とりあえず「この第二の人生を楽しく生きよう」という漠然とした目標を定めた私であるが、まず私は自分のことすら分かっていない。それに保護者らしき褐色肌のアジアンビューティー……彼が何者で、私とどういった関係かということも不明である。これはいけない。
現状どうあがいても一人で生きるには難しい子供の姿の私としては、保護者である彼の事をもっと良く知る必要がある。
というか、普通に接してくれていたけど彼は私に対して何か違和感を抱かなかったのだろうか。突然28歳の記憶がログインしたわけだし、相当挙動不審だったと思うんだけど。私としては世話を焼いてくれる彼の態度はありがたいのだが、このまま何も知らないまま甘えているのは怖い。
……知らない、というのは本当に怖いのだ。信頼するだけ彼の人柄も経歴も何もかも知らないから、いつ見捨てられるかもわからない。もしこの見知らぬ場所で放り出されたら、多分私は生きていけないだろう。
もしここが日本なら、警察に保護してもらうとか手段はある。少なくとも死にはしないと思う。けどここで問題になってくるのが、私が目覚めた世界に広がる光景だ。
ここ、どう見ても日本じゃない上に現代であるかも怪しい。
どうしよう。
「あの、あなたのおなまえは?」
一晩寝て考えたけど、とりあえず何か聞かなくては始まらない。なので翌朝、不審がられることを覚悟で保護者くん(仮)の名前を聞いてみる事にした。
凄くドキドキしてたんだけど、エキゾチック美人はあっさりと柔らかい声色で答えてくれた。
「私はサクセリオと申し、……………………………………。サクセリオですよ~! エルーシャさま~」
「…………」
この人、今幼児向けに言い直したぞ。その怜悧な美貌に猫なで声があまりにも似合わなかったものだから、私は思わず顔をひきつらせた。
それにしてもサクセリオさんか……。言い辛そうだ。
「シャク、さ、さく、さくしぇりお」
案の定だよ!! なんか、子供だからなのかうまく口が回らない。お粗末すぎる発音が恥ずかしくなって、とりあえず何回か口の中でサクセリオ、サクセリオと彼の名前を転がした。しかしサクセリオさんは気にした様子もなく、微笑ましそうに目元を緩めて笑うと私に話しかけた。
「言いづらいようでしたら、好きにお呼びください」
「えっと……。ごめんなさい」
「お気になさらず」
なんか気遣ってもらった。いたたまれない。
っていうか、さっきの幼児用しゃべりはもうやめたのか。
それより気になってたけど、この人……サクセリオさんは最初から私に対してずっと敬語だ。そのことから考えて、容姿も違うしこの人は私の身内ではないんだろうな。私が着せてもらっている服はけっこう高級そうな素材だし、もしかして私どこかいいとこのお嬢様か? だとしたらサクセリオさんは子守の人だろうか。それにしては軍服っぽいかっちりした服を着こんでて、ベビーシッターっぽくないけど。
「じゃあ、サクおにいさんって呼んでもいい?」
最初はサクさんと呼ぼうと思ったんだけど、脳内で何故か酢酸と漢字変換されたので却下した。
そして私の提案を聞いたサクセリオさんは、少し首を傾げつつ何やら考え込む。……なんか、仕草可愛いなこの人。
「それだと長いでしょう。それに愛称だとしても兄などと恐れ多い。どうかサク、とお呼びください」
縮めてもらった。
…………まあ、それならそれでいいか。口が上手くまわるようになったら、改めてサクセリオさんと呼べばいい。にしても恐れ多いときたか。やっぱり私、結構いいご身分っぽい。新しい人生としては幸先がいいので結構なことだ。
とりあえずサクセリオさんの名前を聞き出す事には成功した私だが、それ以上はどう尋ねようか迷ってしまった。聞きたいことはたくさんあるんだけど、どういった言い回しをすれば不自然じゃないかとか考えるとね……難しい。
しかし私が口を開く前にサクセリオさんの方から話しかけてきてくれた。
「私は御父上からあなた様を任されました。まだ昨日お会いしたばかりですから不安かもしれませんが、私はエルーシャ様にお仕えする身です。どうか気を使わず接してください」
おっと新情報! そうか、私とサクセリオさんは昨日がファーストコンタクトだったのか。だとすれば私の様子が変でも「最初からそういう子供」として受け取られていたと考えられる。だから不審がらなかったのか。
それと家族の事もちょっと出てきた。なるほど、私のお父さんがサクセリオさんの上司で、彼を私につけたと。よし、ついでだからこの流れのまま他の家族についても聞いてみよう。
「あの、おかーさんは?」
親父が居るなら当然母親も居るだろうと、何気なく聞いてみただけだった。しかし帰って来た返答は思いがけないもので。
「おかーさん……? ああ、母親の事か。ふむ、どうやらこちらの言葉や単語は問題なく理解しているようだな。流石はアルゼビュート様の御子……」
「あの……おかーさんは……」
何やらサクセリオさんがブツブツ呟いている。不安になって問いかけを重ねると、サクセリオさんはハッとしたように顔を上げた。
「ああ、申し訳ございません。少々考え事をしていました。お母上の事でしたね」
「うん」
「お母上はいませんよ」
「うん?」
ほがらかに言われた言葉に、思わず語尾を上げて「うん」を疑問形にして聞き返した。するとサクセリオさんはもう一度言った。
「エルーシャ様にお母上はいらっしゃいません」
笑顔でさらっと衝撃の事実!!
「……居ないの?」
「はい」
「しんじゃったの? りこんしちゃったの?」
「どちらでもございません。居ないのです」
居ないって返答しか返ってこねぇ……! これは、あれかな。深く聞くなって事でいいのかな……。
「……そっか。わかった」
藪蛇になっても嫌なので、とりあえず保留にした。……いつか頃合いを見計らって、ちゃんと聞いてみよう。
その後宿で朝食を終えると、サクセリオさんは昨日のように私を抱き上げると外に出かけた。何処に行くかと聞けば「お散歩ですよ」とのこと。
外へ一歩踏み出せば、異国情緒豊かな光景が目に飛び込んでくる。昨日は混乱しっぱなしで周りをよく見る余裕が無かったけれど、今は素直にその光景に歓声をあげた。……まあ、昨日見た時点で現代日本の光景じゃねーなとは思ってたし、そこは変わらなかったけど。でもそれについて落ち込むよりも、今はただ好奇心の方が勝っていた。
「わあ!」
石畳の道に整然と立ち並ぶ煉瓦の家。時折木造建築も見られるけど、それをしのぐ圧倒的煉瓦率。というか全部石造りだな。凄くヨーロッパ感あるわ。
有給や3日以上の連休など望めなかった私としては、国内旅行でも難しいのにましてや海外旅行なんて行ける機会はついぞなかった。だから余計にその光景にテンションが上がる。
そして建物はもちろん、空の色さえ日本とは違って見えた。……なんというか、彩度が高い青空なんだよね。既視感があったので思い起こせば、それが絵画やヨーロッパの写真で見たような色だと気づく。……本当にこんな色の空があるんだな……。
私が見える景色すべてに感動しつつキョロキョロ周囲を見回していると、サクセリオさんが可笑しそうに声を出して笑った。
「好奇心旺盛な所はお父上にそっくりだな」
「そうなの?」
「ええ。好奇心が強く、新しい事が好きなお方です」
ほほう。今の私の父親と言う人物の人柄がちょっとわかってきた。なかなか楽しそうな性格のお父さんじゃないか。
だからそのお父さんが何をしてる人で今どこに居るのか気になった。昨日は宿に泊まったけど、そのお父さんがいる家にはいつ帰るんだろうか。父に私を任されたって言ってたけど、まさかずっと私の子守をしているわけでもないだろうし……。
「おとーさんは、今どこにいるの?」
「お父上はお仕事で遠い場所に居ます」
「いつあえるの?」
「……ああ、言い忘れていました。申し訳ございませんが、御父上に会う事はしばらく叶いません」
「え?」
「エルーシャ様には成人するまで私と過ごしていただきます」
おいちょっと待て。この場所の成人年齢が何歳か知らないけど、それって結構年単位じゃないのか。今私の見た目から察するに三歳くらいだけど、そうなると十年以上会えなさそうなんだけど。
「なんで?」
「それは今はまだ言えません。……私は貴方の世話係ですが、教育係でもあるのです。私とて本当なら話したいことがたくさんありますが、まずは貴方がそれを理解できるようになるまで色々教えなければ。教養と知識。色々身につけていただくことは多い」
サクセリオさんはそれ以上話す気は無いようで、結局お父さんの事はそれ以上聞けなかった。でも、そうか。じゃあ私はこれからこの人が唯一の身内になるわけか。……え、マジで私どんな家の子?
道行く人を見る限り、私やサクセリオみたいなアジア系の顔立ちの人は居ない。つまり私の故郷は結構遠い場所なんじゃないだろうか。そこから教育係と一緒にやってきて、成人するまで過ごすというシチュエーション……。まさか亡命した王族とかだったりして。
え、それじゃ私ってばお姫様? やだー照れるー!
………………まあ冗談も軽く夢見ちゃうのもはほどほどにしておこう。その内教えてくれるみたいだし、今は大人しく待つか。
とりあえず家族についての情報はそれ以上得られそうになかったので、次はこの場所の名前を聞いてみた。すると帰ってきた答えは「ケストニア大陸の内陸部に位置するフェルメシア王国銀鉱山の街シュピネラです」というね…………。大陸の名前すら知らんわ!
え、あれかな。異世界かな? 我ながらラノベ脳だけど異世界かなこれ?
………………魔法とか魔物とか出て来たら分かりやすいんだけどな。
とにかく分かったことは、私はここでしばらくサクセリオと共に暮らしていくという事だ。聞けばずっと宿屋暮らしになるっぽい。
この場所の常識も知らない私としては、世話係である以上に彼が教育係であるという事実に安堵した。保護者が居て、知識も得られる。……なんだ、結構なんとかなりそうじゃないか。分からないことはまだまだたくさんあるけど、どうにかこの新しい人生を生きていけそうだ。
サクセリオさんは見た感じ私に対する対応は丁寧だし、何よりあんな美人と過ごせるなんてラッキーだ。きっと勉強も楽しいだろう。
しかし私の新生活への期待は、翌日早速裏切られることになった。
「うびゃああああああああああ!!!!」
「ほら、エルーシャ様もっと頑張って! そのままでは食いちぎられますよ!」
待てよ! おいちょっと待てよ!!
異世界っぽいな、魔法とか魔物とか出て来たら分かりやすいとは思ったよ? でも…………でも!!
何で私、三歳児の体で涎だらだらこぼしたドラゴンから逃げ回ってるのかな!?
「基礎体力は大事ですからね。頑張ってください!」
とりあえず「もっと気張れ」とばかりに応援するサクセリオの声がもの凄く腹立たしかった。