昔からそうだった。
うちの親父、医者になろうとしてなれなかったとかで。
両親揃って、子供の俺に夢を押し付けて。
期待されてるのはわかってた。
口では頑張るって言ってきたけどさ。少しは期待に応えようと思ってたけどさ。
段々わかってきた。自分には能力がない。
頭も良くないし、元々頑張れる性格でもない。
親父にできなかったことが、俺にできるわけないだろ。
成績が良かったのも、ピリー・スクールの1年までだ。
結局、トロウ・スクールも普通のところに通うことになったし、そこに入ってからも成績は平凡そのものだった。
両親の当たりはきつくなった。このままじゃ医学部に受からないぞって。
段々嫌になってきた。
俺はお前らの都合の良い道具じゃない。
俺がどうしようと、どうなろうと勝手だろうが。
不登校とまでは言わないが、色々なことが嫌になり。徐々に学校も休みがちになっていた。
そんな折に出会ったのが、ラナクリムだった。
何となくキャッチコピーに惹かれた。
「もう一つのリアルがここにある」。
俺は冒険者になった。
もちろんギルドにも入って、パーティー組んだりしてみた。
最初は上手くいかないこともあったけど。正直はまった。
この世界では、努力が報われる。
経験値は目に見える形で入って来るし、プレイヤースキルが上がれば、それだけキャラクターは意に沿ってどんどん快適に動いてくれるようになる。
それに、世界中に多くの仲間がいる。
同じように、リアルがうざったくてこっち来た奴もいる。
そいつらと話しながらプレイするだけでも、嫌なことを忘れられて楽しかった。
……ああ。わかってたさ。
逃げてるだけだってことは、薄々わかってた。
でも仕方ないだろ。
俺はそんなに強くない。強かったらこんなに悩んでないって。
ラナクリムに浸る日々が続いた。
楽しかったんだが、そのうち顔の見えない相手ばかりと話すのも少し物足りなくなってきて。
誘ったんだよ。誰だったっけ。あいつ。
そいつは一見、俺とは違うタイプだった。
ひねた俺と違って、普段から当たり障りなく友達付き合いとかもしてて。
よく笑う奴だった。
けど時々、教室で何となくつまらなそうにしてたから。
少し似てるのかもなと思った。
声かけやすかったんだ。仲間みたいに思えてね。
そいつは、戸惑いながらも快く付き合ってくれたよ。
最初は良かった。本当に楽しかった。
俺が先輩で、あいつが後輩。この絶対律があった。
Eランクだったあいつに対して、Bランクの俺は得意になって色々教えてやった。
お前は目を輝かせて、いつでも付き合ってくれたよな。
一緒にクリスタルドラゴンに挑んだのは、ボロクソに負けたけど良い思い出だった。
ゲームの世界なら。
英雄までいかなくても、俺は結構やれてる。
そんな気がしてた。得意になってた。
でもな。最初だけだったんだよ。
お前、口ではたまにひねたこと言うけど。
俺と違って、根が素直だから。
教えてやったことは何でも吸収したし、先輩プレイヤーにもくっついて、色々な技を教えてもらって。
いつの間にか、なんとかいう女性プレイヤーとも知り合いになってて。
リアルと一緒で、こっちでも友達作るの上手かったよな。
勉強だってちょっとだけだが、俺よりできた。
めきめき伸びていくお前に対して、無駄に対抗心燃やしちまったよ。
なんだかんだと理由付けて、一緒にパーティー組むことも少しずつ減っていった。
そして、とうとう負けちまった。
Aランクになったって、笑顔で報告してきたお前にな。
俺は……ずっとBだ。
悔しかったよ。わけもなく。
ゲームの世界でも負けちまうなんて。
その辺にいて、適当に声かけた奴にさえ負けちまうなんて。
俺だってそれなりにやってた。なのに。
ここでない「もう一つのリアルがある」って思ってた。
結局は違ったのさ。
ここと同じような、もう一つのリアルがあっただけ。
あいつに教えなきゃよかった。
そんな風に思ってしまう自分がひどくみじめで、嫌になってきて。
一瞬、ゲーム熱が嘘みたいに冷めた。
逃げていた現実が、津波のように押し寄せてきた。
俺は、ダメだ。このままじゃあ。
何か、証が欲しかった。
ほんの少しだけで良かったんだ。こんな俺に価値があると思えることが欲しかった。
家に帰ると、取りつかれたようにやり込み始めた。
親の金にも手を付けて課金した。装備も整えた。学校を休むことも増えた。
だが届かない。プレイヤースキルが足りない。
Aランクに求められる水準に、俺はどうしても達しない。
その間にも、あいつはどんどん前を行く。スカブドーラを倒したって言ってたな。
焦りがあった。イライラしてた。
ある日、何言ったかわからないが、随分ひどいこと言っちまったと思う。
そしたらお前、なんて言った?
「シンヤさ、受験でちょっと疲れてるんだよ。今度一緒に、クリスタルドラゴンにリベンジしようぜ。今なら勝てるかも」
お前何にも気にしないで、笑ってそう言うんだよ。
俺は……俺はこんな下らないことで、こんなにも嫉妬に満ちた感情でお前に八つ当たりしてるのに。
馬鹿みたいじゃねえか。一人だけ。
もうお前の顔、見られなかった。逃げ帰った。
それから俺は。
俺は――何してんだろう?
ああ――そうだった。
Aランクになって、冒険者としての名も高まってきてたところでな。
ここらで何か一つ、どでかい勲章を立てたくなって。
剣麗レオンも越せなかったガーム海域に挑むことにした。
生きて帰れば、ギルドの連中も俺の凄さを絶対認めてくれるだろう。
だが現実はちょっとばかり厳しかったみたいだ。
ヌヴァードンが、いきなり現れてよ。
それで――俺、何してんだろうな。
『やっと見つけた。助けに来たよ!』
『あんたは……?』
突然目の前に現れた。柔らかい雰囲気を放つ人物。
どうやら男のようだが、顔つきはどこか女のようにも見える。
こんな奴は今まで見たことがない。
彼は手を差し出してきた。
その瞳はまるでこちらの心臓を射抜くかのように力強く。
真摯で、そして不思議と温かかった。
『俺が誰かなんて、今はいい。行くぞ。リクが待ってる』
『リク……リクって、誰だ?』
『……ここに来るまで、色々と見てきたよ。記憶が混乱してしまっているみたいだね』
『混乱しているだって。何を言ってる。俺は――』
言いかけて、言葉を失った。
俺は……誰だ?
そもそもなんで、ここでこんなことをしているんだ。
そうだ。俺はシン。Aランクの冒険者シンだ。
身体を治して、またあの海域に挑むのだ。
なのに、目の前の少年は。
何か哀れなものでも見るかのような目で、静かに首を横に振った。
なんだってんだよ。
『シンでもあるけど。シンヤ。君はシンヤだよ。夢想の世界に囚われた君を、救い出しに来た』
『夢想の世界……? 救う? 何言ってるんだ』
わけがわからない。混乱する。
『俺はまた海にリベンジしなけりゃならないんだ。ほっといてくれよ!』
口が勝手に乱暴な言葉を紡ぐ。
だが、何のために? また挑む?
少年は一歩も引かない。
まるですべて見えているとでも言うかのように。
こちらの呼吸に合わせて、一歩、また一歩と迫ってくる。
やめろ。寄るな。寄ってくるな!
拒絶しようとした。逃げようとした。
だが、足がすくんで動かない。
何を恐れている。何を期待している。
矛盾した感情に、ひどく心が揺さぶられて。
気が付けば、強く手を掴まれていた。
『君を待ってる人がいる。お願いだ。少しだけでいい。聞いてくれ』
そのとき、どこか懐かしい。
聞き覚えのある声がした。
『やっぱりさ。お前がいないと、寂しいよ』
「この声、は……」
『このまま死ぬなんて許さないぞ。戻って来いよ。また一緒に遊ぼうぜ。シンヤ!』
ああ。そうだ。
俺は……俺は……!
欠けていた何かが、繋がったような気がして――。
***
「う……あ……」
ここ、は……?
久しぶりに、光を見たような気がした。
すべてが、白い。
とても目を開けていられない。何もかもが眩しい。
何度も、何度も目を瞬いて。
少しずつ、世界が色を取り戻してきた。
じっと俺を見つめる顔がある。
なんだ。お前、いたのかよ。
夢で会った不思議な少年。あいつもいた。
一歩身を引いて、どこか安心したような、穏やかな瞳でこちらを見つめている。
俺は、久しぶりに挨拶でもしてやろうと思って。
上手く声が出なかった。
「……なあ……リク……あのとき……ごめ……んな……」
自分でもなんで、そんなこと言ってるのかわからなかった。
あいつは、喉の奥に声を詰まらせた。
何かを言おうとして、肩が震えて。
俺の手に、熱い滴が零れ落ちた。
「バカ。お前、まだそんなこと気にしてたのかよ……!」
「ごめん、な……」
「いいんだよ……! みっともなく泣いてんじゃねえよ。僕まで、もらい泣きしちゃうだろ……!」
バカ。何言ってんだ。お前が先に泣いてんだろ。
ただ泣いた。大の男が二人。
泣きたくても泣けなかった時間の分だけ、ただ泣いた。