「・・・っ、ぐっ・・・。」
意識が戻る感覚。深く沈んでいた水面から戻ってきたかのような違和感を振り払いつつ、重い瞼を押し上げた。
「ここは・・・。」
広い部屋だった。特に薄暗いといった雰囲気ではなく、何時かはわからないがさんさんと太陽が差し込んでいる。
だんだんと意識が覚醒してくる。そうだ、私はあの熊襲の頭領と共に炎に飲み込まれたはず。しかし、己の肉体を見回しても、目につくのは丁寧に手当てされた痕ばかりだ。
物音に気付き後ろを振り返ると、胡坐をかいていた男があわてて部屋を駆けだしていくところだった。
もし、あの場で助けられたのならばもっと厳重に拘束されてしかるべきなのではないか?頭をめぐる疑問に首をかしげていると、もののいくらもしないうちに、先ほど閉められた戸が開かれた。
「お目覚めのようですね。」
その男は、熊襲の者にしては珍しく温和な表情を絶やさない。私が熊襲を平定するためには必ず、先ほど戦った頭領とこの男を殺さねばならぬと考えていた男だった。
「オトタケル殿、だったか?この状況を説明してもらえると助かるのだが。」
私の言にいくらか感心したような表情を浮かべたオトタケルは、その温和な表情を崩すことなく言葉をつづけた。
「思っていたよりも自分の置かれている状況を理解しているようですね。お情けで助けられたということを理解されているようだ。」
「当たり前だ。そうでなくては私は生きてはいまい。だが、命を生かすだけならばまだしも、こうも手厚く看病されさらには拘束もないとあっては、疑問に思うのも当然だろう。」
「よかった。ここには粗野な人間が多くて。ましてや、兄が気に入る男というのは大体が脳みそまで筋肉で出来ているような者達ばかりなもので。こうも理知的な応酬を繰り広げられる人は貴重です。あなたを生かした理由は、あなたも予想しているでしょう、あなたの身分が相当に高いものだろうと考えられたからですよ。その身に着けた衣服に込められた神気からして、可能ならば生かしておこうと戦いが始まった時から考えておりました。そして手厚く看病した理由は、兄があなたのことを気に入ったから、ということになっています。表向きはね。」
「なる、ほど?」
まさか。まさか代わりに私を抱くなどと言い出さぬであろうな、あの男。それだけは本当に勘弁してもらいたい。そんな趣味はないのだ。断じて。
「兄はあなたに負けただのなんだのうるさくてですね、たかだかあなたの拳で意識を飛ばされただけで、いくらもせずに立ち上がったのも、早くに目覚めたのも兄なのに、聞く耳持たなくて。火の手を抑えながら中をうかがっていた私の気持ちというものをまったく考えていない、あの兄は。ああ、そうだ。愚痴を吐いている場合ではありませんでした。目覚めたら連れてこいと言われているんです。立ち上がれます?」
「言われるまでもない。これでも神様の加護を得た身だ。すぐにでも再戦を申し込んでやるとも。」
言いつつ立ち上がるが、正直あの男と再び戦いの場でまみえるのは勘弁したい。あの男はきっと滅びの未来を回避するため未来から送り込まれた機械人間かなにかなのだ。あの尋常なる打たれ強さ、繰り出される膂力、私は生きて帰りたいので再戦などごめんこうむる。
などと思いつつも、あの興奮をもう一度味わいたいと考えている自分もいる。そんな自分自身に飽きれつつ、オトタケルの後を追った。
「おう、来たか大和の。」
体中に治療痕を残しつつ、すでに怪我のことなど知ったことか、と盃を傾けているその男は、相変わらずがははと笑いながらそこにいた。
「お前こそ、元気そうでなによりだよ、熊襲の。」
私の分の盃を煽る。
「で、お前を殺すと宣言した私を何故助けた。」
「せっかちだなあ、おい。酒の席だ。もう少し楽しむってことを覚えねえのか、お前は。」
「せっかちだの真面目な話をするだのはいいですがね、少し箸を置くということを覚えましょうよ。」
二人して真面目な話をしていると見せかけて、私たちは運ばれてくる料理を掻き込み続けていた。
オトタケルが何か苦言を呈しているようだが、知ったことではない。箸が止まることはなかった。
「おまえを生かしたら理由なんてそりゃあおめえ、自分を負かした相手を殺しちゃあおしまいだろ、・・・って男の誇りもあるんだがよ、真面目な話をするとだな。どうも最近きな臭い。同盟とまでは行かずとも大和と交流は計る気では居たんだ。だがよお、このままいきゃあ間違いなく大和とは争いになる。そしたら間違いなく俺らは負ける。国の大きさがはなから違うからな。そんなことは分かってる。だったら先に負けちまうのさ。んで、都合よく表れてくれた大和の男が、お前だったってわけだ。」
「では、何か?お前は私にわざと負けたと?それにたった一人の男に負けたなどといっていいのか。」
「お前に手を抜いた、なんてことはねえよ。俺は負ける気はなかったし、全力で戦った。そんで負けたんなら、負けた勝負、せいぜい目一杯利用してやろうってだけさ。お前ひとりに負けたっつーとこだが、正直一人の男に熊襲が屈するなんて普通じゃありえねえ。ありえないからはったりがかませる。お前は一人で熊襲を平定したって功績を持ち帰り、俺らは大和にゃ負けてねえ、負けたのはお前だけだ、って大和の奴らにへこへこせずにすむ。どっちみち下らなきゃいけない相手なんだ。どれだけ強いままで下に着くかってのは大事なんだよ。」
なるほど。大和という国と一戦交え、敗けた末に降伏したのでは熊襲は体のいい子分にしかなれない。が、今現在、熊襲の戦力は一部たりとも欠けていない。ならば大和の下についても熊襲は熊襲であり続けられる、ということか。
「しかし、そうまでして大和の下に下りたい理由が見えない。なぜ、わざわざ負けようなどと考えるに至った?」
私の質問に対し、それまでの陽気な表情をクマソタケル少し曇らせた。オトタケルもまた先ほどまでの柔らかな顔が陰り、陰鬱な空気を醸し出す。
「さっき、きな臭いと言ったが、獣はギラついた視線で獲物を探し回り、木々はねじ曲がってろくに真っすぐ生えやしない。そんな状況が普通だと思うか?」
「いや。それはここ独特の生態かと考えていたが。」
「確かに元々熊襲にゃあ気がつええ奴らがいっぱいいる。俺ら人も含めてな。しかし、ここ最近のは違う。気が強い、というよりありゃ気が狂ってやがるのさ。常に死に追われてるようにあたりに暴力を振り散らかす。そんなん、まともじゃねえよ。それに、森の実りも年々悪くなってってる。このままじゃ遠くないうちに飢えで死者が大勢でる。その前になんとか手を打ちたい。その手の一つが、おたくら大和との交易にあるってわけだ。」
確かに大和にはここ熊襲にはない産物や、成熟させてきた畑作などの技術がある。それは熊襲にもいえることだ。双方の交易は十分に利益をもたらすだろう。だが、庇護下にまで入りたい、というのはいささか行き過ぎではないのか?
「行き過ぎじゃねえよ。そもそも、凶暴になってってるのはなにも動物たちばかりじゃねえ。俺ら人間もだんだんいままでじゃ考えられなかったような暴力に酔った行動が目立つようになってる。俺の目の届く範囲でなら抑えられているが、遠くで、ましてや舟手に入れて調子にのってるやつなんかは村々襲って金品巻き上げるぐらいのことしちまってる。」
「それが、大和を襲う熊襲の蛮族の正体、というわけか・・・。」
「そんなんじゃ交易もままならねぇし、こんなことが続けばいずれ大和は熊襲を征伐しにくる。今回は、たまたまお前だけだったわけだが。」
「だが、どうする?大和の庇護下に入ったところで、そいつらが消えてなくなるわけじゃない。むしろ熊襲にいらぬ火種を抱き込むことになるぞ。」
「なあに、大和の下に入っちまえば、自由に大和の海を行ける。俺ら熊襲をなめてんじゃねえぞ。北や西の大陸、はては南の島々にまで行ったことがある俺たちだぜ?大手を振っていけるってんなら、調子のったゴロツキどもなんざ一発よ。無論、そのために必要な根回しは、お前さんに頼むことになるけどな。」
「ふむ、なるほど。お前たちの状況や意見は分かった。それらの根回しも早晩片が付くだろう。では、正式に熊襲の民は大和に下り、その庇護下に入るということでよろしいか?」
改めて問いかけたその言葉に、クマソタケルは大きく頷く。
「おう、よろしくな、大将。勝手に話し進めちまったが、お前もそれでいいだろう、弟よ。」
問いかけられたオトタケルは呆れた表情で頷くと、
「そもそも兄がいま語ったこと、ほとんどは元々私が提言したことではないですか。私が言い出したことに私がケチをつけるとでも?」
クマソタケルはぽりぽりと頭を掻くと、ばつが悪そうに一つ咳ばらいをした。なんとか厳粛な空気を整えようとしているのを察した。いままでの空気が弛緩しきっていたから一切そんな空気など漂ってはいないが、一度拳を交えたよしみだ。ここは乗ってやらねばなるまい。
「では、ここに大和の国を治める王、景行天皇が第二子、ヤマトオグナが問う、汝ら熊襲の民は、我らに下り、我らが下で生きると誓うか。」
「おうとも、熊襲を束ねるもの、クマソタケルがここに誓う。」
差し出した手を、頭領はその大きな手で力強く握った。
「よろしくな、ヤマトオグナ。つーかよ、第二王子がこんなとこでなにやってんだ?」
「それは私にもわからん。」
その後、三人で始めた宴は、多くの熊襲の民も交えて日が暮れるまで続いた。
「そういえば、お主、名前をまだ聞いていなかったな。なんという?」
頭領が認めた相手、というただそれだけで先ほどまで敵だった国の王子を歓待してしまうほどここの民たちはおおらかで、そして頭領に心酔しているようだった。
「そりゃあ、捨てた。俺は頭領継ぐときに、
「私と兄は血のつながった兄弟というわけではないんです。熊襲梟師というのは世襲制でもないですしね。最も強いものが熊襲を纏める。それだけではなにかと不便があるので、私のようなものが支える、という形を取っているのです。」
熊襲には頭領とそれを支える者がいると聞いたが、そのようなものだったとは。
謎の鹿肉を喰らいつつ、相槌を打つ。
「それよりおめえ名前といえば、オグナって名前はどうともならんかったのか?オグナっておめえよお・・・。
「それは散々言われたよ。だが、ここに来た時私は王子ではなくただの大和の男だったからな、それでよかったのさ。」
酒を飲みほしたクマソタケルは酒臭い息を吐きだすと、あきれた声をあげる。
「ま、そんときゃそれでよかったのかもしれんがなあ。」
ああだこうだと話し続けていると、オトタケルが、酒を飲んでいるというのに全く酔いを感じさせない温和な表情のまま、話に割ってくる。
「それではどうでしょう、オグナ殿にタケルの名前を贈る、というのは。」
「そりゃあ、いいなあ!」
クマソタケルは気に入った、と大きな声を上げる。先日の宴の時にも思ったが、本当にうるさい男だ。
「だがな、タケルというのは熊襲の頭が名乗る名なのだろう?それは名乗れん。」
懸念を示す私に、いえいえと首を振ったタケルは言葉を続ける。
「タケルというのが役職の名になったのはつい最近のことです。タケル、というのは武勇に優れる者、それを讃える意味なのです。
なるほど、つまるところこれは契りなのだ。名を改め、熊襲の名をもらうことで私は、熊襲を倒し熊襲を庇護する者としての覚悟を魂に刻む。
「ヤマトオグナよ、お主にこの名を贈りたい。熊襲に認められた者、大和と熊襲、その双方をつなぐ者よ。」
「わかった。その名、謹んで頂戴する。」
「これより、私の名はヤマトタケルだ。」
少々どころでなく短めですが、ここで切るのが最良と判断し、切らせていただきました。
正直、熊襲編は直前に暗殺からプロットを変更させたので、戦闘シーン他全体的な構成が甘かったかな、と感じております。後々に加筆や書き直しを行う予定です。いつになるかは分かりませんが。