少々あざとく煩わしい所はあるが、ミティはどこかの誰かさんと違って働き者だ。滅多に弱音を吐くことをしないし、料理の上達も相当に早い。
元々宿屋をやっていた彼女は、電話番や客対応もそつなくこなしてくれるので、俺とユイは格段に動きやすくなった。
留守を守ってくれるおかげで、外での仕事に専念することができるようになった。
さて。レオンが訪ねて来てからも、レンクスはだらしないままではあったものの、時折何かを真面目に考えているような素振りが見られるようになった。
気になって尋ねてみると「いや大したことじゃないんだ」の一点張りである。フェバルはどうしてこう秘密主義な人が多いのだろうか。
ただ「あれだけ強いという話を聞いた割に、あいつからもさっぱり何も感じなかったな」ということを言っていて、それにはまったく同意した。
剣麗レオンも含め、この世界の人間には気力もなければ魔力もない。
俺とレンクスにはちゃんと気力があるし、ユイとレンクスには魔力がある。
この違いが、レオンが直感した違いというやつなのだろうか。
そしてレンクスは「調べたいことがある。数日で戻る」と言って、店から出て行ってしまった。
いつもへらへらしてるあいつが、このときばかりは真面目な顔だった。
そういうときのあいつは非常に頼りになるが……一体何を調べる気なのだろうか。
結局、レンクスが不在の間にレオンはまた来てしまった。
冒険者や兵に紛れても一際目立つであろう真っ白な装飾鎧。背中には見事な色合いの青マント。そして右の腰には、細身の聖剣フォースレイダーが鞘に納まっている。
高貴な正装に身を包んだ彼は、白い歯を見せた。
「では行くとしようか」
「行ってらっしゃいませ、師匠。留守は任せて下さいですぅ」
「うん。任せたよ。ミティ」
「怪しい人には気を付けてね」
「はい!」
店から出て並び立つと、レオンは俺よりも少し背が高いことに気が付いた。
優しげな顔付きからは細身な印象を受けるが、実際にはがたいもそれなりに良い。
ユイから見れば、包み込まれそうなくらいには大きく感じるだろう。俺は170cmでユイが158cmだから――まあ170の後半くらいだろうか。
欲を言えば、俺ももう少し背が高くても良かったかな。16歳で成長止まっちゃったから仕方ないんだけど。
レオンがこちらへ振り返って言った。
「向こうへ行けば移動魔法が使えるけど、まずは橋を渡るところからだね」
「ああ。それなら大丈夫。ユイ」
「うん」
ユイがすまし顔で手を差し伸べた。
俺は黙って彼女の上に手を乗せる。
「さあ。レオンも手を乗せて」
「ん、ああ」
彼女に言われるがまま、彼も素直に俺の上に手を乗せる。
《転移魔法》
ふわりと身体が浮き上がるような感覚がしたと思うと、既に景色は移り変わっていた。
かすかな潮の匂いが鼻孔をくすぐる。
「はい。ここはもうナーベイだよ」
「なんと」
レオンは辺りを落ち着きなく見回して、まるで狐にでもつままれたかのように驚いていた。
「……へえ、すごいな」
事実を認識してから、彼は「まさかこんな魔法があったとは」と声が弾むのを隠し切れない調子だった。
「予定ならもう少しかかるはずだったけれど。これならすぐにでも着きそうだ」
レオンは小さく頷くと、得意そうに口の端を吊り上げた。
「今度は僕が君たちを驚かせる番かな」
彼が指をパチンと鳴らすと。
俺たち三人は、弾かれたように空へと飛び出した。
ジェット気流に乗ったかのごとく、空を掻き分けてどんどん前へ進んでいく。
ナーベイは一瞬で後方へ置き去りにされた。
わあ! 飛んでる! 滅茶苦茶速く飛んでるよ! 飛行魔法よりずっと速い!
そうしてものの数分もしないうちに、目的地である魔法都市が眼下に迫っていた。
遠目からでも華やかな色合いがよくわかる。
次第に減速し、優しい衝撃で三人とも危なげなく着地した。
「あっという間だったね」
今度はユイがあちこちをきょろきょろして、ふうと胸を撫で下ろしている。
「さすがに一瞬とはいかないが、中々のものだろう。ただね」
レオンはふふっと可笑しそうに笑い声を漏らした。
「これ、使用時に注意点があって。屋内では絶対使っちゃいけないんだ」
「どうして?」
「まあ、わかるだろう?」
レオンは痛そうな演技で、頭の上を手で押さえてみせた。それでわかった。
まさかこれ、ルー○って言うんじゃないだろうな。ケン兄が昔やって見せてくれたゲームに、そういうのあったぞ。
関係ないけど、RPGって人がやってるの横で見ても結構楽しかったりするんだよね。人によるかな?
「過去には誤って使用してしまい、天井に頭をぶつけて死んだ者もいるらしい。悲惨なもので、頭部は原型すら留めていなかったそうだ」
「「うわあ」」
俺もユイも、つい頭を押さえかけた。怖いのは苦手なんだよな。
そんな様子を見て、レオンは笑いをこらえていた。
案外冗談とか好きなのかもしれないな、この人。
***
魔法都市フェルノート。
ラナソールという世界において最も発展した大都市であり、先進的な魔法文明を誇っている。
あちこちに見上げるような高層ビルが立ち並んでいた。
ただし現代地球のような画一的な無味乾燥さはまるでなく、街並みはどこまでもカラフルで華やかの一言である。
空に浮かんだままの奇抜な形の家も、ちらほらと見られる。おそらく重力に従って建っている必要がないため、形状にもかなりの自由性があるのだろう。
人口も破格に多いらしい。人の姿はどこにでもあった。誰もが忙しなく歩いているように見える。
ここまで来るともうレジンバークにあった牧歌的な雰囲気や、ナーベイにあった地方特有ののんびりした空気などは、微塵も感じられない。
道は広い車道と歩道にきっちり分けられて、信号のようなものもあった。それが青(緑ではなく、本当に青だった)になれば車やバイクが走り、黄色になれば止まる。
乗り物は大抵が地面からほんの少し浮いており、運転音をわざと付けることによって歩行者に注意を促していた。
川が流れるように所狭しと歩く人たちが、決してお堅いスーツに身を固めているわけではない。むしろレジンバークの一般人のような軽快な布の服で歩いているのだから、俺とユイの目から見れば実に妙なものに見えた。
地球の感覚で言えば、中世と現代の奇妙な共存がそこにはあったのである。
また、ところによっては道に沿って流れる水路が敷かれており、綺麗な噴水やオブジェもそこここに見られた。宙に描かれて時間と共に移り変わっていくアートなどもあった。
ここは芸術の街としての側面も持っているのだろうか。
賑やかで華やかな雰囲気からは、どこかサークリス魔法学校のことが思い出されて、懐かしい気分になっていた。
街をのんびりと紹介して歩きながら、レオンが振り返る。
「この町も華やかで好きだけど……やはり僕はレジンバークの方が好きかな。落ち着くんだ、あそこ。いつも騒がしい癖にね」
僕はやはり根が冒険者なんだろうな、とレオンは口元を緩める。
「私もあっちの方が好きかな。すっかり愛着湧いちゃって。ここはここで、故郷の忙しい街のことをそれとなく思い起こされるけどね。もう一つの心の故郷も」
「そうだね。どちらの意味でも懐かしいな」
東京とサークリス。まったく異なる二つの故郷。
子供時代と青春時代をそれぞれ過ごした場所。
「君たちはこんなところに住んでいたわけかい? はて、フェルノート以外にこんな騒がしいところもあったものかな」
レオンは探るようにこちらを窺って、それから肩を竦めた。
ちょうど向こうに、何やら駅のような建物が見えてきた。
駅だと判別できたのは、鉄道のラインのようなものがそこからずっと伸びているからだ。
やはりそうだったようで、
「さて。せっかくだ。交通機関でも体験してみるかい? もっとも、僕らであれば本気で走った方が速いかもしれないけどね」
超人らしいジョークを言ってウインクしたレオンに、俺とユイはにべもなく頷いた。
駅に入ると、俺たちは不意に興奮してしまった。
だってあるのだ。一目でわかる。
自動券売機が。自動改札機が! 見事に地球ライクど真ん中なデザインで!
みんな、そこを通って行儀良くホームに流れ込んでいく。
こんな異ばっかりの付く世界に見慣れたものがあると、ついわくわくしてしまうのだった。
「ああ……! ユイ、見てみろよ!」
「ふふ。見えてるよ!」
切符を買って、タッチして下さいと書いてある部分にタッチすると、パネルが光って普通に改札を通ることができた。
たったそれだけのことなのに。振り返って二度見した。
なんと懐かしいことか。
高校生のときは、毎日こんな風に改札通って通ってたよなあ。一時間以上電車に揺られて。結構混んでたっけ。
「ふっ。よほど楽しんでくれているみたいだね」
生暖かく見守られると、まるでレオンが保護者のような気がしてきて、恥ずかしくなってきた。
こほんと咳払いして、所在なくユイの手を握る。
ホームで十分ほど待っていると、向かってきたのは、今度は日本ライク電車ではなかった。
繋ぎ目のない蛇のような形状の乗り物が、浮いた状態でやってきたのだった。
シュルーと呼ぶらしい。伝説の大蛇を模して作ったのでそのように呼ぶのだと、レオンは教えてくれた。
そして俺たちは、音のしない静かな「電車」に座っていた。
シュルーは結構面白い動きをしていて。レールに指定された部分の少し上空を、高度を保ちつつ、蛇が這うようにするすると進んでいくのだった。
加速も減速も魔法で調整されているのか、ほとんど慣性力を感じない。
ところで、軽装した俺とユイの横には、白い鎧をフル装備したレオンがどんと構えて座っているのだから、それはもう目立った。
「あれ、レオン様じゃない?」と、ここでも有名人な彼はひそひそと噂話をされている。様付けだ。
彼がサービスでスマイルを返すと、リアルに女性がくらりと来ていた。これもう特殊能力なんじゃないか。
シュルーの壁には、ぺたぺたと色んなところに広告が貼られていた。内容は何ということはない、何かの週刊誌の広告である。
何となしに眺めてみると。
『特集 ミッターフレーションが起こる!?』
特集記事のタイトルが見えた。
近年続発しているという怪奇現象や、噂に聞くパワーレスエリアと関連付けられて、ミッターフレーションなる現象を論じているもののようだった。
「ミッターフレーション? 聞いたことのない言葉だな」
「フェルノートで話題に上がるだけのローカルネタだからね。無理もない」
「ふうん。どんなものなの?」
「予言された世界の終わり。審判の日に起こるという奈落への崩壊現象のことをそう呼ぶんだ。まあ終末論を振りかざして囃し立てる悲観的か物好きな騒がしい連中というのは、いつでもいるものさ」
レオンがさらりと解説してくれた。
へえ。なるほど。
「……こんなところでくらい、少しは楽しくできないものかな」
「こんなところで?」
「ん? あれ。いいや。何でもない」
レオン自身もなぜそんなことを言ったのかという調子で、いやいやと首を横に振っていた。なので俺も気にしないことにした。
ふと、横からちょんちょんと肩を叩かれる。ついでに頬も突かれた。
「見て見て。ユウ、空に城が見えるよ! あんなに近くに」
「ん、どれどれ」
それを目にしたとき、俺ははっと息を呑んだ。
「特別区」浮遊城ラヴァーク。真っ白な美しいお城だった。
シンデレラ城みたいだ、という喩えがぴったりだろうか。
まるで妖精の光でも集めているかのように、昼間でもぼんやりと全体が光に包まれて輝いているのがわかる。それが何ともメルヘンチックな雰囲気を漂わせていた。
綺麗だ。とても。
なのに俺にはなぜか、そこが飛べない鳥を閉じ込めておくための冷たい籠のようにも感じられていた。
「あそこが特別区か」
「この時期は一番降りて来ているからね。こんな風にくっきり見えるのは、一年のうちでもそう長くはないんだよ」
「そうなの? へえー。いつも同じ高さじゃないんだ」
ユイが興味深く相槌を打っている。
「一年の間にゆっくり高さが変動してるんだよ。その理由は教えてもらえていないけどね。一番高いときは、誰の目にも届かないところにある」
レオンとユイが、楽しそうに話す横で。
この世界の許容性のおかげか、視力が抜群に良いのでわかった。
誰かが、バルコニーへ出てくる。
一人。女性。
ラナ。
ラナだ、と思った。100ジット札の肖像画に描かれた顔そのままだったから。
彼女は美しいブロンドの髪を上空の風に靡かせて。眼下に広がるフェルノートの街並みを眺め下ろしていた。
その顔を、表情を目にしたとき。
えも言われぬ感情に、胸を締め付けられそうになった。
誰にも見えていないだろうという油断があったのか。
肖像画に描かれた笑顔は、そこになかった。
とても。とても、悲しそうな顔をしているのだ。
世界の象徴として、決して人に見せてはならない顔をしているのだ。
そして――彼女は何かの気配に感付いて。
その何かを探すように、ふらふらと視線を彷徨わせた。
そのとき、俺と目が合ったような気がした。
ドクン。
「うっ……!」「あっ……!」
突然、胸を激しい動悸が襲った。
これは……! この、気持ちは……!
あまりにも。あまりにも強い。
心が繋がっているユイも、一緒に苦しそうにしている。
「おい。大丈夫かい!?」
レオンが俺とユイを並べて、肩をさすってくれる。優しい人だ。
胸の奥を突き刺すような苦しみが落ち着いてくるまで、ひどく時間がかかった。
「「はあ……はあ……」」
「急にどうしたんだい。顔色がひどいよ」
「悪い……もう、大丈夫……」
言いながら、全然大丈夫じゃないなと思った。
ユイもぐったりとしている。本当にひどい顔色だった。
それ以上は何も喋る気にはなれなかった。喋る気力が起きなかった。
……何だよ。あれ。
それは今までだって、悲しんでいる人はいた。いたさ。
だけど、みんな。
あんなにも……。あそこまで。
この世界は楽しい所だ。間違いなく言える。
今までこんなに多くの人が幸せそうにしている世界はなかった。楽しそうに毎日馬鹿騒ぎしている世界もなかった。
なのに。
ラナ。どうして君は。
そんなに悲しそうなんだ……?
まだ少し苦しむ胸を押さえながら、窓の外に目を向ける。
もう彼女の姿は、どこにも見えなかった。