12話 魔刺繍職人
命からがら逃げ延びた私が、樹海を抜け出し町に辿り着いてからどうしたか。
冒険とか何それって感じで引きこもったわお外怖い。
森から這い出た私は、当初予定していた目的地である村から森を挟んで真逆のルーカスという町にたどり着いた。
このルーカスと村の間に広がる森と言うのが「
衰弱していた私を助けてくれたルーカスの町人は「良く生きて出てこれたね」と驚いていた。ヤダコワイ。
それから私はこの町に居つき、一五歳の成人を迎えるまで孤児院を兼ねた町の教会でお世話になった。
このルーカスという町は規模はそこそこなのに交通の便が悪いことから、結構な田舎町となっている。しかし気候は温暖で作物は豊富。子供は宝だから大事にしよう、町全体で育てようという町長の方針から孤児にも優しい街だった。
この長閑な田舎町は短期で生産されたトラウマでボロボロだった私の心を見事ハートキャッチしてくれて、そこから十二年、居心地良すぎて一歩も町を出ていない。
サクセリオについては町の商人が行商で定期的にシュピネラに行くので、手間で申し訳ないが行くたびに以前泊まっていた宿の女将さんに聞いてもらっている。そしてこの十二年間一回も来ていないとのこと。……もしいつか彼に再会したら、超ぐれた姿で対面してやろうか。いきなりほっぽり出しやがって、バーカバーカ! サクセリオのバーカ! ……いや、でも事故とかあって無きゃいいけど。でもそれを知る方法無いしなぁ……。
まあそれはさておき、十二年ルーカスの町で私はわりかし楽しく過ごした私。
そして現在十八歳。お世話になっていた教会から独り立ちをして三年経つ。
私は今、ある特殊なお仕事を生業としていた。
窓から差し込む柔らかい日差しが、徹夜明けの目を容赦なく苛む。本来なら自律神経を整え、別名幸せホルモンなセロトニンの分泌を促してくれる清々しい朝日。それが今の私にとっては紛れもない凶器だった。
眉間をもんだり目の周りをマッサージしたりするも、疲れ目はなかなか和らぎそうにない。蒸しタオルでも作るかと席を立つと、凝り固まった筋肉達が悲鳴を上げた。
「年かな……」
言ってから、自分の今の体年齢を思い出して激しく頭を振った。中身はたしかに体の節々に影響が出てきそうなアラフォーだけど今の私、人生の絶頂期な十八歳! 黄金期だろう。気をしっかり持つんだ私。
不調どころか、まだまだ骨の中にカルシウムを蓄えて将来の骨粗鬆症に備えられる年齢だ。ちなみに二十二歳くらいまでがピークだから、良い子の皆はそれまでに牛乳をたくさん飲むんだぞッ! おねーさんとの約束だ! って、誰に言ってるの私。いよいよ脳内が……ヤバいな疲れてるな。
単に無理をしすぎただけだと自分に言い聞かせていると、モザイクガラスがはめ込まれた木製のドアからカランカランと小さな鐘の声が聞こえた。来客のようだ。
「はいはいは~いっと」
よたよたと体を動かしてドアへ向かい、開けた瞬間に呆れた声がかけられた。
「ちょっとエル、酷い顔よ」
「短縮しないで酷い顔色と言ってください」
疲労で紙メンタルになっている私に水をぶっかけるようなことを言ってくれたのは、孤児院で一緒に育った幼馴染の少女アンダルシアだ。ちなみに彼女、明後日同じく孤児院の幼馴染であるカメルと結婚する。
「ねえ、やっぱり無理したんでしょう? やっぱりあたし、貸衣装で……」
「駄目駄目駄目ー! そんなこと言わないで!? 大丈夫! さっき完成したから!」
私の五日間の徹夜作業が水泡に帰しそうなことを言いだすアンダルシアに、私は慌てて部屋の中のそれを示した。それを見たアンダルシアは、目を零れそうなほど見開いてそれを見る。
そこにあったのは、私の渾身の一作。
木のトルソーに着せられた純白のウエディングドレスだった。
しばらく声にならない様子のアンダルシア。その驚きように満足していると、突然良い香りに包まれて目の前に柔らかな栗色が広がった。心地よい拘束感は彼女の腕で、どうやら私は抱きしめられているようだ。
「エル、エルーシャ……! ありがとう、こんな、こんな素敵な花嫁衣裳夢みたい……!」
「もう、可愛いな! カメルにくれてやるにはもったいないよ。私の方こそ大事な衣装作りを任せてくれてありがとう。喜んでもらえて嬉しい」
「うわああん! エル大好きー!」
ぎゅうぎゅう抱きしめてくるアンダルシアの頭をわしゃわしゃと撫でていると、どこか気弱そうな声が聞こえた。
「ほ、本当に凄いよエル……。僕からもお礼を言わせてくれないか? 本当にありがとう」
「あ、カメルいたの?」
「ええ!? 酷いよエル!」
「ごめん嘘だって。アンのこと大事にしてよね。それがお礼でいいよ」
「もちろん! 絶対幸せになるよ」
気弱そうながらこげ茶の瞳にはっきりとした意思が宿るこのカメルというアンダルシアの旦那様は、悔しいがいい男だ。「幸せにする」じゃなくて「幸せになる」と言うあたりが私的にはポイントが高い。独りよがりで無くて2人で一緒にって感じがいいよね!
1週間前に突然結婚することを発表したこの2人へ、私は現在の仕事を生かして贈り物をすることにした。
しかし急な事だったのでウエディングドレスにふさわしい材料が無くて材料集めに二日かかり、それからの作業だったのでかなりギリギリになってしまった。でも何とかかんとか今日で作業を終える事が出来たので、明日はアンダルシアをベストコンディションで結婚式へ送り出すためのブライダルエステに集中できる。ふふふふふ、念入りに磨いてやる待ってろ。まず私が寝たらすぐに取り掛かってやるから。
「ああ、そうそう。私、これだけに五日かけたんじゃないよ? 私の仕事の速さは知ってるでしょ」
「え? でも基礎の衣装を作るのに加えてこんな素晴らしい刺繍……五日でも早すぎるわ」
「ふっふっふ。そこは普通の職人と比べてもらっちゃ困るなぁ」
チチチっと指をふってもったいぶる私。そう、普通ではありえない早さも今の私ならば可能! 私は現在特技を生かした素晴らしい天職に就いているのだ!
まあそれはさておき、早く見せたい私は作業台に舞い戻って件のブツを持ってくる。「じゃっじゃーん!」と声で言った私が広げたそれに、二人は歓声をあげた。うむ、良い反応ですな!
「わああ!! え? もしかして、それって僕の!?」
「もちろんそうに決まってるでしょ! 折角綺麗な花嫁なんだから花婿がみすぼらしかったら情けないじゃない!」
「素敵……! こんなのきっと王都の貴族様だってもってないわ!」
「わはははは! ちょっと言い過ぎだけどもっと褒めてくれてもいいのよ? 私って褒めれば伸びる子だからー! ふはははははー!」
「ちょっと鬱陶しいけど本当にありがとう!!」
広げたのは花婿用の衣装だ。背は高いが童顔なカメルが少しでも大人っぽく見えるように、上着が膝丈まであるフロックコート仕立てなんだぞ! 安易にタキシードにしなかった私を誰か褒めろ!
花嫁同様、こちらにも私の仕事が最大限に生かされた装飾が施されている。
それは上着の裾と袖口を彩る刺繍で、黒地の衣装に金糸で植物をイメージした模様を施した。間を縫うようにして銀糸で控えめに小花と小鳥も刺繍してある。
ウエディングドレスのシルエットはシンプルにAライン。
アメリカンスリーブを採用したので首から広く肩がのぞき、腕もすらっと見えるから全体的に背が高く見える。これはカメルに比べると大分背の低いアンダルシアのために意識したのだけど、それだけだとギャザーやフレアー、パニエたっぷりなプリンセスタイプに比べて大部さっぱりしてしまう。ので、ここで私の刺繍の出番となる。
純白の神聖な衣装を彩るに相応しいように、糸は銀色と白で統一した。上から裾へと広がる刺繍は花婿と同じく植物をイメージした模様。だけど大小メリハリをつけた華やかさをプラスする花モチーフを立体的な刺繍で、蔦や葉を平面的な刺繍にするなどして色だけでないグラデーションを目指してみた。
この目論見はなかなか上手くいって、華やかさと清楚さが調和した逸品を作れたのではないか、と自負する仕上がりとなっている。
前世で予定もないのにゼ○シィを眺めていた成果が遺憾なく発揮されているな……!」
あと、双方に共通する模様をまとめ上げる少々複雑な紋様は、ただの飾りではなく私作品の肝だ。それについてはサプライズなので、いずれ彼女らが気づくまで秘密にしておく。
しかし少しそれに触れるとすると、特技を生かしたと言うからにはただの刺繍ではない。というかこの二着が材料探し含めて一週間で出来てたまるか! と前世の私なら声を大にして叫んでいる。
この裁縫と刺繍は魔力を使ったもので、全力を注いだ二着のおかげで現在の私の
私は現在、ルーカスの町で魔刺繍職人として働いていた。
魔刺繍職人。
それは「
私の場合は刺繍した布を使って自分でも商品を作るけれど、ほとんどの場合は刺繍専門の技術職だ。
私はルーカスに来てからしばらくは、私を初めに拾ってくれた人……孤児院の院長兼教会の神父でいらっしゃるトマスさんに世話をしてもらった。
初めこそ孤児院でお世話になりつつ奉仕活動や子供でも出来る仕事の斡旋をしてもらって過ごしていたのだけど、独り立ちを考えると手に職が無いのはとても不安な事だった。
この世界に生まれ変わった初めの三年間は、他のことを考える間もなく知識と生きるための技術を詰め込まれた私。それがここに来て、初めて自分の常識にかなり偏りがあることに気づき焦った。
考えてみればサクセリオは鍛えるか甘やかすの二択だったし、他の人間とほぼ交流が無かったのだから当然だと思う。躾もされたけど……あれは一般常識すっとばして上流マナー講座を行う暴挙だった。通常の基盤が無さ過ぎてビビるわ!
そこで私は孤児院で世間の常識を学びつつ、独り立ちするにはどんな資格や技術を身につければいいのかトマスさんに相談した。私が魔法を少しだけ使えると伝えると「それなら」と彼が紹介してくれたのが、トマスさんの御年九十八歳のおばあ様であらせられるカトレアさんである。
彼女はルーカスで唯一の魔纏刺繍の職人だった。
「お師匠様~。お邪魔しまーす」
昨日完成したドレスの刺繍を見てもらおうと、アンダルシアの家に行く前に町外れにあるカトレア師匠の所へお邪魔した。
彼女は作業の邪魔になるからと、息子や孫家族とは一緒に住まないでこの小さな赤レンガの家で暮らしている。小さくも手入れのされた庭には美しい花とハーブが可愛らしく咲き誇り、中は洒落た小物や家具で埋め尽くされているとても素敵なお宅だ。
玄関からそっと中を覗き声をかけると、椅子に座って本を読んでいた上品な老女は私を穏やかな笑顔で迎え入れてくれた。
結い上げた真っ白な髪に薔薇のコサージュが良く映えて、衣装も自らの刺繍を施してある品のある藤色の逸品だ。それを着こなすお体は腰ひとつ曲がっておらず、ぴんと張った姿勢が格好いい。
このいつ見ても今年で百十歳になるとは思えないご婦人が、私の憧れのお師匠様だ。パッと見六十~七十代だし、私も彼女のように綺麗な年の取り方をしたいものである。
「まあまあ、もしかして完成したのかしら?」
「そうなんですよ! 昨日完成したんですけど、お師匠様にも見てもらいたくて来ちゃいました」
「ふふっ、わたしとっても楽しみにしていたのよ」
「これなんですけど……どうですか?」
お師匠様が普段使っている作業台に持ってきた花嫁と花婿の衣装を広げると、彼女が息を呑んだのが伝わってきた。
「まあまあ……! なんてことでしょう。これは貴女の最高傑作ね」
「そう言ってもらえると嬉しいです。短い期間でしたけど、自分の持てる全てをつぎ込むつもりで作りました」
「もうずいぶん前に追い越されてしまったと思っていたけれど、これならわたしどころか国の上級職人にも引けを取らないわ」
「え!? お師匠様、褒めすぎですよ! 私は未だにお師匠様みたいに優しくて繊細な刺繍なんて出来ませんし……。追い越したなんておこがましいこと言えません」
他の人に褒められると簡単に舞い上がる私だけど、お師匠様に言われると照れの方が勝ってしまう。それにこの人を追い越しただなんて思ったら、それは酷く自惚れだ。彼女の作品は技術だけでなく人の心に響くものがある。
「ふふっ、謙虚ね。でもこんな作品が作れるのだから、貴女はもっと誇るべきだわ。謙虚も過ぎると卑屈になってしまうし、逆に嫌味にもなるのよ?」
「え、いや、でも……ごめんなさい」
「あらいやだ。別に怒っているわけではないのよ。ただ貴女には自信をもってもらいたいの」
そう言うと彼女は年を感じさせないすっとした動作で衣装の近くまで行くと、刺繍をしげしげと見てから指でなぞると満足そうに頷く。
「美しさはもちろん、魔纏刺繍としての効果もちゃんと付与されているわね。わたしは古代魔法言語に詳しくないから自信が無いのだけど、魔力の波動からして花婿さんの方がデル・バルバロンで、花嫁さんの方はリシクの加護ね?」
「流石ですお師匠様! といっても結婚式ではお馴染みですけれど……」
「でも古代魔法言語で綴られている品なんて滅多にないわ。それにお馴染みと言うことは、それだけ加護が信じられているということよ。大地の男神と星光の女神はマレス教の夫婦神と同一の存在と言われているから、夫婦円満の象徴だわ」
ここでちょこっとこの世界の神様について触れてみる。
ここフェルメシア王国のあるケストニア大陸全土で広く信仰されていて、各地の教会の親分となるのがマレス教。主神は二柱いて、女神マレスリーテと男神マレスアルダロンテの夫婦の神様だ。
この宗教が広く支持されているのと同時に、精霊信仰も各地では同じくらい馴染み深い。魔法では精霊術が一番ポピュラーだから当然かもしれないけど。
精霊信仰には大地、海、火山、大気、星の光の神様と、精霊の頂点精霊王、その娘様の精霊姫がいる。土着の信仰なので土地によって名前が変わったり司るものが違ってくるけど、だいたい元をたどればこの7柱へ行き着くのだとか。
先ほど師匠が言っていたデル・バルバロンは大地の男神でリシクは星の光の女神様。マレス教の夫婦神と同一視されることが多いこの2柱は、結婚式のモチーフとしてよく使われている。花婿に大地のような安定感を、花嫁に星の光のような優しい包容力をということらしい。
今回私は直接そのモチーフを使うのでなく、
その点古代魔法言語はモチーフとして優秀だ。私の固有スキルでない文字としての古代魔法言語は、それ自体は象形文字を筆記体にしたような文字なので模様に紛れさせてもさほど目立たないのである。むしろ複雑な模様として、刺繍の品格を底上げしてくれる。
通常魔力を込めた糸で作品に魔法効果を付与するのが魔纏刺繍だけど、このように魔法文字や魔法陣の図案を使うとより強い効果を発揮できる。
なので私の言語チートは書くのも読むのも自動翻訳と辞書機能で思うままのため、魔刺繍職人として立派な武器になっていた。
ズルではない。便利だからよく使うけれど、今でもちゃんと
「げんを担ぐ上に実際の魔法効果もあるんですもの。これを送られる夫婦は幸せね」
「そう思ってもらえたら嬉しいです……」
「たしか貴女の幼馴染だったかしら」
「アンダルシアとカメルですよ」
「ああ! あの二人ね。奥手な男の子だったのに、よく結婚を申し込めたわねぇ~」
「カメルは決める時は決める男ですから」
ぐっと拳を握って言えば、カトレア師匠はコロコロと笑い声をこぼした。笑い方も可愛いんだよね、この人。
「じゃあわたしからも何かお祝いを贈ろうかしらね。洗礼されたとても素敵な衣装だけれど、結婚式の華やかさがもう少しあっても邪魔にならないのではなくて?」
そう言ってお師匠様が持ってきてくれたのはコサージュで、オレンジと紅色のグラデーションが華やかなマーガレットのような花と薔薇が大小いくつか重なった物と、淡い色合いのピンクと青色の薔薇がモチーフの物。
「わあああ! 良い! 良いですお師匠様! 素敵!!」
「ああでも、少しは派手かしら?」
「とんでもない! お師匠様の美的感覚には毎回脱帽します。これでちょっとぼんやりしてた部分もぴしっと引き締まりますよ。やっぱり挿し色って大事ですね~」
やはり見てもらいに来て正解だった!
完成した品を見てもらいたいというのもあったけど、本音は私の詰めが甘い所を見直してもらいたかった。
そしてお師匠様はやっぱり凄いと思う。私は手に職を身につけたかったのもあるけど、それ以上にこの師匠のおかげで刺繍に魅了された。彼女のセンスは年老いてなお色あせず、今でも王都から彼女の作品を買い付けに来るファンは多い。
ちなみに私はまだ町の外への販売まではしておらず、町の中だけでせこせこ刺繍と裁縫で作る小物で稼いでいる。師匠の作品と並べられて王都に出されるとか恐れ多くて恥ずかしい。
私はお師匠様にお礼を言って、今度お礼に料理を作って持ってくると約束してから今度はアンダルシアの家に向かった。
明日はいよいよ彼女たちの晴れ舞台。存分に綺麗に磨いてやろうと、私はぐっと拳を握った。