「……あれ?マルクは?」
「なんか朝から『一人で行く用事がある』とか言っていないよー」
「えー…私には何も言ってなかったのに……」
「あんた、今日は凄い寝てたもの。一人で行く用事、って言うならあんたが寝てる間に、出なきゃいけなかったんでしょ。」
ウェンディは軽く頬を膨らませながら、そのまま蛇姫の鱗のギルドの適当な場所に座り込む。
確かに、この日のウェンディはよく寝てしまっていたので、朝早く出かける用事なら仕方ないだろうとウェンディは思っていた。
「ウェンディ、ならこの街で出てる仕事片付けていかない?」
「……マルクが帰ってくる間に終わる?」
「余裕余裕!」
『草刈り』と書かれているその依頼書を片手に、シェリアがウェンディをクエストに誘う。生活費を稼ぎたいが、マルクも待ちたいという思いのもと、その草刈りのクエストを受けるのであった。
「…あんたかい、随分と久しぶりだね。」
「お久しぶりです、ポーリュシカさん。」
マルクは、一人ポーリュシカの元へと来ていた。ポーリュシカは、少しだけ嫌そうな顔をしたが、マルクの様子を見るなり真面目そうな顔に戻る。
「……診察かい。あんたが1番、自分の体の不調を分かっているんじゃないのかい?」
「分かっているからこそ、です。とは言っても、俺がわかっているのは…『変化が起きている』事くらいです。」
「……分かったよ、診察してやる。但し、何も異常がなかったらすぐに帰ること……いいね?」
「勿論です。」
ポーリュシカの言葉を聞いて、頷くマルク。ポーリュシカは、マルクを家の中に招き入れて、マルクの診察を始める。
初めこそ、真剣な表情で診察していたポーリュシカだったが、徐々にその表情が驚きのそれへと変貌していく。
「…あんた、自分の体の不調は……誰にも言ってないね?」
「はい。ウェンディにも……言ってません。何か、勘づかれているような気もしてますが……シラを切り通してます。」
「それでいい、こんなこと…正直に言うわけにはいかないだろうしね。」
カルテにマルクのことを書きながら、ポーリュシカは呆れたようなため息をつく。
それを見ても、一切表情を崩さずにマルクはじっとしていた。
「…あんた、この体の不調はいつから?」
「
「嘘をつくんじゃないよ。倒しただけでこうはなるまい……いや、有り得るのかもしれないが、少なくとも『倒しただけ』というのは考えづらい。」
マルクの言ったことを即座に否定し、ポーリュシカは睨みつける。初めから隠すつもりは無かったが、馬鹿正直にマルクは答えた。
自分の体の中にはドラゴンと悪魔がいた事。そして、その悪魔を倒して完全に自分に取り込んだこと。その後、体中に激痛が走り続けていてこと……全てを。
「……あんたね、それが原因だ。むしろ、それ以外の理由はありえない。」
「…人間じゃ、無くなっているんですね。」
「……いいや人間さ、一応今はね。」
「……?どういうことですか?」
今は人間である、という言葉に疑問を抱くマルク。ポーリュシカは、説明のために一時的にカルテを置いて、適当な白紙の紙を一枚取り出してそこにペンで書き込んでいく。
「いいかい、今のあんたはどこからどう見ても人間だ。臓器の位置、動き方、形なんかも全部一緒、まるまる健康体さ。」
「じゃあ、本当に人間に……」
「だが、あたしが気づいたのはそこじゃない。
「魔性、粒子……!?」
過去に、これを吸った雷神衆は全員重症で倒れていた事もある。少し吸うだけで魔導士に取っては毒当然の代物なのである。
「あぁ、けど完全に正常に動いてる。ただ表面に被っているだけ……って言った方がわかりやすいね。」
「……一応、『今』って言うのは?」
「表面に張り付いている魔性粒子が、一気に体に取り込まれて体を変貌させる。
それが、あんたの体に激痛をもたらした原因さ。」
「……一気に取り込まれる。」
「言っておくが、あんたの体が激痛に襲われるだけで済んでいるのは、あんたの体に悪魔がいるからだ。
けど、それでもそんな頻繁に取り込んでいいものじゃない。」
カルテに再び書き込んでいくポーリュシカ。その様子をただじっとマルクは眺める。
「取り込み続ければ、体もそのうち慣れて来るだろうね。」
『けど』と付け足しながら、ポーリュシカはマルクに指をさす。明らかに今『慣れてくるんだったら』とマルクが安心し切っていた顔をしていたからだ。
「その分、体は戻らなくなっていく。今のその痛みは、体から発せられているストッパーのようなものだと思えばいい。」
「ストッパー?」
「そうさね。『これは危険なもの』という信号が流れてきているのさ。
慣れてしまえば、体の感覚が麻痺して痛みが来なくなる。
そうなれば━━━」
「……そうなれば?」
「あんたは、二度と人間には戻れなくなる。」
その言葉にマルクは唾を飲む。しかし、ポーリュシカの注意とは裏腹にマルクは人間を辞める覚悟はとうの昔にできてしまっていた。
「……あんた、『それでも』って考えていないかい?」
「え?」
「大方、
けどね、そんなことして残された側の気持ちとか考えたことはあるのかい?」
「残された側の…気持ち……」
マルクには、そこまでの考えが及んでいなかった……訳では無い。悪魔化すれば、自分は孤独になるだろう。それでも、仲間と言ってくれる人も当然いるだろう。
だが、それは以前から面識がある殆どの人物に限るのだ。一般人は、どう考えても自分を恐るようになるだろう。
そうなれば、迷惑はかけられない。つまり、どちらにせよ離れるしかないのだ。
自分からか相手からか程度の違い。自分から離れた場合、確かに残された側は自分を仲間だと思ってくれている人がいれば、悲しむかもしれない。イービラーがいなくなった、自分のように。
「……大馬鹿者、って言うのはあんたのことを指すんだねぇ。」
「…かも、知れません。しかし、多かれ少なかれ……使わなければ行けなくなる時があります。」
「……言っておくがね、体のストッパーは簡単にいなくなるよ。」
「……分かりました。」
マルクは、その言葉を最後にポーリュシカの元から去っていく。ポーリュシカは、溜息をつきながらこうも考えていた。
「あの子はほんと大馬鹿者だ。あんたの所のギルドの子は……みんなこうなのかい?マカロフ。」
言葉を呟きながら、ポーリュシカはカルテをしまい込む。人間嫌いの彼女だが、それ以上にマルクのような思考が大嫌いになりそうであった。
「…ポーリュシカさんは言ってくれなかったけれど……多分、すぐにいなくなってしまうんだろうな。危険信号っていうのは。」
ポーリュシカの元を去り、そして列車に乗り込んでいるマルク。外を眺めながらボーッとしているとふと意識が引きずり込まれる感覚に襲われる。
気がつけば、周りは真っ暗闇の空間に一人立っていた。
「……どうだ?あの老婦人の言っていることは。」
「信用できる人さ……お前と違ってな。」
「おいおい、俺の何を信用しようというんだ?その言葉が出てくるということは、本当は俺を信用したいみたいに聞こえるぞ?」
「そんな分けないだろ……グラトニー。」
否、マルクの後ろに寝っ転がっている者がいた。かつて、マルクが倒した悪魔……グラトニーだった。
「何度も言っているが……ここにいるのは、ただの残滓さ。魂だとか、そんな崇高なものでは無い。
呪力を、魔力に変換して吸収しすぎたせいで生まれた、搾りカスのような意識だ。」
「だったら早く消えてくれ。お前の力がないと戦えないが、正直お前と喋るハメになるのは面倒なことこの上ない。」
「出来ればそうしているさ…だが、こうやって話してはいるが……俺に意思なんてものは無い。
『グラトニーならこうしただろう』『グラトニーならこう言っていただろう』というお前の認識が、こういう形で生み出されているだけなのだからな。」
「……はぁ、つまり俺の責任、と。」
「そういう事だ。この搾りカスのような意識を消したければ、お前が力を捨てるか……完全に力に取り込まれる他ない。」
グラトニーは立ち上がり、マルクの目を見る。マルクは、鬱陶しそうにため息をついていたが、実際これも自分の無意識で気づいている答えなのだろう。
「じゃあ何で俺を呼んだ。搾りカスが、俺をこっちに呼べるもんなのか?」
「それも、お前が望んだ事だ。『取り込まれるという事は、取り込んだあの悪魔しか思いつかない』とでも思ったのだろう。」
「っ……」
確かに、気にはなった。自分の体のことだから、気にならないわけがない。だが、自分でやっているというのは目の前のグラトニーにだけは言われたくなかった。無性に腹が立つからだ。
「ふ、怒っているなマルク・スーリア。だが、この俺は取り込んだお前の無意識によって話せているんだ。
無視しても、お前の意識がある限り無限に出てくるぞ?」
「なんとも悪質な悪霊なことで……」
「自分では面白くないと思っているのに、そんな事は言うのだな。」
「うるせぇ!!くそっ……」
吐き捨てるように悪態をつくマルク。そして、手で顔を覆ってそのまま目を瞑る。恥ずかしさやら何やら色々入り交じっており、今この時だけ感情がぐちゃぐちゃになっていた。
「……ん?」
しばらくしてから声がしなくなったと思い、マルクは目を開けて顔から手を離す。どうやら、いつの間にか戻ってきていたらしく列車の中だった。
「……悪魔の力、か。碌でもない以上のことは無いな……」
先程のことを思い出しながら、マルクはため息をつく。身体中が痛くなるのも、人間じゃないものに変質していくのも耐えられるが、どうにもグラトニーと話すハメになりそうな事だけはまったく耐えられる気がしなかった。
「はー……」
揺れる列車、揺られていくマルク。駅に着くまで、マルクは壁にもたれて先程のことを忘れるかのように目を瞑るのであった。
「悪魔の力、使い続ければ当然体は悪魔に近づいていくだろう。だが、例外もある。」
「……例外だと?お前俺の無意識のくせに、俺が知らないことを喋るんじゃないだろうな?」
「一応言っておくがね、喋っているのはお前の無意識だ。だが、記憶には3種類の者達の記憶がある。
1人はお前だ、マルク・スーリア。」
「2人目、3人目は?」
「この体の持ち主、グラトニーと悪魔龍イービラー……三者を取り込んだせいか、その記憶がある。
お前の脳みそは、その不可に耐えられないから思い出さないようにしているけどな。」
再び入っていた精神世界、目を瞑れば入ってしまうのかと考えてマルクは余計に憂鬱になっていた。
「……で?今回はどっちの記憶からその情報を得たんだ?」
「グラトニーさ。悪魔をやっていると、色々な者から狙われるらしい。」
「それが、悪魔化に関係あるって言うのか?」
「あぁ、そうだ。」
そう言うと、グラトニーは指を3本立てる。マルクは意味がわからなかったが、そのままグラトニーは説明を続けていく。
「
で、肝なのが3種類目の
「太陽の村を凍らせた、ってやつだったか……それが?」
「あれは悪魔祓いの力を持つが……そのせいで、悪魔化することもあるようだな。力にはそれなりの代償があるということだ。」
静かに考えるマルク。今の自分は、擬似的な滅悪魔導士になっているのかどうか、と考えたのだ。
「無駄さ、いくら考えたところでお前のような存在はなかなか現れることがないだろう。」
「そう、だけど。」
「三者の記憶を持つ俺でも、お前のような存在はわからないんだ。だから、これに関しては考えるのは無駄さ。」
「……お前に言われるのは、本当に腹が立つ。」
その言葉とは別に、マルクは内心でグラトニーに悪態を着いていた。それと同時に、とある結論にも達していた。『考えても無駄なのは、これから考えなくてもいいから助かる』と。
それの結論に達した後、マルクはすぐに目が覚めるのであった。