分証明書や口座は問題なく使えた。
それで俺自身の金は、とっくにリクの口座から移して自分のところに預けてある。
さすがにリクの口座の金から出すと格好が付かないからね。
……ところで、シルヴィアの中の人さん。
さっきから殺気じみた視線がビンビンですけど。
位置がこの上なくよくわかるので、下手な尾行は止めてそろそろ出て来てくれてもいいんじゃないかな。
彼女がいるはずの方向に目を向けると、彼女は人に見つかったGのようにササっと身を隠してしまった。
あれで身を隠すのは十二分に上手い部類なんだけど、人の気や心を感じ取れる俺が相手じゃ分が悪いよなあ。
リクはもちろん何にも気付いていない。
それとなく彼女のことを話そうとしたら、急に殺気の当たりがきつくなったので、話されたくないのかなと思ってやめてあげている。
完全に変人女子ストーカーだもんな。あれじゃあ。
***
とまあそんなこんなで無事買い物を済ませた俺たちは、ちょうどタナキアンを出たところだった。
「ああ……とうとう始まってしまうのかあ」
「大丈夫だよ。リク。君なら面接何とかなると思うよ」
「まあそこは。でも自分の適性とか、やりたいこととか。まだよくわかんないんですよね」
なるほど。そっちの悩みか。
まだやりたいこと見つけてないんだよね。
君が日々にどこか退屈さを感じてしまうのは、それもあるだろうか。
「焦らず探せばいいよ。それに飛び込んでみて初めてわかることもある。まず最初に入ってみて、気に入らなかったら次を探すのもありだと思うよ。悩み過ぎるなって」
「うーん。ですよね」
「もし本当に何もわからなければ、まず自分にできそうなこと、小さなことから始めてみるんだ。自己分析してみるとか、世の中の動きをチェックしてみるとか。やっていくうちに見えるものもあるはずだから」
俺だって、最初異世界に来たときは右も左もわからなかったし、何をして生きていけばいいのかもよくわからなかった。
でも少しずつできることから始めて。時に楽しく、時に一生懸命毎日を過ごして、時間はかかったけれども今の生き方を見つけた。
たとえ遠回りのように思えることでも、一歩ずつ進む先にはちゃんと未来が繋がっている。
君の不安や苦労だって、決して無駄にはならないとも。
「ユウさんって、ほんと時々超真面目ですよね」
「そうかなあ」
大体いつも普通にしてるつもりだけど。
「です。でも僕、色々不安もあるっちゃありますけど、最近は楽しいかもしれません。だって」
俺の目をじっと見て、何か続けて言おうとして。
でもリクはそこでやめてしまった。恥ずかしくなったのかもしれない。
面白くて、ついからかってみた。
「だって?」
「何でもないですよっ!」
ぷいっと顔を背けるリクが、何だか微笑ましかった。
はは。大丈夫。気持ちはよく伝わったよ。
***
「みんなー! 今日は来てくれてありがとー!」
「「うえーーーーーい!」」
店の脇の広いスペースに差し掛かったとき、大歓声が聞こえてきた。
「あのすごい人だかり、何だろうね」
「えーと――ああ! ほら、アマギシ エミリですよ。タナキアンのイメージキャラクターもやってる」
ああ。あのミティに口調が似てる家庭派アイドルか。
テレビじゃなくて、本物が来てるんだ。
「きっとタナキアンスポンサーの路上ライブですよ。生で見られるなんて、運がいいかも! ちょっと見に行きませんか?」
「うん。行ってみようか」
俺もそれなりに興味が沸いた。アイドルなんて近くで見るの久しぶりだし。
リクと一緒に人だかりへ入ろうとするが、あまりに人が多くてほとんど近寄れない。
仕方なく、やや遠巻きから様子を眺めることにした。
俺は目が良いから、これだけ離れていても彼女の顔がしっかりとわかる。
リクはどうかわからないけど、特に不満は感じていないようだ。
エミリは、テレビのように愛想いっぱいのですぅ! 口調でトークを盛り上げていく。
場慣れしていて、中々に話は上手い。
さすがちやほやされるだけあって、目鼻はすっきり整っていて。可愛らしさという点ではそこらの人より一つ抜けている。
しかしとび抜けて近寄りがたい美ではなく、例えるならクラスの一番かわいい子にちょっとプラスアルファしたような雰囲気が、親しみやすい家庭派を印象付けているのかもしれない。
時折趣味の料理での苦労と、これがあって助かったと便利家電を紹介し、スポンサーであるタナキアンの宣伝もちゃっかり忘れないアイドルの鑑だ。
「うわあ……。本物だあ……」
リクはだらしなく見とれている。かなりのかわいい子好きだったなお前。
そう言えば、観客の大多数は男性であるが、ちらほらと女性がいないわけではない。
中でも、さっきからトークが盛り上がるたびに騒がしいくらいの歓声を上げている赤い髪の若い女性。
いかにも仕事帰りって感じで、白モップにバッジを決めている。
名前は、アカ……あとはここからじゃよく見えないや。
なんかあの人、どっかで見たことあるような気がするんだよなあ。雰囲気が。
まさかね。いやいや、さすがにそんなに世界狭くないよね。
やがて、いよいよエミリが歌うという段になった。
観衆は期待に身を寄せて、ヒートアップしている。
「それでは、お聞きくださいですぅ。『はらわたをぶちまけろ』」
「「うおおおおおおおおおおお!」」
……トレヴァークの家庭派アイドルというのは、やたらアグレッシブらしい。