二八歳だった前世よりも頼もしい六歳児の体で順調に旅を進めていた私が、あと一日くらい歩けば最初の目的地の村に着くかな? という時だった。
川辺で火をおこし水を沸かして、途中で摘んだ野草を使ったハーブティーでブレイクタイムなんて贅沢をしていた。いや、生水を飲むのも危ないし野草に薬効もあるからただの贅沢じゃないけど。
このあたりの魔物は少なくとも、平地に出てくる奴らに脅威はないと知れたからこその心の余裕。余裕って大事だよね。人生を豊かにしてくれる。
「魔法って便利……」
満足げに一息つくと、煌々と燃える炎を見る。
初歩的な黒霊術の属性術
両方ともしょぼい威力ながらお湯を沸かすのには十分だと思う。もう魔法は便利系だけ使えればいい気がしてきた私は安い女だろうか。
そうしてお茶を飲んでくつろぎ、さっき倒した黄色い軟体魔物をクッションに(ビーズクッションみたい)川の流れる長閑な景色を鑑賞していた。
すると、上流で何かが光った気がした。まさか金目の物でも流れてきたかと都合のいいことを考えつつ、川辺にいそいそと近づいた私はそれどころでない事態に遭遇することになる。
どんぶらこっこどんぶらこっこ。
緩やかな川を流れてくるそれは、そんな昔話のフレーズを思い出させた。
太陽の光に反射してよく見えないそれを、目を細めてまじまじと観察する。すると距離が近づいて来たことで、やっと全体図が把握出来るようになった。
最初の感想は「何か金色のモサモサがある」。水に濡れてぺっしょり潰れているものの、金色で量がある糸のようなものが太い木の枝に絡まっている。そしてその先へと視線を辿らせて、全身から血の気が引いた。
「人!?」
しかもサイズからして子供!
認識した瞬間泳いで助けるか、黒霊術で飛ぶか蒼黎術で跳んで助けるかの選択がぐるっと脳内を駆け巡った。すぐさま魔法では自分以外を連れて移動したことが無いため不確定要素により却下をし、直接川の中に赴き助けることを選択する。
かといって着衣水泳でしかも自分とそう変わらない大きさの子供を連れて、岸まで戻るときては自身が溺れる可能性もある。
私は服の周囲三㎝ほどに
入ってみると河原から見ていた時より速く感じる川の流れに焦ったものの、なんとか下へ流れる前に枝ごと子供をキャッチ。切れそうになる
「じ、人生初の人命救助……」
魔物と対峙した時とは違った緊張感に、川辺に着いてからどっと疲れが押し寄せてきた。状況にフリーズすることなく動けた自分に自画自賛を送ろうとした私だったが、すぐに次の問題に気づいて挙動不審に陥る。
「い、いいいいい、息してない!?」
心肺蘇生法ー! 頑張って! 頑張って私!! 学生時代と車の教習所で習ったことを思い出して!! もう十年以上前だけど!! そうだ私には健康番組の知識もあるじゃないテレビ画面の断片でもいいから出てこい! 掘り起こせ記憶!!
大混乱の後、ファーストキスは潔く捧げて何とか美少女の息を吹き返させました。
そう。助けたお子様は、今の私とたいして年齢が変わらなそうな…………大変な美少女でした。
枝に絡まった立派な金色の巻き毛はどうあっても取れそうに無かったので、申し訳ないけど少々切らせていただいた。びしょ濡れの服を苦労して脱がせて私の服を着せて、簡易たき火を増やして周囲を囲って温度を上げる。体の不調を拭い去る白霊術、
「うわっ、肌白い睫長い」
それにしても、見れば見るほど感動的に美しい少女である。人形が魔法をかけられて人間になりました、と言われても何ら違和感が無い。
蜜色に輝く濃い金髪は切られて短くなったものの、天然なのか見事な巻き毛。髪の毛を乾かしたらふわふわになった。同色の眉毛は綺麗な弧を描いており、長い睫はシミ一つない白い肌に影を落としている。先ほどまで青白かった肌は徐々に赤みを取り戻し、バラ色と言うに相応しいほのかな色付きを見せていた。伏せられた瞼の裏の瞳の色はどんな色でも、宝石のように煌めいて見えるに違いない。
もうね、本当、芸術の域。三年間これまた芸術級の美しさのサクセリオと過ごした私が言うんだから間違いない。
「んぅ……」
「!」
間近で見すぎて、ふいに漏れた吐息にびくっとして後ずさる私。そこはかとなく変態臭かった自分に反省した。
それより彼女だ。どうやら目を覚ましたらしい。
長い睫を振るわせて開いた目を数回瞬かせて、その瞳に明確な意識の光が宿り始める。ちなみに瞳の色は綺麗なエメラルドグリーンだった。
「……? だ……れ……?」
「ああ、待って。無理に起きない方がいいよ」
体を起こそうとする少女を押しとどめ、先ほどまで使っていた軟体生物ビーズクッションを持ってくる。背中に手を入れて起きるのを手伝ってから、クッションをその間に入れて体勢を整えてあげた。
朦朧としている少女に、野草ハーブのお茶を差し出す。彼女は一瞬ためらったものの、安心させるように私が先に飲むと受け取ってゆっくりとお茶を飲んでくれた。
手入れされた髪や肌、上質な服を見るところどこかしらのお嬢様かな?
「にがい……」
「あ! そっか、そうだね。ごめん、私の味覚でブレンドしたから」
私も基本的に子供味覚で甘いものが好きなのだけど、前世の趣味を引きずっているのかお茶はくどいくらい癖があるのが好きだ。限界まで抽出したすげー濃い緑茶とか。
でも本当の子供にとって好きな味ではないだろう。せめて白湯をあげればよかったと私が後悔していると、幾分か様子がしゃっきりした少女が慌てる私を見て少し笑ってくれた。
(か、可愛い……!)
「いえ、逆に気付け薬になりました。それにこれはダミアの花とレモネ草ですよね? 毒ではないので、大丈夫です」
予想以上にはっきりした受けごたえをされて、また驚く。中身三十路な私はともかく、この年齢の子供でこんなにしっかり敬語って使えるもの? ハーブの知識も的確で、これは相当教育がしっかりされたお嬢さんだと、少女が上流階級であることに確信を強めた。
「私はエルーシャ。言いにくかったらエルでいいよ。あなたの名前は?」
「…………ルー、です」
はい、十中八九偽名か愛称ですね! 流石に出会ったばかりで信用はしてもらえないか。
「あの、エル様。わたくしは今までどうしていたのでしょう?」
「変な気分だから様とかつけなくていいよー。なんならエルちゃんって呼んでくれると嬉しいな」
「ちゃ、ちゃん? えっと、わかりました。エルちゃんとお呼びしますね」
私、心の中で小さくガッツポーズ。小さい子にちゃん付けで呼ばれるとキュンとくるよね。
「うん。それでね、ルーちゃんはさっき川から流れてきたんだよ。びっくりしちゃった」
「川?」
きょろきょろ自分の体を見たルーちゃんは濡れていないことを不思議に思っているようだ。周りのたき火や変えられた服、そして短くなった髪を見ると、大きな目をこぼれそうなほど見開いた。
「わたくしの髪の毛!」
子供らしくなく落ち着いていた彼女の初めての大きな声に肩を跳ねさせた私は、恐る恐る事実を伝えた。
「あの、ごめんね? 一緒に流されてきた枝に引っかかってどうしても絡まって取れなかったから、私が切ったの」
「そう……でしたか。しかたがありませんわ。それよりも、助けてくださって本当にありがとうございます」
落胆する様子を見るに相当なショックを受けたはずだというのに、ちゃんとお礼を言える良い子に目頭が熱くなった。こんなことなら、頑張ってほどいてあげればよかった。
「本当にごめんね」
「いえ、いいのです。命にくらべれば安いものですわ」
「ルーちゃんいい子だね。……そういえば、目が覚めたばっかりでたくさん喋って大丈夫? お茶飲みながらもうちょっと休みなよ。落ち着いたら、事情をきかせてもらえたら嬉しいな」
「お気遣い、いたみいります」
痛み入りますとか言えちゃう幼児なんて私知らない……!
前世の従兄弟の子供がこれくらいだったけど、好奇心むき出しで暴れまわる猿だったぞ。男女の違いにしてもこの差はいったい。
ルーちゃんが緊張しないように少し距離をあけて座った私は、魔物が近づいてこないか確認するために視線を巡らせていた。
そして幸いにも変化が無いまま数分が過ぎ、ぽつりとルーちゃんが言葉を発した。
「思い出しました……。わたくし、賊におそわれて川に落ちたんです」
「賊!? え、保護者の人……お父さんとかお母さんは?」
「お父様とお母様はいっしょにおりませんでした。従者と護衛がおりましたが、戦っている間に、わたくしがふよういに川に近づいてしまっ、て……うっ、ひぐっ」
言いながらルーちゃんの緑の瞳に水分の膜が張り始め、言葉に嗚咽がまじってくると水滴となってボロボロ頬を滑り落ちた。
「みんな、わたくしの、ために……ふえ、ひっく、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「あああ! ごめんねごめんね!? 辛い事思い出させちゃったね!」
今までの落ち着き用が嘘のように堰を切って溢れだした感情により、火がついたように泣き出したルーちゃん。私のばっか野郎! こんな小さい子が川に流されてたら事故以外にも色んな可能性があるだろう! もっとオブラートに包んでうまい聞き方出来なかったのか!
この後私は下手くそな慰めを繰り返し、最終的に抱きしめて背中をさすり続けた。
彼女が泣き止んだのは、それから約三十分後である。
なんとか泣き止んだルーちゃんは、泣き疲れたのかそのまま私の腕の中で寝てしまった。日も陰ってきたので、その日は不眠を覚悟して私は河原でそのまま一晩夜を明かした。
翌日、朝日を浴びてシパシパする目をこすりながら川でくんだ水を鍋(お茶を入れたのもこれ。シュピネラで買った)で沸かしていると、軟体クッションに寝かせていたルーちゃんがもぞもぞと動き出した。
不思議ポシェットから今有るありったけの着替えを出してくるんでいたから少しは暖かかったと思うけど、風邪をひいていないといいんだけど……。ケチらないで毛布買っておけばよかった。
「ルーちゃんおはよう」
「……? あ! ええと、え、エルちゃん、おはようござい、ます」
「体の調子はどう? 痛かったり具合悪かったりしない?」
「ちょっとだけ、痛いです」
お嬢様らしいところを見るにこんな所で寝たこと無いだろうに、なんて慎ましやかさんなのこの子は! 実際、数日前までふかふかベットで寝ていた私も野宿初心者だから体ぎっちぎちに痛かったのに。ちょっとで済ませるなんて気を遣わせてるなぁ……私が大人の姿ならもう少し甘えてくれただろうか。
「無理しないで。ちょっと待ってね」
鍋を一端放置すると、ルーちゃんに近づいて
「まあ、エルちゃんは白霊術がつかえるのですか!?」
「うん、ちょっとだけ」
「すごいです! わたくしは精霊術しか使ったことがなくて……」
「精霊術? 凄いじゃない! それこそ私使えないよ!」
「そ、そうなのですか?」
「うん! すごいね~ルーちゃん」
「あ、ありがとうございます……」
顔を赤くしてもじもじするこの天使どうしよう。
内心悶えていると、どこからか可愛らしい音が聞こえた。ルーちゃんを見ると、さっきとは別の意味で顔を赤くさせている。
「あっ、ごめんね! 今ご飯用意してるからちょっと待ってて」
子供に空腹を訴えさせるとはなんたることだ!
私は急いで鍋まで戻ると、道中で採取してきた食べられるキノコや草を放り込んでいく。更に夜に魚も釣ったので一夜干しにしたそれを、骨ごと叩いてつみれにして放り込んだ。味は味噌(なんとこの世界には味噌醤油がある!)オンリーだけど、キノコと魚から出汁が出ることを期待する。グルタミン酸とイノシン酸よ、抽出されるんだ!
非常に野趣あふれる料理なのでお嬢様の口に合うか心配だったけど、魚の丸焼きとかよりはハードル低いだろう。体が弱ってるだろうから、暖かくて栄養をたくさん食べられるものの方がいいだろうし。
「口に合うかわからないけど、よかったらどうぞ~」
器に盛った料理を一応毒見してから渡すと、味噌の色に戸惑ったのか一瞬躊躇したけど食べてくれた。……この世界味噌醤油があるくせに、それを使った料理が発展していないせいか、あまり知られていないのが大変不満である。
「温かくて、とてもおいしいですわ」
「そっか。よかったー」
とりあえず口に合ったようで安心する。私はニコニコ(デレデレじゃない)と笑みを浮かべながら彼女が食べ終わるのを待っていると、ルーちゃんは食べ終えた料理の器を置いて深々と頭を下げてきた。
「何から何まで、お世話になってしまい申し訳ありません」
「いやいや、いいよ!? いいから顔あげて」
貴族が実権を握っているらしいこの社会で、ルーちゃんみたいなお嬢様が簡単に頭を下げるのはまずいのではないかと焦る私。口調は今更だからしかたがないけど。
それに、子供が気を使うんじゃありません! 私も今は子供だけど!
「いいえ、お世話になっておきながら、礼も言えないようでは家の恥です」
「しっかりしたお家なんだね……」
「そうでしょうか……。あの、重ねてお願いするようでもうしわけないのですが、少しいいですか?」
「うん、どうぞどうぞ」
頼りなくて申し訳ないが、目一杯甘えるといいよ! どーんと来なさい。お姉さんはりきっちゃうから。
「わたくしを、近くの村か町まで連れて行ってほしいのです。もしかしたら従者が難をのがれてたどり着いているかもしれないので……」
賊に襲われたショックが抜けきらないのか、従者の人の安否に自信なさげに俯くルーちゃん。ぎゅっと握られた拳が幼いながら気丈に振る舞おうとしている様子を伺わせて、見ていて辛い。
もとよりここで放置するという選択肢は無いので、当然私は頷いた。
「もちろん! 私でよかったら責任を持ってルーちゃんを村まで送り届けるよ」
「! 本当ですか!? あの、めいわくでは、」
「そんなの気にしないの! ルーちゃんっていくつ?」
「え!? ご、五歳ですが」
「おうっふ、まさかの年下……! じゃなくて! えっとね! 私(多分)六歳なの。私のが一歳年上だから、どーんと頼るといいよ!」
「……! あ、ありがとうございます!」
ぎゅっと私の両手を握ってありがとうと何回も繰り返すルーちゃん。子供を守りながらの道中は今まで以上に危機管理に気を使わないといけないけど、この子のために頑張ろう。
「そういえば……エルちゃんは一人で旅をしているのですか?」
「うん。まだ四日目の初心者だけどね」
「とてもそうは見えません。お料理だってできるし、道を歩くようすも堂々としていて……。わたくしとそんなに年が違わないのにすごいです!」
「え、そう? え、えへへ、照れるなぁ」
ルーちゃんの歩調に合わせて道をゆく時間は穏やかだ。大分警戒心を解いてくれたルーちゃんは、素直な称賛を込めて私のことを見てくる。ちょっと
「でもね、旅は初めてだけど、こういうことは今までも何回か教えてもらいながらやってたんだ」
「どなたに教えてもらったのですか?」
「ええと……私の世話係というか師匠というか、先生? 色んな事教えてくれたよー」
主に肉弾戦中心だけど。
サクセリオはカフカの洞窟で実戦訓練の他、魔法を使っての野営の方法なども教えてくれていた。魔物のさばき方を教わったり、便利な魔法の使用方法を教えてくれたり……。……それら全ての根幹が「何があっても生き残れる技術」だった気がするけど……。
私、いつ自分の出生の秘密を知れるんだろう。どれだけ過酷な状況を想定しての教育だったの。
まあ、私の事なんざ今はどうでもいい。とりあえずルーちゃんと話しながら和やかに進んでいたのだけど、私の警戒網に何やら引っかかった。ちょうど小さな林の近くを通りかかった時で、気配はそこからこちらに近づいてくる。
「ルーちゃん! 私の後ろに隠れて!」
「は、はい!」
もしもの時にそなえて言い含めてあったので、ルーちゃんは素直に察して私の背に隠れてくれた。本当ルーちゃんが賢い子で助かる。
「キシャァ!!」
木の上から飛び降りてきたのは、予想していた通り角の生えた猿だった。木の上から来るからこいつだと思ったんだ。
(ってことは、周りにもう何匹かいるな……)
周囲を警戒しながら、間合いに入ってきた猿の鋭い爪をかわして一歩踏み込むと首を掴んだ。騒ぐ前に首の骨を握り砕き、地面に叩きつける。背後から息の飲んだ気配を感じたけど、私は構わず次に備えた。
案の定潜んでいた猿の仲間が、先方が殺されたことに怒って奇声を発しながら飛び降りてきた。数は四匹で、こちらが平原を背にしているので襲い掛かってくる方向は前面のみ。
「
近づいてきたタイミングを見計らって小規模な爆発を起こすと、怯んだように猿たちは一瞬動きを止める。攻撃目的で無い魔法を放った私は、連続した
この程度の距離ならば、私のしょぼい蒼黎術でもどうとでもなるのだ。猿たちは突然距離を縮めた私に反応する暇も与えられず、地面に倒れ伏していった。
全ての魔物を仕留め終ると、思いっきり野生動物を触ったので
血が出ないように気を付けたけど、だらんと舌を出して白目をむいた猿の死体が結構な視界の暴力となっている。
一息ついてから、師匠譲りの一方的な殺戮に幼い少女の心に傷を負わせていないか、気になりながら恐る恐るとルーちゃんを振り返った。
「ルーちゃん、大じょ「すごい!」
私の声を遮ったルーちゃんは全力で駆け寄ってくると、先ほど猿を殺した私の手を両手で握ってキラキラした目で私を見てきた。
「エルちゃんはとてもお強いのですね! わたくし、感動いたしました!」
「そ、そう? 怖くない?」
「とんでもありませんわ! わたくしの家族もとても強くて、わたくしもいつか強くなりたいと思っているのです。一歳しか違わないのに、こんなにあっさり魔物をたおされるなんて……! 尊敬しますわ!」
「う、うん。それはどうもありがとう」
ルーちゃんの実家って武闘派なの……? 引かれないか心配していたら、あまりの喜びように逆に私の方がちょっと引いた。うわこの幼女メンタルつおい。
でもそれなら、変な気を遣わなくて私も楽だな。
その後も時々襲ってくる魔物を倒したり、ルーちゃんが疲れてしまわないように頻繁に休憩をはさみながらも順調に村へ向けての道中は進んだ。
変化が訪れたのは、霧が出てきてからだった。