ー想い歌ー   作:土斑猫

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 本作はライトノベル「半分の月がのぼる空」の二次創作作品です。
 オリジナルキャラが登場し、重要な役割を占めます。
 オリキャラに拒否感を感じる方は、お気をつけください。

 また、今作はボーカロイドの曲、「悪ノ召使」関連に関係した表現が多く出ます。
 一連の曲を知っていると、より分かりやすく読めると思います。

 興味があれば、聞いてみてくださいな。


ー想い歌ー・㉙

                  ―29―

 

 

 いつしか、月はその顔を隠していた。

 眼下で嬌声を上げる少女。

 その声を。その言葉を。それ以上聞く事を拒む様に。

 月は、その顔を隠していた。

 

 

 「くふ、くふ、くふふ……」

 笑いに引きつく身体を、抱える様に折り曲げる蓮華。

 その様を、あたしはただ呆然と眺めていた。

 思考が、完全に麻痺していた。

 目の前で笑い転げる少女。

 歳も。

 学年も。

 体つきも。

 自分と、変わらない少女である筈の存在。

 けれど、今のあたしの目に映るものは、そうではなかった。

 それは、あまりに歪み尽くして。

 あまりに、壊れ尽くして。

 そして、あまりに異質だった。

 いや、彼女が異質である事は最初から知っていた。

 知っている、つもりだった。

 けれど。

 だけど。

 甘かった。

 浅かった。

 あたしは。いや、きっと戎崎先輩も、そして秋庭先輩さえも。

 彼女の。如月蓮華の中に潜む闇の深さを、甘く見ていた。

 それを知らしめる様に、彼女は笑い続ける。

 そんなあたし達の浅はかさを、揶揄する様に。

 ――と――

 ピタリ

 闇を揺らしていた、嬌声が止まる。

 そして、

 ユラリ

 彼女が、ゆっくりと身を起こす。

 漆黒の目が、あたしを捉える。

 月の隠れた夜闇の中で、それは昏い洞穴の様に見えた。

 「……で……」

 思わず後ずさるあたしに、彼女が言う。

 「あんたは、“あの女”に何を頼まれた?」

 あの女。それが、彼女の母親の事を指しているのだと直感的に分かった。

 そう。この娘にとっては、自分を想うあの(ひと)さえ、その程度の存在でしかないのだ。

 「何、黙ってる?」

 立ち尽くすあたしに、彼女がにじり寄る。

 どうしていいのか分からない。

 何を言っても。何をしても。この娘の心には届かない。

 どうしようもなかった。

 彼女が、近づいてくる。ゆらりゆらりと、その身を揺らして。

 「ほら。言ってごらんよ。あの女、何を言った?何を託した?」

 気圧されるままに、後ずさる。

 トスン

 程なく背中が、橋の欄干に当たる。もう、逃げ場はない。

 「言えないなら、代わりに言ってあげようか?」

 あたしの身体を挟み込む様に、白い腕が欄干を掴む。

 ビョウ

 風が吹く。

 長くたなびく彼女の髪が、あたしの頬をくすぐる。汗の匂いが、微かに香った。

 彼女が、顔を寄せてくる。甘い吐息が、顔にかかる。

 そして、

 「――あの子の、本当の友達になって――てか?」

 あの(ひと)があたしに託した言葉を、彼女は一言一句違わずに言って見せた。

 

 

 日が暮れ、夜の満ちた部屋の中。

 灯りを灯す事もなく、”彼女”はただ座っていた。

 食卓の上には、すでに冷め切った食事が二人分。けれど、それを囲むべき家族の姿は、そこにはない。

 今日だけの話ではない。その相手は、昨日から彼女の元へは帰っていなかった。

 けれど、彼女はそれに対する行動を起こそうとはしなかった。

 学校へ問いかける事も。警察へ通報する事も。彼女はしなかった。

 分かって、いたから。

 自分がそれをしたところで、かの子の心は戻ってこないと。

 その術はもう、自分の手の中にはないのだと。

 彼女には、もう待つしか出来る事はなかった。

 それが、奇跡にも等しい確率でしかないと知りながらも。

 彼女は、ただ待つだけだった。

 ツウ……

 痩けた頬を、一筋の雫が伝う。

 こぼれたそれが、胸に抱いた写真に落ちる。

 滴ったそれは、写真の表面に細い細い線を描く。

 まるで、写真の少女が泣いているかの様に。

 昏い部屋。

 闇の向こうは、見えない。

 まだ、見えない。

 

 

 「……図星?」

 震えるあたしの耳元でそう囁くと、蓮華はその顔にまた笑みを浮かべる。

 白い顔に浮かぶそれは、まるで仮面に入った亀裂の様だ。

 「あんたも災難だね。こんな無駄な事押し付けられて」

 クックッとせせら笑いながら、彼女があたしから身を離す。

 ハァッ

 肺に澱んだ空気を吐き出す。

 そんなあたしを横目で見ながら、彼女は言う。

 「でもね」

 色のない声で。

 「あんたじゃ、役不足」

 ザックリと、切り捨てた。

 

 

 「しかしなぁ……」

 「ん?」

 何処か腑に落ちない気持ちで呟いた僕の言葉に、里香が小首を傾げる気配がした。

 「こら!!後ろ向くな!!」

 思わず振り返ろうとしたら、怒られた。

 驚いた拍子に、自転車の頭が少し振れる。

 「うわっ!!ととっ!!」

 「ほら、危ない!!ちゃんと前見ろ!!」

 里香の怒声を聞きながら、慌てて自転車を立て直す。

 「あ、危なかった……」

 「気をつけてよ!!裕一の馬鹿!!」

 青息を吐く僕の耳を、里香の叱咤が容赦なく打つ。

 けど、何だな。今回の事件で散々言われたせいか、少々馬鹿と言われても気にならなくなったな。良い事なのかどうかは、知らないけど。

 「で、何?」

 そんな間の抜けた事を考えていたら、また里香に声をかけられた。

 「へ?何って何だよ?」

 「さっき、何か言ってたじゃない」

 「あー、あれな」

 いつの間にか、月が隠れていた。見えづらくなった視界に気をつけながら、僕は里香との会話に意識を向ける。

 「あいつの事さ」

 「あいつって、如月さんの事?」

 「ああ」

 里香の問いに頷きながら、僕は目の前に漂う夜闇を見つめる。

 「やっぱり、よく分かんないんだよなぁ。結局、あいつは俺にどうして欲しかったんだよ?俺は男だし、あいつの姉ちゃんにはなれないんだぞ?」

 「裕一、ホントに馬鹿」

 間髪入れずに言われた。

 後ろは向けないけど、多分その顔は呆れに満ちている事だろう。いやいや、いつもの調子に戻った様で、結構な事だ。

 「言ったじゃない?あの娘はね、なくした片割れになれる人を探していたの。男だとか、女だとか、そんなの関係ない」

 その言葉を聞いて、僕は改めて溜息をつく。

 「何だよ。例の歌の、「王女様」ってやつか?馬鹿馬鹿しい。そんな妄想に付き合わされちゃあ、たまったもんじゃねえよ」

 「………」

 「召使気取りだか何だかしらないけど、お使えする方が亡くなったんだろ?それなら、召使らしく喪に服してりゃいいんだ!!」

 里香が、眉をひそめるのが気配で分かった。

 自分でも、酷い事を言っている自覚はあった。俗に言う、死体蹴りってやつだ。だけど、自重する気は微塵も浮かばなかった。とにかく、僕の蓮華に対する怒りの衝動は、まだ微塵も収まってはいなかったのだ。

 「だいたい……」

 「裕一」

 さらに言い募ろうとしたら、ついに里香の声が飛んだ。

 やばい。怒らせたか?一瞬後悔したけど、放った言葉を引っ込める事は出来ない。首をすくめて、次に飛んでくるであろう罵詈雑言を待つ。

 けど、聞こえてきたのは予想外の言葉だった。

 「分かってない」

 「へ?」

 「裕一、全然分かってない」

 「な、何がだよ」

 戸惑う僕に、里香は言う。

 「違うよ」

 「は?」

 「あの娘、召使なんかじゃない」

 「え……?」

 「あの娘は……」

 里香が口にした言葉に、自転車のライトが微かに揺れた。

 

 

 「無駄な努力、ご苦労様」

 薄笑みを浮かべながらそう言う蓮華を、あたしはただ呆然と眺めていた。

 駄目だ。

 その事が、はっきりと分かった。

 さっきまで見せていた弱さは、もう微塵も見えない。彼女の心は、また闇の底に沈んでしまった。

 どうしようもない無力感が、身体を満たしていた。

 ああ、やっぱり無理だった。

 分かっていたのだ。

 この娘の闇は、あまりにも深い。あたしみたいな小娘に、どうにか出来る筈はないと。

 分かっていた筈なのに。

 後悔の隅で、あの(ひと)の顔が脳裏を過る。

 この結末を知ったら、あの(ひと)は失望するだろうか。

 初めて、人に託された。願い。想い。

 それに、力が及ばない。その事が、こんなにも痛く、重いものだと言う事を初めて知る。

 噛み締めた唇。そこから、微かに鉄錆の味が染みた。

 「あはは。何で、あんたが死にそうな顔してんのよ?」

 突然、浴びせられる嘲笑。上げた視線の先で、蓮華が破顔していた。

 それは、とても綺麗で、無邪気で、だけど、昏い悪意に彩られた笑顔。

 あたしの、そして恐らくはその向こうにある母親の想い。

 その全てを嘲笑い、踏み躙る顔。

 表現するなら、それは正しく――

 ”悪”だった。

 「あはは。でも、スッキリした」

 彼女は笑う。その笑顔に、姿に、声に、”悪”という言葉を体現しながら。

 「正直、腐ってたんだよねぇ。戎崎先輩は手に入れ損ねちゃうし、秋庭さんには負けちゃうし。ホント、馬鹿ばっかで嫌になっちゃう」

 あはは。あはは。

 嘲笑う。

 「でも、もういいや。どうでも、いいや。あたし、馬鹿になれないし」

 戎崎先輩の覚悟を知り、秋庭先輩の想いを理解し、それでも、なお彼女は嘲笑う。

 まるで、そうする事が自分の存在意義とでも言うかの様に。

 そこには、さっきまで見せていた弱く、疲れ果てた少女の姿はなかった。

 あるのは、全てを嘲り、睥睨する罪深き王の如き存在。

 否、満ちる夜闇をドレスの様に纏ったその姿は――

 そこに思い至って、あたしは理解する。

 自分の、思い違いを。

 ――「悪ノ召使」――

 彼女が口ずさみ、身に纏わせていたという歌。

 それが示す様に、あたしは彼女を召使なのだと思っていた。

 守り、使えるべき王女を失った召使。

 だからこそ、彼女はその面影を追い求め続けていたのだと。

 けれど、違う。

 今、あたしの前にいる彼女は、そんな哀れな存在じゃなかった。

 そう。

 彼女は“王女”だった。

 それは、全ての始まり。そして、全ての終わり。

 召使が全てを託し託された、“悪ノ娘”だったのだ。

 

 

                                  続く


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