倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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大和の皇編
第一話 倭國の王、そして大和の皇


「────ようやく、か。」

 

 

 閉じていた目を開く。

 大地が(きし)み、(とどろ)き、(うごめ)きだしていた。日ノ本の大地が怒りの声を上げ、いまにも私めがけてその怒りをぶつけようとしている。木々が、動物たちが、生きとし生けるものすべてが泣き叫び、許しを請う声が耳を打つ。当たり前だ。彼らはこの大地そのものに殺されようとしているのだから。

 神代の色が濃く残るこの時代。ましてやこの国そのものである龍が、ただ黙って利用されることなどありえない。必ずや傲岸不遜にも大地の理を捻じ曲げた下手人を探し出し、周囲もまとめて踏みつぶすだろう。

 

 我が半生をかけて仕掛けた、この国そのものを陣とし世界に術をかける大儀式。

 あるいは、放っておいても大陸の西ではいずれ人の世となるだろう。そんなものは時間の問題だ。太古の英雄王が、魔術王が始めた人の世は生半可なことではひっくり返ったりはしない。

 しかし、この国は違う。東の果て、大いなる大陸より近しいながらも別たれたこの大地は大陸最後の吹き溜まり。未来の果てに至っても神代のままである可能性は捨てきれぬ。だがそれよりもまずいのは近い未来、この国にろくでなしの神々どもが大挙して押し寄せてくることになる、ということだ。大陸を追い出されたにも関わらず滅びを受け入れられないろくでなしどもが、だ。

 そうなればこの国は沈む。人の理が敷かれた未来にて、馴染まぬものとして世界の裏側へと沈まされる。そんなことは許さぬ。この大地は、この国は、この日ノ本は未来永劫人間たちの、人間たちのための大地である。

 だから私はこの国そのものを利用した陣を敷く。要らぬ神々どもを弾き返し、しかして大陸から孤立することなく、その影響をじんわりと受け入れ発展していくものを。

 そのためにも私はこの利用されまいと抵抗する大地を、日ノ本そのものである龍を、打倒し、服させ、従えなければならぬ。

 

 生きて帰れぬことは必定である。人の身で大地を下そうというのだ。自身の命を気にしながら戦っていては、ただでさえ砂粒ほどの勝機が潰えることは自明の理。

 私があの決意を固めたあの日より、終着点はここだと決まっていた。決めていた。

 

 座っていた脚を解き、脇に置いた神剣を取る。

 

「さあ、最後の仕上げと行こうか!せいぜいあがけよ、日ノ本よお!」

 

 一千里(4000km)を超える日ノ本の大地の化身たる龍だ。

 その膂力、質量、神威、どれをとっても計り知ることなど不可能。

 それでも勝たねばならぬ。この大地の今と未来に住まうすべての人間たちに、安寧をもたらさんがために。

 

「おおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

「■■■■■■■■■■■■ッ!!!」

 

 ちっぽけな一人の人間と、大いなる龍の叫びが交差し、交わり、響き渡る。

 

 

 

 その戦いの余りの激しさに、誰一人としてその戦いを観ること能わず。

 後世にはただ、生を賭けて龍を討ち果たした、とだけ伝えられたその戦いは、大いなる龍の調伏と、ちっぽけな人間の死で終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────時は、少し、遡る。

 

 

 

 

 

 声が、聞こえる。

 

 私を喚ぶ声が、聞こえる。

 

 祝福する声が、待望する声が、焦燥に駆られた声が、聞こえる。

 

 

 

 

 ────産まれ出でよ、地を率くもの。お前こそが、私の────

 

 ────産まれ出でよ、血を継くもの。お前こそが、私の────

 

 ────産まれ出でよ、知を抽くもの。お前こそが、私の────

 

 

 

 

 

 産まれ落ちてより数えで二年、ようやく私は私自身というものを自覚した。

 

 世界とは斯くも不可思議と未知に溢れていたとは私は知りもしなかった。科学万能の時代より一転、遥かな過去へと飛ばされ、いまふたたびの赤ん坊生活とは。小指の甘皮ほどにも予想していなかった。それに加えて神様やら摩訶不思議な術やらまで登場してくるものだから常識を疑えばよいのやら正気を疑えばよいのやら。ほとんどが欠けているものの、かろうじて頭の片隅にこびりついた未来の知識は異常を訴えているが、それも数年続けば慣れたもの。人とは適応する生き物である。なんだかんだいって悩んでいたのは初めの頃のみ。数週間もすればこれを今世の常識として受け入れて、生きてゆくしか無いのだった。

 

 

 

 

 

「ふははははははーっ!捕えてみよまぬけめーっ!」

 

 宮の廊下をどたどたと音を立てながら走り抜ける兄の声がここまで聞こえてくる。兄を追いかける女中どもの焦るさまもまた。庭の端にある木の上でくつろぎつつ、大捕り物を眺めていると、見知った顔がこちらへ歩いてくるのが目に留まった。

 

「なにかそこからみえるのー?ヲウスー?」

 

 しっとりとした黒さを放つ長髪をそのまま背へとながし、ささやかな刺繍の刻まれた白い着物を纏った彼女は、父に仕える豪族の娘である。私はタツと呼んでいる。彼女の御付きの懸命な教育の賜物か、齢六つにして高貴さをすでににじませているが、その生来の快活さを隠しきれていない。

 私は返事もせずに先ほど隅の畑からかっぱらったばかりの瓜をタツへと投げつける。十尺以上の高さからの落下も加わり、なかなかの勢いをもっていたそれを、タツはこぼしそうになりつつもなんとか手に収めた。

 

「うわっとっと。あぶないじゃん!台無しになるところだったよ!」

 

「いーじゃないか、つかめたんだから」

 

 瓜の種を遠くへ吹き飛ばしながら答えると、これ以上の問答は無意味と諦めたのか、タツはひとつため息をつくと瓜にむしゃぶりついた。

 

 

 

 タツとの出会いは神の血を引く王族である自分と、王に仕える臣が政治基盤の次代への引継ぎを意図した、つまるところ政治一色のものではあったものの、いまになって思えばその出会いは千金に勝るものであったと思う。

 それまで私が抱えていた腐ったヘドロのような心を、タツはその髪の黒さに似合わぬ明るさでもって打ち払ってくれたからだ。

 何故私がそんな心を抱えるに至ったかというところから話をすると、端的にいえば私は父、つまりこの国の王にひどく嫌われていたのである。

 私が過去へと生まれ落ちた混乱からやっとこさ立ち直り、自分がどのように周りから見られているかについて気が払えるほどに余裕が持てるようになったころには、父は私を遠ざけていた。長子である双子の兄ばかりを構い、私は目にも入っていないという態度を取っていた。

 だがそんな父はあれで家族を愛している。むしろその愛は人一倍といっていいだろう。

 

 時は私が産まれたところまで遡る。

 かつて父は母をそれは大層愛していた。

 しかし、双子の出産という大難事が私の生母を、父の愛する人を殺した。人一人の出産でさえ世の母たちにとって命懸けであるというのに双子を産んだ母はきっと筆舌に尽くしがたい苦しみを味わったことだろう。

 それでも母は成し遂げた。

 成し遂げて、そうして、亡くなった。

 父は母を愛していた。それはそれは愛していた。王として失格であると知った上で父は妾や後妻をとることはしなかった。

 きっと父は私たち子も愛したかったに違いない。だが愛する女を奪った子たちをすぐにそのまま愛せるほど父は器用でなかった。

 そんな折に生まれた私がこれだ。泣かず、わめかず、ただじいっと周りを観察していた私がどれだけ不気味であったことか。子を愛したい。憎むことなどしたくない。気味悪がるなどもっての他だ。そう思い、そう思ったから、父は私を見ないことにした。見てしまえばきっと子を憎んでしまうから。愛に溢れる父だからこそ私を無視したのである。

 そうして他の人には異常と映るような折り合いをつけて初めて、父は兄を愛せるようになった。

 そんな父を私は嫌いになどなれなかった。むしろ私は私自身を嫌った。私が私でなかったのならきっと、父は遺された子双方を愛し、また子たちから愛され生きることができただろう。私さえいなければ、と日々を自責の念に駆られながら過ごした。

 王が疎み、人の呼び掛けにまともに答えようともしない私を、女中たちは気味悪がってよらなくなった。それでも次代の王の予備としての価値だけはなんとか認められていたのか、食事などの世話はしてくれた。そうでなかったら私はタツに出会うまでもなく死んでいただろう。

 そうして私はそんな鬱屈とした心を二年も三年も抱え続け、いつしか世界は色を失い、気付けば心は腐り落ち、ぐちょぐちょのヘドロよりも醜い心を抱えるようになっていた。

 

 

 私が数えで五つになったことを形式的に祝われた時、私に顔見せに来た臣の一人が後ろに連れていたのがタツであった。臣がどこかへと去ったのち、彼女はしばらく緊張してかたまっていた。いつものように私が何一つ反応を見せずただ虚空を見上げ自己嫌悪をし続けていると、ようやく彼女はぺりぺりと唇から音を立てながら声を上げた。

 

「あの……もみじのはっぱ、みにいってきても、いいですか?」

 

 見知らぬ少女のひねり出した突拍子もない言葉に、私はいつものようになんの返答をすることもしなかった。いや、そのあまりの突拍子のなさに返事ができなかったのだろうか。

 

「あっ、えっと、ここのもみじがすっごくきれいで!お父さんと歩いてるときにきれいだなっておもって、それで、王子さまはふきげんそうだし、お父さんはここにいろっていうし、みてきてもいいかなって……おもったんだ……です。けど」

 

 わたわたと両手を大げさに振り回しながら余計なことまで口走る彼女は、灰色の世界の中に生きていた私から見ても、とても奇異に映った。思わず、その瞳を合わせてしまうほどに。

 瞠目が抑えられなかった。

 彼女の瞳は、満天の星空がぎゅっと詰まったかのようにキラキラと輝いていた。その光は地上にあまねく希望そのもので。どのようにしたらこんなにも美しい輝きを放つ人が生まれるのか。

 私は彼女の瞳に捕らわれた。一度眼が会ってしまえば二度と離せなかった。その眼に渦巻く光が、私の世界のすべてを照らしているようだった。

 

 

  少し、世界に色が戻った気がした。

 

 

「ああ、それじゃあ、見てくるといい。」

 

 いつぶりだろうか。私がこの灰色の世界で声を発したのは。

 

「えっと、あの、王子さまはこないんですか?」

 

「安心するといい。ここには見知らぬ人間だからといって殺すような野蛮なやからはいない。」

 

 私が答えると彼女はほんの少しの間あっけにとられた顔を見せた後、いかにも自分は怒っていると主張するように声を荒げ始めた。私のところにきた時に持ち合わせていた緊張はどこかへほっぽりなげたようだ。

 私は私が人の心を想像していることに驚いた。

 

 

  また少し、世界に色が戻った。彼女の髪の黒々とした明るさが、気になった。

 

 

「そうじゃなくて!いっしょに見ましょ!もみじ!」

 

 持ち前のはつらつさを表すかのように勢いよく差し出された手は、その手自体が光を放っているかのように眩しかった。

 太陽のような彼女の光は、私のようなものには眩しすぎる。目が焼かれてしまう。手足が崩れてしまう。それでも、それでも彼女の光は暖かくて、眩しくて。手を伸ばさずにはいられなかった。

 

 

  世界に、色が戻る。彼女をもっと知りたいと思った。彼女と一緒にいたいと思った。こんな自分でも、彼女のそばにいたいと思わずにはいられなかった。

 

 

「私は、私は小碓尊(ヲウスのミコト)。君は?」

 

「わたしは橘姫(たちばなひめ)!よろしくね!ヲウス!」

 

 

  そうして、私は彼女と出会った。

 

 

 彼女は普段橘姫だとか橘だとか呼ばれているそうなのだが、私は私だけが呼ぶ彼女の名前が欲しいと言った。彼女を私だけのものにしたかった。彼女は私のそんな薄暗い考えなど知りもしないという顔をして、いいよと言った。私は彼女をタツと呼ぶことにした。タツとは龍。空駆ける龍を、私を地から救い上げてくれた彼女の呼び名にしたいと思ったからだ。

 

「タツ?橘からとったの?タチじゃなくて?」

 

 彼女は首をかしげて言った。

 

「ああ、タツだ。タツがいい。君をタツと呼んでもいいか?」

 

 彼女は輝く万欄の笑みを浮かべ、大きく頷いた。

 

「うん!いいよ、ヲウス!あれ、じゃあわたしもヲウスの名前かんがえた方がいいのかなあ」

 

 頭を捻らすタツを私はただ眺めていた。結局いい名は浮かばなかったようで、タツは私をヲウスと呼ぶことにした。

 その後、私は多くの時間をタツと共に過ごした。

 

 最初のうちはタツのことしか目に入らなかった。タツさえいればいいと思っていた。しかし、タツに連れられて世界を見てそんな考えも変わった。木々を見た。田んぼを見た。森を駆ける生き物たちを見た。そして、そんななかで日々を懸命に生き続ける人を見た。彼らはよく生き、よく笑い、よく泣いて、よく死んだ。

 タツと巡る世界は色に溢れていて、タツだけを見て満足していた私をまたもぶち壊してくれた。

 相変わらず私を遠ざける人は宮中には多かったけれど、そんな彼らを見ることさえ私には楽しかった。

 

 それもこれも、いまある私のすべてがタツのおかげであった。タツ以外の人たちも気にかけるようになったとはいえ、それでもやはり一番はタツであったし、タツのためになら私は命をなげうつのに躊躇はしないだろう。その心ははいまもなお変わっていない。

 

 

 

「それで?今日はどこへ行くんだ?」

 

 みずみずしい瓜を食べきり、いつものように塀を登り外へ出ると、あぜ道を歩きながらタツに問うた。

 

「うーん、今日はお天道様がてっぺん過ぎたら手習いだってお藤が言ってたからなー。あんまり遠くにはいけないかも」

 

 

 お藤とは、タツの世話係兼教師兼見張り役である。その役職の多さからもうかがえる通り、もう30に差し掛かろうかというのに非常に精力的に日々タツに尽くしている。もっとも、タツを叱っている場面ばかりを見るのだが。タツがおてんばすぎるというのもあるかもしれないが、それもタツに対するお藤の深い愛情からのこと。タツはそれをはっきりと察しているわけではなさそうなのだが、それでもお藤を疎んだりしている様子はない。いや、頭が上がらないだけなのかもしれないが。

 

「そっか。んじゃあいつもの裏の山でいっか」

 

 二人でタツのジジババが神職を務める神社の方へと駆けていく。途中、あちらこちらで朝の雑草刈りをしている百姓たちと二言三言づつほど言葉を交し合う。どうやらこのままいけば今年の実りは良いらしい。あとは病気が流行らぬよう祈るばかりだそうだ。

 彼らとの付き合いも大分長くなっている。私たちが王族とそれに連なるものであると知れた時には大変な騒ぎになったものだが、いまもって付き合いを続けてくれている気のいい人たちだ。どうせならいい実りであってほしい。そこで軽くではあるが私とタツは豊作祈願をすることにした。

 

 

 この世には術やら陣やらといった不思議が息づいているとは先にもいった通りだ。手習いはいまだ基礎的な事柄ばかりとはいえ、簡単な陣ならばいまの私にも描ける。

 虫除け病除けのような高度な陣は難しくとも、土地にささやかな力を与えるようなものならばいまの私でも問題ない。

 

 

 私が地に陣を敷き、タツがその上で略式の神楽を舞う。いまだ神に至ることのない精霊や祖霊、土地に空に溢れる力を借りてこの地にささやかな祝福を。

 タツが集め、私が向きを与える。

 平々凡々な田んぼの端は、いまや幻想的な空気漂う別世界となっていた。

 精霊が踊り、祖霊が見守り、村人たちが見蕩れる幻想の空気。淡い光に彩られた木々や稲たちはその身を揺らし、歓喜の声を上げる。

 そうして螢のような小さな光がタツの舞いに合わせ宙に拡がり、やがてゆっくりと大地に染み込んで行った。

 陣を描いた後の私の仕事はそんなタツを眺めることだ。タツの指先一本一本までを記憶に焼き付ける。二度とその美しさを忘れぬように。

 タツの神楽は四半刻にも満たない簡単なものではあったが、それでもこの土地は大いに力を満たしたようだった。

 舞が終わったあとも名もない精たちの楽しげな声が木霊する。幻想的な風景と、美しい舞いとにあてられ興奮した村人たちは楽しげに御礼を言うと、そのまま祭りに突入するようだ。この分では今日の作業は早くもお仕舞いだろう。

 もののいくらもしないうちに、そこいらじゅうの人が集まってきた。このまま一緒に祭りに参加するのも良いが、私たちがいては純粋に楽しめないものも出てくるだろう。私とタツはここらの顔役に一言告げると、また歩き出す。

 去ろうとしている私たちに気づいた村人が大きく御礼を言ってくれる。それに気づいた周りのみんなも大きな声で御礼をいってくれた。既に飲み始めているのか赤ら顔の者もいる。

 こちらも大きく手を振って返事をする。

 いいものだ。彼らとはこれからもこうして付き合っていけるといいなと心の底から思う。

 

 

 

 いろいろあったが、ようやく神社にたどり着いた。

 

「じっちゃーん、来たよー!」

 

 階段を登りながら放ったタツの明るい声が鎮守の森を木霊する。

 

「おお、今日もよう来た。橘ちゃん、王子」

 

 竹箒を片手に鳥居の向こうから顔を覗かせたお爺はまさしく好好爺といった具合で、人の良さがにじみ出ていた。

 

 お爺は村人たちとは違い、始めから私が王家の者であると理解していたのだが、距離感を測るのが抜群に上手く、いまも敬意こそ払われているものの近しくあれている。

 

「今日も裏の森で遊んでくのか?」

 

「うん!そのまえにばっちゃんと神さまにも挨拶してくるね!」

 

 どたどたとタツが境内へ駆けていく。あんなにも畏れをみせない神様の呼び方もないだろう。だが、ここの神様はそんなタツのあり方を好ましく思っているから問題は無いといえば無い。弊害といえば少しばかり周りがはらはらするぐらいだ。

 

「茶菓子でも持ってくっか?」

 

 『触らぬ神に祟りなし』ということで鳥居の前の階段に腰かけているとお爺が声をかけてくる。神が隣に立っているこの時代、一番よい対処法は関わらないことなのだ。無論、王族であるからして祈祷などは行っているが。

 

「いや、すぐ裏の山にいくつもりだからいいよ」

 

「そうか」

 

 お爺はそれ以上追及するでもなく、ただぼんやりと空を見上げていた。

 静かな、しかし苦しくはない沈黙が二人の間に横たわる。

 そうして静かに蟲の聲に耳を澄ませていると、タツの元気な声が響いてきた。

 

「ヲウスー!神様が裏の山に入ってもいーよーだってー!」

 

 すっくと立ちあがる。早くも森の奥へと消えていこうとしているタツを追いかけようとすると、背中にお爺の言葉が投げかけられた。

 

「タツのこと、頼みましたぞ」

 

 足を止め、振り返る。お爺の目はしっかりと私の両目を通して私の心を射抜いていた。嘘や誤魔化しは許さぬと雄弁にその目が語っていた。

 

「はい。必ずや」

 

 心の底からそう答えると、お爺はニカッと歯を見せ境内へと消えていった。

 

 その日の晩、お爺はお婆に看取られて死んだ。

 

 

 この世界に生きる人間はたやすく死ぬ。それはもうあっけなく。死因は様々。妖に縊り殺されたり、神の怒りにふれ殺されたり、獣に殺されたり、病に殺されたり、人間に殺されたりする。むしろお爺のように長く生き、悔いなく死ぬのはまれであろう。

 それでも、あるいは私の世界が狭かったからかもしれないが、近しい人間が死んだのは初めてだった。

 人は死ねば魂は根の国へと呼ばれ、肉体は土へと還る。

 あとには何も残らない。そう思っていた。

 だが、確かに、人は死んでも何かを残せるのだと、葬式の後の裏の森でタツを見たときに思った。

 タツは泣きはらした目で固くこぶしを握りながら言った。

 

「お爺みたいな立派な神主になるんだ!死んだあとお爺に会ったら自慢できるくらいに!」

 

 タツの瞳は相変わらず星々が詰まったかのようだったが、今日のタツの瞳は一層きれいに見えた。私は仮にも女であるならば巫女ではないのかというのも忘れ、ただその覚悟をタツの瞳を通して見てとっていた。

 

 天上に輝く星々は、そんな私たちを相も変わらずその冷たい光で照らしていた。

 

 




初めての投稿でしたが、なかなか切るところが思いつかなくて難しいです。
ある程度のボリュームでまとめたいのでここらで切ろうと思います。

感想などを書いていただければモチベーションもググっとあがりますので是非ぜひ感想、批評などを残していっていただければと思います。

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