魔刺繍職人の花嫁修業(笑)   作:丸焼きどらごん

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8話 VS盗賊

 順調だった道のりは、岩山の近くで霧が巻いてきたことで難しいものになってきていた。

 今まで平坦で見通しの良かった道からだんだんと木や岩が増えてきたと思ったら、道もごつごつとして歩きにくいものに変わっていった。けれどこの道を通らないと村には到着できない。

 

「うわ、まいったな。朝早くに入ったのに、抜けれないまま夕方になっちゃった……」

 

 木に囲まれないように、岩山の壁に沿って歩いていた私たち。

 村まで一日で着くと思われた道はゆっくりとした進行により、当初予定していた距離の半分くらいしか進めなかった。岩山と森に囲まれた場所で夜を明かすことはしたくなかったので、ルーちゃんと行動し始めた一日目は早めに休んで、二日目の朝から村を目指してこのエリアに入った。しかし足場の悪い道が思った以上に歩く速度を緩め体力も奪ってくれたため、薄暗くなり霧が出てきた今、身動きが取れそうにない。

 

「しくったなぁ……」

「ごめんなさい……わたくしの足がおそいから、足をひっぱってしまって」

「ああ、ルーちゃんのせいじゃないよ。私の選択ミスだった……やっぱり森の道を行った方がよかったね」

 

 四方を森で囲まれ魔物に全方向から狙われることを嫌った私が、こちらの道を選択してしまったのだ。多少危険でもこんな所で夜を明かす羽目になるならあちらを行くべきだったのかもしれない。

 

「ルーちゃんは文句も言わないでよく頑張ってるよ! 足を引っ張るどころか助かってるから気にしないで~」

 

 少しでも場の雰囲気を明るくしたくて私が笑って言うと、ルーちゃんはしょぼんとしていた表情を少しだけ笑顔にしてくれた。うん。守りたい、その笑顔。お姉さん頑張る!

 

 実際この娘さんはたいしたものだ。私が実際に6歳だったら泣きわめいて「疲れた」「お腹すいた」「おしっこ」と散々わがまま言う自信があるぞ。なのにルーちゃんは私の言うことをよく聞きながら、一生懸命ついてきてくれる。少しでも負担を軽くしてあげたくて白霊術を頑張ったので、おかげで少し上達した気がする。

 

 

「でも野宿はどうしようか……都合よく洞窟でもあればいいのになぁ」

 

 いや、あったらあったで熊とか居そうで怖いけど。……熊なら逆にいけるか。でも、ドラゴンとかだったら嫌だ。

 

 このあたりで野宿するにしても、もう少しいい場所は無いかとほんの少しだけ先に進む。するとしばらく進んだところで、岩肌に片手をつきながら進んでいた私の手が空をきった。

 あれ?と横を見ると、岩壁がひっこんでぽっかり半月型に空いた空間があった。その奥には結構な大きさの洞窟が、暗がりの中で口を開けている。

 

「本当にあったよ……何だか都合良くて逆に怖いな」

「? どうしたのですか、エルちゃん」

「あ、うん。洞窟があったの。安全を確かめたら、もしかしてここで休めるかも」

「洞窟……?」

 

 私の後ろからひょっこり顔を出して洞窟を見つめるルーちゃん。その視線は何故か不自然に上下に行ったり来たりして、しばらくしてからびっくりしたように洞窟に焦点を合わせた。

 

「!? 今、とつぜん洞窟があらわれましたわ!」

「え?」

「エルちゃんに言われてから見ましたけど、わたくしには岩の壁があるようにしか見えませんでした。今やっと見えるようになったんです」

「ええ~……やっぱりなんだか怪しいかなぁ……」

 

 私には最初から見えていたというのに、ルーちゃんには最初見えなかったという洞窟。

 調べて大丈夫そうだったらここで休もうと思ったけど、ここは諦めた方がよさそうだ。いやしかし、洞窟は無理でもこの洞窟前の空間は使えるな。直接森に面している場所で休むより危険が少なそうだ。あ、でも岩山の麓って落石とか危険なのかな? くッ! もっとサバイバルの知識をつけておけばよかった。

 

 怪しみつつも未練がましく洞窟へ視線を向けていると、そんな私の耳に動物の声が聞こえた。森に面しているのだから不思議ではないはずなのに違和感を感じたのは、それが馬の啼き声だったからだ。しかもその声は洞窟から聞こえる。

 

「馬の声、ですね……」

「……野生の馬って洞窟に住んだりするもの?」

 

 日本だと野生の馬自体居ないから分からないけど、シマウマとかのイメージで草原に住んでいるイメージ。だから、もしかしたら野生の馬で無くて……。

 

「もしかして、私たちみたいに霧に撒かれた人が野宿してるのかも」

「まあ! でしたら、一緒に休ませてはもらえないでしょうか……」

「それだとありがたいけど、やっぱり怪しいしねぇ……どうしようか」

「もしかしたら中にいるのは、魔法使いの方かもしれませんわ。幻術系の魔法は精霊術や妖精術ではめずらしくないですから」

「魔法使いかー」

 

 興味はあるけど、今の私にはルーちゃんの安全の保障という責任がある。魔法使いがいい人だとは限らないし、安易に頼ることは出来ない。

 

「お願いだけでもしてみませんか?」

「お願いして断られるだけならいいけど、もしかしたら怖い人かもしれないよ? 連れ去られたり、変な事されちゃうかも」

 

 何も世の中がロリコンで構成されているなんて思っていない。でもこれだけ可愛い子相手だったら、ノーマルでも変な気持ちを起こすかもしれないでしょう。用心しすぎることに越したことは無いと思うんだ。

 

 でも野宿とのジレンマに揺れているのも事実なので、私は散々悩んだ末、本格的に暗くなってきた周囲を見て決断した。

 

「……じゃあ、こっそり様子を見て大丈夫そうならお願いしよう」

「こっそりですか?」

「蒼黎術を使う」

「! エルちゃん、蒼黎術まで使えるんですか!?」

 

 再び凄い凄い! とキラキラ目線にさらされそうだったので、居た堪れない私はそれにストップをかける。

 

「期待させて悪いけど、本当に大したことない奴だから!」

「どんな術なんですか?」

 

 

 

 こういう術です。

 

 

 

 私の蒼黎術によって影の中に身を潜めた私とルーちゃんは、影の中なので安心のはずなのに気分的に抜き足差し足で洞窟の中へ入った。

 

 この影踏み(シャドウストーカー)という魔法は簡単に言うと、影の中にドラム缶1つ分くらいの空間を作って身をひそめる術だ。使える影の大きさは個人にもよるので、こういう暗い空間や夜になって闇に包まれた時なら、上級者ならもっと広範囲の空間を作れることだろう。永続的な効果は無く、術者が陰に入っている必要があるのでサクセリオのように収納用には使えない。

 空間は術者に追随するため身を潜めたまま移動が可能。これ自分が使う分にはいいけど、本物のストーカーが習得したら恐ろしい術だな……。暗殺とかにも使われそうだよね、おお怖い。まあ対策方法とかも研究されてそうだけど。

 

 視界は上に固定されるので首が痛いが、術の外から空間を覗き見ることは出来ない。入口の開閉は術者に委ねられるので、万が一頭上を通過されても相手が落ちてくることはないから安全だ。あとは異変に気付いた魔法使いが、魔法ぶっぱなして入口の破壊にかからないことを祈るばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 入口に入ると、やはり馬が居た。広い入口の空間の地面に穿たれた杭に紐で繋がれている。

 ふいに馬を見たルーちゃんが、驚きの声を上げた。

 

「! これは、わたくしの乗っていた馬車の馬です!」

「え!?」

「間違いありませんわ。この2頭の白馬についている飾り……わが家のものです」

 

 見ればたしかに褐色の馬数頭に紛れて、場違いなほど綺麗な装飾をつけた白馬が二頭。

 え、するとこれってもしかして……?

 

 

 

 

 

「村に着く前に、悪者のアジト見つけちゃった?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 引き返そうとなだめる私を無理やり後ろから押して、今までの聞き分けの良さを振り返ると信じられないくらい強引に道を進むルーちゃん。その鬼気迫る様子に子供相手なのに気圧された私は、仕方なしに歩いて影踏み(シャドウストーカー)を進めた。

 

 しばらく行くと、複数の人間の話し声が聞こえ始める。同時に明かりも見えたので、うっかり影が無い所に出ないように気を張った。この術は影の無い所に歩を進めると、途端に地表に姿を現してしまうからだ。

 

 

 

 

「くそッ! まだ見つからないのか!!」

 

 耳を打ったのは苛立たしげな男の声。次いで、不機嫌そうな低い声が答える。

 

「川の下流はずいぶん探した。もう死んでるんじゃないのか?」

「いや、そんなはずはない。あの娘は精霊に愛されている。……少なくとも水害では死なないはずだ」

「どうだかな」

「貴様が失敗したせいだぞ!? その気の無い返事は何だ!」

「ああ? 失敗だって? 近くに居ながらみすみす川に落ちるのを見ていたお前さんの言うことかよ。俺たちは速やかに、順調に護衛を殺してたってのになーぁ」

 

 会話の内容的に、もしかしてルーちゃんのことを話している?

 私とルーちゃんは身を固くしたまま、耳をそばだてた。

 

「クッ……! そもそも、盗賊風情を雇ったのが間違いだった」

「言ってくれるねェ。……俺たちはあんたらみたいな人によく使われるが、盗賊相手に信用するもしないも自己責任だろ? 成功したらもうけもの、失敗したら切り捨てられる利点があるんだから、そうぐちぐちといいなさんな」

 

 せせら笑うような別の男の声に追従していくつかの笑い声があがる。

 

「切り捨てる前に成果を上げてもらわねばただの大損だ! 早くあの娘を見つけ出せ!」

「へいへい」

「……あと、こいつらの始末も早く済ませろ。何故生かしておくんだ」

 

 忌々しげな男の声に、今までと別の声が反抗的な声で答えた。

 

「貴様……! 恥を知れ! 何故このような事をした!」

「アルフォルン様、何故裏切ったのですか……!」

 

 初めて出てきた固有名詞に、後ろにいたルーちゃんが大きな反応を見せた。「嘘」とつぶやいて震えだした彼女は、今聞いたことを信じたくないようで力なく首を横に振っている。

 

『知り合い?』

 

 小声で聞いても答えないので、しかたがなく聞こえる会話の方に意識を集中させた。

 

「チッ、耳障りな奴らだ。せめて猿轡くらいつけられないのか?」

「おいおい、俺たちのお楽しみをとるなよ。信頼してた仲間の魔法使いに裏切られた同僚たちの悲痛な叫び……イイねェ」

「悪趣味な奴め……」

「こりゃあ傑作だ! お前さんが言うかい? まったく、今までどんな面して接してたのか見てみたいぜ。さぞかし温厚篤実で、信頼のおける好青年を演じていたんだろうな?」

「オレ達ですら最初の時と印象が違って驚いてるんだ。同僚だったこいつらの驚きはどんなもんなんだろうな~。おい、そこんとこどうなの?」

「いや! 触らないでくださいまし!」

 

 女性が拒絶する声に、楽しげな声が返す。

 

「か~わい~♪ こんな可愛いの殺しちゃうのもったいないって! ねえねえお頭、ちょっとだけ味見していい?」

「よせ。娘を捕まえるか死体を持ってくるかするまでお預けだ」

「え~」

「まあ待てよ。無垢な子供の前で犯す方が、お前も興奮するだろ?」

「! ああ、そういうこと! さっすが~。お頭の趣味は最高だね!」

「何かされるくらいなら、舌を切って死にます!!」

「ううん、そういう気の強い所も好みだね~。楽しみ楽しみ♪ ……オイ、そこのお前。この娘にだけ猿轡しといて」

「わかりました」

 

 聞いているだけで気分が悪くなる会話に、怒りよりもまず恐怖を覚えた。前世以来触れていなかった人間の悪意というものは、こんなに気持ちの悪いものだったろうか。

 

 カフカの洞窟で魔物を相手にした時とは違った恐ろしさ。

 言葉が通じ、意思を伝えあうことが出来る人間の悪意はただの暴力ではなく毒に似ている。

 

 

 

 

 洞窟に居るのはルーちゃんを襲った盗賊で確定だろう。それとルーちゃんの従者達に、聞いている限りその中に一人裏切り者が居たようだ。

 

『ルーちゃん、いったん外へ出て、村に行って大人を呼んで来よう』

 

 夜の森は危険だろうが、此処にいるよりはましだ。奴らは川に落ちて行方不明になったルーちゃんを探している。……探しに行っている他の仲間もいずれ戻って来るだろうし、影に入っていても挟み撃ちにされたらたまらない。ここにいては危険なだけだ。

 しかし私の提案に対して、震えたまま喋らなかったルーちゃんは強い拒否をしてみせた。

 

『嫌です』

『駄目。私たちだけじゃ彼らを助けられないし、何よりルーちゃんが危険だよ』

『嫌です、もしかしたらわたくしたちがいなくなった間に、殺されてしまうかもしれないではないですか!!』

『しー! 静かに! 会話を聞く限り最低な理由だけどルーちゃんが見つかるまで、彼らは生かされるはずだよ。だから今は……』

「ん? あっちから何か声がしなかったか?」

 

 やっば!

 気づかれた!?

 

「あ? 魔物か?」

「そんなはずはない。このあたりの雑魚なら私の幻惑魔法をやぶれないはずだ」

「そうかよ。んじゃあ、もしかして侵入者? ヒヒッ、だったら楽しいなぁ~。俺が見てくるよ!」

「楽しむな。お前が掃除やると、毎回後始末が大変なんだ。……俺が見てくるッス」

 

 明かりを手にした人影が、こちらへ近づいてくる。慌てて影を移動させたものの、その人物は目ざとくこちらに視線をよこした。

 

「……何か、変だな。何もいねーけど……」

 

 ドスッ

 影の近くで、何かが刺さる音がした。見れば武骨なナイフが地面を抉って突き刺さっている。

 

「何か、居るな……」

 

 明かりを持った男がしゃがみ突き刺さったナイフを引き抜きながら、私たちの潜む影を睥睨する。

 

 そして明かりを掲げ……、

 

 

 

 

 

 

「ルー逃げて!!」

 

 影踏みが解除された瞬間、体が浮くような感覚の後で地上に現れた私たち。私は目の前に居た盗賊らしき男の喉を奪ったナイフで掻き切ると、ルーに逃げるように声を張り上げた。

 

「誰だ!」

 

 すぐさま異常事態を察した盗賊たちが現れる。もともとそう離れた位置に居なかったので、視線がアオリから平面に切り替わったことで奥で囚われている人たちも目視できた。

 ざっと見て、盗賊が約十人。魔法使い風のローブを着たいかにもな青年が一人。縛られている従者たちは、老若男女合わせて五人。

 

 初めて殺人を犯した動揺に身をゆだねる暇も無く、私は真っ先に魔法使い風の男の場所に跳躍(スキップ)で跳ぶと、手の力だけで喉を潰した。魔法を使われることを恐れたからだ。

 

「ひぎゃ!?」

「なんだぁ!?」

「餓鬼!?」

 

 無様な声をあげて崩れる魔法使いに、突然の襲撃者に戸惑う盗賊たち。けれど厄介なことに、狼狽えない男が居た。

 

「おい、騒ぐな。餓鬼がひと……いや、二人だ。喜べ、カモが自ら鍋に入りに来たぞ」

 

 仲間一人を殺され、一人を無力化されたというのに泰然と構える男は馬鹿みたいな赤い髪の毛をドレッドヘアーにした巨漢だった。二mはありそうな身長で、がたいもいい。

 そいつは事態を面白そうに眺めていた。

 

 逃げるように促したはずのルーはパニックになっているのか固まっていて、一歩も動いていない。

 私はガラが悪くも舌打ちすると、黒霊術の属性魔法、氷塊(アイシクル)で親指ほどの尖った氷を生み出すと、縛られている人たちに投擲した。この魔法は単に氷を生み出すだけなのでコントロールは完全に自分頼りなのだが、運よく五人中三人の縄を切ることに成功した。それも三名中若い男が二名いるから運がいい。

 

「貴方たち、あとは自力で逃げてください! 私はルーを守ります!」

「え、え?」

「馬鹿者! 呆けていないでわしの縄も切れ!! ようわからんが起死回生の機会を無駄にするでないわ!」

「は、はいぃ!」

 

 解放された若者は未だ縛られている老人に叱咤され、慌てて私の投げた氷塊を拾って縄を切り始めた。もう一人の男性は解放されるなり近くにいた盗賊を蹴り倒し、武器を奪い取り油断なく構えている。解放された最後の一人の女性は、言われるまでも無く仲間の縄を切りにかかっていた。口に布をかまされている所を見ると、先ほど抵抗していたのは彼女だろう。

 優秀そうな従者に安心すると、私は盗賊たちがルーに近づく前に再度跳躍(スキップ)で彼女の前に舞い戻った。

 

「ハハハ! すげーなお前。魔法使えんの? ちっこいのにやるなぁ。ベネッドも上手い具合に殺したもんだ」

「…………」

「お? 緊張してんの? 可愛い所もあるじゃねーの。どれ、おじさんが相手してやるか」

 

 言うなり、赤髪ドレッドは背負っていた大剣を引き抜いた。身の丈ほどもある無駄に大きな剣だというのに、男は苦も無く片手で構える。

 楽しそうに(わら)うその男を前に、私の中で緊張感によって研ぎ澄まされた警鐘が鳴り響いた。

 身長や恐ろしげな外見よりも、男の発する空気が重くてどこか熱い。それがたまらなく不気味だ。

 

 対峙したことで私は初めて気づく。これはきっと、敵対してはならない部類の相手だと。

 

 カフカの洞窟でドラゴンと相対した時以来の緊張感。私は喉が渇いてはりついたかのように、まるで声を発することが出来ないでいた。

 

「おい、オメーらはそいつらの相手な。もう殺していいぞ」

「ええ~! オレもその変な餓鬼とヤリたいよお頭!」

「馬鹿言うなよ。こんな面白いの、俺が相手しなくてどうすんだ。ははっ、楽しくなってきたぜ!」

「お、お頭! いったい、何がどうなって、」

「いいからお前等は言うこと聞いときゃいいんだよ。死ぬか?」

 

 混乱しかけていた他の盗賊も、赤髪ドレッドのひと睨みで震え上がり、混乱が収まらないまま従者を取り囲んだ。こちらにも数名が赤髪ドレッドの後ろに立つ。

 どうにもならないと覚悟を決めると、何とか唾を飲み込んでルーに声をかけた。

 

「私がひきつけるから、ルーは逃げて」

「そ、んな、こと」

「いいから逃げて! 邪魔なの!」

「!」

 

 きつい言い方になってしまったけど、ルーを逃がさないことにはどうしようもない。目の前の男はどうやら戦う気満々だし、この洞窟であの巨体、あの大剣を振り回したら道がふさがれて後ろにいる手下がルーを追うことは出来ないはずだ。

 一瞬ためらったルーだけど、泣きそうな顔で頷くと背を向けて入口へと走り出した。

 

「おいおい、あの嬢ちゃんに逃げられるとまた面倒くせーんだけど。おう、お前ら先に追いかけて……」

 

 戦う前に手下を追っ手にけしかけようとした男の腹に、私は全力で魔力を込めた拳を叩きこんだ。

 

「ぐっ!?」

 

 殺す気で行かなければやられると思い、理性よりも本能が勝った一撃だった。……なのに。

 

「いってぇな~。でも、ますます楽しいぜぇ。魔法の他に、魔闘までたしなむか。……いいな、お前。殺すより欲しくなってきた」

 

 今まで魔物の腹に穴をあけてきた一撃を、ただ重い一発をくらっただけとでもいうようにやり過ごした男。内臓や骨を破壊した手応えも感じない。私の拳が感じたのは、弾力はあるのに鋼のように固い恐ろしく鍛えられた筋肉の質感だけだった。

 男が笑う。その楽しくて仕方がないという表情は、殺気を向けられた方がましだと思うほどだった。全身という全身が鳥肌で毛羽立ち、なんとも言えない気持ち悪さが足元から一気に頭のてっぺんまで駆け抜けていく。

 

「気持ち悪い!!」

 

 我慢出来ずに叫ぶと、男は豪快に笑った。

 

「気持ち悪いか、そうか!! もっと気持ち悪がらせてやろうか? そーらよ!」

 

 楽しそうに振り下ろされた影に、反射的に避けた。するとさっきまで立っていた場所を、相手の大剣が土と石をまき散らしながら抉っている。

 

 こいつ、欲しいとか言っておきながら殺しに掛かってきた!!

 うわああああ、嫌だ嫌だこの人怖い! 気持ち悪い以上に怖い!!!

 

 しかしながら私も引くに引けず、とにかく跳躍(スキップ)で男の背後に飛んだ。腹が駄目なら首か頭だと狙いを定めたら、マグマみたいなドロドロとした熱を秘めた緋色の瞳と目が合う。

 言い知れぬ寒気に攻撃を止めて体の前で両手をクロスさせると、衝撃が襲い掛かり私の小さな体がふっ飛ばされた。飛ばされた直後に見ると男が大剣を持たない方の手を振りぬいた体勢でいたので、どうやら裏拳を喰らったようだ。

 

 壁に叩きつけられて、一瞬息が詰まる。

 

「なんだよこれで終わりか? 脆いな。もっと楽しませてくれよチビ」

(そもそも素手と剣な時点で不利なのに、なんて無茶を言ってくれるこの野郎!!)

 

 他にも年齢とか性別とか体格とか!! まともに渡り合えって方が無理だよ!

 

 やっぱり私の認識は間違っていなかった。今まで順調に魔物に勝てたから少し自惚れていたけど、ただ相手が雑魚だっただけなんだ。現に私は不意打ち以外で同じ人間には勝てていない。

 ……この世界の人間は、きっとカフカの洞窟の魔物を余裕で殺せるくらい強い。この、目の前の男のように。

 

 絶望感に苛まれつつも、まだ諦めたくない。

 

影踏み(シャドウストーカー)

 

 じりじりと明かりの届かない場所まで動いた私は、影の中に逃げ込んだ。

 

「あれ、反撃しねーの? それにしても芸の細かい奴だな。移動魔法に、影にまで入れるのか」

 

 男は余裕そうだけど、その部下たちはそうでもない。

 

「ぐあ!」

「こ、こいつ、強い……!」

「お頭~! そっち行ったー! オレ切られたー!」

「何? うおっ」

 

 背後から襲いかかった銀のひらめきを紙一重で躱す赤髪ドレッド。見ればその一撃を放ったのは元捕虜の従者のお兄さんだった。

 彼の後ろでは一見するとただのおじいさんが、同じく剣をふるって盗賊をやり込めている。残りの三人も戦う二人のおかげか、盗賊の包囲網を突破してきていた。

 

「だから男だけでも殺しとけばいいのに、お頭があとで楽しむから~なんて言うからー! こいつら捕まえるのにも結構人数減っちゃったのにさぁ~」

「うっせ! ……まあいいや。次はお前が相手してくれるのか?」

 

 もう私が反撃してくることは無いと思ったのか、赤髪ドレッドの意識がお兄さんに向く。

 

 馬鹿め! 油断する悪役は早々に地面に沈むがいいわ!

 

 段々とアドレナリン大量分泌で恐怖心がふっきれてきた私は、赤髪ドレッド自身の陰に移動するとその足を思いっきり後ろに引っ張った。

 

「んな!?」

 

 前面に倒れていく赤髪ドレッドへ向けて、この絶好の機会にお兄さんの剣が振り下ろされる。

 けどなかなかしぶといこの男、地面に手をつくと片手の剣でそれを受け止めた。体勢的に腕立て伏せしながら片腕をあげるポーズで、なんとも器用な事だと感心する。

 

 追撃の手は緩めないけどなぁ!!

 

「どりゃあ!!」

「んお!? がッ」

 

 今度こそ完全一点集中。影から身を乗り出した私は、指先に集中させた力で赤髪ドレッドの片足をひねり潰した。絵面は地味だが指の先から肉と骨をすり潰しながらめり込む感覚が伝わってくる。

 よっし! 少なくともアキレス腱は切った!!

 

 すぐに剣先が迫ったので退避すると、一連の隙をついて男に止めを刺すより仲間を逃がすことに集中したお兄さんは、完璧に仲間を導き盗賊の包囲網を抜けて入口を背にしていた。もう入口まで彼らの前に敵はいない。

 私も敵が体勢を整える前にと、踵を返して彼らの後を追う。

 

「待て……! おい、お前ら追え!」

「いいですけど邪魔っすお頭!」

 

 盗賊たちの声を背に走ると、入口で合流できたらしいルーちゃんと従者たちが「早くこっちへ来い」と手招いていた。

 

「私は、逃げるくらいなんとかなるんで、ルーを先に逃がし」

「危ない!」

 

 え? と振り返った先には、悪鬼もかくやな犬歯をむき出しにした壮絶な笑みと、赤、振り下ろされる大剣。

 

(あ、オワタ)

 

 場に似つかわしくない軽さで最期を見越した言葉が脳裏を駆け巡る。

 前世もそうだけれど、走馬灯を見ることは終ぞなかったわけか。

 

 だが、瞬間的な諦めは、しかし次の刹那覆された。

 

「だめェ!!」

 

 銀色が刹那の間に赤銅色に輝いたと思うと、あがった悲鳴は私の声で無く盗賊の野太い声。

 

「あっちい!!」

 

 悲鳴を上げた赤髪ドレッドは赤く染まった剣を取り落とし、片足で立っていた無理な体を仰け反らせて、後ろから来ていた手下を巻き込んで派手に転げた。

 

「ぐえ! お頭、重いッス!」

「だああ! 熱ィ!! なんだ? 魔法付与(エンチャント)って、精霊魔法まで使えんのか!?」

 

 いちいち解説ご苦労だけど、今のは私じゃない。

 ともかくこの機会を逃さず、私は全力で入口まで疾走した。打ち付けられた背中がジクジク痛むけどかまっていられない。

 

「エル! エル、こっちです!」

 

 入口で待っていたルーと合流すると、逃げるように促す従者に背を向けて私は洞窟の入り口天井付近に狙いを定めた。体に負担がかかる飛憐術並にあとでクルけれど、他に破壊に適した魔法が無い。

 私は腕に集中した魔力塊を体の外に押し出すように拳を振りぬいた。

 

「な!?」

 

 誰かの、あるいは全員の驚いた声が聞こえた。

 破壊音の後、洞窟の入り口は崩れていくつもの岩石で塞がれる。何頭か巻き込まれたのか、入口近くにいた馬の混乱した嘶きが聞こえた。

 

 

 _______________

 

 

 

 大きな岩が粗方落ち終えて、カツンっと小石が小さな音をたてる。土煙がおさまると、ようやく緊張の糸が切れた私は地面にへたりこんだ。

 

「こ、怖かった……」

 

 

 

 

 

 初めての対人戦は、トラウマの連続でした。

 

 

 

 

 


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