倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第十話 紅い剣と灰色の王。

 知っていた。

 分かっていた。

 ただ、分かりたくなかった。

 

 じじいの瞳に灯る火は、私を王位につけようというものであることを察していた。ここ十年ならば誰よりもじじいと共に居たという自負がある。分からないはずがない。

 決定的だったのは熊襲(くまそ)へ行けとの命が下ったあの晩だった。あのときじじいの中にあったのは、私が死んでしまうことの心配ではなく、永遠に次の王が失われてしまうかもしれないという果てなき不安であった。

 じじいは常に私を通して未来の王を見ていた。

 

 そんなじじいが兄上を差し置いて私を王位につけようとするのは分かりきったことだった。

 

 大和という国がだんだんと衰弱していくにつれ、それに比例するようにじじいの瞳の灯火は、どんどんと昏く、激しく、追われるように燃え上がっていた。

 その果てにあるものは、王位の簒奪か嫡子の廃適か、ともかく真っ当な手段ではないであろうことは明らかだった。

 心の底でそう思っていたからこそ、兄上が殺されたという報が宮中を駆け巡ったとき、すぐに犯人を察してしまった。

 

 止めることは出来た。

 だが、じじいの瞳の灯火は、それが消えたときどうなるか。分からないはずもなかったのだ。

 歩みを止めたときがじじいの死ぬときと、理解してしまった。

 

 止めれば死ぬかもしれないじじいを止めるのか、死ぬかもしれない兄上を助けるのか。

 

 最早どちらかしか選べなかった。

 全てを丸く納める答えなどなかった。

 

 血のつながった、ましてや血を分けた双子の兄。父のこともあり深く理解しあえたわけではなかったが、それでも優しい兄だった。私が王になるためなんかに殺したくなかった。

 

 タツの他に誰も理解などしてくれなかった時。軽蔑と無視と、前の教育係の過ぎた賛美しか知らなかった私に、真の理解を示してくれた、じじい。王になりたくないからといって、じじいという存在そのものの芯を砕きたくはなかった。

 

 私は二人と共に、未来を歩きたかった。

 

 もしかしたら、兄上を殺すなんて過激なことにはならないかもしれない。

 もしかしたら、じじいは私を王にするなんて諦めるかもしれない。

 もしかしたら、父上が譲位して全てが丸く収まるかもしれない。

 

 もしかしたら、もしかしたら。

 

 そんな「もし」にすがった私は何も選ばなかった。選べなかった。

 

 そうして二つともが手のひらからすり抜けていった。

 兄を見殺しにし、常にそばにあってくれた者をこの手で殺した。

 

 この世で一番の愚か者だ。くだらない妄想に気をとられ、全部を台無しにした。

 何が英雄。何が未来の偉大な王だ。

 

 くだらない。

 

 全てを投げ出してしまいたかった。

 全部全部ぶち壊して、横たわった朽ち木のように死んでしまいたかった。

 

 だけれど、それをしてしまったら今度こそ私は終わってしまう。

 じじいの最後の期待を裏切って、兄上の死を無駄にして、何もかもが終わってしまう。

 

 それだけは。それだけが、怖かった。

 怖くて怖くて仕方がなかったから、私は兄上の死もじじいの死も利用して、私は。

 

 

 私は、王になった。

 

 

 

 

「お前か────!お前が、私の、私の息子を!」

 

 父親だったものの慟哭も怒りも、最早私には届かない。

 全部全部利用して、私は私が殺した彼らに報うと決めた。

 だから、父親と分かり合おうなんて無駄な感情は、棄てた。

 最初から無理だったのだ。産まれた時から決まっていたのだ。父親と分かり合うなんてことはできないと。

 不可能なことにかかずらう暇などない。

 

 全てを利用して前に進むと決めたのだから。

 

 滴り落ちる雫は、昨日から降り続く雨のせいにした。

 

 

 

 英雄ヤマトタケルは王位に就いた。

 退位した景行天皇は前々から買っていた民や重臣の失望から、その影響力は宮中から一掃されるに至った。

 民に望まれ王位に就いた新たなる王は、景行天皇が築いてきた此度の災害への対処をさらに拡充させた。なかでも、大和に蔓延する死を遠ざける陣を各所に配置することは大きな成果を上げた。

 それまで一部の者が独占してきた術や陣の技術を一般に広めることは、多くの既得権益に与っていた者達の反感を生んだが、それを押し潰して余りある民からの圧倒的支持がそれらを可能にした。

 他にも数多くの有効な政策を打ち出した新王によって、一時大和に生きる者達に災害のことを忘れさせるほどにまでその被害を収縮させた。

 貧富の別なく万民を救ったその統治は、大和に生きる多くの民達の喝采を受けた。

 

 新王の政策は確かに効果的に大和を覆う災害に作用したが、多くの重臣や新王自身がよく理解している通り、それらはあくまで対処療法的措置にすぎず、このまま座して見ていればいずれふたたび死が噴出しだすことは明らかだった。

 各地に配置された陣は有機的に組み合わされ、噴き出す死を一時的に抑え込んでいる。が、大地に直接刻んだ訳でもない術が大いなる大災害を長らく抑え込めるはずもなく、もって一年が限界であろうと目された。なにせ、間欠泉を岩で無理矢理塞いでいるようなもの。いずれそれまで以上の勢いで死が噴き出すことは想像にかたくない。

 真にこの災害を終息させるため、この災害の原因を排除する。それが、新王に求められた次なる課題であった。

 

 諸々の対処を一月かけて成し遂げた新王は、詳細な情報を求めるため、伊勢へ赴いた。

 

 

 

「それで、私と『私』にこの死の正体を聞きに来たってわけね。」

 

「はい。どうか、姉上の御力を貸して頂きたく。」

 

「・・・いくらか見ない内に君は随分とつまらない男になってしまったね。」

 

『人の世はまことに素早く移り変わるもの。これもまた必然でしょう。』

 

 ヤマトタケルには最早何故目の前の一人と一柱がこのようなことを言うのか理解できなかった。あるいは、以前の彼になら届いたのかもしれないその言葉は、彼の心中になんらさざ波をたたせることもない。

 

「それで、この死の原因だったね?君も思い当たっている通り、これの原因は龍脈だ。」

 

 龍脈。大地を走る大いなる氣の集合体。巨大な生命の循環器であり、太陽とは違った方法で全ての生命へ恩恵を与えている。

 それが、大和へ死をもたらしている原因。

 

「龍脈が異常をきたしてまず最初に影響を受けたのは大地に根差した植物たちだ。作物はだんだんと実りを少なくしていった。人を含んだ動物たちに影響が及んだのは、龍脈の噴出口が多くある熊襲から。そうして龍脈の内部だけの限定的な死は地上へと噴き出し、やがて少しずつ大和を覆いはじめ、いまに至る、と。はてさて何故生命力の大元締めのような龍脈が死を運んでいるのか。それが聞きたいんでしょう?」

 

「はい。龍脈はこの大地を枝葉も含めればくまなく走っております。原因がどこにあってもおかしくありません。故に、地上をあまねく照らす姉上にしか、この原因は分かりますまい。」

 

 ヤマトタケルの告げたその言葉に、倭姫命(ヤマトヒメのミコト)は眉を少し下げ、淋しげな色を浮かべた。

 ヤマトタケルの投げかけた問いには、倭姫命(ヤマトヒメのミコト)の口より発せられる神の声が答えた。

 

『ええ、私は全てを照らし、見通しています。此度の死の原因、それは東にあります。天津神でなければ、ましてや国津神でもない。我々とは全く異なった起源をもつ神。それこそが龍脈を通し死をまき散らしている原因です。』

 

「つまり、大和を覆う死は大和の国の外よりやってきている、ということですか?」

 

『厳密にいえば大和を、というよりこの葦原の中ツ国(あしはらのなかつくに)そのものを覆っている、といえます。本来であればこのようなものを抑え込むことこそが我々神々に求められていることなのでしょうが、これは地の裂け目から噴き上がる炎の柱のように自然そのものがなすようなこと。先ほど東の神が原因といいましたが、東の神は神よりも現象に近いものですから。我々神々にできることと言えば多少被害を減じることぐらいです。昔のように大手を振って神々が現出することを控えなくてはならない時代です。下界のことは下界の者が差配する。そのために我々はあなた方に国を託したのですから。』

 

 厳粛に述べる天照大御神の言は、万物を慈しむ慈愛の女神でありながら、しかし神としての責務と線引きを感じさせる、子を愛しながらも突き放し厳しくそだてる母のようだった。

 

『ですが、人が神を打ち倒すというのは不可能です。できるできないを論ずることすらできません。神がわざわざ下界に降ろした現身ならば打倒することは難しくとも可能でしょうが、人が神そのものを討ち果たすというのはただ単純に、できないことなのです。』

 

 謡うように紡がれる神の言葉は、言葉そのものが強力な力を持ちながら周囲へと染みわたっていく。最高神の一挙手一投足はそこにいかなる意味を込めていようといなかろうと、否応なしに周囲の変質を抑えられない。あるいは、それこそが彼女がここを動かない理由の一つであるのかもしれない。

 

「でも、それじゃあどうしようもない。人はただ滅びるだけ。」

 

『だから、私と「私」がいます。』

 

 一人と一柱の言葉は、大和の全てを見回してもこれ以上頼れる言などどこにもいないだろうと思われた。

 ヤマトタケルは再び深々と頭を下げると、ひたすらに伏して陳述した。

 

「どうか、私に神殺しをなせるだけの力をお与えください。何を使おうとも、何を為そうとも。私は大和を守らねばなりません。どうか。ただただお願いいたします。」

 

 地に沈みこまんとするほどに下げられた頭を前に、倭姫命は心配そうな視線を少しばかり投げかけたあと、居住まいを正し、人と神との言葉を重ね合わせながら言った。

 

 

『「ヤマトタケルよ、ならばこれを受け取りなさい。願わくば、あなたがこの地に安寧をもたらさんことを。」』

 

 

 瞬間、それまで静かで落ち着いた空気を漂わせていた社の中は、たちまちのうちに塗り替えられた。

 吹き荒れる暴風の如き神威はこの森に満ちていた慈愛の神気とはかけ離れたもの。大地そのものの怒り、暴力、力。

 攻撃的な力を集めに集め、結晶化させたような。

 そんな剣が、倭姫命が突き出した両の手の間に、宙に浮かんでいた。

 

 それこそは、大いなる大地、その力の象徴。

 遥かな西の果て、騎士の王が手に取ることとなる勝利の剣が人々の願いの結晶であるというのなら、この剣は大地が生み出した外敵を打ち滅ぼさんとする暴力の結晶。

 誰もが憧れる星の輝きではなく、誰もが恐れ、畏怖し、遠ざけんとする、破壊をまき散らす紅く昏い輝き。

 

 須佐之男命(スサノヲのミコト)の振るう神剣、天羽々斬(アメノハバキリ)を欠けさせ、そのあまりの神威から高天原へと献上され、その後天照大御神が子孫、瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)が葦原の中ツ国へと降り立つ際に三種の神器が一つとして手渡された後もそのあまりの神威は神の血を引く王族にすら手に余るものであった。やがて鏡と共に宮を離れ、地を巡り、いま。ここに。

 

 いまにも暴れだそうとしているその神剣は直接触れていないにも関わらず、倭姫命の浮かべた手を焼いていた。

 社が剣に生み出される暴風と神威に軋み、悲鳴を上げる。桁外れの霊地の下で育ち、斬り倒され社となった後も日々最高神の神気を吸ってきた檜が、いまにも焼き切れそうになっていた。

 

 溢れ出る汗を全身から滴らせ、ヤマトタケルはゆっくりとその両手を持ち上げる。

 この剣を手に取れば、後戻りのできない()()()の先に脚を踏み出すことになる。そんな確信がヤマトタケルにはあった。

 だが、そんなことは関係ない。何があっても、何を使っても、何を為そうとも、私は前に進む。

 震える手を、汗の滴る手を、血の噴き出す手を、神剣へと掲げる。

 

 

 手が、触れた。

 

 全身から血が噴き出し、両手は炭化を始めている。しかし、ヤマトタケルはそのいずれにも気を払えなかった。

 脳内を駆け巡るのは指向性のない怒り。原初の力の象徴。あるいは、揺れ動く地の裂け目。大地より噴出する炎の柱。押し寄せる海嘯。ちっぽけな生命には抗いようもない現出した自然の力。人はそれに怒りの名をつけた。であれば、それは本当は怒りではないのかもしれない。しかし、放たれるどうしようもない力の奔流は怒りというほかない。

 ちっぽけな人間の体を埋め尽くすそれらに、ヤマトタケルはひたすらに耐え続ける。

 

 

 私は、私はッ!何があろうとも先に進むと決めたのだ!でなければ、何故私は家族を殺したのか!たかが自然の怒り如きが、私の邪魔をするなッ!

 

 

 押し寄せるすべてを抑えつけ、新たなる王は神の剣を掴みとった。

 

 爆発的な神威はそのすべてが剣の形に押し込められ、神威は神気となってヤマトタケルの全身を満たす。細胞一片一片が創り替わるような、目覚めるような感覚が全身を順繰りに巡っていく。ヤマトタケルがその双眸を見開くと、先ほどまで全身を滴り落ちていた血はどこかへと弾き飛ばされ、炭化していた両手はそれまで以上の力に満ち、体中にあったあらゆる傷は癒されていた。

 体に満ちる力は、先ほどまでの自分は水底にいたのではないのではないのかと感じるほどに軽やかに体を動かしてくれる。自身の体に欠けていたなにか。あるいは、目覚めていなかった何かが目覚め、満たされた気分だった。

 

 

『・・・やはり、あなたは主として認められたのですね。その剣の名は、天叢雲剣(アマノムラクモのツルギ)。大地が造り上げ、大地の化身である八岐大蛇がその身の内で鍛えた剣です。』

 

 天叢雲剣。ヤマトタケルがその名を呼ぶと、剣は静かに鳴動したように感じた。

 

 

 

 

 神剣を携えた新王は、いよいよ此度の大災害の原因を断つため立つこととなった。

 新王の失敗を想像もしていない大和の民たちは喝采を上げ彼の旅立ちを祝った。新王の下での果てしない発展を夢見て。

 臣たちは新王は決死の覚悟を定めたのだろうと見当違いのそれに感服し、ただただ無事の帰還を祈った。

 

 そして、数年前に新築されたばかりの新王の屋敷でも、また。

 

 

「ヲウス、東に行くんだって・・・?」

 

「ああ。」

 

 新王が王位についてより、もっといえば雨に打たれて帰ってきた晩から、ヤマトタケルが家で笑ったことはなかった。無論、橘姫が何もせず座してみていたはずもない。だが、ヤマトタケルは危ないから外には出るな、とそれ以外のことで言葉を重ねることはしなかった。

 彼女の言葉は届かない。どれだけ言の葉を重ねようとも、硬く閉ざされた心の扉の前では虚しく響き渡るのみ。

 だから、だからといって、ここで諦めるような彼女ではなかった。千の言葉で届かないのならば万の言葉を積み上げ、それでもだめなら扉を周りの壁ごとぶち壊して引っ張り出すような女なのだから。

 

 

「じゃあ、わたしも行くよ。東。」

 

 

 




今話は作中の展開もあって三人称視点でお送りしましたが、便利ですね三人称。たまに一人称っぽい文章もいれられるし。便利です。しかし、臨場感や感情表現を行うには文才乏しいわが身としては一人称が望ましいのですよね。難しい。

それと、更新少々遅れました。今週は平日まったくといっていいほど時間が取れなかったので日曜日一日使って書き進めたのでいままでかかりました。

なんとか今後も週一投稿を続けていきたい・・・。
頑張ります。

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