なんか机にパンツ降ってきたけどどうすればいい?   作:リンゴ餅

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第十九話

 胸騒ぎがあった。

 それを私は、自分の『大切』が少し遠いところに行ってしまったが故の感覚だと思っていた。

 生まれて以来ずっとずっと一緒に同じ屋根の下で暮らしてきた人。

 「失って初めて分かる」というフレーズを引用するほど悲劇的な話でもないけど、それでも最初の数日は耐えきれなくて夜も眠れなかった。

 

 ちょっと住居が違くなってしまった程度で薄まる関係なんて、あの人とは築いていない。

 ちょっと言葉を交わさない日があったくらいで弱まる絆なんて、彼とは築いていない。

 

 だからといって距離が遠くなっても何でもない強い心なんて、あんな『兄』と一緒に過ごしていたら持てるわけがなかった。

 

「さっちゃん! 朝飯よー!」

「ん……今、行く」

 

 枕元に置いてあった時計代わりのスマ―トフォンを見ながら返事をする。

 

 兄が高校に入ると同時に家族で持つようになったスマホ。

 友人にスマホの入手を伝えたところ、家族以外無記載だった連絡先が一気に三十件ほど増えた。

 

 私ってこんなに友達いたんだ、と感慨深く思ったものだが、昨日兄にその感想を話したら『中学校までの友人が必ずしも高校からの友人とは限らないから今のうちに色々実験しとけ』と言われた。

 高校生にもなって中二病みたいなことを言わないで欲しい。

 

 でも、まあ兄の言う通りだと思う。

 中学校まで仲が良くても、高校が別になったら一生会う機会を持たないようなこともあるだろうし。

 

 だからこそ、今の友人と過ごす『今』を大切にしたい。

 

「本当に……ひねくれてるのか…素直じゃないのか、分からない」

 

 多分、どっちもなんだと思うけど。

 

 優しさを帯びた低い声は、すごく心地いい。

 電話越しでも、兄はやっぱり兄だった。

 

 ただ、不安が絶えない。

 兄と電話で話している間にも、その不安はますます大きくなっていった。

 本当に兄が遠く離れた場所に行ってしまうような、そんな不安。

 

「さっちゃん。今日はちゃんと眠れた?」

「……うん」

 

 顔を洗ったときに鏡で目元のクマが取れていたのは確認済みだ。

 

 不眠症については、とりあえずの応急処置的手段はできた。

 余り他人には言えないような方法ではあるが、これ以上睡眠不足が続くと母さんや父さんに心配をかけてしまう。

 と言っても既に心配されてるのは明らかだが。

 

 驚くべきことに兄さんにも『声に覇気がないけど大丈夫か』と心配された。

 「ポーカーボイス」なんて揶揄されたことのある私の声から覇気のありなしを聞き分ける兄はやっぱりシスコンにもほどがあると思うが、兄が私の不調に気付いてくれたことに歓喜している自分も相当なブラコンだなと思う。

 

 母さんの作った、温かい炒り卵をぱくつきながらご飯を進める。

 母さんは私が夜眠れていないことにすぐに気付いた。

 その原因も、当然分かっているだろう。

 

 客観的にみたら兄離れできてない妹だし、私は母さんに夜眠れていないことを最初に指摘されたとき羞恥の念を覚えた。

 『でも私のご飯が食べられるうちは問題ないわね』なんて言われて、ちょっとイラっとした。

 実際食欲はいつも通りだったので更なる羞恥に耐えながら恨みがましい目で母を睨むことでしか私には反抗できなかったが。

 

「ごちそうさま」

「お粗末様です」

 

 今日もしっかり朝食を食べて、私は学校に行く準備を整える。

 兄から似合っていると称賛されたセーラー服姿に身を包んで、学校指定のカバンに教科書やら筆記用具やらを入れて。

 最後にサブバッグとして使っている兄譲りのリュックサックの中身を確認して。

 

「あと、あれも持ってこ」

 

 部屋の隅の方に置いてあった安っぽい木製の将棋盤とその駒を無理やりリュックサックに押し込み、チャックを四苦八苦の末に閉めてパンパンになったリュックサックを背負う。

 ずいぶん昔に親から買い与えられた代物だから折り畳みの盤は関節部分が緩くなっていて、駒の方も文字が剥げている部分が多かった。

 

「準備……おっけー」

 

 カーテン越しからでも分かる強い日差し。

 兄が一人暮らしを始めてからこの窓も何だか私の寂しさを強調する要素になっている気がする。

 

 文学的な感傷に浸るには時間がない。

 あれこれと『設定(・・)』を考えていたせいで、結構急がないと遅刻してしまう時間だ。

 いつもより大荷物なのもあるし、そろそろ出発しよう。

 

 玄関まで来て、母さんの「いってらっしゃい」に微笑んで、私は外に出る。

 

「行ってきます」

 

 ――今日は晴れ。

 

 花冷えした風が、日差しの中を泳いでいた。

 

 

 … … … … …

 

 

 欲しいものが何でも一つ手に入るとしたらみなさんは何を願うだろうか。

 絶対的な力?

 国を動かせるほどの財力?

 それとも天才的な知力?

 

 まあ、どれも魅力的な願いだろう。

 で、中学校の頃の無邪気な俺はこの子供だましのようなアンケートにこう答えた。

 

『ネコミミ美少女』

 

 アンケート用紙に書かれたその単語は一般的な感性を持つ中学生には少々インパクトがありすぎたようだ。

 

 幸いアンケートは匿名で行われたため、またそういう匿名のアンケートはわざと利き手とは逆の左手で書く習慣が俺にはあったため、アンケートが行われたクラスで後日『変態がこのクラスに一人いる』という噂が広まった際に俺が容疑者となることはなかったが、今後アンケートでふざけるのは止めようと誓った事件だった。

 

 ちなみに別に俺はケモナーじゃない。

 ただ、アンケートの当日の朝登校中にモフモフの猫を目にしてしまっただけで。

 ただ、アンケートが行われる直前にたまたまド〇えもんのキーホルダーを目にしてしまっただけで。

 ただ、アンケート用紙に回答を書き込んでいるときに目の前の席に座っている女子を見たら寝ぐせが猫耳に見えてしまっただけで。

 

 要するに。

 

「俺は悪くない」

「いや、お前が悪いだろ」

 

 高校生になっても昼休みというのは次の授業のための準備時間ではなく、ただ友人と時間を浪費して過ごすための時間というのは変わらない。

 もちろん日によって違うこともあるが、今日に関してはいつも通りの過ごし方だった。

 まあ昨日までとは友人の性別がちょっと変わっているが。

 同性との交流も重要だからな。

 野郎共の力は馬鹿にできないし、何よりパンツ事件の後始末がまだ不完全なのだ。

 

 入学してからの数週間というのを馬鹿にしてはいけない。

 スクールカーストは高校生になってからも当然存在する。

 女子なんて初日の時点でほぼグループのメンバーが固定化されるし、男子に関しても余り悠長に構えていられないのだ。

 

 学生生活というのは最低でも数人は友人と呼べる人間がいないとやっていけない。

 それプラス、他クラスにも知り合いと呼べるような人間が何人か必要だ。

 

 天真さんやヴィーネさんたちと一応は仲良くなれたし、昨日もファミレスで一緒に飯食ったりして交流は深められたけど、だからといって彼女ら以外との友人を作らなくていい理由にはならない。

 人脈は宝であり、武器であり、何よりも自分を守る盾。

 同性である男子との交流をないがしろにし、奇跡的なハーレム状態に甘んじているわけにはいかなかった。

 

 と、いうのは建前で。

 ぶっちゃけヴィーネさんとかいつものメンバーが他の女子とおしゃべりんぐしているために仕方ないから俺も野郎たちと仲良くなろうと思っただけだ。

 天真さんは一応一人で座しているけど、スリープモードだから邪魔しないでおくことにした。

 

「やっぱりお前ただものじゃねえよな……妹のパンツをホームルームの時間で鑑賞したり、新入生テストで全教科ほぼ満点だったり」

「……前者については割と複雑な問題だから触れないでくれるとありがたい」

 

 話しているのは俺のすぐ目の前の席の男子生徒だ。

 パンツ事件の時点で一応顔見知りだったので改めて今日俺の方から話しかけたところ、普通に会話に応じてくれた。

 内心ほっとしたのは仕方ないだろう。

 

 パンツ事件による俺のクラス内評価への影響はマジで予想がつかなかったからな。

 ヴィーネさんと、俺が下心でヘルプした女子たちのおかげでひとまずは俺の行為は不問となったがそれでも俺に対して悪感情を抱いている人間がいないとは限らない。

 

 女子に関してはやはり疑いやら何やらがぬぐい切れてない可能性は十分あるし、男子に関してももしかしたら、妹のパンツを自由にできることに嫉妬した男子がいるかもしれない。

 割と俺のクラス内における立ち位置は不安定なのだ。

 

 もちろん、それを支えているのがヴィーネさんたちであるということは忘れてはいけない。

 精神的な面で、本当にあの四人の存在は救いになってるからな。

 感謝の念は絶やさないようにしよう。

 

「優は部活どっか入るのか?」

 

 気安く下の名前で呼んでくれる友人A。

 確か、彼の名は神谷人(こうのみやじん)だったはず。

 漫画か小説の主人公みたいな名前してんなという感想を持ったのを覚えている。

 

 入学から数日しか経っていないが、クラス全員の名前は暗記してある。

 優等生だからな。

 そのくらいはたやすい。

 ただし、男子の名前に関しては余り自信ないけど。

 

「今のところはまだ予定ないかな」

「仮に入るとしたらやっぱ文化部か? お前あんまり運動してるようには見えないし」

「一応中学校の頃は卓球やってたんだけどねぇ」

 

 大会で優勝したりとか、そういう経験はないがそこそこうまいと自負している。

 少なくとも素人相手だったら完封する自信はある。

 

 何にせよ、部活に入るか、入るとしてどの部活にするかというのは言わずもがな大きな問題だ。

 学生生活に青春の一ページなんてタイトルづけるためには部活に入るのは必然だろう。

 

「女子ウケ狙うならやっぱバスケ部とかテニス部だよな」

「安直だな」

「なら、他にどんな候補があるというのかね秀才君?」

 

 試すような目つきで神谷が俺を見てくる。

 

 俺は腕を組んで考えこむ……ふりをしながら同じく教室内で談笑している女子グループの方を眺めた。

 そのグループにはヴィーネさんと白羽さんも含まれ、二人とも楽しそうに他のクラスの女子と喋っていた。

 

 ふーむ。

 女子ウケがいい、と言うと聞こえはいいがただ部活に入るだけでそんなに女子にモテるのであれば苦労はない。

 バスケ部とテニス部に関してはうちの高校はそもそも女子と男子で分かれているっぽいので出会いを求めるには適さないだろう。

 俺がこれらの部活に入部したところで手に入るのはステータスだけだ。

 その肩書を活用できるほどの運動神経を持っているわけでもない。

 部活そのもののハードさを考えると割に合わない可能性の方が高いだろう。

 女子ウケが良さそうな部活は大体練習がキツいと相場が決まっているからな。

 

 ……それに。

 現時点で天真さんやヴィーネさん達とお近づきになれているわけだし。

 他の女子たちとはパンツ事件のこともあって関わりづらい部分があるかもしれないが、別に俺は女子にモテたいっていうわけでもないからな。

 どちらかといえば省エネ志向のキャラだし。

 

「しばらくは帰宅部でいいかなぁ」

「……ま、確かに安パイだろうな」

 

 どこぞの女子中学生たちをリスペクトして「アミューズメントクラブ(ごらく部)」とか作ったら天真さん達もワンチャン入ってくれるかもしれないが、合法的にそんな部活を作る手段が思いつかないのでこのアイデアもお蔵入りだろう。

 

 特に実りのない、実に男子高校生同士らしい会話で昼休みを終え、五限の数学が始まった。

 

 

 … … … … … 

 

 帰りのホームルームが終わり、一斉に皆が帰宅や部活のモードに切り替わるざわめきの中。

 スマホをいじっている天真さんに俺は囁く。

 

「天真さん、今日も俺の部屋来るの?」

 

 他人が聞いたらなかなかにヤバい発言なので、周りには絶対聞こえない音量だ。

 

「ん……そうだな。今日は牛丼が食いたい」

 

 本当に天真さんは欲望に忠実だ。

 睡眠欲には忠実だし、食欲も隠そうとしないし。

 性欲にももしかしたら忠実なのかもしれないと考えると流石に失礼なのでやめておく。

 

 昨日、女子四人組と飯を食って解散した後。

 天真さんは当然のように俺の部屋の中にまでついてきた。

 寝るときになったら自分の部屋に戻ると言って。

 

 一応俺も年頃の男子高校生だし、年頃といえば彼女にも当てはまる。

 躊躇はしたが、寝るのは自分の部屋でという条件もあって俺は彼女を招き入れた。

 寝落ちした彼女を起こして自分の部屋にお帰り願うところまでで俺の昨日は終わった。

 

 そして、今日も天真さんは俺の部屋に入り浸るつもりらしい。

 しかも、夕食までごちそうになるつもりのようだ。

 

 学生生活一週目から自宅に美少女が寄生するって世の中何が起こるか分からんな。

 パンツ事件が起こった時点で今さらではあるんだけど。

 

「悪いんだけど、今日俺用事があるから帰り少し遅くなるんだ」

「はあ? 佐倉のくせに生意気だなぁ」

「だから先に部屋で待ってて」

「え?」

 

 意味不明そうな顔つきをしている天真さんの目の前に鍵をぶら下げる。

 うけけ。

 驚いてる驚いてる。

 

 俺もびっくりだよ。

 入学早々同級生の女子に家の鍵渡すイベント発生するとか。

 

「え、キモい……」

「ちょ、ナチュラルに引くのやめて」

「お前頭おかしいんじゃないか? 寄生しようとしている私が言うのもなんだけど、家のセキュリティもっと気にしたほうがいいぞ」

「白羽さんにピッキングされちゃってる時点でもう気にしても仕方がないかなって」

「そういう問題なのか……?」

 

 もちろんそういう問題じゃない。

 いや、そういう問題もあるんだけどさ。

 白羽さんのピッキング対策は事態がもっと深刻化してきたら実行するとして。

 

 こうも簡単に天真さんに鍵を渡すのはいくつか理由がある。

 普通の女子だったら男子からいきなり合鍵とか渡されても訴訟のきっかけにしかなり得ない。

 だが、そこは安心と信頼の天真さんである。

 彼女のボケたぐーたら思考であれば『むしろ都合がいい』程度の感想しか持たないはず。

 

 まあ、流石の天真さんも警戒がこもった目をするが、やがて鍵を受け取ってポケットの中に突っ込んだ。

 それを満足気に見届けてから俺はカバンを肩に掛ける。

 

「じゃあ、一旦さようなら」

「……ん」

 

 依然として微妙そうな顔をしている天真さんを尻目に、俺は教室から出ていった。

 

 

 

 


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