上手く書けないっす……。
―――あなたのことが嫌いです。
私こと氷川紗夜は桜木遥さんに直接そう言った。
もちろん、彼のことを理由もなしに最初から嫌っていたわけではない。偶然テレビ越しに見た彼のするサッカーに魅せられ、憧れた自分は確かにいた。
だが、去年の中学全国大会終了後にインタビューで彼が言ったコメントが私に彼を嫌いにさせた。
―――……なんで皆は努力しないんですかね?
話はズレるが、私の妹―――氷川
小さい時から何でもできた。たとえ初めてのことだろうと、すぐに完璧に近いレベルでできた。そして、天才であるが故に―――出来ない人の気持ちが理解できなかった。
だから、その時のどうでもいいと言わんばかりの彼の姿が、他者を見下す彼の発言が私がコンプレックスを抱く妹と重なって見えた。それ以来、私は彼のことが嫌いになった。
湊さんの出番が近づいてきたのでステージに戻った。隣には先程嫌いと言った桜木さんがいる。
彼は嫌いと言われたにもかかわらず飄々としていた。
「いつ嫌いになったか聞いてもいい?」
その上理由まで聞いてくるとは、嫌われている自覚があるのだろうか?
「中学の全国大会終了後のインタビューです」
「あー……、そっかそっか。それなら仕方ない」
桜木さんは気まずそうに目線を逸らした。でも、どこか開き直っていた。
「……言い訳しないんですか?」
「しないよ。今更撤回なんてできないし、あの時は本気でそう思ったから」
あの時……? 中学時代に何かあったというのだろうか?
「今はそうじゃないということなんですか?」
「そうだよ。ま、今でも時々思うことはあるけどね」
だとしたら、やっぱりあなたは妹と同じ
「そろそろ友希那が歌うみたい」
静まり返る観客の前に湊さんが立った。
「すごい熱気ですね」
「友希那は凄いよ。ファンもたくさんいる」
ファンならあなたの方がたくさんいると思うのだが、彼はそう言うのに興味がなさそうだ。
ギュウギュウに押し詰められたライブハウスでも観客は全然騒がない。
「わわわわわわ~! り、りんりんの顔が青いーー!」
人が少ないところにいる人が騒がしかった。静かなときだと余計に騒がしく感じてしまう。
そこにいたのは同じクラスの白金さんだった。五月蝿くしているのは白金さんの隣にいる子だ。
注意をしに行こうとしたら、湊さんが歌い始めた。
「―――♪」
こんなの……聴いたことがない。これが湊友希那の実力。彼女は間違いなく本物だ。
私の答えはたった一度の歌で決まってしまった。
「どうだった? 私の歌」
「綺麗だった。いつ聴いても最高」
ライブ後に湊さんと合流した。
桜木さんが感想を言うと、彼女は柔らかく微笑んでいた。
「ありがとう。紗夜は?」
「何も言うことはありません。私が聴いてきた今までで一番素晴らしかったです。ぜひあなたと組ませて欲しい」
彼女となら私の理想の頂点を目指せるに違いない。諦めかけていた目標に辿り着けるかもしれない。
「それは良かった。これからよろしく、紗夜」
「こちらこそお願いします、湊さん」
握手を交わし、ライブハウスの予約、他のメンバーを集めることを話し合った。会話に入れない桜木さんは、私達に一言言ってから席を外した。
「……ところで、どうしてあなたはハルのことを嫌うのかしら?」
話し合いを終えた途端に湊さんの纏う雰囲気が冷たいものに変わった。
彼女は、私が嫌いと言ったところで準備に入ってしまったので理由は聞いていない。
「全国大会決勝戦後の彼の発言が気に入らなかったからです」
「……全国大会。……それなら仕方ないわ。でも、全部が全部ハルが悪いわけじゃないの」
湊さんは事情を知っているのかただ受け入れただけだった。
「……やけに桜木さんを擁護しますね? 彼に恋愛感情でもあるんですか?」
「ええ、あるわ。私はハルのことが好き」
「なっ!?」
私としてはからかうつもりで冗談を言ったのだが、彼女は顔色一つ変えずに包み隠すことなく答えた。
じゃあ、さっき一つのこと以外なら捨ててもいいと言っていたけど、その一つが桜木さん!?
「何か問題でもあるのかしら?」
「い、いえ……。失礼なことを言って申し訳ありません」
「気にしてないわ」
本当に気にしていない様子だ。ここまで自分の気持ちがはっきりしているのなら告白もしているのかもしれない。
「友希那、話は終わった?」
丁度いいタイミングで桜木さんが戻って来た。あと少し早かったら今のを聞かれていたことだろう。
「今終わったところよ」
「わかった。じゃあ、紗夜。少しだけ時間貰えないかな?」
「構いませんが……」
そこから、桜木さんがどうしてあんな発言したのかを聞かされることになった。
きっかけは忘れたが、俺は幼稚園に入った頃から近所のサッカークラブに通い始めた。
その時はまだまだ下手くそ。思い通りにサッカーができることなんて無かった。でも、ボールに触れることが楽しかった。だから毎日のように練習した。いつかはプロになりたいという子供にありがちな目標を掲げながら。
それから数年が経ち、小学三年生頃に俺の努力は実を結んだ。才能の開花、とでも言うべき瞬間だったのかもしれない。
自分のやりたいサッカーが出来るようになり、楽しかったサッカーがもっと楽しくなった、好きになった。
それに比例するかのように練習量も増え、試合で勝ったときの喜びは大きかったし、負けた時は悔しくて泣くこともあった。
そして、小学六年生の時には全国大会に出て、強豪校からスカウトも来た。更には日本代表の選考会にも呼ばれた。
俺よりも上手い人とサッカーが出来るとわかると嬉しくて、勝ちたくてもっと練習するようになった。
その甲斐あって、気が付けば代表に選ばれ、世界大会で優勝していた。その時の計り知れない喜びは今でも覚えてる。
だが、そこから周囲は変わった。
中学三年生の練習試合で俺が出ると、相手チームはやる気を無くしたかのようなプレーをするようになった。公式戦でも同じことが起こるようになり、終いにはチームメイトからも遠ざけられるようになった。
―――桜木がいるチームに勝てるわけねぇよ。
―――なんせ、俺達凡人とは違う天才様だからな。
―――お前は凄いよ。だけど、俺はお前のサッカーについていけない。
楽しいはずのサッカーが、その日を境につまらないものに変わった。
いつからか試合にだけ出るようになった。サッカーが好きだという想いは多少あったから、チームの練習には参加しなくなったが、一人で練習するようになった。
そして、中学最後の全国大会で優勝した時にあの言葉が自然と口から零れた。
『―――……なんで皆努力しないんですかね?』
唖然とするインタビュアーや記者たちに興味もなくその場を後にした。
俺が中学時代にサッカーをしたのは全国大会決勝が最後だった。
「ざっくり言うと、周囲とのレベルが違い過ぎてあんなこと言ったんだ」
今にして思えば最低な出来事だ。
「……どうして今はそんな様子を微塵も感じさせないのですか?」
「そりゃ、大切な友人達が俺をぶっ叩いて目を覚まさせてくれたから」
色んな人達のおかげでもう一度サッカーを頑張ろうと思えた。もちろん、その中に友希那やリサも含まれる。
「暇があったらでいいから、今度の日曜日に試合を見に来てくれないかな」
「なぜですか?」
「紗夜に今の俺のサッカーを見て欲しいんだ。ダメかな?」
両手を合わせてお願いすると嘆息を吐きながらも了承してくれた。
「ありがと。で、本題はこれからなんだけどいい?」
「今のが本題じゃないのですかっ!?」
「うん、俺の昔話なんて聞いててもつまんないだけだからね。あこー、おいでー」
スタジオの外にいる人物に手招きをすると紫色のツインテールの少女が入って来た。黒髪の女子高生もいるが彼女のことは知らない。
「もう長いよー!」
「ごめんごめん」
「…………その子は一体誰なのかしら?」
「ヒッ!」
友希那が冷たい声音になるとあこが小さく悲鳴を上げた。俺は俺で内心冷や汗をかいている。
「この子は宇田川あこ。ちょっとした知り合い……かな? リサの後輩でもあるらしいよ」
俺があこと知り合ったのは小学生高学年くらいのことだ。
「今日はお願いがあってきました! あ、あこ、ずっと友希那さんのファンでした……っ! ……だ、だからお願いっ、あこも入れてっ!」
席を外した時にあこを見つけた。その際、友希那と話がしたいとせがまれたので連れてきたのだ。
「あこ、世界で2番目に上手いドラマーですっ! 1番はおねーちゃんなんですけど! だから……もし一緒に組めたら……!」
……1番はお姉ちゃん、か……。相変わらず巴のこと大好きだな。
「遊びは余所でやって。私は2番目であることを自慢するような人間とは組まないわ。行くわよ、ハル、紗夜」
友希那の目標を考えるのであれば、あこのことは入れないのは当然だ。
「ええ」
…………きっかけくらいいいよね?
「ハル?」
「あこ、2番目より1番目の方がカッコイイと思わない?」
「思う……」
「じゃあ、1番目指してみなよ。頂点の景色はすごいから」
「! うん、あこ頑張る! 友希那さん、あこ出直してきます! それから今日のライブ最高でしたっ!」
「え、ええ……ありがと」
「あ……あこ……ちゃん……待って……!」
元気を取り戻したあこは黒髪の友人を置いて走り去ってしまった。
「……どういうつもり?」
「メンバーが必要だと思ってきっかけを与えただけ。友希那と紗夜が認められないなら断っても構わないから」
「そう」
短く答えた友希那は踵を返して歩き出した。
桜木さんと約束した日曜日、湊さんと今井さんと共に試合会場に到着した。
「見てて、紗夜。俺のサッカー」
「……そういう約束ですからね」
彼はそれだけ告げるとチームメイトの集まる場所に戻り、試合の準備に入った。
5分もすれば、コートの中に22人の選手と主審と副審2人が並んで各チームは握手を交わす。
選手たちがそれぞれのポジションに付き、桜木さんの所属するチームからのボールで試合開始のホイッスルが鳴り響いた。その瞬間―――
「―――え?」
桜木さんの雰囲気が同一人物か疑ってしまうほどに一転した。
「紗夜は生でハルの試合は見たことある?」
「……ありません」
「ハルはサッカーをやらせたら普段とは雰囲気変わるんだ。ちょっと怖いけど、カッコいいんだよね!」
……なぜ、今井さんから聞きたくもない惚気を聞かされているのでしょうか?
「マークが3人!?」
桜木さんを囲むようにして3人の選手が集まっていた。桜木さんに何もやらせないつもりだろう。
「アハハ、やっぱりハルには人が集まっちゃうか……」
「ハルの成績を考えるならば当然のことよ。でも―――」
だが、桜木さんは一瞬の隙を突いて包囲網を突破。
「この程度で止められるほどハルは甘くない」
チームメイトからパスを貰い、足元にトラップを決める。そして、ドリブルにフェイントを混ぜながら相手をドンドン抜き去っていく。
1年ぶりに見るボールと共に走り抜ける彼の姿はあまりにも鮮やかで、思わず憧憬すら抱きそうになった。
そして、開始5分もせずに1点を奪った。
いくら桜木さんが天才だとしても、ここまでのプレーは……一体どれくらいの時間をあなたはサッカーに費やしたのですか?
妹と重ねていたあの頃の彼はもういないようだ。それどころか妹と重ねるなんておこがましいほどだ。
あとで謝らないといけませんね……。
自分の浅はかさが嫌になり、試合後に彼に謝ることにした。
今回は練習試合であるため他の選手に経験を積ませるつもりなのか、桜木さんはすぐに交代させられてしまったが、2-1で桜木さんのチームが勝った。
「全然試合出てないけど、どうだった? 俺の試合」
試合終了後に桜木さんが爽やかな笑みを浮かべて私達の下にやって来た。試合中の雰囲気が嘘みたいだ。
「あなたのサッカーは凄かったです」
本当ならこんな一言で済ませたくない。月並みな言葉でしか言い表せないのが口惜しい。
「ありがと」
それでも彼は私の返答に満足したように笑っていた。
今なら謝れそうだと思い口を開いた。
「あ、あの、桜木さん……私、あなたに―――」
「……音楽に関しては俺からっきしだから、友希那のこと支えてあげて」
サッカーしかやってきてないのだから当たり前だろう。これで音楽も完璧ですなんて言われたら、彼を一発殴っても許されると思う。
それよりも謝らせて欲しい。
「言われなくてもわかっていますっ。そ、それでですね、あなたに―――」
「もしメンバーが揃ってライブの日程が決まったら教えてね」
私が教えなくとも湊さんが真っ先に教えるはずだ。
そんなことよりも謝りたい。
「わかりましたっ。ところで私はあなたに―――」
「あ、俺のことは全然嫌いでもいいよ」
ああ、これはもうダメだ。
「ええっ! 私はやっぱりあなたが嫌いですっ!」
こうして桜木さんに、私は彼が嫌いだと売り言葉に買い言葉で言ってしまい、その誤解は1年後も解けないままになるのだった。