魔刺繍職人の花嫁修業(笑)   作:丸焼きどらごん

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3話 サクセリオのお嬢様教育

 私がドラゴンに追い回される羽目になる数時間前。

 

 

 

 私が"エルーシャ"となって三日目の朝。サクセリオは「ふむ、どうやらエルーシャ様の知育速度は思ったよりお早いようだ。今日から本格的に勉強を始めましょう」と言ってきた。

 私としては知育速度が速いなどと言われても「そうか?」というのが本音である。いったい何が変わったというのか。たとえ体が子供で脳みそが柔らかいとしても、二十八年間凝り固まったカッチカチの思考回路はまだ何も吸収した覚えはないのだが。

 

 そう思ってサクセリオさんに訪ねてみれば、なんと「もうずいぶんと口が回るようになったでしょう? 私の名前も今なら噛まずに呼べるはずです」と言うではないか。それが何故知育速度に繋がるのかいまいちしっくりこないが、試しに呼んでみたら「サクセリオさん」と問題なく呼べた。完璧である。まったく噛まなかった。

 まあ感動を噛みしめる前に即「敬称はいりません。サクセリオ、とお呼びください」と訂正されたけど。あれ、デジャヴ。たしか昨日もこんなやり取りしたような。

 でもやっぱり知育速度ではないような……。どっちかっていうと身体能力の発達に分類されるんじゃ。

 

 それにしても、サクセリオさ……サクセリオに指摘されて気づいたが、どうもこの体での行動に違和感がなくなってきている。目覚めた時から「この体は私の物である」という確固とした認識こそあったものの、体が思うように動くかと言えばそうではなかった。それが今では特に不自由を感じないどころか体が軽い。慣れたと言ってしまえばそれまでだけど、それとはちょっと違う気もする。

 

 不思議に思って私が体を動かしながら様子を確認していると、その間にサクセリオは朝食を運んできてくれた。今日は温野菜と焼いたベーコンに半熟の目玉焼き。野菜スープにパン、牛乳といかにもな洋食の朝ご飯といった感じのメニューだ。どれも美味しそうである。

 

 そして私が朝食に目を輝かせている傍らで、サクセリオといえば何やら本をたくさん出してテーブルに積み始めた。…………え、ちょっと多すぎじゃない?

 待ってくれ。最近の私は文庫本一冊読むだけでも結構時間がかかるほど活字離れしていたんだ。読むとしてもネット小説ばっか読んでたんだ。そんな私に、漫画でもない活字オンリーだろうその分厚い本はキツイ。絶対目が滑る。

 

 

 不安に思った私は、まじまじとその本を見た。

 それらはどれも装丁が重厚で、暗めの臙脂色や紺色に金色や銀色で文字や細かな模様が躍る様がいかにも高級そうである。しかしその中で凄まじく違和感を発しているものがあった。……文字である。

 

(日本語……)

 

 そう、立派な本の数々はどれも日本語で記されているようなのだ。がっつり洋書ちっくな外見のくせに日本語。

 

 英語をはじめとした外国語が壊滅的に苦手な私が読めるのだから当然なのだけど、昨日見たお店の看板といい全部日本語ってどういうことだ。昨日も凄く違和感感じてた。このヨーロッパ的な風景とはどうにもミスマッチだ。

 ……ここは日本村かな? いや、日本人っぽい人とか誰一人見ていないけども。

 

 とりあえず読める、というのはありがたい。

 試しに本のタイトルを読んでみると、「ケストニア大陸共通語」「ゴブリンでも分かる初級会話」「白霊術の基礎」「初級から上級まで完全網羅! 黒霊術の極み」「精霊を引きずり出せ~外法精霊術の初歩」「魔を操る者~第一章・術と法~」「たのしいまほうとかがく」「慣れるより慣れろを胸に抱け! 算術問題集」「作法の全て」「初心者お断り! 蒼黎術の極意」「魔物の生態系~育成から殺戮にお役立ち情報満載! 改稿版~」「女帝教育」「淑女のたしなみ」「人体破壊術」「捕食者の流儀」「魔物全集・さばき方の付録本付き。魔物は意外と美味しい」などなど。

 

「………………」

 

 思わず無言になったわ。

 

 あれかな。これはツッコミ待ちかな?

 色々妙な単語が躍っている上に所々物騒なんだけどナニコレ。私今からこれを勉強するの? どうしろと。

 

 

 

 サクセリオさんは不安そうな私の表情に気づかないのか、その中から言語系らしい本を手に取り開く。そしてしばらく逡巡するように本と私を交互に見た。

 

「……やはり、変な癖がつく前に言語から入りましょうか」

「あ、はい」

 

 よかった、言語なら今のところ問題無い。彼にしてみれば幼い外見の私が文字を読めるなんて知らないだろうから、多分初めはあいうえお的なところから始まるんだろうな。他の怪しげな勉強から始めるよりよっぽどいい。

 私が返事をすると、サクセリオさんは満足そうに頷いてから何やらおもむろに懐から小さな箱を取り出した。

 

「エルーシャ様。まずはこれを耳に着けてください」

「! きれいだね! ……もらっていいの?」

「ええ。貴女のために用意したものですから」

「ありがとう!」

 

 思わず満面の笑みでお礼を言った。

 

 差し出された箱の中身は小花を象った小さなイヤリング。白い石と赤い石で作られたそれは控えめながら可愛らしさと上品さを兼ねそろえたデザインで、かなり私好みだった。これは勉強することを嫌がらなかったから、それのご褒美とかなのかな。嬉しい。

 私が「つけていい?」とサクセリオに訊ねると、彼は優し気な顔で頷いてから手ずからそのイヤリングを私につけてくれた。ちょっと恥ずかしいけど、小さな細工のイヤリングをうまくつけられる自信がなかったのでその好意に甘える事にする。

 

 だけど、可愛らしいイヤリングにうきうきしていた私は次の瞬間耳を疑った。

 

「:;lkhj▲gfdgt※huiol○po」

「…………ん?」

 

 あれ、おかしいな。耳が変になったのかな? サクセリオが何言ってるか分からないんだけど。

 

「#qweエルーシャrt■ylkjhgf*+g」

「え、サクセリオ! 今何語で喋ってる!?」

 

 辛うじて名前を呼ばれたのは分かったけど、他はまったく意味のある言葉として受け取れない。もしかして今喋ってる言葉とは別の言葉を覚えようってことだったの!? いやいやいや! いきなりハードル高いよ!? もっとイージーモードから始めよう!?

 

 混乱する私だったが、そこで更に他の異変に気付く。それは先ほどの怪しいタイトルの本なのだが、何故かその表紙がことごとく読めない言葉に変わっていた。え!? 何これ!?

 

「な、えっ、は!?」

「驚かれたようですね」

「!」

 

 耳にあったわずかな重さがなくなった瞬間、読めなかった文字も分からなかったサクセリオの言葉も再び理解出来るようになっていた。どういうことかとサクセリオを見れば、彼はつけてくれたばかりのイヤリングを外してその手に持っている。

 そして彼が次に言った言葉に、私は何とも言えない顔になる。

 

「貴女が問題なく知らない言葉、まして文字さえ理解出来るのは固有スキルのおかげなのです」

「す、スキル?」

 

 スキルと来たか……いよいよファンタジーっぽいというかゲームっぽい。さっきの本にも魔法だなんだと書かれていたけど、もしかして本格的にファンタジーな異世界なのかここ。ゲーム脳、ラノベ脳すぎるかと思っていたけどあながち間違いじゃないのだろうか。いや、でもそれにしても本当にゲームっぽすぎるだろ。スキルて。何か? 何ボタンうんちゃらでセットして短縮発動でも出来るのか? 残念ながら私にゲームコントローラーは標準装備されていない。……あかん。我ながら自分で自分が何言ってるか分からなくなってきた。でもスキルて。

 

「スキルには生れながらの先天的な物と、後天的に身に着ける二種類が存在します。エルーシャ様の言語スキルは言わずもがな先天性。『古代魔法言語(エンシェントスペル)』と呼ばれるものですね」

「! あれ、今何か耳が変になったんだけど!? エンシェントスペルって聞こえるのに頭の中で古代魔法言語って文字になった!?」

 

 私は今まで味わったことが無いような奇妙な感覚に素っ頓狂な声をあげた。状況は今口にしたまんまだが、改めて考えてみると「何だそれ」である。おい、頭の中で文字になるって何だよ。いや、そうとしか言えないんだけども。

 

「ああ、それもスキルの効果ですよ。術などの本質を表すのが頭に浮かんだ文字。実際に耳に聞こえる音はそれを発音するため、又は対象が術の場合は発動のための祝詞や呪文ですね。……講義はもう始まっていますよ。二度は言わないので書き取ってください」

「え!?」

 

 ちょ、おま! いきなりだな!?

 まだ全然理解が追い付いてないで色々置いてけぼりなのに……というか、言語から始めると言っておいて流れでスキルの説明から入ったぞこの人。

 下手か。実は教えるの下手か!? 今の説明も全ッ然分からなかったのに何をメモしろというのか。難易度高いわ!

 

 しかし目を白黒させる私に構わずサクセリオはつらつらと言葉を重ねていく。とりあえず彼しか頼れる人間がいない私としては理解できない単語が増えていくのも困るので、本と一緒に置いてあったノートを開いてボールペンっぽいペンで慌ててその内容を書きとっていった。

 

 あああ! 幼児の手が憎い! ペンが持ちにくい! でもファンタジーの定番な羊皮紙とか羽ペンとかじゃなくてありがとう!

 

 昔児童小説ブームで羊皮紙と羽ペンに憧れて通販で買ったら、めちゃめちゃ引っ掛かって書き辛かったから助かる。ボールペンって便利よね。

 ……まあいくら筆記用具が優秀でも、使っている私の手がおぼつかないんですけどね。うわ字が汚くて引く……。てか普通に日本語で書いてるけど、それはいいのだろうか。今サクセリオの目には私が何語を書いているように映っているんだろう。

 

 …………まだまだ謎が多くて憂鬱だ。

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえずわけがわからないままにサクセリオが話す内容を書いてみたけど、改めてそれを読み直した感想が「何この俺の黒歴史ノート!(ドン!)……みたいなの」だった。

 いや、何も知らないでこれ見たら普通にファンタジー小説の設定だけ書き連ねたような内容だからさ……。うん、本当に何これ。

 

 つーかその内容もだけど、サクセリオがやばい。何がやばいって、教育係のくせにこの人教え方が壊滅的に下手。

 

 話しの途中で別の話題が出てくるとすぐあっちこっちに話が飛んでいく。なされるがままに聞いているといくつもの事柄を同時進行で進められてしまうので、いちいち私が軌道修正しなければならない。凄く疲れる。

 流石にそれを繰り返すのが疲れてきた私は「サクセリオ先生、まずは言語からって言ってませんでしたか」と挙手して訴えた。頼むよ。分からないことだらけなんだから、一つ一つ教えてよ。

 

「……ああ、そうでした。申し訳ありません。少しでも多くの事柄をお教えしたくて詰め込みましたね」

(自覚はあったのか……)

 

 余計にたち悪いわ。

 いくら詰め込んでも覚えられなければ勉強の意味無いからね!?

 

 

 

 

 まあ、私の訴えはなんとか受け入れてもらえたようでよかった。

 そして改めて始まった勉強の時間なのだが、その前に私は彼がさっき言っていた古代魔法言語(エンシェントスペル)というものが何なのか気になったので質問してみた。今でも十分得体の知れない状況だが、更に自分が知らないうちに妙なスキルが身についているとか言われても困る。説明だけでもしてほしい。

 

 で、聞いたところによれば古代魔法言語(エンシェントスペル)とは現存する世界中のあらゆる言語と文字を理解できるようになるという言語チートなスキルだった。

 といっても、スキルとして私が身につけている古代魔法言語と世間一般で言うところの言語形体としてのそれは別物らしい。ややこしいな。

 

 

 サクセリオの説明によると、はるか昔はものの本質を表す言語が日常的に使われていたのだとか。そして言葉には力が宿り、コミュニケーションツール以上の意味を持っていたらしい。それが古代魔法言語と呼ばれるもの。

 しかし色々あって(説明をはぶかれた)今ではその大半が失われている。現在使われている言語からはそういった特別な力は少なくなり、力ある言語について残っているのはわずかな文献のみ。そこから解読して外国語を覚えるように修得するのが本来の古代魔法言語……らしい。

 ものの本質を暴く言葉であるため、それを使うことによって使う魔法の威力は格段にあがる。世間で言うところの一流の魔法使いは実際に魔法を覚える他、この言語も習得している場合が多いんだとか。…………うん、会話の中で普通に魔法とか魔法使いとか出てくるな。つっこむまい。

 

 で、私がスキルとして身につけている古代魔法言語(エンシェントスペル)は、古代魔法言語をはじめとした、意味のある"言葉"の本質を理解して読み取り、および自分の意志を相手の理解できる言語に変換して発することのできる能力の事だとか。

 いまいち理解が追い付かないものの、それが結構凄い能力なんじゃないか……というのは分かった。だってこの能力あれば通訳無しで外国旅行できるじゃん。字幕映画そのまま見れるじゃん。…………思いつく例えがみみっちいのがしょっぱい。でも私の想像力じゃそれくらいしか思いつかない。しょっぱい。

 

 ともかくそのスキルはサクセリオいわく「英知の結晶たる貴重な能力」とのこと。うんわかった。とりあえず凄い能力! で理解しておけばいいんだな! それでいいや! もうよくわからん!

 

 

 

 半ばなげやりに理解を示した私だったのだが、そんな私に対してサクセリオは無情な言葉を投げかけた。

 

「世間一般では大変珍しい特性です。面倒な人間に知られると煩わしい。……ですから、エルーシャ様には通常の共通言語を覚えていただきます。これはそのための魔具ですから」

「え?」

「このイヤリングは異能力抑制装置(スキルキャンセラー)という、特殊なスキルを打ち消す効果を持った品なのです。普通にしていてはエルーシャ様はどんな言葉も理解してしまうので、今日からこれをつけてお勉強していただきますよ。食事や睡眠時、あと基礎体力向上訓練時以外ははずさないでください。言語以外の勉強も並行して行いますが、全て共通語で覚えて頂きます」

「えっ」

 

 つまり、あの怪しげな勉強を全て見知らぬ言葉で覚えろと。

 

「あの……でも、」

「覚えていただきます」

「でも、知らないことばじゃおぼえられな」

「覚えていただきます」

「でもいくらなんでもむり「覚えていただきます」

 

 

 あ、駄目だこれ。絶対に妥協してもらえない感じだ。

 

 

 

 

 

 こうして私は未知の言語で未知の内容を勉強するという、なかなかに酷い勉強のスタートをきった。しかも教育係は教え下手である。難易度高ぇ。ついでに言うと私のスキルだと書く文字も自動的に魔力(魔力て)を帯びて、見る者が理解できる文字に変換されて読まれてしまうため、メモするための文字も一から新しい言葉を覚えないといけないらしい。難易度高ぇ。

 

 

 

 けどこんなのまだまだ甘い方だった。サクセリオはさっき、食事と睡眠と"基礎体力向上訓練"時と言ったのだ。

 

 その基礎体力向上訓練とやらが曲者だと、この時の私はまだ知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、何やらファンタジーな世界で知らない言語で何やら色々と覚えなくてはならなくなった私である。

 

 混乱していないわけではないが、なんだかんだでこの状況を受け入れているあたり、私は自分で思っているよりずっと適応能力が高かったのかもしれない。流されているだけ、と言えばそれまでなんだけど。

 

 

 

 

 午前中はあのまま座学に突入。

 

 なんとかサクセリオを説得して全く知らない言語でなんやかんや言われても分からないからと、異能力制御装置(スキルキャンセラー)とやらははずさせてもらった。

 と言ってもそれだとこの世界の言葉や文字が覚えられないので、片耳だけ外して片耳だけ装着したままというスタイルに落ち着いた。これはこれで混乱するけど、言うなれば片耳からは日本語、片耳からは異国語という同時翻訳みたいな状態である。でもって、そのまま他の学習と並行して言語学習も行うと。…………頭沸騰しそう。

 

 だけどサクセリオが宿の厨房を借りて作ってくれたランチが最高に美味しかったので、それで午前中の疲れは驚くほど吹き飛んだ。……っていうか普通にシャーベットっぽいものが出てきたんだけど、この世界って冷凍技術あるのか。

 

 でもなぁ……あれだ。

 料理は美味しかったし疲れが取れたのはよかったんだけど、その後が問題だった。

 

 

 

 

 サクセリオは午後まで座学にあてる気はなかったようで、何やらお出かけの準備をしはじめた。準備ってか、私の着替えなんだけども。私は棒立ちしているだけで、服とか全部サクセリオが着せてくれてた。何この羞恥プレイ。そして慣れつつある自分が怖い。

 彼は念入りに私の体にオイルを塗りたくり(日焼け止めかな?)、服装もぶりっ子ロリータでなく動き易そうな赤いタータンチェックのワンピースに厚手のストッキング、なめし皮の靴が用意された。

 

 可愛らしい格好にちょっとテンション上がる私だが、ふと不安に思ってサクセリオに問いかけた。

 

「サクセリオ、これからどこに行くの?」

「dsfghyutrfgvg…hjyn×*」

「あの、これはずしていい?」

「gi&××」

 

 あ、今のは何となく「駄目です」って言ったのは分かった。

 

 実は授業以外は言葉を覚えるために、例のイヤリングを両耳につけたままだったりする。同時翻訳を許されているのは授業中のみだ。ツライ。

 慣れるより慣れろってことなんだろうけど、言葉が通じないと言うのはなかなかに不安を煽られる。……早く覚えよう。

 

 準備が出来たのか、サクセリオは私をひょいと抱き上げた。この人、一見細身だというのに服ごしに感じる体は結構がっしりしていてものすごく安定感がある。しかも初めは周り全てが大きく見えていたから気づかなかったものの、いざ気にしてみると背も高い。道行く人より頭一個分抜きん出ているし、百九十センチくらいあるんじゃないか?

 抱き上げられて見る景色はなかなかの絶景である。

 

 

 

 

 

 

 だけど数分後、私は絶景でなく絶叫体験をすることになっていた。

 

 

 

 

 

 

「ぎゃあああぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 おいちょっと待て! 何で私空飛んでんの!? いや正確には私じゃなくて私を抱えたサクセリオが飛んでるんだけどさ! でも人が生身で空飛ぶってところからつっこんでいいか! 魔法だなんだとは聞いてたけど初めて経験する魔法的な何かがこれってなかなかきつくないか!! もう恥も外聞もなくぎゃん泣きしてるわお空怖い! つーかスピード怖い!! 遊園地のジェットコースターが公園の遊具に思えてくるレベルで怖い!! 風圧で顔の肉ぶるんぶるんじゃねーか私!! 風に負けてすっげーうしろに流れてるよ絶対今の顔不細工だよ怖い!!

 

 

 

 

 私がこうなる少し前。町外れにある人気のない場所に来たサクセリオは、あろうことか前触れ無しに空に浮き上がってそのまま高速飛行を開始したのだ。心構えする余裕などなかった。

 あまりのGに、自分の顔はブルドックのように歪んでいた物と思われる。というか最初息できなかった。途中で死にかけている私に気付いたサクセリオさんが何事かをつぶやくと、高速飛行による重力と寒さからは解放された。多分、魔法的な何かだと思う。

 しかし恐怖心までは拭い去ることは出来ず、私はこのいつ終わるとも知れない人間ジェットコースターで今も叫び続けている。そして物凄い速さで周囲の景色が遠ざかっていき、サクセリオは勢いよく雲の中につっこんだ。その後はずっと雲の上を飛行中。……いっそ気絶してしまいたい。

 

 しかし恐怖の空中遊覧は、唐突に終わった。

 

 目的地に着いたらしく、とんっとサクセリオの足が地面についたような感覚がして、恐る恐る乾いた目であたりを見回す。

 

「ここどこ……?」

「カフカの洞窟です」

 

 いや何処だよ。……って、あれ? サクセリオの言葉が普通にわかる。そういえばいつのまにか両耳がいくぶんか軽い。

 

「あれ、イヤリングは?」

「ここで会話できないのも危険ですからね。座学とこの場所では解禁しますので、外しておきます」

「う、うん。危険ってのが気になるけど、サクセリオとお話しできるのは嬉しい」

「そうですか、それは光栄ですね」

「だからここ以外でもはずしちゃ駄目かなって……」

「それは駄目です。お勉強になりません」

 

 思わず舌打ちした。チッ、おねだり作戦失敗か。

 まあそれはともかく、ここは何処だ。えらく凄まじい光景が広がってるんだが。

 

 到着した場所は轟轟と吹雪が吹き荒れる岩山だった。どれくらいの標高かは分からないが、あの上昇具合を考えるとかなり高い山じゃないか? 

 周りの吹雪と厚い雲のせいなのか暗くてよく分からないが、何故か私たちの周りだけ吹雪の影響がない。これも魔法なんだろうか。透明な箱の中に入っているみたいだ。

 雪に覆われた岩山はほんのわずかに武骨な岩肌をのぞかせている他、一部にぽっかりと大きな口を開けていた。これが彼の言った「カフカの洞窟」なのだろう。……え、今からもしかしてここ入るの?

 

 私の不安は的中したようで、サクセリオは私を抱えたままサクサクと雪の上を進み洞窟へ入る。暗いと思っていた洞窟の中は不思議なことに全体が青白く発光しているようで、妙に明るい。しばらく物珍しげにその幻想的な光景を見回していた私だったが、ふいにブルりと寒気が走った。

 その瞬間。今まで見たことも無いような非現実が、私の目の前に姿を現す。

 

 

『ジャァァァァァァ!!』

「ぷぎゃぁぁぁーーーーーーーー!!」

 

 なんか出たーーーー!!

 

 すがーんだかボゴーンだか、とにかく派手な音をたてて地面から堅そうな岩盤を突き破って、何か出てきた!

 

 その何かとは、全身銀色の堅そうな鱗に覆われた蛇っぽい生物だった。

 ギラギラと細かく鋭い牙がずらっと上下に並んでいる場所は恐らく口で、赤黒い喉奥から紫色の舌を何本も放射状にのぞかせている。眼は見当たらず、全身から白濁色のねばっこい粘液をドロドロ滴らせている様子が非常に気持ち悪い。口からも何やら体液とは違う紫の涎を垂らしており、見た瞬間思い出したのは某映画のエイリアンだ。

 

 ……え、これやばくない!?

 

「ひ、ひゃく、しゃく、さ、さささささささささくセリオ! ちょ、逃げ、!!」

 

 気持ち悪い上にデカいとか最悪なんだけど! 

 

 奴は大人2人分くらいの胴回りで、地面から生えてるから全長が見えない。けど地上に出ている部分だけでも優にサクセリオの身長を越している。デカい。

 しかし私の混乱をよそに、サクセリオはといえばひどく冷静だ。それどころか悠長に化け物を指さし、私にいちいちその化け物について説明する始末。

 

「アゾットワームですよ、エルーシャ様。生態をご説明いたしますので、帰ったらちゃんと復習するんですよ?」

「いやいやいや!? 別にそんなのいいから、逃げよう帰ろう速やかに迅速に跡を濁さず今すぐに!!」

「おや、難しい言葉を覚えたのですね。それにとてもうまく話せるようになったご様子。やはりエルーシャ様は優秀だ」

「頭撫でてる場合か!」

 

 私を褒めるようによしよしと頭を撫でてくるこの美人どうしてくれよう! お前が逃げないと抱き上げられてる私も逃げられないんだよ!

 

 

 しかし、私の心配をよそにサクセリオは平然と危機をやり過ごして見せた。

 

 

 ドンッ

 ぷしッ

 

 表現するなら、多分こんな音。それに私は目を見開く。

 

「…………え?」

 

 サクセリオの胸倉を掴んでガクガク揺すりながら逃げようと訴えていたら、何やら後ろで鈍い音と破裂音が聞こえたような。

 

 油の切れたブリキのようにギギギと首を回して振り返れば、そこにはさっきまで蛇っぽい形をしていたはずのナニカ。……多分さっきの奴の、肉塊が散らばっていた。

 地面から出ていた根元が辛うじて原型を保ってピクピクしているくらいで、あとは頭だった場所を爆心地にするかのように、どす黒い紫色の肉や鮮やかなピンク色の内臓をまき散らして壁、床、天井問わず放射状にとっ散らかっている。

 気持ち悪いけど、なんだかぶっとび過ぎていて逆に現実味が無い。え、なにこれ。

 

 私はおそるおそる、それを見ても平然としている男に問いかけた。

 

「あの、…………これってサクセリオが、やったの?」

「はい、そうですよ。いいですか? アゾットワームは体全体が有害と言ってよいですから、素手で触らないのが原則です。武器を使っても奴の分泌液で傷みますので、魔法攻撃が最適でしょう」

「魔法なんだやっぱり……」

 

 当然のように言われてしまった。いや、一応座学でちょろっと聞いたけど、空飛んだけど。……やっぱりあるんだ。

 そして私の困惑をよそに、サクセリオの講義は続く。

 

「アゾットワームは内臓が本体で、あの薄い表皮に覆われた太く長い胴体全てにそれが詰まっています。魔法を使って、本体を鱗に見える水銀で覆っているのです。そこから分泌される粘液は生物にとって有害。襲われると、毒を受けると同時に体力と魔力の両方をアゾットワームに奪われます。……文字通りに」

「奪われる?」

「ええ。分泌液が本体と繋がっている限り、それを介して体力魔力の吸収を行うことが出来るのですよ。巻きつかれると厄介ですよ。口から出ている紫の液は酸ですね。アゾットワームは体液で弱った獲物を酸で溶かしながら、口内の細かい牙で粉砕して捕食します。ふふっ、内臓ばかりの魔物なのに、よく噛んで食べるなんて消化器官が弱いんですね。エルーシャ様もそこは見習って、よく噛んで食べなければいけませんよ」

 

 いや、そんな和やかに言われても。

 

「えっと……今の話聞いたら、噛む以前に食欲無くなったかな……」

「おや、それはいけませんね。たくさん召し上がっていただいて、エルーシャ様がすこやかに成長する事こそ私の願いだというのに。……では今日はよく運動して、お腹を空かせて帰りましょうか」

 

 よく運動をして。サクセリオがそう言った瞬間、背中を寒気と言うべきものが這い上がった。

 

「嫌な予感しかしないんだけど。ねえ、もう帰ろう?」

「駄目です。まだここに来た目的の半分も達成していないのですから」

 

 目的ってなんだよ。そう問いかけたかった私の疑問は、数分後に解消された。

 

 

 

 

 

 

 そして、その数分後。

 

 

 

 

 

 

「ぎにゃあぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 ずりゅり

 そんな湿った音と共に、牛頭人体の魔物の胸から腕を抜くサクセリオ。

 

「いいですか? このように単純に左胸に心臓がある場合は潰すなり抜き取るなり出来ますが、人型以外では他の場所に心臓、又は核があることも多いので注意が必要です。ああ、肉厚の魔物だと腕が心臓まで届かない場合もあるのですが、ご心配なく。分かりやすいように今は素手を使っていますが、その場合武器を使用すれば問題ありません。また今度、使い方をお教えしましょう」

 

 

 

 

「ひぐわぁぁぁぁ!!」

 

 ボキィッ

 

 鶏の手羽先を手折るように、鉄の体を持つ巨鳥の太い首を破壊するサクセリオ。

 

「このように骨には脆い継ぎ目がありますから、そこを狙えば容易に手折ることができます。もちろんこのまま首を切り落としても構いません」

 

 

 

 

「ふぎぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 ぷしゅっ

 

 金色の鱗で覆われたドラゴンの目玉をつぶしつつ。

 

「目潰しは固い外殻の魔物にも有効ですね。口の中や耳の中でもそうですが、そのまま突き破って脳を引きずり出しても良いですね」

 

 言葉通りそのまま腕を抉りこませて、最終的に緑色の体液をまき散らしながらぐちゃぐちゃに潰れた灰色の何かを掴んで引きずり出したサクセリオ。

 

 

 

「!」

 

 もう声も出ない。

 

 どぱァんッ

 

 激しい回し蹴りの後、体の下に潜り込んだサクセリオにアッパーカットを叩き込まれ、宙に浮く小山のような大きさの亀。とどめに、その背に並ぶ鋭い棘ごとへし折りながら上から華麗に踵落としを決めるサクセリオ。

 

「邪魔なので早々に落としましたが、2撃目で亀の内部は骨、内臓もろとも破壊されています。このような内部破壊も覚えておくと便利でしょう。まずは掌底から入ることをお勧めしますが」

「あ、はい……」

 

 最早頷くしかない。

 

 後から後から現れる怪物達にいちいち悲鳴を上げていた私だったのだが、次第に彼らに向けるべきは哀れみの視線なのかと迷い始めた。

 

 何だろうこの殺戮劇。蹂躙ってこういう時に使う言葉なんだと思う。サクセリオ強ぇ……。

 

 

 

 涼しい顔で魔物を殺しながら説明を続けるエキゾチック美人というシュールな光景に、いつしか私の感覚も麻痺していたようだ。飛んできた魔物の体液や内臓や肉片でべったべたになった体は気持ち悪いのに、心はどこか凪いでいる。……悟りの境地って、今みたいな心境の事を言うのかな。

 

(……屠殺場とその職員)

 

 ふと、浮かんだイメージがそれだった。いや、屠殺場で働く人に失礼か、それは。

 でもサクセリオがあまりにも淡々と事務的に、作業でもするように化け物を殺すもんだから恐怖に震える(いとま)も与えられないこの現状よ。どうすればいいんだ。

 

 

 

「ふむ。これでこの洞窟の固有種はだいたい説明し終わりましたね」

(殺し尽くしましたね、の間違いじゃなく?)

 

 最後に皮が無く筋線維がむき出しになったような外見をした、緑色の体に瑠璃色の角を生やした鬼っぽい奴を屠ったサクセリオ。彼は息も乱さず、軽く手をぱんぱんとはらいながらそう言った。恐ろしい男である。

 ちなみに殺された魔物たちは、倒された後しばらくして光の粒子になって消えてしまった。私の体についたモロモロも一緒に消えてくれたのでかなり人心地ついたけど、どうなってるんだろう、これ。

 

「魔物って、倒すと消えるものなの?」

 

 それだとかなり精神的に助かるな、と一応確認を兼ねて尋ねてみる。しかしサクセリオが返した答えは私が求めていたものではなかった。

 

「? ああ、誤解させてしまいましたか。死体ですが、通常は残るものですよ。冒険者などは魔物の素材を狩ることも仕事ですし、消えたら困るでしょうね」

「え、でもさっきから全部消えてるけど」

「あれは私の蒼黎術で異空間へ転移させていただけです。後ほど使用する目的がありますので」

 

 蒼黎術ってなんだろう。そう思ったけど、全部質問していたらきりが無いので、とりあえずその質問は飲み込む。

 

「結構ぐっちゃぐちゃなのもあったけど、何に使うの……?」

「まだ決めていませんが、どれも優秀な個体でしたからどうとでも使えるでしょう」

 

 え、あれ何かに使うの? マジで?

 

「……まあいいや。ねえサクセリオ、終わったなら早く帰ろう?」

「帰る? 本番はこれからですが」

「はい?」

 

 本番? ちょっと待って。今までの殺戮がオードブルとか、これから更なる18禁グロ画像が待っていると!?

 

「次はエルーシャ様の番ですよ。基礎体力作りからですから、とにかく今は逃げてくださいね」

 

 言うなり、聞き返す間もなくサクセリオさんは私の首根っこを猫のように掴んでからぶん投げた。

 

「ぎゃあああああああああああああ!?」

 

 無様な叫び声をあげつつ曲線を描いて飛んだ私は、幸いなことに着地時はこれも魔法なのか、ふわっとした感覚と共にお尻から着地する。

 

 バクバク脈打つ心臓を押さえて冷や汗を大量にかきながら、ぺたんと座り込んで両手を前につく。まるで熊のぬいぐるみのようなポーズの私を待ち受けていたのは、到底歓迎出来ない方々だった。

 

 アゾットワーム、ドラゴン、オーガ、タートル、ミノタウロス、巨鳥。

 

 

 

 

「あ、ここに来る前に塗ったオイルは魔物を惹きつける香りがついていますから、何処までも追ってきますからね」

 

「いやああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 

 

 

 

 この後、体感時間で2時間ほど。私は怪物達から逃げ回ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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