倭國の王、大和の皇   作:ナナナナナナシ

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第九話 大和という国と、王というもの。

 雨が、降っていた。

 冷たい雨が、体と心から熱を奪い去っていく。

 

 大碓尊(オオウスのミコト)が、兄上が、死んだ。

 

 事故死ではない。明確な殺意ある者による、死。

 血を分けた双子の兄は、殺された。

 下手人はいまだ見つかっていない。いままで私は知らないことだったが、兄上はふらりとどこかへ歩き出すことがあったのだという。その先で、背後から喉を搔き斬られているのが見つかった。

 当然、腕利きの護衛達が張り付いていた。だが、腕利きと称されたはずの彼らは全て、物言わぬ骸となっていた。死者は黙して何も語らない。

 王の子が殺される大事に、宮中は天地がひっくり返ったかのような大騒ぎとなった。そんな騒ぎを民に伝播させぬため、王子殺しは秘されることとなった。だが、そういったものはどこからか漏れるものらしく、都の民たちはこぞってどこぞの誰それが殺しただの噂した。

 

 冷たい雨は止むことを知らず。

 父上はこの一件以来重臣以外の者の前には一度もその姿を表していない。

 王子殺しをみすみす行われたことと、その対応に表にすら出てこない王。都の民の多くは、王子殺しの犯人と一緒に王への不満を口にした。

 そうして言うのだ。次代の王はやはり、英雄ヤマトタケルであると。

 

 事情を大して知りもしないで勝手気ままに噂しあう民達も。ここぞとばかりに私のもとを訪れる臣たちも。兄上の葬式すら行えないほどに慌てふためく宮中の様子も。こんなことになっても顔一つみせない父上も。

 全てが灰色の、ひどく醜いものに写った。

 

 

 

 

 灰色の空。灰色の道。灰色の床を軋ませて、とある部屋の前に立った。

 

「────ずいぶんと、遅かったですな。」

 

「────。」

 

 少し前まで煩いほどに耳を打った生き物たちの声は、いまや私の世界には絶えていた。

 

「────なぜ、殺した。じじい。いや、武内宿禰(タケウチのスクネ)。」

 

 老人は、くつくつと口のなかで笑った。

 

「分かりきったことを仰るのですな、皇子様。あなたが分かっておいでてないはずがない。」

 

 分からない。分かりたくない。そんなこと、認めたくない。

 

「政務を行い、各地を巡ったあなたが気づかないはずがない。この国が、死に瀕していることに。誰も彼もが死に誘われている。獣が暴れまわり、妖がところかまわず人々を食い漁り、穀物は実ることをやめ、人々は狂気を身に宿す。数年前の少しおかしな不作や、熊襲から始まった人や獣の狂い。少しの不作はいまや立派な飢饉となり、熊襲だけだった狂気は大和中にまで広まった。都や伊勢はまだ持っております。ご立派な結界がまだ効力を発揮している。けれど、少し離れればすぐにでも見えてくる。それこそ伊勢の大神や、都に集った多くの神々でなければ抑えられぬほどに、死が大和を覆い尽くしている。そんな状況で王位を継げるのは皇子様、あなたしかいない。」

 

「それが殺すことに繋がるかッ!!」

 

 剣はいまにも鞘走ろうとしていた。一刻も速く、この男を殺したい。殺したい!

 

「生憎と天皇(スメラミコト)は強情でして。皇子様を王位につけよと皆が申しても、この私の意見ですら聞こうとしない。数年前の騒動を引き合いに出して、お前たちは大碓尊を認めただろうなどと言って。死が顔を見せ始めてより、一度たりとも重臣の皆が大碓尊が王位につくことなど望んだことなどなかったのに。事ここに至り、天皇(スメラミコト)を殺すか大碓尊(オオウスのミコト)を殺すしかなくなってしまった。ですが、重臣全員の意見を突っぱねることはしてもあの天皇はそこまで無能な訳ではない。天皇の回した手のおかげでいまのところ大和は死なずにもっている。譲位もしないまま天皇に死んでもらうのは辛い。」

 

「だから、父上か兄上か殺すとしたら兄上だろうといって、そういって兄上を殺したのか!!」

 

 剣はすでに抜かれていた。いつの間にかに握っていた。

 

「数年前の騒動の時はまだよかった。大碓尊(オオウスのミコト)を王位にと考えられる余裕があった。死が噴出しているという懸念はあっても確証は無かった。しかし、もう無理なのです。有能な者(ヤマトタケル)を見過ごして無能な者(オオウスのミコト)が王位につけるほど、大和の状況は甘くはありません。いささか根回しに時間がかかりましたが、重臣の連中に納得していただいたおかげで、天皇はこれを機に譲位する、ということにすることができるようになった。そして、新しい王が王位につく。いまはできない、現状を打開するだけの腹案を皇子様はすでにお持ちでしょう。」

 

 剣の切っ先が震えた。

 

 ああ、確かにそうだ。父上に棄却されたが、この状況をいくらか和らげるための腹案を用意していた。大和を覆う死の原因について心当たりが無いわけでもない。

 だが、それでも。

 

「それでも、兄上を殺す必要はどこにも無い。父上に譲位を迫るだけの協力は得られたのだろう。それで兄上に譲位し私が手伝うなり私に譲位させるなりの方法はあったはずだ。それを、なぜ。」

 

 怒りの振り切れた平坦な声で問いかける。

 

「まず、何もなしに天皇に譲位させても、あの天皇は影響力を保ち続けます。大碓尊に譲位したのなら徹底的に皇子様を排除したでしょうし、皇子様にそのまま譲位することなどありえませぬ。いましか影響力を排し、皇子様への譲位を成すことはできません。そして、仮に天皇の影響を排除し大碓尊が王位につき、皇子がそれを補佐したとして、行き着くところは同じですよ。皇子様自身か、あるいは臣下の誰かが、いつか大碓尊を殺さざるを得なくなる時が来る。皇子様には、そうさせるだけの王威がある。いま私が殺すか、後々に皇子様が殺すか、それだけの違いです。」

 

「そんなことはしないッ!兄上を殺すなどッ!」

 

「ええ、そうでしょう。だからこれは所詮「もしも」の話です。私は私の信念にのっとり、この国のため、この国に生きる民のため、そして何よりも自分自身のために、王子殺しを為しました。お斬りください、皇子様。自分の欲のため、大罪を犯した老いぼれです。死罪と知って斬りました。ここで死ぬのは覚悟の上。されば、お斬りください。悔いは残しておりません。皇子様が王位につけるのなら、それで。」

 

 兄を殺した老人は、全てを成し遂げたような、全てに救われたような、満足げな笑みをたたえていた。

 

「───ああ、お前を斬ろう、武内宿禰(タケウチのスクネ)。」

 

 冷ややかな月明かりに照らされた剣は、待ち望んでいたはずのこの時を、しかし少しの斬りたくないという思いも載せて、

 

「もう皇子様に小言が言えないのは、少し、残念ですなあ。」

 

 

 

 振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 武内宿禰(タケウチのスクネ)という男は、後の第十二代天皇である景行天皇が生まれるより以前、第八代天皇、孝元天皇の息子彦太忍信命(ヒコフツオシのマコトのミコト)の息子として生まれた。

 天皇の血に連なる者であったが、その頃すでに彦太忍信命(ヒコフツオシのマコトのミコト)が皇室を離れていたことから、彼は高貴な生まれではあるものの皇室とは少し距離を置いた幼少期を過ごすこととなった。彼は幼いころより生来の優秀さを発揮し、齢八つにして大の大人に対し弁論で勝るほどであった。そして次第に、そうした早熟な子供にありがちな全能感を抱くようになっていった。

 私は何だってできる、誰よりもうまくできる。

 そうした優越感と自己中心的思想を周りの大人たちは察したうえでどうにもできなかった。実際、彼は何でも上手くやったし、誰よりもうまくことを成した。それでいて目につくほどの素行不良というわけでもなかったことから、彼はそうした思考を妨げられぬまま十二の年を重ねた。

 

 そして、転機が訪れる。彼が十二になったころ、彼はすでに父の政務を半ば肩代わりするような勢いで手伝っていた。

 いつものように作業を進めていると、些細なことからとあることに気付いてしまう。

 尊敬していた父が、都に正しい税の報告をせず、財の溜め込みを行っていることに。

 彼は膨れ上がった全能感と、他人のしている間違ったことを指摘し続けてきた経験から、深く考えることもせず、それら全てを明るみに出し、都に訴え、父を追放にまで追いやった。

 

 そしてその翌年、彼の見たものは、飢饉によって壊滅した村々だった。

 父が秘密裏に溜め込んできた穀物は彼の手で都へと運び出されていた。何も残ってはいなかった。それまで納めていたはずの税を取り立てるとして、納屋の米は全てなくなっていた。

 彼は知らなかった。彼は満足してしまっていた。父という巨悪を倒す自分に酔っていた。

 あわてて援助を頼みに駆け込んだ都で見たものは、誰も彼もが飽食し、食べられるものを捨てる人々と、役人たちの気色悪い笑みだけだった。

 一月の説得の末何も得られず戻った土地には、何一つとして残っていなかった。民も、臣下も、作物も、何も。何も。

 

 そう、過酷な税の取り立てに耐えかねる地方、特に父が治めていたような貧しい土地では、税の溜め込みだけが精一杯の抵抗だった。

 文句を言いにいっても難癖をつけられ僅かな米すらむしり取られるのが関の山。

 

 彼のしたことは、都の気色の悪い輩を肥えさせ、自分の治める民を殺しただけだった。

 

 起き上がる気力も無い民たちの、彼を見詰めた昏い瞳。彼が父を糾弾したとき、必死に説得しようとした父の臣下の怒りを写した黒々しい瞳。父が去った時、父が最後に見せたどろどろに溶けた意思の渦巻くおどろおどろしい瞳。

 ツテを辿って一時の宿を借りたそこで、彼は毎夜毎夜それらが自らを見詰めている気がしてならなかった。一睡も出来ず、食事も喉を通らなくなった彼は日に日に痩せ細り、落ち窪んだ目をせわしなく動かしながら自分を見つめる瞳に怯え続けた。

 

 それでも時とは無常に流れゆくもの。それらを思い出さない日はなくとも、彼はそんな日々にだんだんと適応していった。適応していく自分がとても怖かった。いつか、この出来事を忘れてしまうのではないかと不安に駆られた。

 彼は自分のせいで死んでいった者たちに何かしなければ、死んだ後にとてつもなく苦しい目に合うと確信していたのだ。

 

 そして、彼はあの事件が起こった原因を、自身の不甲斐なさと、王の失政に求めた。

 自身の不甲斐なさは言わずもがな。彼はありとあらゆる知識を吸い込み続け、どんなところでも最大限の経験を身に付けようと仕事をした。

 そして、王の失政。あのとき、間違いなく都は腐っていた。税を積み上げ、兵を送ってどんな手を使ってでも取り立てる。

 都は醜く太り続け、王は政になんの関心も抱いていなかった。王は自分が楽しければそれでよかった。

 

 王へと渦巻く怨念がそうしたのか、王は間もなく崩御した。そして次代の王が王位について、都の腐敗は劇的に変わった。醜く肥え太った役人たちは一掃され、無意味に積み上げられた税は見直され、民は死なずに冬を越せるようになった。

 そうした劇的な改善も、彼に王の能力への執着を強くした。王の能力一つでここまで変わるのだから、王には必ず有能な者が就かなくてはならない。

 そうした確信は自身への悔恨も相まり、深く深く彼の心に刻まれた。

 

 彼が自身の能力を高め続けるために、そして物事を広く見つめるために多くの仕事に就いてきたその職歴を知った、まだ若かりし頃の景行天皇は彼を雇いいれた。多くの有用な陳言を奏上した彼は、景行天皇に信用はされたが信頼はされなかった。彼は確かに有能だったが、景行天皇自身が有能でなくてはならないと考える彼を、景行天皇は重用しなかった。

 結果、成長するにつれ、景行天皇は彼を遠ざけた。彼は景行天皇をまずまず有能であると評価していたため、自分がいなくても大丈夫だろうと景行天皇から遠ざかることをよしとした。

 

 彼が野に下り仕事をし始めてしばらくすると、以前のツテからとある噂を耳にする。なんでも、とても優秀な王の次男がいるのだが、王には酷く嫌われているのだとか。

 彼は次の王を見定めるのに丁度いいだろうと考え、宮の教育係に転職した。

 そして、運命に出会う。

 

 皇子は、真の天賦の才の持ち主であった。

 彼が老境に差し掛からんとするまでに積む上げた経験、努力、その全ての先にその皇子はいた。

 彼は夢想した。彼が積み上げてきた全てを皇子に注ぎ込んだその先に、最も偉大な王が生まれるだろうと彼は確信した。

 

 だが、問題があった。皇子は王に疎まれていた。内側から変えるには最早手遅れと言わざるを得ないほどに、王の意思は凝り固まっていた。

 ならば、外から変えるしかない。一番皇子に心酔していた先任の教育係に少しばかり吹き込むと、そいつは思った通りに動いてくれた。いまだ知られぬ皇子の有能さを、民たちに広く伝えてくれた。小さな火種だが、こうした火種が後々何らかの出来事に合わせ一気に広がるものなのだ。

 彼は他にもいまの重臣と接触も持ち始めた。

 

 そうした彼の努力はしかし、くだらない王の思い付きによって破綻するかに思われた。困難に過ぎた試練を与えられ、しかしてそれを乗り越えた皇子の名声は留まるところを知らなかった。このままならば何もしなくても十年もたてば勝手に皇子が王位に就くだろう。そう、安心しかけた時だった。

 

 死が、大和の国を覆い始めた。

 このままではまずい。有能な王だとか次は一体誰かなどと言う前に、この国が滅びに瀕していた。民が死のうとしていた。

 このままでは、あのときの悲劇を何倍にも大きくしたものがこの国を襲う。それだけはあってはならない。

 

 十年後などと悠長なことはいっていられない。一刻も早く、より有能な王を王位につけるため、彼は行動を開始した。

 

 

 

 ───ああ、これで、大丈夫だ。皇子様はきちんと国を治めてくれる。後悔に追われた人生だったが、最後の時ばかりは、後悔無く、逝ける。

 

 ああ、でも、

 

 

「もう皇子様に小言が言えないのは、少し、残念ですなあ。」

 

 

 

 

 





お気に入りのキャラではありましたが、じじいと大碓尊は登場させた時からこうしようと決めていました。

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