無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。


第095話_妹達の新学期

--- お父さんは何をしている人? ---

 

相変わらず誰も居ない部屋にて。

 

「因子、運命の。

 揺らぎをもたらす物」

 

老人の独り言。

癖なのだろう。

 

「我らの未来にどれほどの影響があるか。予測がつかぬ」

 

老人は玉座の横に据え付けられた机に身体を向けた。

その上にある紙束に何事かを書き記すために。

それが終わると、じっと考え事をして動かずに長い刻が過ぎていく。

 

--

 

月と星の明りが弱々しい陰影を織りなす部屋で小さく星が瞬くと、それに応じるが如く老人が再び動きだす。

 

「ふむ……。

 確かに『改良は任せる』と言われた。

 不完全なる恩寵。神のご期待……か」

 

言って老人は紙束に何事かを書き付ける。

それが終わると老人はまた目の前にある異形の望遠鏡を覗き込んだ。

 

彼は気付かない。

ローブがひっかかり紙束の1番上にあった紙が1枚、床へと落ちていった事を。

 

『なぜ未来は我が手より零れ落ちる。

 魔術が不完全であるがために、錯誤した未来が見えているのか。

 未来のヴィジョンが正しくとも解釈に誤りがあるやもしれぬ。

 ……それとも魔術が示した事象を改変する揺らぎ因子の存在が』

 

落ちた紙にはそう書かれていた。

 

 

--ルーデウス視点--

 

シャリーアから南西に5日の場所にある巨大な木々が立ち並ぶ場所。

ルーメンの森。

葉を落としきった木は邪魔することなく、淀んだ鼠色の空がもたらす雪を大地へと積もらせている。

大樹の露出した根が天然のダンジョンを形作るこの場所は、さらに白化粧を纏った事で遠近感を失いその危険性を否応無く増している。

とてもじゃないが生物の気配はない。

 

グリーンベレーボアやホワイトクーガーといったこの辺りに生息する魔物も出てくる気配がないのは、腰の高さまで積もった雪が相手では彼らの狩りにも支障が出るからだろう。

そんな雪の上を俺は歩いていた。

L字の腰掛けを背負い、重力を制御して埋もれずに。

背負った腰掛けは無人ではない。

顔を見ることはできないが、背中合わせで座ったデネブが周囲を探索しているはずだ。

 

「この辺りお願いできる?」

 

背中の声をきいて露出した根の上で立ち止まり、魔力を高めて周囲の温度を上げる。

すると丸くくり抜いたように周囲一帯の雪が溶けていく。

だが、湯気を上げて消えた後には巨大な木の根の続きと濡れた大地が顔を出しただけだ。

探し物は見つからなかった。

 

「ないですね」

 

「そう。

 次を探すわね」

 

「よろしくお願いします」

 

俺はあてども無く森を歩き、時にデネブの指示で右へ左へと歩を進める。

さらに小一時間を費やしたところでデネブが奇妙な声を上げた。

 

「んんー?」

 

「どうしました?」

 

「なにかこの辺り変ね」

 

「別段、おかしな所はありませんが」

 

「何て言えば良いのかしら。

 目に映る景色と頭の中で見えてる起伏があまりにも違うのよね」

 

頭の中で見えている?

デネブの能力か、それとも長耳族の感性か。

判断は付かないが面白い表現をする。

 

「なるほど。

 それは……怪しいですね」

 

デネブの曖昧な、それでいて期待せざるを得ない表現に、幾度となく繰り返した手順で手早く雪をどけると、そこに見えたのは一本の石碑と不自然に後ろに居並ぶ雪を被った木々。

ビンゴ。

俺は石碑の手前まで辿り着くと、そこでデネブを降ろす。

 

「見つかったのかしら?」

 

「ええ」

 

横に並んだデネブは長い時間座っていたせいか、ほとんどついていない尻肉を揉み解す様が見える。ジロジロと見てはいけないと思いつつ視線を彷徨わせると、

 

「それで? 七大列強の石碑でしょう、これ」

 

とデネブ。

 

「そうですね」

 

俺は短く答えたものの、まともな返事ではなかったというのは理解している。

それでもそうしたのは説明するより見てもらった方が早いからだ。

デネブがさらに何かを言い募る前に俺は呪文の詠唱を始めた。

 

「その龍はただ信念にのみ生きる。

 広壮たる(かいな)からは、何者をも逃れる事はできない。

 二番目に死んだ龍。

 最も儚き瞳を持つ、緑銀鱗の龍将。

 聖龍帝シラードの名を借り、その結界を今うち破らん」

 

音声認識した石碑が魔力を飲み込む。

目前の生い茂った木が空間ごと歪んで消え、代わりに現れたのは石造りの建物。

 

「これは……。

 何なの? 迷宮の入り口?」

 

「龍神の使っている転移魔法陣の遺跡です」

 

「ということはどこかに繋がっているということなのね」

 

「転移先はベガリット大陸ですよ」

 

そう告げて一階建ての石造りの建物の中へと入って行った。

デネブに4つある部屋を案内して、最後の部屋にある階段を降りる。

降りた先にあるのは説明したばかりの転移の魔法陣だ。

 

茫と光る転移魔法陣の前でデネブが口を開いた。

 

「やっぱり変よね?」

 

「何がです?」

 

「ルディちゃんって転移魔法陣を自作できるみたいだし。

 行先を知っているなら、私に手伝わせてまでここを探す必要性はないわ」

 

「あぁそういう。

 実は転移魔法陣の方はついでですよ」

 

「?」

 

「この隠蔽の結界がデネブさんの研究室を隠すのに丁度良いと思ったのです」

 

「でも、その結界は解除してしまったじゃないの」

 

「結界は石碑に仕込まれた魔道具によって常時発動するタイプなので少し時間を置けばまた効果を発揮します」

 

「だとしたら問題無い訳か。

 だけどルディちゃんが使っている研究室を使わせてくれても良かったわよね」

 

「デネブさんは協力者で禁忌である転移魔法陣の秘密の共有者でもありますが、お互い研究者として見せられない部分もあるのだと僕は考えています。

 いくつかお願いしたい事はあっても線引きは必要ではありませんか?」

 

「ふふふ。

 私はルディちゃんと共同研究っていう形でも構わないんだけど(ちらッ)」

 

「……止しましょう。

 僕の方は公開できない物が多くありますので」

 

「まぁそうよね。

 ロキシーちゃんが優秀といってもルディちゃんの知識は破格に過ぎるもの」

 

俺は何も答えなかった。

デネブもそこの駆け引きをしようと思っている訳ではないように見える。

デネブが腰に手を当てた。

 

「よしっ。いいわ。

 ここを改築して研究室にしろってことなのよね」

 

「そうですね。

 入り口から既存の転移魔法陣までは今まで通りにしておいてください

 それと、もし寒くて使いづらかったらベガリット大陸側に研究室を建てて頂いても構いません。

 ただ……」

 

「ただ?」

 

「お願いしたい事があります」

 

「断るつもりはないし、そんな立場でもない事は判ってるけど。

 聞いてから判断させてもらってもいいかしら」

 

「もちろんです」

 

「言ってみてちょーだい(ウィンク)」

 

「先程の石碑に仕組まれた魔道具の研究をお願いしたいのです」

 

「常時発動型の隠蔽魔術、か」

 

「可能であれば再現をお願いします」

 

「コピーを作れというの?」

 

「そうなりますね」

 

「ちゃんとした成果が出るかは保証できないわ」

 

「構いません」

 

「ならオーケーよ」

 

「ありがとうございます。

 では今日はもう帰りましょう。

 研究室の作り方などは明日以降にお話しさせて頂きたいと思います」

 

「ちょっとお待ちなさいな」

 

「まだ何か?」

 

「……ルディちゃん忙しいのよね?」

 

「まぁ、やりたいことは結構あります」

 

「なら、研究室の建築はこちらでやっておくわ。

 カボちゃんと話して、何人か人形を手伝わせることになるけどいいかしら?」

 

ふむ。悪い話ではない。

よく考えてみれば大森林にあった建物は彼女とカボット人形で作ったに違いなく、ノウハウがあるのだろう。

 

「構いません。

 建築資材で必要なものがあれば気軽に申しつけてください」

 

「助かるわ」

 

「くれぐれも今の魔道具を壊さないでくださいね」

 

この後、俺は既存の転移魔法陣とは別に地下室を掘ってルード商店ラノア支店とここだけを繋ぐ独自の転移ネットワークを形成し、間にマリアを挟んで魔力結晶を交換できるようにしておいた。

ルーメンの森は魔力濃度が濃い場所だが、ベガリット大陸との双方向転移魔法陣の維持と隠蔽するための結界にどの程度の魔力を必要としているかは不明なので、シャリーアへの転移装置のためのイーサは設置しなかった。

 

--

 

雪深い魔法都市シャリーアの郊外に、真っ直ぐに一本の除雪された道が伸びる。

その道の終着点も大きく除雪された正方形の土地になっていた。

そこに4つの人影がある。

俺とロキシー、エリス、アイシャ。

いずれも防寒のためにモコモコの毛皮のコートをしっかりと着込み、除雪された土地の(きわ)に円陣を組むような距離で顔を付き合わせている。

 

「では、始めます」

 

白い息を吐き出しながら開始を宣言すると、白い靄が消えるのに合わせるかのように他の3人がそそくさと距離を取った。

既に俺の手には数枚のスクロールが握られている。

安全な距離が取れたことを確認して屈み込み、スクロールを地面に並べる。

それから、やおらに1枚のスクロールに手を重ね、魔力を込めた。

 

スクロールに描かれた魔法陣。

その魔法陣が薄青色に輝くのは魔力で満たされた証だ。

そして何も起こらずに輝きが消える。

 

次のスクロールへ。同じ動作で魔力を込める。

魔力がグイグイと吸い込まれていく。

また何も起こらない。

同じことの繰り返し。

 

最後の1枚。

スクロールには2つの経路があり、一方の経路が描く紋様は今までの『水弾』に少しアレンジを加えたモノ、もう1つの経路は2つの機能部品を経て、先の経路の出口直前に合流するよう描かれた紋様をしている。

それぞれの入り口に左手と右手を添え、左手から充填すると、魔法陣は強く輝いた。

その輝きが収まって直ぐに音も無く前方の空中に『水弾』が現れた。

さらにタイミングを合わせて右手からも魔力を充填する。

途端に右手側から延びる経路が結んだ2つの機能部品に魔力が満たされて……

 

全てが終わった後、『水弾』に変化が生じた。

それは巨大化し、大きさの変化が収まると前方へ猛スピードで飛んでいったのだ。

巨大な『水弾』が雪に覆われた林の方へと消える。

 

ゴォォォォォン

 

『水弾』が林に激突。

盛大に粉雪を巻き上げ、林をなぎ倒し、地響きを上げた。

ワンテンポ遅れて雪を含んだ衝撃波が髪をたなびかせる。

見守る4人。

世界は静寂を取り戻した。

 

「思ったよりも凄いわね」

「成功ですね」

 

エリスとロキシーが感想を述べた。

その声を聴きながらも無言で立ち上がった俺は複雑な気持ちだった。

 

「成功?」

 

駆け寄ってきたアイシャがそう問いかけるので俺は気持ちが顔に出ていたことに気付く。

 

「まだ検証は必要だけど、大きな一歩かな」

 

そうだ。これも成功には違いない。

顔を意識して笑顔にするとアイシャの頭をポンポンと叩いた。

 

--

 

翌日。

 

「はい、今日の分」

 

遅れてリビングに赴いた俺の目の前に、アイシャが辞書2冊分はあろうかという紙束をドサリと置いた。

実際にはドサリと音がしたわけではないが、今日も実験に相当の時間が必要だろう。

無慈悲な宣告が終わると彼女はすぐさま自席に戻ってパターン表との格闘を再開している。

 

頭の中で今日の予定を調整する。

残念だが俺は研究だけに没頭できる立場ではない。

ルード商店の各店舗の状況確認、石器の作成、魔大陸での素材の収集。

ちなみに余りの忙しさから製本に必要なインクや紙の仕入れはエビスに頼むようになった。

アルスの物価は高いのでコストが高くつくが大量に仕入れても卸業者も変に思わずかつ他店に影響がないので、アルスでの仕入れを続けている。また、各被災地に配布する補給物資の管理はダイコクが仕切っている。

いずれも順調だが、任せきりには出来ないから折を見て確認すべきだろう……出来てはいないが。

雪解けが来ればムーンシャドーの活動も待っている。まぁそれは今はいいか。

 

アイシャの持ってきたスクロールに手をかざし、すっかり研究部屋と化したリビングで魔力を込める。

魔法陣への魔力の取り込み具合を確かめて、少ないようならそのまま起動させようとする。

大半の物は何の作用も発現しない。

励起時の魔力の色、消費魔力量、起動結果を結果票に記し、塗料の蒸発したスクロールと合わせて左の箱へ。

魔力の消費量が大きいモノは『反魔装甲(アクティブバインダー)』で防げないことも考えて励起段階で止めて、右の箱へ。

右の箱が一杯になったら、昨日のように郊外まで行って屋外実験をする予定だ。

 

目の前では組み合わせ表を管理して次のパターンを指示するアイシャとその指示に従って魔法陣を描くロキシーが慌ただしく動いている。それを後目(しりめ)にほぼ流れ作業で次々に魔法陣に魔力を込める。

 

少し前の事を思い出す。

この実験が始まったとき、アイシャはロキシーのサポートとして塗料の準備や筆の洗浄を手伝っていた。

また、ときにロキシーの指導の元で魔法陣を描いていた。

物覚えも要領も良いアイシャは卒無く作業を行った。

 

「家庭教師をやっていた頃のルディを思い出します。

 パウロさんの血は相当に優秀なのでしょうね」

 

というのがロキシーの率直な感想らしいが、パウロ本人はあまりこういうのは得意にしていない。

むしろ苦手意識を持っていそうだ。こんなことを言われてどうなんだろうか。まぁパウロのことはこの際、考えても仕方がない。

とにかくそんなアイシャの役割が変ったのは手伝い初めて1月程が過ぎた頃だった。

 

--

 

「アイシャちゃん、ごめんなさい。

 指示していたパターンなんだけど……」

 

「あ、やっぱりロキシーおねぇちゃんの勘違いだよね。

 大丈夫。合ってると思った方を書いておいたから、ほら」

 

「え?」

 

アイシャの受け答えに一瞬、呆気(あっけ)にとられたロキシーだったが、すぐに気を取り直して差し出された魔法陣を確認する。

 

「これはどうやって描いたんですか?」

 

「え? だって今までの記号の組み合わせからすると、次に来るのはこっちかなって思ったんだけど。

 もし私の勘違いだったらさっきの指示通りに描くよ?」

 

「……いえ、そのままで構いません」

 

「アイシャ、パターン表を見て描いた方がいいぞ」

 

俺は2人の会話に言葉を差し挟んだ。

 

「やってるもん」

「そのパターン表が間違っていたのですよ」

 

「あぁ、そうなんですか」

 

俺は少し拗ねたアイシャと申し訳なさそうなロキシーから形勢が悪い事を察し、さっさと自分の作業に戻った。

その後もあれこれと2人はパターン表について議論していた。

 

そんな出来事を切っ掛けにアイシャはパターン表の製作にも関わるようになり、その分、生産される魔法陣が減った。

減少分を補うべくロキシーが魔法陣を描くようになり、いつしかアイシャと役割が入れ替わったという訳だ。

 

アイシャがパターン表を管理するようになると、実験結果についても詳細を求められるようになった。

それが先程来、書いている結果票だ。

妹のためにもと俺はあれこれと感想を書いているわけだが、その結果票は箱ごと毎日回収されてアイシャの机に届けられる。

結果票がどのように扱われるかはパターン表を見ればわかる。

そこにはさまざまなマークが付けられている。

そのマークはアイシャが書き込んだ物だ。今も彼女は昨日分の結果票を見ながらパターン表にマークを付けている。

そして何事か情報を整理してパターン表の内から次に試すべき魔法陣を選ぶらしい。

試行錯誤してパターンを考える姿は実に楽し気だ。

 

--

 

それから数日が過ぎたある日のこと。

 

「アイシャちゃん、この記号は何ですか?」

 

ロキシーが訝し気なニュアンスを込めて妹に訊ねる声が聞こえる。

 

「ん、ふふー。

 それはねー、新しい記号だよ!」

 

嬉しそうな声だ。

 

「つまり新しい機能部品ですか」

 

「そうそう!」

 

「どれどれ?」

 

俺は呼ばれそうな気がして、自ら2人の会話へと入って行き、ロキシーの手にあるスクロールを一目みる。

たしかに見た事のない紋様が描かれていた。

当てずっぽうで描いたのだろうかとも思ったが、先にパターン表も見てみようと思ってギョッとした。

そこには20個近い列が追加されていて、その列に対応する紋様が別紙に描かれている。

どうやらアイシャが考えた新しい紋様らしい。

それが全て未知のものだったのなら、俺は驚かなかっただろう。

自由にスケッチしたと思えば済むことだからだ。

だが、その内の2つは俺が知っているものだ。

アイシャを危険に晒さないように教えなかった重力魔術や高位治癒魔術にのみ存在する機能部品に寸分違わず一致している。

厳重に管理しているはずだが、どこか妹の目の届く範囲に放置したことがあったのかもしれない。

いや、しかしな。

 

「アイシャ、この記号はどうした?」

 

俺は秘匿されているはずの記号の1つを指差した。

 

「どうしたって自分で考え付いたの」

 

「考え付いた?」

 

馬鹿な。

未知の紋様をこんなにピンポイントで書けるだろうか?

 

「うん。

 他の記号を見ていて、なぜか抜けてる記号があったからそれを追加したの!」

 

「抜けてるって?」

 

「え、抜けてるは抜けてるだよ。

 みたら判るじゃん」

 

あーうん。そうだよね。

見たら判るよね。うん。

は? いや、普通判らんし。

流石のロキシーの顔も不審を絵に描いたような表情だ。

 

「いや、お兄ちゃんは判らないよ」

 

「そーなの?」

 

「私も判りません。

 アイシャちゃん、この記号を思い付くまでの過程を説明できますか?」

 

「記号を並べるでしょ。

 そうしたらおかしいって思った」

 

「そのおかしいっていうところをもう少し詳しく説明できますか?」

 

「えー。

 無理かなぁ」

 

インスピレーション的なものらしい。

 

「うーんと、これはパズルみたいなものだってお兄ちゃん言ったよね?」

 

「あぁ」

 

「でもこれがパズルなら必要になるピースが足りないでしょ?」

 

そうなの? っていうかどこが?

喉元まで込み上げた言葉を飲み込む。

まだアイシャはたったの4歳だ。

あまり論理的にどうのこうの言っても意味がない。

そもそも遊び感覚でやってくれて良いと口にしたのは俺自身だ。

 

「アイシャはそう思うわけか」

 

「うん」

 

「そうかそうか。なら良いよ。

 こういうのも試してみたら案外、答えに辿り着くかもしれないからな。

 違うという根拠も無いわけだし。

 それなら試してみればいいだけさ。

 ね? ロキシー」

 

「そうですね」

 

--

 

そこから数か月。

ラノアに積もった雪が漸く融け終り、春の陽気が空気に混じり始める頃。

ラノア大学の入学式が運動場にて行われた。

 

不安気な顔をする両親達をよそにノルンとアイシャはお互いの手をしっかりと繋いで歩いて行く。

今年の新入生およそ2千人の人集りに飲まれ見えなくなるまで、家族は運動場の入り口で4歳の妹達を見送った。

2人で行けば、心細くて泣きだすということもないだろう。

 

種族、年齢、身分といった一切の制限がない学び舎、ラノア魔法大学。

魔術ギルドと魔法三大国を主なスポンサーにして、アスラ王国からも少なくない出資を受ける魔術の総本山である。

千人を超える教師陣により、魔術と直接の関わりのない算術、馬術、軍事学といった物まで学問・学術と呼ばれるありとあらゆるものを学ぶことを可能にしているのは、この学校がそこらの魔術学校や剣術道場とは異なる視点を持っているからだろう。

 

この世界では魔術と同じことができる道具があれば道具を使う風潮があり、暖炉で温められるなら火魔術で部屋を暖めたりしないし、水が必要なら川や池から引いてくる。

しかし、ラノア魔法大学はそういう常識を外れて魔術を生活に取り入れようとしている。寮生にはトイレの水洗用の水を生成させるルールがあるし、冬は学生にバーニングブレイズを使った融雪のアルバイトを斡旋する。

そういった努力無しでは魔術も単に人殺しの術と見なされるからだろうと俺は考えているが、一般人の魔力量や詠唱の必要性を考えれば、まだまだ目標までの道のりは長く険しいもの。道半ばといった雰囲気もある。

 

とにかくオープンな校風だ。

最低限の読み書きができて、学ぶ意思があり、入学金を支払うことができればそれで入学を許可される。

一応、入学試験は読み書き以外の問題も出るが、それはいくつかの初等カリキュラムを免除するかを判断するためでしかない。

 

などと考え事をしていると、レンガ作りの壇上でまだ毛が多少残っている薄毛の男が演説を始めた。

ほんのり印象が違うのは、どうやらまだふわふわの毛玉を装備してはいないからだろう。

正直、遠くて良く見えない。

 

「諸君らに、魔導の道があらんことを!」

 

長い校長の訓辞は殆どが聞き取れなかったが、最後の大音声だけはしっかりと聞き取れた。

ふわ毛が降壇し、代わって登壇したのが今年の生徒会三役のはず。

こちらも遠くてはっきりとは見えないが、ガタイの良い男が先頭にいる。

記憶にはない人物だろう。

彼が今の生徒会長らしい。そしてその後ろには金髪の男とこれまた同じく金髪の女が立っているのが見える。

 

その3人も降壇すると、新入生達はゾロゾロと校舎へと流れていった。

これから最初のホームルームがあって、必須科目と選択の授業、移動教室に関するガイダンスがある。

妹達の姿をこの人ごみの中でみつけられる訳もなく、次第に運動場からは人が減り、遂にはしんと静まり返った。

 

両親達はいつまでも居座ろうとした。

しかしながら、授業参観よろしくずかずかと教室に乗り込むことは出来ないのだからと、俺とロキシーで何とか説得して入学式の観覧は終わった。

 

ちなみにエリスも一緒に来たのだが、前に知り合った生徒を偶然見かけたといって彼女は昼まで帰ってこなかった。

しかも、なぜ置いて帰ったのかと少しむくれていた。

理不尽なことだ。

 

--

 

昼食になってもパウロの呆け様といったらヒドイものだった。

 

「父さま、こぼしてますよ」

 

「あ、あぁ」

 

そう言われても上の空だ。余程、娘達のことが気になるのだろう。

目線の先は食卓にある2つの空席。

 

また掬ったまま口に入れる前で止まってしまったスプーンからぼたぼたとスープと豆が落ちて行く。

 

「そんなに心配だったら、帰りの時刻に迎えにいったら?」

 

ゼニスの言葉。

 

「そうですね。

 ほとんどの生徒は寮生ですから、門の外で待っていれば、きっと簡単に見つけられます」

 

俺の援護射撃をきいて、リーリャも賛成を示すかのように無言で頷く。

口や態度には出ずとも母2人も同じように心配なのだろう。

 

「勝手に迎えにいったりして信用してないみたいじゃないか?」

 

「迎えに行って何も言われなければそれで良いですし、もし何でいるの? と聞かれたら、ルディにお願いされている警邏の一環だと言えば説明は付くでしょう」

 

言い募るパウロだったが、ロキシーの提案は中々に筋が通っていて、最後には「そうか」と納得した。

やり取りの後、エリスが「小父様も過保護ね」と小さく呟いたので、「愛情表現みたいなものだよ」と同じく小声で返しておく。

「判ってるけど、警邏に行くなら私も付き添うことになるんだから」とまんざらでもない声がした。

 

--

 

ノルンとアイシャがパウロとエリスに連れられて家に戻ってくると、学校での出来事をあれこれと楽しそうに話していた。

2人が楽しく学校での一日目を過ごしたことが良く判る。両親達もはじめの一歩が上手くいっていることに一安心の様子。

昼食と打って変わって賑やかな晩の食卓。

だが一瞬にしてその空気は凍り付いた。

何気ない一言で。

 

「でね。お父さんの職業は?って聞かれたの!」

 

「あ、あたしもきかれたー!」

 

「やっぱり? ノルン姉もきかれたんだ。

 ねぇ、なんて答えた?」

 

「えー? たぶん一緒だよ。

 元S級冒険者で今は」

 

「あーちょっと待って待って。

 折角だから一緒に言おうよ」

 

「いいよ。じゃぁ。

 せっーの!」

 

「「むしょくぅ!」」

 

その言葉に両親の3人は絶句していた、と思う。

俺は目を瞠って親達がどういった行動に出るのだろうか、どうフォローを入れようかと頭を回転させた。

その間も3人は何のリアクションも示せずにいた。

誰が何というべきかに迷い、不様な三竦みが出来上がってしまっていた。

 

綺麗なハモリを見せた妹2人はキャッキャと同じ答えだったことを喜んでいる。

彼女達に悪意はない。そして最近の受け応えからするとこの場の空気も読めるはず。

けれども気持ちが高揚しているからか気付いた様子はない。

 

数瞬の間があったが、最初に動き出したのはロキシーだった。

 

「お義父さんは、無職ではありませんよ」

 

2人はその声でお互いの世界から戻って来た。

キョロキョロとせずとも空気の重さに気付いたのだろう。

手のひらを反すように押し黙った。

 

「お怪我のために今は静養中なだけです。

 そうでしょう? パウロさん」

 

「あぁ、そうだとも。うん」

 

ロキシーに問われてやや冷や汗混じりの、もしくは威厳を保とうとするようなパウロの声音。

 

「明日、皆にちゃんと言い直さないといけないわね」

 

事態を静観していたエリスにそう促されば、周囲の雰囲気に気付いたのか、

 

「う、うん……」

「そ、そうだね。ノルン姉、あは」

 

2人は居心地の悪そうな返しをした。

 

「さぁ、ご飯も食べ終わったなら、お風呂に入る準備をなさい」

 

リーリャの一声。

 

「「はーい」」

 

元気の良い返事で立ち上がる妹ら。

それぞれの食器を片付けて食堂から去っていく。

 

そして彼女達の気配が十分に遠ざかると、

 

「ありがとうな。ロキシー」

 

そうパウロが頭を下げた。何とも情けない感じだ。

 

「いえ、当然の事をしたまでです」

 

「そうか」

 

「父さま、いままでどんな仕事を探したのですか?」

 

切り出したのはやりとりを無駄にしない為だ。

それにパウロなりに仕事を探そうとしていた素振りがあったのは把握している。

 

「あぁ……まぁ冒険者のための情報屋みたいなものをやろうとおもったんだが」

 

「情報屋ですか」

 

「ここいらじゃ冬の間は冒険活動が下火でな」

 

まぁそれはそうだろう。

シャリーアの冬は初めて来た者達には相当に厳しく感じられるものだ。

色々と当てが外れたといったところなのだろう。

 

「良ければ明日からルード商店の手伝いをしませんか?」

 

「邪魔にならないと良いが……」

 

パウロにホテイとカボちゃんを紹介することになるとは、何かおかしな事が起きなければ良いと俺も思う。

 

--

 

アイシャが学校に通い始め、また雪解けが近いこともあって俺の研究も変化を迎えた。

『水弾』に対する魔法陣のアレンジを続けるかは、アイシャが休日に研究するかによる。

学校に慣れるまでは休日も研究はできないかもしれない。

それでも、もうこの研究はアイシャの物だ。

アイシャが手を引くと言い出さない限りは俺が無闇に進めるべきではない。

 

という判断の元、アイシャが居ない間は別の研究を開始する。

『水弾』の研究では発見した追加機能を呪文でどのように再現するかというのが当初の目的であることは覚えている。

だがこれは余りにも情報不足だろう。

既存の詠唱同士には共通部品が少ない。

『豪雷積層雲』と『雷光』には同じ詠唱工程が存在するが、逆に言えば他の魔術においてはあまり共通性がないことが判って来た。

それでいて魔法陣は共通の機能部品を持っているのだ。

俺の整理・予想した内容のどこかに間違いがあるということ。

では一体それは何なのか。

新たなブレイクスルーが見つかる迄は足踏みとなるだろう。

 

ともあれアイシャの研究が無駄に終わったということではない。

この研究は魔法陣に限定したという制約が付き、かつ柔軟性では一歩劣るにしても、無詠唱と同じく魔術の追加制御が可能であることを証明し、魔術理論の新たな一歩を示す画期的な研究になった。

今の時点で魔術ギルドへ論文として提出するだけでも高い評価を得ることができるはずだ。

……中途半端な論文をアイシャが良しとするとは思えないが。

 

まぁ、アイシャの研究の本筋はアイシャに委ねれば良い。

そして他の詠唱可能な魔術も同じだ。『水弾』と同じ結果に陥る可能性が高い。

一方で魔術理論的に目新しくない、それでいて実用性を向上させる研究はある。

ついでに言えばアイシャの居る場所では出来ない秘匿性が高い研究。

それは結界魔術の追加魔法陣を探すということになろう。

 

結界魔術において、詠唱があるのは魔力障壁と物理障壁だけだ。

それより上位の魔術には詠唱文が無い。

存在しないというより詠唱文が完全に失われた魔術。

詠唱文が無いので無詠唱による機能追加はできないが、追加魔法陣ならばそれができるかもしれない。

 

ということで転移ネットワークのノードを新設して研究部屋を増築した。

この施設は書斎を経由して行くことができるように設計し、家族の中ではロキシーだけが知っている。

彼女との共同研究をするためだ。

 

こうして早朝はエリス、パウロ、最近ではノルンも加わっての剣術鍛錬。

午前中はロキシーとの研究。

午後からは春の到来とともに再開したムーンシャドーとしての活動があり、瞬く間に日々が過ぎて行った。

 




-11歳と3か月
 デネブに研究依頼をする←New
 『水弾』の魔法陣を使って機能追加に成功←New
 
-11歳と4か月
 ノルンとアイシャが入学する←New
 『水弾』の魔法陣は中断←New
 結界魔術の魔法陣の研究開始←New
 ムーンシャドーの活動を再開←New

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