倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第十五話 平和のひととき。

 大和に死を振り撒いていた祟り神はここに退治された。

 あとから聞いた話では、全霊をつぎ込んで蛇神の神核を貫いたあと、私は水面に倒れ込んだのだそうだ。タツは船底で気絶し、私は水死体のようにぷかぷかと漂っている状況で、タツの祈りという基点のなくなった氏神様は霧散しそうになる現し身の体をなんとかつなぎ止めながら私たち二人を岸へと運んだそうだ。

 私が湾全体を人の世にしてしまったせいで氏神様の存在がかなりあやふやになってしまい、危うく大和にある本拠との縁が断ち切れて本当に死ぬところだったらしい。心の底から申し訳なく思った。

 

 結局私たち二人が目覚めたのは次の日の朝、お天道さまが水面から顔を出し始めた頃のことだった。

 ぬぼーっとした顔だちで脚の先から消えかかっていた氏神様をタツがあわててつなぎ止め、回復したとたんに私は殴られ蹴られした。

 

 

 

 昇り行く朝日にタツと私が生きているこの奇跡と幸運を感謝した。

 

「タツ・・・。」

 

「ヲウス・・・。」

 

 二人の顔は柔らかな暖かさに照らされている。タツの腰にまわした手に、タツがここにいるという実感に、思わず力が入った。

 

「私は、人の歴史を観たよ。きれいで、きらびやかで、美しかった。いまも、この瞳を通して積み重なってきた時間が見える。」

 

 タツはなにも言わない。ただ黙って体をこちらへ預けていた。

 

「私はそれをとても価値ある、守っていかなければならないものだと思う。積み重ねていかなければいけないものだと思う。」

 

 ゆっくりとした、しかし確かに少しずつ昇っていく太陽はいまや全身を水平線の上にさらし、確かな時の流れを感じさせてくれる。

 

「遠い遠い、遥か西の彼方(かなた)の時間を眺めて、わかったことがある。きっと、この国には、この大地には、たくさんの厄災が訪れる。それからこの国を、この国に生きる人々を、人々の積み上げる歴史を、守っていきたいと思うんだ。」

 

 水平線の果てに飛ばしていた視線を、ゆっくりとこちらへ合わせたタツは、静かに微笑んでこう言った。

 

「うん、ヲウスにならできるよ。だって、私の愛してる人なんだから。」

 

「────。ああ、そうだな。きっと、不可能なんてない。」

 

 太陽に背を向けて、静かにタツを抱きしめた。

 

「タツ、本当に生きていてくれて、ありがとう。」

 

「ヲウスも。死んだら追っかけてってやるって約束、まだ続いてるんだからね。」

 

 今日の誓いを、きっと私は生涯忘れない。腕の中の温もりは、確かにいまも、命の鼓動を伝えていた。

 そんな私たちを照らす太陽もまた、微笑みを浮かべていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 東から帰り、災害を完全に終息させたことでいくらか祝われたり、国を挙げての祭りになったりといろいろあったものの、おおむね大和は平和であった。

 垣間見た大陸の秦に習い政治改革を進めていたので政治の面ではギスギスしたやりとりがあったりなかったりしたが、ここでは割愛する。

 以下に続くのは、そんな平和なひと時のかけらたち。積み重なって歴史となった、平穏を過ごした日々。そしてまた、後の大いなる危機の前兆でもあった。

 

 

 

 

 深夜、凍てつく空気が肌を刺す師走の月のこと。数年前に新築された王の館は、たったいま修羅場の真っ最中であった。

 

「どいてくださいな(役立たず)ども!」

 

 タツの御付きにして大分年をくったお藤のがなる声が廊下に響く。細々とした些事のため我が屋敷に詰めている男たちは、落ち着かない体を持て余していて、どことなく所在なさげであった。

 などといいつつ、この屋敷の中で一番落ち着いていないのはかくいう私なのだが。

 

「御無事に産まれていただければよいのだが・・・。」

 

「なにかできることはなかろうか。」

 

「王ってあんなに心情表にだす人だったんだなあ・・・。」

 

 揺れる脚は意志とは関係なくいらただしく床を打ち付ける。

 今日の昼、宮で執務をしていた時、タツが破水したとの報告が駆け込んできた使用人から告げられた。叫び声をあげる官吏を無視し屋敷へ文字通り飛んでいった。その時は以外にもタツは元気そうに会話をしていたのだが、段々と陣痛が激しくなりお藤や産婆たちが詰めかけて慌ただしくなり、一刻ほど前から清浄にした部屋で痛々しい声をあげている。

 

 目には見えないが、確実にタツの氏神様も近くに来ていることが気配で分かる。それがうろうろとせわしなく動き回っていることも。人の誕生という場面において神秘の術は無力だ。なにか一つでも間違えれば、あるいは間違えずとも一生の瑕疵となりかねないからだ。

 できることは部屋や器具の穢れを払い、すべてが終わったのちにその疲れを癒すことぐらい。この無力感がどうしようもなく嫌になる。痛いほどの廊下の静寂のなか耳に入るうめき声。

 

 何もできないまま時が過ぎ去ることさらに一刻。

 大きな、小さな、赤子の泣き声が響いた。

 たまらず戸を開けた。お藤やら産婆やらに咎めるような視線で見られたようだが気にする余裕はなかった。

 

「ヲ、ウス・・・。」

 

「ああ、タツ、タツ。よく頑張ってくれた。ありがとう。ありがとう。」

 

 柔らかな布にくるまれた我が子を見たとき、頬を伝う涙がとめどなく溢れてきた。

 

「そして、若武彦(ワカタケヒコ)。生まれてきてくれてありがとう。」

 

「ワカタケヒコ・・・。それが、この子の名前。」

 

 新しい命が芽吹いていく。命は繋がっていく。積み重なって、歴史となって、美しい時の河を造っていく。

 小さな小さなその手に、私は目を開けていられないほどの光を見た。

 

 

 

 

 

『・・・毎度のことだが、子たちが産まれる瞬間というものは、なんともいえない気持ちになる。』

 

 自身の領域、神の御座(おわ)す山にてその神は、ぽつりぽつりと点いた人の灯りを肴に盃を傾けていた。

 そうしてゆっくりとまどろむような心地のなか、彼の神は随分と昔の記憶を思い出していた。

 

 いまだ自分が高天原にいたときのこと。天照様の孫にあたる神として、天火明命(アメノホアカリのミコト)と呼ばれていたとき。

 天照様が私とは違う別の子孫にあたる、瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)を降らせて葦原の中ツ国(あしはらのなかつくに)を治めさせようという話になった。

 私は天照様に命じられ、瓊瓊杵尊に先んじて葦原の中ツ国(あしはらのなかつくに)へと降り、彼の統治を手助けせよとのことだった。私自身は瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)という神に対しさして面識こそなかったものの、天照様の命であるから一二もなく頷いた。

 餞別にといただいた十種の神宝や、天磐舟様など多くの贈り物を携え、下界へと降り立った。

 

 下界での暮らしは必ずしも快適とは言えず、多くの苦難苦労に見舞われたものの、長髄彦(ナガスネヒコ)という地上にあって私を熱心に信仰してくれた人間の手助けもあり、なんとかやっていけていた。

 そう遠くないうちに瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)の子孫がここまでやってくるだろうからと、その話をするため長髄彦(ナガスネヒコ)を呼び出したその日、長髄彦(ナガスネヒコ)はすでにそこにはいなかった。

 

「(早い。あまりにも、早すぎる。)」

 

 あらかじめこちらへと遣わされた報告ではいまだこちらまで到着するには時がかかるのは必然だったのにも関わらず、天照様の軍勢と思しき特徴を備えた者達がこちらへ向かっていた。

 

 私が戦場へたどり着いたのは全てが終わった後だった。

 天空を舞う八咫烏は、進むに易き道を指し示し、あまりにも素早い行軍を可能としていた。

 大勢の神霊を擁したかの軍勢は強力無比と呼ぶほかなく、長髄彦(ナガスネヒコ)の軍勢はたどり着いたその時にはすでに、軍勢というにはあまりにも壊滅的なまでに崩れ落ちていた。

 いつもの近くのクニによる小規模な侵略と目して打って出た彼等に、抗う術はなかった。だが、それでも彼らの軍勢は精強で、将の一人を討ち取るほどに敵方に大きな損害を与えつつ、敗戦の最中にあっても自らの大将を守り切った。

 一兵一兵が万夫不当の活躍を成した。成してしまった。彼らが討ち取ったのはよりにもよって大将、瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)の子孫たる神武天皇(じんむてんのう)の兄であった。

 自らの親類を討ち取られたかの王の怒りと嘆きはすさまじく、私は、長髄彦(ナガスネヒコ)の首を差し出すほかに自らの国に生きる民たち、愛する子たちを護るすべはなかった。

 

 私は自らの愚かさで戦わなくてもよい戦いをさせいたずらに兵たちを殺し、ひどい負け戦のなかにあって生き残ってくれた自らを信じてくれた人を殺した。

 それ以外に国を、国に生きる民を、我が子を蹂躙の憂き目から掬う手立てがなかった。

 

 いまでも、長髄彦(ナガスネヒコ)が最後にみせたあの顔を忘れない。この愚かな神を最後まで信頼し、自らを慕う民たちのために死ぬと言ったあの顔を。振り返ってしまったとき、背中ごしに見えた震える手を。

 悔しかっただろう。怖かっただろう。やるせなかっただろう。そしてなにより、憎らしかっただろう。

 

 二度と子を目の届かぬところで死なせるようなことも、この手で死なせるようなこともしないと心に刻み込んでいた。

 

 

 当代のあの天真爛漫な子が東に行くと言ったときは、とてもではないが行かせることなどできないと思った。

 死にに行くと同じことだったから。私についてきてくれ、といったときも、行くつもりも行かせるつもりもなかった。それでも、子のあの瞳を見て、すべてが無駄だと悟った。

 結局この子は何を言おうとも自分の決めたことは曲げないし、長く見てきた子の中で一番の頑固者だということは他ならない私がしっていたことだった。

 

 子が神へと至ろうとしたとき、また、私はなにもできないのかと絶望した。幾たびも見覚えのあるその瞳で、子は死のうとしていた。

 それを、あの小僧が止めた。私では不可能だった。だからまあ、その一点において認めてやることもやぶさかではない。たとえ、あの天皇の末裔だったとしても。

 

 そうして、今日また、新しい子が生まれた。

 あの子はどのような色を魅せてくれるだろうか。

 

「────ああ、酒が美味い。」

 

 昨日も、今日も、明日も重なっていく子たちの未来に、幸あれ。

 

 

 

 

 

「実家に帰らせていただきます。」

 

 そう、まるで縁を切る妻のようなことを言ったのは、タツ・・・ではなく、タツを幼少の頃より支えてくれたお藤であった。

 お藤も昔に比べれば随分と歳を感じさせる風貌となっており、ここ最近はできないことも増えて困っていたそうだった。

 

「この子をわたしの代わりと思ってくださいませ。」

 

 そんな思い出の品のように置いて行かれたのは、若い娘。要はお藤の子であった。

 

「はじめまして、ヤマトタケル大王(オオキミ)(くず)と申します。どうぞお葛とお呼びください。」

 

 お藤によく似た目元をした彼女は、少し青みの入った黒髪をひとまとめにして背へと流し、澄んだ水面のような瞳をしていた。

 

「ああ、お藤はよく仕えてくれた。君にも期待している、お葛。」

 

「よろしくね!お葛!」

 

 私とタツの何気ない言葉に何か感じ入るものでもあったのか、お葛は深々と下げたぶるぶると肩を震わせ、

 

「ああっ、この国の王様御夫妻(絶対的上位者)に“おクズ”なんて罵倒の中に気遣いを感じさせる、でもその実これ以上ない罵倒の御言葉を投げかけてもらえるなんてっ。おっかあ、私おっかあの娘でよかったっ!」

 

 彼女は、姉上と同類であった。

 

 ちなみに、彼女は名前を呼ばれたり言葉の端々から発言者の意図しない快感を得ているものの、(王に直接見下されながら言われるなどの美味しい状況でない限り)表には出さない自制のとれた娘であり、またその上大変気の利くいい子であったから割とすぐに馴染んだ。

 特にタツとはタツがお藤と長い間接してきたからか仲良くなり、しばしばタツとワカタケヒコとお葛の三人で仲良さげに屋敷の庭を歩いているのを見かけた。

 頬を赤らめている姿に惚れる警備の者もいるのだとか。その赤みはタツの言葉からよくわからない快楽を得ているだけであるとはとても言い出せないが。

 

 

「ヲウスー?まだお仕事終わらないの?」

 

 夜中。ろうそくに照らされながら簡単な指示書をしたためていると、背後に月明かりを背負ったタツが訪ねてきた。

 

「もう終わる。それよりワカタケヒコの様子は大丈夫か?」

 

「うん、いまはお葛が見ててくれてる。ぐっすりだよ。タケもそろそろ夜泣き卒業かな。」

 

 数週間前までの夜泣きは大変だった。お葛やほかの使用人たちは自分たちでやると言うのにタツは自分でお世話しないとタケがお母さんって呼んでくれなくなる!と聞かず、そうなれば私も付き合おうとなり、前の式典のときなどは王夫婦ともども目の下に隈をたたえて出席したほどだ。

 最近では少しずつ夜泣きも少なくなってきて、だんだんと昼夜の睡眠時間というものを体が覚えだしたのかもしれない。赤子の成長は本当に早い。目まぐるしく泣き、笑い、気づけばあっというまに大きくなっている。首が据わっていないかと思えば寝返りを打つように、はって歩き回るように、立って歩くようになった。泣き声だけだったのがあー、やらうー、やら喋りだし、たぁう、などとタツの名を呼ぶまでになった。

 その時はタツが自分こそ子供のように大はしゃぎして喜び、タツは本当に昔から変わらないなと苦笑した。

 

「それで、ヲウス。」

 

「なんだ?」

 

 もじもじと体をひねるタツの様子はとてもかわいらしかった。だが、こんな風に言いよどむタツは珍しい。

 

「最近、タケも少しずついろいろ食べられるようになってきたし、そろそろおっぱいも終わりだと思うんだけど。」

 

「ああ。」

 

 昔はタツの口からそんな言葉が出てくるだけで動揺を現していた私だがこうも毎日のように聞いていれば流石に慣れる。

 

「味とか気にならない?」

 

 ろうそくが倒れた。大丈夫。この家はろうそくぐらいで燃え上がるほどやわに造っていない。造った本人がいうのだから間違いない。そんな些事は気にしていられない。

 

 

 月は静かに大和を照らし、夜の帳は静かに更けていった。

 

 大体一年後、第二子が誕生し、結局全部で九人もの子を授かることとなるのだった。

 

 

 

 




ミシャクジさまを倒してから数日頭痛が酷かったです。皆さんも祟りには気を付けましょう。ちなみに私は近所の神明社に御参りし事なきを得ました。次話で出しますってお願いしたのがよかったんでしょうか。これで出さなかったらまた再来しそうで怖いです。本当に。

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