なんか机にパンツ降ってきたけどどうすればいい? 作:リンゴ餅
「いやー、惜しかったな」
「すいません、足を引っ張ってしまって……」
「全然。むしろ体育の授業でやっただけなのにあそこまで上手なのは凄い」
春のまだ肌寒い時期にはちょうどいい運動を終えた後、白羽さんとさきほどの試合の感想を言い合いながら廊下を歩いていた。
「そうですか?」
「うん。サーブミスもレシーブミスもなかったし。何より横回転サーブを返せたのはちょっとビビった」
白羽さんのボディのスペックは見掛け倒しではなかった。
まず、その俊敏さ。
実は卓球部だったのではないかと疑うレベルでダブルス特有の立ち位置の入れ替わりを難なくこなしていた。
卓球のダブルスではルール上交互に球を打たなければならない。
だからこそ立ち位置の入れ替えは重要なのだ。
そして、ダブルスを組む二人の間に実力差がある場合、うまく息があわず体がぶつかってしまうなんてことは結構あるのだが……。
スムーズに球を打ち返し、俺が次に球を返せるようにすぐさま場所を譲る。
俺が打ち返し後ろに下がろうとすると同タイミングで前に出る。
円を描くような立ち回りで、互角に渡り合う。
普段の俺への態度とは違い極めて心配りに満ちたプレイであった。
想像以上の俺たちの連携に、現役卓球部員も侮ることをやめ目の色を変え始めた。
それなりには強い俺と、いろいろな意味で戦闘力の高い白羽さん。
気を抜いて勝てるほど甘い相手ではないとみられたようで、ついにはサーブに本気の字を見せ始め、ラリー中もいやらしい小技を使ってくるようになった。
結果、3セットのフルゲームで、スコアは7-11。
そしてよくよく考えると服装が制服なだけにハンディもあった。
大健闘、という他ないだろう。
しかも、相手になってくださった部長は部内ランキング一位で、もう片方のペアの人も上位の人らしかった。
当然の流れで熱い賛辞と熱烈な勧誘を受けたが、ひとまず保留ということでその場を後にした。
あまりその場のノリで決めたくはないからね。
「佐倉君も流石でしたね。無駄のない動きに思わず見惚れてしまいました」
「ダブルス中にペアの人の動きを観察する余裕のある白羽さんの方が流石だと思うけど」
そんな感じで褒めあいをしながら歩いていると。
「ん……?」
「どうしました?」
「いや、天真さんからラインが届いてた」
「ガヴちゃんからですか?」
ホワン、というかなんというか。
擬音化しにくい特徴的な受信音を耳にして、スマホを手に取る。
ラインのアプリを起動し見てみると、天真さんからメッセージが届いていた。
メッセージの内容は……
『おい』
『返事しろ』
『はよ』
『ころすそ』
「え、こわ」
「ガヴちゃんらしいラインですね。要件が簡潔です」
覗き見た白羽さんがのんきにコメントしているが、メッセージを受け取った俺は何故殺害予告をされているのかさっぱりだ。
『殺すぞ』が『ころすそ』になっていることに天真さんらしさを感じてしまう。
濁点入力するのがめんどくさかったんだね。
ちょっとわかるよ。
「どうやら急いでるみたいですね」
「んー……なんかあったのかな」
俺と白羽さんが卓球の試合に興じている最中にメッセージが送られてきたらしい。
受信時刻から30分経っていた。
先に俺の部屋に行かせたが、ちゃんと合鍵は渡したはず。
何かトラブルでもあったのだろうか。
とにかく、結構待たせているし返信するか。
『返信遅れてごめん。どうしたの?』
送ると、ほとんど間を置かずに既読がついた。
やはり、急な案件のようだ。
心配で心がざわつくが。
次の天真さんの返信に目をむいてしまった。
『芋来てる』
『こいつやばい』
『へるふ』
『はよ』
いや何があったんだよ。
わけのわからないメッセージの羅列にクエスチョンマークが舞い踊る。
ていうか芋ってなんだ。
「なんか俺の家芋に襲われてるらしい」
「はあ……すいません、ちょっと意味が分からないです」
いやほんとその一言に尽きるわ。
芋のサイヤ人なんていただろうか。
マジで状況がつかめん。
まあ、彼女の性格からして、文字を入力するのが面倒で適当に省略しようとしたらミスったのだろう。
問題はどういう間違いを犯したのかだが。
……芋。
いも。
いも。
あ、なるほど。
「変換ミスか」
推測がついたので、返信をする。
『妹?』
『そう』
正解らしい。
『いも』と入力した時点で出てきた予測変換の『妹』をタップする際に間違えて『芋』を押してしまったらしい。
自分の面倒省略のために相手に解釈の面倒を押し付ける天真さんは穀潰しの鑑だろう。
……それにしても。
いったい誰の、なんて疑問は浮かんだ瞬間に沈んでしまった。
「沙那が来てるのか?」
『俺』の部屋に来る『妹』なんて、『俺』の『妹』に決まっている。
確かに、沙那が来てるとなれば悪いことをしてしまったなと思うが。
天真さんの言葉が気になる。
そんなに俺の妹はヤバいやつだっただろうかと。
家に客が来た時や電話に出る時などは普通の対応をできるくらいには礼儀をわきまえている子だし、ちょっと無愛想なところは玉に瑕かもしれないが、その無愛想具合もただのシャイな娘ととらえれば自然な程度だ。
俺が前に電話をしたときもいつも通りの様子だった……いやでもそういえばちょっと元気がなかった気がする。
そんなに気にするほどでもないかとその時は思ったけど。
俺がいない間に沙那に何かあったんだろうか。
相談があるから、電話とかではなく直接会って話がしたい的な理由で。
だとしたら、速攻で帰らざるを得ないが。
『もうちょい詳しく説明できる?』
『めんどい』
ええ……。
指先の運動すら怠りますか……。
マジで一回根性鍛え直した方がいいんじゃなかろうか。
「妹さんの方に連絡をとってみてはどうでしょう」
「それもそうだね」
文字通り天真さんとはお話にならないので、件の妹の方に電話をしてみることにする。
やや時間をおいて、通話がつながった。
「もしもし? 沙那?」
『……はい』
「いったいどうしたんだ。急に俺の部屋にくるなんて」
『兄さんの方こそ……誰、あの人』
質問を質問で返すなあーっ!
……と叫びたかったが、隣に白羽さんがいるのでやめておく。
マイペースなのんびり口調。
静謐で、淡々とした言葉。
いつも通りのしゃべり方だ。
でも、少し棘のある言い方だった。
「ただの同級生だよ」
『兄さん……ただの赤の他人を自分の家に呼ぶほど……防犯意識ない人…だったっけ』
「いや、じゃあただの友達」
『……兄さんって、出会って間もないただの赤の他人を……自分の家に呼ぶほど、頭の悪い人だったっけ』
あれぇ……。
なんか応答がやけにひねくれてる。
まるで昔のツンデレ期の沙那に戻ったみたいな……。
「沙那、何かあったのか?」
『別に……何も』
何もないのに家からそこそこ離れた俺のアパートに来るほど俺の妹は頭の悪い娘だっただろうか。
電話の向こうの沙那の表情はうかがい知れない。
ただ、いつも通りむすっとした顔でいるんだろうなとは思っていた。
実際のところどうなのかは、神のみぞ知る、だが。
……まあ、仕方ない。
今日のところは家に帰ろう。
まだ二件目の部活動を見ていないが、二人のことが気がかりだ。
「とにかく、今から帰るから天真さんに失礼のないようにな」
『………』
返事がないが、ひとまず電話を切る。
代わりに天真さんの方にメッセージを入れた。
『妹がなんか迷惑かけてるみたいでごめん。今から帰る』
『り』
『沙那はごまが好きだから冷蔵庫に入ってる牛乳にごま入れてあげると喜ぶと思う』
『り』
『1足す1は?』
『に』
よくできました。
流石に眼球の運動は怠っていないようだ。
「ごめん、家の方が心配だから今日は帰るね。部活の見学、付き合ってくれてありがとう」
「いえ、久しぶりにいい運動ができたのでとてもよかったです」
ダブルスをしている最中、ずっと白羽さんの通ったあとの残り香をかいでいたことは口が裂けても言えない。
マジでいい匂いがエンドレスだったから鼻血が出そうだった。
心の中だけでごちそうさまを言って。
俺は我がアパートに向かうことにした。
… … … … …
—―どうして…返事してくれないの?
耳鳴りが止まらない。
鈴がずっと耳元でなっているかのように。
冷たく、固い音が響いてやまない。
—―私は、兄さんのことがこんなに好きなのに。
本来甘酸っぱいはずの言葉が、重くのしかかる。
鉛のようにずっしりと。
こびりついて離れない汚泥。
そのような最低極まりない表現がしっくりくるほど。
—―今、行くからね。
果たして、彼女は人間なのか。
容姿は間違いなく人間だ。
一般的な女性。
むしろ、魅力を挙げていけばキリがないほどの理想的な女性。
なのに、どこかがおかしかった。
例えるなら、美しい絵画。
絵の女性は、薄っすらと微笑み、何かを見つめている。
完璧と形容するしかない、妖艶ささえ兼ね備えた美を収めた絵画は、どこかがいびつだった。
けど、分からない。
何がおかしいのかが。
人は見かけではない。
絵画も、実は見かけではないのかもしれない。
五感では感じ取れない感覚というのは得てして不気味なものだ。
はっきりと知覚できないからこそ、未知を見出し人は惹かれるのかもしれない。
人の血液と、髪の毛と、爪でできた絵画の話はそれほど怖くなかった。
実際に見ていないからかもしれないし、ただのフィクションだからと嘲笑に終わっただけ。
でも、それがいざ現実の話となると変わってくる。
五感で感じ取れなかった感覚が、五感で感じ取れるようになった途端。
つまり、『歪み』が目に見えだしたら。
どうなるかは想像に難くなかった。
光沢を帯びた、包丁が、何故か点に見えて。
それがどういうことか理解した時にはもう。
―――私も、痛かったんだからね。
―――――ずっと、ずっと。
――――――――きっと、その目がいけないんだよね。
―――――――――見た目ばっかり気にする兄さんだから。
―――――――――――――しかた、ないよね。
――大好きだよ、兄さん。
… … … … …
好きな属性は何か、と聞かれたらあなたは何と答えるだろう。
もちろん、ここで言っているのは萌え属性のことだ。
唐突な質問で申し訳ないが少し考えてみてほしい。
眼鏡っこ?
ポニテ?
地味子?
ツンデレ?
影の薄い主役?
まあ、いろんな回答があることだろう。
あるいは、複数の回答をする人もいよう。
その回答を否定することは絶対にないし、されるべきではない。
ただ、今まで見聞きした属性の中で一種類だけその良さを理解できない属性があった。
すなわち、ヤンデレである。
先の文章は昔友人に貸してもらった小説の引用だ。
小説を読み終わった後、実際に妹のいる俺にこんなもん読ませやがってぶっ殺すぞと憤慨したものだが。
ヤンデレがどういった属性か知るにはもってこいの教材だったと言えよう。
永久に光を奪われた主人公と、現実と理想の乖離に発狂して自我崩壊したヒロインのエピローグはまさに鳥肌ものだった。
俺は読書をする際に決まってイフストーリーを考える習慣がある。
もし、あそこの場面でああしていればどうなっていたのだろう。
特に、バッドエンドじみた展開で物語が終わった時には、どうしたらハッピーエンドにたどり着くことができたのだろうかと。
しかしながら、ヤンデレものの小説に関してはそんなイフストーリーは夢物語もいいところだった。
主人公がどんな行動をとっても、どんな受け答えをしても、ヒロインはバッドエンドへの道へまっしぐら。
お手上げ万歳グリコのオマケといった感じだった。
と、まあヤンデレというものに対してとにかく良い感情がない俺なのである。
で、なぜこんな話を持ち出したのかというと。
俺が鈍感系主人公ではないことの証明のためである。
つまるところ、「あれ、俺の妹若干ヤンデレってね?」と先ほどの沙那の電話から察知したのだ。
まあ、単なる可愛い嫉妬心だとは思うけど。
家に帰って玄関の扉を開けたら天真さんが倒れていて、沙那が血まみれの包丁を手に持っていたとかいう展開はまさかないだろう。
それでも、念には念を入れて。
一応妹と話をしておくことにする。
俺の学生時代はschooldaysであってほしくないからな。
ちなみに、天真さんの身を案じるなら自分の部屋に帰らせた方がよいのではと思う人もいるだろう。
確かに、選択肢としてはありだ。
だが、俺の妹は色々鋭い。
まず地頭が相当良く、彼女自身が自分の直感の有用さを把握しているので、推測力が異常に高い。
他人の行動の意味を必ず考えれば、ほぼ100パー当てる。
水平思考ゲームや、それに類するクイズで彼女は負けなし。
脳内に浮かぶ『選択肢の多さ』が人並みではないのである。
もし、天真さんを自分の部屋に帰らせたとしたら沙那の脳内には次のような推測が立つだろう。
なぜ天真さんが自室に帰ったか
→①単純に居心地が悪くなった
②兄(俺)に教唆されたから
③体調不良
④忘れ物
⑤急用
⑥その他
恐らく、情報がない状態でこれくらいの選択肢は浮かぶだろう。
あくまでこれらは俺が考える理由なので、本人にはもっとたくさん理由が浮かんでいるかもしれない。
そして、ヤンデレの思考だと十中八九②の選択肢が直感で選ばれる。
で、次の思考回路。
なぜ兄はこの女を自室に帰らせたか
→一緒にいられると都合が悪いから
→①轢殺
②鮮血の結末
③永遠に
④我が子へ
要するに、バッドエンドである。
まあ、まさかわが妹に限ってそんなことはないと思いたい。
そんなわけで、やましいことがあると思われたくはないので俺がアパートに帰るまでは下手に状況をいじらないようにする。
何にせよ。
俺も久しぶりに沙那の顔を見たいので早く帰ることにする。
俺はくだらない妄想を掃き捨て、帰る足を早めた。
何故か妹をヤンデレにしたがる自分。
鮮血沙汰にはならないので大丈夫です(フラグ)。
リアルの方で久しぶりに高熱出たんですけど、結局暇で小説書いてました。
皆さんも体調にはお気を付けください。