『―――残り時間一分を切ったところでU-15日本代表にチャンス!』
実況の熱が観客に広がり、応援の声に勢いが増す。
勝敗を決める重要な場面のはずなのに、周りの音がはっきりとわかるくらいやけに冷静な自分がいる。
不思議な感じだが悪くない気分だ。むしろ声援が聞こえてやる気がさらに上がるくらいだ。
『ボールを持つのは9番・桜木! そのまま一人で持っていく!』
仲間が必死につないでくれたボールを、ただゴールを決めるという気持ちだけでドリブルする。
そんな俺の目の前にディフェンスが立ち塞がる。
たった一枚、こいつを抜き去るだけ。
―――邪魔だッ!
ボールを奪われないようにフェイントをかけ、相手が崩れた隙を突いて抜き去る。
『抜いたァッ! 残るはキーパーのみ!』
「―――――!」
相手のキーパーが何か言っている。日本語以外チンプンカンプンだが、多分「ここは通さない」とかじゃないだろうか。
ゴールまで5mを切った。
ここから蹴れば決まる? いいや、違うな。―――俺は決める。決めて勝つ!
心理戦なんてどうでもいい。己の直感に任せてボールを蹴った。
結果は―――
「―――ほら、もう朝だぞ!」
「んー? あ……リサ、おはよー」
俺こと桜木遥が誰かに叩き起こされたかと思いきや、その相手は俺の良く知る人物―――今井リサだった。
「うん、おはよう」
制服の上からピンクのフリフリの付いたエプロンを着ていた彼女はいかにも―――
「お母さんみたいだね」
「そこは可愛いお嫁さんとか彼女にしてほしいんだけど!」
「うん? リサは十分可愛いよ」
「―――っ!」
リサが可愛いことは知っている。これでも赤ん坊のころからの幼馴染だから。
だが、この程度のことで赤面する理由が俺にはわからなかった。
「は、早く着替えて下に来て! ご飯用意して待ってるから!」
バタン、と力強く俺の部屋の扉を閉めて階段を降りていった。
俺はノロノロとベッドから起き上がり、ハンガーに掛けてあった制服に着替えて部屋を出た。
「おはよー」
「おはよう」
間延びした俺の挨拶に、リサとは違った声が返って来た。
「あら? 今日は友希那も来てたんだ?」
珍しいことにもう一人の幼馴染―――湊友希那が俺の家のリビングで朝のニュースを見ながらくつろいでいた。
「ええ、少し早めに起きたから」
「そっか」
「さ、朝ご飯食べて」
リサに促され、食前の挨拶を済ませてから食べ始めた。メニューはホカホカの白米に焼き魚、味噌汁、漬物だ。
「今日も美味しいね」
家庭の事情で彼女にはほぼ毎日のように料理を作ってもらっている。ありがたい反面、申し訳ないと思っていることを以前口にしたら「私がしたいからしてるだけ。迷惑ならいつでもやめるよ」と言われて迷惑だなんて到底言えるはずもなく、それ以来彼女には頭が上がらない。
「ふふん♪ 毎日練習してるからっ」
そんな彼女はギャルっぽい見た目をしているのだが、見かけによらずかなり家庭的な女の子だ。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」
使った食器を台所に持ち運び、軽く水洗いして食洗器に入れる。リサが代わりにやろうとしてくるのだが、料理を食べさせてもらったのだからこれくらいはやらせて欲しい。
「片付け終わったら学校行くよー」
リサの声に軽く返事を返し、自分の部屋に戻って通学カバンを取りに行く。
その際、とあるトロフィーが目に入った。そのトロフィーの手入れを全くしなかった所為で埃まみれの状態だ。
「今日は随分懐かしい夢を見たな」
今から二年ほど前のことだ。そこから思い出に浸ろうとしたのだが、リサの急かす声が聞こえたのでカバンを取って部屋を後にした。
リサと友希那とは学校が違うので通学路の途中で別々の道になる。そこで「また放課後」としばしの別れを告げて、俺も自分の通う学校へ歩き出す。
「おっす、ハル」
「うん、おはよう、カズ」
気さくに挨拶してきたのは茶色い短髪の男子生徒で俺の友人――
カズが俺をハルと呼ぶのは、俺の名前が遥だから略して“ハル”と呼んでいるだけだ。リサや友希那も同じように呼ぶ。
「相変わらず三人仲良いよなぁ。俺も出会いが欲しいぜ」
「出会い? 俺との出会いはダメだったのか?」
「そういうことじゃねぇよ! ってかキモイわ!」
カズからすればどうでもいいものかもしれないが、俺にとってはカズとの出会いは大切なものだ。
「……なんかごめん。それより早く学校に行こうか。新学期の初めから遅刻して先生に目を付けられたくないからな」
今日は始業式。それも新学年になる時期だ。
「わーってるって! ったく初日から調子狂うな……」
駆け出した俺に続くようにしてカズも駆け出した。
「ところで、可愛い後輩ちゃんは入ってくるとハルは思うか?」
カズは走りながらも話題を振って来た。
「は? 可愛い後輩?」
しばらく考えて思い当たったことがあった。カズはパシリとして使う後輩が入ってくるか気になっているのだ。
「さあね? 俺はサッカーできればいいから」
「なんだよそれ……。まあ、お前にはリサちゃんと友希那ちゃんがいるからいいよな」
なぜここであの二人の名前が出てくるのかわからなかった。
「どういうこと?」
「どういうことってそのまんまの意味だろ?」
「え?」
「え?」
どうやら俺とカズの会話は噛みあってないみたいだった。
話を続けようとしたが、生憎学校に到着してしまい、別の話題になった。
「俺のクラスは……Bか。お、ハル、お前の名前もあったぜ。今年もクラスが一緒だな」
カズが頼んでもいないのに俺のクラスまで教えてくれた。新学期ということもあって浮かれているのかもしれない。
だが、俺は俺でカズと同じクラスで良かった。
「お前がいないと話す相手がいないから助かるよ」
「少しは俺以外と話す努力をしろ!」
「いや、だってなんか知らないけど避けられるんだから仕方ないだろ?」
俺だって好き好んでこいつとだけ話しているわけじゃない。別にコミュニケーション能力が壊滅的なわけでも、ひねくれた話し方をしているわけでもないのにだ。
「た、確かに……。でも、流石に部活の仲間とまで喋らないわけじゃないから放課後までの辛抱だな」
「そうなるな。あー、早くサッカーしてー」
「お前、ホントに頭ン中サッカーしか考えてないのな!」
サッカーバカと言われながら新しい教室に向かった。
「ただいまー」
部活を終え我が家に帰宅。玄関には二人分のローファーが綺麗に並べられていた。間違いなくリサと友希那のものだ。
先に言っておくと彼女達は俺の家の合鍵を持っているから家に入れるのであって、決して不法侵入ではない。
二人が合鍵を持っているのは、俺の両親は共働きでかなりの頻度で家を空ける。だから幼い頃の俺はよく友希那やリサの家に泊めてもらっていた。
だが、時が経つにつれ泊まることが少なくなっていき、実質一人暮らしの状態に近い俺を心配した両親が、何かあった時のために二人に合鍵を渡したのだ。
今では彼女達の第二の住居と化している気もしないでもない。
ちなみに昔、カズにこのことを言ったら「ギャルゲーかっ! 爆発しやがれッ!」と血涙を流しながらどっかに走り去ってしまったことを今でも覚えている。
「返事がないから上か」
一階にいれば聞こえるはずの声量を出したつもりだったが返事が無いので、恐らく上の階にいる。
「先に着替えちゃおっと」
二人を探すよりも先に制服を脱いでラフな格好になるために自分の部屋に向かった。
扉を開ければ、必要最低限の物しか置かれていない部屋に―――白い下着姿の友希那がいた。
「…………!」
友希那の顔が真っ赤に染まり、何かを喋ろうとしているみたいだが口がパクパクと動くだけだ。
「えっと、人の部屋で何し―――グハァッ!」
俺の部屋にいる理由を尋ねようとしたら顔面に拳が飛んできた。