無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。


第081話_虐殺者(ジェノサイダー)

--- 常に何かを選んでいるということさえも、人は忘れてしまうのかもな ---

 

「なかなか良い大きさだ。お宝に期待しよう」

 

おじさんの呟きは静かな部屋で少しだけ反響した。思ったより反響していないのは部屋が広過ぎるせいだろう。そして虚空へと吸い込まれたに違いない。

 

部屋は見通しが良く、モンスターが大量に出てくれば処理に苦労するような場所だったが、魔物の気配はただの1つも察知できなかった。

それに加えて、閑散とした広い場所というのが、この先の危険さをよくよく予感させている。

それは気のせいなはずがないのだ。まだ本題の守護者がいるはずだ。強い守護者が。

 

魔力結晶に近づいていくと、その手前にすり鉢状の凹みがあることが判った。その凹みの中央には石か土を固めた物か、とにかく固そうなもので出来た棺のようなものが置いてある。棺はとんでもなく大きい。私が何百人も入れるそんな大きさだと思う。

 

「ここで待っていろ。ヤバイと判断したら入り口まで戻れ」

 

「判った」

 

またしてもおじさんから背嚢を受け取る。カンテラはおじさん自身の手で壁際の台に置かれた。

それを見越した訳ではないはずだけど、タイミング良く、石がこすれ合うような音が足元から脳へと這い上がった。音は迷宮の閉鎖された空間で複雑に反響し、どこからしているのか判別が難しくなっていった。

でもおじさんの顔を窺うと、最初から目線は定まっていたようだ。真っ直ぐに見つめるその先にあるのは先程の棺。私も視線を追いかける。

 

視線の先に見えた物は、上階と同じような大きくて太い指だった。それが棺から出てくる。

石を引きずるような音が止み、棺から噂に聞いていた通りの守護者が上体を起き上がらせる。

よくよく見ると、赤いというよりは淡いピンクの皮膚を持ったオーガ。2層にいたモンスターの上位種なのだという。

私はおじさんから離れて両者が見えるギリギリの位置で立ち止まった。

 

オーガが棺から全貌を現す。

立ち上がった大きさは青オーガよりずっと大きい。

守護者の視線が私をすり抜けただけでぞくりと背筋が緊張した。

生唾を嚥下する。恐ろしさで全身の筋肉が押しつぶされたのではないか。そんな気さえした。

おじさんは?

後ろ姿だけで表情は見えない。ただその歩みから普段通りの仏頂面な気がした。

 

おじさんがすり鉢状の法面(のりめん)の途中で剣を構える。

剣を持ったとしてもオーガのリーチがおじさんのそれよりも圧倒的に長く、おじさんの間合いはオーガに届かない。

だから先に攻撃を仕掛けたのはオーガだった。

オーガが棺の蓋を手にとり、おじさんめがけて叩き付けると、叩き付けられた蓋が床をぶちぬいて、轟音と白煙があがった。

おじさんが煙の中から飛び出し、青オーガのときと同じようにオーガの腕に斬りつける。

緑の血しぶきが舞い、オーガ自身を緑に濡らす。

だが腕は落ちなかった。おじさんの高速の太刀筋をこの魔物は少しだけ見えているのかもしれない。

 

オーガの手が横薙ぎにおじさんを追いかけ、虚空を掴む。

おじさんは相手の腕を執拗に斬りつける。

駄目だ。一撃で落とせないせいでオーガはすぐに傷を再生させている。

それがこのオーガの再生能力なのか、魔術的な何かのせいなのかは私には判らないけど。

 

「っんなろう!」

 

何度目かの攻撃の後、おじさんが大きく斬りつけて、攻撃後の硬直を狙われた応酬を寸でのところで躱す。

それからおじさんは大きく飛び退いた。

オーガはカウンターを狙っていたみたいで、タイミングを外されるとたたらを踏んで、それから首をかしげた。

オーガのカウンター狙いの裏をかき、間合いから離脱したおじさんが私のところまで戻ってくる。

オーガはこちらを睥睨し、逃げるのか? と問うている気もする。

私も同じ気持ちだ。

 

「この再生能力、迷宮の魔力で狂化されたクチだ。

 覚えておけ、ギレーヌ。

 こういう倒せないヤツからは逃げろ」

 

おじさんが息を整えて、目線はオーガに向けたまま呟いた。

 

「判った。

 じゃぁ逃げよう」

 

私もオーガから目線を外すことはできず、そのまま呟き返す。

言いながらおじさんは逃げないだろうとも思った。

 

「いや、少々本気を出す」

 

やっぱり。

そして気がついた。おじさんの声は少し弾んでいた。

 

--

 

轟音が鳴り響く。

おじさんが見えなくなって僅かばかり。目にも留まらぬ速さで赤オーガは地に伏した。

今の轟音は倒れ込んだ音だ。

両腕を落とされて、さらに頭と胴体が別れた後、それでも再生しようとする心臓に剣を刺したのだろう。

噴水のように緑の血が踊っている。

おじさん自身の姿は今の私では捉えることができなかった。

隣に戻ってきたことに気付くことでさえ、血臭が先だった。

 

すり鉢状の床がオーガの血で満たされていく。

もう止まれば良いと思うのにピューピューと身体から血が溢れ、遂にはすり鉢の8分目程が緑の血で一杯になった。

そうして出来た大きな血溜まりの向こう岸にある大きな魔力結晶が自然と砕けるのが見えた。

結晶の粉がキラキラと光を跳ね返すのは幻想的だった。

 

出てきた戦利品や魔石を集めて背嚢に入れ、私達2人は休むことなく迷宮を戻った。

1層の入り口近くまでくると、おじさんが今日三度となる動きを見せる。

剣を鞘から抜く動作は見えずに鞘走りだけが聴こえた。

 

「ギレーヌ、少し待っていろ。俺がいいと言うまで外に出てくるなよ」

 

おじさんの声色はこれまで以上に厳しいものだった。

でも私の武器がスピードなら迷宮のような狭い所よりも、外に出ていた方が良いんじゃないかと私は思う。

だから出口のすぐ傍、おじさんが見える位置で待つのが一番良いだろうと考えた。

迷宮の外に出たおじさんの声が遠くで聞こえる。

 

「随分、物欲しそうに殺気を撒き散らしてるじゃねぇか、なぁライナルト」

 

おじさんは暗闇の先に話しかけているのだろうが、私の獣族としての聴覚がその声を捉えた。

それに応えたのは聞いたことのない男の声だ。

 

「あぁ、その声。本当にお前とはなぁ。

 偵察の網からお前の名前が出て来たときには俄には信じられなかったぜ。

 あぁ今日は最高の日だ。身体の芯がムクムクしてきたぜぇ」

 

知らない男の声。

 

「今にもイッちまいそうだ。

 さぁ早く、もう待ちきれねぇよ。

 今すぐにやろうぜぇ」

 

でもおじさんとは知り合いのようで、

 

「焦るなよ。血気に逸って、相手の気持ちを考えない行動は嫌われるぞ」

 

おじさんの制止の声は無駄だったようだ。

剣と相手の武器とが交錯するような音が一度だけ響く。

残響の余韻を楽しんだ後にまた、2人のやりとりが聴こえる。

声の感じからしてお互いの位置が変わったらしい。

 

「腕は衰えていないようだな、剣帝レオン・ファルファクス。

 それとも魔王ヘイムダルと呼んだ方がいいか?

 俺は魔王の方が好きだぜ。強そうだからな」

 

「お前は俺の過去の亡霊と戯れるがいい」

 

「何?」

 

「説明してやる気にならねぇな」

 

おじさんはヘイムダルではなく、アレク何某になった。

それはエリナリーゼさんとの話で聞いたことだ。でもレオンでもあるらしい。正直、意味が判らない。

それに魔王って? おじさんは人族だ。魔族ではない。船に乗る時にする種族判定結果を盗み見たから間違いではない。

疑問に答えてくれる者は誰もおらず、状況は進む。

 

「まぁいいさ。ヘイムダル。

 お前が亡霊だろうが、幽霊だろうが、過去だろうが、未来だろうがよ。

 俺はお前と剣を交えるのが好きなんだからな。

 なぁ見てくれよ。ほら、こんなに熱く滾っているのは本当に久しぶりなんだぜ?」

 

「俺が居ない間、もしかして不感症だったのか?」

 

「そうだ。その通りさ。

 勝手に居なくなりやがって。恋焦がれて狂いそうだったぜぇ」

 

「そりゃぁ悪いことをしたな」

 

「なぁヘイムダル。

 お前が抜けてくれたおかげで、本気でやりあえるんだ。

 運命の神秘に俺ぁ感謝してもしきれねぇぜ」

 

「俺も嬉しくて涙が出そうだよ」

 

「そうか。お前もそうなのか。

 なら始めようぜぇ!」

 

「あぁ」

 

声のやりとりが途切れると、甲高い金属音の調べが流れ出す。

武器の奏でる音。それがだんだんと近づいてきて……

身の危険を感じて入り口近くの壁から離れた刹那。

耳をつんざく爆音を響かせて先程まで居た迷宮の入り口が内側に向って崩れる。

壁が崩れ瓦礫と粉塵に変わった。

砂煙をたなびかせるおじさんとライナルトと呼ばれた男が外へと飛び出していく。

 

ライナルトは腕が4本、身体にぴったりとフィットした服を纏い、目元は炭鉱族がかけるような眼鏡(ゴーグル)、背負ったボンベから伸びた蛇腹のチューブは口と鼻を覆うマスクに繋がっている。そして武器として4本の手全てに鉤爪が付いていた。暗殺者(アサシン)。それ以上は一瞬では判らなかった。

断続的に聞こえるのは木々が倒れる断末魔。

今度は自分が隠れている後ろ側の壁が吹き飛んでいく。

背筋にうっすらと汗が流れる。

さっきの赤オーガも私が敵う相手ではなかった。でも今度の相手はその数倍も危険だ。

 

『こういう倒せないヤツからは逃げろ』

 

さっきのおじさんの言葉が甦る。

逃げられる気がしない。

 

煙に巻かれ、砂塵が視覚と嗅覚をダメにする。

たまらず私は迷宮の外に出た。瓦礫を踏み越えて煙の外へ。

這い出た先には抉れてガタガタになった地面と倒木、それにライナルトと同じような服を着た死体。

そよ風が血臭を運んだ。

 

おじさんは? そう思った瞬間、耳元で金属の嫌な音がした。

振り返ると、2つのクローと私の間に差し込まれた剣が見えた。

 

「この馬鹿が」

 

「だって、迷宮が崩れそうになって――」

 

残りの2つのクローがおじさんの左肩と右太腿を掻き斬って血が這っていく。

それをみたら残りの言葉は喉の奥から続かなかった。

抉られた傷の深さをみて私の心が揺れていく。

 

「あぁいいねぇ。肉を抉るこの感触。

 上等な肉を斬ったときの最ッ高の快感!」

 

感極まったライナルトは戦闘態勢を解き、クローについた血糊を蛇のように長い舌で舐めとった。

零れた涎がビシャビシャと音を立てて地面に吸い込まれる。

 

「おじさんッ」

 

自分の声が泣きそうな悲鳴となっていたことを情けなく思う。本当に言いたかったのは別のことだったのに。

 

「ちっ」

 

私の悲鳴をおじさんが舌打ちで打ち消す。

と同時におじさんの身体から炎が噴き出し、傷口が塞ぎ白い煙だけが残った。

どんな魔術を使ったのか。

 

「まさか、お前が人助けとはなぁ」

 

「知らなかったか? 俺はいつだって世のため人のために奮闘している」

 

恍惚状態から回復することを示すように、ライナルトが防がれた2つのクローを引き戻し、クローの下で指が昆虫の足の如く動くのが見える。応じる言葉を返したおじさんも負傷した左肩を回し、右太腿を剣を持ったままの右手で叩く。

 

「ヘイムダル、判るだろう?

 俺はお前みたいな強い奴と闘ってギリギリの命のやり取りをするのも好きだがな。

 弱い奴、特にこういう子供を突き刺すとプチっとして気持ちがいいんだ。

 きっと皮が薄くて柔らかいからだろうな。そしてそのまま肉に刃がスルッと入る。

 しかもこいつぁ獣族じゃないか。いいねぇ。一体どんな感触が得られるのか初体験でドキドキが止まらないぜぇ」

 

「その気色の悪いドキドキが止まれば世界はまた1つ平和になるだろうよ」

 

ライナルトがにやりと不敵な笑みを見せ、私にはその笑顔が闇に消えたように見えた。

合わせるようにおじさんも動く気配がしたと思った時には、おじさんは離れたところで剣を振り下ろしていた。

闇の中、おじさんの死角になるところからクローが伸びる。

それをおじさんがまったく振り向かずに剣だけで防ぎ、そこから態勢を立て直して2撃目、3撃目を高速の剣ではじき返していく。

高速の剣がついに4本のクローが繰り出されるよりも多く繰り出されると、またしてもライナルトが闇に消えていく。

でもライナルトは顔に張り付いた笑みを崩さない。余裕があるように見える。

 

おじさんは?

 

――笑ってる。笑ってるおじさん。

その髭面がこの旅の中で見たことも無い程に、夜の帳の中でもはっきりと、禍々しく映った。

 

私はライナルトを追いかけるのを諦めて、おじさんの姿を見る。

残念ながらおじさんの姿も早すぎて見失う。

幾度かの剣の煌めきが夜の火花を散らし、その音を頼りに辛うじて2人の位置を知る。

 

見失う直前のおじさんの顔は赤オーガに本気で挑む瞬間の表情に似ていた。

おじさんはこの戦いも楽しんでいるのだろうか。

そうおじさんはいつかにも言っていた。『お前も楽しめ。たった一度の人生だ』と。

そうか。おじさんも人生を楽しんでいる。強い者と闘うことが楽しいんだ。

理解すると剣とクロ―が打ち合う調べが急に違う音色に聞こえだした。

2人が高め合う調べが徐々に盛り上がっていく。

私が考えている限界を超えてさらにその先へ、音色は喜びを表現していく。

強者と闘う喜び。

 

彼らに追いつきたくて、捉えられないもどかしさから私は右眼の眼帯を外した。

魔力眼が映す世界と左目が映す世界、両方の情報が脳内で合成される。

闘気の流れの強いところに色付けがなされ、音も無く忍び寄るライナルトのつま先と踵が色濃く、はっきりと見えた。

だが眼の奥に走る強烈な痛み、すぐに頭もクラクラする。

反射的に両目を強く閉じて、それを意思の力で開けなおす。

2人の動きで理解が及ばなかった部分に情報が付き、それがヒントとなる。

この2人の強者の死のダンスを見届けたい。

 

おじさんが剣を握っていない左手を一閃する。そこから闘気の刃が飛ぶ。魔眼持ちの私だからこそ見える不可視のはずの刃。

当たり前のようにライナルトがそれを躱す。海で見たイカの足のような動き。人間の骨格でできる動きとは思えなかった。

ライナルトが躱しながら間合いを詰める。

その頭を押さえるようにおじさんの剣が上から降ってくる。

回避不能と思われるその振り抜きは、ライナルトの身体が突然横向きに飛ぶことで空を切る。

どういう理屈かはさっぱりわからないけれど、それも闘気を使った何かだ。重力を無視している。

おじさんの剣が地面に突き刺さると大地が陥没し、粉塵が撒き上がる。

視界が粉塵で遮られても見えている。2人の闘気が見えている。

粉塵を切り裂くような4本のクロー。その内の3本はおじさんの繰り出した闘気の刃に弾かれる。

そして残り1本となるはずのクローがまたしても死角からの軌道を進む。

 

おじさんにもその気配がわかったのだと思う。だからおじさんは前回と同じように死角からの攻撃を剣で防ごうとした。

だが、見えたのは闘気と殺気だけのフェイクだった。

おじさんも手応えの無さにワンテンポ遅れて気付いたはずだ。

そしてライナルトは私の目の前に姿を現した。

私はその光景を他人事のように見ていた。

まずいと気付いたのはおじさんが悲痛な顔を見せたからで、そこからさらにワンテンポ遅れてしまった。

 

目前にクローが迫る。

ライナルトが涎をまき散らしつつ、4本のクローで私の胸、喉、足、頭を順番に狙っている。

避けられないように周到に、頭を狙うクローはやっぱり死角からだ。

 

私は覚悟した。

選ばなければいけない。

 

『お前は自分が死ぬか、他人が死ぬか常に選択を迫られ続ける』

 

こちらに向かってくるおじさんが見える。

選ばなければいけない。

 

『無意味な人生かそれとも楽しい人生か』

 

選ばなければいけない。

 

胸に穴が開いた人生? 否。

喉に穴が開いた人生? 否。

足に穴が開いた人生? 否。

頭に穴が開いた人生? 否。

 

なら……全てを躱そう。速いだけではおじさんは倒せない。おじさんと同格のライナルトも倒せない。

でも躱すだけなら今の私でもきっと出来る。出来ると信じる。

ギリギリまで引き付けて。

 

短剣を握る手に力が(みなぎ)る。

最小限の動作で体を捌いて胸と喉を狙うクローを回避。続いて斜め後ろへの跳躍によって腹の軌道を外す。

ライナルトの追撃。

頭を狙う軌道は見えない。

おじさんの真似をして短剣を予想される軌道に滑り込ませる。

 

不自然な形で受けた短剣が最後のクローを受け止める。

いや、止めきれずに短剣の刃が砕け散った。

威力を殺しきるわけもなく吹き飛ばされつつ、短剣を握っていた右の腕の肉を持っていかれる。

その力に抗えずに宙を舞い、地面に叩き付けられる。

痛みで体がグルグルし、上下もわからなくなる。

 

ライナルトのゴーグル越しの視線と自分の視線がぶつかった気がした。

彼の表情が今までにない驚愕に彩られたのが見えた。

こういう時に効果的な表情は。

 

そうだ私も笑おう。

 

ライナルトに笑顔を返す。どうだ。私はやれただろうか?

吹き飛ぶときに左手に何かが引っ掛かったような気がする。何か管のようなものに。

眼と脳が限界を訴え、私は両目を閉じたまま地面に伏した。

 

たったの一撃が掠っただけで動けない。でも生きてる。

体の何処にも穴はない。腕にダメージがあるけれど私は生き残る道を選ぶことに成功した。

 

目を閉じて地面に倒れ込んだせいで地面を響く足音が良く判る。

おじさんの踏み込みが後ろからライナルトを斬った、と思う。

ごとりと何かが落ちた。

 

「お前の剣に斬られる快感、思ったよりもずっと、ずっといい。

 だが獣族の小娘を堪能し損ねたのは気に入らないな」

 

「食べ残したのはお前が弱いからさ。うちの弟子がお前の思ってるより強かったからってのもあるだろうがな」

 

「くっはぁ。その論理は……嫌いじゃない」

 

急に辛そうな呼吸を始めたライナルトの声、私はそこで意識が途絶えた。

 

--

 

目が覚めたとき、私は包帯でグルグル巻きになって馬車の上に居た。

どうやら迷宮で収集したアイテムをおじさんが売り払ってお金を作り、そのお金で馬車を用意したみたい。

馬車の揺れがひどくて振動する度に傷口から鈍い痛みが身体を貫く。

押し寄せる痛みの波で難しいことが考えられなくなるほどに。

私は痛みと格闘しながら、どうにか我慢できる一番マシな態勢を探し当てる。

しばらく呻いていたけれど、左手が動かせることに気が付いて右眼をそっと押さえてみる。

どうやらおじさんが眼帯を付け直してくれたみたいだ。

 

ヘンな態勢のまま、見上げた空の雲が流れていく。

雲の切れ端がライナルトのクローに見えて、右腕の痛みが疼く。

もっと私が強ければ……

今回私は生き延びた……

私が目指すべき強さ……

もしかしたら私もいつか選ぶときがくるのかもしれない……

おじさん……

 

雲が流れて日差しの下に晒されると、意図せず陽だまりで日向ぼっこをすることになり、意識がぼんやりとした。

幸福な気持ちで一杯になる。

たまにはこういうのも悪くない。

無事に動かせる尻尾が馬車の荷台の床をパチパチと叩いた。

 

 

--

 

腕に小さく残った傷跡を撫でる。

余程目敏くなければ他人が見てもきっと気付くことはないだろう。

その傷を見ながら忘れかけていたことを色々と思い出した。

 

そう、おじさんの昔の名前。剣帝レオン。過去の亡霊?

王竜王国周辺で出会った知り合いからは魔王ヘイムダルと呼ばれていた。

そして自分からはアレク、魔族のような名前を名乗っていたおじさん。

 

おじさんは剣神になろうとしていた。

そのための修行をして、剣の聖地へと帰ったはず。

でもどこかに行ってしまった。

 

あれから随分と時間が流れた。

おじさんはまたどこかで人生を楽しんでいるのだろうか。

もしどこかで出会えたら……話すことが一杯ある。

 

おじさんの楽しい話も一杯聞こう。

 

 

--

 

 

旅の剣士ザックが大道場に現れたのは突然のことだった。

本来、一見の客人は誰かの紹介が無い限り、ここには入れない。

だから、陽の沈みかけた道場にたった一人で現れた彼は異質に見えたに違いなかった。

 

その場に居合わせたのは当時の剣神、門弟の剣聖4人。

剣帝や剣王は既に帰ってしまっていた。

 

剣聖の1人が「何か用か?」とやや高圧的な声を掛ける。

ザックはそれに応えず、無言のまま真剣の柄に手を置く。

その暴挙に最も早く対応したのは当時の剣神。

彼はザックの意図を正確に読み取り、一早く駆け抜けた。

 

ザックが剣を構える頃には剣神の淀みなく抜いた剣がザックの首筋に斬り込まれたはずだ。門弟達は無礼者の死を予想する。

しかし床に伏したのは剣神の方だった。

 

どさりと倒れる音の後に静けさで満たされた室内。

名も知らぬ新たな剣神の誕生。

下剋上に成功し、無礼者は新たな剣神となる。

新たな剣神は言葉を発することなく、一番奥に腰を据えた。

 

剣神流は新体制へ移行した。

剣の聖地のルールを知らない剣神は、これまでやっていたことを引き継がなかった。

大手合いが無くなり、直弟子も作らず、ただ毎日、己の研鑽のために剣を振り続けた。

 

剣神は流派を今後どうするかという方針を示さなかったため、剣帝がその代理を務めた。剣神ザック・ファフニールが登場した頃、2人の剣帝がいた。

剣帝レオン・ファルファクスと剣帝アグナル。

2人の剣帝はザックが剣神流をどうしていくのか、その方針を理解してそれぞれに動いた。

剣帝レオンはザックに挑み、敗北の後に修行の旅に出た。

レオンと同じく剣の聖地以外の場所に力を求めた者達は同じように武者修行の旅へと出た。

一方、もう一人の剣帝アグナルは、ザックとレオンの打ち合いを観戦して剣神と剣帝の間には埋め難い実力差がある、自分が剣神の領域に到達しえないと悟る。と同時に剣神流の発展のために剣の聖地に残ることを決意した。

 

剣帝アグナルはレオン・ファルファクスと剣帝として肩を並べる人物だ。

それなりの才能があり、努力をした。

彼は剣神流の既知の技術を全て修得した上で、剣神流では珍しく二刀流に挑戦し、2本の剣からほぼ同時に光の太刀を放つことができるという新しい技術『二刀光刃』を生み出した。また、その技を使った剣神流の立ち回りを編み出して後世に残している。

後世の剣神流剣士の中にはこの『二刀光刃』を研究、発展させようと試みた者もいる。

だが現段階の研究レベルでは才能と適正に頼った技術であるために、鍛錬方法や適性の見極めの研究が必要と考えられている。結果的に何も残らなかったザックやレオンと比べれば、歴史的な価値は高いと言えるだろう。

 

ザックは何も残さなかった。

多くの剣神が多少なりとも行っていた後人の育成について、彼は行うことがなかった。

歴代の剣神の中にも似た者は居たが、剣帝との打ち合いくらいはした。剣帝と剣を交えることで、より高みを目指したり、力の衰えを防ごうとしたのだ。だが、ザックは鍛錬のために誰かと打ち合うことはなかった。

そういったザックの行動に剣王・剣帝は不満を抱くことはなかったが、剣聖レベルにまで落ちると不満を持つ者が多くいた。

剣帝と打ち合わない彼が剣の聖地で行っている鍛錬をほとんどの門弟が知らなかったのも不満を持たれる理由の1つだった。

知らないのも当然で、彼は道場に現れることも無く、大道場より奥にある剣神の住まいに引き籠り、最低限の食事だけ済まして、それ以外のときはゆっくりとした素振りをするか座して微動だにしなかった。

もし剣神の鍛錬を見たことがあっても剣聖レベルでは理解できずにやはり不満を持っただろう。

 

--

 

ザックが剣神になって8年が経ったときレオン・ファルファクスが帰って来たという話があったが、結局、勝負をせずにレオンは消えてしまった。

 

そしてさらに3年が経った。

この日もいつもと変わらない一日が始まるはずだった。

道場の床が氷と大差ない冷たさを足裏に伝えてきているのもいつもの事だ。

 

そこで早朝から鍛錬を行っていた剣帝アグナルは、僅かに長さの異なる2本の剣を右手と左手に持ち、光の太刀を連続で繰り出す。決して右手もしくは左手に小太刀を持っているわけではない。そもそも剣神流では利き手ではない方の手でも同じように剣を扱えるように鍛錬を受ける。だから長さの異なる剣を使うのは間合いを読み誤らせるためのテクニックでしかない。

 

アグナルが鍛錬をこなしていると道場の入り口を剣神ザック・ファフニールが横切ったのが見えた。

最初は見間違いかと思った。

ザックが剣神になって10年以上が過ぎたが、彼がふらふらと散歩をするようなことは一度たりともなかったからだ。

気になったアグナルはその後を追い。やはりそこに剣神が歩いているのを見つけ声をかける。

 

「剣神様、どこかへ行かれるのですか?」

 

「道が開けるかもしれん」

 

ただ一言、ザックは答えた。

まともな答えではなかった。以前から寡黙な男で、最近はそれが酷くなっている。

だからアグナルは気にしなかった。

 

騒ぎになったのはやり取りがあった後、3日が経ってからで、剣神に食事を供している者から食事が手も付けられずに残されているという報せを持ってきてからだ。

この話はアグナルだけではなく、大道場の中、剣聖が何人もいる中でもたらされた。

剣聖達は口々に「剣神が剣の聖地から居なくなった」「行き先も告げずに消えた」と不安を表した。

その場を収めたものの、そのままさらに数日、10日、1月が経過した。だが一向に剣神は帰ってこなかった。

弟子は不満を募らせ、「剣神は剣神流を捨てたのではないか」と憶測が飛び交うようになった。

 

アグナルはそんな憶測に対して反対意見を述べることはなかった。ただ内心は鼻で笑っていた。

強い者が剣神になるのだ。

剣神になったら流派を守らなければならぬとは了見違いも甚だしい。

この10年の間、普段は手合いをしないザックが剣神として模範にならないと不平を言っていたくせに。

つまりは剣神の行動が流派を守っていなかったと認識していたくせに。

目の前から居なくなったくらいで何が変わったというのか。

 

そんな掟も責任も義務もありはしない。

そもそもザックは強いだけで弟子に何かを教えるということをしない人物だった。

ザックが剣神になって剣神から剣を教わったという人間は皆無だ。

 

そんな中、唯一残った剣帝であるアグナルが次の剣神になるべきだという声があがった。だがアグナルは剣神になることはなく、剣神は空位になった。

 

 

--

 

さらに1年が経ち、剣の聖地に新たな風が吹いた。

武者修行に出ていたガル・ファリオンが戻ってきたのだ。

剣聖だった彼は旅に出て、戻って来た時には剣帝の素質を感じさせる剣王といった力を持っていた。

 

初代の直系で素質のある男だったが、鼻っ柱の強い人物でそれ故に伸び悩むとアグナルは思っていたわけだ。

こういう人物はどこかで躓くと。

 

どうやら旅の中で列強2位の龍神と出会い、闘い、生き延びたことで彼は考えを変えたらしい。言動や態度にはまだまだ謙虚さはなく偽悪的な態度が垣間見えるが、その偽悪的な態度の裏には確信が潜んでいる。

『合理』なる物を標榜し、より早く、より重く、初代の強さを体現しようとしているのが判る。

そして3年の間にアグナルは彼を自分と同じ剣帝とした。

 

そしてある日、道場に水神レイダが現れた。

剣帝ガル・ファリオンが生まれて1年もしない頃の話だ。

彼女はアグナルとガルを相手にし、彼らをぶちのめした。

また剣の聖地は水神流が覇権をとる。

2人はそう思った。

 

「ガルのぼうや。あんたが剣神を名乗りな」

 

だから突然言い渡された宣告に、2人共が戸惑った。

 

ザック(剣神)もレオンもいるのにそりゃぁおかしいだろうがよ」

 

「戻ってこなきゃどこかでおっ()んでるさ」

 

「あいつらがそう簡単に死ぬか?

 まだ婆さんと呼ばれる程耄碌した訳でもないだろ」

 

「おむつも取れたか怪しいひよっ子が。

 このあたしを馬鹿にするんじゃないよ。

 七大列強上位に闘いを挑んだ、とかありえないことじゃないよ」

 

「七大列強上位か。例えばそうだな龍神オルステッドとか」

 

「ありうる話さね」

 

「ハッ、そうかもな。

 人として強くてもバケモノの強さに勝てるとは思えねぇ。

 それが真実だとしてもだ。

 アグナルにだってなる権利がある」

 

「待て。

 なるならザックとレオンが居なくなったときになっていたさ。

 推薦してもらったようで悪いが、私にその気持ちはない」

 

「だそうだよ」

 

「アグナルがそうなら俺だってそうだ。

 この1年、剣神を空位にしていたんだからな」

 

水神流のお節介で剣神になるなんて、御免こうむる。

ガルの顔にはそう書いてあった。

 

「あんたら2人共なるつもりはないっていうのかい?

 そりゃ困ったねぇ」

 

「何しに来たんだよ。

 まさか本当に剣神を名乗らせたくて来たのか?」

 

「そのまさかだよ。

 剣神不在の話が広がったせいでどうみても水神流に向いてない輩が水神流(こっち)に入門して来て困ってるのさ」

 

「剣神流向きのバカはちゃんと剣の聖地(こっち)で受け入れろってか?」

 

「人には向き不向きがあるって話さ」

 

「ガルはそう言う意味では剣神向きだと私も思う」

 

「何を言い出すんだよ。アグナル」

 

「お前が言っている『合理』っていうのは中々面白い理論だ。

 真似をしている者達が明らかに強くなったのも頷ける。

 剣神になればもっと多くの者がお前を真似しようとするだろう」

 

「盗みたい奴には盗ませるが、俺は一から十まで教えるつもりはないぜ?」

 

「ザックは鍛錬すら他人に見せなかった。

 そうでなければ私は構わない」

 

「あたしゃ、しっかりやって欲しいけどね。

 自分より物分かりの悪い者に教えることで、より理論は研ぎ澄まされるはずさ」

 

「全く。しょうがねぇな。

 剣神になったって言えば、また面白い奴らが集まってくるかもしれねぇか」

 

この日、剣神ガル・ファリオンが誕生することになった。

 

 

 

 




ギレーヌ
-幼い頃
 ヘイムダルに拾われて村を出る
 聖剣街道を南下する
 盗賊に襲われる
 エリナリーゼに逢う
 ライナルトと闘い、大怪我をする←New

剣の聖地の歴史
-ずっと昔(ギレーヌが来る8年前)
 ザックが来て現剣神を倒し、新たな剣神になる←New
 ザックとヘイムダルが闘う。ザックの勝利(ヘイムダルは旅へ)←New
-それから8年後
 ヘイムダルがギレーヌを連れて帰ってくるが、すぐに居なくなる。←New
 ギレーヌはカルテイルの道場へ
-さらに3年後
 ザックが消える←New
 アグナルは剣神を辞退する←New
-さらに1年後
 ガル・ファリオンが武者修行から帰ってくる←New
-さらに1年後
 水神レイダがやってきて、ガル・ファリオンが剣神になる←New


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