「今日も葬式か・・・。」
あの海の上、大蛇との戦いより十と五年。愛しい子供たちもいまや大きく成長し、長男の
雨の降る日。太陽の位置すら
身近な者との別れというものは何度経験しようとも慣れるものではない。その背後になんら暗殺など後ろ暗い陰謀の影がないことが唯一の救いだろうか。彼らは悔いなく旅立っていった。そう信じたい。
タツのかつての御目付け役、お藤もまた、随分と前に安らかに息を引き取ったことをなにとなく思い出す。死んだ魂は根の国へと赴くのだったか。何かと気を揉むことが多い此岸とは違い、そこが安らかであることを願う。
「父上ー!」
物思いにふけっていると、噂をすれば影。長男
「どうした、タケ。」
「剣が上達したので見てください!師範にも褒められたんです!」
少し前まではいつまでも膝下にまとわりついて離れなかったこの子も、最近は王への態度としてそれらしいものを、と考えてか慣れない敬語を使ってまで大人ぶろうとしている。
「タケ。父はまだまだ忙しくてな。また今度見てやる。」
「そう、ですか・・・。」
タケはいま十四。私が熊襲へと赴いたときと同じ歳。それがタケを焦燥に走らせている。私の長子として生まれてしまったからには私という存在は常にタケについて回ってしまう。タケには私のようにはなってほしくない。あのような苦労を背負わずに生きていってほしい。
「大丈夫だ、タケ。タケはよくやってる。誇らしく思うよ、タケが息子で。」
タツに似た柔らかな黒髪を撫でつけると、タケは子供らしい柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、父上。俺、頑張ります!」
腕まくりをしながら稽古場へと小走りをする息子を眺め、知らず目を細める。
私が親になる、ということに少なからず不安を抱いたものだが、なってみればなんというか陳腐な言い回しだが、こんなに幸せなことはない。
だからこそ、いらぬものをあの息子に引き継がせないためにも、成すべきことがある。
「さて、やるか。」
その日の午後。執務の折。
「そういえば、まだ今年の戸数報告が為されていないな。」
あらかたの報告を読み終えそれに対する処置も下したのち、少々空いた時間にふと頭をよぎったのは、王位についてより毎年行っている戸数確認のことであった。民の生活を把握しないことには民を、ひいては国を動かすことなどできはしない。
その一言に脇に仕える執務官は少しの間をおいて考えると、低くしゃがれながらも明瞭な声で返答した。
「そうですね。既に調査は終えているはず。纏めるのに手間取っているのかもしれません。一度見に行かせてみましょうか。」
「ああ、頼む。」
退出した執務官は少しして後ろにその調査報告を担当する官吏の一人を連れてきた。その顔にありありと疲れをにじませる彼は一度平伏した後に王に奏上した。
「
「その明らかな異常とは?」
「はい。何度確認をとってみても、戸数が減っているのです。局所的なものではなく、この大和全土にて。調査の開始から十余年。常に増加し続けていたそれが、ここにきて減少に転じました。大和全土を覆った不作も災害もありはしないのに、です。起こるはずはない事態に、各調査官への確認作業を行っておりました。」
起こりうるはずのない減少。確かに確認作業に追われたのも納得できる。どう考えても数字の方がおかしいと考えるに決まっている。
「各地の領事に使者を回せ。本当にそのようなことが起きているか確認させろ。」
「はっ。ただいま。」
「その方も引き続き調査官への確認を行うように。それと、以後は些細なことであってもすぐさま報告するように。例え数字が間違っていたのならそれはそれでいい。」
「かしこまりました。」
そして、数日。もたらされた報告は、その数字が揺ぎ無く正しかったことを伝えていた。
頻繁に立ち昇った葬儀の煙。どことなく活気の薄れた港。病や怪我で夭逝する人々。その誰もがこうなったなら死んでしまうのも無理はない、と納得できる状況であったからこそ、事態がここまで進行するまで気づけなかった。
ここのところ調子を崩していた老人が病で逝った。山菜採りの娘が崖から落ちて死んでしまった。森に分け入った勇敢な若者が帰らなくなった。
おびただしいほどに積み上げられたその死に、不審な点は一切ない。
そこにはいかなる災いも、神の怒りも、ましてや黒い炎の呪いなんてものもなかった。
ただ、確実に言えることは、十五年前の再来。あの時とは違う形で、より地に伏した、より気付かれにくい方法で大和を死が覆っている。
あの時、ミシャグジ神を切り分けて大和を呪った何者か。その魔の手はすでに大和を覆っていた。
その後も優秀な臣下たちの調査によって、此度の死は、純粋に死期が早められる、死へと運命が誘われるような、そんな人の生死のレールに完全に則った状況であることが分かった。人は誰しもがいずれ死ぬ。だから死にはあらがえない。呪いならば抗いようもあった。妖獣ならば切り捨てればよかった。だが、これには抗えない。死を克服できる人間など、それは人間ではない。我等が人である限り、この大和を覆った死に対する術はない。
結局は前回と同じ手段しか取れはしない。どうにもしようがないのなら根本を叩きに行く。その根本の情報を掴むため、伊勢へと使者を出したのだが・・・。
「ダメだった、か。」
「はっ。半月前より神宮への道は閉ざされているそうです。なんの事前通告も無かったことから、何らかの火急の事態が発生したことと予想されます。」
姉上は確かに奔放だが、身勝手に神域を閉じるような人ではない。何かあったとみるのが自然だ。もしかしたら、再びの死に気付き対抗策のため神宮を閉ざさなくてはならなくなったのかもしれない。事前に知らせるだけの時間も取れないほどに。
「まいったな。これまで姉上に甘えっぱなしだったことを突きつけられているようだ。」
私が何か起こす時、今までは常に姉上がその道しるべとなってくれた。行くべき道を指し示してくれたからこそ私はただ突っ走るだけでよかった。だが、すべてを指図される幼子ではいられない。姉上が籠らなくてはならないほどの事態、姉上と共にある神様にも交信は図れないと見るべきだろう。一応指示は出しておくが。
いままでのような確信はない。だが、それでも進まなくてはならない。ただ黙って座していたところで、死が勝手に手を引いてくれることに期待するのはあまりにも望み薄だ。
たとえ空振りに終わったとしてもその扉が違うという確証は得られる。
行動を起こさない理由はない。
酷く安直で申し訳ないが、死が原因であるというならば、死の根本へ赴こう。
そう、死者の国。根の国だ。
根の国へと赴くための準備を整える。中でも食料品はたくさん必要だ。万一長らく根の国に滞在することになって食べるものがなくなったとき、根の国の食べ物を口にしたのならその時、私は根の国の住民となってしまう。いわゆる
それよりも、毎度おなじみの旅立ちの挨拶の時間。何度経験しようと慣れることはないし、それに今回はタツに加えて九人の子供たちもいる。臣下たちへの挨拶はすでに済ませたが、その時も大いに紛糾した。王が死地へ行くことを見過ごせる臣はいない。私を置いて他に根の国を訪れて帰ってこれる人間がいないことを盾にその場は押し切った。だが、その盾も家族相手には通じそうにない。
「・・・はあ。どうせヲウスは行くんでしょ?なら、絶対に帰ってくること。約束、忘れてないよね?」
一つため息をついて顔を切り替えたタツはそう言ってくれた。
「・・・ああ、ありがとう、タツ。わかってるさ。しかし、今回もついてくる、なんて言われたらどうしようかと思った。」
「そしたら誰がこの子たちの面倒見るの?」
「ありがとう。子供たちのこと、よろしく頼む。」
妻への挨拶を終え、彼女の腕の中のまだ幼い末っ子から順に挨拶を済ませていく。彼等の多くは私が何をしようとしているのか理解できていないだろう。それでも、子供とは雰囲気に敏感なものだ。泣きそうな顔をしていたり、実際泣き声を上げる子たち一人ひとりに目を合わせ、頭を撫でる。
「最後だ、タケ。」
「・・・。」
だが、
「父上、俺も、俺も連れて行ってください。」
にわかに周囲が騒がしくなる。視線でそれらを諫め、両手を息子の頬へと這わし、瞳をこちらへ向けさせる。
「タケ、それはできない。」
「なんッ・・・。わかっています。俺はまだまだ未熟です。でもっ、それでも父さんの力になりたいんだ!」
タツに似た、星々の灯りが詰まったような瞳から雫が零れ落ちる。
「タケの気持ちはうれしい。だが、お前は連れていけない。タケ、お前には未来を生きてほしいからだ。」
「未来・・・?」
「ああ。しっかり生きて、嫁をもらって子を産んで。積み重ねていってほしいんだ。時を。歴史を。未来を。」
気づけば私の頬も涙がつたっていた。
タケが産まれたときにも観た、爆発のように輝く未来への可能性。私の瞳を通して観えるそれは、いまこの時も眩い光を発していた。
「私もみすみす死ぬ気は無い。タツが怖いからな。」
「なにそれ。ふふっ。」
皆して泣きながら笑う。
「ではな!行ってくる!」
大きく手を振って、大きな荷物と傍らに携えた神剣と共に幾度目かの旅路へと足を踏み出す。
「いってらっしゃい、父さん!」
長男のその最後の一言は長く耳に残り続けた。
ぴちょり。ぴちょり。ぴちょり。
嫌に反響する気味の悪い音色。世界の裏側だとか表側だとかがひどく曖昧に混ざりこんだ黄泉への道。塞がれていたはずの、
神様が、日ノ本の島々とそれを治める神々を生んだイザナミを閉ざしておけるほどの封印が、いまや見る影もない。割れたいまとなっても私の屋敷を丸ごと覆って圧し潰せるほどの威容を保っているが、それは純粋な質量としてのこと。その中に詰まっていたはずの神気はどこにもない。首が痛くなるほどに大きな大岩に手をあてながら、天照大御神が隠れたという
ぴちょり。ぴちょり。ぴちょり。
「・・・ッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ。」
歩いても歩いても、変わることのない景色。無限に続く、混沌の道。
もしかしたら自分は、どことも知れない世界のどこかに紛れ込んでしまったのではないか・・・?
そもそも、根の国とはたどり着ける場所だったのか・・・?
不安。焦燥。恐怖。
薄いもやのように体にまとわりつき始めたそれらは、気づけば鉄の塊よりも重たい足枷となって体の動きを鈍らせる。
目だ。目を凝らせ。かつてスサノオの血を引いた
「ハッ、ハッ、ハッ。」
一歩、前へ。一歩でも進んだのなら、たとえ少しであっても前へ向かっている。
前へ、前へ。
「ハッ、ハッ。」
前へ。
────ジャリ。
踏み出したその足は、それまでの混沌とは明らかに違う感触を脳髄に伝えてきた。
「つい、たのか。」
たどり着いたそこは、語られる黄泉だとか根の国だとかとは、少し似ていて、少し違った風情をしていた。
言われるほど暗くはなく、言うほどに明るくはない。
確かにそこいらに木々草花は生えているが、そのどれもがくすんだ色をしていて美しくはない。田畑のもどきのようななにかがあって、人の営みがあるんだろうけどもいまはないような。
いっとき栄えたことがあったのかもしれない街が打ち捨てられてうらびれたような光景が、そこかしこに広がっていた。
近くにあった、家のような風体をした、襤褸のような何かを覗く。中は伽藍としていて寂しげな乾いた空気がほこりっぽさと混ざり合って舌を刺激する。
「ここには誰も、いないのか・・・?」
人がいたのではなかろうかと思わせるようで、しかしいまここにはいないような気分にさせる街並みをゆく。
「誰かー?おおーい。」
いっときも足を止めていられなかった混沌の道とは違い、ここでは足場がしっかりとしている。ところどころで立ち止まって現世から持ち込んだ飯で腹を満たしながら、道を行くことしばらくすると、枯れた古木のようにそこにある、一人の老人に出会った。
右にも左にも何もない、ただそこにあるだけの小岩に座ったその老人は、どこを見つめるともなくそこにあった。
「もし、そこの方。ここがどこだがわかるだろうか。」
私の言葉にようやく私の存在を認めたと見えるその老人は、ゆっくりとこちらへ顔を巡らせると、その顔の通りの平坦な感情のまま言葉を発した。
「おやぁ。ここで人と会うのは珍しい。朽ち果てるばかりの者しか久しく見ておらなんだが。」
「ここが根の国というところであっているだろうか。」
続けての問いかけにも不快な様子も苛立ちも喜びもあらわにしない老人はゆるゆると首を頷かせる。
「そうとも。ここが根の国。死者のためにある国だ。そういうあんたはまだ生きているようだな。迷い込んでしまったのか?」
「いいや、私は私の意志でここへ来た。それで、この国の主などはどこにいるだろうか。一つまみえたいのだが。」
ほう、とやっとそこで少し驚いたような反応を見せる。
「そうか。そんな人はまだ地上にいたか。ならば、この道をまっすぐまっすぐ遡ればいい。根の国に主はいない。いや、いたんだろうか。でも、主のようなやつならいる。そやつに会いたいという気持ちが迷わなければ、自ずと道も迷わず行き先を指し示してくれるだろう。」
ほとんど骨と皮とだけになったようなしわくちゃの指で目の前の道を指し示すと、老人はふたたび元の枯れ木のような様子になって顔を沈ませてしまった。
「ありがとう、ご老人。安らかな眠りがあらんことを。」
もう何の反応も見せない老人を背に、再び道を歩き出した。
本当は根の国の導入を全部書き切りたかったのですが、どうにも長くなりそうだったのでここで一度切らせていただきます。ぎりぎり日曜日に間に合いました。
そして、第一話 倭國の王、そして大和の皇 の一部分を改変しました。
改変前
声が、聞こえる。
私を喚ぶ声が、聞こえる。
祝福する声が、待望する声が、欲望に塗れた声が、聞こえる。
改変後
声が、聞こえる。
私を喚ぶ声が、聞こえる。
祝福する声が、待望する声が、焦燥に駆られた声が、聞こえる。
実はこの改変によってラスボスが交代していたり。なんてことはないですが、一応お知らせでした。