予定としては
Part3まではキリコによる被が…
…活躍は抑え目で行こうと思います。
第一話 「開演」
…その日の天気は雨だった。
季節は夏だったがこの国はイギリス、夕刻になれば少し肌寒くなる、雨なら尚更だ。
確かあの日は、そんな日だった。
俺は自分以外誰も居ないこの家で、一人読書に耽っていた。
何の本だったかは覚えていない、いや、今を忘れられるものなら何でも良かったのだろう。
唯一の希望が潰えたあの日から、俺は惰性のまま生きるしかなかったのだから。
遥か昔の記憶が、今でも思い出される。
何処もかしこも鉄と硝煙、血と戦争で溢れていたあの世界。
牙を持たねば生きていけないあの世界で、右肩に鮮血を背負い続けたあの日々。
そこで俺は、白いシーツのベッドに横たわっていた。
「…キリコちゃん!」
勢いよく開かれた扉の音が、掠れた耳に僅かに響く。
朦朧とする景色だったが、それが誰かは直ぐに分かった。
…最初は利害の一致に過ぎなかった、だが数々の地獄を共に潜り抜けていく内に、それは仲間と呼べるモノに変わっていった。
「―――キリコ!」
かつては明るく快活だった声も、今では漸く落ち着いてくれたようだ。
少し皺ができた手で、彼女は俺の手を握った。
「キリコ! 聞こえてるの!? 聞こえてるなら返事をしてちょうだいよ!」
「落ち着けココナ! 落ち着けって…ブフォッ!?」
鈍い打撃音が部屋に響く、この遣り取りも今となっては愛おしい。
思えば彼女が居なくては、俺は無事ではいられなかった。
治安警察に捕まった時も、彼女が説得してくれたんだと、とっつぁんは言っていた。
結果的に彼女の思いは裏切ってしまったが、その思いは純粋に嬉しかった。
…こう何度も見せられては、流石に呆れてくるが。
「痛っいじゃないの!?」
「うっさい! あたいは今キリコと話してるんだ!」
「お母さん…あの…お客さんみたいだけど」
確かあの二人の娘だったか、彼女の声の後聞こえてきたのは重い足音。
この足音も忘れはしない、彼も来てくれたのか。
「…キリコ」
「…シャッコか」
始めて出会ったクメンの地獄、それからクエントで再開した時の嬉しさ。
神の後継者を演じていた時に傷つけてしまったが、事情を知った後はあっさりと許してくれた。
それからもア・コバのバトリングといい、ヌルゲラントといい頼れる戦友でいてくれた。
「あー! キリコが起きた!」
「ちょっと少しは静かにしろよ! お互い良い年なんだから!」
「…そうだ、もう静かにしてやれ」
「…うん、ちょっとはしゃぎ過ぎた」
「何でシャッコちゃんの言う事は素直に聞くのかねホント」
年を取っても全く変わる様子の無いこの光景に、思わず苦笑が毀れる。
今思えば、この遣り取りに救われていた事もあるのかしれない。
もうここには居ないとっつぁんもだ、あいつのお人好しのお蔭で、俺は人の心を漸く取り戻せたのだから。
…まあ、金のがめつさには多少呆れたりもしたが。
「…やっと、やっと終わるんだね」
「ああ…本当にな」
長く長く、夥しい数の別れを経験した俺の命は、今終わろうとしていた。
この力のせいでどれだけ苦しんできたのだろう、悲しんできたのだろう、数える事すら苦しみを感じる。
「…ぶっちゃけ、寿命で死ねるか不安だったんだぜ?」
「まあ確かに…まさかコールドスリープから目覚めてるとは信じられなかったよ」
そうだ、彼女と戦争の無い世界を夢見て自殺同然のコールドスリープに俺は入った。
だが眠りは砂糖菓子の様に崩れ、再び地獄に堕ちた。
そして、その果てに彼女を失った。
フィアナという、ほんの僅かなささやかな祈りは、まさに炎の如く掻き消えてしまった。
それでも尚俺は生き続けた、それが彼女の祈りでもあったからだ。
俺は生きた、地獄の中で、何度も何度も戦いに呑まれながら。
死にたくても死ねない悪夢の中でもがき続けた。
…その中で手にした者も、僅かにあった。
「…………」
徐々に冷たくなる手に、人の温もりが滲みて行く。
かつて神に無理矢理押しつけられた、いたいけなる混沌。
それも今はすっかり大きくなり、柔らかかった手はいまはごつごつとしている。
「…お父さん」
「…………」
「…お疲れ様」
俺の無口な所まで完全に移ってしまったのか、最後の別れだというのに碌な言葉も交わさない。
だがそれは、下手な飾りで誤魔化した言葉よりも遥かに優しかった。
「そうだな…本当に…大変な一生だったな…」
「うん…やっと、やっとフィアナに会えるんだね」
…どんな地獄の中でも俺が生き延びてこれたのは、彼女を目指していたからだ。
本当にあの世があるかなど分からない、確かめようも無い。
しかし俺にとっては、それだけが最後の希望だったのだ。
時には″異能″の力によって寿命も迎えられないのではないかと不安にもなったが、幸いこうして死を迎える事ができた。
因果さえ歪める力であっても、寿命と言う絶対の法則には敵わなかったという事か。
「…やっぱり寂しいな、キリコが居なくなっちゃうなんて」
「言うなよ、分かるけどさあ…もう十分過ぎる位に戦ったんだ、休ませてやろうじゃねえか」
…次第に意識が遠のいていく、如何やらそろそろらしい。
全身が今まで感じた事の無い寒気に覆われて行く、かつての様な死に掛けの感覚とは違う確信的な″死″の冷たさ。
だが、今となってはそれすら愛おしい。
俺にとってこの恐怖は、彼女との再会を祝う春風の様に感じていた。
「…ココナ」
「…え? どうしたんだいキリコ?」
動かなくなっていく唇を懸命に動かし、俺の最後の思いを綴っていく。
これをせずに、旅立つ訳にはいかない。
「バニラ…シャッコ…」
「…………」
「キリコちゃん…?」
掠れて何も見えないが、俺の人生で家族と言える彼に目線を向ける。
「…うん、分かってる」
もう何も言わなくても分かっているらしい、最後に今ここに居ない彼等の名前を呼ぶ。
ゴウト…
そしてフィアナ…
「…皆に会えて良かった…」
「―――!」
硝煙の染みついた体に、冷たい水が滴り落ちる。
冷え切った手を、誰かの手が温める。
既に何も聞こえないが、思いは十分に分かった。
皆の事を―――決して――――忘れない―――――
…体が重い、全身に重しがついた様だ。
目の前は暗く染まり、何も見えない。
ここがあの世なのか?
天国には見えない、地獄へ堕ちたのか?
…体を動かそうとするも、上手く動けない。
いや、まるで体が自分の体ではない様な感覚だ。
何とかしようと腕を伸ばした時、俺は決定的な違和感に気付いた。
…この腕は誰のだ?
俺の腕はこんなに白くない、それに柔らかくもなければ短くもない。
まるで赤子の様な…
まさか、そんな事が?
いやある筈がない、そんな出鱈目あってたまるものか。
脳裏を過る予感から逃げる様に周りを見渡し、今を確認しようとするがそれは現実をより深く叩き付けるだけだった。
天井を回る、メリーゴーランドの様な物。
周りを覆う、ベッドの柵の様な物。
…認めたくなかった、だが認めざるを得なかった。
…俺は赤子として生まれ変わったのだ。
こんな事が起きた理由は一つしかない、異能だ、異能は俺の精神を生き残らせたのだ。
肉体を生かせなかったから、精神だけ生き残らせたのだ。
しかし、俺が落とされた地獄はこんなモノではなかった。
自らの今を知ろうと懸命に首を動かす中で、俺は見てしまった。
一人の女性が、ベビーベッドに凭れ掛かっているのを。
一目見て分かった、動かない肩、血の気の感じられない顔、口から垂れる赤い液体。
彼女は既に死んでいた。
その意味も、すぐに分かった。
彼女は俺の母親だ、何故だかは分からないが、俺は再び孤独になったのだと。
間も無くして俺は警察に保護され、孤児院に送られた。
だが母親が誰だったのかも分からず、分かっていたのは、この世界でも俺がキリコ・キュービィーだったという事だけ。
それは非情にも、異能の力までそっくりそのままだという事も意味していた。
孤児院での生活に、不自由はなかった。
食事は質素な物、多少のルールを強要されたが、何れも前世より圧倒的に楽かつマシなものだったからだ。
暮らしてすぐに分かったが、俺が生まれ変わったのはアストラギウスとは別の銀河…もしくは別の世界だった。
そこにはどこまでも続く戦いも無い、無論俺の力と過去を知る者も居なければ追われる事も無い。
あそことはまるで違って、少なくとも俺の居た国は平和といえる。
…しかし、しかし希望だけは何処にも無い。
異能生存体の力が魂にまで働く事が分かった、それはつまり、どう足掻いても彼女の居る場所へ行けない事を意味する。
ささやかな望みが、永遠に幻想のままであると知ってしまった俺は絶望した。
彼女に会えないなら、何故生きるのか。
何の為に生きて行けばいいのか。
俺は何に縋ればいいのか。
そうだ、俺は賽の河原に落とされてしまったのだ。
…それでも、救いが無い訳ではなかった。
四歳の頃、孤児院に二人の男女が訪れた。
如何やら子供を産めない体らしく、その為ここに来たらしい。
よくある話だ、これまでにも何人もここを訪れている。
最も俺を選ぶヤツらは居ない、正確には選ばれない様にしていた。
理由は簡単だ、俺は全てに疲れていた。
関わる事にも、築く事にも深める事にも、そして失う事にも。
にも関わらず彼等は俺を選んだ、それを当然疑問に思った。
何故、俺なのかと。
彼は答えた。
君が一番寂しそうだったから。
彼女は答えた。
君はきっと、一番優しい子だから。
…彼らが何故そう感じたのかは、いまだに分からない。
何回か聞いては見たが、何れも同じ答えしか返ってこなかった。
しかし、理由が分からずともその言葉は、深く胸に響いた。
そして俺は、彼等の養子になったのだ。
そこから俺の人生は大きく変わった、劇的に変わった訳ではないが、決定的に変わった点が一つある。
彼等は俺に、惜しみない愛を注いでくれたのだ。
前の世界でもこの世界でも、親の愛を知る事のできなかった俺にとって、それは初めて感じる温もり。
二年間、俺は間違いなく救われていただろう。
親の愛が、これ程までに優しいものだったとは。
…そう、それは二年間だけだった。
俺が六歳の時、家は火に覆われた。
それも俺が気付いた時には、火が回りきり手遅れだった。
…だが俺は生き残った。
彼女は全身を炎に包まれながらもその身を挺し、俺を炎から守ってくれた。
彼は一人炎の中を走り、俺を炎の中から連れ出してくれた。
…数刻後消防隊が到着した頃には、二人とももう息をしていなかった。
俺は彼等の命を喰らい、生き残ったのだ。
あれから数年、保護者を名乗り出たヤツ等は居たが全て断った。
再び両親を失った俺は、また大切な人を失うのを恐れていたのだ。
誰かと関わる気力すら失った俺は、雨の中、誰も居ない家で一人本に逃げ込む。
現実を忘れる為に、昨日も今日も、明日も明後日も…
唐突に鳴らされる玄関の音。
…空想の中に逃げるのも許されないのか、と自嘲しながら玄関へ向かう。
近所付き合いは最低限のみ、勉強も通信講座ですましている以上学校でもない。
なら大方セールスの類だろう、さっさと断り読書に戻ろう。
そして扉を開けた時、俺は目を丸くした。
何故なら、目の前の男は余りに怪しかったからだ。
人の事は言えないが厳つい顔つきに、全身を覆う黒いローブ。
頭髪は洗っていないのか、ベッタリと張り付いている。
形容するならば、育ち過ぎた蝙蝠と言った所か。
…警戒するなという方が無理だった。
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
「……………………」
「……………あー…」
先に口を開いたのは、怪しすぎる男の方だった。
「キリコ・キュービィーで合っているな?」
「…何の用だ」
「我輩の名はセブルス・スネイプ、ホグワーツ魔法魔術学校の入学案内をする為に、ここへ来た」
俺は思った、こいつは一体何を言っているのだと。
「…ああ、すまん」
椅子に座るその男、セブルス・スネイプにコーヒーを差し出す。
ヤツは軽く礼をした後一口飲んだが、眉間によった皺をより深くしながら角砂糖を三粒入れていた、どうやら苦すぎたらしい。
最初は頭のおかしい不審者か胡散臭い宗教勧誘かと思ったが、それにしては目も口調もしっかりとしている。
嘘を言っている様には見えず、仮に本当に不審者だったとしても多少話してやるくらいいいだろう。
そう考え家に入れる事にした。
普通に考えればこんなヤツを家に入れるなど考えられない、俺は自分でも気付かない程人との関わりに飢えていたのかもしれない。
誰かと関わる事を拒絶しているのに、誰かと関わりたいと願う。
そうした矛盾を、心の奥底に押しとどめながらヤツの話を聞いて行く。
いわく、この世界には魔法と言う一般人には秘蔵された神秘の業が存在し、ホグワーツ魔法魔術学校はそれを学ぶ事ができる場所。
それだけでなく魔法に関わる概念や魔法使いが持つべき理念、制約や常識などを学ぶ事もできる。
そこには誰でも入れる訳ではなく、魔法を扱う素質があるヤツのみが入学できる。
逆に言えば、魔法の素質さえあれば過去魔法に関わってこなかった…向こうで言う処の″マグル″でも入学できる事。
「…俺に素質が?」
「左様、魔法使いの素質がある者を見つけ出す為の魔法がある」
「…………」
そうは言うが、俺は今まで魔法などした事もない。
本当に素質があるのか?
その疑問を見透かした様に、ヤツは話し出す。
「疑問に思っているようだな、自分が本当に魔法使いなのかと。
だが間違いなく魔法使いだ、これまで生きてきて何か、既存の物理法則に囚われない不可解な現象を目にした事はないかね?」
無い事は無い、今まで何回か不思議な事が起きた事はある。
…だが、それが魔法なのか異能なのかが分からない。
疑問を何となく察したのか、眼前の男は懐から杖を取り出すとそれを振るった。
「…………!」
「これが呪文というものだ」
机に置いておいたカップの中身は、途端にコーヒーから紅茶へと変わる。
更に本棚の本が次々と動き出し、集まり変化した後烏に変身した。
…成程、ヤツの言っていた事は本当の様だ。
事前に仕掛けておいた可能性もあるが、俺がそれに気付かない訳はない。
「…魔法を見ても驚かんとはな…やはり魔法についての知識を持っているのかね?」
俺はその問いに、首を振る事で答える。
驚いていない訳では無いが、こういった超常現象に慣れているのが反応の少ない理由だ。
何せ俺の異能だって魔法の様なモノ、出鱈目なのは両方ともだ。
(…出鱈目? 両方共…?)
その瞬間、俺の脳裏に一つの可能性が走った。
″異能生存体″、″魔法″。
どちらも同じく出鱈目な力だ、そう、両方共…同じような力だとすれば。
「君がホグワーツへ入学すると希望するならば、今すぐ入学する事ができる。
しかしそうでないのなら、本日の記憶を消さねばらな―――」
「入ろう」
「…何?」
目を丸くしながら聞き直してくる、早すぎる返答に少し戸惑ったらしい。
その混乱を消す為に、俺は改めて明瞭に断言した。
「…ホグワーツに、入学させてほしい」
「…さようか、ならば…」
今度は聞きもらしてはいない様だ、ヤツは一枚の羊皮紙を取り出す。
そこに名前をサインする事で、入学手続きが完了するらしい。
「これに名前を書けば、君は正式にホグワーツの新入生となる。
正しこの紙はただの書類ではない、魔法契約が掛けられている」
魔法契約とは何だ? 名前から察するに魔法による契約だろうが…
直球過ぎる推測を他所に、ヤツは詳細を語り始める。
「魔法契約とは文字通り魔法による契約だ、名前を書く事は単なる証拠では無い、契約に対する決意を証明しているのだ。
よって一度書いたら最後、決意を破れば…相応の報いがある」
…成程、つまり契約を破れば誰かが見ていなくても、自動的に制裁が行われるという事か。
だが問題はない、既に心は決めてあるのだから。
羊皮紙と一緒に差し出された羽ペンをインクに漬け、俺の名前を刻み込む。
すると俺の名前は光を放ち、染み込む様に消えて行ってしまった。
「…成程、余程魔法が魅力的だったらしい、これで君は魔法使いの世界の住人となった。
であるからには守らねばならぬ義務がある」
「…義務」
「魔女狩りを知っているかね? あの愚かな歴史が証明している様にマグルは魔法族を恐れる。
魔法界が隠蔽されていたのはそれが理由だ、例え我々に犠牲がでなくとも大きな騒乱を巻き起こす。
よって魔法界には、魔法の事をマグルに教えてはならぬという法が存在している」
要するに余計な面倒を避ける為に、誰にも言うなという事か。
もっとも言った処で、信じるヤツは殆ど居ないだろうが。
「…了解した」
「左様か、では次の説明に入ろう」
その後ヤツは入学するに当たって必要な物や、準備等を説明した。
そして入学用品を買うのには自分が同行すると言ってくれた、何故かと聞いた所「教員の義務」と言っていた。
一通り言い切った後、ヤツは「明日の正午頃準備して待っていろ」と言い残し帰って行った。
「では、吾輩は失礼する」
「ああ…………」
「…………?」
「いえ、これから宜しくお願いします、スネイプ先生」
「…ああ」
顔を上げた頃には、既に居なくなっていた。
…ヤツを見送った俺は考えていた。
魔法の事を、今まで思いつきもしなかった可能性に俺は僅かな希望を見出した。
この力なら終わらせられるかもしれない。
この力なら叶えられるかもしれない。
この力なら―――
俺 を 殺 せ る か も し れ な い 。
地獄に下ろされた蜘蛛の糸を、慎重に手繰り寄せ俺は登り出す。
この地獄から逃れるために、今度こそ「彼女に」出会うために。
例え登りきった場所が、新たな地獄だとしても…
異能の手を逃れたキリコを待っていたのは、また地獄だった。
戦いの後住み着いた絶望と怠惰。
魔法使いが生み出したソドムの街。
悪徳と野心、頽廃と混沌とを大鍋にかけてブチまけた、
ここは魔法界のゴモラ。
次回「ダイアゴン」。
来週もキリコと地獄に付き合ってもらう。
ダイアゴン横丁がソドムと化していますが気にしてはいけません。
追記 後書きを少し修正しました。