ー想い歌ー   作:土斑猫

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 本作はライトノベル「半分の月がのぼる空」の二次創作作品です。
 オリジナルキャラが登場し、重要な役割を占めます。
 オリキャラに拒否感を感じる方は、お気をつけください。

 また、今作はボーカロイドの曲、「悪ノ召使」関連に関係した表現が多く出ます。
 一連の曲を知っていると、より分かりやすく読めると思います。

 興味があれば、聞いてみてくださいな。


ー想い歌ー・⑱

                   ―18―

 

 

 

 「二人の関係がおかしくなったのは、あの娘達が中学に入ってからの時の事だったわ」

 お互いの湯飲みに二杯目のお茶を注ぎながら、如月蓮華の母親は静かに話す。

 「それまでには、休みの日には欠かさず会ってたのに、だんだんとそれが途切れ途切れになって、ついには全然会わなくなってしまった……」

 時折お茶で喉を湿らせながら、如月蓮華の母親の話は続く。

 

 

 二人で会う事がなくなってから、如月蓮華は目に見えて塞ぎ込む様になってしまった。

 心配した母親は、双子の片割れである如月鈴華の保護者。つまり二人の父親に連絡をとった。

 返って来た答えは驚くべきものだった。

 鈴華に、恋人が出来たのだという。

 相手は、通っていた中学の同級生。

 ただし、その少年は普通の少年ではなかった。

 彼は、病を患っていた――

 

 

 訳が分からなかった。

 蓮華(こいつ)の言っている事が。

 蓮華(こいつ)の求めている事が。

 僕には、全く分からなかった。

 選ぶ?

 今度こそ?

 一体何の事だ?

 何を言っているんだ?

 狼狽する僕の目を、蓮華はじっと見つめてくる。

 まるで、何かを求める様に。まるで、何かにすがる様に。

 けれど、その暗く燃える瞳はそのままに。

 僕らの時間が、凍った様に止まる。

 その間は、どれほどだっただろう。

 10秒?5秒?それとも、もっと―

 ハッと気付いた時、僕の耳に飛び込んできたのは、カッカッカッという靴が床を蹴る固い音。

 ――里香が、走っている――

 その事が頭に浸透したその瞬間、僕は力いっぱい蓮華を突き飛ばしていた。

 床に突き倒された蓮華が短く悲鳴を上げたが、そんな事に構っている暇はなかった。

 僕は蓮華を顧みる事もなく、里香の足音を追って走り出していた。

 

 

 如月鈴華がその少年に会ったのは、中学に入学して最初の週末。

 先生に頼まれて学校のプリントを届けに行った時の事。

 行き先は、少年の家ではなく市立病院の一室。

 ノックをして入った先で、その少年は待っていた。

 

 

 「一目惚れだったらしいわ」

 手にした茶碗をコトリ、と置きながら、如月蓮華の母親はそう言ってフフ、と笑った。

 「本人に会った事があったけど、別にどうって事のない子だったのよ。特別に美形だった訳でもないし。本当、何処にでもいる様な、普通の男の子。でも、あの娘は、鈴華は夢中だった」

 

 

 少年は、心臓の病を抱えていた。

 小学生の時にリウマチ熱に罹り、それによって「大動脈弁狭窄症」を併発したらしい。

 手術の必要があったが、幼い頃から病と闘ってきた少年の体力は弱く、手術(それ)に耐えられる見込みは少なかった。

 そして何より、長年の闘病生活に少年自身が疲れきり、手術という大事に向き合う気力を失っていた。

 そんな少年を、如月鈴華は懸命に励ました。

 学校の放課後、休日、夏休みに冬休み。足しげく病院に通い、少年の側に寄り添い続けた。

 そんな二人に、やがて変化が現れる。

 塞ぎ込みがちだった少年が、如月鈴華に興味を持ち出したのだ。

 少年は鈴華の話に耳を傾け、鈴華が笑えば、笑顔でそれに応じた。

 そうして二人の間は、急速に縮まっていった――

 

 

 「……そんな二人の事を、蓮華は良く思っていなかったわ。何度も、そんな明日をも知れない相手に入れ込むのはやめろって言ってた。自分で心臓病の勉強をしては、その事を教えたりもしてたみたい。だけど、それでも鈴華の気持ちは変わらなかった……」

 当然だろうな、と吉崎多香子は思う。

 人が人を想う気持ちは、そんな事で変わるものではない。

 秋庭里香と戎崎裕一が良い例だ。

 第三者がどれだけ口を挟もうが、どんな事実が立ち塞がろうが、一度つながった二人の心を分ける事など、出来はしない。

 たとえ、それが同じ血を分けた片割れの言葉であったとしても。

 一人の人間が持つ心は、あくまでその人間のものなのだ。

 青臭い考えだと思われるかもしれないが、今のあの二人を知る吉崎多香子にとっては、それはまごう事なき真実だった。

 

 

 そして、事態は少なからずの進展を見せ始めた。

 何に対しても消極的だった少年が、行動を起こし始めたのだ。

 自ら進んで体力作りに励み、出される食事も全部食べる様になった。

 そしてその傍らには、いつも伴侶の様に寄り添う如月鈴華の姿があった。

 時間はゆっくりと過ぎていき、やがて彼女達が三年生になる頃、少年の身体は手術に耐えうるだけの体力があると判断されるまでに持ち直していた。

 そして、手術の日が決まった。

 

 

 「よっぽど、嬉しかったのね。わたし達の所にも、電話をかけてきたわ。彼が治るって。治ったら、一緒にいっぱい遊ぶんだって。海にも、動物園にも、遊園地にも行くんだって。本当に、子供みたいにはしゃいでた」

 同じだな、と吉崎多香子は思った。

 秋庭里香も、戎崎裕一という存在を得てから“生きる”という事に対して貪欲になったのだと聞いた。

 人が人を想う気持ちは、それほどまでに強い。一人の人間を、死の影から引っ張り上げるほどに。

 吉崎多香子は、その事を再確認した様な思いでいた。

 如月蓮華の母親の、次の言葉を聞くまでは。

 「……良い話だと思った……?」

 「え……あ、はい、その……」

 不意に飛んできたその問いに、吉崎多香子は思わず頷く。

 しかし――

 「でもね……神様って、そんなに優しくないのよ……」

 能面の様に無表情な顔で、如月蓮華の母はそう言った。

 その手の中の湯飲みが小さく震えて、カタタ、と鳴った。

 

 

 “それ”は、あまりにも唐突に訪れた。

 手術まであと数日という日の朝、彼の心臓は突然その動きを止めた。

 緊急の処置が、それこそ考えられうる全ての手が施された。

 けれど、彼の心臓が再び動く事は二度となかった。

 「大動脈弁狭窄症」による心不全。

 それが、医者から遺された者達に告げられた、最後の言葉だった。

 

 

 僕は必死で走っていた。

 耳には、相変わらず走る里香の足音が響いている。

 その音が、僕には終わりを告げるカウントダウンの様に聞こえていた。

 馬鹿な!!

 そんな事、あってたまるか!!

 僕は、走る足に力を込める。

 どれくらい走っただろう。

 実際の時間にしたら、ほんの数十秒くらいのものだろう。

 それでも僕には、とてつもなく長い時間の様に感じられた。

 やがて、僕の目に走る里香の後姿が見えてくる。

 それからは、あっという間だった。

 いくら先に走り出したとはいっても、里香の足は僕よりずっと遅い。

 僕達の距離はどんどん縮まっていく。

 僕は里香に向けて、いっぱいに右手を伸ばす。

 そして――

 僕の右手が、里香の肩を掴んだ。

 そのまま、力いっぱい抱き寄せる。

 「放して!!」

 腕の中で荒い息をつきながら、里香がもがく。

 身体越しに、彼女の鼓動が伝わってくる。

 速い。

 まるで、今にも破裂しそうな程に激しく波打っている。

 それを押さえ込もうとする様に、僕は抱き締める腕に力を込める。

 「落ち着けよ!!里香!!落ちつけったら!!」

 「うるさい!!放してったら!!放せ!!」

 怒鳴る僕に、里香が怒鳴り返す。

 こんなに錯乱した里香を見たのは、初めてだった。

 伝わってくる心臓の鼓動は、相変わらず早い。

 とにかく、落ち着かせなければ。

 しかし、どうすればいいのだろう。

 言葉で言っても、今の里香は聞いてはくれない。

 それなら、どうすればいい?

 分からない。

 僕には、分からない。

 だから、僕は抱きしめる腕に一層腕を込めた。

 それしか、分からないから。

 それしか、出来ないから。

 里香はもがくが、僕は放さない。

 ただ、ただ、ありったけの力で抱きしめる。

 一分。

 二分。

 腕の中で、里香の抵抗が弱まってくる。

 それに合わせる様に、早鐘の様に波打っていた鼓動が静かになっていく。

 やがて、里香がすっかり大人しくなると、僕はやっと力を抜いた。

 「「はぁ……」」

 二人同時に、大きく息をつく。

 僕は廊下の壁に背中をつけると、里香を抱き締めたまま、ズルズルと床に崩れ落ちた。

 当然、里香の身体もそれについてくる。

 「里香……大丈夫か?どうも……なってないか?」

 僕は、当然の様に問う。

 「………」

 けれど、返事は返ってこない。

 「おい、里香?」

 不安にかられ、もう一度問う。 

 「………」

 やっぱり、答えはない。

 「おい!!里……!?」

 たまらず、もう一度かけようとした声が途切れた。

 首にかかる重み。

 口を覆う、温かくて柔らかい感触。

 里香が僕の首にしがみつき、ぶつける様に唇を合わせてきていた。

 「……!!」

 不意の事に、崩れる体勢。

 そのまま、僕達はもつれる様に床に倒れ込んだ。

 酷く、長く。

 そして艶かしいキスだった。

 思考が。身体が。硬直する。

 里香は、離れない。放そうと、しない。

 すっかり日が落ちて暗くなった廊下に、僕達の息遣いだけが響く。

 これ以上続いたら、何かが壊れる。

 そんな恐怖に耐えかねて、僕は里香の身体を押し戻した。

 ハァッ

 二人の口から漏れる、熱い息。

 「な、何だよ、里香!!どうし……」

 半ば咳き込む様にしながら、里香にかけようとした言葉が詰まる。

 僕に覆い被さる様に上になった里香の目が、僕を見つめていた。

 昏い、熱のこもった瞳だった。

 息を呑む僕の右手を、里香が掴む。

 その力は、本当に彼女のものかと思える位に強かった。

 里香の手は、強く。けれどぎこちなく。僕の手を引き上げる。

 そして――

 そのまま、自分の左胸に押し当てた。

 一瞬、本気で呼吸が止まった。

 柔らかなふくらみの奥で、命を刻む鼓動を感じる。

 それはとても温かくて、優しくて、そして蠱惑的な感触だった。

 僕の全身で、血液が一気に沸騰した。

 「り、里香!!お前、何やって……!?」

 「裕一……」

 里香が、呟く様に言った。

 「……あの娘にも、されたの……?こんな事……」

 「え……?」

 答えに窮する僕の胸に、里香が顔を埋めてくる。

 甘い香とともに、長い髪が顔をくすぐった。

 「……いい、よ……」

 微かな艶を絡めた声が、静かに囁く。

 「……裕一になら、いい……」

 「――――っ!!」

 思わず見上げると、見下ろす里香の瞳と視線が合った。

 里香の目。強さと儚さを併せ持った瞳。

 それが、ユラユラと揺れていた。

 艶っぽい熱をもって潤む眼差し。

 ドクン

 里香の意図を察した瞬間、心臓が大きく跳ねた。

 

 

 「……暗くなったわね」

 如月蓮華の母親はそう言うと、立ち上がって部屋の電灯の紐を引いた。

 カチリ

 小さな音が鳴って、薄闇に沈んでいた部屋がパッと明るくなる。

 けれど、それでも部屋に漂う闇は消えない。

 むしろ、中途半端な光はそこにある闇をより濃く浮き上がらせる。

 客間の隣、深い闇に沈んだ仏間。

 それを視界の隅に入れながら、吉崎多香子は知らず知らずのうちにその身を竦ませていた。

 「吉崎さん……」

 電灯を点けたその姿勢のままで、如月蓮華の母親が言う。

 その声につられて、吉崎多香子は顔を上げる。

 こちらを見下ろす如月蓮華の母親。

 電灯の光を背に受けるその顔も、闇に彩られていた。

 闇。

 闇。

 闇。

 いつしか、この家の全てに闇が満ちていた。

 空気。空間。そして、人間(ひと)に至るまで。

 「吉崎さん、知ってる……?」

 人の形をとった闇が囁く。

 「神様って、酷いのよ……」

 闇色の声が、闇の中に響いて消える。

 「本当に、本当に、酷いの……」

 悲傷とも、怨嗟ともとれる声。

 吉崎多香子は、その声に不吉なものを感じる。

 それは、この後語られる事がどんなものなのか、薄々感じ取っていたからかもしれない。

 如月鈴華が愛した少年は、もうこの世にいない。

 けど、その如月鈴華も、もうこの世にはいない。

 何故、彼女はその命を失ったのか。

 何が、彼女の命を奪ったのか。

 一つの“答え”が、頭を過ぎる。

 その“答え”に身体の芯から、震えが沸き起こる。

 聞くべきなのだろうか。

 いや、聞く事は許されるのだろうか。

 自分が。

 この家族に。

 この姉妹に。

 何の縁もゆかりもない自分が。

 恐らくは彼女達が孕む、もっとも深い闇の事を。

 知ってしまって、いいのだろうか。

 それが、酷く罪深い事の様に思えて、吉崎多香子は思わず席を立とうとした。

 しかし――

 腰を浮かしかけたところで、その動きは止まった。

 いつの間にか元通りに座った如月蓮華の母親が、こちらを見ていた。

 じっと。

 じっと。

 逸らす事なく。

 見つめてくる瞳。

 それを見た瞬間、吉崎多香子は悟った。

 もう、逃げられないのだと。

 

 

 ……こんな事を、想像した事がない訳じゃなかった。

 いつかはこう言う時が来るかもしれない、と思った事もあった。

 けど、それはいつも霞がかかった様に曖昧で。

 手を伸ばしても、届きそうで届かない所にあった。 

 何より、実際に里香を前にすると、そんな荒々しい衝動は形を潜めた。

 それくらい、里香は神聖で大事な宝物だった。

 汚しちゃいけない。

 壊しちゃいけない。

 里香と一緒にいる。

 それだけで、全ては満たされていた。

 その筈だった。

 けど。

 だけど。

 

 

 僕は、気づいてしまった。

 自分の中で、燃えている”それ”に。

 焔だった。

 それは、”あいつ”の中にあったもの。

 蓮華の身体に灯っていた、焔。

 昏く、熱く燃える灯火。 

 彼女と身体を重ねた、ほんの一時。

 それが。

 僕の中にも、燃え移っていた事を。

 まずい。

 そう思いかけた瞬間、それが僕の脳漿に引火した。

 

 

 嫌だった。

 絶対に、嫌だった。

 彼を。

 裕一を。

 失う事が、嫌だった。

 今なら分かる。

 ”彼女”の想いの形が。

 それは、巨大な蛇だった。

 虚ろにのたうつそれは、あたしの心に巻き付き、締め上げる。

 責め立てる。

 いいのかと。

 奪われて、いいのかと。

 心が軋む。

 悲鳴を、上げる。

 耐えられなかった。

 耐えられる筈がなかった。

 だから、決めた。

 何をしても。

 何を壊そうとも。

 つなぎ止めると。

 

 

 「裕一……」

 里香が、言う。

 「いいから……あたしは、いいから……」

 脳が、熱に浮かされる。

 「だから……」

 腕が、華奢な身体を抱き寄せる。

 「だから……」

 そのまま、ゴロリと転がる。

 体勢が入れ替わって、僕が里香を組み敷く形になった。

 視界に入る、白い首筋。

 「お願い……」

 次の言葉を聞く事なく、僕はそこに顔を埋めた。

 口付けた舌先に広がる、甘い肌の味。

 「んっ……!!」

 か細い声とともに、里香の身体がビクリと震える。

 首に絡まる腕が、戦慄く。

 戦慄きながら、抱き寄せる。

 まるで、すがり求める様に。

 耳元で、今にも絶えそうな声が言った。

 「いかないで……」、と。

 

 

                                  続く


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