無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。


第099話_強襲!神子限界点

--- 人は故あれば寝返るもの ---

 

「今回は長く居るのね」

 

「お前が風邪など引いているせいだ」

 

ベッドの横に置かれた桶、その中の水。

横たわるナナホシの額には濡れた薄水色のタオルが乗っていた。

外は灰色の世界。歩く人がいないのは雨のせいか呪いの影響か。

 

座っていた椅子から立ち上がり、窓へと近づく。

この身に宿る魔力には制限があって魔力は無駄遣いすべきではない。

自然回復で治せるのなら、治癒魔術で回復する必要はない。

それに遠い未来にナナホシが魔力に侵されるというのなら、体内を魔力で走査することがどれだけ彼女の活動期間を縮めるかは判らない。

 

「まさか。

 私のために今回のループを捨てる判断を貴方はしないわ」

 

ナナホシの言い分が天井へと吸い込まれていくと、雨音だけの静かな世界から雨音すらも消えてしまった。

それは彼女の言葉のせいだと言っても良いし、その言葉を受けた俺の心がそうさせたのだと言っても良い。

思わず目を見開いて窓の外を睨みつけたのも、そうだ。

 

「貴方でも悩むことがあるなんてね」

 

病床のナナホシの言葉によってその変化は急速に萎んでいった。

 

「俺は常に考えている」

 

雨音が戻って来る。

 

「常に悩んでいるのかしら」

 

(うるさ)い位に。

 

「……」

 

「それで?

 ルーデウスのことは信用できないんでしょう?」

 

きっとナナホシは天井に話しかけている。

彼女には聞こえるのだろうか。この窓を叩いている音が。

一向に静まらない音の中、

 

「イレギュラーを全面的に信用してはいけないというだけだ」

 

漸く絞り出した答え。

それは以前に語ったものと何ら変わらない。

しかしながら、出来てしまった間が、それはやはり悩みがあると示した事になりはしないか。

何に悩んでいるというのか。

誰に負い目があるというのか。

 

「つまり散々利用しておいて捨てる――」

 

ドンッ。

思わずに殴ってしまった窓枠の横の壁。

 

「俺はヒトガミとは違う。約束は守る」

 

--

 

もう少しでヒトガミを倒せるというところまで来ていた。

主観では90年先まで迷いなく分岐を辿って成長前のラプラスを倒し、魔力を残したままもう一度、ヒトガミと対峙する。

必要な手順は明らかだ。だからこそ宿る確信。

 

しかし、現れた想定外の者達と災害、災害によって起こった結果。

始末しておかねばならなかった使徒が生き残っていたからこそ、今、帝国が誕生している。

 

興味深いのはルーデウスが齎した未来の歴史が、今のルートとは異なるということ。

今回のルートでは使えない無駄な知識が多い。そもそも奴自身がその歴史にならないように災害の結果を捻じ曲げてしまっている。

だが俺が信じるに値する程の『あったかもしれない』未来の歴史。

それと計画を加速させる強力な転移ネットワークの提供。

奴を使徒だと考えるのは合理的ではない。

 

また、奴とナナホシだけが知る未知なる言語。

ナナホシが着ていた服に使われている高度な縫製と得体の知れない染料。

軽くて撥水性の高い謎の素材が使用された靴。

奴らが本当に異世界から転移してきた者達であると信じるに十分だ。

 

そこまでは良い。

もし、今回でループを解除できるのならどうでも良い。

しかし、ループを解除できない可能性は常に残り、その際には今回知り得た状況を使う必要が出てくるかもしれない。

逆にこのルートの先に都合の悪い事態が待っているというのなら、このルートに入らないようにせねばならない。

そうなると必要なのは今回のルートの再現性もしくは不再現性に関する分析だ。

これまでのどこかに『彼らが現れる/現れないの分岐点』があったはずだ。

 

前回までに行わなかった事、もしくは組み合わせをトリガーにして今回の事が起こった。

そして少なくともナナホシを六面世界とは異なる世界から不完全な魔術で召喚した者がいる。

だというのに、そのような技術も魔術もそれを起動できる存在も俺は知らない。

ロアの街にあったという赤い球―ペルギウスの書状によれば次元の歪み―もそうだ。俺の知識には存在しない。

 

ここに来て判らない事だらけだが、ルーデウスの書の中でナナホシが面白い事を予想している。

その書の中でナナホシはこういったそうだ。

異世界からの転移は未来の誰かの行動によって現在が影響を受けた結果かもしれない。

その意見に従えば、『物体の時間を巻き戻す神子』が未来から過去に対して何らかの影響を与えたのかもしれない。

 

興味深い話だ。いや実際には全く面白くもない。

今、目の前で臥せっているこの少女が同じ事を言うのなら見捨てて放置してしまいたいくらいではある。

 

俺は毎回戻されている過去を全く同じ過去として扱っている。

同じ時点からさまざまな分岐点での行動によって未来が決定されているはず。

だがナナホシの意見はそれを覆す。

これまでの仮定を根本から台無しにしえない。

ある未来から見た過去が1つかは判らないのだと。

ナナホシの仮定には反論の余地が多くあり、杜撰だ。

と同時にそれを完全に否定できない俺の想定も同様に杜撰だ。

何よりルーデウス時間軸では、既に2回乃至3回も転移災害は発生している。

そして俺にはその記憶がない。

 

暴かれた杜撰な想定。その杜撰さが示す物の本質は何か。

初代龍神が授けた時間逆行、物体の時間を巻き戻す神子の力、日記を核とした時間転移、何者かの手によって仕組まれたルーデウス・グレイラットの過去転生。

それぞれはよく似つつ、別に全てが同じ時間軸に対して干渉しているかは判然としない。

 

リスタートするポイント自体が、より過去から見た無限の未来の分岐の1つであるとするなら、その並行過去の何処に時間逆行するのかは実は毎回異なっている?

正確に表現するなら異なっていることもあれば同一である時もある。

かと言ってそれはほぼ同一の未来を目指す並行過去であるがために、これまで俺にとっては同一の過去であったという認識に過ぎない、のか?

 

そして今回、俺は気付いた。

いやルーデウス時間軸の前世の俺も同じく気付いていたのかもしれなければ、今回"も"気付いたということになる。

誰が何の理由でこんなことをしたのか。

俺自身ならばもう一度ループをやり直すだけで良く、こんなことをする意味はない。

ヒトガミはこちらのループに気付いていない。奴が過去を改変する意味はない。

残ったのは全く自分のループ解除には関係のない偶然だということ。

だがしかし、もしそうではなかったら。

今回、俺が後少しでヒトガミを倒せると考えている手順に落とし穴があるならば。

それを自分以外の誰かが手伝おうということ、か?

 

 

--テレーズ視点--

 

今回も我々はいつものようにミリシオンを離れ、全国行脚の仕事についていた。

街道に沿って西へ西へと進みながら、時には街道を離れて少し奥まった村に立ち寄り、催事事に参加したり、必要があれば紛争を解決する。

 

ミリス教徒たるもの清く生きなければならない。

だからといってミリス神聖国で犯罪行為が全くないということではない。

ミリス教の教えに従わず、犯罪に手を染める者は後を絶たず、さらに嘆かわしい事に官憲に捕まっても嘘を吐いて罪を逃れようとする者も多い。

人がそれだけ弱いという証明にしたって、斯様に神子様にご足労頂かねばならぬということに胸を痛めてくれさえすれば罪を犯す事へ今少し忌避感を覚える事もできるだろうに。

 

神子様の御力の前には何人たりとも隠し事をする事はできない。

その御業の凄まじきこと枚挙に暇なく、御力を振るわれるたびに多数の信者が神子様の支持者と成る程だ。

 

そして二か月に亘る長期任務を終え、ミリシオンの目と鼻の先まで来たところで私と神子様を乗せた馬車が少しずつ速度を落とし始めた。

ヒーーーンと馬が一啼きし、完全に馬車が止まる。

客車の中で向かい合わせに座っていた神子様と視線を交えさせた後、私は何事かと顔を出す。

 

「どうした?」

 

「それがその」

 

私の質問に答えたのは御者をしているモンターナ。

道中は兜を被らずに馬を走らせているが、今は兜の中から声を発している。

その兜の中から言い淀む部下にやや苛立ちを感じるも、なるべく顔に出ないように堪えて待つ。

 

「何か大きな山のようなものが見えまして、今、エルシリアが確認に行きました」

 

「そうか」

 

そうして待つ事幾許か。

エルシリアが馬を走らせ戻って来る。

 

「急報! この先に瓦礫の山があります」

 

「馬車が通れぬ程か?」

 

何の理由があって瓦礫の山が街道を封鎖しているのか。

それでは交易に支障が出るではないか。

 

「無理をすれば馬車も通れるとは思います。

 ですが、何やらきな臭い気配を感じます」

 

報告してきたエルシリアの言葉が何を表すか。

 

「待ち伏せ。罠か」

 

「はい。

 ただ次の分かれ道で東に迂回すれば避けられるかと」

 

エルシリアの解決案も罠を仕掛けた者たちの掌の上という事はあるが……。

判断に迷って立ち往生するのは最も避けるべき。

 

「ならば迂回するぞ」

 

「ハッ」

 

御者台のモンターナも頷き、馬車はゆっくりと動き始める。

 

--

 

騎兵と馬車が隊列を作って迂回路を走ること暫く。

馬車の中には私の他に2人の男女が居た。

一人は同僚で部下のロスケロス。

もう一人はまだ幼い少女、神子様だ。

迂回路で私もロスケロスも気を立てていたが、

 

「テレーズ」

 

と馬の蹄の音と車輪の音に負けそうな儚い声がふいに馬車の中に響いた。

小さな窓の先を見ていた私は正面を向き、その声に応えねばならない。

 

「はい、神子さま」

 

「あの森には綺麗な花が咲いているかしら」

 

「おそらく」

 

「どんな花が咲いているのか見てみたい」

 

このやり取りの意味を私は知っている。

ロスケロスが同席する中で、交わされる符合だ。

 

「神子様、今はお控えください」

 

そう口を出したのはロスケロスだった。

今は罠を迂回した状況。タイミングが悪い。

できればミリシオンまで我慢をお願いしたい気持ちは私も同じ。

神子様と私の視線がぶつかる。

私が神子様の瞳をみているときは、神子様も私の瞳の奥を見ているはずだ。

それでも神子様は翻意しなかった。

 

「判りました」

 

そして速やかに、馬車の窓側に垂れる一本の紐を引き下げて戻す。

 

チリンチリン。

 

紐は馬車の外のベルと繋がっていて、その音を切っ掛けとして馬車は速度を落として行った。

完全に停止すると、御者であるモンターナが外側から扉を開く。

 

私とロスケロスが先に馬車から降り、次いで私が神子様の手を取ると神子様はゆったりと馬車から降りる。

 

「森に入る。警戒を怠るな」

 

「ハッ」

 

私はそう口にして、ロスケロスがやや不満顔で返事をするのをさもあらんと思いながら、モンターナの差し出すオウムの頭を(かたど)った兜を受け取り被ろうとした。

そこで横から声が掛かる。

 

「テレーズ。お早めになさって」

 

酷くおっとりした、もしくは浮世離れした声音から繰り出された言葉はある種のアンバランスさを感じさせた。

本人の言葉というよりは、いささか言わされている感が否めない。

それもそのはず。今のもまた2人で決めた符合であるのだから。

故に私は「承知しました」と短く応え、兜を被るのを辞めて小脇に抱えたまま森へと歩きだした。

 

神子様と2人。

森に分け入っていくと百歩も行かないところで陽だまりとなるような少し開けた場所が見つかった。

 

「神子さま、私はここで」

 

開けた場所の入り口で立ち止まれば、神子様はコクリと頷いてから自分を追い越し、開けた土地の隅に立ち、スカートの中にもぞもぞと手を入れて、そして(かが)んだ。

 

 

--神子視点--

 

各町の視察。

人の隠し事を暴き、醜い裏側を見る仕事。

自分のように相手が話したくもない事実まで見通す能力。

それが心にどれだけの負担を強いるか。

周りの人は神子である私の仕事振りをみてなぜ(・・)か心を痛めている。

 

だがそういった気遣いは実のところ的が外れている。

それを知っているのはテレーズくらいだろう。

私にとって一番辛いと思っているのは決してそういうことではない。

私が辛いと思っていることは、そう――

 

「神子様。すみません」

 

ようやくその辛い状況から解放されるといったその時にやおらに掛かる声。

いつもテレーズはこういう時は黙って事が済むまで独りにしてくれるというのに今日はどういうことだろうか。

 

「え? でもまだ」

 

「どうも様子がおかしいのです。

 馬車の方で馬の嘶きが聞こえたように思われます」

 

馬が鳴いた?

私は茂みから顔を出して耳を澄ましてみる。

森はいつものように静かだ。

 

だがやや遠くで待つテレーズは既に顔を兜で包み、今まさに剣を抜かんとしていた。

その煌めきが私の中でもう少しというところまできたものを引っ込める。

 

「仲間の元へ戻りましょう」

 

くぐもった声。

 

「はい……」

 

全く良くないのだが、命には変えられない。

止まらなかったのならもう仕方がないが、今回はギリギリのところで止まってしまった。

ここで我儘を言うことにも意味を見出せない。

 

来た道を戻って最初に見えたのは倒れた騎士(モンターナ)だった。

馬車は横転し、舵棒との接続の外れた馬が逃げ出してしまっている。

待っているはずだった他の騎士も悉く地に伏し、代わりに見るからに怪しい黒ずくめが5人。

煌めきの無い短剣を構えてこちらを窺っていた。

 

「神子さま。

 良いですか、決して諦めてはなりません。

 この命にかえましてもお守りしてみせます」

 

テレーズの言葉で狙われているのは自分自身だと理解し、『テレーズ、貴方だけでも逃げて』と言いたい気持ちが沸き上がる。

しかし、倒れ伏した騎士(ロスケロス)の見開いたままの目に視線が合いながらも記憶が読み取れなかった時、その言葉は胸の中へと引っ込んでしまった。

頭の中を巡ったのは彼らとの思い出だ。

首都から離れる任務の時、旅の合い間に彼らは自身の務めについて良く話してくれていた。

『御身は命に代えても御護りします。それが当家の誉れとなりましょう』と嬉しそうに話すエルシリアの声が聞こえた気がした。

幼い自分には『そうなの?』と訊き返したくなるような話だったが、彼らの死を目にしてその辺りのことが遅まきながら繋がっていく。

 

状況はいよいよとなっていた。

黒ずくめ達は半円形に展開し、慎重にジリジリと間合いを詰めてくる。

それに対してこちらはもう後がない。

私の背中は樹にぶつかってテレーズを押し返そうとする。

 

「貴様ら! この御方がどなたか、わかっているのだろうな!」

 

逃げ場に窮したテレーズが叫んだ。

 

「無論だ」

 

返事を返すためにか黒ずくめ達が一瞬立ち止まる。

 

「ならばなぜ!」

 

「言うまでもなかろう」

 

「教皇派か!」

 

テレーズは吐き捨てるように口走る。

それは良くない。不用意だ。

だって、折角黒頭巾で隠している素性を言い当ててしまったに違いないのだから。

ほら、一番右にいる黒ずくめが腰を落として飛び込む準備を始めてる。

 

私は祈る。

テレーズが黒ずくめを何とか撃退してくれる事を。

そして思う。

教皇派、暗殺者……ならばきっと彼らはミリス教皇お抱えの暗殺集団『死の教師』。

教団暗部の手練れで私の護衛よりも強いかもしれない。

護衛の騎士達は皆ただの噂だ、教皇派のプロパガンダだと笑っていた。

が実際に存在し、こうも短時間で護衛を倒されては信じる他ない。

あの噂は真実だったのだと。

 

暗殺者の1人と目が合う。

記憶の奔流。

教皇派が私の暗殺に踏み切った。

理由はルブラン大司教が間もなく枢機卿になるから?

教団No.2の座と権力を得て次回の選挙を優位に進めれば、教皇の牙城が崩れるやもしれない、そう目されている。

だから大司教の力を削ぐために私が邪魔だと判断した。

大司教派改め枢機卿派の切り札が『神子』、教皇派の切り札が『死の教師』。

切り札には切り札を。

 

ルブラン大司教が神子の世話人を務め、神子に人気があったからルブラン大司教も人気を集め、いつしか人気は権力へと変化した。

大司教が元来の魔族排斥派だったかは今となっては判らないが、彼が魔族排斥派を標榜することで魔族迎合派の現教皇との対立軸がはっきりし、教団は2つに割れた。

 

それは私にとって(はた)迷惑な話でしかない。

人が表層で考えていることやそこから記憶を辿る特殊能力を持ち、かつミリス教への信仰も厚いだけの少女。それが私だ。

ミリス教団のために働いてはいるが、それは大司教のためでもないし、「魔族を排斥すべし」と高らかに謳ったことなど一度もない。そんな私の命を狙わなくても良いではないか。

 

残念ながら私の想いを黒ずくめは汲み取ってくれない。

黒ずくめの瞳が語る。

右手の短剣はテレーズの長剣に対して間合いで劣るものの小回りの面では圧倒的に優位。

右へ左へとステップしながら近づき、急加速からの一薙ぎすれば、目の前の騎士は不用意に剣を振る。

だがそれは罠だ。

テレーズの攻撃をやり過ごし、剣を引き戻すまでに一気に接近する。

 

まさにその通り。

テレーズの動きは全部読まれていた。

 

一分の隙も無い突き込みで毒の塗られた短剣がテレーズに迫る。

仕留めた。誰もがそう思った。攻撃を仕掛けた本人だけでなく、周りを取り囲んでいる黒ずくめは全員がそう思っただろう。

私も。テレーズさえもだ。

 

――だけど。

黒ずくめの目が驚愕に見開かれる。

私が彼の目を見ていたのはそこまでだった。

私の視線は空にあった。

そこに短剣があった。黒ずくめの右手が、短剣を握ったままに。

 

腕を失った黒ずくめに再び視線が戻る。

瞳に映るのは削がれたといって、それでも勢いが止められないという戸惑い。

あぁ。無防備になった暗殺者にテレーズの剣が噛み合う。

 

ガツン。

 

黒ずくめの軽帷子(けいかたびら)に守られた横腹を強かに打つテレーズの剣。

突っ込んだ勢いと相まって森の方、後ろへと消えて行く黒ずくめ。

 

なぜ、どうして、誰が、何をした?

私には分からない。

残った黒ずくめ4人にとってもきっとそうだ。

でも相手は手練れ。

咄嗟に散開し、私達ではないどこかに対して構えを取るのが見える。

 

死に体の女2人より新手の敵を警戒するのはきっと正しい。

でも。

左端の1人が構えを取ったところで右足を失ってそのまま倒れ込む。

 

「何が?」

 

テレーズが混乱した声を零すのが聴こえる。

きっとテレーズには残り3人を相手にするために観察する余裕がない。

でも私にはそれがあったし、一瞬だけど黒ずくめの感情を読み取れてもいた。

 

何かが飛んできた。

良く見れば前方で足を失って蹲る者のさらに向う側に新しく小さな穴が出来ている。

小さな小さな手に収まる程の小石くらいの穴。

思い出してみれば、暗殺者がやられる直前に、鳥や虫が耳元を飛び退った時のような風切り音がした気もする。

だとしたら何か目にも留まらぬ速さの物が飛んできた?

魔術か剣術か。判らないけれど……

 

「くそっどうなってる」

「来援は来ない筈ではなかったか」

「判らん」

 

黒ずくめ達の慌てぶりからしても同様に判らない状況なのだろう。

そう思っている間にさらに2人が正体不明の攻撃で倒れた。

残るはあと一人。

状況は五分、いや謎の援軍も入れればこちらが有利かと思った瞬間だった。

 

恐怖の塊。

それが目前に現れる。

教団に巣食う魑魅魍魎も目の前の黒ずくめも霞んで見える存在。

それが唐突に、こちらに背を向けて現れた。

目の前で最後に残った黒ずくめが首を掴まれて持ち上げられる。

 

「なぜこんなことをしている?」

 

低い声が耳朶を打つ。

 

「ヒィッ」

 

黒ずくめはただ呻くだけ。

 

「そ、その者達はおそらく教皇派の暗殺部隊『死の教師』。

 大司教派の台頭を防ぐのが目的かと」

 

テレーズがそう助け舟を出すと、恐怖の塊が振り向いた。

振り向きながら最後の黒ずくめの首が嫌な音を立てて折れ、その場に落ちる。

だが、この際はあまりそちらを気にしていられなかった。

龍の様な鋭い顔付き。

目で人が殺せるのだとしたらこういう目だろうと思ったのは間違いない。

身体が勝手に震え、逃げ出したい気持ちが限界を超える。

 

「フグッ」

「ウゥッ」

 

圧倒的な恐怖が腹の奥へと差し込まれる。

漏らした声から察するにテレーズも同じかもしれない。

それからじんわりともたらされる開放感と不快感。

 

「神子様には手を出させん」

 

テレーズの剣は先端が見て判る程に震えている。

 

「死にたくなくば兜を脱げ」

 

テレーズは動かない。

私は漸く一心地付き、奇妙なお願いをする男の目を覗く。

男は一度こちらをみて、なぜか頷きながら目を逸らすことはなかった。

恐ろしい気配とは無縁の優しい心が走り去る。

そこに敵愾心はない。

 

「テレーズ。止しましょう」

 

私の言葉にテレーズは「神子さま?」と兜の下から戸惑いの声音を寄越すのに対して、「いいから信じなさい。この神子を」と彼女の背後から強くお願いする。

テレーズの逡巡は長くなかった。

彼女は観念したようにおずおずと剣を納め、そして兜を脱ぐ。

 

「ふん……ラトレイア家の。

 詰まる所はあやつの親類縁者という話なのだな」

 

オルステッド様はそう口にし、続いて

 

「神子よ。

 こちらの事情は理解できているか?」

 

と確認をした。

私は咄嗟に彼の瞳の奥まで覗き込み、いくつかの記憶を目にした。

一度、頷いてから

 

「龍神オルステッド様。

 命を助けていただきありがとうございます」

 

と返す。

 

「俺は頼まれたに過ぎん」

 

「ルーデウス様に、ですね?」

 

「そうだ」

 

私達のやり取りからルーデウスの名を聞いたテレーズは「え? え?」と呟く。

細かい事情を知らない彼女が混乱しているとしても、今は説明する場合でもない。

血生臭い場所だけでもない、強い不快感をどうにかしたかった。

そんなこちらの事情を汲んでか、

 

「テレーズ・ラトレイア。

 神子の服に替えはあるのか?」

 

とオルステッド様は話を切り替えてくださる。

 

「ば、馬車の中にあるわ」

 

「そうか。

 ならばお前は逃げ出した馬を一頭探し出して、ここに連れてこい。

 俺の呪いのせいで遠くに逃げてしまっているだろうからな」

 

オルステッド様はそう指示を出してもテレーズはすぐに動かない。

「しかし……」と拘泥したのは護衛の任にあるためだろう。

私はそう察して、

 

「テレーズ、大丈夫です。

 龍神オルステッド様は我々の命をお救いになったのですから」

 

と安心させる。それで十分だったはずなのに、

 

「ふん。

 こいつらの弔いをしたければさっさと馬を見つけてくるが良い」

 

オルステッド様は余計な一言を付け加えてくださった。

 

--

 

オルステッド様に頭ごなしに命令された事に不満があるだろうテレーズ。

彼女はそれでも私のたっての願いを受け入れて大きく指笛を鳴らし馬を呼ぼうとした。

だが残念ながら馬は帰って来る様子がなかった。そうしてこの場から馬を呼ぶのを諦めた彼女は馬を探すべく、だんだんと私から離れて行った。

テレーズが見えなくなった頃、オルステッド様が軽く手を挙げて手首だけをクルリと回す。

それに合わせて横倒しになっていた馬車が触れてもいないのに起き上がる。

何をしたのか判らなかったが、流石だ。

 

「少し話がある。

 手早く着替えて来い」

 

オルステッド様の命に従って不快感の残る服を着替えて戻ってくると、彼は大きな石の上に座っていた。

私も促されるまま近くの石の上に座る。

 

「お待たせ……致しました」

 

ビリビリと感じる恐怖に声が震えるも、「ああ」と応えたオルステッド様は気にした様子もない。

そして続けて、

 

「話の前にどこまでを理解できたか言ってみろ」

 

と私に問うた。

 

「今回、私達を助けたのはルーデウス様に頼まれたからという事。

 教皇の孫であるクリフ様が魔法大学へと通うように仕向けるための作戦。

 魔法大学で学んだクリフ様は貴方様の呪いを抑える魔道具を作ってくださる。

 しかしそのためには護衛役である『教師』を襲撃に乗じて殲滅し、失った教皇が彼を安全な場所へと避難させるよう促さなければならない」

 

「あやつの話の通りならな。

 魔法大学でルーデウスと知り合ったクリフはいつか教皇になるのだそうだ」

 

「それは貴方様が知っている未来とは異なるという訳ですね」

 

「そうだ」

 

「私は権力争いに興味はありません。

 しかし、どうせこのままでは長くは生きられない、ですか」

 

「ふん」

 

「そういえばルーデウス様のこと。

 大きな鳥を召喚し、無理矢理にテレーズを背に乗せて大空高く舞い上がったと。

 テレーズは生涯であれ程怖い目に遭ったことはなかったと話していました」

 

「あの鳥か。

 今日感じた恐怖はそれを超えただろうがな」

 

「呪いでは仕方がないです」

 

「お前はどうなのだ」

 

「怖いです。

 でも恐ろしい人達はこの国に多くおりますから」

 

「そうか。

 ならば本題に入るとしよう」

 

そう言うと、オルステッド様は私の目をしっかりと見た。

するとさらに色々な情報が頭の中を駆け巡っていく。

どうやらオルステッド様は私との会話の仕方を良く心得ているらしい。

全てを見終えて、オルステッド様の『本題』を理解する。

しかし疑問が残った。

 

「なぜルーデウス様は私をお守りくださるのでしょう?」

 

「さて、なぜだろうな。

 思い当たることがあれば、それはお前に読み取られているはずだが。

 どうだ?」

 

「……何も」

 

「それが答えだ」

 

それは事実ではある。

けれど疑問を解消してくれる訳ではない。

と思った心をオルステッド様は読んだように「だがな」と口にする。

 

「助けられた命をどう使うかはお前が決めれば良い」

 

オルステッド様はそう語る。

人に使われるだけの私が自分の命をどう使えば良いのか。

見通しは暗い。

だけど、根拠のない力が奥底で蠢いた。

 

「そうですね」

 

私が笑ってそう答えると、

 

「あぁ」

 

とオルステッド様は頷いた。

 

--

 

会話が終わるまでにそれなりの時間が経っている。

けれど一向にテレーズは帰ってこなかった。

余程遠くまで馬は逃げてしまったらしい。

オルステッド様の恐怖の呪いはそれくらい強い物。致し方ない。

 

手持無沙汰からだろうオルステッド様は穴を1つ掘って襲撃者達をまとめて埋めてしまった。

さらにモンターナ、エルシリア、ロスケロスの3人の遺体は地面の上で手を合わせた状態で横たえられ、その近くにオルステッド様が手ずから打ち捨てられた剣鞘をスコップ代わりに手際よく地面を掘っている。

それは「護衛の者についてはどうするか」と聞かれ、「自分達で埋葬してやりたい」と願った結果だ。

私としてはミリスに持ち帰って正式な弔いをしたかったのだけど、馬車の損傷具合から見ても死体を運ぶことはできない。

それにもし馬車で死体を運ぶことが出来たとしても、今度は自分が歩いてミリシオンに戻らねばならない。

そう考えれば、ここで埋葬してやらねばならないのだろう。

 

穴を掘り終えたオルステッド様はまた先程と同じ石の上に座り、瞑想を始めている。

私は司祭としての訓練は受けていないけど、今までに見て来た経験から見様見真似で3人の護衛を弔った。

あとはテレーズと持ち帰る遺品を選別して、穴に埋めてやるだけだ。

 

それから程なくしてテレーズが馬を連れて遠くに姿を現したところで、座っていた腰を上げたオルステッド様は、別れの挨拶も無しに何処かへと消えてしまった。

 

 

 




ナナホシ
-転移事件から1年と半年
 風邪をひく
 オルステッドは神子の救出へ

★タイトルおよび副題はいずれも『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』からのインスパイアです。

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