倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第二十五話 脱出、滅びの日

 

 

 橘姫の凛とした清涼な声が一千の民衆の前に響き渡った。

 

「では、合図と同時に門を開き結界を引きます。戦士の皆さんは各隊ごとに分散しオトタケルの指揮の元足止めに専念してください」

 

「はっ!」

 

 こんな状況になってまで再びあの黒い厄災の前に身を晒すことを了承してくれた戦士たち。足止めだけ、後ろに退路を用意したとはいっても、果たして彼等の内何人が生還するだろうか。彼等のいずれもが逃れ得ぬ死をその瞳に湛えている。この屋敷へ逃げ込んだ時のような死を受け入れ諦観に塗れた瞳ではなく、生きて生きて、あがいた先できっと自分は死ぬんだろうというありのままの事実を受け入れている瞳。彼等は最後の時まで生きることを諦めないだろう。だけど多分、彼等は全員、今日ここで死ぬ。

 そうした全てを分かった上で、彼等戦士はいまここにいる。

 

 愛する者を守るため。黒い奴らに戦わんがため。自分は確かにここにいたのだと知らせるため。

 そして────死ぬまで生きるため。

 

 

「結界が出来上がったところから駆け出してください!振り返らず、ただ真っすぐに!」

 

 息を飲む。握り込んだ拳がギチリと鳴る。情けなく膝が震える。吐く息はどうしたって震えていた。

 

「いち────にの────────」

 

 それでも、わたしたちは生きるんだ。この震える息の、続く限り。

 

「────────さんっ!!!」

 

 

 

 

 

「参番隊、一名重傷二名軽傷!戦闘続行不可能です!」

 

「重傷者一名を下がらせろ!残りは陸番隊に合流!あそこの熊みたいなやつの勢いが強すぎる!」

 

「おい!次は俺ぁどこ行けばいい!?」

 

「伍番のところへ行ってくれ兄者!」

 

「おうとも!そっちは大丈夫か!?」

 

「時間を稼ぐだけならなんとかなるさ!」

 

 淡く輝く光の道。その中を駆ける約一千の民。そしてそれを守護する僅かばかりの決死の兵。獣の形をかたどった黒の輩。一つの家屋に等しい威容。振るわれる(かいな)は死神の鎌。死にたくないと勇敢に叫びながら死神の懐へと飛び込んでいく戦士達。英雄と呼ばれうる者がいるとするならば、それはまぎれもなく彼らのことだった。

 

「避難はまだ終わらねぇのか!!」

 

「王の御子息でさえ出張って避難誘導してるんだ!少しは黙って気張ってください!」

 

「ああ、ったく将来有望な王サマ候補なことでなによりだ!!」

 

 戦士達の中でも最も個の力に秀でたクマソタケルが遊撃として各地の防衛に力を添え、クマソタケルには及ばずとも大きな力を持ちながら人を使うことに長けたオトタケルが戦う者らを指揮し死ななくてよい者を死なせない。

 決死の兵と卓越した指揮によって、あと一息で崩れそうな戦線を彼等は支え続けた。

 

 

 とめどなく血を流す襤褸を纏った男と、それを背負う王の息子(ワカタケヒコ)。ありえるはずのない組み合わせはしかし、この場において誰の注目も注がれてはいなかった。雪崩がごとく駆け抜ける人々の中で崩れ落ちた男はその額に巻かれた布切れを赤く染色し命そのものであると言い換えられる血は大地へと注ぎ込んでいた。

 

「急ぐんだ……速く……!!」

 

「ふざけんな、オメェ。こんな冴えないおっさんに王子様が構ってんじゃ、ねえよ」

 

「ふざけるなは俺のセリフだ!もう見てるだけの王子様は嫌なんだ……!」

 

 食いしばりすぎたワカタケヒコの奥歯からは血がにじんでいた。だがそんな小さな血は流れゆく男の血によってすぐに判別もつかなくなる。

 

「普通に考えろ、普通に。王子様の命と、こんな奴の命。くらべるまでもねぇ」

 

「それでも!たとえ、その通りだったとしても!俺は諦めない!俺のために人が死んでくっていうなら、そいつら全部俺が守る!」

 

「はっ、そういうのはもう少し強くなってから、言え……」

 

 憎まれ口を叩く男の顔には生気こそ無かったが、死相は最早浮かんではいなかった。にやりと口角をあげたあと、静かに眠りについた。死へと繋がる眠りではなく、生を繋ぐための眠りに。

 しかし、大の男を背負った少年の足が素早く進むはずもない。まもなく列が途切れ、一千の最後尾がワカタケヒコの背へと追い付こうとしていた。

 

 最後尾とは即ち結界の最終点。結界を収めながら歩を進めるのは結界を引いた本人でなくてはならない。息も絶え絶えにお葛の背へとおぶさりながら正真正銘最後の力を振り絞り結界術を少しずつ解除していく彼女は、橘姫を置いて他にない。

 

「若様!」

 

「お葛!」

 

 最早、橘姫には息子との再会に声を上げることすらままならない。ワカタケヒコが重傷の大人を背負っているのを見やったお葛は鬼気迫る表情で無情な一言を王の息子へと告げる。

 

「若様、彼は私が連れていきます。若様は早く前へ」

 

「……ッ!」

 

 何かを言いかけて、その言葉を飲み込んだ。いくら自分が理想を抱こうとも、いま自分が弱いことは覆しようのない現実なのだ。その言葉を吐けば最後、自分は人の心を踏み躙る最低な男になってしまう。

 

「……そのお気持ちは大切です。でも今は前へ進んでください。若様がここでできることはありません」

 

「ッ……分かった。彼と母上を頼んだ、お葛」

 

「わたくしこれでも辛い状況というものがあまり苦ではないたちでして。大丈夫ですとも」

 

 ワカタケヒコは背負っていた男を一度地面に降ろす。話している時間すら惜しいのだ、一刻も早く前へ、とお葛が彼を左腕で担ごうとしたその瞬間だった。

 

「────若様ッ!!」

 

 大質量の黒い塊が薄い結界を割り砕き、彼らの間に着弾した。

 

 

 

 

 一千の移動は遅々として進まない。少なくとも、黒い化け物たちを押しとどめ続ける彼ら決死の戦士たちの目にはそう写った。無理もない。自分の命が数秒後には失われる極限状態は時の流れを引き延ばしいつまで経とうとも避難する人の列は終わりを迎えることは無い。

 避難する彼等とて一刻も早くこの場を抜け出したいのは変わらない。だが、戦場ですらない虐殺の真っただ中にいていつも通りの速さで行動できる人間は存在しない。少しでも早く地獄を抜け出そうと足を速めることがどんどんと隊列の遅滞に繋がっていく。

 それでも人の列を先導し整理しようとする者らの懸命の努力によって少しずつ、少しずつ列は進んでいく。

 彼等が地獄への遊歩道へと足を踏み入れてからどれほどの時が経っただろうか。この場にて正常な時を数えられる人間は結界の道の内側にも外側にもいない。

 

 やっとのことで道を行く者達の最後尾が見え始め、目に見えて戦士たちの頭数が減少したころ、()()は焼け焦げ黒くなった柱の上にて戦場を俯瞰していた。

 一匹の、猿の形を(かたど)った黒い獣。そいつは都へと侵入した黒き者達の中で唯一、人語を解するほどの知能を持った獣だった。家ほどの大きさを誇る黒き獣どもの中でも異質の小ささ。おおよそ等身大の黒き猿。

 混沌の黒い炎から生まれた彼等は例外無く自意識というものを持ち合わせていない。混沌より出で、混沌そのものたる彼らは自己というものを定義できない。

 しかしそこに、ただ効率よく人間を殺戮するため一つの方向性を定められていることを除いて。この猿の獣は人間を嬲るという嗜好を核として形をとった混沌の塊だった。おおよそ等身大という大きさは、家ほどの威容を誇る黒い獣たちの間にあってそれを屠らんとする人間たちに少しばかりの気のゆるみを生じさせるに十分な頼りなさであった。無理もない。極限状態で戦いながらたった一ヶ所残された王の屋敷を目指した彼等にとって、獣とは抗えぬ死の象徴となっていたのだ。そこへ容易く組み伏せられそうな等身大の獣を前にしてわずかな気のゆるみが生まれることは責められるものではない。しかし、そのゆるみによって彼等は例外無く屋敷へたどり着けなかった。

 もう少しで勝てる、生き残れると戦士たちが思いかけたその瞬間に、五体を四散させ血を撒き散らすのはこれ以上ないほどの悦楽を彼の獣に与えた。他の獣たちはただ力をまき散らして殺戮するばかりだが、猿の獣は賢かった。賢しかった。勝てると思った瞬間に目の前で仲間を殺された彼等に互いを殺し合わせる遊びを思いついた。自分の手で殺すことも大いなる快楽だが、非力な人間どもが泣き叫びながら互いの首を絞めるのを眺めるのも大変美味な快楽だった。

 そうして悪趣味な殺戮を繰り返すこと幾たびか。仕事熱心な同胞たちの甲斐あって人間どもはすべからく肉塊へと姿を変えてしまった。家という家が炎に巻かれた都にあって唯一その形を保っている大きな屋敷へと注目したのは()の猿が最初だった。そしてきれいに残った死体の臓物で宮殿と思しき館を艶やかに装飾して暇を潰していると、人間どもが屋敷を飛び出たのを知覚した。たちまちすべての獣たちが殺到するのを後目(しりめ)に猿の獣だけは監察をつづけた。

 愚かな同胞たちは考えなしに押し寄せて人間どもの抵抗によってただの一匹も御馳走にありつけていない。

 いま飛び込んでいったところで同胞と同じく死を覚悟した兵たちしか殺せない。それでは美味しくない。だが蟻の列のように蠢く人間どもを刈るには結界が邪魔だ。命を削って作り上げられたあの結界を破壊するのは兵の邪魔が入らないところでしなくてはならないだろう。だがそれは現状不可能そうだ。

 だから待った。結界が綻びを見せるとまではいかなくても全力の初撃で破壊できるぐらいにまで弱まるその時を。

 果たして、その時は訪れた。唯一無事な屋敷から吐き出され続ける人間どもの最後尾。結界を(しま)いながらゆっくりと前へ進む一際美味しそうな人間ども。御馳走を愚かな同胞に横取りされるのも面白くない。もう少しの辛抱だとわずかばかりの猶予を持って、丁度邪魔の入らなそうなところまで結界の終点が進んだところで、猿の獣は地を蹴った。

 

 

 

 轟音と土煙が立ち昇り、全く視界がきかない。突然の衝撃に頭がついていかなかった。状況は。一体何が起きた。

 けぶる砂埃の中何とか目を開けた先には、助けようとした、助けられた、あの男の無残な(はらわた)が転がっていた。

 

「うっ……クソッ、俺は、また……!」

 

 また、己の力のなさが故に目の前で命を失った。それとも或いは助けようとしたことが間違いだったのか。いいや、それだけは違うはずだ。違っていてほしい。

 

「若、様……御無事、で……」

 

「お葛!一体何、が────」

 

 視線を上げた先。自分と愛する母をその背に立つ彼女は膝を付き、血と傷に塗れていた。

 

「お葛ッ!!!」

 

「オォォ……イキ、テル。オモシロイ、オモシロイ……!」

 

「畜生風情が人の言葉を喋るんじゃない……!お前は私が殺す。我が主に指一本でも触れられると思うな───!」

 

「オマエ、モ、オイシソウ、ダ……!」

 

 

 一介の侍女風情に何が出来ようか。

 相対するのは都のありとあらゆるすべてを塵殺せしめた悪鬼が一体。

 

 気絶した母を胸に抱き、ただ呆然と戦いを見つめることしかできないワカタケヒコには、その戦いにもならないであろう戦いの結末は目に見えている────と、思われた。

 

 

 しかして予想は覆される。

 

 

 翻弄されていた。

 暴虐の(かたまり)、理不尽の象徴たる黒き獣が、翻弄されていた。

 

 人一人屠るには十分な膂力を載せた剛腕はお葛の体を掠めることすらなく空振りを繰り返していた。未来を見通しているとでも言わんばかりに獣の腕を、脚を、投げつけられる瓦礫を躱していく。

 どれだけ拳を振りかざしても掴むのは虚空ばかり。当たれば一発で目の前の女を地に沈められる。だからこそ、その一発が当たらない現状がどうしようもないほど不快だった。

 積み重なる不快感が、獣の拳をどんどんと大振りにさせていった。

 当たれば殺せる。当たれば、殺せる、のに。

 

「アァァアアァアァッ!!!」

 

 不愉快だ。不愉快なこいつは頭から股の先まで二つに裂いて、その後肉のひとかけらも残さずにすり潰してやらなければ気が済まない。

 両の手を組み、振り下ろされたその一撃は巨大な破城槌すら超える力を、しかし、大地へと振り下ろした。

 

 人間と同等の大きさのその獣から生み出された衝撃は地表を砕くだけに留まらず、地中深くの岩盤にすら亀裂を生じさせた。大地が割れる悲鳴が揺れとなって地面に接する全ての人間たちを跪かせた。しかしそこにお葛の姿は無い。破城槌が振り下ろされる寸前、大地を蹴って空へとその身を躍らせた彼女は両腕を地面にめり込ませ大きすぎる隙を晒した異形の首筋へと刃を走らせた。

 

「ア゛ア゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ッ!!!!」

 

 此度の叫びは中身が違う。先ほどまで愉悦を演出することのみが役割だったその口が苦痛の声をあげている。

 その獣には中身など存在しない。血の代わりによりよほどおぞましい黒い泥を傷口より滴らせていた。

 人間を殺すという役割を皮にして混沌という中身を流し込まれた彼等黒い獣にとって、中身の流出は存在そのものを目減りさせることに他ならない。一太刀で沈むほど雑魚ではないが、百と積み重なれば己とて倒れるであろうと黒き猿自身が把握していた。

 

「人の型を真似たのは間違いだったな、畜生もどき。ヒト相手なら、嫌というほど殺り慣れてる」

 

 お葛が黒い返り血を振り払ったその小刀はあまりにも小さく、それまで数多の人間たちを虐殺してきた獣を斬り伏せたとは到底思えない頼りなさだった。しかし、跪くのは獣の方で、それを冷徹な視線で見下ろしているのは一人の侍女だった。

 

 

「お葛────こんなに、強かったのか」

 

 一介の侍女風情が持つにしては分不相応極まりない力を何故彼女が手に入れたのか。手に入れる必要があったのか。

 

 そこにはいくつかの要因が存在するが、最も端的に表すならば、侍女とは王を守る最後の砦として存在しているからである、と言えるだろう。

 どんなに善政を敷こうとも、王とその一族はそう少なくない命の危機にさらされるものだ。それを防ぐのは兵であったり、あるいは此度の日ノ本の王であれば王自身の力であったりしたが、王が、また王の家族が危険に犯された時、兵が傍に居られることはまずない。となれば、王の命が奪われんとするその瞬間、そこに在れるのは側仕え以外存在しない。必然的に、側仕えとは命を(てい)して主の身を護る者であった。時代と場所に応じ名前は変えようとも、古今東西を通じ側仕えが主の身を護る最後の砦であったことは変わらない。

 

 しかしここに少しばかり異なった事象が存在する。

 お葛の先代の側仕えの名をお藤という。彼女はもともと橘姫の家に仕える侍女であった。だがお藤はもっぱら橘姫の家ではなく橘姫へとその忠誠心を捧げていた。それをさせたのは橘姫の人柄か、あるいは大恩ある橘姫の祖父が死に際に遺した一言か。ともあれ橘姫へと忠誠を捧げていたお藤は王となったヤマトタケルと橘姫との婚姻の際、あたりまえに告げられた、役目は終えたとして家へと戻るようにとの言葉を断り、橘姫と共に大王(おおきみ)へと仕えることを決めた。その当時王に即位したばかりのヤマトタケルには支持者は多くいたが真に信頼できる者は少なかった。特に生死を預ける側仕えともなれば、心より任せられる相手は皆無であった。彼女の忠心は厚く歓迎され、以後新築された王の屋敷の一切の差配を任されるようになった。

 そうして王と王妃、そして新たに生まれた王の子供たちに仕えるうち、お藤は自身の能力の低さに深く悔いを重ねることになる。屋敷の中はまだいい。王が一から作り上げた屋敷は不心得者の侵入を断じて許さなかったからだ。しかし、ひとたび屋敷の外へと足を踏み出せば守護の結界は意味を為さない。日に二度や三度も刺客に襲われることはよくあることだった。特にその時期、ヤマトタケルには敵が多かった。たとえ英雄としての名声があろうとも、それまでの伝統、慣習をぶち破り改革を進める()の王を良く思わない輩は掃いて捨てるほどにいた。

 数多の刺客たちは護衛や護りの符、そして橘姫の直感によってその凶刃を届けること(あた)わなかったが、お藤がヒヤリとさせられたことは度々あった。万が一、橘姫が、その子息が自らの力不足によって死んでしまったら。そうした想像を前にしてただ座していることなどできようはずもなかった。いまだ大人の仲間入りもしていない娘へ戦う術を叩き込み始めたのは若き王子がつかまり立ちもしていない頃だった。

 

 かくしてお葛は単なる侍女でなく、いざとなれば王の家族を害さんとするあらゆる障害を切り捨てられる女傑へと成長した。しかし、大の男ですら泣きを入れるほどの苛烈な訓練を彼女が耐えられたのは何故(なにゆえ)か。彼女生来の気質か、あるいは────

 

 

 

 ────私の始まりは、たぶんその理想への、焦がれるほどの憧れだった。

 

 その日、立派なことを果たした王様が帰ってくるのだと聞いていた。熊襲の併合だとか、(あずま)の平定だとか、そんな話しは聞こえてはいたけれど、どうにも他人事のようで、実際小娘だった私の世界からしてみればそれは遠い遠いどこかの話だった。母上の主様である橘姫様がどこか遠くへ旅に出ているのだ、という話は聞いていたけれど、母上の主様と王様とはなんらつながりのない事柄だと、幼い私はそう思っていた。

 普段はどちらかというと手習いさえこなしていれば放任しているといっても過言ではない母上がどうにもしつこく凱旋式を観に来いとうるさかったので、私は凱旋式を観に、というよりも母上の口を黙らせるために足を運んだ。

 式そのものにまったくもって興味の無かった私は、これはもはや必定ともいうべきだったのだが、いい場所で凱旋を観ることはできず、ひたすらに街の人々の後頭部を眺めて時間が経つのを待ち続けていた。がやがやとやかましかった群衆の声が一際大きく爆発した時はさしもの私も顔を上げ、そんなにいいものならば見てやろうとやる気になって手近な踏み台を探した。群衆どうこう以前に、当時の私はお世辞にも背が高いとは言えない身長であったので凱旋を眺めようと思ったならばなにがしかの踏み台が必須であった。どうにかこうにか卓のような台を見つけ、群衆の頭を越えその先が視界に飛び込んできたとき、まぎれもなく私は生まれ変わった。

 

 

 ただ、その王の在り方に憧れた。王の隣に立つ王妃のことも、王が人々を眺めるときのその視線に込められた想いのことも、理想に熱く燃える瞳のことも、ありとあらゆるその在り方に憧れた。人々が噂しあっていた英雄なんかじゃない。そんな言葉で留まるような人じゃない。きっとこの人は、この国を、ここにいる人々を、ここにいる誰もが想像できないような先を指し示し、その先へと私たちを率いて連れてってくれる。王の人格への感心だったりとか、王の成した業績への驚嘆だったりとか、そんな論理的に組み立てられるようなものではなく、ただただその在り方に憧れてしまったのだ、私は。陳腐な比喩を用いるのであれば、私は恋に落ちたとでもいうべきなのだ。

 恋とは言葉を並べて説明できるようなものではないのだという。であるならばなおさら、私は恋に落ちたというべきなのかもしれない。

 

 

 運命に出会ったその日の後、王に仕える方法を探して回った。王を近くで見たかった。それだけの理由で王に仕えたかった。なんだかんだの出来事があったのちに母上から戦う術を叩き込むよう言われ、その先に王への出仕が待つのであればと一切の躊躇なく頷いた。

 

 

 

 かくして血反吐を吐くような鍛錬をその身に焼き付けたお葛は表向きは母の跡を継いだ普通の侍女として、いざとなれば最後に王と王の家族を守る戦士としての道を歩み始めたのだった。

 

 身に刻み込まれた鍛錬は決して裏切りはしない。黒い猿の獣は一太刀また一太刀と傷を増やしていく。その現実に耐えることのできない猿は当たることの無い攻撃を繰り返した。

 

 幾千の人命を奪った黒き獣を、鍛錬を積んだとはいえ一人の女がここまで善戦しているのには理由がある。

 まず一つ、他の黒き獣と違いこの猿の獣はおおよそ等身大であり、膨大な質量とそれに付随する膂力でもって粉砕する手段を持ち合わせていなかったこと。

 お葛という人間が人の動きを熟知し、的確にその隙を突ける技量を持っていたこと。いくら人語を操るほどの知能を持っているといえど、形が人型であるならば人の動きに縛られる。人のような動きしかできはしない。そうした人の動きをこそ、お葛は得手としていた。彼女は都の多くの戦士が得意とする対怪異戦ではなく、対人戦に特化しているのだから。

 それまで猿の獣が戦ったのが、都が唐突に火の海に沈んだことによる混乱の最中、更に平静さを欠かせた、いわば弱まった人間しか相手にしてこなかったこと。

 

 つまるところこの黒い猿は、人の強さを知らなかった。

 

 

「アアァアアァ!!」

 

「どうした、畜生もどき。最早人の言葉を真似ることもできなくなったか?」

 

 分かりやすすぎる左腕の振り下ろしを半歩横へずれるだけで躱し、相手の突進を利用して胸に深々と刀を差し込む。再び黒い鮮血が宙を舞い、また一つ猿の刀傷が増える。

 

「そろそろ倒れろ、畜生もどき」

 

「アアァア……」

 

 最後の一撃とばかりに繰り出された右腕をそれまでと同じように躱し、終わりの一撃を叩き込もうと────

 

「お葛ッ!!!」

 

 ワカタケヒコの叫び声。

 

「アァァ──。」

 

 獣の漏らした喜びの言葉。

 

「────────え?」

 

 そして自らの胎を貫く、()()()()()()()()()()()()()獣の腕。

 

「────ぁ。」

 

 視界がゆっくりと堕ちていくのを、私はどこか現実味の無いまま感じ取っていた。

 

 





今回ちょいと長めでした。というかもっと更新早くしたかった。次こそは、次こそは!

関係ないですが、ロードエルメロイ二世の事件簿七巻がちょいと前に出たじゃないですか。
空の境界の20周年記念のハードカバー版も出たじゃないですか。
Fate/EXTRA last ancore も放送されてるじゃないですか。
ついでに言うと魔法使いの夜も最近amazonで買っちゃったじゃないですか。

みんな積んでます。はい。ごめんなさい。時間できたらみんな読みます見ますやります。

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