無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
--- 原理原則とは仕組みの判らない部分をルール化した物である ---
予定通りノルンとアイシャの入学試験が行われ、無事に2人共に入学許可が下りたそうだ。ジーナスと顔合わせして帰って来た両親達は、リビングにて入学の手引書を読み合わせ、必要な物を列挙したり、出された課題の取り組ませ方について話し合っている。
そしてアイシャは特別生ではなく、ノルンと同じ一般学生として扱われる。入試の成績は良かったらしいので、おそらくジーナスに依頼した配慮の結果だろう。
そんな当の本人たちはというと、試験を受けにいったラノア魔法大学の広さに驚きを隠せないらしい。大きさについて俺やエリスに身振り手振りで話し続けていた。
なんとも微笑ましい光景だ。
俺の記憶の中の同じような光景がいくつも重なって見える。
しかし、周囲は違う感想を持ったようだ。
2人は浮かれている。そう思ったらしい。
ロキシーは卒業生の立場から魔法大学のなんたるかを説明した。
続けてリーリャが自分が通った学校に関する体験談を話した。
パウロとゼニスは貴族のグループとの接し方について言い含めた。
俺は黙っていた。
何か話そうかと思って、「お兄ちゃんが言ってた~」という妹を想像してしまい……止して置いた。
新鮮な気持ちで体験した方が良いこともある。不足があればそのときにフォローすれば良い。そのための兄妹だ。
ぼんやりしていると、最後にエリスが自分の体験談を語った。
自分は立ち回り方が判らなくて、結局、学校を退学してしまった話だ。
その話が終わる頃、浮かれていた2人は神妙な顔付きになった。
不安があると顔に書いてある。
どうしよう、私達、ちゃんとやっていけるのかな?
そんな顔付きだ。
だがそれで良いだろう。
恐らく学校ではどこかで躓く。そして人生には不安が付き物だ。
一歩踏み出す覚悟。
上手くやろうとして自分の思い通りにならないこと。
自分の行動に責任を取ること。
きっと学校に通うことで知ることになる。
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この時期、俺はブエナ村の実家からゼニスの庭を転移させたり、フィットア領内の復興状況の確認やルード商店の再開計画を組んだり、馬車の作り直しといった細かな作業をしながら、それとなくルード商店の情報網を使ってシルフィの行方を探っていた。
ただ芳しい報告はなかった。
そんな中で一日に数時間、ムーンシャドーとしての活動を開始した。
転移ネットワークを使い、北方大地やダンジョンに移動して冒険者や旅人、困っている村人を治癒魔術で助ける。
そんな活動は雪が積もるまで続いた。
そして冬。ムーンシャドーの活動が出来なくなる。
俺とロキシーの作戦では、ムーンシャドーは北方を拠点として活動する正体不明の帝級治癒魔術師でなければならない。正体不明でありつつも、ラノアで生活している俺達家族とは別人物だというアリバイを作って置く必要がある。
そして、そんな男がある日パウロと出会い、何かのお礼に腕を直し、また消えなければいけない。S級の要注意人物の親族。その者の腕を直してから丁度、音沙汰が無くなるというのも作戦として底が浅い。だから、目を逸らすために腕を治した後にも活動が必要だろうとは考えている。
この作戦に対して、雪が邪魔をする。
雪が積もる前に北方の冒険者や旅人は大きな町に移動し、冒険者なら次の春からの活動に備えて会合やパーティー編成の見直しなどを行い、旅人なら日雇いの仕事で糊口を凌ぐ生活になる。中には、大きな町に移動できなかった者もいて、雪に閉ざされた村の宿屋で長期逗留をする場合もある。これではダンジョンや旅先での救助活動の機会はない。
また、村人を助ける活動をしようとして閉ざされた村に行き、痕跡を残さずに戻って来るのは非常に難しく、こちらも活動ができない理由となっている。
ロキシーに相談したように各国の情報機関は、流れ者の治癒魔術師が出没すれば
追跡者であるならば、閉ざされた村から忽然と魔術師が消えれば転移魔術を疑う可能性がある。その場合はアリバイ作りに支障が出ることになる。
追跡者は大別して2種類に分かれる。
北神流の追跡術を使う者と魔術的な方法によって追跡する者だ。
北神流の追跡術を体得している者は結構な数がいて、各国の警察機構に雇われていたり、私立探偵をしたりしている。そういった者は足跡や周囲の目撃情報を元にして獲物を狩る。雪に閉ざされた状況では足跡ははっきりと残り、最終的に転移魔術を使っていることが推測されてしまうリスクがある。
魔術的な探索としては、特定の血族のみが『
降り積もる雪でムーンシャドーの活動が出来なくなると、鍛錬前にエリスと雪かきをした後は、書斎に籠ってギゾルフィから預かった論文を読むことになった。
俺が読み終えるとロキシーも。
最初の数日をそんな風に過ごして、あまり2人で長居するとエリスの機嫌を損ねることが判ってきたので、そこそこの所で切り上げて残りの書類整理はリビングですることにした。
すると妹2人も学校から渡されたという課題を持って、同じテーブルに着くというのが最近の光景だ。
俺は基本的には妹の課題に口出ししないし、向うも聞いては来ない。
旅で色々と見識が深まったからか、それとも旅の間にリーリャから少し躾けられたからか、両方か。行儀が良くなり、大人しく課題に向き合っている妹達。
そんな光景も今日は少し違ったようだ。
「ねぇお兄ちゃん」
「ん?」
ノルンの声で顔を上げる。
「どうした? ノルン」
「あのね。
パパのおててなおしてあげたいの」
「ノルンが?」
「うん」
「ノルンがいっぱい努力したら治せるようになるかもね」
「おべんきょうがんばったらできる?」
「どうだろう。
勉強だけで出来るようになるかは分からないなぁ。
お兄ちゃんにも出来ないからはっきりしたことは言えないよ」
「そうなんだ。
パパがお兄ちゃんならなんでもできるっていってたのに」
「はは。
何でもは言い過ぎだよ」
「ふぅん」
「ノルンねえ。
パパはさ。お兄ちゃんが凄いって言いたかったんだよ。
もし治せるならとっくの昔にやってるだろうしさ」
ノルンはアイシャの言葉を理解しきれなかったようで、不思議そうに「そうなの?」と言いたげな顔で机の向こうにいる俺を仰ぎみた。
「アイシャの言う通りかもしれないね。
期待に応えられなくてゴメンな。ノルン。
でもお兄ちゃんは父さまの腕を治せる人を探してるから、もう少し待っていて欲しい。
もう少しの我慢さ」
「本当?」
「本当さ。
それまで父さまが不自由にしてたら助けてあげて欲しい」
「うん」
「あたしも!」
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論文を読み終えた俺は、新しい推論から実用化に向けた実証実験を計画しようとしていた。
しかし最初の一歩目ですぐに計画は頓挫した。
頓挫した理由の1つは、追加詠唱文や完全詠唱文なる物は、賢者にとっても手の余る手掛かりの無い荒唐無稽な推論であるからだ。
だから手元の論文はたった数ページしかない。
書かれているのは俺とギゾルフィで話した内容を丁寧な書類にした物に過ぎず、ただの予想と言っても良い代物だ。
彼と俺の無詠唱魔術の差と推測される追加詠唱文や完全詠唱文の存在を示しているに過ぎない。
しかしながら俺は、この論文から彼の思いを受け取った。
書かれている内容ではなく、書かれていない部分から。
何が書かれていないのかというと、未知の詠唱文の存在について今から俺が行おうとしていること。
つまり推論を実証しようとする章が存在しないこと。
賢者がそれを忘れた訳ではなく、恐らくこの数年の間に色々と手を尽くしたのだと思う。
だが論文にそれは表れなかった。
研究は道半ば。
気付いていながらギルド総領としての役目を優先するため、未完成の論文を発表した。
もしかすると俺との再会を諦めた末の行動か。
前触れも無く現れた俺に引き継がれた研究。
俺が取り掛かるべきことは未知の詠唱文を手に入れることだ。
俺が研究してきた事の対極にあるモノ。
3回目の人生。この世界での2週目に相応しい内容と言える。
実証実験が上手くいかないなら理論から考え直そう。
それが最近の日課となった。
まず魔術の詠唱の理論から見直すことにした。
この世界には複数の言語が存在し、そして色々な言語で魔術を起動することができる。
人間語、闘神語、魔神語、古代龍言語。
吠魔術のように言語ですらない物もある。
だが日本語では起動できない。
ムナンチョヘペト〇ス語でもタ〇ール語でもゼント〇ーディ語でも起動できない。
当然、俺が適当に作った新言語でもできなかった。
そこから判る事は、この世界で流通している特定の言語だけで魔術は起動できると言う事だ。
また、古代龍言語魔術の存在から『その言語を使う人数の多寡』は条件とならない事を示している。
故に俺はこの制約が『太古の盟約』に定義されたものと推測した。
俺が書いたメモをロキシーが読み、おかしな部分をチェックしてくれている。
先生の質問や疑問が俺の勘違いや気付いていない視点を俺に授けてくれる。
俺にとっては懐かしい光景。
「この推論の最後の理論についてはなぜそう思うのですか?」
「最後の理論とはどこの事でしょうか?」
「『太古の盟約に魔術を起動する言語的なインターフェースが定義されている』という部分です」
「それは全くの推論です。明確な根拠があるわけではありません。
そもそもの魔術システムについて細かい原理が判っていないのですから」
「それでも召喚魔術の制限が魔術全般に関係するというのはちょっと……」
言い淀み、飲み込まれた言葉は「トンデモ理論過ぎませんか?」という想いだろう。
先生の顔には如実にそれが浮かんでいる。
ちょっとショックだが、挫けずに考えなければいけない。
「ええっと。
『太古の盟約』が召喚魔術に関するルールではなく、魔術全般について古代精霊と結んだルールだからです」
「え?」
「『太古の盟約』は古代長耳族のとある遺跡の奥深くにある巨大な水晶石板に彫刻されて、世界に定着しています」
「初めて聞きました。
それもルディの推測なのでしょうか?」
「推測ではないですよ」
「つまりルディは『太古の盟約』を見たことがあるのですね。
だとすると、言語インターフェースのくだりの推論も確かめに行けば良いと思います」
「待ってください。
説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、僕は『太古の盟約』を実際に目にしたことはありません」
「はぁ……そうですか」
ヤバイ。
ロキシーに幻滅されてしまっただろうか。
心が泡立ち、頭が真っ白になる。
「よくわかんないんだけど」
今まで黙って防刃服を手縫していたエリスが独り言ちる。
この冬、シャリーアで母2人が揃えた裁縫道具。
ロキシーはマフラーや手袋を作っていてそれっぽい。遥か昔、子供が小さかった時も作っていた。
一方のエリスは習いたてのくせに防刃服を作るといって聞かなかった。
裁縫をほぼ強制的に教え込まれて最初は辟易していたというのに、今はノリノリで作っている。
まぁ手に入り難い魔物の皮革をルード商店で都合したのも大きいかもしれない。
雪の中でも雪中訓練を欠かさなかった前世とはもはや別人に思えるし、指の絆創膏は少し痛々しく、そして努力の勲章だった。
「たいこのめいやくって何?」
エリスの独り言は質問へと変化した。
「
「世界の法則を司る古代精霊と交わしたルールを刻んだ石碑ですよ」
ロキシーと俺はほぼ同時に解答を口にする。
「私、魔術のこと何も知らないからもう少し判り易く言ってくれるかしら。
それに同時に違うことを言われるのは困るわ」
呆れた様子のエリス。
俺と先生の言っていることは同じことだが、魔術の知識がない人からは別々の事のように聞こえるらしい。
エリスの言葉をトリガーにギゾルフィの言葉が蘇る。
歴史は重要である。それ故に多角的な視点によって補完されていなければならない。
なら、エリスの感じた疑問はきっと大事なことだ。
先生の発言と俺の発言はエリスからすれば別の内容に聞こえるわけだ。
もしかしたらロキシー本人も同じように違うことだと考えているのかもしれない。
前世で先生やサウロス邸で読んだ歴史書に書かれてあった内容。人族が知る歴史。
俺が知る『太古の盟約』に関する知識。
誰から授けられた知識だったか。
そう、あれは召喚魔術について講義を受けたときだ。
「思い出しました。そうですね。
僕の知識はシルヴァリルに聞いた内容です」
「シルヴァリル?
あの甲龍王12の配下の1人。空虚のシルヴァリル?」
「そういえばアルマンフィに会ったそうですから。
ルディはシルヴァリルにも面識があるのですね」
「家に押し入り強盗しに来たアイツはいけ好かないわね」
「情報を頂いたのは夢の中の話です」
「夢の中でもペルギウス様と知己であったのですね」
「彼は頼り甲斐のある王様ですから、今回も色々とお世話になりました」
「今の内にお礼に伺った方が良いのではないですか?」
その言葉にエリスの目が輝いた。
空中城塞に行きたいと顔に書いてある。
「……そうですね。
しかし、かの王は魔族とは因縁浅からぬお方故、ロキシーとは会って頂けないでしょう」
「それは残念です」
ロキシーはかなり悲しい顔をした。
「ふん。強盗の親分らしく器の小さい奴ね。
3人で一緒に行けないなら私も行かないわ」
ロキシーの事を想って翻意したエリスの顔に落胆は無かった。
なぜだか胸が痛い。遠い昔、たった一人でどこかの遺跡に置いて行かれた少女が居なかっただろうか。
「ははは。
ペルギウス様が何百年も恨み続ける程に、ラプラス戦役が残した傷は深いということです」
「私、そんなこと知らないわ。ロキシーも好きだし」
「ありがとう。私も皆さんが好きですよ」
--
和んだ頭を切り替えていく。
ロキシーから教わった歴史とシルヴァリルの説明は矛盾しているだろうか。
俺はそれが矛盾しているとは思わない。
エリスの感じた『違う』部分を切り取っていたとしても、それらは反目せずに繋がっている。
古代長耳族は『初代甲龍王』の作りし、古代精霊召喚術式を持っていたのかもしれない。
もしくは先天的な能力として古代精霊を具現化して知覚でき、かつ交信できる不思議少年&少女ちゃん達と定義できる。
現代の長耳族が砂漠のど真ん中でも方向感覚を失わないのも古代精霊とお話できる能力の弱まった物だとすれば面白い能力だ。
とにかく、彼ら彼女らは古代精霊を媒介に魔術を使うことができた。それ自身は魔法と呼ばれるのかもしれない。
それを参考に誰かが何かの目的のために魔術起動システム『太古の盟約』を作り、この世界に定着させた。
『太古の盟約』には自然要素たる古代精霊とのルールが刻まれていて、特定の言語で起動することができる。
この推測を実証する最も簡便な手段は、世界のどこかにある『太古の盟約』を探し出して、その内容を読み取ることである。
ただし、異世界転移装置やそれ以上の巨大なシステムだった場合は別の問題を抱えることになるだろう。
魔術起動装置『太古の盟約』。古代精霊と人の間に介在する物。
魔術起動装置はもっと大きな仕組みで『太古の盟約』はその一部ということもあり得る。
この際、どちらでも大きな違いはない。
そして詠唱の先にあるのが、魔術の起動工程だ。
魔力を必要な形として取り出すために詠唱文によって体内から強制的に魔力を徴収させる、もしくは自ら魔法陣に魔力を流し込む。
これが第1工程。
第2工程では、流し込まれた魔力を『太古の盟約』に従って古代精霊に供給し、古代精霊は魔力によって変質する。
古代長耳族なら変質を『古代精霊へのお願い』と表現していたかもしれない。
第3工程は、古代精霊の変質によって超常現象が発生する。
現代人は超常現象を魔術と呼ぶ。
俺はその仕組みを図示し、第1工程についてより深化させていく。
詠唱文と魔法陣は、魔力を古代精霊に渡すための形に整える機能を持つ。詠唱文には、体内から魔力を徴発する機能もある。
そう言う意味で俺がやっている無詠唱魔術というのは、詠唱した場合に似せて自ら体内の魔力を体外へと出力し、発動させる方式だ。
詠唱によって感じる魔力の動きを再現させすぎると、魔力を徴発する部分が無駄になっている可能性がある。
ギゾルフィも『ルーデウス方式で射出速度設定がゼロになるのは魔術の発動と結果が矛盾している』と言っていた。
その原因を『再現している魔力の流れが詠唱したものと僅かに異なる』ためだと予想していた訳だが、『寸分違わぬ魔力の流れに、魔力の徴発部分があり、機能が重複する』ためという予想もできる。
そういった無駄は古代精霊を混乱させる、もしくはガイドライン違反になり、射出速度がゼロにリセットされるのかもしれない。
だからもう一度お願いし直せば、魔術は正しく発動したようにみえる。
「ほう」
俺は小さく呟いた。
今日もリビングにはロキシーとエリスが同席している。
丁度その時に、遠くでノルンとアイシャ、それにリーリャの声が聞こえたせいもあって、目の前に座った彼女達が俺の呟きに反応することはなかった。2人は声がした方、廊下側へと目を向けていた。
そんな環境で俺はさらに考える。
『お願いし直せば』の部分は、『完全呪文詠唱文』ではないとしても『追加詠唱文』ではあるのかもしれない。
もし無詠唱ではなく、通常の詠唱で魔術の起動から発動までに魔術の内容を変更する技術があるとしたら、魔術師対策を施した強者との戦法に一工夫できるだろう。
どちらにせよ無詠唱魔術使いの俺にはメリットの無い技術だが、『お願いの追加』に通常の『お願い』に含まれない種類がある場合にはメリットが出てくる。
また無駄をなくすためには、無駄の無い魔法陣に魔力を通した際に形成される魔力の形を再現するのが良いだろう。
そうすることによって魔力を徴発する機能の無駄が回避できる気がする。
問題は魔法陣を通したときの魔力の形は、身体の外で起きるために体感できないことだ。
深化を続けよう。
今度は第1工程を書いた図に3つのやり方を並べてみる。
無詠唱、詠唱、魔法陣。
さらに無詠唱の下には『ギゾルフィ方式』、『ルーデウス方式』と書く。
どれも次の工程のために魔力を必要な形として取り出すという意味で、処理が終わった後の状態は同じだ。
「ふむ」
俺は続けて『詠唱』の文字の下に『完全詠唱文』と書き足し、少し大きめの四角枠で囲む。
その枠の中に『短縮されて喪失した詠唱文』と『現在の詠唱文』を連ねる。この2つの合計した物が『完全詠唱文』という意味だ。そして次に『現在の詠唱文』から矢印を引っ張って『ロキシー式の短縮詠唱文』と書き足す。
とすると……。
俺は外枠の『完全詠唱文』から内枠の『現在の詠唱文』に矢印を引っ張り、最初に書いた『短縮されて喪失した詠唱文』を消して、矢印の上側に『(マイナス)短縮されて喪失した詠唱文』と書き直した。
そして矢印の下側に『機能の消失』と追記する。
ついで『ロキシー式の短縮詠唱文』に続く矢印の下側には『機能は維持される』と書く。
例を用いて考えてみよう。
ある呪文Xの完全呪文詠唱文を『A B C D E』、現代の詠唱文『A C D E』があるとする。
A:汝の求める所に
C:大いなる水の加護あらん、
D:清涼なるせせらぎの流れを今ここに
E:水弾
として考える。
つまり、Bの部分は『短縮されて喪失した詠唱文』だ。またBの部分には『個数設定』の機能があり、これを無くした場合は個数はデフォルトの1で固定されるとする。
その仮定を元に『ロキシー式の短縮詠唱文』について考えよう。
先生が作った水弾の短縮詠唱文は、
『汝の求める所に清涼なるせせらぎの流れを今ここに、水弾《ウォーターボール》』
であるから、元の区分けで言えば『A D E』になっている。
ギゾルフィの言っていた『俺の再現方法によって呪文と魔力生成や制御が一対一で対になっていることが判る』の論を正しいとするなら、ロキシー方式の短縮化によってCの部分の機能が失われてしまうはずである。
だがそうなっていない。
それはつまり『大いなる水の加護あらん』に『個数設定』の処理の一部が入っていたのではないだろうか。
むしろA、C、Dの分け方だって綺麗にするのは難しいはずだ。
これらのことを踏まえて
『汝の求める所に/大いなる水神グルーザの深き加護あらん、/清涼なるせせらぎの流れを今ここに/水弾《ウォーターボール》』
とし、
F:汝の求める所に(詠唱開始、魔力の徴発)
G:大いなる水霊グルーザの深き加護あらん、(個数、変位、大きさの設定)
H:清涼なるせせらぎの流れを今ここに、(方向、距離、速度の設定、詠唱終了)
I:水弾(呪文の種類と起動コマンド)
とすれば、Gを一部削った現代式も、Gの全体を省いたロキシー式も同じ効果を発動することに矛盾せず、かつギゾルフィの言う詠唱文と制御(機能)の対応もできると考えられる。
また現代版のようにGの句を一部削っただけでも、句全体の機能が破綻してデフォルト値が適用されるのも予想の範疇になる。
よし辻褄はあっている気はする。
とにかく問題を収束させて行こう。
短縮されて喪失した詠唱文、お願いをし直すための追加詠唱文。
それらは全て未知の詠唱文だ。
そして無詠唱と詠唱と魔法陣は同一の工程を違う手法で行う話であった。
無詠唱から詠唱魔術へ。
今より少し年老いて、でもほとんど見た目が変らないロキシーを幻視する。
前世において、先生と未知の魔術について研究したことがある。
残念ながら、それは大成しなかった。今も研究中の雷撃魔術。
魔法陣から詠唱魔術へ。
少し違うが、前世で研究して大きな成果があった話。ナナホシとクリフが研究していた分野の派生と言えるだろう。
異世界転移魔術、異世界からの召喚魔術、呪いの低減と解呪。詠唱文の存在しない、未知の魔術。
「あぁ! そういうことか?」
目の前に座る2人がこちらをみてから顔を見合わせる様が微笑ましい。
口を開いたのはロキシーだ。
「どうしました?」
「少し掴めたかもしれません」
その言葉にロキシーのボルテージが上がった気がした。
何についてかの説明が必要だろうか。
「良かったじゃない」
そこにエリスが軽く言ってくれた。
こういう対応はエリスの対応が正しい。
剣術と同じで少し掴めたといって完全な説明ができる訳でもないし、次の日にはやっぱり勘違いだったという事もあり得るのだから。
まぁ、思わせぶりに呟いた俺が一番悪い話だった。
「そうですね」
反省するようにロキシーは表情をいつもの眠たげな顔に戻していく。
「もう少し形にできたら、先生の意見も頂こうと思います」
取り繕うように言うと、
「ええ。楽しみにしていますね」
と応えが返って来た。
そのやり取りにエリスが少し嬉しそうな顔をする。
その顔に感謝の意を表情で返し、言葉にはせずに研究の続きに戻った。
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今回の検討で1つ研究内容に繋がるような気付きを閃いた。
魔法陣の記述式としてヴィンド方式、アレスタル方式、フラック方式が知られている。
もしかすると他の未知の方式もあるかもしれないが、甲龍王の講義にも魔法大学の講義にもなければどこかで引きこもっている魔術師が発明していない限り、これがこの世界の最先端の内容と言えるだろう。
そして同じく第1工程の詠唱魔術に存在する人間語、闘神語、魔神語、古代龍言語。
これらはもしかしたら対応関係にあるのではないか。
元々の古代長耳族が交信していた原始魔法があり、それらは魔神語であり、これを定式化して『太古の盟約』を作った。
ならば『太古の盟約』の解釈は魔神語で書かれている気がする。
そして『太古の盟約』、またはそれを含んだ魔術起動装置なのかは分からないが、そこには各種の言語からのインターフェースがあり、色々な言語から詠唱起動できる。
ということは呪文詠唱自体を定式化することもできるはずだ。それがつまり、俺らが使っている魔法陣なのではないか。
例えば、アレスタル方式は人間語を、ヴィンド方式は闘神語、フラック方式は魔神語を定式化したものかもしれない。
呪文の詠唱文と魔法陣の記述内容を照らし合わせることで何かの気付きを得られる可能性がある。
追加で言えば、未知の魔法陣と機能を繋げることはできる。それはナナホシが大量に無作為に作った魔法陣の手段で証明済みだし、俺も理解している内容だ。だから魔法陣として起動できる機能を見つけ出しておき、魔法陣と言語の逆解釈ができれば未知の詠唱呪文を構築できる可能性がある。
全ては推論、憶測、妄想の域をでない。
だがやってみる価値はあるだろう。