アルメリア。
それが今現在私の隣を走る、獣人の少女の名前である。
年齢は多分コーラルと同じくらいで、肩口で切りそろえられた銀髪や小柄ながらばねのきいた運動能力をはっきり感じさせる動きに、活発な印象を受ける。
白い三角耳にふさふさの尻尾と、白狼の獣人であることは明白だが……何より、その顔は私の知るもう一人の獣人の少女と似通っていた。
警戒心の塊のような鋭い視線を向けてくる少女が私について来てくれているのも、私の知る獣人の少女、エキナセナの名前を出したからである。アルメリアはその首を戒める特殊な首輪のせいで逃げられないということもあるが、きっとそれだけでは大人しく来てはくれなかった。
華奢な首に巻きつく無粋な輪っかが目障りで、思わず舌打ちしそうになる。これさえなければ……。
私が忌々し気に首輪を眺めていると、ふいにアルメリアと視線があった。というか、睨まれている。
「お前、本当に姉さんの知り合いなんだろうな!」
発する言葉は攻撃的な響きを含んでいて、どう見ても仲良くしてくれそうな雰囲気は今のところ皆無。警戒心バリバリである。
「ああ、本当だ。俺はエルフリード。よろしくな、アルメリア!」
「気安く呼ぶな!」
出来るだけ爽やかに、を意識してカルナックを参考にした爽やかスマイルを心がけたが、容易く叩き落とされた。ツライ。
「ご、ごめん。じゃあ、アルメリアちゃんで……」
「ちゃん付けもなんか気持ち悪いから駄目だ!」
「あ、アルメリアさん!」
「駄目!」
「アルメリア様?」
「馬鹿なの?」
「……………………。えーと、アルメリア。信用できないのも無理はないけど、今はその首輪をはずすためにも、協力してほしい」
結局面倒くさくなって戻った。も、もういいやこれで……。
「ふんッ、しかたないから、今はついて行ってやる。それより、ホントにホントだな! 姉さんは無事なんだな!?」
信用ならない相手についていかなければならない不安感や、警戒心。けれどそれよりも何よりも、姉を心配する気持ちが勝る一言に、これからの事を考えて緊張していた私の表情がふと緩んだ。
ああ、家族想いなところも似ているな。
「うん、無事だよ。家族のこと、凄く心配してた。だから絶対に君を、エキナセナのもとに送り届ける」
「……。信用なんてしないからな」
そう言って顔をそむけてしまったアルメリアだけど、今は素直について来てくれてるだけでありがたい。
それにしてもこんなすぐそばにエキナセナが探し求めていた家族がいるのに、簡単に逃がしてあげられないのが歯がゆい。彼女を完全に解放してあげるには、私が盗賊との取引を果たさなければならないのだ。
嗚呼……嫌ではないけど増える責任とプレッシャー……。
盗賊なのに妙に紳士っぽい服装の青年レレは、協力する見返りとして迷宮内の地図と、捕まった人間の居所の提示。そしこの少女……エキナセナの妹、アルメリアの開放を条件に加えてきた。
アルメリアを捕らえる首輪は奴隷の動きを制限するためのものらしく、身体能力を下げる他GPSのように居場所が分かる機能がついているらしい。そんな嫌なアイテムあるのかこの世界……。こういうのがあるのなら発信機とか盗聴器もありそうで、何か嫌だな。
レレはアルメリアの存在をほのめかすことで私をその場に縫いとめた後、少しの間あの場を去ったかと思えば、本当にアルメリアを連れてきた。馬鹿正直に待っていないで奴が戻る前に逃げればよかったと思っていた私は、本当に彼が白狼の獣人を連れてきたことに驚き、エキナセナの名を出したことでアルメリアが大きく反応したことで、彼女がエキナセナの妹であることを確信した。まあ、まず見た目も似ていたし。
問題は何故レレが妹を探すエキナセナと私に繋がりがあると知っていたか。
でもって何でその妹を奴隷商から買った瞬間に私と鉢合わせるのかって事だよ。偶然にしちゃあ怖いだろ。なにそのタイミング。
成功した暁には首輪の鍵を渡すと言った彼の言葉は半分以上信じていないけれど、利用されるだけされてアルメリアがまた連れ去られそうになるなら、その時は無理やりにでも彼女を抱えて全力で逃げよう。
出来る出来ないは置いておいて、とにかく今は彼女を視界の届く範囲に置くこと、ヒューレイの救出を優先させる。ポプラとはぐれて探索の術を失った私にとって、レレが提示した迷宮の地図と奴隷の居場所は貴重な情報なのだ。迷ってどっちつかずで、どちらの目的も見失ってしまうの何て馬鹿馬鹿しい。
(ふんっ、今はせいぜい踊らされてやるよ!)
私は手に入れた地図と、術者と離れて探索の魔力が見えなくなったハギレを握りしめる。
レレの言う陽動作戦は「捕まった人間を解放してからでいい」とこちらに譲歩したようなことを提案してきたので、胡散臭いが今はそれに乗ろう。
もやもやする気分は今は胸の奥に押し込めて、まずは目的を果たさなければ。
教えられたルートを進み、やがて居住区とは
情報が正しければヒューレイが囚われているのは十六番の部屋のはず。
しかし私たちはここに来て初めて魔物ではなく人間と遭遇する。私達と別の通路から出てきた黒とグレーの、似た服装の男が二人。武器を持って身構えたのだ。
「! 貴様ら何処から入った!?」
「首輪の獣人!? おい、あれ例の盗賊団に売るはずの奴じゃあ……」
「くそッ、よくわからんが獣人は首輪付きだ。後回しにしてまずあの男を、殺、を゛!?」
その会話内容から奴隷商の仲間であると容易に想像がついたので、私は一足飛びに男に近づくと、下から顎に拳を叩き込んだ。
続けて二人目と思って横を見ると、なんとアルメリアの足が男を蹴り飛ばしている。蹴り飛ばされた男は壁に背を打ち付け、そのままのびてしまったようだ。
「すごッ、強いねアルメリア!?」
「と、当然だ。お前はまだまだだな!」
アルメリアは腕を組んでそっぽを向きながらも、二人とも自分で倒したかったのか若干悔しそうに横目で見てくる。いや凄いよ……凄いからそんな闘争心燃やさないで。安心はするけど、奴隷にされてる悲壮感とか感じない子だな。とっても元気。
それにしても首輪で能力を制御されてこれってことは、獣人の身体能力は凄いな。ルチルと戦うエキナセナを見たときも思ったけど、多分筋肉からして違う。しなやかでバネがあるそれは、躍動的で力強い。
気絶した男二人の服を調べると、何か意味ありげな薄い金属の板が四枚ほど見つかった。金属の扉にそれがはまりそうな溝を見つけて、それがキーだと推測する。案の定、当ててみると大きさがぴったりだった。
おい、あの盗賊の似非紳士。倒せたからいいけど鍵は現地調達とか聞いてないよ!!
彼自身は奴隷商の取引相手であって奴隷商自身じゃないから鍵持ってなくても仕方がないけど、せめて何処にあるとか、どんな奴が持ってるとか教えろよ。ここまで人間居なかったから地味にビビったわ! 倒したけど!
何はともあれ結果が出れば良しと、鍵を手に入れて十六番倉庫にやってきた。けど残念ならが奪った鍵は当てはまらない。……いちいち別の鍵じゃなくてマスターキーくらい持ってろよまどろっこしい! しかも四枚とも駄目ってのが腹立つ!!
苛々がたまってきた私は一瞬魔法で扉壊しちゃおっかなぁなどと物騒な事を考えたが、中の人の安全性と古代魔法言語が刻まれた丈夫そうな扉を前に断念した。
仕方がない……ぶんどりに行くか。
ある種ふっきれた私はさらに進んで奴隷商の仲間を発見すると、順に気絶させて鍵を強奪していく。見たところ二~三人で巡回しているらしく、非戦闘員のようで気づかれる前に意識を刈り取るのは容易だった。魔物はここまで入れないから、代わりにこいつらが見回ってるんだろうな。
奴隷商に対する恨みか、なりゆきからか。アルメリアも協力してくれたのですごく楽だった。とはいえ仲間が戻らないことに他の奴が気づくのも時間の問題だろうし、それまでにヒューレイを助けなければ。
四組目から鍵を奪ったところで、ようやく十六番に合致する代物に出会えた。持っていたのは若い男と渋めの中年男の二人組で、それまでに遭遇した組よりも若干戦い慣れている様子だったけれど、特に手こずることもなく倒せた。
あれ……非戦闘員っていうか、こいつらもしかしてこの戦闘能力が水準か。警戒してた割に弱い。
レレが召喚獣がどうのって言ってたし、こいつらみんな魔物頼りの召喚士ってことか。まあ、これならレレの言う陽動作戦もそう苦労しなくて済むかもしれない。……………全部人間対手だったらの話だけど。
微妙に救出後の仕事に嫌な予感を覚えながらも、金属の扉に走った縦線に鍵を滑り込ませる。すると、カチリと鍵が開く音がした。
++++++++++++++++++
「人手不足のところに、都合の良い駒がいい感じに転がり込んだな」
遺跡内部に敷かれた石畳を、手持ちのステッキで突くたびに甲高い音が通路に響く。その音を奏でている男は先ほどエルーシャと取引をしたレレと名乗る男だった。
アイスブルーの瞳を細めて無表情でつぶやいた男だったが、心なしか声に喜色が入り混じっている。というのも、エルーシャを利用する気満々の彼だが先ほど語った内容に嘘は無いからである。
作戦に必要な人材が、定刻を過ぎても現れないのだ。半ばいつもの事と諦めてもいるが、だからと言って苛つかないわけではない。エルーシャの存在はまさに渡りに船、瓢箪から駒。しかも取引内容に困らないというおまけつきで、すんなり事が進んで気分がいい。
と、ステッキが突く音が石畳から金属のそれへと変わる。居住区から通路の一つへ入ったようだ。
「レレさんお疲れス」
「遅い」
ふいに聞こえたぼそっとした低い声に動揺することなく、レレは視線を上に向ける。その視線の先、天井がめりめりと盛り上がり奇妙に形を変えたかと思うと、ずるんっと一人の男を吐き出した。
「あー……スンマセン。けど、だいたいお頭とハウロのせいっすわ」
「……。それも事実でしょうが、あなたはごく自然に他へ罪を転嫁しますね」
「いや、マジ俺とばっちりなんで」
呆れたようなレレの言葉に、男はスキンヘッドの後頭部をポリポリとかきながら目をそらす。が、すぐに開き直ったように「ところで」と続けた。
「申し訳ないんスが、来れるのは俺だけになりました」
「はい? 二人は?」
「しばかれてます」
「ははっ、そうですか。肝心な時にどいつもこいつも。ははは」
レレはさも可笑しそうに笑うと、ステッキを手近な壁に突き立てる。頑強な金属の壁であったが、レレのステッキを身に受けると軟体のようにその身を沈め、ステッキが取り払われた後には2センチほどの空洞が穿たれていた。見た目こそキレイに穴が空いただけで地味だが、そこには強力な力と、明確なレレの怒りがこめられている。おそらくそのステッキは、人体すらも容易く貫通する事だろう。……レレが誰を思い浮かべながらそれをしたのかは、オリスには分かる。しかし藪を突いて鬼が出ても敵わぬと、彼は見ないふりをした。
が、そこに温度を感じさせない声が彼の名を呼ぶ。
「オリス」
「っす」
オリスは思わす見ないふりをしたはずの壁の穴をちらと見てから、背筋を伸ばして返事をした。
「分かっているとは思いますが、今回の目的は奴隷商の組織の壊滅、彼らが保持する召喚石と奴隷の確保です。そのためには虫を蹴散らす必要がありますが、二人では非常に面倒くさいうえに蹴散らす間に逃げられる可能性が高い」
「ああ、まあそうッスね。ああいう輩は逃げ足はぇースから」
「ダンジョン上階の召喚獣は、都合の良いことに冒険者が戦っているので交戦を考えなくて結構です。彼らはどうやら捕まった人間を救出に来ているようですね」
「マジすか。そりゃ、少しは楽できそうでいいこって」
「そしてその仲間が先ほどこの最下層まで侵入してきたので、取引をして駒に加えました」
「使えるんすか?」
「世間とは狭いものでね。その侵入者、偶然にもアグレスとハウロが話していた女性だったのですよ。様子を見ましたが、アグレスに精霊の呪痕を残されているにも関わらず、なかなかの動きでした。気配の消し方もあなどれない」
「気配の消し方?」
「最初隠れていたものでね。彼女から探索系の魔法光が出ていて、私に魔力可視のスキルがなければ気づかなかったかもしれません。おそらくあれをたどって、誘拐された人間を追ってきたのでしょうが……。どうやらそちらは仲間の魔法のようですね。彼女には見えていないようでした」
先ほどエルーシャがレレにあっさりと見つかった件であるが、何も彼女の油断だけが原因ではない。
「そこそこ使えそうな実力はありそうだし、それにいい餌もぶら下げた。人間、己の利益のためなら頑張るものです。それなりに良い働きを期待出来るでしょう」
それを聞いたオリスは最近妙に楽しそうにしていた二人の仲間を思い出して、得心したように頷いた。自分たちの頭目の一撃を受けて死ななかった奴なら戦力的には問題ないだろう。
しかしオリスはそれを横に置き、聞きたくないが聞かねばならないことを聞く。
「ちなみにその餌って何か聞いていいスか。嫌な予感しかしねーんスけど」
「奴隷の居場所と地図と獣人ですが」
「ほらー。嫌な予感超的中じゃねースか。奴隷もそうですけどあんたそれ、獣人ってあの人が探して来いって言ってた奴っすよね?」
「そうですが、何か?」
「何かじゃなくて。最終的に両方とも後で回収するんでしょ? 二度手間じゃねースか。そもそもあの獣人がこの組織に関わるはめになった原因だってのに、召喚石の方優先させていいんスか。召喚石は俺たちの私益スよね。あの方関係なく」
「ふむ、君は妙なところで真面目ですね、オリス」
「いや、馬鹿二人みてーに怒られんの嫌なだけなんで」
心底だるそうに言う男に、レレはモノクルの位置を修正しながらため息を吐く。
「オリスは流されるだけでなくて、少しはあの二人の貪欲さを見習ってもよいのですよ。たとえ現在は隷属させられている身とはいえ、私たちは盗賊です。抜け穴見つけて己の利益を最優先させるのは当たり前じゃないですか。いいんですよ、ばれなければ。最終的に奴隷だけあの方の所に送ればよいのです。奴隷商を潰したという事実と一緒にね」
「で、召喚石はギると」
「もちろん。まあ、あの方は隷属の代わりに私たちに新しい力を与えてくれた方ですからね。ある程度の自由も許してもらってますし、最低限義理立てはしましょう。でも、ちょっとくらいご褒美があってもよいでしょう?」
薄い唇がわずかにつり上がり、切れ長の目が細くなる。その酷薄な笑みにオリスは心底薄気味悪いというように後ずさった。
「うわ、あんたが義理とかいうと恐ろしく似合わないスね」
「どうとでも言いなさい」
「はあ……。まあ、いいスけど。とりあえずそういうのはレレさんに任せるんで、上手く立ち回ってくだせーや。下手して殺されないで下さいよ?」
「私がそんな間抜けなことになるとでも? 私は運命の女神に愛されているので、問題ありません」
「うっわ。うーわ。白々しい。でもあんたの場合、自分でその運命引き寄せてるみたいで怖ぇーっすわ」
「まさか。まあ、どんな事態にも対応できるように、日ごろから情報を拾うことは心掛けていますが。その結果、思わぬ切り札を手に入れられることもある。貴方たちも多少は気にかけなさい」
「や、だからそういうのは副長のレレさんに任せるんで。俺たちは直観と本能で動く方が向いてるんスよ」
オリスの言葉を聞いたレレは笑みを引っ込めると「世話が焼ける」とうんざりしたように目を伏せた。
自由人の多い組織をなんとかある程度の塊にして機能させてきたのは、アグレスの奇妙な魅力と自分の能力だとレレは自負している。しかしそれは先導役と共に尻拭いの役まで背負っているという事なのだ。それに見合う見返りが無ければやってられないし、楽が出来そうなところは楽したい。
レレは突然手に入った駒であるエルーシャを思い浮かべる。理詰めなだけでなく仲間に劣らず本能や直観で決めることもある彼は、エルーシャを見て「行ける」と判断した。
それ故に思うのだ。
(馬車馬のように、せいぜい働いてもらいましょうか。さて、どうなりますかね?)
その思惑は掌で駒をころがしているようでいて、大分無責任だった。
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上質なベルベットの敷布に寝そべっていた女性は、天井に輝く宝石のような魔道具を眺めて上機嫌で鼻歌を歌っていた。
「ああ、楽しかった。けれどそれももうすぐ終わり! うふふっ、最後に素敵な手土産もたくさん出来そうだし、良い出張だったわ。ね? アリエラ」
「そうですねご主人様! まったく、人間とは楽に踊らされて愚かなものです。弄ばれてるのにも気づかずに」
そばに控えていた小柄な少女が同調し、嘲るように言う。しかし後半は憂い顔のご主人様の声に否定された。
「そう言っては可哀そうだわ。それにね! その無様な様子を見て楽しむのも一興なのよ?」
一転して喜色を浮かべた女は敷布から身を起こすと、少女と反対側から差し出された皿から菓子を摘み取る。その皿を持っているのは年若い少女とは対照的な、妙齢の蠱惑的な美女だ。
「お楽しみのようで何よりです、マーリェドンナ様。しかしこのままでは我々の出番はなさそうですね」
「そんなことないわアマンダ! 面白いのよ。順調なようでいて、どこかで歯車が狂ったりもするの。きっと貴方たちの出番もやってくるわ。それに今準備している手土産はおまけよ、おまけ」
「おまけ、ですか?」
「ええ! 本命のお土産には極上の宝石を用意しているの!」
マーリェドンナはキラキラ輝く魔道具に手をかざしながら、うっとり語る。その主の満足したような表情を見て、アリエラとアマンダと呼ばれた従者たちは膝をついてこうべを垂れた。
「全てはマーリェドンナ様の御心のままに。」
「存分にお楽しみくださいませ」