闇の中で赤い三日月が嗤う。
___________アア、ああ、嗚呼! チカラ、力だ。おお、これほどの、いつぶりデショウ? これなら行けるか。行けるな。この地をこの手に収めまショウ。そしてあの方へ捧げるのデス。
ねっとりと絡み付くような闇の中、小山のようにうずくまっていたそれが体を起こす。するとその体を押さえつけていた色とりどりの紐が千切れ、一瞬空間が虹色に染まる。
押さえつけられていた存在が腕を振るうと、その光は一瞬で闇に喰らわれた。
___________クッテやる、クロウてやるゾ。忌々しい、蝿どもメ
嗤う影とは別の場所で、小さな音がさざめき重なる。
『解けた、解けてしまった』
『何故? マダ、時期ジャナイ』
『危険、危険。あのコを逃がそう』
『どうやって?』
『その前にワタシたちが喰われてしまう』
『そ……あ、アア!?』
『キャァァ!』
ざわめく声と舞っていた光を闇が襲う。そしてその後には、静寂だけが残された。
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コーラルは昔から一人ぼっちだった。
珍しい赤い色の髪の毛は村の者から不気味だと言われ、守ってくれた両親はコーラルが七歳の時に病で死んでしまった。
偶然にもコーラルが生まれた日から"村の外へ出られなく"なってしまったことも、不吉な子供として扱われる原因であった。
「使えない子だね! 早く水をもってきな!」
「やい、赤頭! こっちくんなよ!」
「コーラルちゃんと遊ぶなってお母さんが言うの」
「気味が悪いな。しっしッ、寄るんじゃない、不幸が移るだろうが!」
「フン、面倒を見てやっているんだ。少しは役に立ったらどうだ? このグズめ」
「どんくさい子だよ。体が大きくなっても、オツムは幼子のままだね。脳みその栄養がみんな胸にいっちまったのかい?」
いつも「ごめんなさい」と言って顔を俯かせて耐えてきた。言葉の刃も、理不尽な暴力だって目を瞑って我慢した。
そんなコーラルが心を解き放てるのは、森の奥にある大きな湖だった。何故か他の村人は知らなくて、コーラルだけが辿り着ける不思議な湖。
湖のほとりに自生する木苺や桑の実は貧しいコーラルの唯一のおやつだったし、魚とりもここで覚えた。教えてくれたのは、湖の周りを飛び交う美しい精霊や妖精たち。
彼女たちは湖と同様にコーラル以外の村人には姿を見せない。幼いころは村の子供に自慢して、辿り着けもせず見えもしないそれらを語るコーラルは嘘つき呼ばわりされ、余計に不気味な子供だという印象を植え付けてしまった。
それからというもの、自分を慰めるためのコーラルの秘密の場所になった。
__________初めての、お客様……!
けれど今日は少し違う。冒険者だという旅人が、なんとコーラルの家に泊まることになったのだ!
少しでももてなそうと野生の果物や魚を獲るため、コーラルは湖へ向かう。彼らが村長の家へ行っている間に、材料だけでも調達しなければ。
『可愛い名前だね』
思い出すと頬が火照る。自分の嫌いな髪の色も、綺麗な色だと言ってくれた。彼の言う「ウミ」や「サンゴ」とは、いったいどんな物だろうか。「さくらんぼ」は知っているけど、あんな可愛い実の色に例えられたのは初めてだ。
そんな風にコーラルを褒めてくれたのはあの青年、エルフリードで二人目。
もう一人はつい半年前に森に紛れ込み村の住人となったハウロという青年で、彼も村で爪はじきにされている自分によく優しくしてくれる。今まで来た他の旅人は村で孤立することを恐れて、他と同じ反応をするようになっていったのに、ハウロは世渡り上手なのか持ち前の明るさで上手くやっているようだった。
その彼は今、コーラルの代わりに冒険者たちを村長の家へ案内してくれている。
鬱蒼と茂る森の一番濃い部分。鎮座する小さな社の横を突っ切ると、眩しい陽光に目を焼かれた。
少しの間ぎゅっと目をつむっていると、だんだんと慣れてきて目を開く。そこには見慣れた美しい湖の水面が、太陽をキラキラと反射させて広がっている。
しかしコーラルは見慣れたはずの風景に違和感を覚えた。
「あれ? みんな、どこ?」
コーラルが来ればいつも歓迎してくれた色とりどりの精霊たちが姿を見せない。騒がしいほどにコーラルにかまってくる精霊たちが居ない湖は、波立たない水面と無風もあいまってどこか不気味に見えた。
コーラルは疑問に思いつつも「みんな、お昼寝でもしてるのかな?」と考えて、目当てだった食材を調達すると慌ててながら家に帰る。
なんといったって、今日はお客様が居るのだから!
湖の奥には、背の低い山がある。その中心には廃れた祠。
その奥から延びる悪意の手に、彼女はまだ気づかない。
エルフリード達は彼らが予想していた通り、村長から村が外界から隔絶された原因を探って欲しいと依頼されていた。自分たちも村から出られなくなっては困るので、彼らも依頼を引き受ける事を決める。
正確には冒険者と言えるのはアルディラとポプラだけであったが、村人達にそんなことは関係ないらしい。久しぶりに外から来た旅人が冒険者であることに、これで現状を打破出来るかもしれないと村人はにわかに浮き足立っていた。
彼らは村長から夕食と、やはりこちらで泊まらないかと勧められたが断った。
調子の良いその態度が癇に障ったし、口の端々から伺える自分たちを最初に招いてくれたコーラルへの侮蔑した態度が、大変気に食わなかったためだ。
不吉な子供、役立たず、死んだ親も馬鹿だった、のろまで物わかりが悪い、などなど。よくあけすけな物言いで恥ずかしげもなく言えたものである。
「頭にきちゃうわ! あんな貧しくみすぼらしい家に泊まらせるわけにいかない? よく言うわよ!」
「俺の住んでたルーカスだと、孤児でも町の皆で育ててましたよ。こんな小さな村なのに、そういう意識はないんですかね?」
「本当だわ。そのみすぼらしい家に一人ぼっちで閉じ込めてるのはそっちでしょ? もっと助けてあげるとかしてもいいのに、いいように下働きで働かせているだけなんて。しかもあんな声で怒鳴って! 普段どんな扱いされてるか分かったもんじゃないわ!」
「事情があるのかは知りませんけど、人としての基本的な道徳を疑いますよね。少なくとも俺はさっきの会話で村長の底の浅さを知れましたよ」
「ほんっと! そう! その通り! 覚えてる? あの子の手、村の他の子供に比べてボロボロだったわ。あかぎれやらマメがつぶれた痕やら……。あとね、絶対暴力ふるわれてると思うの! 隠してたけど服の隙間から紫色が見えてたわ。ああ、腹立つ!! シュピネラでもそうだったけど、大人として年下の者を守ろうって意識が薄すぎるのよ! 私の部族だったらエルくんの町と同じように子供はみんなで育てるし、差別もしないわ。躾はしても無意味な暴力なんてもってのほかよ! そりゃあゲンコツくらいするけど、過ぎた暴力は子供を傷つけるだけだわ。理不尽ならなおさらね! 小さな集団の中では特に助け合わないと生きていけないんだから、もっと繋がりを意識するべき……」
「あの、あの。姐さん?」
淡々と怒るエルフリードに、普段の冷静さをかなぐり捨てて怒るアルディラ。その間に入るにはいささか勇気がいったが、ポプラはなんとか話しかけた。
「何?」
「何!」
ぐりん勢いよくと二人に顔を向けられその迫力にビクつきながらも、帰って来たばかりの少女の肩を掴んで前に出す。
「コーラル、帰って来てっスけど」
「あら、ごめんなさい。驚かせたかしら?」
コロっと態度を変えたアルディラに、自分のことで怒ってくれていたらしい嬉しさと、その迫力に気圧された気持ちがない交ぜになったコーラルはどういう返事をしていいか分からなかった。
助けを求めて斜め後ろを見ると、求められた人物は可笑しそうに笑う。
「ヒヒヒッ。いやー、お姉さんら面白いねぇ~。てゆーか、お人よし? 初対面の子にそこまで同情できるなんてさー」
「アンタも人のこと言えないだろ? さっき聞いた話じゃ、よく遊びに来てるらしいじゃん」
「ま、オレは半年ココに住んでるし? よかったねぇコーラル。優しそうなおニーさんおネーさんで♪」
若草色の髪の毛をもつ青年ハウロは、その特徴的な猫のような目を細めて楽しげに旅人達と話す。いつも楽しげなこの青年はさっそく彼らに馴染んだようで、村長への怒りで話し合う2人に置いてけぼりにされていたポプラと軽快に談笑していた。その話し相手である茶髪の青年ポプラだが、その明るい雰囲気が少しだけハウロに似ているなとコーラルは親しみを覚える。
(うん、みんな、いい人だ)
胸のあたりがぽかぽかするような気分に、コーラルは自然と笑みをこぼした。そして思い切って自分も会話に加わってみる。
「は、ハウロお兄ちゃんも、優しいよ」
「お、嬉しい事言ってくれるねー。このこのぉ!」
「わぷっ」
ハウロはスキンシップを好むが、わしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜるのはやめてほしいと思うコーラルである。三つ編みから毛がぴょこぴょこ飛び出して、まるで鳥の巣みたいになるからだ。一応年頃の女の子として、それは恥ずかしい。
しかし、なんと楽しい日だろうか。そう思ったコーラルは、髪の毛を整えながらもう一度笑った。
その日は冒険者に興味をもったのか、いつもさそっても食事は一緒にしてくれなかったハウロも交えて夕食を食べることになった。
ここで驚いたのが、客人であるエルフリードの料理の手際である。手伝いを申し出てくれた彼に最初は断ったのだが、いざ手伝ってもらうと下ごしらえの速い事。けしてコーラルが作る料理に口出しはしなかったが、コーラルが作りやすいように材料をそろえたり洗い物をしてくれたりと、その気遣いはとても助かった。
きっと普通に作るより倍は早く仕上げることが出来たと思う。
料理の最中も「この香辛料は何?」「この木の実は何に使うの?」と聞かれて、それに答えるのが楽しくて仕方が無かった。
普段は一人で自分のためだけに料理を作って食べるのだが、今日は違う。
誰かと一緒に食べる食事の美味しさを、コーラルは両親が亡くなって以来初めて味わったのだ。
「うん! 美味しい!」
「ほ、本当ですか?」
コーラルが味付けした料理を美味しそうに食べるエルフリードに、つい身を乗り出して聞いてしまう。
「うん、香辛料がいい感じにきいてる。さっき教えてくれた木の実かな?」
「そうです! キャウラの実って言います!」
「へえ~。お菓子の香りづけにもよさそうだね」
その言葉に、弾んでいた心が萎んでしまう。
「あの、材料がなかなか揃わないから……お菓子作りは、その、苦手なんです。でも今日くらいはって、思ったんだけど、おもてなし出来なくてごめんなさい」
「え!? いいよいいよ! こんなにご馳走になってるんだから、十分だよ!」
「そうよ、いきなり大人数で押しかけたのに……。これだけの材料を集めるのも大変だったでしょ? つい腹が立ったもんだから村長の家を辞退してしまったけど、コーラルには負担をかけて悪いことをしたわね」
しゅんと落ち込んでしまったエルフリードとアルディラに、今度はコーラルが慌てた。
「そんな、こと、ないです! こんな楽しい夕食、はじめて!」
一生懸命主張するコーラルの頭を、行儀悪く木のスプーンを銜えたままのポプラがぽんぽんとたたく。
「お~、そっかそっか。にーちゃん達も可愛い子のお世話になれて嬉しいぜ。あとでご褒美やるからな」
「え? えっと」
「貰っておきなよコーラル。その方がこの人らも楽なんだってぇ。もらいっぱなしじゃ、気ぃ使うだろー?」
たいしてもてなせていないのに、ご褒美なんていいのかと焦るコーラルにハウロが先回りをして言う。しかたがなく遠慮がちに頷くと、周りの視線が何だか温かい。
ちょっとむず痒いような面はゆいような、変な気分に戸惑うコーラルだった。
そして食後の談笑をしていた時だった。にわかに外が騒がしくなる。
「どうしたんだろ?」
外へ注意を払っていると、寝室へと続いていた扉が開いた。
「あ、エキナセナ! もう寝てなくて平気?」
そこに居たのは彼らのもう一人の連れで、すらりとした綺麗な少女だった。しかしその顔には険しい表情が浮かんでおり、布が落ちてあらわになった耳と尻尾が毛羽立って、体全体で警戒を露わにしている。コーラルは人間に獣の耳と尻尾がついているのを初めて見た。
「獣人?」
驚くハウロの声を無視して、少女は言う。
「何か、悪いモノが来る」
悲鳴が聞こえたのは、その時だった。