私とアルディラさんがパーティーを組み、王都を目指し始めたまさにその日の事だった。
木々に囲まれた峠道を歩いていると、木の枝にとまっていた鳥たちが一斉に羽ばたいて上空へと逃れたのだ。すぐさま斧を構えるアルディラさんに倣い、私も武器を構える。
ちなみに私の武器は鞭。殺傷能力は低いけれど、多くの敵を牽制するのに優秀な武器だし拘束にも使える。
「何か来るわ」
そのセリフ実力者っぽくてかっこいいですね! という内心を隠して、アルディラさんの言葉に頷き周囲を見回す。しかし”それ”は警戒など無意味なほどの速さで、私たちの目の前に姿を現した。
すとんっという、非常に軽い音と共に現れたのは、美しい白銀の毛並み。
私たちの前に立ちふさがり、低いうなり声をあげて威嚇してくるのは一匹の白い狼だった。
しかし私とアルディラさんは狼を見てもすぐに反応出来ずに居た。
それはあまりにも唐突に獣がその場へ現れたことや、その獣が……すでに負傷していたから、というのが理由に上げられる。しかし一番の理由はそんなものじゃなかった。
私たちはその獣の美しさに見惚れてしまったのだ。
目を惹く真っ白い見事な毛皮に、混じりけのないアメジスト色の瞳。しなやかな体つきには躍動感ある野性的な美を感じられ、唸り声や荒々しい息でさえ魅力と錯覚するほどだった。それくらい、その白い獣は美しい。
しかしその体はその白さに反して赤い花が咲いたように彩られており、赤黒い場所もあるところから傷を負ってから時間が過ぎていること、未だに傷がふさがっていないことが窺えた。最も目立つ傷は片眼が潰されている所だろうか。鋭利な刃物で切られたような傷跡は、狼の顔の半面に大きな裂傷を作っている。
が、その狼は傷を負ってなお、瞳に力を失っていない。野生の気高さに魅入られた私たちは、時間が止まったような錯覚を覚えながら……しばし狼と見つめ合っていた。
その一瞬を壊したのは、若い男の声。
『浸食し拘束せよ、アレストハウンド!!』
「きゃうッ」
負傷した獣の首に別の獣が食いついてきたことで、我に返った私たちは再び身構えた。
新たに場に介入してきたのは黒い霧で出来たように曖昧な輪郭を持つ獣で、狼は先ほどの印象と一転して力ない鳴声と共に地面に引きずり倒される。
「これは闇の精霊……!?」
アルディラさんの言葉に、あの黒い獣が「
黒い獣が白い狼を捕えると霞んだようにその姿がぶれて、そこから黒い鎖が二本飛び出てくる。闇が凝ったようなそれは美しい白銀の体に巻きついて、毛皮に食い込んだ鎖は狼の脚、胴体、頭と絡み付いて自由を奪っていった。
そして警戒を解かないままそれを見ていた私たちに間延びした声がかけられたのは、狼が完全に身動きを封じられてからだった。
「どもども~。お疲れ様ッス、同業者スか~? 悪いんスけどそいつオレの獲物なんスよー」
よたよたと体の軸がぶれた、どこかだらしない歩き方をしてきたのは一人の青年だった。
くせのある明るい茶髪を襟足あたりまで伸ばしており、洒落ていると悪趣味が紙一重の派手な柄のバンダナを頭に巻いている。だぼっと下がった腰パンは前世で大工さんが穿いていたニッカボッカみたいで、顔にはヘラヘラと軽薄そうな表情を浮かべていた。片手をあげてやってくる様子が何とも馴れ馴れしい。
…………なんか、チャラい。無性に「チョリーッス」という言葉を教えたくなる。
青年は近くまでやってくると、一瞬驚いたように目を見張ってからぺこりと九十度の礼をして見せた。そしてその角度のまま顔だけあげて、キラキラした視線をこちらに向けてくる。
正確にはアルディラさんに向けて、だったけど。
「あれあれあれー!? もしかして、A級ランカーのアルディラさんじゃないスか!?」
「え、ええ。そうだけれど」
「うっわー! 感動! オレ、ファンなんすよぉ~!」
言うなりアルディラさんの手を掴もうとしてくるので、思わず前に出て遮った。途端に不機嫌そうに顔を歪めた青年を見て、その分かり易さに苦笑する。
「失礼。でも、名乗りもしないでいきなり手を握るのは失礼じゃない?」
「あ? 何だよお前……アルディラさんのツレにしては弱そうだし、雑用? 邪魔しないでほしーんだけど~」
あからさまに態度が違いすぎていっそ清々しい。だが引かんぞチャラ男。実力ではアルディラさんの方が上だけど、今の私は男の子。男装女子の美学としても、凛々しいナイトであらねばならぬ。
「それより、あの術の主は君?」
「え、あ! ヤッベ、捕まえるのが先だった。ノレット、そのまま抑えつけといてくれ!」
忘れていたのか、青年は慌てて白い狼とそれを拘束する黒い獣の元へ向かう。どうやら黒い獣もとい闇の精霊の名はノレットというらしい。
青年は逃れようともがいていた白い狼を自身の腕で押さえつけてから、もう片方の手で精霊に触れて呪文を紡ぐ。
『幾多と連なり拘束せよ、ブラックチェーン・インクリース』
その呪文がどことなく耳に軽く聞こえるのは、古代魔法文字ではなく現代魔法言語のみで構成された呪文だからだろう。脳内で古代魔法文字に変換すると、「
青年の手から精霊ノレットに夜色の魔力が与えられると、精霊から最初の二本よりも細い鎖が十本ほど出てきて白い狼を更に身動きできないように拘束する。
彼はそれを確認してから満足そうに頷くと、ばっと振り返って芝居がかった動きで礼をした。
「そいつの言葉に従うわけじゃないスけど、申し遅れてスイマセン。オレはポプラ! 冒険者っス! 今回は旅人を襲う白い獣を捕まえる依頼を受けて参上した次第ッス!」
「あら、そうだったの。街で聞いてはいたけれど、早速捕まえたのね。見事な精霊術だったわ」
「!? あ、ありがとうございます」
「ふふっ。それと貴方、可愛らしい名前なのね」
「えへへっ、そうッスかー? 可愛がってくれてもいいんスよぉ~。てゆーか可愛がってください!」
「いい香りがしそうな名前だね」
「あん? 鼻にお花捻りこんでいい香りさせてやろーか? え?」
(この差よ……)
呆れながらポプラを見ると、彼はアルディラさんに向けていたデレデレとした顔を一変させて、柄の悪さを前面に出してメンチ切ってくる。この顔面括約筋の使い分けといったら、一種の芸に見えるほどだ。
そういえばポプリに似ている名前だなと思っていい香りがしそうなんて言ったけど、ポプラってたしか木の種類だったな。こっちに同じ種類があるかわからないけど、ちょっとからかったような失礼な物言いだったかもしれない。
「ごめん、悪気はないんだ」
とりあえず謝ってみたが、ポプラはと言えば相も変わらず気にくわなそうな顔をしている。
「何か、お前気に入らねー。バーカバーカ」
「ご、ごめん」
あんまりにも直球で言われたから反射的にもう一回謝ってしまった。しかし、そこにアルディラさんが若干鋭い声でつっこむ。
「エルくん、謝ることはないわ。今のはポプラくんが一方的に態度が悪すぎないかしら?」
アルディラさんがたしなめると、ポプラは大げさ過ぎるほど仰け反ってショックを受けた顔をした。ああ、このオーバーリアクションがどことなく憎めない理由か……。素直さといい、大きな子供みたいだな。
「な、なな! アルディラさん、それはないッスよー! だって、こいつなんかオレを小馬鹿にしたような顔してたんスよ!?」
私を指差してジタジタと地団太を踏むポプラ。私とアルディラさんは生暖かい目と冷たい目で彼を見ていたが、ポプラの後ろで起こっていた事態に気付いて目を丸くした。
「あ! ちょ、後ろ! ポプラ後ろ!」
「あ? 馴れ馴れしく呼び捨てにすんじゃ……」
「いいから後ろを見なさい!」
「はいッス、アルディラさん!」
アルディラさんの叱咤の声に華麗なターンをしたポプラは、初めてそれに気付いて叫び声を上げた。
「うっわァァァァァ!? 待て待て待てテメェ! 折角半日かけて捕まえたのに、」
言い切る前に彼の台詞は轟音ともいえる獣の咆哮に掻き消された。
彼の精霊が捕えていた白い狼が、いつの間にか絡み付く鎖を半数以上振り払って自身を捕えていた精霊を逆に踏みつけていたのである。
咆哮と連動するかのように旋風が巻き起こり、砂が巻き上がり視界が遮られる。魔法の力が働いていることに気づき咄嗟に近くにいたアルディラさんとポプラの体を支えるが、風はなかなか収まる気配を見せない。
砂だけでなく石も跳ね、体中が小さな痛みに襲われた。
ようやく激しい風がそよ風程度に収まると、目を開けた先の光景を見てポプラはがっくりと膝を折った。
「えーと…………どんまい?」
「全部お前のせいだぁぁぁぁーーーーーーーーー!!」
囚われていた白い獣は、赤い血だけを地面に残して姿を消していた。