倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第七話 帰還。

 

 熊襲との協議という名の宴は二日間を要したが、おかげで今後について詳細なところまで詰めることができた。

 なにせこの時代、たとえ内海であっても海を行くことは命懸けであったし、山々を越え往復することも容易でない。話し合えることは事前に面と向かって話し合っておいた方がよいのだ。

 

「じゃあな、ヤマトタケル。達者でな。」

 

 クマソタケルと最後の挨拶を交わす。

 

「ああ、お前こそ。お前が死ぬ姿など想像できんが、元気でやれ。」

 

 その大きな手のひらを握ると、縄を解き、舟を漕ぎ出す。

 見送りに来てくれた熊襲の民たちが大きく手を振ってくれた。負けじと手を振り返し、海を渡った。

 やはり、あの者たちを殺し平定する手段を取らなくてよかった。些か豪快に過ぎるところもあるが、あんなにも気分のいい者たちを殺していたらきっと、私は少なくない後悔の念に駆られたことだろう。

 今回の旅もまた、人の美しさに触れられた良い旅路であった。

 

 

 

 その後の帰りの道中は行きよりも大変な道筋だった。なにせ、事前に豪族たちと取り決めておいた約束を反故にしたのだから、その償いというか補填をしなくてはならなかったからだ。

 むしろクマソタケルと戦った時よりも過酷な旅だったといえるだろう。暴れる神様を鎮め、人々を喰い殺す巨大な妖を倒し、山よりも大きな猪を屠り、やかましく泣きわめく赤子をあやした。

 特に暴れまわる龍神を下した時などは酷かった。戦いの最中、長年愛用し、熊襲での戦いの時も焼け落ちた家の残骸から掘り起こして使い続けた剣が、その酷使に耐えかねて折れてしまったのだ。

 武器もなしに拳を握って龍の前に立つなど、二度とやりたくない。タツに頼まれたってやるものか。いや、もしかしたらやるかもしれないか。

 ともかく、七日七夜続いた戦いは龍神の根負けで幕を下ろし、無事五体満足で故郷の土を踏むことができた。

 私が(みやこ)についたのは、私がここを立ってより、四回も月が巡ってからだった。

 

 

 相変わらずの賑やかさだ、ここは。人々の張り上げる声は街中から奏でられ、街全体が大きな曲を奏でる楽器のようだ。

 万感の想いを胸に都目前の道を進むと、その先に。

 

 

 

「おかえりっ!ヲウス!」

 

「・・・ああっ、ただいまタツ!」

 

 

 

 家へ帰ったり報告をしたりするのも忘れ、ひたすらにタツと会話を重ねた。

 

「いつもあそこで待っていてくれたのか?」

 

「まさかー。そんなめんどくさいことしてないよ。」

 

 傷ついた。少し期待していた自分が恨めしい。

 

「なんとなく、今日ヲウスが帰ってくる気がして、待ってたんだ。」

 

 やはり、私とタツは通じあっているのだな。先ほどまでの傷心はどこへやら。とても嬉しく思った。

 

「本当に、本当に、ちゃんと帰ってきてくれた。それだけでわたしは満足だよ。」

 

 笑うタツの笑顔は、やはり私の太陽だ。その笑顔を見ることができた、というだけで今までの苦労のすべてが報われた気持ちになれる。

 

「ああ、私も、またタツと会えてよかった。タツと会うため、私は帰ってきたんだ。本当に嬉しい。」

 

 少しばかりしんみりとした後、タツはそれまでとはまた違う調子の笑顔を浮かべると、顔をぐぐいと近づけてくる。

 

「でもヲウスはちょっと見ないうちに変わっちゃったなー。まさかヲウスにそんな趣味があったとは、長い付き合いだけど知らなかったよ。」

 

 一瞬意味が分からなかったが、タツの視線をたどって気づく。そういえばいまだに女装姿であったことに。

 

「こっ、これは必要だったからしただけで、私に女装趣味があったわけではなくて、ええと、」

 

「わたしは悲しい。ヲウスの嗜好を理解できなかったことに。大丈夫、そんなヲウスもわたしは好きだから。」

 

「違うといってるだろ!?」

 

 その後もタツは私をからかい続け、いまだ私がタツ以外誰にも戻ってきた報せをしていないことに気がつくのには今しばらくの時が必要になったのであった。

 

 

「よく、お戻りになられました。皇子。本当によかった。」

 

 心底安心した、という表情を浮かべたじじいは、いくらも見かけないうちに本当に老けてしまったようだった。

 じじいだとか老いぼれなどと呼びつつも、実際は若々しい風貌であったのだが、いまは頭に若干白いものを混じらせていた。

 じじいにかけた心労は些か以上に大きかったことを痛感せざるを得ない。

 これではその白髪を弄るわけにもいかないな。

 

「ああ、いま帰った。」

 

 じじいの他にも世話になっている女中など、誼を通じている人々に無事を伝えていったのち、自分の離れに戻り、着替えや念入りな御祓などを行った。

 

 そして、父上に顔を見せることとなる。

 

 

 相変わらずこの場は苦手だ。

 前回ここに喚ばれた時は緊張のあまり周りを観察している余裕はなかったが、事前に喚ばれるだろうと覚悟していたからか、死線をいくつもくぐりぬけた旅路がそうさせたのか、此度の呼び出しには落ち着いて対処することができているように思う。

 (かみ)の席に座っている父上の姿は御簾ごしで伺うことはできない。私が頭を下げている間より一段上がったところには、左右五人ずつほどの、重臣とみられる人物が座しているのが分かる。

 父上の表情は分からないが、重臣たちの表情はまさに十人十色といった風だった。興味深そうにこちらをうかがう者。無表情にこちらを観察する者。こちらに好意的な視線を投げ掛けている振りをしつつ私を見定めている者。私への侮蔑を隠そうともしない者。

 各々が各々の意思をもってこちらを見ている。私の嗜好としては非常に楽しい時間ではあるが、いまは父上の前だ。そのようなこと言ってはいられない。

 

 

「──。そうか。ご苦労。下がってよい。」

 

 父上の言葉はそれだけだった。私としては予想通りではあったのだが、居並ぶ重臣たちにとっては少し想定外だったようだ。熊襲平定を成した者への言葉としてはあまりにも短いものと写ったようで、そこに正負や大小の差はあるが、全ての者たちがなんらかの動揺を表していた。

 

「────はっ。失礼致します。」

 

 少しばかりの悲哀を飲み込みつつ、私は殿(でん)を去った。

 

 

 

天皇(スメラミコト)が皇子のことをここまでお認めにならないとは、少し驚きですな。流石に此度の功をもってなんらかの報奨も無い、というのは。なんらかの形で臣たちの間で不安が広がりかねません。天皇(スメラミコト)は手を誤った、と言わざるを得ませんな。」

 

 じじいは髭を撫でながらそう、父上を評した。

 

「名前ぐらいは呼んでもらえると思ったのだがな・・・。何が父上をそうさせるのか、私にはわからない。わからないことだらけだ。父上のことは。」

 

 風に揺れる枯れ草の原を眺めながら、私は溜め息を抑えられなかった。

 

「しかし、熊襲の併合という功績、命の通りの平定とは少し違うものの、併合だからこそ我ら大和にもたらしたものは膨大です。それを理解できない者はいない。今後、皇子の下へは多くの者が訪れるでしょう。いらぬことを吹き込む者もいるやもしれませぬ。ですが、いまはご自重を。」

 

 私に熊襲のことを叩き込んだ夜と同じように、その目に爛々とした火を灯したじじいはそう告げた。

 危うい、灯火だ。この火消える時こそがじじいの死ぬ時なのかもしれない。そんな、灯火だった。

 お天道様を直接見た後のように、その灯火はいつまでも目の裏に残り続けた。

 

 

 

 

 大いなる冒険を終えた後の平和な一時は、矢が空を翔るように過ぎ去っていった。

 

 もろもろの大事を終え、始めにしたことはタツの神様へ報告に上がることだった。今回の旅、そもそもあの加護なくしては熊襲を渡ることもできなかっただろう。

 久しぶりにタツの神様に顔を見せにいったところ、露骨に舌打ちされた。おそらくはもうタツと二人きりでいられないとかそんな理由だろうとあたりをつける。あの神様日に日にタツ大好き度が上がっていないか。当然、私の方がタツのことは大好きだが。

 

 おざなりに感謝を受け取られると、早々に裏山へと駆けた。

 タツはどうやら使われなくなった秘密基地をきれいにしておく、なんて殊勝なことは無理な話だったようで、たった数ヵ月の間に秘密基地は荒れに荒れていた。というか精霊たちの溜まり場になっていた。おかげで草は生い茂り木々は天を突き精霊は舞い踊る。そんな具合となっていた。

 タツが適当に精霊たちを追い払うと、二人で掃除を始めた。精霊たちはたちまちのうちに戻ってきて草を刈るな木を抜くなとうるさいので、彼らの力も借りて草木をうまいこと柱などに巻き付けることで対処した。

 掃除を終えた秘密基地は、秘密基地というよりかは森に埋もれた遺跡のようになってしまっていた。だが、これをタツは大層お気に召したようで、すごいすごいとはしゃいだのだった。

 

 

 大方の世話になった人々への顔見せも終わり、村々の行脚も周りきり、行きたいが行きたくない、姉上のところへ行くことになった。

 タツは今度は私も行きたいなどと言い出して、道中の危険などを説いたが結局は私が折れ、連れていくことにした。護衛もかねてじじいも連れていこうと思ったのだが、じじいはなにやら忙しいらしく、馬に蹴られる趣味はございませんなどとのたまい断られてしまった。

 

 

「ねーねー、その倭姫命(ヤマトヒメのミコト)にそんなに会いたくないの?」

 

 伊勢への道中、今回ばかりはタツもいることだし少しばかり遠回りの(比較的)安全な街道を歩いていると、タツは体を前に屈めながら聞いてきた。

 

「いや、会いたくないわけじゃないんだ。ただ、なんというか、とても独特な空気を纏ったお方なのでどうにも気後れする、というか。」

 

 精一杯歯に衣を着せながら言うと、タツは楽しみだなーなんて言いながら数歩先を駆けた。

 津々浦々の名物で腹を肥やしながらゆったりと進む、なんてことができればよかったのだが、生憎と忙しい身だ。山々を突っ切らなくてはならぬほどではないにせよ、そうのんびりともしていられない。タツもいることだし無理はしないが、すこし歩みを早めつつ、街道を歩いた。

 

 

 歩き始めてはや六日。いま再びの伊勢の地である。タツと二人きりで過ごした六日間は非常に短く感じた。驚くほどに。少々名残惜しいというのも本心だが、姉上とあの神様に礼を言わねば。

 数か月前と変わらずの賑わいを見せている伊勢の港町にて、ここまで来たのだ、体を休めることもかねて伊勢の名物に舌つづみを打つこととした。

 

「おいしぃ~。」

 

「またお藤に、食べながら喋るな!って叱られるぞ、タツ。」

 

「もう!ヲウスについていくのにお藤説得するの大変だったのも知らないで!いいのです!お藤はここにはいないのだから!」

 

 たった数ヶ月で、ほんのわずかほのかに香る程度に女性らしさを増したかのように見えなくもない胸を張りながら、タツはよく赤く焼けた大きな海老のぷりぷりとした身に大口をたてた。

 

「そううまそうに食ってくれると、漁師としちゃあうれしいねぇ。」

 

 毎日のように海に出ていることが用意に察せられる焼けた肌を晒した男は、白い歯を見せながら豪快に笑った。

 

「ま、こいつは俺じゃなくてうちの嫁さんが捕ってきたものなんだがよ!がっはっは!」

 

 なにがそんなにも面白いのか漁師とタツは二人して大笑いしながら海老を食らう。そのうち漁師の嫁自慢というか嫁の愚痴が始まり、二人の会話は大層な盛り上がりを見せた。面白いので後ろで銛を構えた海女さんのことは黙っていよう。

 

 不幸な事件が港町で起こった後、私とタツはあの神聖なる森へと足を向けた。

 大和のなかでも一番と言い切れる霊地を、一番の神様の神威が覆う森に。

 

 流石にこの森に入ればタツも静かになるかに思われたが、やはりそこはタツだった。かわいいを連呼しながら目につく神獣たちを片っ端から撫でて周っていた。それでいいのか、神獣。気持ちよさそうに目を細める彼らには私が一人で来た時の憮然とした表情を思い出してもらいたいものだ。

 最終的に鳥居をくぐった時にはタツはとても立派な角を抱えた大きな白い鹿にまたがりながら、後ろに両の手では足りないほどの獣たちを引き連れていた。

 みんなで鳥居の前でお辞儀をして、みんなで小川で身を清め、みんなで社の前で居住まいを正した。

 

「・・・そろそろ帰ってもらってはどうだ。その者達。」

 

 とうとう耐え切れなくなって言ってしまう。いやむしろここまでよく耐えたといってほしい。帰ってくれと言いそうなそぶりを少しでも見せるたびにタツが悲しそうな眼をするのだ。そして神獣たちに非難がましい顔で私を見つめられる。ええい、お前たちにそんな顔をされるいわれはない!と叫び出したい気持ちをここまで抑えに抑えたのだ。

 

「えー・・・。やだ。たぶんこの子達も神様に会いたいっていってるし。」

 

 口を尖らせたタツは弱弱しい正当化のための意見を述べる。だがタツよ、こいつらは喋れるくせにタツがかわいがってくれるのをいいことに獣の振りを決め込んでいるのだ。腹黒神獣どもめ。おもわず手や足が出そうになるが、腐っても相手は神獣。ぶん殴るわけにもいかない。

 仕方なく、そのままの百獣夜行で祝詞をあげると、前回と同じように一瞬で莫大な神気が目の前に現れる。しかし、不可抗力的な幸運により、神獣たちが発する神気でいくらか弱められ、私たちが感じた神気は前回の者よりもずっと柔らかいものとなった。

 

「やっほー!よっく来たね!おお、君がうわさのタっちゃんかな?」

 

 相変わらずお元気なようで何よりである。

 

「どうも、姉上。お久しぶりです。此度は先日の御助力のお礼を申し上げるため参りました。」

 

「こっ、こんにちは!えっと、えっと、橘姫(たちばなひめ)といいます!神様の、えっとあなた様じゃなくて、私の神様、その、御名は言っちゃだめだし、えっと、その。ヲウスの嫁ですっ。」

 

 なんてことを口走っているのだ。この小娘は。さっき港で嫁だなんだと話していたのが尾を引いたのか。正直言ってうれしいが、その顔はやめろ神獣諸君。別に私がタツをさらったわけじゃないんだ。なんだその顔は。

 

「ほうほう。ほうほうほう。なかなか有望そうだね。一目で気に入っちゃったな。『私』もそう思いません?」

 

『ええ。なかなか面白い子ですね。■■■の子孫がこんな子を産むとは。面白いものですね。私の直系だったなら加護くらいはあげていたところです。』

 

 久しぶりの神様の登場だ。しがらみだなんだなどという面倒くさい事柄はどうにかなったのだろうか。

 

『それに関しては問題ありません。話をつけてきましたから。』

 

「つまーり!『私』と私がヤマトちゃんに稽古をつけられるってことさ!」

 

 訳の分からない動きを見せつけながら姉上が言った言葉は、飲み込むのに少々時間がかかった。

 

「すごいじゃんヲウス!こんなすごいひとたちにお稽古つけてもらえるなんて!」

 

「あ、ああ。ですが姉上。いまは少し立て込んでおりまして、この後すぐにでも都に戻らなくてはならないのです。」

 

 私の立場の急変も相まって、今現在宮中は目に見えない争いが勃発しているはずだ。当事者不在のまま長らく放っておくのは好ましくない。

 

「そういうことなら別にあとででも構わないよ。ぼちぼち来てくれれば。」

 

 いつのまにかに神獣たちを撫でくりまわしていた姉上はそういった。大丈夫か、神獣。姉上の手のあまりの気持ちよさに白目向いて陸に打ち上げられた魚のようになっているぞ。

 

「それでは、こちらの処理がまとまり次第、姉上の下を訪れさせていただきます。」

 

「はいよー。」

 

 そこにタツも加わりいよいよ神獣が臨終しそうである。祈っておこう。二度とその顔見せるなよ。

 

『はあ、「私」。彼に託す手紙のこと、忘れているでしょう。』

 

 ため息交じりに姉上の口から飛び出た神様の言葉に、姉上はいたずらがばれたときの子猫のように背筋を伸ばすと、あわてて社の中へと飛び込んでいった。

 

「なんか、すごい人だね。仲良くなれそう。」

 

 だろうな。タツと姉上はその根本的な能天気さが似ている。そして一本硬い芯が通っているところもまた。というか挨拶と神獣をこねくりまわしたぐらいで心を通じさせる時点で仲良くなるのは最早規定事項である。

 

「おまたせーっ!はい、これ!手紙。馬鹿兄に渡しといて。」

 

「父上へ、ですか。」

 

 少し驚きである。先日ここを訪れたときは姉上(伯母上)は父上のことを大層嫌っているように話していたのに。

 

『さすがにいつまでも私の居所を知らせないまま、というのもよろしくないのでして。それにいくつか言っておかねばならないことがある、と「私」がうるさくて。』

 

 両手で丁寧に手紙を受け取ると、懐にしまい込む。

 

 その後は帰り道のためにも一晩休むことにして、姉上の下で一夜を明かした。姉上とタツはなにやら女同士の相談があるとかでのけものにされてしまったが、美味しい飯に腹を膨らませた私は、ぐっすりと深い眠りにつくのだった。

 

 




一週間の間をいただきました、投稿でございます。
やはり一週間ぐらいが一番書きやすいペースかな、と思います。
遅筆申し訳ございませんが、今後ともゆるりとお待ちいただければと思います。

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