たった今自分に投げかけられた言葉は、いったい何だったのだろうか。
じっくりと言葉を咀嚼し、飲み込み、理解する。
確か今、私はハーレム野郎などと、言われなかったろうか。
「…………………………………………………………ん?」
たっぷりと間を取って、やっと口から出せた言葉はそれだけだった。
鈍い反応を返す私など気にもかけず、カルナックは容赦なく私の理想の王子様像を破壊しにかかってくる。止める間もない。
「くっそォォォォォ!! 現実にいたのかこんな奴! ハーレムだよな? あの雰囲気、ハーレムってやつだよな!? 何、あの一人の男を取り合ってる感! くっそくっそ羨ま恨めしい!! あんな美女と美少女はべらせやがって、どうせ一人に絞ってないんだろ!? そうだそうに決まってる! 草食か! それとも鈍感系か! どっちにしろムカつくんだよォォォォ!! ロリ巨乳でおさげとか超可愛いとか思ってた純粋そうな子とかガード堅そうだけどそこがまたイイクールビューティーちっぱいお姉様とか清楚な外見に反してちょっとMとビッチ入ってそうなシスターとか属性持ち美人に遭遇できて好かれる可能性がどんだけ低いのか分かってんのかって話を小一時間だな!!」
私は何も聞いてない。きっと幻聴に違いない。
「おい聞いてんのかよ!?」
ヤダこの人現実逃避させてくれない。
「まさか高速で入れ替わった別人という線……」
「はっはー! ねーよ! これが俺だ! 俺の猫かぶりは完璧だろう!? なのに、なのに俺でなくこんなひょろい男にラブチャンスが……!」
「も、モテそうですけど」
「高潔な騎士みたいなイメージが定着してて影から慕ってくる子猫ちゃんばっかりなんだよ! 告白してくれよ! 見守らなくていいよ! いつでも俺はギブミーラブなのに!! 見合い話があるかと思えば姉ちゃんに「お前の家柄と名声目当てばかりだから本当のお前を好きになってくれそうな娘が現れるまでやめとけ」とか言われて見合いの席にもつけないし! いやいいんだけど俺もすぐ結婚とか嫌だしちゃんと恋愛してラブラブな恋人期間置いてから好きな子と恋愛結婚したいし妙なしがらみついてくんのヤダし姉ちゃんが俺の性格知ってて両親からも見合い話ガードしてくれて心配してくれてるの分かってるんだけど!! でも!! でも俺がそんな苦労してるのに! なんで! お前みたいな奴が! ハーレムを!! ぐあああああ嫉妬でどうにかなりそうだ畜生!!!!」
「…………」
押さえていた物がみんな噴き出したって感じに止まらないカルナック青年。彼の熱いパッション溢れる叫びとは裏腹に、急速冷凍されていく私の心。あと少しで砕けそう。
「俺もモテたいんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
砕けた!
床に膝と手をついて床ドンしたカルナックを見て、私のぽわぽわ温まっていた恋心が一瞬にして粉砕された。グッバイ恋心! こんにちは同情心!!
しかし私の砕けた恋心はいったん置いておくとして、それとは別に先ほどから彼の発言の内容で妙に気になることがある。
何だか可愛そうになってくる話の内容では無くて……。彼の発する言葉に感じる違和感は、旅立ってから最近ずっと私に付きまとっていた疑問を更に顕著にするものだった。
確かめるために、私は耳に着けていた赤い小石のイヤリングに魔力を込めてその効能を底上げする。
このイヤリングはかつてサクセリオに貰った
長くこの世界に居るとはいえ、二十八年触れて来たものとはまったく別の言語を覚えるは大変だった。それでもなんとか習得し、かといって日本語を忘れたくもない複雑な心境。そのために今ではこの中途半端に劣化させたアイテムで日本語とこちらの共通言語の同時通訳みたいにしてる。初めはややこしかったけど、まあ慣れた。
その劣化版の異能力制御装置だが、与える魔力の加減でその効果は増減する。今回は魔力を与えることによってアイテムの能力を強化した。そして完璧に自動翻訳の能力を封印した耳に入ってきたのは、ケストニア大陸の共通語。しかしその中にはあきらかに不自然な単語が紛れ込んでいる。
それが何かと言えば、ぶっちゃけカタカナ言葉だった。
例えば魔物や魔法の名前は
だけど背景がわりと謎な組織「冒険者ギルド」発祥の言葉や目の前の彼が発する"ハーレム"だの"ロリ"だの"ビッチ"だのは、私の耳にはまんま「日本語のカタカナ言葉」に聞こえるのだ。
そういえばポプラも時々ファンだのラッキーだの使ってたけど、目の前の彼のようにガンガン使うわけではない。幼馴染だと言っていたし、影響されたんだろうか。……そして、その影響を与えたこの彼はいったい何者だ。
私は恋愛とは別の胸の高鳴りに、もしかして、とその可能性に期待を募らせる。
どうしよう、聞いてみようか。でも私の勘違いで、変な奴だと思われるだろうか。
いや、でもそれくらいならいい。たとえ変な奴だと思われたとしても……是非確認したいことがある。
「ねえカルナック。君、日本って知ってる?」
目を見開いた青年を見て、私は確信を深めた。
彼は、日本を知っている。
あの後場所を移した私たちは、人気の少ない昼間の酒場を訪れていた。
アイドルタイムなのか、昼食の時間を過ぎた酒場は人もまばらだ。恐らく夕方になれば仕事を終えた人達で賑わうのだろうっけど、今なら聞かれたくないことを話すのにちょうどいい。
カウンター席から離れた窓際の席に陣取ると、お互い緊張した面持ちで固唾を飲んだ。
「いいか、確認するぞ。日本とはどんな国だ?」
「四方を海に囲まれた島国で、温帯に属し四季がはっきりしているのが特徴。季節を思いっきり楽しむ国民性でサブカルチャーの聖地」
「日本の首相の名前は?」
「俺の時は○○ ○○さんだった」
「あ、俺も知ってるのその人だな。ってことは、死んだ時期は同じなのか……」
「ってことは、やっぱり?」
確認するように尋ねると、カルナックはしっかりと頷いた。
「ああ。俺も日本からの転生者だ」
その言葉に、私の胸に言いようのない感情が去来する。
嬉しいような、転生と聞いて自分が死んで生まれ変わったことを決定づけられるようで悲しいような。
物心ついて……って言っていいのかよく分からないけど、それから十五年この世界で過ごしてきた。けれど、時々これが夢じゃないかと思うと、自分の頭が可笑しいんじゃないかと怖かった。目を覚ましたら何処か病院のベッドで、今まで出会った人も思い出も消え失せるんじゃないかって。
もしそれなら、前の家族に会えるのは嬉しい。でも長く過ごしすぎたこちらでの記憶を否定されることには大きな喪失感を伴うだろう。逆もありえる。前世の記憶なんておかしな頭が生み出した架空の記憶で、日本なんて存在しなかったんじゃないかって。
今まであまり深く考えないようにしてきたその考えは、自分と同じ日本の記憶を持つ人間が現れたことで答えという出口に導かれる。
彼の存在で今居る場所は現実であり、日本の記憶は本物だと肯定されたのだ。
突然現れた同胞に、何と言って良いのか分からず私は言葉を詰まらせた。やばい、ちょっと泣きそうだ。
しかし私の内情など知らないカルナックは、単純に嬉しそうに話題を振ってきた。
「そっかー! 俺以外にもいたんだな。まあ冒険者ギルドとかあるくらいだし、居るかな~とは思ってたけどさ! まさかこんな所で会うなんて思わなかったぜ」
「あ、冒険者ギルドってやっぱり……」
「システムといい名称といい、どう考えても俺らのお仲間が作ったもんだろーよ。俺、ギルド本部長にいつか会いに行こうって思ってるんだ! 俺もゲームとか好きだったし話し合いそうだしよ! あ、お前ゲームとかする奴だった?」
「いや、ゲームボーイとスーパーファミコンのソフトくらいしかやったことない。でもアニメとか漫画は好きだったよ」
「うわ、ずいぶん前だな……。もしかして年上だった? 俺多分十七歳くらいで死んだんだけど」
ちょ、この子さらっと言うな。普通死んだとか簡単に言えないもんじゃないのか。おばちゃんちょっと元セブンティーンの感覚が分からないよ。
「俺は、多分二十八」
「お、意外と年上。じゃあいきなり生まれ変わったとか驚いたんじゃないか? 俺世代だと、わりとそういうラノベ……ライトノベルとかネット小説で流行ってたから、事前知識があったけど」
「俺もそういうのは好きだったよ。まさか自分が体験するとは思わなかったけど」
「だよなー! でも現実は甘くないぜ……。生まれ変わっても言葉わかんねーし、生まれつきの特別な能力なんて無いしさぁ。赤ちゃんプレイとか、マジ精神削られたわ」
「あれ、カルナックって赤ん坊から自我があったんだ」
「え、お前違うの」
「俺は三歳くらいで気付いたから、そういうのは無かった」
「ほほう、そういうパターンか。いいなぁ、俺もある程度育ってから思い出す方がよかったよ。赤ん坊とか本当に動けないし眠いし一年めっちゃ長いしで、すげぇ退屈だった」
「へぇ~」
ずいぶんと砕けた調子になったカルナックには、普通の高校生くらいの男の子が重なって見えるようだった。理想の王子様だとか、貴族とか英雄っているフィルターが掛からない。学校帰りにファーストフード店で友達と楽しそうにだべってるのが似合いそうな、そんな雰囲気。
私も久しぶりに日本の話が出来る相手が出来て、自然と肩から力が抜けた。
「あ、そういえばカルナック知ってる? 味噌とか醤油の出所」
「おー、知ってる知ってる。あと、米とか日本酒もな。使い方の文化自体は広がってないのに流通してるもんだから、興味持って調べた。あれも冒険者ギルドが仕掛け人だぞ。独自のルートで各国に卸して普及させようとしてる」
「それもギルドを作った人が?」
「じゃねーの。聞けばギルド本部のあるタイトニアでは調理法に至るまで広がってるらしい」
「え、そうなんだ! 行ってみたいなぁ……」
「やめとけって。タイトニアは魔族との戦いの最前線だぞ? お前みたいにひょろくちゃ無理無理。ま、俺くらい鍛えてから考えるんだな!」
むんっとボディービルダーのようなポーズをとるカルナックに思わず笑いそうになったけど、たしかに見る限りよく鍛えられていた。赤髪ドレッドとの戦いを顧みても、かなり強いと思う。大言壮語ってわけじゃなさそうだ。
「努力したんだな……。英雄とまで呼ばれてるんだから、凄いよ。尊敬する」
「お、おう? まあな! でも分かりやすいチートは無いけど、この体に才能はあったんだろうな。努力すればするだけ身につくってのは気分がいいもんだぜ」
ボディービルダーポーズが急に恥ずかしくでもなったのか、咳払いして席につくカルナック。その様子が妙に可愛くて、なんか……さっきとは別の意味で恋心が霧散するな。こう、前世で十七歳って聞いたからだろうか。完全に年下の可愛い男の子フィルターかかってるわ。高校生だもんな十七歳って……。前世の私にとっては十年前……やめようこのことを考えるのは。
とにかく、今は久しぶりの日本トークを楽しもう。
「何か、ここが異世界の酒場っていうのが不思議な気分になるね」
「ああ、なんとなくわかるわ。こんな調子で話してるとマックとかファミレスにでもいるみたいだ」
「ははっ、懐かしいな」
「ファミレスといえば俺さ、これでも料理得意なんだぜ。ファミレスでバイトしてたこともあるし、前世の飯の味忘れられなくて、よく思い出しながら作るんだ」
「あ、俺も作るよ。この世界のご飯も美味しいんだけど、どうしても煮物系や丼物食べたくなる時あるし」
「お前煮物系いけんの!? ちょ、あとで教えろよ。ファミレスだと洋食系ばっかだし既製品も使うからそこらへん駄目なんだよ俺。母ちゃんの味がどうしても出せない」
「家庭の味ってあるからなー……。まあそこらへんの微調整は自分でしてもらうとして、基礎くらいなら教えられるよ」
「おお! 頼もしいな。いやあ、ハーレム野郎ってとこはムカつくけど同郷の人間ってのはいいもんだな」
「ハーレムって、あのなぁ……」
セリッサの本当か嘘か判断つかない告白はともかく、アルディラさんは冒険者としての後輩を心配してくれてるだけだし、コーラルはハウロさん相手みたいにお兄さん感覚で接してくれてるだけだろ。それを勘違いされてもなぁ……。
でもそうか。私は自分が女だってわかってるからあれだけど、傍から見るとこの女性比率はハーレムに見られるのか。でもそうだとするとポプラの存在感っていったい。あいつだって女の子に囲まれてる男の子じゃん。むしろ私も女だから男あいつ一人だけだよ。
あ、そういやカルナックには私女だよって教えようかどうしようか……。いやでも、さっきのテンションを思い出すと「男装女子だと!?」とか言い出して煩そうだな。助けてもらった時を考えると気恥ずかしさもあるし、もう少し頃合いを見計らって言うか。お礼をちゃんと言いたいし。
まあ、とりあえず。
あれこれ考えるのは後にして、折角今日はこの世界で初めての魂の同郷者に出会えた喜ばしい日だ。
私は先に頼んであった葡萄酒のビンを自分とカルナックの杯に傾けなみなみと注ぐ。そして杯を持ち上げて突き出すと、すこし格好をつけて久しぶりに発音する日本語でこう言った。
『同胞に出会えた今日という喜ばしい日に』
カルナックもにやっと笑って杯を掲げる。
『喜ばしい日に』
言うなり、互いに少々乱暴なくらいの強さでガツンっとグラスをぶつけた。
「「乾杯!!」」