ユイにシンの救出を頼んだけど、彼はガーム海域に向かってしまったようだ。
果たして無事かどうか。結果がわかるのは、早くて明日になるだろうな。
差し当たって今日すべきことはもうないか。そろそろ帰ろう。
その場を立ち去ろうとしたとき、突然背後から声がかかった。
「やあ」
明朗で弾むような、女の子の声。
気配は感じ取っていたけれど、まさか声をかけられるとは思わなかった。
やや驚きをもって振り返ると。
車椅子に乗った少女が、小さく手を振っている姿が目に飛び込んできた。
「また会えたね。ユウくん」
なっ!?
俺は名を呼ばれた衝撃のあまり、その場に固まりついてしまう。
誰なんだ。この子は。
そんな俺に、彼女は穏やかな微笑みを投げかけて。
車椅子を手で押して、ゆっくりとこちらに向かってきた。
近付いてくる彼女の容姿を、つぶさに見て取る。
健気な声の調子とは裏腹に――寝たきりのことが多いのだろうか、雪のように白い手足はやせ細って、肉付きも控えめだ。
顔色もやや青白く、ほっそりとしている。
さすがに夢想病患者より見れるとは言え、およそ健康とは言い難い状態だ。
しかし顔つきの方を見れば、身体の弱さなど感じさせない芯の強さが覗き知れるのだった。
不健康であっても、見る者に不安を感じさせない笑顔に、固い意志を秘めた青い瞳。
艶こそ少ないが、鮮やかなピンク色の髪。
もし健康であれば、見る者が振り返るほどの美少女であっただろう。
少女はただそこにいるだけでも、死の気配が色濃く映えるこの病院において、一つ浮き立った生の存在感を放っていた。
手の届く距離まで近づいてきた彼女は。
にこりと笑って、か細い手を差し出してきた。
「もしかしたら、こっちでも会えるかなって思っていたよ。ボクの読みは当たっていたみたいだね」
俺もとりあえず丁重に握手には応じて。
それから問う。
「どうして俺の名前を。君は俺のことを知っているのか?」
「うん。ボクはずっと見ていたよ。キミたちのこと」
自分のことをボクと呼ぶ、不思議な雰囲気の少女は。
控えめな胸に手を当てて、意味深げに目を細める。
「夢の中で、だけどね」
と、口元を緩めて、付け加える。
夢の中で? どういうことだ。
いや、考えろ。
夢想病患者が見ていた夢と、この子が言っている夢は。
もしや同じものではないだろうか。
つまり、この子は。
「ラナソールのことを、知っているのか?」
「その通り。ようやく仲間に出会えた気分だよ」
俺を見つめてけろっと笑った彼女は、「夢のこと、誰に話しても信じてもらえなかったんだよね……」とちょっぴり寂しげに言い足して。
さらに親しげに一歩分車椅子を寄せてきた。
「ところで。キミはボクのことを知っているかい?」
すべてを見透かすかのような青い瞳が、俺の双眸をじっと覗き込む。
何かを期待しているような表情だ。
知っていると言って欲しいのだろうか。
心の能力をもってしても、何を考えているのか。さっぱり読めない。
だが少なくとも、こんな子には出会ったことがない。
俺は正直に首を横に振った。
「ごめん。知らないよ。君みたいな人と出会うのは、初めてだと思う」
「ふうん。そっかあ。まあ、そうだよね。仕方ないよね」
どこかいたずらっぽい笑みを浮かべた彼女は、大して気にもしていない様子だ。
「ボクの名前は、ユキミ ハル。気安くハルって呼んでくれると嬉しい、かな」
ちょこんと首を傾げる仕草は、年頃の少女らしく、可愛らしさに溢れたものだ。
ユイもよく使う手だけど。無自覚なのか自覚してるのか微妙なラインでやられると、ちょっとずるいなと思う。
「わかったよ。よろしく。ハル」
「うん。ボクはね、もう呼んでしまっているけど。キミのこと、ユウくんって呼んでもいいかな?」
ユウくん呼びされるのは、アスティ以来だろうか。
まあ別に嫌なわけではないし、頷いた。
「いいよ」
「ふふ。じゃあユウくん。もう一回、握手しよっか」
「え、ああ」
促されるままにもう一度、今度は最初よりも長めにしっかりと握手した。
手を放そうとしたとき、ハルが楽しそうに俺の指をなぞる。
「あはは。温かいね。キミの手」
「君の手に比べたらね。健康だから」
気さくな雰囲気につい笑みを返すと。
彼女は曖昧に笑って、左右の手かけに視線を落とした。
「うん。病気なんだ。夢想病ほど大変なものではないけどね。まだ歩けなくて」
さらっとそう言うと、器用に車椅子を回して、くるりと向きを変えた。
「続きはボクの病室でしよう。お互い話したいこともできただろうし。ね」
俺の心はわかっているとでも言うように、彼女はウインクをしてきた。