涼やかに、軽やかに、そして自信たっぷりに。そんな声だった。
この場に居るはずのない人物の声に、私は思わず空耳かと疑った。しかしそれを否定するかのように、私の体のすぐ横を謎の熱源が通り過ぎる。
「うわ!?」
それが何か目で追う前に、魔物がまとめて数十匹炎に焼かれた。轟音と共にあがった火柱は先ほどの魔法光の比ではなく、問答無用であたりを照らし出す。そしてそれを呆然を見る私の肩を、何者かが抱き寄せた。
白魚のような優雅な御手に、体に当たるほどよく柔らかい感触と、肌をくすぐる黄金色。見上げれば自信に満ち溢れたエメラルドグリーンの瞳と目が合う。上品な紅で彩られた唇が妖艶に弧を描いた。
「る……チル!?」
「随分と派手に暴れたようじゃのぅ。凄まじい姿をしているぞ」
そう言って突然現れたこの国の第三王女様は、肩を抱く手とは反対の手を私の
言われてみれば巨大フェレットと戦ってからは、負担を減らすため魔法を使っていなかった。そのため白霊術で清めることが出来ず、現在の私は魔物の返り血を浴びたままの姿である。髪の毛も血が固まったのかパサパサしているし、全体的に気持ち悪いので相当汚れていることだろう。
けど、今はそんなことどうでもいい。
「ルチル、その、近いんだけど……!」
もう少しで唇が触れそうだ。自分の見た目だとか、何故ルチルがここに居るかを問う前に落ち着かない。
「照れておるのか? ふっ、なかなかに愛らしいではないか」
「愛ら!? いやいや、ホント、冗談言ってる場合じゃなくて魔物とかいるし離してくれるとありがたいっていうか……!」
「心配せずともよいわ。見よ」
ぐいっと顎を動かされた視界の先、そこには魔物めがけて襲い掛かる何か。それは魔物をまとめて捕らえて空へ飛翔すると、そのまま地面に落下させていた。降ってきた魔物は切り裂かれたのか噛み砕かれたのか、肉片となっているものがほとんどで、生きていても高所からの落下で次々と絶命していく。
対象が速過ぎる上に炎で照らされている以外は視覚は夜の闇に包まれているため、初めは見えなかった。が、目がその速度に慣れるにつれ、それが見覚えのある生き物だと気づく。
「あれは、竜?」
「飛龍じゃ。ちなみにエレナが操っておる」
「エレナさんが!? いや、たしかに俺たちをあれで迎えに来てくれたけど……戦闘まで……」
「十二年前の事件に憤り、強さを求めたのは妾だけではないのだよ。もともとエレナの実家は優秀な
エレナさんすっげぇ。
驚くことが多すぎて逆に冷静になってきた。
「ところで、何でルチルがここに居るの?」
「うん? そなたの仲間から騎士団に応援の要請が来たのでな。面白、ごほん。大変なようだから妾が先行してエレナと共にやってきたのだ。心配せずとも、騎士団もこちらへ向かっておる」
「そっか。アルディラさん達が……」
「だが見たところ、その仲間がおらぬようだが?」
「あー……まだ、迷宮内かな。事情があって迷宮内ではぐれちゃってさ。偶然俺が先に捕まってる人たちの所に辿り着いたから、そのまま助けて脱出した所」
「ほう、そうかそうか。事情のう……」
ルチルがあからさまに面白がっている表情でじろじろ見てくる。
その事情は出来れば今は聞かないでほしい……!
気まずくてつい視線をそらした私だったが、ルチルはそれを阻止してぐいっと私の顔を自分の方へ戻す。そして顎から頬に手の位置を変えて、掬い上げるように包んだ。だから近いよ!?
しかも肩にあった手がいつの間にか腰に移動してるんだけど。体、体の密着度が! 胸の上あたりに柔らかいものが! 私今男の姿だからね色々と問題じゃないかなこの構図!? 再会した時も抱きしめられたけど今は何というか、あの時とは違う感じというか。
お、落ち着かない。
「……昔の印象だが、そなたはとんでもない無茶をする時があるからの。久方ぶりに再会し、まだ語り合いたい事の半分も話しておらぬのだ。あまり心配させてくれるな」
「う、うん」
無茶というかやらかしたのは馬鹿だけど。
そんなことを考えながらも、私は自分を見つめる美しい瞳から目をそらすことが出来ないでいた。美人の熱に浮かされた私の錯覚かもしれないが、
「そこ、二人の世界に入っていないで手伝ってください」
妙な気分になりつつあった私に水をかけたのは、平坦で無機質な声だった。しかし今はその水がありがたい。危なかった。何が危ないのか分かりたくないけど危なかった。
「手伝え、だと? ふん、雑魚に手こずっておきながら図々しい」
「図々しくて結構ですよ。というか、なぜ貴女がここにいらっしゃるのですか」
飛龍から逃れ、こりもせずこちらを襲おうとしていた魔物に、氷の魔法をぶっぱなしながらそんなことを言うのは盗賊レレだ。
そして私は二人の会話に違和感を覚える。方や王女様。方や盗賊。だというのに、まるでお互いの事を知っているような口ぶり。いやまさかそんな。
「どうでもよかろう。まあ、貴様は仕事をしていただけましか。救出したのはエルのようだが」
「手引きをしたのは私ですよ」
ちらっとルチルが見たのは、アルメリアたちがいる方向。それに盗賊が言葉を返す。
「え、ルチル。仕事ってどういう……」
疑問が確信に変わった。この二人、明らかに知り合いじゃないか。
疑問符を大量に顔に張り付けた私にルチルは笑顔を浮かべる。それは先ほどの艶っぽい物ではなくて、まるで何かを企むいたずら小僧のような笑みだった。
「ふむ。しかし、良い見せ場が出来たな。エルよ、今から面白いものを見せてやろう。ククク……! いつ見せようかいつ見せようかと勿体ぶっていたが、まさかこのような絶好の機会が巡ってくるとは思わなんだ。たっぷり魅せつけて楽しませてやる」
あ、いたずら小僧とか嘘。もっとあくどい顔してた。
「えっと、そうでなくて、その盗賊と何で知り合いっぽいのかとか、仕事って何とか聞きた……!?」
疑問を重ねる私だったけど、額に押し付けられた柔らかい感触にそれら全てがぶっとんだ。
ちゅっとリップ音を残し額から唇を離したルチルは最後に片手で私を抱きしめると、豪奢な
「後で話してやるから待っておれ。すぐ戻る」
振り返り、ニッと豪胆に笑ったルチルは文句なしに格好良かった。
再び跳ねた胸の鼓動に、私は目の前の光景から目を離せなくなりながら内心で自分に言い聞かせた。
いけない。その扉、開いたらあかんやつや……!
「あ、ルチル様ちーっす」
「オリスか。敵はどの程度残っている?」
どぎまぎする私を残し、ドレスの裾をさばき前へ出たルチルは、レレと同じくこちらへ寄ってきたもう一人の男に声をかけた。その男は王女に気負いするでもなく、実に軽く挨拶をする。ルチルもそれを気にすることなく戦況だけを問いただした。
「どの程度っていうか、増え続けてますね。マジ面倒くさいスわ」
「ほうほう! ではたくさん残っているのだな?」
「何を嬉しそうにおっしゃっているのですか」
魔物を
「妾の見せ場が増えるではないか!」
「だったらちゃっちゃと終わらせてくださいよ」
「調子に乗るな貴様減給」
「はあ? 馬鹿言わないで下さい。今回の件で逆に上乗せを希望します。当初のご命令である獣人はちゃんと見つけたんですからね」
「うっわレレさん図太い。最後に旨味だけもってこうとしてたくせに……」
「ほう? 詳しく聞かせろオリス」
「煩いですよオリス。ルチル様お気になさらず」
三人は軽口を叩きあいながらも魔物を倒す手を止めない。レレの魔法と剣が魔物を貫き、オリスと言うらしい男の剛腕が敵を薙ぐ。ルチルが扇を一閃させると、付与された風魔法で魔物は二つに切り裂かれた。しかし先ほどまでと同じで数は減るがそれ以上の速度で増える。
やはり、このままではらちがあかない。
「まあ、よいわ。ぬしらのやり方に任せておるのは妾だからの。詳しい話は後で聞こう」
ルチルはパチンと扇を閉じると二人より前に進み出る。それに襲い掛かろうとした魔物だったけど、彼女を取り巻く異様な気配に本能が刺激されたのか足踏みして留まった。それを見たルチルは意地悪く
「今さら敵対してはならぬ相手だと気づいたか?」
彼女が扇を掲げると金色の巻き毛を彩る漆塗りの櫛、精霊姫の天恵にはめ込まれた魔石の一つが輝いた。
(うわ! すっごい魔力……!)
ルチル自身の魔力もさることながら、何よりあの櫛から発せられる魔力の密度が凄まじい。国宝級だとは聞いたけれど、それを今さらながら実感する。もちろんその濃密な魔力を受け切り手中に収めているルチルも凄い。
いったいどんな魔法が繰り出されるのか。
私は固唾を飲んで見守った。
「愚かなる下僕よ、今こそ力を示し汝の暴虐で食い散らかせ! 我に侍れ、従え、恥辱に打ち震え歓喜に吠えろ! 身に宿る粗暴の限りを尽くすがいい! 愚の極致たる貴様に妾のために働く栄誉をくれてやろう!」
(え!? な、なんか凄い詠唱だな……いやこれ詠唱?)
文句が呼びかけっぽいから精霊術なんだろうけど、果たしてこれは詠唱なのだろうか。こんな詠唱で呼び出される精霊っていったいどんなのだ。極度のマゾっ気があるとしか……。
「顕現せよ、邪霊アグレス!」
………………………………………………………………………………………………………………………………。
………………………………………………………………………………………………………………………………ん?
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「ん?」
思わず現れた精霊を二度見した。
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爆発するような轟音と荒れ狂う炎と共に、精霊はその場に召喚された。そして開口一番に叫ぶ。
『ふざけんな馬鹿女ぁぁぁぁ!! 偉そうな前口上たれやがって! 今すぐ俺を実体化させろ体をよこせ! その方が早いだろ!』
「馬鹿を言うでないわこの下郎がぁ! 仕方がなくある程度自由を与えているが、それをいいことに毎回毎回問題をおこしおって! 粛々と謹慎処分を受けておればよいものを、呼び出した途端にその態度か! いいからさっさと従えこの愚か者!」
ルチルは自らが呼び出した精霊を前に声を張り上げると、その姿に向けて扇を振り下ろした。精霊は鉄で出来たそれをまともにうけて身悶える。
本来魔力を介さぬ物理攻撃は精霊や妖精には効果が無いが、彼女とこの精霊の関係では別の話である。ルチルはこの精霊に関しては、その身柄を自由に扱えるのだ。
唯一縛れぬ意思を抜き、あとは殴ろうが蹴ろうが触り放題の自由である。
精霊の体は紅蓮の炎で形成されていた。かろうじて人型を保っているが、その姿は本来神聖視される精霊と異なり、見るものに畏怖を抱かせる。赤い切れ目のようなものが目と口だと気づくものは果たして何人いるだろうか。ほとんどの人間はその荒ぶる姿を直視できず、精霊が発する炎の高熱にあてられて顔を伏せてしまうだろう。
当然主人であるルチルはそんな醜態をさらさない。それどころか精霊を上回る地獄の炎もかくやという勢いで叱りつけている。ルチルと同じく動じず精霊を涼しい顔で見ていたレレとオリスであったが、その彼らも王女からは目をそらした。顔には「絶対とばっちりを受けたくない」と書いてある。
「ほれ、さっさと妾に武器を返さぬか。そして宿れ」
『チッ』
「フン、最初から素直にそうすればいい良いのじゃ鈍間め。邪悪なる精霊、邪霊などと呼ぶには上等すぎたか? 愚霊の方が的確かもしれぬなぁアグレスよ」
『あ゛あ゛あ゛腹立つなホントにお前はよォォ!!』
精霊……アグレスと呼ばれたそれは、最大限に不機嫌な声色で負け惜しみを言い放つと、その身の炎を差し出されたルチルの手の中に集めた。炎は彼女の持つ扇に宿り、その扇は徐々に姿を変えていく。
精霊の体を形成していた炎が全てそこに収まった時、そこには巨大な剣が握られていた。
緋色に輝く、古代魔法言語の刻まれた無骨ながら美しい大剣。
それはかつてエルフリードに~緋緋色金《ヒヒイロカネ》を想起させた高熱を宿す神秘の刃。
「精霊姫の天恵より賜りし炎、煉獄の
ルチルが身の丈ほどの大剣を羽のように持ち上げ構えると、レレとオリスは速やかに安全圏……ルチルが可愛がっているらしい青年の隣へ退避する。それと同時だった。
『
地獄の炎が夜を昼へと染め上げた。