やはり深夜に焦りながら書くのはよくないです。なのに今週も同じ轍を踏んでしまった・・・。来週こそ日中に投稿を目指します。
私は、顔を知らぬ母の胎の中、いまだ自我すら芽生えぬ魂だけの頃、この瞳、時の千里を見通す瞳を開いた。そして、美しい美しい時の河を観た。
未だ現世へ産まれ出でていない体は容易に過去を未来を眺めていられた。
永い時の流れの中で、人々が積み重ねてきた歴史の河。その光、その輝き。どんなに美しいと称えられる事物よりも遥かに美しい、愛おしい景色。
そんなものを、観てしまった。産まれてすらいない無垢な魂が、そんな美しすぎる光景を観てしまったのだ。
全てを忘却の彼方へと捨て去ろうとした。だが、いくら忘れようとしても、完全に忘れられぬほどに美しかった。それだけのこと。
私が母の命と引き換えに兄と共に産まれ出でた時、少し歪に曲がった魂は世界の有り様に驚いた。
あまりにも違っていたから。あのとき観たあの景色と、目の前に広がる光景に。
その差異を認め、受け入れて、自我というものに目覚めるまで私の魂は二年かかった。
あまりにも違うその光景と、僅かに捨てきれなかった未来の景色と、それを合致させ受け入れようとした私は、私自身を未来の記憶を持った者だと思い
未来の視点を手に入れたと思い上がった愚か者は、兄を殺し、養父を殺し、父を視界から排除し、愛した者さえ傷付けた。そして、それら全部に気付かないふりをして蓋をした。
「それがお前だ、ヤマトタケル」
奴の足が、近づいてくる。
「安心しろ、この剣は切れ味がいい。人が死ぬことのない根の国であっても、貴様一人殺しきるぐらい、簡単なことだ。」
地に線を刻みながら、紅い切っ先がゆったりとこちらへ寄ってくる。あれが目の前に迫った時が、私の死。
「貴様の間違った生は、ここで断ち切られる。それですべてはあるべき姿へと戻る。」
ああ、確かにお前は怒りそのものだ。伊勢で初めてお前を手に取った時、全身を駆け巡ったあの鮮烈な怒りを忘れたことは無かった。
だが、それは指向性など皆無の、ひたすらに周囲に怒りをまき散らすだけの、自我など生まれるはずもない怒りそのものだった。
それがこうして目の前で一つの人格を取っている。そこには必ず理由があるはず────
「貴様は我に殺されろ、ヲウス。」
────そうか、お前は私の怒りだったのか
奇妙な静寂がそこにはあった。
紅い剣を携えた紅い髪の男と、跪き首を垂れる壮年の男。
「さらばだ、ヤマトタケル。」
紅い穂先が地より離れ、毒々しいまでの輝きが真っすぐに目の前の男へと向けられる。
その先にあるのは、一人の男の死、のはずだった。
「なッ──!?」
肉を引き裂き骨を断つ音がにわかに反響し、続いて大きな雫が地を赤く湿らせる。
一撃の下に首を断つはずだった一振りはしかし、男の胸を深々と貫いていた。
「残念だったなァ・・・ここじゃあ人は死なんのさ。」
「何を言っている!」
途切れなく溢れ出る血はそっくりそのまま貫かれた男の命を現しているようで、時と共に流れ出るそれは消えゆく命の行く末をまざまざと見せつけていた。
「お前に殺されるわけにはいかない。お前は、私の怒りだったんだ。私が忘れたことに対する私の抱いた怒りだったんだ。手前の怒りに殺されたとあっちゃあ、息子に面目が立たないからな。」
ただの怒りが自我を抱くはずがない。そこには核となった何かが存在するはずだ。男が日々振るい、心を注ぎ込んだ剣は、男の心の有り様を写し取っていた。表の人格が気付かない怒りすらそのままに。
剣の本質は怒りだった。注ぎ込まれた最も新しい使い手の怒りはとある英雄神の与えたきっかけと共に大きく成長し、一つの自我を得るまでに至ったのだ。
意志を持った怒りの向かう先は決まっていた。核となった怒りの矛先、すなわち自分自身へと。だから、殺そうとした。
「それに気付いたところでどうする!貴様は我に貫かれ、ここで死ぬ!」
「いいや、死なないさ。お前は私が抱いた怒りだ。なら、私が全て背負うだけのことさ。」
「何を馬鹿なッ!」
そう、馬鹿な話だ。紅髪の男がいまにも死なんとしている男の感情を核として生まれたものだとしても、既にその身は剣が内包していた怒りと同化している。
燃える山、全てを呑み込む濁流、押し寄せる海嘯、降り注ぐ炎。大地が産んだ大いなる災いそのもの。天災とは大地の怒りである、と当て嵌められたから怒りの名を取った、大地の一側面。
それが、
大地の怒りを一人の人間が引き受けようというのだ、馬鹿な話に他ならない。
「大地の怒り、ね。私はこの大地を治める王だぞ?それぐらい腹に収められないでなんとする。」
胸に深々と突き刺さった剣が脈動する。止まりかけの男の心臓と同期する。
「そいつは私の怒りだ、返してもらおう。」
「あああぁあぁああァ!!!!」
大きな鼓動が一つ、虚ろな世界に木霊した。
そこに立っていたのはただ一人の男のみ。紅髪の男も、紅い剣もそこには無く、地に染み込んだ赤い跡さえ残されてはいなかった。
「ッ・・・ぐッ・・・・。」
音を立てて地に倒れ伏す。噴き出す汗が砂埃に塗れた服を重たくしてゆく。己の体を駆け巡る怒りの奔流。以前伊勢にて剣を手に取った時とは比べ物にならない。
あの時はただ握ることを許されただけ。だが、此度のこれは終わること無くひたすら全身を怒りで染め上げてゆく。己の心すら染め上げられた時、この体は大地の怒りを具現化させる一端末へとなり下がる。地割れだとか落雷などと同じく、破壊と災厄を齎すだけの存在へ。
なんせ腹に収めてしまった身だ。いまさら吐き出すこともできない。私の心の一端を媒介として全身と一体化したこれを再び分離させることなど出来はしない。
「ハッ・・・ハッ・・・フゥッ!」
たかが大地の怒りがなんだ。やるべきことがある。為すべきことがある。守らねばならない者達がいる。
「オオオオオォッ!!」
力の入れすぎで何処ぞより血が噴き出たようだったが、気にするほどのことでもない。
「よしッ!!」
前を向く。脚を踏み出す。この身体は私の意志に従って動いている。そして。
「おう、お疲れさん。
「スサノヲ・・・!」
全ての元凶であるはずのこの神はひとつ物憂げなため息をつき、胡坐をかいて座っていた。
「
「熱田との連絡途絶!都市連結結界の引き直しの用意を!」
「まだ熱田が墜ちたと決まったわけじゃない!余剰になってる氣を連結結界東部へ集中させて!」
「駄目です!熱田都市結界もう保ちません!一刻も早く連結解除を!こちらまで飲み込まれます!」
「ッ・・・!連結、解除。術師は早急に結界の引き直しを。」
「了解!」
拳を打ち付ける音が狭い室内に響く。だが、それすらも唸りを上げる結界によってかき消された。
「ごめん、なさい・・・っ。ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。」
震える肩を抱く者はいない。そんな余裕、ここにいる誰にも存在しないのだ。
甘さにかまけたその時、そこは地獄と変わる。最善を尽くすしかない。最善を尽くし、地獄がこちらへ届くまでを数舜遅らせる。その数舜が何を変えるのか。それはまだ、誰にも分らない。
「アァア゛ア゛ア゛ァ゛ア゛■ア■■■■■!!!!!」
「助けて!助けて!助け」
赤子の泣き声。断末魔の絶叫。消失した右腕を探す男のうめき声。己の内側から焼き爛れる苦しみにのたうつ叫び。黒い炎に巻かれ崩れ落ちる家々。逃げきれなかった畜生共が倒れ伏す。無謀にも死へと牙を剥いた妖が何の残滓すら残さず消失する。
そこは、まさしく地獄だった。
街を護る結界が効力を失ってわずか半刻にすら満たない僅かな時の内に、この街は地獄へとその姿を変えた。
結界がいまだ力を保っていた頃に死ねた人間は幸せだろう。なにせ、死したとしても魂は、魂だけは根の国へと赴くことができたのだから。だが、この地獄で死んだ者に行く先など存在しない。例外無く黒い炎に覆われ、何一つとして世界に痕跡を残すことなく、消失する。
次へと繋ぐ魂も、後に遺した想いも、作り上げた功績も、全て燃やし尽くされる。
それからさらに半刻。地獄は去った。しかし、そこに残されたものは何も無い。何も。何も。
全てを黒が攫っていく。次の獲物はどこだろう?東か、西か。一枚一枚外から剥がれるように結界を失っていくこの国で、最後に残るのは────
「
「歪さ・・・?」
急ぎ大和を覆う死を止めろと詰める私の言を放置し、目の前の神が言い出したのは、そんな言葉だった。
「それは、龍脈のことか?」
「ああ、それだ。地上、葦原の中ツ国が人の世になってもう随分たつ。だってーのにこの、あー、日ノ本っつったか?日ノ本の龍脈は暴れすぎてる。とっくに純粋な力の奔流になってるはずなのにだ。多分、大陸の方では龍脈はもっとおとなしいんじゃねーか?人が利用できるくらいにはよ。」
「ああ、そうだ。だが、それとこれと何の関係がある?」
しかしスサノヲは私の質問を意図して耳に入れない。
「日ノ本だけそうなのは何故か?それは日ノ本が元々違う存在として世界に生み出されたからなのさ。」
遥かな太古、地球という巨きな生命は自身を脅かす外からの侵略者を多いに恐れた。それに対抗するだけの力を求めた。しかし、そんな力ある生命はその当時、地球には存在しなかった。だから、生み出した。
だが、星の尖兵として生み出された日ノ本という龍には問題があった。それは生命として生まれてしまったが故の欠陥。その身の内に、己が命を食い潰す癌を発現させてしまったのだ。己より生まれ己を死へと追いやるその癌を殺すため、龍は手段を講じなくてはならなかった。そうして龍の因子を濃く受け継いだ、癌を殺すためだけの存在が生み出された。
やがて龍は遊星の墜落と共に役割を終え眠りにつき、癌はミシャグジと呼ばれるようになり、癌を殺すため生み出されたそれは八岐大蛇と名を変えた。
「俺が葦原の中ツ国を始めた時、地上はとても住める場所じゃなかった。大地の力が強すぎた。人や人と共に生きる神が過ごせる場所じゃなかったからな、八岐大蛇は殺した。サクッとな。」
「そんなことして大丈夫なのか!?日ノ本の摂理を司っていたんだろう!?そやつは」
「でもなあ、あいつ殺さないとそれ以前に人も神も生きていけなかったし。でも八岐大蛇の役割は必要だったから、
どくり、と。己の体の裡に飲み込んだ剣が震えた。
「いま手前の中にある剣はその時はいまみたいに大人しくなくてなあ、下手するとまた蛇の形とって復活しそうだったから普段は天照(姉貴)んところ押し付けて必要な時だけ借りてたんだわ。そんでしばらくは剣使って沸いてくる変な黒いの叩き潰したり世界作ったり嫁さんとイチャコラしたりしてたんだが、大国主の野郎が出て来たんでな。ちょうどめんどくさくなってきてたしあいつに諸々全部押し付けてこうして根の国で隠居してたってわけよ。」
「最後適当だな!?いいのかそれで!?」
「あー、まあ普段から剣の使い時とかは姉貴に任せっきりだったしなあ。大国主の奴もちゃと沸き出た黒いの叩いてたみたいだしいいかなーってな。」
「・・・。それで?その話と現在の日ノ本の死と何の関係が?ことと次第によってはお前を斬る。」
その言葉にスサノヲは失笑を返す。面白くない冗談でも聞いたかのように。
「焦りすぎだぜ、いまの地上の王サマよ?大国主から姉貴の手に地上が渡った時はそれはそれでいいと思ったし、人が世界を治める時代が来たんなら俺たち神々の出番もねぇかなぁなんて考えてた。人の世になれば当然、日ノ本の龍の力も弱まってくと思ってたんだな。だが、龍の存在ってのはそんなに甘くは無かったみたいでよ、眠っちゃいるがぴんぴんしてんの、あいつ。だからその身から生じるミシャグジの奴も当然元気な訳で。でもそん時には地上はもう人の世界だったからな、俺たちが軽々しく出しゃばっていい時代じゃ無い。特に俺や姉貴みたいなのが本霊を地上に降ろしたらどうなるか、なんて分かりきってるからよ。引き籠りのツクヨミにも頼んでどうにかしようとしてたんだが・・・。ミシャグジがここに来て一気にその勢力を増し始めた。なんとか誤魔化しながら地上に出て、ちょいと奴の力を削り取ってはみたが全然ダメでな。削り取った方には一応、対になる蛇の因子埋め込んだから普通の災害程度にはなったはずなんだが。」
「東の紅眼の大白蛇はお前の仕業か!!」
「あれ殺しきるには力も時間も足りなかったんだよ。むしろそのまま放置してたら準備も何もしてないあの時にこうなってたかもしれないんだから感謝して欲しいよ、まったく。」
「おい、待て。こうなってた、とはどういうことだ・・・?」
スサノヲが口を抑えた後空を仰いで目を覆う。ただ事でないことは明らかだった。
「全部説明しきってから言うつもりだったんだが、そうだな。端的に言うと、だ。ついさっき、ミシャグジが動き出した。そう間を置かず、日ノ本はミシャグジに成り果てるだろう。」
また日曜24時45分投稿となってしまいました。申し訳ありません。
次話投稿はしっかりしたいと思います。