倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第二十三話 一〇〇〇人

 

 

「クソッ!まだか!まだなのか!」

 

 一人、根の国から地上への道を駆ける。

 変わらぬ景色の中、スサノヲが告げたことが脳裏によみがえっていた。

 

 

 

「そう間を置かず、日ノ本はミシャグジと成り果てるだろう。」

 

「それはどういうことだ!」

 

 日ノ本が、ミシャグジと成り果てる。我等の暮らす、あの国が、あの大地が、東の山奥で見たあの醜悪な怪物に呑み込まれる。そこに、命の形はあるのだろうか。人の営みはあるのだろうか。愛する家族は、作った街は、心やすまる自然は、あるのだろうか。

 いや、きっとそこには何もありはしない。全てが混沌の渦に巻き込まれ、彼我の別すらつかない沼の中で何にもならずにただ融けるのだ。

 

「こいつを掴むのに随分と時間を食っちまった。後手後手だよ、俺らは。俺にできたのはせいぜい弱った魂を根の国に保護することぐらいだ。」

 

「魂の保護・・・だと?いたずらに人々を殺しただけではないのか・・・ッ!」

 

 わかっている。それ以外に方法が無かったことも、それが最善の道であったことも。ミシャグジに喰われれば魂は混沌に呑まれ消失する。だが、根の国へ赴く死であるのなら、魂だけは助かる。

 八つ当たりだ、これは。何もできず自らの民を死に追いやった私の不甲斐なさを、目の前の男に当たり散らしているガキだ、私は。

 

「許しを乞う気は無い。必要なことだったからした。だがそれも地上がミシャグジに食われ尽くしたら意味はなくなる。だから、お前をここへ呼んだ。霊格を高め、真の剣の扱い方を教えるために。」

 

 ドクリ、と胸の中の剣が震えた。常に腰に提げていた剣は己の体と一体化し、既にそこにはない。おそらく、抜こうと思えばいつでも解き放つことができる。

 いままでの自分はただ天叢雲剣の形代(かたしろ)を振るっていただけだった。だが、死と蘇生を繰り返し、真に神剣を振るえるぐらいにまで私という存在の格を高め、そして大地の怒りを飲み干したことで天叢雲剣という剣は私の存在の一部になった。

 天叢雲剣はこの世界に存在する剣では無かった。形而上に存在する天叢雲剣を地上に降ろした形代が、天叢雲剣と呼ばれていただけだったのだ。ただの形代が凡そ葦原の中ツ国に存在するすべての武具を上回るというのも凄い話だが、真の使い手となったいま、天叢雲剣という剣の凄まじさは恐らく私が最もよくわかっている。

 数多の命を一瞬で奪い去る、いかなる抵抗も許さない大いなる災厄を、一振りに押し込めたのが、この剣。

 形代ですら宮に納まりきらなかった。ただの凄い剣なんて括りに納まるようなものではないのは当然だったのだ。それを知らずに自分は神剣を振るっていると思い込んでいた。

 

「・・・行くか。」

 

「立ち止まっている暇などない。そう告げたのはあなたでは無かったか。」

 

「────ひとつ、言っておく。お前、根の国(ここ)で何回死んだ?随分と馴染んでるぞ。お前なら出られねェとは思わねえが、覚悟して帰るこった。」

 

「────わかった。さらばだ、スサノヲ。」

 

 後ろに誂えられた戸口へと飛び込む。足が何かを掴み、迸る膂力に任せて走り出した。

 

 背後で「頑張れよ」と。そう、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

「熊襲第三結界、反応、消失しました────。」

 

 大の男が膝を付き、崩れ落ちる音が嫌に響いた。各地との連絡を司るはずのこの部屋は、その役割に見合わぬはずの静寂に、満ちていた。

 

「全拠点、陥落──。都(みやこ)を残し、日ノ本すべての民は、死亡、しました────ッ」

 

 もう、遠く連絡する相手など、この国には残されていないのだから。この日本列島において、都以外に火が灯っている場所はもう、無い。

 

「クソッ、クソクソクソッ!!!!なぜ、なぜだ!!どうして私はッ、ここで見ていることしかできないッ!!」

 

 騒動の途中、都との連絡員として派遣されてきた熊襲の頭領の片割れ、オトタケルの慟哭が狭い室内に木霊する。

 自らの家族も、友も、同僚も、父祖の眠る墓も、思い出の場所も、そして敬愛する兄も、全てが呑まれる様を見続けることしかできなかった彼の絶望と自身の無力さへの怒り。

 そして、その絶望と怒りはこの場にいる全員が抱え続けてきたものだった。

 日を追うごとに連絡が途絶する街々。避難民を受け入れ日々の交易もままならない閉鎖された都に漂う昏い空気。明るい出来事など遠い昔にしか思い出せず、最後に笑ったのはいったいいつのことだったのか。

 

 伊勢の陥落から僅かに二週間。たった半月の内に、日ノ本は滅ぼされた。まだ都は残されている。偉大な王という逆転の芽もある。だが最早、どうしようもない。どうあがいてもここで死ぬ。

 

「────都(ここ)の結界は、どれくらい持ちますか。」

 

「え、あ。結界の規模を考えても、残るはここだけですから向こうも全力を投じるでしょうし、もって四日、でしょうか。」

 

 四日。それが日ノ本に残された残り僅かな人間たちの余命。王妃橘姫の質問は、これ以上ない残酷な宣言を彼らに齎した。

 これから、どうするのか。死の時を諦観と共に迎えるのか。来るかもわからぬ王の帰還を待つのか。何か、この絶望をすべてひっくり返す都合のいい何かを見つけ出すのか。

 そんなあてどない夢想に囚われかけた時だった。

 

 

「──!?結界内に侵入者!」

 

「もう結界を破壊された!?」

 

「いえ!結界そのものが堕ちたわけではありません!修復可能な小さい傷と共に侵入が確認されます!」

 

「クソッ、こんなこと、いままで無かったぞ!?」

 

 それまですべての都市は結界が破壊されると共に丸ごと炎に呑み込まれ消失した。だが、今回のような小さな侵入者などというものはいままで無かった。

 

「とりあえず、私が氣を注いで結界を修復、補強します!術師、兵は部隊ごとに集中し侵入者を各個撃破して!解析班は早急に侵入者の正体を特定!急いで!」

 

「了解しました!」

 

 橘姫が部屋の陣へ立ち、持てる氣を注ぎ込んで破孔を塞ぎ、新たな孔が開けられないようさらに強固に結界を補強していた。時間と共に彼女の額に浮かぶ汗は多く、息は荒々しくなっていく。いくら膨大な氣の容量を持ちさらにそれを受け渡すことに特化している彼女とて、そうやすやすと都の民全員で維持しているようなこの結界を一人きりで補強できる訳がない。

 また、報告される都への侵入者の情報もまた彼女から余裕を奪い去っていった。

 

 都へ侵入したのは十二体。姿形は様々だが、いずれも体表が黒く覆われていた。

 そしてそれらは結界を破壊するために非常に効果的な手段を用いていた。即ち、結界の力の源、都の民を虐殺していたのだ。

 日ノ本の誇る都の術師、兵、彼らが総力を持って討伐できたのは恐らく侵入したものの中でも下級の三体のみ。内一体は橘姫ら都の中枢部に向かってきたのを怒れるオトタケルによって数多の刀傷と共に討伐された。

 だが、調子が良かったのもそこまでだった。一流の訓練を積んだ兵士たちですら良くて足止めをすることしかできず、彼等が蹴散らされた後には老若男女の別なく全ての命が失われた。

 次々に殺されゆく勇敢なる兵士たち。区画ごと塵に変えられた人命。切れかけの意識をつなぎ留めながら必死に指示を出す橘姫の顔色は、積み重なった疲労と脳裏に響く友人たちの断末魔によってみるみるうちに土気色となっていった。

 

「東はもうダメだ!あそこに生きてる奴は残っちゃない!」

 

「中央に兵を回してくれ!陣形がもたない!」

 

「民を早く脱出させよう!これ以上都に留まっていたって全員殺されるだけだ!」

 

「逃げるったってどこにだよ!」

 

 都はまさしく、地獄だった。

 悲鳴と怒号が酷い耳鳴りのように耳の中にこびり付き、どこからか上がった火の手が瓦礫となった家屋を蹂躙し果ては橘姫たちが詰めていた宮の一角にまで及ぼうとしていた。

 彼女たちが死ねば、その時都は終わる。目減りしていく命の数が、それでもいまだ尽きていないのは、まぎれもなく彼女たちの力によるものだった。

 生きるために、民を護るために、都で最も強固な護りを持つ王の屋敷へと彼等が逃げ込んだのは、黒き怪物たちが侵入してから僅か一刻も経っていない時だった。

 

 

 王の屋敷は、多くの避難民と傷を負った都の民たちで溢れかえっていた。うめき声がそこかしこから上がり、こと切れた子を抱く母の嘆きが神経を揺さぶり、体が無事であっても心をやられてしまった男の不気味な笑いが正気な者をそちら側へと誘う。

 そしてそれらあらゆることに、誰も心を割いてはいられなかった。

 

「・・・生きてる者は、ここにいる者で全部か」

 

「外じゃあもう生きちゃおれんですよ。みんな、やられちまった。」

 

「千と少し、それが日ノ本に残された人間のすべて、か。」

 

「本当にもう、終わりだなぁ。」

 

 踞る人達を掻き分けて、とある一人の女性が自らの支える主の下へと駆けていた。

 

「姫様ーッ!橘姫ーッ!」

 

「ああっ!お葛!!!無事だったんだね!」

 

「姫様こそ、ご無事でなによりです。申し訳ありません、独断で御屋敷を開放させていただきました。」

 

「ううん、ありがとう。お葛がこうしてくれなかったらここにいたのはもっと少なかった。本当にありがとう。子供たちは無事?」

 

「はい。皆様ご無事です。ですが、ご長男様が────」

 

「母上ッ!!」

 

 ちょうどその時どすんと橘姫の腰に飛び込んだのは、長男ワカタケヒコだった。

 

「よかった・・・ッ!母上が、生きてて・・・」

 

 声を圧し殺し震える彼の頭を、母の柔らかな手がゆるりゆるりと撫でる。

 

「タケが無事でよかった。」

 

「俺・・・俺、何も出来なかった。父上の息子なのに、王の跡継ぎなのに、友達が死んでくのを、見てることしか出来なかった・・・ッ。俺は、俺はなんも出来ない。父上の、息子なのに。」

 

 震える肩を撫でる彼女の声も、いつの間にか震えていた。

 

「ごめんねぇ。わたし、お父さんみたいに頼れなくって。いっぱい、いっぱい、死んじゃった。わたし、わたしっ。」

 

「────姫様、あまり御自分を責めないで下さい。姫様は出来うる最高の手立てを講じました。一度お休みになって、それからにいたしましょう。」

 

 気遣わしげなお葛の言葉に、しかし、彼女は涙を拭って前を見る。

 

「ありがとう、お葛。でも、休んでる暇なんてない。みんなの命、わたしに懸かってるんだから。お葛、屋敷に避難してきた人の中で知識のある人達を奥の間に集めて。途中ではぐれちゃったけど、宮の人もいくらかいるはずだから。」

 

「姫様───。はい、分かりました。では早速。」

 

 痛ましげな顔は、いまは見せるべきではない。我が主は、気丈に振る舞わなくてはならないのだ。彼女が絶望に身を沈めれば、ここにいるすべてのものが沈む。

 無理矢理にでも顔を取り繕って、主命に従うことが、従者の務めなのだから。

 

「そいつぁ、俺も手伝っていいのかな?」

 

 そこへ、見知らぬ男の声が響いた。

 





先週は更新できなくて申し訳ありませんでした。
Fate/Grand Order 第二部までの完結を目指してますが、出来るか...?頑張ります。
次回こそきちんと次の日曜日中に更新したいと思います。

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