「エルさんエルさんエルさんッ!! なんですかこれ!? 口の中でトロンて、とろって溶けましたよ!? 甘いです美味しいです幸せです!!」
「そっちも美味しそうだね! ねえねえコーラル、ちょっとだけ交換しない? 俺のタルトあげるからプリン一口ちょうだい!」
「いいんですか!? わああ! ありがとうございます!」
「うふふっ、喜んでいただけたようで何よりですわ」
私たちは現在王城地区から逆戻りして、城下町の一角にある喫茶店で三時のおやつと洒落こんでいた。
このお店、セリッサがお勧めと言うだけあってお菓子もお茶もみんな極上の味だった。使われている材料も豊富で、そこは流石王都だと言わざるを得ない。チョコレートなんて食べたのサクセリオと過ごしていた時以来で、チョコレートタルトを口に含んだ時の幸福感といったらなかった。職人さんの腕もいいのか、口どけのよさといったら前世に引けを取らない。幸せ。この世界の文明が進んでいてよかった。
恥ずかしげもなくはしゃぐ私たちを見ながら、セリッサさんはにこにこと笑っている。そんな彼女がふいに提案した。
「わたくしの果物のタルトも召し上がります?」
「いいの!?」
「ええ、もちろん。そんなに美味しそうに食べてくださって、連れてきたわたくしとしても嬉しいですわ」
セリッサの良い子さ加減に感動していると、彼女は華奢なフォークでさくっとタルトを一口大に切り分けてそれを差し出した。受け取ろうとしたのだけど、それはすいっと反らされる。
「?」
「♪」
首を傾げる私と、その正面で機嫌が良さそうなセリッサ。彼女の手にはつやつやとしたイチゴとブルーベリー、カスタードと生クリームがサクサクのタルトの上で絶妙に配置されたまま一口になったタルトが、フォークに乗っかったまま私を誘惑していた。
だからお菓子に目がくらんだ私が次にしてしまった行動は、しかたがない事だったんだ。
「エルフリード様、あ~んですわ」
「あ~ん」
パクッ
食べちゃってから「おい待て自分」と我に返る。
ハッと今の自分は男だったと思い出して周りを見回せば、案の定、店内と窓の外の男性から嫉妬と憎悪の視線を集めていた。
そうですよね、こんな美少女にあ~んしてもらうとか、そりゃあ嫉妬されますよね! ……あと何故かコーラルからも強い視線が向けられていた。ゴメンゴメンゴメン、お願いだから呆れないで。つい甘いものと雰囲気に流されて女子的ノリが出ちゃっただけなんだ……! 前世でもよく餌付k……、友達が食べさせてくれてたから!
恥ずかしくなって俯くと、私と違ってまったく恥ずかしがっていないセリッサがさらなる追撃をかけてきた。
「まあエルフリード様。こんなところに食べかすが」
「え、ありが……って、ちょっと待っ!?」
彼女がしようとしていることに気付いた私はそれを阻止しようとするも、抵抗虚しく口の端についていた食べかすは彼女の優美な指ですくいとられ、しかもそれはぽってりとした小さな唇にもっていかれた。
指先をぺろっと赤い舌で舐めとったセリッサ嬢は、「どうしたんですか?」とでも言わんばかりにたれ目がちな目を細めて小首をかしげた。
清楚の中になにかアブナイ雰囲気を滲ませた妖艶な微笑みに、「あ、駄目だ」と思った。私じゃなくて周りが。今ので見ていた周りの男どもが落ちた。恋に。
店内にはカップルが多いので、セリッサに見とれた男性が彼女にしばかれるという悲劇が多発している。そして窓の外に居た通行人ABCにいたっては立ち止まったままセリッサを凝視しているが、本人は知ってか知らずか、ただ笑む。
否。
これは気づいていて、しかも分かっている!
過去の記憶をもとに既視感を覚え、その可能性に気付いた時、私の全身を戦慄が走りぬけた。
かつて前世OL時代、一応合コンなんてものを経験したことがある。そこで彼女の瞳の奥に潜むものと同じ魍魎共と相対したことがある私には分かるのだ。
仕草、表情、言葉、その行動に伴う全てが計画的に付随されたものであり、人は彼女らをこう呼ぶ。
女豹と。
「そういえば、結局セリッサの用事は刺繍の依頼という事でいいの?」
その可能性に気付き、この様子だと目の前の彼女の
自意識過剰ならば問題ないが、万が一セリッサが恋愛的な意味で迫ってきたら非常に困る。自惚れだと何とでもいうがいい。恋愛的といってもそれは単なるアピール方法の事で、本当に彼女が恋愛目的で近づいて来たとは私だって思っていない。
なら、地味顔でよく知りもしない私に近づく目的はなんだ?
まあ、まず考えて貴重だと言う魔纏刺繍に対する依頼だろう。
そう思って私は、王都に来る前に仲間内以外での技術の安売りはすまい、と決めた時の心持ちで居住まいを正した。色仕掛けされても安くしないぞ!
しかし私の決意も受け流すように、セリッサは優雅にな仕草でお茶を飲むところころと笑った。
「まあ、折角楽しい時間を過ごしているのですから、お仕事の話は後にいたしません? もちろんわたくしはエルフリード様の作品の愛好者ですから、刺繍に関してもお話したいのですわ。でも、それよりわたくしはあんな素敵な刺繍を生み出す貴方様の人柄に興味があります。あんなに繊細かつ複雑で、なのに可愛らしさを失わない……幾重と刺繍がされているのに重くもなく、軽やかに糸が布に踊る様はまるで妖精の戯れのよう。華やかで、素朴。反した魅力を併せ持つ、あんな作品を生み出す方ってどんな人なのかしらって、わたくしずっと会ってお話してみたいと思っておりました」
「あ、そ、そうなんだ? いやー、そんな手放しに褒められると照れるなぁ! あはははは!」
でれっと照れてしまった私を誰が責められようか。だって私もともと褒めて伸びる子だから、これだけ褒められたら嬉しいんだよ!!
依頼ならちょっとくらい割引してもいいかな~? と、安売りはしないぞ! と決めた心がぐらついた。なるほど、これが小悪魔テクというものか。相手を褒める、まず基本。参考になった。
「と、いうことで。王都を案内しますから、もっとお話ししませんか?」
そう言ったセリッサの言葉を拒むことなんて、褒められることに弱い私が首を横にふれるはずがありませんでした。
しかし王都デートは予想以上に気が抜けなかった。
この子、私の気のせいなんかでなくて、マジで私を男として落としにかかってきている。怖い、
たとえば屋台で絞りたての果物のジュースを買った時。
コーラルと交換して味見をしていたからセリッサの「わたくしにも一口いただけますか?」という言葉を断るわけにもいかず、私は柑橘系のフレッシュジュースの器をセリッサに渡した。
セリッサは嬉しそうに受け取ると、そっと器に口をつけた。その仕草からして上品なんだけど、その口を吐けた位置は私が飲んが口のすぐ隣……。直接間接キスといかないあたりがなんともあざとい。ふれるかふれないかの、絶妙な位置加減である。
「ありがとうございました。とっても美味しいです」
飲んだ後丁寧に器の下に手を添えて、柔らかな笑顔で差し出す彼女。可愛いが、その仕草をするために自分のジュースをさりげなくコーラルに持たせていたところを私は見逃さなかった。なんてナチュラルに動くんだ。
「エルフリード様も飲まれますか?」
「いや、遠慮しておくよ」
これは本当に気を引き締めなければと、セリッサのベリー系のジュースを辞退した。この様子だと、さっきの喫茶店や今さっきのコーラルとのやりとりで、私の食い意地が張っているとばれているな。色んな味をちょっとずつ食べたいのは私だけじゃない女子の願望なんだもん、しかたないよ……。
そしてコーラルと交換している手前、なんとなく彼女の申し出を断り辛かった。でも今度はちゃんと断ったぞ! あの私の柑橘系ジュースのすっぱさやコーラルの林檎系ジュースの甘さを併せ持つ、魅惑の甘酸っぱいベリージュースを断った! 本当はすっごい味見したいけど我慢した私偉い。
私の内心の葛藤を知ってか知らずか、セリッサはあっさりと「そうですか」と笑って自分のジュースを手元に戻した。
クッ、この引き際、押し際をわきまえたところがますます玄人っぽい。全部天然だったらこんな邪まな考えをしていることが大変申し訳ないが、私はとりあえず前世の経験と本能を信じることにする。
たとえば雑貨屋で。
「これなんて、エルフリード様にお似合いではなくて?」
「そうかな」
さっと私に洋服をあてがいながら、自然なボディタッチをするセリッサ。
私よりやや低めの背を活かして、服をあてるのと一緒に顔を寄せる。ふんわりと香った花の香りや、俯いている彼女の白い
服を押し当てる力は弱すぎず強すぎず、その柔らかい手のひらの感触を伝えてくる。視覚、嗅覚、触覚にうったえるそのテクニックは、ドキドキさせられつつも真綿で首を絞められてるような圧迫感を感じた。
圧倒されているというのか……! 私では到底たどり着くことが出来なさそうな、その女子力に……!
たとえば道で。
「きゃっ」
「っ! 大丈夫?」
溝に躓いたらしいセリッサを受け止めると、セリッサは照れたようにお礼を言いながら見上げてくる。さっきとは逆バージョンの目の使い方ですねわかります。
そしてさりげなさを装って胸をちょっと押し付けたね君。受け止めた私は柔らかい感触を伝えてくる二の腕を掴んでいたので効果倍増ですねわかります。やべぇこの子。
すぐにぱっと離れた私は、さっきから少し不機嫌そうなコーラルには申し訳ないけど、私とセリッサの間を歩いてもらった。ごめんコーラル、私がノーと言えなかったばかりに魔法ギルドにいつまでも行けなくて……!
たとえば木の下で。
「あら、エルフリード様。こんな所に葉っぱが」
そう言ってさっと私のうなじに触れつつ葉っぱを獲って見せたセリッサ。絶対今葉っぱなんて無かったのに、あんた手品師か。素肌に触れられた時、肌が不快感ではないもので泡だったんだけどナニコレ。いやん。
葉っぱを指でつまんで顔の横で見せながらの「葉っぱをくっつけているエルフリード様も可愛かったですけれど」と言って悪戯っぽく笑う様子と言ったら……。あああああ、くそっ、悔しいけど可愛い……!
とまあ、色々と。
あげればきりがないけれど、更に言うなら終始セリッサは私のことをちゃんと"エルフリード様"と呼ぶ。最近だんだんと略されることが多くなってきた名前を、偽名とはいえちゃんと呼んでもらえるというのは嬉しいもので。
(この子やっべぇ……)
私、男だったら真面目に落ちていたかもしれない。恋に。
けど、そう思ったのは途中までだった。
内心のドキドキを隠すためにそっけないふりをし続けたからか、セリッサが途中から若干不機嫌そうな雰囲気を醸し出し始めたのだ。
もちろん外面上はそんなことを悟らせないが、もとから「演技」と決めてかかって見ていたからか、少しの仕草や表情でそれを察することが出来た。女はたとえばテレビ越しでも「あ、こいつビッチ」と見破る目を持っているからな。しかも餌が自分だとすれば、これくらい見破るのは余裕である。
そして焦っているのか、段々とあからさまになっていくその行動。
「エルフリード様、次はあそこを見に行きましょう!」
そう言ってぐいっと腕を絡めて胸を押し付け、ついでに手も恋人繋ぎで絡めるセリッサ。
「あら、他の方に目移りしては嫌ですわ」
ちょっとあの服可愛いなってすれ違った女の子を目で追ったら、彼女か! というような発言。
「エルフリード様、どうですか? 似合います?」
アクセサリーや帽子などを手に取って「ほら可愛いだろ? 男はこういうのが好きなんだろ? 今日の記念にって言って買えよ!」という副音声を発しながらあざと可愛いポーズをとるセリッサ。
確認しておくが、そんな彼女は聖職者。しかも修道女だというのに、それでいいのか。
「いくら上級者でも焦ると台無しだな」と、段々しらけていく私に対してじれていくセリッサ。もはや同性の私では、裏側の分かる彼女の動作では何一つときめかなくなっていた。いや可愛いけど。でも警戒心の方が勝っとるわい。何にって、新しい扉開いちゃいそうな禁断のドキドキに対してだけど。
そして行動があからさまになるにつれて、今までかろうじて気遣っていたはずのコーラルへの扱いがぞんざいになったのが決定打だった。
「ねえ、何が目的か知らないけど、不愉快だからやめてくれないか」
「え?」
私をひっぱっていこうとしたセリッサの腕を振りほどいて言うと、彼女は何を言われたのかわからないような顔をした。
ちなみにこれで何度目かになるが、セリッサが引っ張って私が連れて行かれると、そのたびに置いて行かれるコーラルは慣れない都会の人ごみの中で必死に追いかけてきていた。そのためずいぶん疲弊してしまっている。へとへとだ。
もうこれ以上は付き合っていられない。
「依頼なら、ちゃんとうけるよ。はい、これ宿屋の場所」
「あの、エルフリード様?」
私が走り書きしたメモを受け取りながらも、困惑した様子のセリッサ。けど騙されない。今絶対心の中で「折角私がつきあってあげてるのに何を言い出すのかしら」って疑問しか浮かんでないだろ。こういう子は意外とプライド高いから、自分が拒否される可能性をあまり考えていない。
「行こうか、コーラル」
「は、はい!」
疲れた様子だったコーラルがぱっと顔色を明るくするので、本当に申し訳なくなる。目的も果たせなかったうえに、私が断りきれないばかりに連れまわしてしまった。
「待ってください! わたくし、なにか不快にさせるようなことしてしまいましたか? でしたら謝りますわ。ですから、もう少しわたくしと一緒に居てください。わたくし、今日エルフリード様と一緒に居て、その……」
素直に謝る+もじもじしだすというコンボに鳴り響いた警報に、私は「来たか」と身構えた。その心境たるや、魔王を前にした勇者のごとし。
「あなたのことを、好きになってしまいました!」
「ごめんなさい!」
美少女による道のど真ん中での決死の告白を、私はコンマの差で叩き落とした。
その瞬間周りから突き刺さる男どもの嫉妬と非難の視線にも負けず、私は笑顔で続ける。
「俺、人を気遣えない子って嫌いなんだ」
「なっ」
人目の多い道のど真ん中で告白は、周りの視線を気にする相手にとってどちらを選んでも苦痛。受けるしかない威圧感をかけられる上に、断ったら断ったで一途で必死な純情を裏切ったとんでもない奴だと非難される、罠にも等しい行為。
漫画とかで、さらに双方両想いとかなら問題ない。
しかしよく知りもしない相手からされるこの告白方法は、ある種の脅迫だ。
私は言葉を無くすセリッサを置いてコーラルの手を取ると、宿に帰るため夕焼けに染まった町を歩き出す。一応最後に「暗くなる前には君も帰りなよ」とだけ言い置いて。だってこれでやさぐれて酒場にでも行ったら危ないしね。忠告はしたし、まあこれで後腐れないかな。
「……………………良いッ」
残されたセリッサがそう言って夕焼け以外のもので顔を染めたのなんて、私はこの時知る由もなかった。