倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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休みがほちい_(:3」∠)_


第二十七話 御諸山

「────すまん、タツ。ただいま」

 

「うっ……うぅ~……ヲウスぅ……」

 

 タツの泣き顔に胸が締め付けられるようだった。私が根の国で過ごしている間、どれだけの苦労をかけさせてしまったのか。

 

「……ヲウス、その左目……」

 

「────────」

 

「ご両人、さすがにそんなことしてる暇はねえぞ、おい」

 

 粗野で荒っぽく、しかし力強い、熊襲の地で戦った強者、クマソタケルの声だった。

 

「ああ、再会の挨拶はお預けにするしかないみたいだ。急ぐぞ。クマソタケルはお葛を頼む。ワカタケヒコとタツは私が背負おう」

 

「急いで、応急処置はしたけど二人の命があとどれくらい持つかわたしにもわからない」

 

「了解っと」

 

 

 灰燼と化した(みやこ)を二人分の足音が嫌に響く。人々の活気に満ちていた通りは伽藍堂となって寂しさのみを感じさせる。よく知る都はどこにも無い。あるのは瓦礫の山と、(むくろ)だけだ。

 先の獣に弄ばれた見るも無惨な屍たちが動かぬ瞳を私に合わせ、私を責めていた。

 何故、お前は居なかった。お前が居れば、私は死なずに済んだのに。何故、お前はまだ生きている。万の命を見殺しにしたお前が、何故生き永らえている。

 死者の声は重なり合って耳朶を打つ。

 根の国での百七回の死によって私という存在は随分と根の国に拠っていた。身に付いた、というより身の一部を構成するに至っていた根の国の穢れから身を引き剥がす、すなわち根の国から脱出するということは大きな代償を私に求めた。

 黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)を越えた私には、左眼が無かった。

 眼が開かないのではない。感覚が途絶えたわけでもない。左眼の収まるべきその場所に、虚ろが存在していた。実でなく虚。存在するはずのない()()がここに存在している。私の頭蓋は後頭部まできっちりと確かに在るが、左眼窩に空いた孔はどこまでも続き、果てがない。私の体は、私の左眼があった場所を通じて根の国と繋がっていた。生きながらに死が己の中に存在する感覚。それは形容することのできない気持ち悪さだけを私に(もたら)した。ああ、確かに私はスサノヲに落とされたあの孔で死を幾度と無く経験した。しかし、それもこの気持ち悪さに比べれば何ということは無かったのだ。あの時は私は生きていたし、殺されることで死んでいた。だが今の私は生きながらに死んでいる。生者でなければ死者でもない。

 (私という体)の中に(虚ろな左眼)があり、(果てのない孔)の中に(私という存在)がある。

 私の眼は元々人の歴史の千里を傍観する瞳であった。いまも右目を通して積み重なってきた人々の歴史を垣間見ることができる。しかし虚ろとなった左目は変質し、変容し、人の死を傍観する瞳となってしまった。死を観るといっても、その昔遥か西の地にて、その目に収めたすべてのモノに死を齎した魔神の眼とは全く異なる。私のこれは、ただ傍観するのみだ。人が死したその瞬間を切り取り、永遠にその様を映し続ける。古今と東西の別無く人が死に続ける有り様、その情景を脳髄に届け続けるのだ。称えられた王が凶刃により死す様も、人の望みを叶え続けた英雄がその果てに死す様も、命を代価として争いを鎮めた一人の戦士の死す様も。王も、英雄も、軍人(いくさびと)も、民草も、人の歴史が始まってより死を逃れたモノは一人として在らず。その(すべから)くの死を私はこの左眼を通して体験していた。何を考え、何を願い、何に苦しみながら命を散らせたのか、その総てをこの全身に焼き付けられていた。

 死を観る痛みに終わりは無く、無造作に巡らせた瞳の先にある全ての死を左眼は見せつけた。

 根の国にて死を繰り返したあの時、既に私は正気というものを失っていたが、いよいよもって自身の正気を担保するための基準点を喪い、自己の連続性をも亡くしてしまった。昨日までの己と今日の己とが同一の人物であるという確証は失せ、どころか一秒、須臾の狭間にすら私は私であるという再確認なしには私は私を喪失する。もしかしたら既に私は私を喪失した後で、ヤマトタケル、或いはヲウスという個は最早この世のどこにも存在しないのではないかと疑念を持たずにはいられなかった。

 それでも、その疑念が疑念に終わり私という自我が辛うじてでも存在できていた唯一の、たった一つの理由はひとえにタツへの愛であった。

 例え己がどこまでも変質しようとも、タツをこの世で最も愛している私という個がヤマトタケルであるという、どこまでも客観性に欠ける主観的思い込みだった。偏執的なまでに主観的だったからこそ私は私という個を保ち、こうしてタツらと共に脚を動かすことが出来ていた。

 

 

「最後の結界を抜けるぞ!しっかり掴まっとけ!」

 

 視線を上げれば、そこにはなだらかで穏やかな自然を茂らせながらも莫大な神威を溜め込む霊山があった。常と変わらず緑を揺らすその山におかしなところはどこにもない。しかし、その異常のなさこそが異常に過ぎる。日ノ本の全てが黒に呑まれたいま、緑の葉を茂らせていることの異質さはこの山が尋常ではない神の山であることを如実に表している。

 

 そして、入り口として拵えたものだろう、小さな鳥居がぽつりと佇んでいた。

 脚を緩めることなく駆け抜けた。

 

「────っ、くっ────!」

 

 背中でタツが息を漏らした。

 人の世から神の世への遷移。本来ならば二度と帰れぬことを覚悟したうえで跨がねばならない境界だが、今日この日に限ってはそのようなことを気にしてはいられない。

 幸いにも誰一人として欠けることなく神域へとたどり着くことができた。

 

「おいおいこいつぁ────」

 

 神域の様子に感嘆の息を漏らそうとしたクマソタケルだったが────

 

『ふむふむ。最後のお客には随分と獣臭いのと瘴気臭いのが来たみたいだなあ』

 

「なっ────なんだァ!?」

 

 突然耳元から発せられた声に飛び上がった。

 

『うるっさいなあ。耳元で怒鳴るなよ、あと獣臭い。鼻が曲がりそうだ。温泉にでも浸かるといいよ』

 

 唐突に現れクマソタケルにケチをつけ始めたのは、手の平ほどの大きさの小人、否。神であった。

 

「そもそもいきなり驚かしてきたのはおめぇ────んぐっ」

 

「申し訳ありません。彼の不敬は私が詫びます。ですが、どうか私と彼の背中の三人を助けてはいただけないでしょうか。どうか、お願いいたします」

 

『むむっ、随分とひどい。特にそこの女人。黄泉堕ち一歩手前だ。まあ任せたまえ。おおよそ僕に創れない薬はない』

 

「ありがとうございます!」

 

「お、おう。なんだ、神様だったのか。そいつぁ申し訳ねぇ」

 

『君たち二人はとりあえず穢れがきつすぎる。正直いますぐ出てってもらいたい。でもまあそういう訳にもいかないらしいからさ、きれいにしてきてくれ』

 

 私とクマソタケルに背負われたタツ、ワカタケル、お葛の三人を順繰りに診たあと、なにやら不思議な力で三人を暖かな光で包み込んで宙へ浮かせると、()の小さな神は左手をまっすぐ下に振り下ろした。

 その瞬間、私とクマソタケルの足元には深さ十尺、幅六尺ほどの大穴が口を開けた。しかもその中はふつふつと煮えたぎる熱湯に満たされている。

 

「あ、あああああ!」

 

「あっっつぁああ!」

 

 あわてて抜け出ようにも見えない蓋が被せられているようでそれも叶わない。

 

『ゆっくり穢れを濯いでおきな。後で取りに帰ってくるからさ』

 

 そうして私とクマソタケルは正味四半刻ほどを熱すぎる温泉と顔を真っ赤にさせた髭男と過ごす羽目になったのであった。

 




かつてないほど短いんですが、なんとか投稿しないと五月一回も更新できないことになっちゃうので、申し訳ございません。

ここのところ主人公が死んだり死にかけたり死と同化したりと派手さにとっても欠ける上に面白くない展開ばかりで申し訳ない。でもラストバトルのための前段階なんじゃ……。このあと(本当は今話でやりきるはずだった)対話はさんで後はバトルだから……はい、すいません。もっと魅力的なお話作りができたらいいんですが。

次話は、なんとか七月が始まるまでには更新したいです。

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