無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。


第097話_ナナホシの一年間_ルーデウスの功罪

--- たった一冊の本が自分の生き方を変えてしまう事がある ---

 

「さて、どうしようかしら」

 

バケットクーパー邸が見えなくなるところまで来て、漸く立ち止まった私は仮面を外しながらそう呟いた。

オルステッドはこれで門前払いされないと言っていたけれど、そう都合良くはならなかった。

頭の隅では本当にそうなるのだろうか、いやそれでももしかしたらという気持ちではあったのだけど。

応対にでた執事と話している間に、自分の言っている事が相手にとっては受け入れ難いと理解できてしまった。

オルステッドは本当にあの家の当主の命を助けたのだと思うけど、こうやって恩を返せと言ってくる輩が現れても困らないようにするのはおかしい事じゃない。

もし明るみに出ても、さっきの執事に責任を押し付ければ良いのだし。

 

門を1つ潜って中級市民街に戻ると、そこは賑やかな街道の始点であり終点でもあるらしい。

有名な商館が立ち並び、石畳で舗装された区画は自分が住んでいる下級市民街と比べると別世界だ。

元いた世界で言えば、所謂ビジネス街的な物なのだろう。

そして商館が途切れるとそこからは店を構えた商店が次の門まで続いていた。

 

やろうとしていた事が空振りに終わって、今日は時間がある。

口に出したように、これからどうすれば良いか。

結論の出ない悩みは宿を遠ざけ、歩みはどんどんとゆっくりになっていたかもしれない。

そうして辻の角に佇む商店の前で私はふと足を止めた。

あるのは明らかに他よりもおしゃれで見覚えのある商品ディスプレイをした1軒の雑貨屋だった。

 

ピンと来るものが有った。頭の中には事典に描かれた地図とそこに示された4つの点が思い浮かび、今日持ってきた地図と現在地が重なる。

軒下に吊り下げられた看板を確認すると、『ルード商店南支店』とあり、名前も本で見た通り。

ここはルーデウスの書にあった場所の1つ。もらった本を読み終わったら次の本をくれるとか。

てっきり本屋と思っていたけれど雑貨屋だったのね。

 

予定していなかったけれど、手ぶらで帰るよりは良いわよね。

なんて考えている内に、一人また一人と女性客が入っていく。

釣られて入ると、中には薄っすらとお香の匂いが立ち込め、食器や石像が並ぶ。

そしてキャッシュカウンターの横には本棚があり、何種類かの本が整然と収まっていた。

くれると書いてあった本はどれだろうか。

 

「何かお探しですか?」

 

話しかけてきたのはキャッシュカウンターに立つ者だった。

この店の主かもしくはバイトかは判断が付かない。

服装は違うけど、第一印象は冷たい感じで先程出会ったバケットクーパー家の執事とよく似ていた。

 

「貰った本にね、書いてあったのよ。

 ここに続きになる本があるって」

 

「ふむ。

 もしかして、それはどなたかに頂いた本ではありませんか?」

 

「ルーデウス・グレイラットって人がくれたわ」

 

そういうと後ろに居た客の何人かが騒めいた気がする。

 

「失礼ですが、お名前をお教えいただいても?」

 

「私の?

 ナナホシよ」

 

「貴方の風貌、髪の色、聞き及んでいる通り。

 ただ、主人からは『間違いがあってはならない』と言付かっております。

 大変恐縮ですが、ご本人だと確認できる物があればご提示いただけないでしょうか」

 

「そんなもの……もってないわよ」

 

「でしたら、ルーデウス様から贈られた本を持って来て頂ければと思います」

 

「あぁ、そうなの。

 それならまた今度来るわね」

 

「申し訳ございません」

 

「いえ、良いのよ。

 むしろね」

 

私の言葉が理解できないようで店員は不思議そうな顔をする。

複雑なの。ごめんなさいね。

と心で謝ってから「気にしないで」と告げて店を出る。

 

家路を急ぐために私は駆け出した。

今のではっきりした。

そうなのよね。

転移して最初の出会いが異常だったせいで勘違いしていた。

『私はナナホシ・シズカ。異世界からやって来た女子高生よ』なんて言って誰が信じてくれる? オルステッドとルーデウス・グレイラットだけよそんな人は。

当然、『龍神の代理だ』なんて言っても駄目。

門前払いもされるし、確認のために本を持って来てくれと言われてしまう。

私の言葉は一冊の本よりも信憑性が薄い。

そんな風に思うのは相手が失礼だからじゃない。

この世界の常識は自分の知っている物とは大きくかけ離れているけど、こういう所は同じってこと。

それはヨハンの笑顔にも繋がっている。

 

なら、ちょっと遠くの外国だと思ってみるのはどうだろうか。

そこに住んでいるのは同じ人間。相違点があるといっても全部ではない。当然に共通点もある。

他人の恩に着せてやってきた異邦人が事業で失敗したら、貴族は簡単に見放すのでは?

それは私が生きて来た人生経験からだって類推できそうな事だ。

だったらその一回は大事にしなければいけない。

成功する確率を上げておかなければいけない。

無謀な賭けに打って出るのに、レシピを書いて用意しただけでは準備が全然足りていない。

一度信用を失えば、噂は広まってこの国で活動することが難しくなるかもしれない。

 

それでは駄目。

うん。今日のことはこれで良かった。危なかった。

もしお屋敷で話が通ってしまって事業を始めていたら、無謀な賭けをする所だったかも。

 

想いが頭を巡る内に宿の自室へと到着する。

さっきは『また今度』と言ったけれど、早いに越したことはない。

さっきのレジ打ちが別のバイトになっていたら、また話が通じないかもしれないし。

そうだ今から行こう。

私は本を手に部屋を飛び出した。

 

再びルード商店へと到着する。

事典を見せると、先程と同じレジ打ち係の男が本棚から1冊の本を取り、私に手渡してきた。

男の話では、それは国語の教科書みたいなものらしい。

 

「ナナホシさん」

 

「はい」

 

「主はいつでも力になると言っておりました。

 何かお困りの際は当店へご相談ください」

 

「お心遣い感謝します」

 

宿に戻ると、本をサイドテーブルに置いてから指輪を外してケースに片付ける。

外着の服は後で食事のために階下へ行く都合上着替えず、ベッドに腰かけて再び手に入れた本を膝へと持ってくる。

その本を開く直前、何気なくしかし何かに誘われるように表紙を撫でる。

昔からの癖ではない。

記憶を遡ってもこんなことをしたことはない。

 

撫でた後になって考えてみると、きっとそうしなければならない心理的状況に自らがあったのだと思う。

なぜなら、表紙を撫でた途端、ある種の想いが実感として身体を貫いたから。

だからこそ考えてしまう。

 

今日は他人の言葉を根拠なく信じた結果、小さな失敗を1つしでかした。

でも大事には至らなかったと思う。

そのお陰で用意されていたクエストを1つ達成できた。

転んでもタダでは起きない。失敗を糧に私は成長する。

 

龍神もルーデウス・グレイラットも私よりも遥かに長い時間、深く考え、行動している。

彼らと付き合っていくのなら、私はもっと成長しなければならない。

ぽっと出の女子高生如きが何でも上手くできるはずがないんだから、失敗を恐れずに挑戦し続けなければならない。

 

心の中で1つの決心がついた気がした。

 

--

 

「ねぇ、ヤコブ」

 

いつものように客の居ない食堂で本を読み、ヨハンが床掃除を始めた頃合いで私はヤコブに声を掛けた。

 

「なんだい?

 ナナホシさん」

 

「今度、厨房を使わせてもらえないかしら?」

 

食器を洗う手を止めずに相槌を返す彼に私はそう提案してみせた。

 

「ナナホシ、料理できるの?」

 

ヤコブが応えるより先に会話に混じってきたのはヨハン。

ヤコブは手を止めて顔を上げただけですぐに拒絶はされなかった。

 

「うん。まぁ一応ね」

 

「へぇ」

 

「だけど、かまどは使ったことがなくて」

 

「厨房を使う上に、かまどの使い方を手ほどきして欲しいってことか……」

 

今度はヨハンに返した言葉に反応したヤコブ。

その顔には難しいと書いてあった。

そこでカードを1枚オープンする。

 

「外国の料理に興味はない?

 味見させてあげるわよ?」

 

そう笑顔で言った先はヤコブではなく、ヨハンだ。

しめしめ。

反対しようとしている者を説得するより、興味を抱いている者を説得する方がまだ簡単だろう。

 

「マジ?

 兄ちゃんが駄目って言っても俺が手伝ってやるよ!」

 

予想に違わない反応。

 

「おい。ヨハン」

 

「良いじゃん。

 ナナホシは上客だろう?

 俺がかまどの掃除もするからさ」

 

「仕事が全部終わった後だぞ?」

 

「ヘイヘイ」

 

ただ黙々と見ているだけでヨハンがヤコブを説得してくれた。

矛先を変えたのが功を奏したんだろう。

 

「それとナナホシさん。

 多めに宿賃を頂いてますから文句はありませんが、あまり目に余るようなら止めてもらいますからね」

 

「ええ。

 それで結構よ」

 

かくして交渉は成立した。

条件付きだけど、それは無条件よりも余程やり易い。

ヤコブは私に期待してはいない。

だからこその条件。

何かがあったら辞めさせられる事ができるようにと。

その状況で巧く事を進めることができたなら、きっと彼は一番の協力者になってくれるだろう。

 

「ナナホシ。どんな料理を作るんだ?」

 

「最初はカレーか鳥のから揚げでも作ってみようかな」

 

「ケリー?

 聞いたことないけど」

 

「ふふふ。

 それは作ってみてのお楽しみね」

 

--

 

「さぁ召し上がれ」

 

そう言って、私がレタスに似た食材の上に鶏のむね肉ともも肉を油で揚げた……そう鳥のから揚げを山盛りにした皿を差し出した。

許可を得た少年の1人は目の前の茶色い物体を口に放り込むなり、その熱さに口をパクパクとさせる。

きっと口の中はヤケドで暫く苦しむことになるだろう。

 

「熱いから気を付けて」

 

「おほいよ」

 

テーブルに置いた水瓶から木製マグカップに水を注ぎ、持ち上げるが早いか口をコップに持って行ったのが早いかどちらとも形容しにくい動きで口内を消火せしめたヨハンが嘆く。

そんな彼の隣には彼の兄ヤコブが同じように座る。ただ何分にも彼は冷静だった。

 

「これは……。

 うん。美味しいね」

 

同じ嘆きといってもこちらは感嘆が漏れた。

一口かじり、かじった中をまじまじと見つめながら今、自分が食べた物の味を楽しんでいるよう。

それは試食会としての正しい行いに違いない。

 

「今回のは、お気に召したみたいね」

 

「とても。

 これならきっと商売になるよ」

 

「ヤコブが言うのなら自信を持っても良いのかしら。

 でも慎重に事は進めなきゃ」

 

「ナナホシは臆病だなぁ。

 お貴族さまどころか、国王さまだって食べにくるかもしれないってのに」

 

「それはきっと言い過ぎよ」

 

「そうかなぁ」

 

位の高い人という人種はどこでそれが食べられているかというのにも気を配るらしい。

歴史小説だったか、映画だったか、とにかくどこかで学んだこと。

下級市民街で食べられている物がたとえ美味しかろうとも、それは王侯貴族の食べる物と認識しないという話だ。

 

「それにヨハンが否定するなら、まだ早いみたいだし」

 

「なんだよそれ」

 

ひとしきり笑いあって

 

「だったら、(うち)の料理で出してみたらどうかな?」

 

そう提案したのはヤコブ。

だったら、というのは私が鶏のから揚げを使って商売をしないといった事に対する接続詞だろう。

一応、飛びついてみたりはしない。

少し考えるフリをして、「そうね」と呟いてみる。

上手く行くかどうか、失敗したらどうなるか。

 

「お店の迷惑にならない?

 何かあっても私は責任が取れないんだけど……」

 

そこで言葉を区切る。

「大丈夫。大丈夫」というヨハンは横に置いて、ヤコブの表情を窺うと彼は「そこまで言うならコースメニューの一品として出して様子を見てみようよ」とより具体的で慎重な案を提示してくれた。

 

願っても無い話だ。

破顔しそうになるのを抑えて「まぁそれなら……」と同意する。

すると、「じゃぁ決めないといけない事があるね」とヤコブ。

取り分の話だろうかと頭を巡らせる。

材料費と買い付けの手間、下ごしらえをするための台所の使用料、売れ残りの処理費用、確かに考えることは沢山あって、本来なら契約書を取り交わす事になるんだと思う。

でも、私にはきっと信用がない。

信用がないはずの私を彼らがここまで信じて協力してくれるなら、貸しを作るくらいのつもりでいる方がきっと良いだろう。

そんな想いが次の言葉を吐きださせる。

 

「良いわよ。お代は先行投資にするわ」

 

しかし、ヤコブは「そうじゃなくて」と否定する。

なんだろうかと考えながら黙っていると、「メニュー名だよ」と彼は言った。

ヨハンも隣で「売れる名前にしないと!」とはしゃいでいる。

暢気(のんき)な2人の言葉に私は少し馬鹿らしくなってきて

 

「料理の名前?

 それなら『鳥のから揚げ』よ」

 

と少し投げやりに返すと、

 

「えぇー。そんなのそのままじゃん!」

「インパクトに欠けるからナシかな」

 

と2人は納得しない。

 

「そこまで言うなら何か良い案を教えて?

 それにするから」

 

うーん。と手を組んだヨハン。

彼がハッと顔をあげると元気よく口にした。

 

「ナナホシ焼き!」

 

いや、それはない。

秒速で否定しようとしたけれど、必死さが足りなかったかもしれない。

 

「それいいね」

 

先にヤコブが満足気に同意する。

「だろー?」などと返すヨハンはいつもなら怒られる処で褒められてさぞ嬉しそうだ。

 

「え、待って。

 嘘でしょ。自分の名前を付けるのなんて恥ずかしいわよ」

 

こういう恥の文化がこの世界には無いのか。

と思うものの、

 

「良いじゃないですか。

 名前が売れれば他の料理も売れるはずだよ」

 

と言われてしまえば確かに名前は売れる。

待って、今後この名前で生活するべきかどうか。

ちょっと考えなくちゃならない。

 

--

 

転移から半年。

私は異世界で毎日200個のから揚げもといメニュー名「ナナホシ焼き」をせっせと作っています。

味も好評でディナーセットの一品から単品メニュー化。

作れば作るだけ売れるので、少しずつ貯金も出来ています。

 

と、誰に送るでもない近況報告は終りに。

ちなみに「ナナホシ焼き」はフライドチキンであって所謂、日本でいう所の伝統的な鳥のから揚げではない。

塩と胡椒で味付けして衣を付けて揚げる。そういう食べ物。

たまには日本で馴染み深いそれも食べたいのだけれど、残念ながら醤油が手に入らないのでそれは難しい。

北方ではそれに類似した物があるらしいと事典にはあるけど、お金があれば何でも手に入るはずのアスラ王国の首都アルスでさえ醤油はない。というのも、醤油を作っている国とは街道で繋がっておらず、また醤油を飲み物として扱っているために需要も皆無で輸入されることがないということだ。

醤油はルーデウス・グラットが経営するルード商店で輸入販売する予定と書かれているのでそのいつかを待つことにしたい。

 

そうそう。そのルード商店。

私は月に1度はそこに買い物に出かけ、石鹸や各種洗髪用品を購入する。

料理を出すお仕事ということで身綺麗にしておくことを心掛けるようになったのもあるし、揚げ物作りを小一時間もしていると身体に油の匂いが付くせいでもあるし、かまどの(すす)の臭いが纏わりついて眠れないという面もある。

 

ルード商店でそれらが売っている事に気付いたのは、事典の中でルーデウス・グレイラットが石鹸の作り方を紹介しているのを見た時だ。日本語が達者なだけで彼が日本人なのか確証はなかったのだけれど、彼はかなりの風呂好きのよう。

やたらとページ数を割いて熱心に書いていたし、それを商品化したと書いてあったのだ。

そしてあの風呂に対する情熱からしてやはり彼は元日本人らしい。

あの風貌だと日本語の流暢な外国人枠のタレントさんに見えて仕方ないのだけど。

 

話を戻して、私はそれらを使っている。ただし、それなりに値の張る商品だ。

私のビジネスの利益を逼迫していると言って過言ではない。

そもそもビジネスに必須な食用油も割高なので何か工夫をしないと、一日中こればかりするハメになる。

それでは本末転倒だ。

 

だから私は考えている。

取り得る道は2つあり、料理を自分で作り続けるか他人に作らせるか。

 

自分で作り続けるには、単価を上げるか調理時間の短縮を目指せば良い。

そうすれば同じ利益を上げつつ、元の世界に帰る時間を創出できる。

 

単価を単純にあげても結局は売上が落ちてしまうので、高級志向を目指すというのは一つの手だ。

私が取引をしようとした貴族達に高値で売る。むしろ安い物よりも高い物を好む人達には高値にした方が売れるだろう。

だがそれは無理だと判らされている。

 

一方で、調理時間の短縮というのは基本的には調理器具の開発という事になると思う。

フライドチキンに限って言えば、てんぷら鍋や油きりが重要になる。

どこぞのファーストフード店のように揚げるポテトを引き上げるような仕組みを作れば揚げ物が底に沈んでいくのをずっと見る必要が無くなり、並行作業が出来るようになる。

 

もしくは思い切って他の料理ならどうか。

ルーデウス・グレイラットが残した食材リストと記憶にあるレシピから別の料理を作ってみたけれど、泡だて器や秤、それに生地を休ませるための冷蔵庫がない。当然ながら氷もないので冷やしながら造る系もダメということが判って来た。

 

そして一番厄介なのはかまどの扱いだ。

とにかく温度管理をするのが大変なので薪をくべる手間を何とかしたい。

カレーやシチューのような煮込み料理は一度に大量に作って作り置きが出来るので良いと思えたけれど、作るのが元居た世界とは段違いに面倒になる。薪じゃなくて炭ならまだマシなんだけど、火魔術があるせいでそういったところが発展していないのかもしれない。

どちらにしても自分ではどうにか出来る案件ではなさそうに思う。

 

自分で無理なら他人に道具を作らせるという方法はあるけれど、それは他人に料理を作らせるのと本質的に同じだと思う。

結局は信用がなければ道具ないしレシピを持ち逃げされて終りという事になりかねない。

 

ふぅ。

考えた事を書類にまとめ終えて、ベッドに倒れ込むと天井を見て思う。

計画の第一目標は、そこそこ有名になること。

手持ちのお金の量がどれだけ有名になったかを表している気がする。

正しいかは判らないけど、だいたいアスラ金貨100枚を貯金することを目標にしたらいいだろう。

かなりの大金だけど、それくらい有名になっていればどこかの商人の目に留まると思う。

そうしたらとても私一人では販売できないような料理のレシピを教えて、人を雇ってそれを売る。

調理器具の開発だって任せられるかもしれない。

 

それは夢のような話だ。

誰からも声が掛からないっていう可能性だって高いし、上手くいくか正直自信はない。

けれど元居た世界に帰るためにはやらねばならない。

ルーデウス・グレイラット視点で前世の私はそれを上手くやったらしい。

料理と裁縫と学習用具の分野とは書かれている。でも、どうやって信用を築いたのかは不明。

残念ながらその部分は事典に書かれていない。

 

 

……なんで上手く行かないんだろう?

前は上手く行って、今回はそうじゃないのってどうして?

 

前回はルーデウス・グレイラットの事典も無かったはずでしょ?

前回の方が私は右も左も判らない筈。

 

もしかして。

前はオルステッドが貴族のお屋敷に付いて来てくれたのかな。

だってあの事典がなければ私は言葉を覚えるのに苦労したはずだし……。

 

『いいえ、そもそもよ』

 

久しぶりに自分の口から日本語で独り言がこぼれる。

なんだか久しぶりに日本語を発したおかげか、想いがゆっくりと歩きだす。

 

そもそも前世の私はどうやって言葉を覚えたのだろうか。

オルステッドが教えてくれた? いや、やるべきことのあるオルステッドがそこまでしてくれるとは思えない。

ヨハンが私を他の国から来た人だと言ったように、この世界の中での外国には別の言語があり、それを勉強する方法が用意されているはず。

 

家庭教師か学校かそれとも独学のための本か。

視線の先にはルーデウス・グレイラットが用意した2冊目の本。

あれじゃなくて……。

 

--

 

歩いていく先には学校の門。

今は開かれている門にはよく似たでも微妙にまとまりのない服を着た金髪の少年少女たちが吸い込まれていく。

優に背丈の3倍はあろうという立派な門柱が両の脇に立ち、そこから高い塀が続き、伸びる蔦が色どりを添える。

こちらから見て右手の門柱の中央付近には人間語で『王立学校』と彫られたプレートが埋め込まれ、ここが何かを端的に教えてくれていた。ちなみに、文字は横書きだ。

また柱の傍にはそれぞれに金属の胸当てを身に着け、帯剣した男女が直立している。

 

私の通っていた学校とは細部に多くの違いがある。

話しにだけ聞く、私学の付属学校に近いだろうか。

それでも学校は学校だ。

雰囲気は自分の良く知るそれと変わらない。

そんな感想と共に、自分も半年前まではごく普通に女子高生をしていたんだと思い出して噴き出しそうになった。

 

そんな想いで通学風景を眺めていると、先の歩哨―左手に立っている女性の歩哨だ―と目があった。『ここに無断では入ることはできない』ということを厳しい目つきで物語ってくれている。

うん。次に行こう。

そう考えて、右向け右をして徒歩や馬車で登校してくる学生の流れに逆らって道なりに歩いていく。

 

アスラには4つの区画がある。スラム街を加えれば5つだけど。

そこを隔てる4つの巨大な塀は中央にあるシルバーパレスから少しだけ歪な同心円を描くことで各区画を環状に形成していて、それぞれの区画には区画内を行き来するための環状道が走っている。

今、私が歩いている道も下級・中級の貴族と騎士の区画に作られた環状道の一つだ。

下っ端でも貴族級が住む区画とあって、馬車が行き交うそれなりに大きな道と石畳で舗装した道路が用意され、市民街のように馬車馬の糞が落ちている事も無く、非常に清潔だ。

 

道沿いに歩き続けることどれくらいだろうか。

貴族の建物が居並ぶ中、それらが小さく見える程の巨大な建物が目に入る。

今日の目当てはここ。

ちなみに上級貴族の屋敷は塀の向こう。この区画に一つ格上の屋敷はない。

外構にはどの屋敷にもあるような門扉が無く、歩哨も立たないこの建物。

また盛り土が為され、入り口に勾配を付けた事で庭にある木々を越えて建物の全容が良く見える。

それらもこの区画では奇異な存在を感じさせる特徴だろう。

 

その敷地へと踏み入る。

先程と違って歩哨が居ないのでスムーズだ。

馬車停め用の屋根付きのアプローチから両扉の入り口を抜けて入った玄関には横手に1つの受付が待っていた。

その先には三方の通路とやや螺旋に上る階段。

独特の匂い。

 

「王立図書館へようこそお越しくださいました。

 当館のご利用は初めてでございますね?」

 

そう呼びかけて来たのは受付係の男で、男が言うようにここはアスラ王国が有する一般に公開された図書館だ。

そんな男の質問に「はい」と返事をして「では、こちらへどうぞ」と促されるままに受付へ歩いていく。

 

「まずは身分証のご提示をお願いします」

 

そう頼んでくる受付係は背筋をしっかりと伸ばし、白いシャツの上着の上に袖無しのダークグレイのチョッキを纏い、実にシックな出で立ちだ。

そんな感想を抱きながら胸ポケットから、この半年の間に何かの為と用意しておいた魔術師ギルドのギルドカードを差し出す。

差し出したカードを受付係が受け取り、何らかの魔道具に内容を読み取らせるのを見て、『こういう部分だけはなぜか文明が発達してるのよね。まるでQRコードリーダーみたい』と心の中で考える。自分のビジネスでもこんな感じでキャッシングできたら便利なのに。あれってたしか龍族のオーバーテクノロジーらしいからオルステッドに話してみようかしら。

 

「ありがとうございます。

 ナナホシ様。当館のご利用に際しまして注意事項がいくつかございます」

 

受付係がギルドカードを返してきたのを受け取って、同じ所に戻しつつ注意事項を漫然と聞くことにする。

曰く、本は高価な物なので丁寧に扱うこと。

曰く、返却の際には損壊状態を確認するので本棚に戻さずに返却口へと持参すること。

曰く、帰りの際には盗難防止のためにボディチェックを受けること。

曰く、貴族の利用者が多いので他の利用者との対応には気を付けること。

 

本が高級な世界というのは大変だなと。

しかし最後に受付係はトンデモナイ事を付け加えた。

 

「損害の際の補償金として事前にアスラ金貨15枚をお預けください。

 また当館は王室と貴族の皆様の寄付によって運営されてございます。

 先程も申しましたが貴族の皆様に御無礼の無きように重ねて申し上げます」

 

え?

アスラ金貨?

何枚?

 

「あの……」

 

「ちなみに1階にある物は殆どが写本でございます。

 中には写す過程で若干の変更や間違いのある場合がございます事、ご了承いただきたく思います。

 もし原書の閲覧をご希望の際は上階の書棚をお探しください。

 ですが、原書は当然ながら希少性が高くなりますので各階受付にてさらに追加の補償金をお支払い頂く必要がありますのでご注意願います」

 

私が口を挟もうとしても受付係は予め決められた文言を滞りなく進めていく。

 

「すみませんが、1階を利用するのにアスラ金貨何枚が必要と言われましたか?」

 

クラクラする頭を何とか巡らせてそう質問すると、

 

「アスラ金貨15枚にございます」

 

受付係は私の質問に淀みなく答えた。

その表情は変化していないのだけど、だからこそ彼の心中をしてこう告げていると訴えているように見える。

『アスラ金貨15枚の持ち合わせがございません場合には、大変申し訳ございませんが当館のご利用を許可できません』と。

私の濁った心はそう彼が言うのを聴いた。

いや、実際には言ってはいないんだけど。

 

でも15枚か。

ルーデウス・グレイラットの写本は一冊アスラ金貨8枚。

それを考えると妥当な値段設定なのかしら? 少し高い気もする?

 

「預けるだけで返してくれますよね?」と質問すると、「次回の利用時のために預けたままにも出来ますので、ご帰宅の際に必要でしたら御引き出しください」と返された。

口振りから利用者の多くは預けたままにするみたい。

アスラ金貨15枚。アスラで家を持っていたとしても生活するなら月にだいたい銀貨8枚は必要と聞く。

20か月弱分。一般市民ではとてもではないが気軽に利用できない場所ね。

手持ちギリギリだけど、毎日のフライドチキン販売で貯金した甲斐があったということかしら。

 

「判りました」

 

それからなけなしのお金を預け、自分が人間語を勉強した方法について調査を始めた。

 

 

 




ナナホシ
-転移事件後
 ドナーティ領の町へ行き、服と靴を着替える
 アルスへ行き、下級市民街の宿屋に寝泊まりする
 人間語を学習する
 オルステッドに3つの指輪を貰う
 バケットクーパー家を訪れるが門前払いされる
 ルード商店で新しい本を貰う←New
 ナナホシ焼きの開発←New

-転移事件から6か月
 王立図書館へ←New

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