マドレア村を旅立つ前に、私の作った洋服を着て嬉しそうにしているコーラルを見て、昨晩のことを思い出してその様子に安堵した。
……昨日は結構心配してたからなぁ……。
話は前夜に遡る。
深夜。私は約束した女の子二人分の洋服とポプラのバンダナに刺繍するために、食堂を借りて作業していた。服の原型は出来たからあとは刺繍だけかな。
魔纏刺繍や、それに付随するスキル「典雅迅速」は魔力さえあれば作業時間を極端に短く出来るのだけど、その分魔力消費の疲労感が強い。特に今は夜で、明かりは蝋燭の炎だけだから目の疲れが酷い。アルディラさんに明かりの魔道具を借りておけばよかったとちょっと後悔した。
けどもう夜中だし、女子部屋には三人寝ているので起こすわけにもいかない。魔力節約のために明かりの魔法も使えないので、このままやるしかないだろうな。
「うあ゛~」
作業の途中、我ながらオッサンのような唸り声を上げて屈伸をし、眉間をもみほぐす。
やばい目がかすむ。ちょっと休憩しよう。
そう思った私は蝋燭の火を吹き消すと、椅子に座ったまま夜の闇に身をゆだねる。部屋には明るい月の光だけが満ち、生き物が寝静まる時間特有の柔らかな静寂に安心感を覚えた。森から聞こえるのか、どこかでフクロウが鳴いている。
ふと、月が陰って部屋が完全な夜闇に包まれた。その時だ。
「?」
ギィっとした音が聞こえ、それが扉が開いてきしんだ音だと気づく。次いで音を立てまいとしているのか、人の気配がゆっくりと移動するのを感じた。しかしその気配は扉の音を聞いていなかったら、見逃してしまったかもしれないほど希薄で掴みづらい物。
今この宿屋に泊っているのは私達だけだ。誰かトイレにでも起きて来たのかと思えば、その人物は食堂の私に気付かずに外へ通じる扉へ向かう。
まさか泥棒が窓からでも入って逃げたとか? そう思った私は、自身の気配を出来るだけ消してその後を追った。もしそうなら、とっちめてやろうと魔法を準備しながら。
結果としては、宿から出て行ったのは泥棒ではなかった。
私が後を追ったのはコーラルで、彼女はフラフラとした足取りで村を
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめ、なさ、ごめなさい、ごめんなさい、ごめん、ごめん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ああ、うあ、ぇう、ごめ、ごめんなさい、あああ、うああああ」
声は次第に大きくなっていき、コーラルは何度も何度も誰かに謝罪を繰り返す。そしてコーラルの体が大きく震え、地面に手をついて胃の中の物を吐いてしまったところで、とうとう見過ごせなくなった私は物陰から出てコーラルに駆け寄った。
「コーラル!」
「……!?」
体を二つに折って胃の中身を吐き出していたコーラルは、苦しそうな表情で私を見上げた。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、ぐしゃっと紙にしわが寄ったかのように歪められていた。体もぶるぶると震えていて、とても普通の状態には見えない。
見られたくないような姿だろうけど、放っておくという選択肢は私の中から消え失せていた。
「コーラル、一回全部だしちゃおうか。…………………………そう、うまいうまい。…………そしたら深呼吸して…………そう、ゆっくりでいいよ…………うん…………、じゃあこれ飲んで、口の中を綺麗にしよう」
呼吸を一緒に合わせてコーラルを落ち着かせると、人差し指に魔力を集めて水へと変換する。宿屋にコップをとりに戻る暇が惜しいので、そのまま指先ごと水球をコーラルに咥えさせた。
「すすいで、はきだして…………はい、もう一回。…………。今度は吐き出さないで飲んで……。うん、そう」
幾度かそれを繰り返すと、コーラルの体の震えは次第におさまっていった。
いつの間にかぎゅっと服の裾が小さな手に掴まれていて、私はそれをそのままにコーラルの背中に腕を回すと、一定のテンポでゆっくりと叩く。かつて孤児院で怖い夢を見た子供にしてあげたそれを思い出しながら続けていると、コーラルがぽつりぽつりとかすれた声で話し始めた。
「ごめ、なさい。エルさんの服、汚れ、ちゃいました」
「いいよ。それより平気?」
「あんまり……」
「うん、素直でよろしい。でも具合が悪いなら、もっと早く言ってくれたら嬉しかったかなぁ」
「ごめんなさい」
「責めてるわけじゃないよ。大丈夫、大丈夫。それで、どこが気持ち悪い? よかったら言ってごらん」
「……具合が悪いんじゃ、ないんです。た、だ、あたしが、弱虫な、だけで」
コーラルは私の胸に顔をうずめると、更に言葉を続ける。
私は聞き取りにくいそれをなんとか拾おうと、さくらんぼ色の頭に耳を寄せた。
「寝ると、おもいだすんです。死んじゃったおじさんたちの事。どんなに嫌いでも、そんなに恨まれてたのかなとか、あと、ちょっとでもあのひとたちが死んでよかったと思った自分が、恥ずかしくて、きもちわるくて、だってあんなひどい殺されかたしたのに、あたしはそれを見ていたのに。おじさんが夢の中でいうん、です。あたしは、ひとのぎせいの上で生きてる、最低の人間だって、いいえ、人間ですらなかった。おじさんたちが死んで、友達はずっと自分のおうちからはなれてあたしを守ってくれてて、でもそのせいで村の人が村から出られなくなってて、お、お父ちゃんや、おっか、お母ちゃんから、たくさん愛してもらったのに、ホントの子供じゃなか、った、です。だまして、育ててもらって、あたし、ホントのお父ちゃんとお母ちゃんの子供の居場所、奪って、ぅあ、あああ……! ほんとに、ぎせいの上でしか生きてられないんだって」
私はコーラルの告白に何も言えなくなる。もしかして彼女は昨日からずっとこんな気持ちでいたんだろうか。
だとしたらこの子は思っていたよりずっと強い子だ。昼間は明るく振る舞って、みじんも私たちにその内心を悟らせなかった。
考えてみればあたりまえだった。自分が両親の本当の子供で無かったことだけでもショックだろうに、凄惨な人食いの現場まで見てしまった彼女の心境に気付けない私たちが馬鹿だった。
こんな時に気の利いた慰めの言葉が出てこなくて、自分の浅さが知れて嫌になる。中身の年齢がいくら年を重ねても成長しないなぁ私。だからそんな未熟な私が言葉をかけてもどれも嘘っぽくなる気がして、臆病な私は何も言えずにただただコーラルの言葉に耳を傾けていた。
それからしばらくして。
春とはいえ夜の風は冷える。その中でコーラルと私の体温だけが温かく、お互いの体温がうつったころ。役立たずの私に、顔をあげたコーラルは儚げながらも笑顔を見せてくれた。
「話を聞いてもらって、ありがとうございました」
「いや……。ごめん、俺、聞くしか出来なくて……」
「いいんです! それだけでとっても嬉しかったから。それに、ですね」
コーラルは再び私の胸に顔を寄せると、右胸に耳を当てた。
「エルさんに抱きしめてもらって、心臓の音をきいていたらとても落ち着いたんです」
「そう、なの?」
ああ、そういえば他人の心音って心を落ち着かせてくれると聞いたことがある。きっと、赤ちゃんのころお母さんに抱かれていたのを思い出すからねって教えてくれたのは、結婚して辞めてしまった小学校の担任の先生だったっけ。
「エルさんに抱き着いてたら……お母ちゃんと、お父ちゃんを思い出したん、です。すごく、安心する……」
「……。そ、そっか! ご、ご両親を!」
一瞬ほんわかした気分が凍りついた自分を殴りたい。
心を許してくれるのは嬉しいんだけど、ルーカスで味わった「みんなのお母さん」ポジがまた顔をよぎってとても複雑な気持ちになった。え、私って男装しようがどうしようがそういう感じなのか。オカンなのか。何故だ。
コーラルは私の複雑な心境に気付くはずもなく、言葉を続けた。
「あのね、エルさん。あたし、いつか精霊界に居るっていう本物の、人間のコーラルに会いに行こうと思う」
「それは、精霊になるってこと?」
「うん。今は人間でいることを選んだけど、きっといつかそうすると思うの。でね、人間の世界をたくさん見て、いろんな人とたくさん知り合って、いつかコーラルにそのお話をいっぱいしてあげるんだ。お母ちゃんとお父ちゃんがどんなに優しい人だったかとか、あなたに与えられるはずだった愛情はとっても幸せなものだったとか、そういうお話もたっくさん」
「うん、いいね。それ、すごく素敵だと思う」
「そう、思ってくれますか? えへへ、ありがとうございます」
はにかむコーラルは、先ほどの取り乱した様子が嘘のように憑き物が落ちた顔をしていた。どうやら私がおせっかいをしなくても、とっくに彼女は自分の中でいろんな事に向きあっていたようだ。
下手に慰めていたら、きっとこの子にとって失礼な事だった。
内心を吐き出したことですっきりしたのなら、私も多少は役に立ったんだろうか。だったら、いいな。
「コーラルは自分で決めて、自分で前に進もうとしてるんだね」
「そうなれたらいいなって、思います。でも、あたし弱虫で泣き虫だから……いろいろ考えると怖くなるし、こうやって夢を見るとすぐ泣いちゃうんです。弱いですよね」
「しょうがないよ。短い間にいろいろあったんだし、それに嫌な人でも知ってる人が死んだら複雑だし怖くなるのはあたりまえ。むしろ怖がるのは正常な事だと思うし、コーラルはそれでいいと思うな」
村人が喰われる場面を見てしまったコーラルは正直災難だったと思う。ただ殺されるだけじゃなくて喰われるって……私だってトラウマになるわ。
そういえばコーラルこの二日肉っぽい物食べてなかったな。……同じく現場を見たはずのアルディラさんとポプラ、エキナセナはモリモリ食べてたけど。メンタル強ぇわこの三人……。
アルディラさんたちだって人が死ぬことを良しとしているわけじゃないだろうけど、魔物や魔族が居る世界では慣れなければやっていけない所があるんだろう。まして冒険者なんて危険と隣り合わせの仕事をしていれば特に。
でもコーラルはそういうのに慣れないで、「怖い」と思う感覚を麻痺させないでいてほしいと思った。だから怖い夢を見るのは辛いだろうけど、きっとそれでいいんだ。
でも、もし怖くてたまらないなら。
「怖い夢を見たら、俺でよければまたそばにいるよ」
「い、いいんですか?」
「うん、でもその時は今日みたいに黙ってないで言ってくれると嬉しいかな。コーラルって意外と気配消すの上手かったから、偶然でなければ俺も気付けなかった」
「あう……。き、気をつけます」
「ううん、俺もごめんね。気づいてあげられなくて」
なんだか無性に母性本能を刺激された私は、この小さな少女が愛しくて堪らなくなっていい子いい子と撫で繰り回した。すると今までくっついて気持ちよさそうにしていたのに、急にコーラルが狼狽えだす。
「あ、あ、あの! ごめんなさい! いつまでもくっついてて!」
けっこうな勢いで離れると、コーラルは宿屋に方向転換すると一言残して走り去って行った。
「ありがとうございました!!!!」
突然の勢いにぽかーんと阿呆な表情で口を開けた私は、そのままコーラルを見送ってから、あ! と気が付いた。
「やッべぇ……。刺繍まだ出来てない……」
見上げれば月は中天を過ぎている。
…………結局私は、その日は徹夜して作品を完成させた。朝日が眩しかった。