倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第二十話 伊勢が沈む日。

 

 毒蛇に牙を突き立てられて死ぬ。蘇る。

 

 ムカデに肉を食い漁られて死ぬ。蘇る。

 

 毒蜂に骨肉をはぎ取られて死ぬ。蘇る。

 

 

 ヤマトタケルは死んでは蘇り、蘇っては死ぬ。

 

 「死」という概念は全ての生物に組み込まれていながら、いま生きる全てのものがそれを知ることは無い。だというのに、知りもしないその「死」への恐怖を、人間が克服できたことがあっただろうか。知らないからこそ恐れ、遠ざけんとするのかもしれない。それでも、その「死」の正体が生易しいものであるはずもまた、無い。

 体の末端よりいまだ意識ある脳髄へとじんわりと侵食してくる「死」の感覚は、筆舌に尽くしがたいほどの恐怖をヤマトタケルに抱かせた。己という存在が消失するその感覚を実感として味わうことの恐れは、魂の上げる悲鳴を聞いたものにしか分からない。

 それを幾度となく繰り返す。

 例えようのない喪失感より戻った先で待ち受けるのは、ひたすらの苦痛。毒液に肉体を犯される激痛。眼球を食い破り脳内を音を立てて這いまわる蜈蚣(ムカデ)の音。毒蜂が大きすぎるその顎で先ほどまで動いていた人差し指を食いちぎり、目の前で肉団子へと加工される光景。

 最早ヤマトタケルにとって生きることこそが苦しすぎるほどの痛みであり、ある意味心地いいとすら思えてくる死は、救いに他ならなかった。

 

 

 だが、そんな中で、ヤマトタケルが死に抗わなかったことは無かった。生にしがみつかなったことは無かった。

 

 どんなに苦しい生があったとしても。どんなに心地よい死があったとしても。たとえ何もせずともまた蘇るのだとしても。そんなことは関係無い。

 

 幾度の死を乗り越えて尚、瞳に灯る燈火は陰りを知らず。

 

 死ぬたびに己が体を造り変え、より強く、より硬く、より強靭な体に作り変えていく。それはさながらさなぎの中で一度どろどろに融け、体を再度構築する蝶のように。ヤマトタケルの体はその極限状況で、およそ人界に生きる者には不可能な、あるいは不必要なと言い換えられるかもしれない変化をもって、人の枠を外れた体を手に入れようとしていた。

 

 変化は肉体だけには留まらない。むしろ、人の身に余る肉体は、人の精神では操れない。必然ともいうべき変化が、その精神にも巻き起こっていた。

 当然といえば当然の話で、魂は幾度も死を乗り越えられるような造りをしていない。一度きりの死ですら魂には過大な負荷をかけ、次第によっては大事な何かを破損し悪鬼悪霊の類へと堕ちることさえある。

 その死を、無事でいられるはずのない苦しみを、例えようのない虚ろな痛みを、生まれ持つ三貴神が二柱の因子と気合と根性などという朧気なもので耐え抜いたその魂は彼の中の強気思いと共に格を上げてゆく。

 肉体が死を経るたびに人外へと変異していくのに合わせ、魂もまた人ではない領域へと踏み込んでいった。

 

 いまだかつて、そして遠い未来においても実現されたことのない死者の蘇生。ことここに限ったものではあるものの、繰り返しの蘇りという試練はヤマトタケルを人類未踏の地へと足を踏み入れさせた。

 

 

 死に続けること百と七回。

 その果てに、ヤマトタケルは死そのものであるそれら毒蟲たちを退けるに至った。この縦穴の中に限った話だが、ある意味でいえば死を超越したと言えるのかもしれない。

 

 

「これは・・・。」

 

 死の循環を乗り越えた彼の体は、以前とは全くもって異なっていた。握られた拳は有り余る力をその身に伝え、いつの間にかに上昇していた霊格は比べ物にならないほどに滑らかに世界の変革を可能としていた。

 生まれついての才覚、神の血。生まれ落ちてから積み上げ続けた修練。人の身に与えられうる力のほとんどを極めた彼が、人の身を超えるきっかけを与えられた。苦痛に過ぎる試練を乗り越え、それに見合った報酬を手に入れた。

 

 己の力を確かめるように縦穴を昇ってゆく。術を受け付けなかった縦穴の大気は従順に足場へと変化し、それを踏みつける脚は軽やかに体を空へと躍らせる。

 

 

「これは、すごいっ!」

 

 体が軽い。少し前までの私は重い重い水底に沈んでいたかのようにさえ感じる。

 死んで蘇っているうちに時間感覚などはとうに消失していた。かなりの時間落下し続けていたはずだが、四刻ほど駆けると懐かしい色どりが頭上に見え始めた。

 

 この辛気臭い縦穴から抜け出して、あのスサノヲとかいう神様をぶっ飛ばして、これ以上大和の民を根の国へ連れて行かせなくする。話した感じからして、粗暴ではあるが短慮ではないと感じた。何の理由もなく人を大量に殺すやつではない。とりあえずやめさせて、話しを聞かなくては────

 

 そう、思いながら登りきった先にいたのは、粗暴な英雄神ではなく──

 

 

「待ちくたびれたぞ、小童(こわっぱ)。」

 

 

 ──紅髪の美丈夫であった。

 

 

 

 

一方その頃、地上・伊勢にて。

 

 

「おい、どうなってるんだ。神様の結界、なんかバチバチいってないか?」

 

「あそこの神様に何かあったんじゃないか?」

 

「お山の姉さんも最近下りてきてねえしなあ。」

 

 非日常の出来事と、無意識ながらも結界の先、東の地からの尋常ならざる気配を敏感に感じ取った伊勢の市民たちは不安を募らせていた。結界の異常は民の生活に直結する。腕利きの術師が様子を見に行こうと立ち上がったその時。

 

『みな─さん。みえ──ますか?』

 

 伊勢の空に映し出されたのは、その地を守護する神の巫女。倭姫命(ヤマトヒメのミコト)であった。朧気ながらも映し出されたその顔には滴り落ちる汗と虚ろな瞳、濃く刻まれた隈。誰が見ても体調が優れているようには見えず、いままさにこと切れようとしながらも、懸命に、ただひたすらに言葉を紡いでいるように見えた。

 

『一刻も早く──この街から逃げてください─もうすぐ─この街は沈みます──乗れるだけの人は船に──歩ける人は山を越えて西へ─都へ向かってください──一刻も早く───逃げて───逃げ────』

 

 映し出された映像。鬼気迫る声。とうてい信じることのできない話。そして本当にこと切れてしまったのでは、と感じてしまうほどに虚空に紛れて途切れた最後。

 

 茫然と立ち尽くしていた彼等も、術式の最後のひとかけらが空へ溶けていったのを見届け、我に返る。

 

「おいどうしよう!避難しろだってさ!」

 

「街が沈むってどういうことだ!?」

 

「都に逃げるつったってどうしたら!」

 

 

「落ち着きない馬鹿ども!!!」

 

 混乱に陥りかけたその時、銛を肩に担いだ一人の女性が発した一声は浮足立った彼らの意識を引っぱたいた。

 

「男衆は船の準備!女たちは荷物をまとめな!男衆は手が空いた奴から家まわって荷物を積み込みな!余計なもんまでもってく余裕はないよ!明日生きるのに必要なのだけ持ってきな!ぼさっとしてないで動け動け!」

 

「は、はいっ!」

 

 彼女の指示を聞き終えると、彼等は一斉に動き出した。

 

「まったく、こういう時に動けない男はダメだね。肝が据わってない。」

 

「おまえの肝の太さにゃ大抵の男は負けるさ。」

 

 後ろで一部始終を見ていた彼女の夫は、よく焼けた肌を日にさらすとぐるぐると肩を回す。

 

「今朝は早くから海に出て疲れてるんだが、そうもいってられんなぁ。」

 

「ぐずぐずいってないであんたもさっさと行きな!船主がいなくて誰が船動かすってのさ!」

 

「あいよー。」

 

 

 こうして、混乱に陥りかけた伊勢の街はおよそ半日後、船を操るのに必要な人員を除いた山越え組の屈強な男達は既に立ち、一方船組もまた船出の準備を終えようとしていた。

 

「急げ急げ!残りは北地区の荷物だけだぞ!」

 

「俺たちで最後だ!出港の準備はできてるんだろうな!」

 

「とっくにな!だから急げ!結界がもう持ちそうにない!」

 

 伊勢の地の護り。日ノ本一と名高い霊地とそれを護る日ノ本一の神様の力が合わさって張られた伊勢の結界。揺ぎ無いはずのそれは、いまや随分と綻びが目立つようになっている。

 昼前の異常発生から夕陽差し込むこの時までの短い間に次々と結界には穴が開き、崩落の時を目前に控えていた。

 

「よしっ、これで、終わり!」

 

「出港だ!船を出すぞ!」

 

 大きいものから小さいものまで、様々な船が港を離れたその瞬間。結界はひときわ大きな音を響かせたかと思うと、まるで崖崩れのように一瞬のうちに崩れ去った。

 

「ああ、結界が・・・。」

 

 結界が効力を失った。次に来るのは獣の襲来か妖の簒奪か。一等の霊地を狙って外からやってくるものと思い込んでいた船上の彼等の思惑は、見事に裏切られた。

 

 

 どぷり。

 

 

 黒い影が湧き出たのは、伊勢の中心から。湧き出た影は静かに、音もなく、だが恐ろしいほどの素早さで伊勢の街を呑み込んでいった。露店街が、街一番の商店が、立派な造りの都からの使者の館が、全てが黒く塗りつぶされる。耳に届くのは波の音ばかり。そんな惨事のさなか、何一つとして音は無い。踊る炎のような影も、呑み込まれて消えてゆく建物たちも。はじめからこの世には存在しなかったのだと言われているかのように静かに、跡形もなく、消失していく。

 

 いまあの場にいたら。

 

 出港があと少し遅かったら。

 

 結界があと少しもたなかったら。

 

 ここにいる全員が、あの街と同じ末路を辿ったことだろう。

 

 影の浸食はしばらくして止まり、船上の彼等は自らの街が無へと還る様を日が落ちて見えなくなるまで、ただ茫然と、一言も発することなく見つめ続けていた。

 

 

 

「よか──った。船出までは──もったみたい。ごめん──なさい、『私』。私──どうやらここまで───みたいです。」

 

『「私」は本当によくやりました。ええ、本当に。「私」という楔が無くなったあと、どれだけやれるかはわかりませんが、「私」が守った彼等、この国の未来、決して滅ぼさせはしません。』

 

「それ──なら、安心して────」

 

 腐っても一等の霊地の中核地。他よりかは浸食がいくらか遅いその社で、一人の女性が一生を終えようとしていた。

 

 

 

 

「安心して逝けるって?そいつは待ってもらいたいですね、姉さん。」

 

「────ぇ?」

 

 そこにいたのは、船出前に出立したはずの、山越え組の男衆総勢百二十名。

 

「そんな、なんで──まだ───ここに────」

 

「あんな必死な姉さん見て置いてけるほど、伊勢の男は意気地なしじゃないですよ。」

 

「そうそう、姉さんには世話になったしな。」

 

「船組とは違ってむさくるしい旅にはなりますが、我慢してくだせえ。」

 

 日々の漁で鍛えた筋肉は軽々と倭姫命(ヤマトヒメのミコト)の体を持ち上げ、一目散に影とは逆方向へと駆けだした。

 

「オラオラ!陸に上がった漁師ナメんじゃねぇぞ!走れ走れ走れぇ!遅れた奴は置いてくぞォ!」

 

 山道へと駆けだした直後、先ほどまで居た社が黒の炎に包まれた。

 後ろから迫ってくる無音に、必死の形相で脚を動かし続ける彼等の瞳に、後悔なんてあるはずない。どこまでも真っすぐな光を宿し、受けた恩を返すのだ、と我武者羅走り続けた。

 

 

「ありがとうッ・・・ありがとうッ・・・!」

 

────私はまだ、生きてる。みんなのおかげで、生きている。思い残すことなんてない、なんて覚悟を決めていたけれど、私はまだ、生きていたい。

 

 必死に手足を動かす彼等は、彼女の涙に気付かないふりをした。精々後でからかってやろう、なんて考えながら。

 





あけましておめでとうございます。お待たせして本当に申し訳ありません。
今後はまた週一をめどに更新をしていきたいと思います。FGO第二部までに完結を目指し頑張ります。

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