倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第十四話 ミシャクジ、禍の神(二)

「────ごめ、んね。」

 

 

 その声が耳を突いたとき、何故かは全く分からなかったがそれが途轍もなくよくないものであると予感した。そして振り返りタツの憔悴しきった顔のなかに浮かべた微笑みをみたとき、その予感は確信へと変わる。

 

 

「やめろっ!!!タツっ!!」

 

 

 遅れて気付いた氏神様もただならぬタツの様子に何かを察したようだった。

 

『まさか、まさか子は神へとなろうというのかっ!やめろ!そんなことはしてはならぬ!』

 

 タツが残りの氣を振り絞って現界させようとしていたのは、あの燃えた草原にて見せた十の神の宝であった。わずかな間のみ身に着けていただけでタツの氣のなかに神気をまぎれこませたあの宝物を、全力で現界させたらどうなるか。わかりきったことだ。あの時氏神様がいったこと。「戻れなくなる」。ろくな基盤もないまま神へと至り、僅かな力を振るって霧散する。あるいは、大勢の民の前で神へと至ったのならば、振るったその力で信仰を獲得し、神の一柱として存在し続けられるのかもしれないが、ここは東の地。ましてや海の上。ここにいる人間、私一人だけではとても神格を支えることなどできはしない。

 

 

 タツが、死ぬ。神となって肉体も残さず霧散して消える。

 

 

「やめろっ!やめてくれ!そんなことはだめだっ!」

 

 私の叫びに合わせるように、一瞬抑え込んでいた黒い炎がこちらへ顔を出そうとする。気合いで持たせていた張りぼての結界が、気の乱れに敏感に反応したのだ。

 そしてそれを私の肩越しに見たタツは、静かに首を振った。もう結界はもちはしない。全員が死ぬ前に、タツが、タツだけが死ぬことですべてを丸く収めようとしている。

 タツが神へ至り、僅かの間だけ振るえる神気の全霊を使いきって大蛇の動きを抑えたのなら、氏神様の攻撃も通るだろうし、私の剣が神核を貫くこともできるだろう。

 

 だが、そんなことはダメだ!そんなくだらない手段をとってなるものか!!

 

 私に色を教えてくれた。世界のすばらしさ、人のすばらしさを教えてくれた。

 

 

 そして、なによりも、タツは私の愛する人だ!

 

 愛するものを犠牲にした手段など糞喰らえ!そんな結末は認めてなるものか!

 

 思考を止めるな!頭を回し続けろ!どこかに必ず、最高の結末(ハッピーエンド)に至るための手段があるはずだ!

 

 

 刹那のうちに脳髄を駆け巡る氾濫が如き情報の数々。そんな中で、なにかが。そう、なにかが、濁流のなかでたまたままだ浮かんでいる朽ち木のように、天より垂らされた蜘蛛の糸ように、いまにも沈み、途切れてしまいそうななにかが、私に何かを訴えていた。

 

 

 

 

「わたしは橘姫!よろしくね、ヲウス!」

 

「タツのこと、頼みましたぞ。」

 

「神の血はたびたび唯人にはなせぬことを成し得るものですがここまでの知見、寡聞にして存じませぬ。」

 

「や・・・やぁ・・・ヲウス。」

 

「おおーい、王子さまー。こっち見ていってくんなせぇー。」

 

「そなたには、熊襲を討ってもらう。」

 

「必ず、生きてお戻りください。」

 

『あなたは私に何をしてほしいのです?』

 

「それは、あなた自身が探し出す答えなのです。ヤマトオグナよ。」

 

「でぇ?何しに来やがった。」

 

「お主にこの名を贈りたい。」

 

「天皇が皇子のことをここまでお認めにならないとは、少し驚きですな。」

 

『問題ありません。話をつけてきましたから。』

 

「うんっ!」

 

「────遅かったですな。」

 

「お前か───!お前が、私の、私の息子を!」

 

「・・・いくらか見ないうちに君は随分とつまらない男になってしまったね。」

 

『やはり、あなたは主として認められたのですね。その剣の名は、天叢雲剣。』

 

「ヲウスッ!助けに来たよ!!」

 

『子が心底から決断しての行動なら私はそれを手伝うだけだ。』

 

『あと少しなんだ!その剣ですべてが終わる!』

 

「・・ヲ・・・ウス。か、み・・・さま。」

 

 

 

「────ごめ、んね。」

 

 

 

 

 

 吸い出されるように、いままでの記憶が次々と脳内を巡っていく。全ての記憶が思い出された後、私の体はだんだんと過去へと遡っていった。

 

 

 

 過去へ、昔へ、遠い遠い時間の果てへ。

 

 

 私はいったい何者だった?

 

 

 王? タツの夫? 双子の息子? じじいの教え子? 気味の悪い王子?

 

 あるいは、未来の記憶を持ったもの?

 

 

 どれも正しくて、そしてそのいずれもが正鵠を射ていない。

 

 潜る。潜る。時間の果てに。私の根幹に。

 

 

 

 

────そして観た。悠久を流れる時の河を。

 

 

 遥かな過去から、遥かな未来へ。止めどなく、いつまでも、どこまでも流れ続ける時の河。

 

 

 そうだ。私はこの光景を一度観た。産まれる前、魂だけの時。顔も知らぬ愛しき母の胎の中で。

 

 そうだ。私はこの河の流れを観て、あまりにも(まばゆ)いこの光景にあてられて、忘れなくては生きては行けないと、この光景に封をした。

 

 

 

 未来の記憶を持ったものではない。未来より生まれかわったものでもない。

 

 私は、時を眺むるもの。時の流れを穿つもの。

 時の千里を見通すこの瞳こそが、私の本質だったのだ。

 

 

 

 肉体という、時の流れに絡め取られる枷を持ったいまでは、積み重なるはずの未来は最早見通せなくなったけれど、積み重なってきた過去は、いまもって爛々とした美しい輝きを私の瞳に写してくれる。

 

 

 そして、私は積み上げられた過去、風化し砂となって人々の記憶から消え去った、偉大なる先人たちの残した、世界に刻んだ記憶の数々。それを観た。

 

 

 

 人の世を始めた偉大な王を観た。

 

 神々の試練に打ち克ち、最強の座を手にした強き英雄を観た。

 

 神の座に投げ込まれた黄金の林檎から始まった大いなる戦争と、その中で綺羅星が如く輝いて、流星が如く消えていった数多の英雄達を観た。

 

 神の御技を人の世に降ろし、人に扱える術として世に広めた賢き王を観た。

 

 荘厳なる神殿をいくつも創り上げ、神として崇められた王を観た。

 

 影の国を踏破し、(はらわた)ばら撒かれようとも戦い続けた英雄を観た。

 

 果てなき大海原を夢見、益荒男たちを束ね大地を駆けた巨漢の王を観た。

 

 七つの丘より始まり、広大な大地を発展させた大きな国とそれを治めた多くの王たちを観た。

 

 

 

 

 

 深く潜った魂の底で、輝く河を眺めながら私は涙を流していた。

 

 なんて、なんて美しいのだろう。人とは、世界とは、紡いできた歴史とは斯くも愛おしいものだったのか。

 過去の自分がこの光景に封をしたのも頷ける。こんな光景を知った無垢な魂が歪にならずに成長できるはずがない。

 だが、完全に忘れることもまた、できなかったのだろう。その結果が、父に疎まれるようになってしまったあの幼少期だったのだ。

 こんな光景を観てしまったばかりに、とは思わない。そんな些事にはとらわれないほどに、美しかったのだから。

 

 

 

 ゆっくりと意識が浮上する。

 時の河にひとときの別れを告げ、現世へ舞い戻る。

 河のほとりに佇んでいた時間は刹那へと圧縮され、まぶたを開いたとき、いまだ氏神様は黒い炎を押し留めていたし、タツはまだ神具を顕現させてはいなかった。

 

 

「───大丈夫だ、タツ。」

 

 悲壮な覚悟を定めていたタツの瞳に目を合わせる。

 

「私にすべて、任せておけ。」

 

 タツの両目が私の瞳を射抜く。私が言葉に込めた意志と覚悟を見て取っていた。

 

「───そっ、か。じゃあ、まかせる、ね。」

 

 安堵の表情を真っ白な顔に浮かべたあと、その言葉を最後にタツはごとりと頭を船底に沈めた。

 

『・・・死ぬ気か?』

 

「まさか。全員で生きて帰る!そのために力が足りないのなら、他所から持ってくるだけだ!」

 

 ここは神代の土地。術の対象そのものに変革を促す私の術では、たとえ神字を使おうともこの海すべてを覆うことなどどれだけ時間があっても不可能だ。

 

 だから、外界に作用する技術、()()を使う。

 積み重なった時の流れのなかで垣間見た、魔術王が創始した神秘。人の扱う、神の御技の真似事。

 東洋の神秘とは全く起源を異なるからこそ、全く異なる過程をもって神秘を成す。

 魔術王の奉ずる神が世界を変革したことをなぞり、術者が外界を限定的に変革する。

 

 修練を重ねた術と、遠き地で栄えた魔術。両者を重ね合わせ、融合し、()()()()()()()()

 

 ここに立つ自分を基点とし、神代のこの地を、人の(ことわり)敷かれた人の大地と再定義する。

 大海原に掛ける大儀式。

 

 荒れ狂う波間に浮かび上がるは、天照大御神より学んだ神の文字。それらを結び、繋ぎ、陣とする。

 中心に立つ自身の体躯に陣を接続し、それらすべてを使って魔術を発動する。

 

 白く発光するその陣は、空を覆う分厚い雲を照らし、逆巻く風は照らし出された雲を円を描くように押し流した。

 

 神代の空気(真エーテル)は掻き消えて、大地は神の統制から分かたれる。神はもはや支配者ではなくなり、人が治める人の大地へと変貌した。

 

 いまこの瞬間、確かにここでは神代が終わり、人の世が到来していた。

 

 神の力は大幅に減じられ、存在そのものが揺らぎ始めている。神の力によって現出していた呪いの炎もまた、神の力なくしては燃え上がれない。

 

 大蛇は突然の世界の変革に、自身の力の減少にただ焦りを募らせるばかり。それまでに溜まった疲労がずんと重くのしかかり、全く体が思うように動かない。

 そう、その体は大幅に鈍っていた。

 

 

『よくぞやった!』

 

 氏神様が、タツより捧げられた神気を総動員して、自身に所縁(ゆかり)あるとある神器を召喚する。

 

 それこそは、神が乗りし空駆ける舟。それ自体が神格を持っており、鳥のように空を駆け、(いわ)のように巨きい神の舟。

 天鳥船神(アメノトリフネのカミ)。またの名を、天磐舟(アメのイワフネ)

 

 大和の神代のごく初期に、イザナギとイザナミより産まれた葦原の中ツ国(あしはらのなかつくに)にただ一つの神舟である。その威容はまさに神々しいとしか言いようがなく、中空に出現したその様にただただ目と口を大きく開くことしかできなかった。

 そして。中空に出現した天磐舟の真下には、動きが鈍りきった紅眼白鱗の大蛇がいた。

 その鈍重な動きは逃げきること(あた)わず。

 大瀑布と見まごう大きな大きな水音と飛沫を上げ、大蛇を水面に縫い留めた。

 

『いまだっ!!やれぇっ!!ヤマトタケル!!!』

 

「応ッ!!!」

 

 携えられた神剣は、いま、このときのために。

 ゆらゆらと紅い神気を立ち昇らせる天叢雲剣(アマノムラクモのツルギ)は待ちに待った瞬間に、歓喜の光を大蛇の頭上に輝かせていた。

 

 

「さらばだ、荒ぶる神よ。」

 

 

 深々と突き刺さった剣は、確かに神核を貫き、大いなる蛇神の全てを殺し尽くした。

 

 

 

 




第一話で出てきた英雄王と魔術王というワードが伏線だったことに気が付いた読者のみなさんはおりましたでしょうか。いたらびっくりします。

久方ぶりの連日投稿をしました。疲れました。でもここは一気に書きたかったので頑張りました。とっても楽しかったです。

プロットを考えていた時は、ここを考えるのが一番面白くって、ここを基点に多くの展開を考えてきました。

とりあえず今話で若年のヤマトタケルの物語はひと段落となります。数話閑話のような日常のお話をしたあと、ヤマトタケル後半期のお話を始めさせていただきます。
今後も読んでいただければ幸いです。感想、思ったことなどございましたらぜひとも残していってくださいませ。

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