リルナは早速《パストライヴ》で正面から消えた。
相変わらず全力で殺しにかかってくる。お得意の戦法だ。
俺は振り返らずに、精神を集中させて、右足を強く踏み込んだ。金属製の車両がべこんと凹むほどの踏み込みだ。
その足を軸として重さを乗せ、気を纏わせた左足を放つ。
この世界ではずっと気力が足りなくてできなかった、足技の気拳術だ。
《気烈脚》
狙い澄ました強烈な蹴りは、すぐ側で攻撃に移ろうとしていた彼女の機体を、再びワープでかわされる前に捉えた。
ガッと鈍い感触が伝わる。身体の芯を捉えた感じではない。
しかし『心の世界』の力も上乗せしているので、バリアに弾かれてもいなかった。
どうやら咄嗟に腕を回してガードしたらしい。さすがに戦い慣れている。
「また《ディートレス》を……!」
驚きを隠せない声で言うや否や、彼女は再び消えた。
死角より斬撃が迫る。
それも殺気を読めば、位置はわかる。感じ取ったそこに気剣を振り抜く。
と、今度はきっちりワープで避けられる。
俺は慌てることなく、くるりと身体を捻る。
攻撃の勢いを殺さぬまま、彼女の再出現位置に剣を合わせた。
互いの光刃がぶつかり合って、眩いばかりの火花を散らす。
この構図も、幾度目になるだろうか。
見れば、彼女の右腕はややだらしなくぶら下がっていた。
まったく使い物にならなくなった感じでもないが、しばらくはまともに動かせなさそうだ。
いきなりぶちかましてやった《気裂脚》のダメージは、しっかり通っていたらしい。
これで片腕同士。早い段階で対等な状況に持ち込めてよかった。
「やはり、お前は強敵だ」
「あんたも、ほんとに強いよ」
剣を合わせながら、彼女はどこか楽しそうだった。
戦いの最中にそんな顔をした彼女を見たのは、初めてだった。
一体何が彼女をほんの少しであれ、変えたのだろうか。
「それでこそ、殺しがいがある!」
「片腕だけで勘弁して欲しいね!」
彼女は再び姿を消した。
ショートワープを繰り返しつつ、変幻自在の動きで怒涛の攻撃を仕掛けてくる。
こっちでも使ってみて思ったけど、本当に厄介で便利な能力だ。何年か前の俺だったら、もう何回命を落としているだろうか。
とにかく、今は通用していた。
俺は彼女の攻撃を受け切り、時には避け、隙を狙って反撃もできている。
バスタートライヴモードでスピードが遥かに向上している彼女の動きにも、問題なく付いていけていた。
《フレイザー》
彼女がそれを宣言するとほぼ同時。
視界を埋め尽くすほど凄まじい数の光弾が発射され、周囲を蜂の巣にしていく。
来た。前回の俺が完全にやられた攻撃だ!
あのときは、全力で防御に回るしかなかった。結果、致命的な隙が生じてしまったけど。
今度はそうはいかない。
命中軌道上の部位だけに絞って、集中的に防御を強化する。怯まずに反撃できる体勢を維持する。
《インテンシブガード》
ピンポイントで強化した気の防護は、危なげなく光弾を弾いてくれた。
数は鬼のように多いが、一つ一つの威力はそう恐れるものでもない。
護りを維持しつつ、やや強引に突っ込んでいけば、今度は隙を晒しているのはリルナの方だった。
俺が剣を振る姿勢に入ったのを認めた彼女は、直ちに射撃を中止し、回避行動に移る。
だが、少しだけ遅い。
瞬間移動で消えてしまう前に、浅くではあるが、胸の辺りを斬り付けることができた。
決定打にはならなかったか。さすがはリルナだ。
その後も、一進一退の攻防が続く。
無闇にワープを繰り返しても見切られていると悟ったか、消える頻度だけで言えば減りつつあった。
その代わり、攻撃直後の体勢を狙う、あえてタイミングをずらして使うなど、テクニカルな使い方をしてくるようになった。
やはり戦闘経験値が高い。己を知り、機能を十全に使いこなすところに彼女の強さがある。
致命傷こそ避け続けたものの、いくつも浅傷をこさえ、衣服にもじわりと朱が滲んでいた。
これ以上はまずい。元々血を失っているからだ。
リルナもまた無傷ではない。絶対防御が意味を為さず、俺の気剣によって機体のあちこちに切り傷が付いていた。
機動パーツが破損してきたのか、向こうにも徐々に焦りが見られる。
やがて、幾度目になる鍔競り合いの果て。
互いに距離を取った俺たちには、共通認識が生まれていた。
この戦い、もう長くはない。
「まさか、これほどダメージを受けることになるとは思わなかった」
「言っただろう。これまでとは違うって」
「……《ディートレス》解除。ハイパーアタックモードに移行」
彼女の両手甲より飛び出している光刃が、さらに激しく輝きを強めた。
恐ろしいほどのエネルギーが集中している。
俺の攻撃が《ディートレス》を突き破ることを認めたリルナは、潔く攻撃特化の型に変更してきたようだ。
ぼちぼち彼女の右腕も復活していた。これだけ時間が経てば、さすがに動くようになったか。
「その仰々しいモードの名前は、設計者の趣味?」
「知るものか。いい加減、そろそろ決着をつけよう」
「最後にもう一度聞くけど。ここらでやめにしないか」
「……わたしは、お前に最後まできっちり勝ちたいんだ」
「そうか。勝ちたい、か」
「もう逃げるな。これ以上、わたしに追いかけさせるつもりか?」
「……わかった。全力で迎え撃とう」
もう言葉は要らなかった。
お互い、次の一撃に全力を賭けるつもりだ。
持てる武器に、力を込めていく。
気剣は白から、目の覚めるような青白色に変化する。
そして。
示し合わせたように、同時に駆け出した。
《インクリアハーツ》
《センクレイズ》
最速の突きの型でもって、俺は彼女に向かっていく。
彼女も、瞬きをする間もない刹那に、一気に距離を詰めてくる。
その手より、煌々ときらめく双剣を突き出して。
気剣は、ある程度なら形状変化させられる。
俺は剣先を細めて引き伸ばし、さらにぎりぎりまで尖らせるつもりだった。
ここまで戦っていて、よくわかった。
たとえ《マインドバースト》を使っても。
リルナは強い。悔しいけど、実力ではまだ勝てない。
殺し合いの土俵で戦うならば。このまま真っ向に刃をぶつけるならば。
結末は、俺の敗北。そして死だ。
だから。
狙うは、一点のみ。
最後の一押しだ。
捨て身の覚悟で、気による推進力をかける。
貫け!
《バースト》!
いよいよぶつかり合う直前で。
俺の気剣は、爆発的な勢いを付けて伸びた。
そして。
相手の刃が達するより、ほんのわずかだけ早く――。
彼女の胸を。
極めて細く、鋭く。
ただ一点だけを、正確に刺し貫いていた。
そのとき、彼女の刃は――。
俺の首筋に付けたところで、ぴたりと止まっていた。
――俺は、本当のお前を信じていたよ。リルナ。
「ふ、ふふ……」
彼女の口から、乾いた笑みが漏れる。
そのうち堪え切れなくなったのか、心の底から愉快に大笑いし始めた。
「ユウ! お前は、本当に甘い奴だな!」
彼女は、まるで憑き物が落ちたかのように、すっきりした顔をしている。
透き通るような青の瞳に、もう憎悪の濁りはない。
とても綺麗な目だと思った。
そう。
当然、最初から俺の狙いは、彼女の命などではなかった。
その胸に憑り付いていた、何よりも邪魔な|CPD(もの)。それだけだったんだ。
「殺し合いの方は、どうやらわたしの勝ちだな」
首筋にぴたりと当たっていた刃に、ほんの少しだけ力を込められる。
ちくりと痛みを感じたところで、彼女はふっと柔らかく微笑んだ。
そして、あっさりと刃をしまう。
俺も、彼女を貫いていた気剣を解除した。
正確にCPDだけを狙ったから、動力炉に一切のダメージはないはずだ。
「だが、勝負の方は……負けたよ。完敗だ」
心底悔しそうな顔で俯き、拳をぎゅっと握る彼女。
負けず嫌いでしつこいのは、きっと元々の性格なのだろう。
そのうち顔を上げた彼女は、ちょっと非難するような目で尋ねてきた。
「わたしが、あのまま首を刎ねるとは思わなかったのか?」
「さあどうだろうね。でもまあ、俺の見込み違いなら、それまでだったってことだよ」
「ふっ。本当に変わった奴だ。お前は」
それからの彼女は、ようやく素直に話に応じてくれるようになった。
時間がないので、手短に事情を話していく。
彼女は相当ショックを受けた様子だった。聞いている最中、ふるふると肩を震わせていた。
どうやら彼女自身も、ウィリアムと戦ったときには、既に半信半疑の状態に陥っていたようだ。
それでも俺との決着を第一に優先させたのは、どうしても白黒はっきりさせたかったのだろう。
自分の内に宿る殺意にも疑念にも、一切目を背けずに。
大変だったけど、本当に真っ直ぐな彼女らしいなと俺は思った。
とそこで、彼女の懐で通信機器が鳴った。
彼女は「失礼」と言って、すぐに出る。
どうやら相手はトラニティのようだ。
ややしばらく話をして、彼女は通信を切った。
途中、妙に声を荒げていたけど、どうしたのだろうか。
「何の話だったんだ」
「お前は別に知らなくてもいいことだ」
リルナは、やれやれと溜め息を吐いた。
そう言えば、小隊の隊長なんだよね。
これで結構、部下の相手には苦労しているのかもしれない。
「俺たちと一緒に来るか?」
誘ってみたが、リルナは静かに首を横に振った。
「いや。わたしにはまだ、首都ですべきことが残っている」
なるほど。確かにそうだ。
ナトゥラの中枢に近い彼女にしかできないことは、山ほどあるだろう。
彼女の決然とした瞳を、じっと見つめた。
責任感の強い彼女のことだ。きっと彼女なりに、できることをやろうと思っているのだろう。
俺はあえて何も言わなかった。
「さあ。すぐに最後部車両を切り離せ。もうすぐディークランがやって来る」
言われた通りにすると、彼女は右手を砲身に変化させた。
《セルファノン》
俺と彼女の中間地点。
何もないトンネルの天井に向けて、それは放たれた。
激しい衝撃を受けて、トンネルはがらがらと音を立てて崩れてゆく。
追跡の手立てを断ってくれたのか。ありがたい。
積み重なっていく瓦礫の向こうから。
リルナは、真っ直ぐ熱い眼差しで、こちらを見つめ続けていた。
「この借りは、いつか必ず返す。待っていろ」
「うん。待ってる」
この世界に来てから初めて、晴れやかな気持ちが心を満たしていた。
犠牲になったものは、あまりにも大きい。助けられなかった命が、いくつもあった。
どこまでも、辛いばかりの戦いだった。
だけど、やっと。
やっと始まったんだ。本当の戦いが。
***
やがて、ディークランに先立ち、まずプラトーがそこへ到着した。
彼は、一両だけ残った車両の上にぽつんと立つリルナを見つけると、急いで駆け寄っていった。
「リルナ。なぜ一人で先走った。心配したぞ」
「プラトーか。すまない。逃げられた」
「怪我が多いようだが……大丈夫か? 一度メンテナンスを受けた方がいいんじゃないのか」
「いや、構わない。いたって『正常』だ。首都に戻って体勢を整え次第、すぐに奴らを追う」
「ああ。そうだな……」
以下、リルナとトラニティの会話内容。
『もしもーし。リルナっち』
「トラニティか。動けるようになったのか?」
『はい。やっと修理が終わって、動けるようになりましたよ。それより、たった一人で敵を追いかけるなんて、何考えてるんですか。もう!』
「悪いな。居ても立ってもいられなかったのだ」
『でも安心して下さい。そろそろディークランの皆さんが、そちらへ追いつく頃合いですよ』
「そうか。わかった。それで、修理の具合はどうだ」
『えーと。CPなんちゃらって部品だけは、中央工場から取り寄せないといけないみたいですが。それ以外は特に』
「よし。ちょうどいい。お前にお願いしたいことがあるのだ。少々内密にな」
『ええっ!? 私、そんな……。リルナっちなら、いいですけど……。でもいきなりだなんて、心の準備が』
「一体何を考えてるんだ、お前は! 真面目な話に決まっているだろう。詳細は後で話す」
『はーい。了解でーす。それではまた♪』
「ああ。またな」