魔刺繍職人の花嫁修業(笑)   作:丸焼きどらごん

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1話 目覚めて幼女

 苦しい、辛い、疲れた、寝たい。そんな事ばかり考えながらも仕事を辞めた後が不安で働き続けた私は、多分他の選択肢が見えなくなっていたんだろう。だからこそ突然突き付けられた解雇通知に呆然として、普段やらないような無茶をやらかした。

 

 

 私が覚えている"斎藤夏芽"としての最後の記憶は、強くもない酒をやけになって飲みほしている自分の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈んでいた意識が浮上して、思考がぼんやりと混濁している。視界は霞み、自分が何処に居るのかも判然としない。

 

 まるで雲の上でも歩いているかのように、ふわふわと地に足のつかない意識はあまり気分がいいものではなく、私はその感覚から抜け出すべく懸命に両手で目をこすった。

 するとだんだん歪んでいた視界はくっきりしたものに変わり、まず初めに認識できたものは眉間に皺を寄せた目つきの悪い子供の顔。うまく働かない頭で対峙する人物の全体像を把握すると、その子が女の子だと気づく。

 胡散臭そうにこちらを見てくる目はアーモンド形でくりくりしているが、どうも目つきが悪く、視線が鋭利すぎて睨まれているように感じる。いや、実際睨んでるのかなこれは。

 

 もう一度確認するが、相手は目つきが悪い子供。

 

 でも彼女が有する灰色の瞳が珍しくて、睨まれているにも関わらず私は彼女の目を見つめ返した。すると何故か子供はますます睨んでくる。……私、何か悪い事したかな……。

 

 

 女の子は灰色の瞳の他も変わった色彩を有していた。黒というには中途半端な髪の色は鉄色とでも言えばいいだろうか。……派手ではないけど、珍しい色だと思う。そして彼女は仏頂面に似合わない、非常に少女趣味な服を着ていた。いや、少女だから少女趣味でいいんだけども。

 真っ白でレースフリフリ、リボンたっぷりのロリータ服は見ているだけでお腹一杯になるくらい、私には縁がない服装だ。年も年だし、多分一生こんな服を着る事なんてないんだろうな……。

 

 

 そんな風に思いつつ、私が少女とにらめっこを続けていた時だった。

 

 

「店主、この服を貰おう」

「!?」

 

 思わず肩が跳ねる。

 何故かと言えば、頭上からなんとも魅惑的な美声が降り注いできたからだ。

 

 …………そう、美声である。

 

 低音でありながらも透明感のある声は特徴的で、特に声フェチという性癖を持ち合わせていない私ですら思わず聞き惚れた。そしてむくむくと「顔が見たい!」という欲求がわいてくる。私は欲望のおもむくままに美声の持ち主の顔を拝もうと勢いよく振り返った。

 しかし、何故だかその人物を視界に収める事が叶わない。……振り返った私の視界の先にあったのは、かっちりとしたブーツを履いた脚が二本。

 

 …………脚? 

 

 待て。今私は立っているはずだ。しっかりと両脚が地面を踏みしめている。なのに、何故こんなに視界が低いんだ。

 

 でもよく考えると、大人が立った状態で幼い子供と同じ目線ってことがまず可笑しい。目の前の少女を見れば、ちゃんと地面……というか床に足をつけて立っている。だから何かの上に乗っているわけでもなさそうだ。

 

 私は首をかしげつつ、頭を抱えてうんうんと唸り出す。しかしそれは、突如両脇にさしこまれた何者かの腕によって邪魔された。

 

「ぅわ!?」

 

 驚いたせいなのか、思いがけず甲高い声が出る。まるで子供の声みたいだ。

 

 そんな驚く私を、やすやすと抱え上げた者がいた。……信じられないことに、私は両脇にさしこまれた何者かの腕によって持ち上げられたのである。

 

(え、何? ここ巨人の国か何か!?)

 

 思わずそう思ってしまう程度には、持ち上げられたことで開けた視界の先は何もかもが大きく感じた。どうやら服がたくさん飾られている所を見るに洋服屋のようだけど、165cmの私が抱き上げられたにも関わらず、それらの品物が飾られている場所はそのことによって丁度いい位置に来る。……どれだけ高い位置に飾られてるんだ、これ。というかまず私を抱き上げた人間は身長何センチなんだ。

 

 突如として襲ってきた浮遊感と誰かに抱えられた事実に、私は軽くパニックを起こし、グルグルまわって定まらない思考に翻弄される。……そして、そこに更に追い打ちがかかった。

 

「それではエルーシャ様、行きましょうか。……お洋服、よくお似合いですね」

「!!」

 

 聞こえてきたのは先ほどの美声。しかも至近距離。

 

 私は視線を上にあげるのが怖くて、とりあえず再度周囲に視線を向けた。すると視線の先には木造なのか柔らかい色調の壁と床が広がっており、たくさんの洋服が飾られている。……どうやら、やはりここは洋服屋らしい。

 が、私をかかえた人物が歩いてすぐにその店から出たために、すぐにその光景からはおさらばだ。視界の先が屋外の風景に変わるが、私はじりじりとした焦燥にも似た感情を持て余しており、それをじっくり見るどころではない。

 

  …………いつまでも見ないわけにもいくまい。

 

 私は外の風景を二の次にし、自分を抱き上げている人物の顔を見るべく恐る恐る首動かした。いったいこの巨人は、誰なんだと。

 

 しかし私の疑心に満ちた感情は、次の瞬間顔面を殴られたかのような衝撃とともに吹き飛ぶこととなる。

 

 

 

「おうふ……」

 

 そこにあったのは、芸術だった。

 

 

 

 

 赤褐色……と言うのだろうか。

 そんな色の髪の毛と、褐色の肌が印象的な美人。それが、私を抱えていた巨人の正体だった。

 

 いや、美人と言っても男性なんだけど……。男性なんだけど、美人としか言いようがない。美しい。イケメンって言葉よりも美人って言葉の方が遥かに似あう。美しい。

 更に付け加えるならエキゾチックなアジアンビューティー。なんとも言えない色香が漂っている。こんな美人、間近で見たのは初めてだ。

 切れ長の瞳に納まる金色の瞳がまたなんとも蠱惑的で、こんな真下から覗き込むようなアングルから見ているにも関わらず美人度がそこなわれていない完璧なパーツの数々。美しい。だって鼻の穴とか見えてるのにその穴の形すら整っていて、まったく不細工アングルになっていないとか奇跡か。なに、この芸術。

 世の不平等を具現化するなら、多分目の前の男性の形になるんじゃないだろうか。……そんな事を思いつつ、ただでさえパニックだった私は男性の美しさに完全に思考を停止させた。……それくらいの美人だった。

 

 そして私は美人に見惚れて流されたまま、そのままどんぶらこっこと流され続けた。とにかく流れた。正直言って脳内キャパが足りなくてずっと放心状態だった。どうすんだこれ。

 

 だけど私がぼけっとしているにも関わらず、その美人は色々と私の世話をやいてくれる。何やら色々買ってくれたし、途中でご飯を食べさせてくれた。私は放心していたので手ずから食べさせてもらった。……実に甲斐甲斐しい。

 汗をかいたら絹のような滑らかなハンカチ(高そう)でそれをぬぐってくれたし、ちょっとでも喉が渇いたらそれを察してかさっと飲み物を差し出して飲ませてくれた。極めつけに宿のような場所に着いてからは靴を脱がせてくれた上に、私が着ていたレースたっぷりの動きづらい服を脱がして簡素な服に着替えさせてくれたりもして…………おい、普通に着替えさせてもらっちゃったよ。羞恥心何処に家出した?

 

 しかしなされるがままだった私も、ここでようやく…………ようやく私は、さっき見つめ合っていた女の子が着ていた服と同じものを自分が着ていた事に気が付いた。そして朧気ながら事態を把握する。

 

 

 

 

 あれ、もしかして私って今、子供になってる?

 

 

 

 

「はい夢。夢乙」

 

 私はHAHAHAとわざとらしいアメリカン笑いで手を叩いてから、一度この現状を完全に否定した。え、だって目を覚ましたら子供で? 妙に美人な男の人に超世話焼いてもらって? あー夢だって。夢だってこれ。きっと疲れがたまってたから、幼児退行に加えてイケメンにちやほやされたいとかいう願望でも出てきてそれが夢になったんだって。

 そうだよ夢だよ。

 

 

 夢…………。

 

 

 

 

「覚めない……!」

 

 

 

 

 3時間後。私は床に手のひらと膝をついてうなだれていた。

 あれ、なんだこれ。この夢覚めねーんだけど。

 

 

 

 

 

「おやすみなさいませ、エルーシャ様」

 

 呆然としている私に特に違和感を覚えた様子もなく、件の佳人は私をベットに寝かしつけると部屋の明かりを消して何処かへ出かけて行った。見知らぬ土地で一人にされる心細さに一瞬彼を引き留めかけたが、落ち着いで考えを整理するには一人になれて好都合だと思い直した私は我慢した。

 暗い室内でもぞもぞ体制を変えながら、私は必死に記憶を掘り起こす。

 

「まず考えよう。クールに。そう、びーくーる」

 

 引きつった笑みを浮かべつつもそう自分に言い聞かせると、まず自分についての情報を脳内で並べてみる。そうでもしないと自分が何者か分からなくなりそうだったからだ。

 

 

 

 私の名前は斉藤夏芽。エルーシャではない。

 

 

 

 28歳、OLで……いや、そういえば仕事はクビになったんだった。

 

「ん? クビ?」

 

 そのキーワードに引っ掛かってから、怒涛の勢いで芋づる式に記憶が掘り起こされていった。…………そうだ! 思い出してきた!

 

 私は某所で働く普通の会社員だった。しかし就職氷河期内でやっと手に入れた正社員の地位であるが、残念ながら入った会社はいわゆるブラック企業。サービス残業あたりまえ、残業代無し。ボーナスも昇給も無し。明らかに社員に対してオーバーキルな仕事の量。……更に上司のセクハラにも耐え、それでも頑張って働いていた。

 

 それなのに!

 

 明らかに私に関係ない不祥事の責任を押し付けられて、会社に居られなくなったのだ。…………会社を辞めさせられた日の夜の自分の醜態が、今ではまざまざと思い出せる。

 焼酎や日本酒の酒瓶片手に自棄酒をした。近所迷惑も考えずに喚いて泣いて、たいして強くもないのに吐きながら飲み続けた。そして思い出していくたびに段々と嫌な予感が心の中でとぐろを巻く。

 

 半日ほど過ごしてみたが、見知らぬ体だというのにこの子供の体は「私の体だ」という根拠のない確信を私に与えてきた。理由や理屈といった小難しく理由付けするものなど無いが、ただただ本能とも言うべき感覚がこの体は他の誰でも無く私の体なのだと訴えてくる。

 

 しかしそうなると、前の私は……斎藤夏芽の体はどうなった?

 

 …………。もし私がたった今考えた最悪の想像が事実だとするならば、多分私はあのやけ酒が原因で急性アルコール中毒か何かで死んだのだ。一人暮らしだったから倒れても誰も助けてくれない。

 流石にアニメや漫画、ラノベやネット小説の読みすぎかとも思う。しかしそれらの影響からか、私は現在の状況に不確定ながら推測をたてた。……もしや、自分は「転生」して、新しい人生を歩み始めているのではないか、と。

 そしてその考えに至ると、ほぼ確信に近いものが胸中に湧き上がる。見たところ今の私の体は三歳児くらいの姿なので、私が意識を取りもどすまでのこの体の意志がどこにいったのかは気になる所だ。しかし、先ほども思ったがこの体は「私の体だ!」と訴えてくる。……ならきっと、この体は私のもので間違いないのだろう。

 

 とにかく私は前の私……斎藤夏芽の人生が終わってしまった事だけは理解した。

 今の私は、あの麗人が呼ぶ通り「エルーシャ」という名前の子供なんだと思う。名前が西洋っぽいわりに顔はアジア系だが。

 

 

 

 ここは何処だろう。

 私は今誰なんだろう。

 家族はどうしただろうか。

 もともと連絡を頻繁にとるほうでなかったから、私が死んだとしたら気づくのが遅れて腐乱死体を発見する羽目になってはいないだろうか。変なトラウマ植え付けてしまっていたら申し訳ない。

 

 

 

 とりとめない思考がぐるぐる頭の中を巡ったが、不思議と心は必要以上にざわつかない。多分、ここで思考を停止して心を乱したら、正気でいられないことを分かっているから防衛本能でも働いているのだろう。

 

 そんな風に、妙に冷静な心の中の自分がつぶやいた。昼間の混乱具合が嘘のようだ。

 

 

 

 

 そして心が死なないために。新しい幕開けを受け入れるために。私はたった今思いついた決意を口にする。

 

 

 

「もうぜったい、こうかいしないじんせいにしてやるんだから……!」

 

 

 

 自由で、楽しくて、悔いのない人生。

 まだまだ分からないことはたくさんあるけど、これだけは言える。絶対に無駄にしないと。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして訳も分からないまま、文字通り私の第二の人生は始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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