倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第十三話 ミシャクジ、禍の神(一)

 いま、このとき。漕ぎ出す時は来た。

 

「今日をおいて船出の日は二度と来ないだろう。あまり国を空けてもいられないしな。」

 

「いよいよだねっ!」

 

『ああ、まったく待ちくたびれた。』

 

 三者三様の反応を示しながら凪いだ海を眺める。空は晴天。少し北向の風。磯特有の匂いが鼻を突く。材料の一片一片にまで祝福を授けてありったけの強化の陣を刻み、海を行くための小舟を数十日かけて造った。たとえ海神(ワダツミ)の怒りに触れようともそうやすやすとは沈みはしない強固な船を造り上げ、そして造り上げながら潮の様子を掴んだ。あとはこまごまとした準備や備えに時間を労した。そんな苦労は今日ついに報われる時がきたのである。

 

 そんな中、タツに憑く神様が不安を声音に滲ませた。

 

『・・・しかし子よ、本当に行くのか?ここで待っているというのも充分選択しうる選択肢だ。』

 

 彼の神はやはり、タツへの深い愛に溢れていると感ずにはいられない。

 

「ここまで来て置いてけぼりなんてありえないし!それに、行かないと何か嫌な予感もするし。」

 

 そんな気遣いを察した上でそう答えたタツは、威勢のいい言とは別に、言葉尻にて少し顔を暗くさせた。

 

『説得はもとから期待していなかったがな。言ってみたというだけだ。子が心底から決断しての行動なら私はそれを手伝うだけだ。』

 

「ありがとう、神様。」

 

 仮にも自分の妻が心通わす存在ではあるが嫉妬など沸きようもない。心からこの一人と一柱の関係を羨ましく思った。

 

「さあ、行こう!」

 

「うん!」

 

『ああ。』

 

 たとえこの先が大蛇の口の中に繋がっていようとも、大和に生きる人々を、葦原の中ツ国(あしはらのなかつくに)に生きとし生けるものすべてのものたちを、私が美しいと思うこの世界を守るため、世界を背負うにはあまりにも小さな小舟は、うねる海原へと漕ぎ出していったのだった。

 

 

 

 舟が行くこと半刻ほど。私たちは奇妙な既視感を抱いた。両人に馴染み深い、神の御前に立ったときの感覚。そう、既にそこは神域だった。

 昏く、巨きく、果てしなく深い神の気配。

 単純な既視感ではない。神域の神気は神気でも、このような怒りを孕んだ神気のなかで空気を吸ったことはなかったからだ。

 荒ぶる神に対峙したとき、人が取るべき行動はひとつだ。平伏し、供物を捧げ、機嫌をとり、あわよくば怒りを鎮めてもらうこと。

 当然、私とて初めからこの神剣の力で解決しようとは考えていなかった。まずはなぜ斯様にも荒ぶるのか、それを尋ね、できることならば対話で怒りを鎮めようとしていた。

 しかし対話のための準備は無用のものに終わる。

 

 

「────これは、姉上の言う通りだったか。」

 

 思い出されるのは、出立の前伊勢にて聞いた話。「東の神は言葉を認識しているかもわからない。」

 

 ことここに至るまで、私は真の祟り神というものを理解していなかった。私がいままでまみえてきた怒れる神々には意志があった。私を人と認識し、した上で邪魔なものとして排除しようとしていた。

 祟り神とはそういうものではない。そういうものではなかったのだ。

 真の祟り神とは、ひたすらに周囲に怒りと災いと穢れを振りまくもの。そこにいかなる意志など存在しはしない。ただそこにある災害なのだ。

 

 首をもたげるあまりにも大きな昏い影。どれだけ見上げようとも果てなど見上げきれない。日の光を遮る昏い影とは対照的に眩いほどに照り返すその純白の鱗の一枚一枚は神々しさを振りまいている。紅い瞳には私たちへのいかなる感情も写りこんではいない。かろうじて読み取れるものがあるとすればそれは、奈落を覗き込むよりも余程恐ろしいまでの底無しの怒りだ。

 紅眼白鱗の大蛇が、果ての無い憤怒を抱え、ここに顕現した。

 

 口が開く。

 

 

 

 絶叫。

 

 

 

 音の波は空気を媒介にして空間を伝播し、衝撃波となって海を大地を震わせる。圧倒的質量を誇る海の水を押し退け、海底に日が差し込む。

 咄嗟にタツの氏神が展開した結界がなければその時点で私もタツも死んでいた。死の炎も神の権能も使われてはいない。ただの叫びが地形を変え、ちっぽけな命を奪う。

 

 突然目の前にまで迫った死に弛緩した脳漿が再び動き出す。

 右手が震えていた。恐怖によるものではない。右手の添えられた剣が震えていた。天叢雲剣(アマノムラクモのツルギ)が、斬らせろといっている。彼の荒ぶる神を斬らねばならぬと震えている。

 自分の意志とは関係なく、右手が剣を解き放つ。目の眩むほどの光が溢れ出した。

 ここにあって唯一自分を害しうる力を持った神剣に、大蛇の意識が差し向けられた。それを意識というのが正しいのかはともかく、漫然と周囲に破壊と混沌を齎してきた祟り神が、初めて明確な敵を定めたのだ。

 

 ここに、人間と祟り神との無謀なる戦は幕を開けたのだった。

 

 

 

 氏神様にタツの守護と後方からの援護を頼むと、返事も聞かないうちに駆けだした。すでに体を抑えきれなかった。剣が早く討てと騒ぐのだ。

 舟を飛び出し、僅かに沈んだ足は水面をはじいて前へと進む力を与えてくれる。

 不安定で小さな小舟の上で戦うことなど万に一つも考えられない。あらかじめいただいていた水上歩行の加護は、役に立つ事態はよくないとは考えていたものの、なってしまえば仕様がない。

 水面を蹴って蠢く大蛇の腹へと吶喊する。

 

 血のように紅い光をまき散らしながら剣閃が迸る。深々と刻まれたその傷は、大蛇の体に比して極々小さいながらも、確かにその部位を殺し尽くした。

 大地が創り、八岐の大蛇の鍛えた神の剣が、同じく大地より生まれ蛇の属性を持つ祟り神に効かないはずがない。

 再び上がる絶叫。しかしそこに込められたものは全く異なった。

 だが、大蛇とてこれしきのことで終わるはずもなし。大波を身動ぎ一つで作り出すと、その波でもって神剣を携えた男の退路を断つ。そして回避の隙なく死の黒い炎が大蛇の口から溢れだした。

 これに対処したのが後ろに控えていた氏神である。神気で構成された仮初めの右腕をクイと持ち上げると、たちまちのうちにヤマトタケルの目前に巨大な水の壁が浮かび上がった。炎が水の壁を燃やし尽くす間に大きく回避すると、今度は大蛇の尾を足場にして躍り上がった。

 水の壁が水蒸気も上げずに燃やし尽くされると、ヤマトタケルは次々に大蛇の背に神言で構成された陣を刻んでいく。

 濃密すぎる神気の詰まった鱗にただの術がかかるはずもない。が、神言はそれを凌駕する神秘の塊だ。鎖のように繋がり合いながら刻まれた陣は「隣の陣で起こった出来事を再現する」というもの。

 最後の陣を描き終えたヤマトタケルが、陣の中心、純白の鱗の間に深々と刃を突き立てる。最後の陣で起きた出来事は、次々と隣の陣へと波及していった。小さな裂け目は大きな割れ目に。尾の先から中腹まで、長い鎖の中心からひとりでに血が噴き出した。再び大きな苦悶で大気が震える。

 刃渡り十拳の剣では精々が痛みに慣れない大蛇に叫び声をあげさせることが精一杯だが、使いようによっては尋常ならざる大きさの刀傷をつけることとて可能だ。

 長い長い裂傷に、大蛇はもんどりうって苦しみ出す。うねる蛇の体から弾き飛ばされたヤマトタケルは一旦大きく迂回しながらタツらの乗る小舟へと駆けた。

 

 

 

「この調子でいけるか・・・?」

 

『油断はするな。お前を背に乗せたらどうなるか、既にあやつは学習した。それに奴は龍脈と接続している。(じき)にあの傷も塞がってしまうぞ。』

 

「なにそれずるい!」

 

「しかし、神核にまで手が及ばないな。気配からも鱗の様子からも頭蓋にあるんだろうが、想定していたよりもずっと神核が頑強に隠されている。露出さえさせてしまえばこの剣で葬れるんだが。」

 

「少しの間でも動きを止められれば、ほじくりかえすこともできるのになあ。」

 

 ため息を吐くタツをちらりと横目で見た氏神様は、しばし考え込んだ後口を開いた。

 

『・・・体を抑え込む手立てが無いこともない。』

 

「神様!ほんとですか!」

 

『ああ、手段はある。だが、それも奴の動きがいくらか鈍ることが前提だ。小僧、どうにかしてあやつを疲れさせろ。そしたら動きを止めてやる。その隙を狙って神核を貫け。』

 

「はっ。ではそのように。タツはもう少し踏ん張れ。」

 

「なんかかける言葉がおざなりだけど気にしない。頑張ってね、ヲウス!」

 

 氏神様とタツを横目に、再びいまだのたうつ大蛇の方へと足を踏み出した。

 氏神様がいったいどのようにあの大蛇を抑え込むのかは分からないが、とにかく私の仕事は奴の動きを鈍らせることだ。

 

「さあ、一丁しばらく付き合ってもらおうか?でっかいだけが取り柄の蛇さんよ?」

 

 らしくもない挑発を吐きながら、長丁場の地獄は始まった。

 

 

 

 あの大質量の一撃を一発でも喰らってしまったのなら、その時が私の死ぬ時だ。故に、私は凡そ全ての攻撃を避け、捌き、回避し続けなければならない。時たま吐き出される黒い炎については言うまでもない。

 晒される一撃一撃が致死の攻撃に、一度回避行動を取るたびに神経がすり減っていくような気分にさせられる。

 体力という意味であの大蛇に終わりはない。龍脈との接続が無尽蔵に氣を引き出しているからだ。ならば、気力を尽くさせるしかない。無限に体力が続こうとも、精神的疲労はたまるものだ。しかし問題なのはその時がいったいいつになったら来るのか、ということ。

 終わりの見えないなか、一度判断を誤れば即座に死が待っている。なかなかに辛いものだ。

 はじめに比べれば間違いなく少しは動きを鈍らせている、というのが私の気力を持たせている唯一の要素である。

 私の気力が尽き致命の一撃を食らうか、奴の気力が尽きて動きが鈍りタツの氏神様が大蛇を抑え込める一撃を喰らわせて神剣が奴の神核を貫くか。

 私の美しいと思う世界のため。大和で待つ民のため。後ろで信じて待つタツのため。私は剣を振るい続けた。

 

 

 

 

 傷をつけては再生され、まき散らされる炎を間一髪のところで避けること半日の時がたっていた。であれば、それは必然のことだったのかもしれない。

 直接的に被害を齎す私よりも、私を仕留めるまであと少しのところで邪魔をしてくる後ろの神を厄介だと考えるのは必然だったし、私と氏神様が小舟の前に立ち、協力してそれを捌き続けようともいつか限界がくることも必然だった。

 

 その時、私はすでに左腕の感覚はなく、右腕も高くは上げられず、足はまさに棒のようで、右脇腹に走った内出血の青い痕は心臓が鼓動するたびに悲鳴を上げそうになるほどの痛みを訴えた。度重なる肉体的、精神的疲労、怪我。私の体には満身創痍という言葉がこれ以上なくあてはまっていた。

 そしてそれは氏神様にもいえることで、仮初めの肉体とは言えども右腕は二の腕より先がどこかへと飛ばされ、漂わせる神気もはじめに比べれば随分としぼんでしまったようにみえた。

 そして私と氏神様を補佐し続けているタツもまた、唇を真っ白にし、体中の血が抜けてしまったのではないかと見まがうほどに顔を青くしながら肩で息をしていた。タツは氣を分け与える術に特化していて、力尽きそうになる私に再び立ち上がるだけの氣をなんども分け与えてくれた。もしタツを置いて行っていたら私は数刻も持たずに海の底か蛇の腹の中だっただろう。いや、タツがいなかったら氏神様もここには立っていられないだろうから数瞬ももたなかっただろう。そして自らの氏神へも、篤い信仰という形で基盤の無いこの地で氏神様を確固たる存在として確立させ続けていた。片一方であっても平時であれば全力を傾けなければならないその業務はタツを疲弊させるに十分で、そう遠くないうちに気絶という形でタツがこの戦いから離脱することは目に見えていた。

 

 そんな状況にて私たちは、ついにというべきかようやくというべきか、不可避の黒い呪いの炎に包まれた。

 

 幾たびも襲われかけては回避してきた炎の直撃に、全霊を傾けた私と氏神様の守護はなんとか命脈を保っていた。だがそれもいつまで持つか。二人と一柱のうちそれが分からないものなどいなかった。

 

「・・・ぐっ、ぐぅぅううううっ!!」

 

『耐えろよ小僧!あと少しなんだ!あと少し動きが鈍れば特大の一撃をかませられる!そうすればその剣ですべてが終わる!』

 

「・・ヲ・・・ウス。か、み・・・さま。」

 

 か細く耳に届くのは最愛の妻の声。愛する人一人守れずしてなにが男か!

 

「う、うおおおおおっ!!」

 

 せめて言葉だけでも覇気を満たす。ほんの少しでも四肢に力をみなぎらせろ!

 

 

 

 遠のきかける意識と、自分の声さえ聞き取れない濁った感覚のなかで、愛する女の発した小さなその一言だけが、ひどく明瞭に脳髄に響いた。

 

 

 

「────ごめ、んね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めてその男の子に会ったとき、わたしはなんて寂しそうな目をした子なんだろう、って思った。

 

 いっつもお仕事に出ていてあんまり話すことのできないお父さんが、一緒に宮に行こう、って言ったときは素直にうれしかった。今日はお父さんといっぱいお話をしようと思って、実際宮とかいう場所につくまではたくさんお話をした。その中でお父さんが前に仕事でいった先の山ではもみじがすっごくきれいだった、なんて聞いて、わたしもいつかお父さんと一緒に見に行けたらいいなあなんて話していたら、いつのまにか目的の場所にまでついていた。

 わたしだってお藤にいろいろ言われるけどするべきところではちゃんとできるんだってお父さんに見せたかったからお父さんがなにか取り次ぎの人と真面目なお話をしている間はわたしも真面目な顔をして口をきゅっと結んでいた。

 いよいよそのお部屋に入るってときにお父さんがやさしく笑って頭を撫でてくれたのはうれしかった。こういうところがわたしはお父さんが好きだ。わたしがきらいなのはお藤のちょっと長すぎるお小言とにがーいお野菜くらいのものだけど、いっぱいある好きなもののなかでもやっぱりお父さんは別格。

 わたしは今日のお仕事も立派に果たしてまたお父さんに撫でてもらおうとおもって、戸が開かれてあの男の子の目を見て全部がふっとんだ。

 

 

 だって、その男の子の目は全部全部大っ嫌いで、なによりずっと自分のことがきらいで、そんなことを考えている自分自身をもっと嫌いになっていくんだ、っていいながらその実、たすけてって叫んでいたんだもの。

 

 なんてかわいそうな目をしているんだろう、って思った。自分自身にいじめられ続けて助けを求めるひとなんていままでみたことがなかったから。

 いつのまにかお父さんがいなくなっていたことにも気づかずに、ずっとかたまってその男の子を見ていた。

 

 見るからにその男の子はひ弱でやせっぽちでちいさかったからてっきりわたしはその男の子は年下だと思い込んでわたしはお姉さんなんだからなんとかしてあげなくちゃ、って考えた。あとからわたしの方が年下だったって知るんだけど、その実感はわたしがその男の子のことをヲウスって呼ぶようになってしばらくしてつむじを見下ろされるようになってからのことだった。

 

 とにかく、わたしはどうにかしなくちゃとおもって口を開いた。口を開けたときにペリペリ音がしたのは自分でも驚きだったけど、とにかくそれくらいかたまっていたってことなんだろう。

 

「あの・・・もみじのはっぱ、みにいってきても、いいですか?」

 

 あとから考えてみてももうちょっといいセリフがあったんじゃないかと思う。

 だってわたしはここに来るまでずっとお父さんの顔ばっかり見ててお庭の様子なんてこれっぽっちも知らなかったし、別に大してもみじの葉っぱを見たいと思っていたわけでもなかったから。あわてて言いわけを重ねて、自分でもなにをいっているのかわからなくなりながら口をついて出る言葉に身を任せた。

 でも、わたしの言葉にその男の子はのろのろとこっちに視線を合わせてくれたから、やっぱりよかったんだと思う。

 

 こっちを見てくれた男の子の目は真っ黒に濁った色をしていたけど、やっぱりその奥底には何にも知らない赤ちゃんみたいな真っ白な光が不安に揺れていて、不謹慎かもしれないけれどなんて面白い瞳をしているんだろう、って思った。

 

 そのあと一緒にお庭に誘っているような言葉が口をついていたことに気が付いて、でも男の子が自分は行かないなんてことを言うからついかっとなった。

 だって自分が一番助けられたがっているのに誰にもこんな自分は見られたくないんだって、せっかく目を合わせてくれたのにまた殻に閉じこもろうとしていたから。

 みるみる細い白い光が奥底に沈もうとしているのを見て、たまらなくなっていつのまにか手を差し出していた。そのきれいな色をもっと見せてほしい。お外はこんなに面白いんだよってことを閉じこもり症のその子の心に見せたかったから。

 大きなお空の下で一緒に思いっきり笑えばなんだって大丈夫、っていうのがわたしがその時までの間に積み上げてきた絶対不変の法則ってやつだったから。

 

 

 とっても怖がりながら、寂しがりながら、それでも男の子はわたしの手を取ってくれた。

 

 

「私は、私はヲウスのミコト。君は?」

 

「わたしはたちばなひめ!よろしくね!ヲウス!」

 

 

 

  そうして、わたしは彼と出会ったんだ。

 

 

 わたしはそれまでも楽しかったけれど、ヲウスと二人ならそれまでよりもずっと楽しかった。

 はじめはどこへ行くときも怖がっていたヲウスだったけど、たくさんの場所を見て、たくさんのひとたちと触れていくうちにだんだん楽しそうな顔を見せるようになったし、元気にもなっていった。

 

 お姉さんとしては弟分が元気になっていくのはとっても嬉しかったし、なによりヲウスといっしょにいるのはとっても楽しかった。

 

 

 いつも一緒にいるわたしたちをみて、大人たちはわたしたちを婚約関係にあるように扱うようになっていったのはごく自然の流れだったんだと思う。

 そのことはお父さんにも言われたし、お父さんとしても王族との婚約はたとえ相手が現王に疎まれていたって、王位につかなくったって十分にいいものだとおもっていたみたいだった。わたしとしてはヲウスのことは手のかかる弟みたいなものだったから「好き」っていうのはよくわからないけどそれはいつかの話でいまのわたしとは関係のないなにかとして扱っていた。

 

 そんな未来の話よりも、その時のわたしはわたしのおじいちゃん、お爺が死んじゃったことの方がずっと大切なことで、お爺みたいな神職になれるように頑張ろうって気持ちでいっぱいだった。

 それまでは漠然と遠い、わたしとはどこか関係のない人物として大人の私を考えていたけど、その時にいまのわたしの積み上げていった先に未来の私がいるんだな、っていう実感と確信が持てた気がする。

 そしていつかヲウスと結婚するっていうことを真面目に考え出したのもこの頃だった。とはいっても「好き」って感情がはっきりと理解できたわけではなくて、いつか続く未来でも一緒にいることになるんだなあ、っていうことを考えたってだけだった。

 

 

 突然のことだった。

 いろいろなことがあったけど「好き」は結局わからないまま六年が経った時、唐突にヲウスに熊襲討伐の命が下された。

 熊襲がどういうところかはっきりと知っていたわけではないけれど、それでもヲウスが戻ってこないかもしれないっていうのははっきりとわかった。

 ヲウスがこの先も隣に立っていると思っていた当たり前は、当たり前じゃなかったんだって初めて分かった。そしてとってもこわくなった。目の前にいるヲウスが二度と戻ってこないんじゃないかと考えたら急に視界がさえぎられたような気分になって、胃の中がひっくりかえるようなどうしようもない気持ちの悪さを感じた。

 気づいたら体は土下座をして神様にお願いをしているところだった。

 

 

『何故、子はあの男を死から掬いたい?』

 

 

 その質問は、今日までのわたしにはわからなかった質問だった。でも、今日からのわたしは違う。だってこんなにも身を焦がすこの思いは、これ以外に名付けようのない名前がついていたんだから。

 

 

「ヲウスは、わたしの好きな人です。好きだから、死んでほしくないんです。」

 

 

 その答えは何年もわからなかったにしては随分とするりと口から飛び出て、驚くほどすっぽりと胸のうちに納まった。

 

 そう、ヲウスはわたしの好きな人。他の誰でもない、ヲウスに一緒にいてほしい。ヲウスといっしょにいたい。積み上げていった未来の果てまでヲウスと隣り合って歩いていきたい。それがわたしの望み。

 

 

 

 

 

 

────だから、そう思っていたから、そう思っていたけど、

 

 

「────ごめ、んね。」

 

 

 ずっと一緒にいたい。でも、このままじゃあわたしも神様もヲウスもみんな一緒に死んじゃう。それは、それだけは、だめ。みんな死んじゃったんじゃあなんにもならない。ヲウスとはずっと一緒にいたいけど、ヲウスもいっしょに死んじゃいたいなんて思ってない。これはきっと、わたしのわがままなんだろう。ヲウス、怒るだろうなあ。神様も怒るかな。怒るよね。

 でも、ヲウスには生きていてほしい。わたしが一緒に未来をみることはできなくなっちゃうけど、せめて、ヲウスには未来を見てほしい。きっとヲウスはいわなくてもわたしの見れなかった分まで見てくれるだろうから、心配はいらない。オオウスさまが死んじゃってからのちょっと前までのヲウスだったら心配だったけど、いまのヲウスなら心配もいらない。うん、きっと、大丈夫。だから。

 

 

 

 

────さようなら、わたしの愛するひと。

 

 

 

 




次話は明日更新します。

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