無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。


第073話_間話_Recreation_余暇_後編

---幸福を得るための計画(スケジュール)に、怠けるための休日なし---

 

 

4日目と5日目は車軸は動かず車輪だけが回転するタイプのサンプル製作に着手した。と同時並行で空いている炉を有効活用するために雄ネジ/ボルトと雌ネジ/ナットの製造を開始した。しかし、そこでかなり苦労した。

 

雄ネジはどのような径でも手作業で削って作ることができる。また車軸の両端に付けた径の大きい雌ネジなら内側を手彫りできる。けれども径が小さい雌ネジは切削するための角度を得られないために手彫りが出来ないという問題にぶつかった。

 

そこで前日のメモの通り鋳造を試してみた。

最初に土魔術で生成した石を彫り、分割したパーツから鋳造用の型を作る。

鉄が冷えたときに収縮することを考慮に入れて欲しいネジ穴より少し大きな型にする。

型には空気穴と注ぎ口、それに雌ネジの外周のための型と、雌ネジの内径つまりネジ山が付いた型の2つのパーツから構成する。

2つの型を万力(ゴーレム)で圧着し、溶けた鉄を注ぎ口から流して冷やす。最初は問題点を洗い出すために割れを気にせず水魔術で強制的に冷却し、時間短縮をした。それで出来た雌ネジを鋳型から外すために逆ネジ方向に回す……回そうとしたが途中で引っかかり、外れない。どうやら鋳型のネジ山に問題がある感じだ。

仕方なく雌ネジ側が削れてしまうのを承知で鋳型に闘気を込めて回した。ぬるりとした感触の後、雌ネジが外れたものの、やはり内径は削れてしまって使い物にならなくなった。

 

「ふむ……」

 

俺は削りカスを払い、歪んでしまった雌ネジを舐めるように観察した。

失敗だ。

どうみても失敗。

外すときに回した回数を思い出しつつ鋳型側にあるネジ山を観察する。引っかかってしまった理由は何か。

鋳型のネジ山が綺麗な螺旋を描いていないせいで、鋳造した雌ネジのネジ山も綺麗な螺旋を描いていなかった。それを回したから山と谷がぴったりと合っていない所が生じ、途中でひっかかってしまった。

そして鋳型のネジ山に闘気を込めたので雌ネジ側のネジ山がそこから削れてしまった。

 

「ここから先は外そうとして溝が削れて溝幅が広くなった……」

 

独り言が口をつく。

闘気を込めた鋳型のネジ山によって雌ネジの内径側の溝が壊れている。もし鋳型に彫ったネジ山が綺麗な螺旋を描いていればお互いが干渉せずに壊すことはなかったというわけだ。

ならやるべきことは綺麗になるまで鋳型のネジ山を調整することだ。

が、目の前の結果は何か違うことを告げている。

 

うーん。

 

新しいネジの溝。意図した物とは若干狂った角度の溝。だが溝は溝だ。それが出来ている。鋳型によって付けられた溝と削って変化した溝が重なっているので欲しい物とは異なる結果になったわけだ。なら鋳型の溝を無くしたらどうだろうか?

 

今、凄い事に気付けた気がする。

 

雌ネジの内側を削って内径のネジ山を作ることができる。削る道具はネジもしくは螺旋の形のドリルで良い。鋳造ではなく闘気を使って雌ネジを作る。

 

その可能性が見えた。

 

そこから数回の試行錯誤によって俺の閃いた雌ネジの作り方は形になった。

まず用意した六角柱の鋼材にドリル代わりの工具で小さな穴を開ける。そこに闘気を込めたネジ山を垂直に差し込んで慎重に回していくと闘気を込めたネジは穴の壁面を削って雌ネジの内径を作る。その時に出る削りカスは先に開けた穴から落ちていく。

後は必要な雌ネジの幅に合わせ、六角柱をハムのように切り分けると雌ネジの完成となった。

 

雌ネジが形になったら今度は製作用ネジに出来たものを回してみて、弛みがないことを確認する。動かしてみることで製作用ネジと雌ネジの精度を上げる。雌ネジが満足いく精度になるまで手作業で切削したネジ山を調整した。

 

雌ネジの精度が高くなったら、その雌ネジを雄ネジの製作に使う。

雄ネジのためにT字の部品を鋳造し、先ほど作った雌ネジに闘気を込めながら、鋳造したT字の鋼材をねじり込んでいく。すると雄ネジのネジ山部分ができた。最後に、ネジを回すためのネジ頭の切れ込みから鋳造時のバリを取って完成とした。

 

いつの間にか車軸の製作をほったらかしにしてネジ製作に夢中になっていた。

まぁ、無駄ではないので良しとしよう。

 

--

 

6日目になって車軸と車輪を組み立ててバーベルを作った。今回のサンプルは車輪だけが回転するサンプルだ。

サンプルを動かしてみることでいくつかのことが判った。

まず車輪の径が多少違っても真っ直ぐ進む。これは予想通り。

ただし、車輪の径が違うと馬車は傾いてしまうので結局は一緒の径になるようにちゃんと作らねばならない。

次に軸と一体化しているとほぼ不可能だった旋回ができるようになった。出来るには出来るがその旋回性能は非常に低い。車軸に固定されつつも車輪が斜めにスライドすることで旋回を成しているので、それなりの隙間が必要なのだ。その隙間は車輪が回転する毎にガタガタと揺れる。揺れは居住性を低下させると共に力のロスになる。揺れを嫌って隙間を無くそうとすればするほど摩擦が生じ、摩耗したり熱が発生したりする。熱や摩耗は車輪の寿命を短くする。一応、対策として接触を防ぐために潤滑油を差して油膜を作ることができる。しかし、この方法は埃に弱くなる。車輪は接地面に近いので埃に弱いというのは厳しい。

 

ブレイクスルーをするためには、この世界とは違う方式(車輪と車軸が一体になって回転する方式)で作りたい。しかし、どう頭を捻っても旋回できないという問題を解決する良い案が出て来なかった。それで車軸を中心に車輪だけが回転する方式の問題について対処するためのアイディアを探すことにした。

 

前前世のことを思い出してみると、ずっと昔に作った四輪駆動の車の玩具に鳩目と呼ばれるパーツが付いていた。鳩目とは真鍮を素材としたツバの付いた環状の金具だ。これをシャーシに固定するための樹脂製のパーツとセットで使う。この鳩目と呼ばれる金具は車軸が回転しやすいように内側が磨かれていて摩擦抵抗が少なくなっている。それと共に車軸に接するシャーシが傷つかないようにしていたはずだ。これを車輪の中央に設置して車軸の回転から車輪を保護すれば車輪の内側の寿命を長くすることができるだろうし、取り替え易くしておけばメンテナンスが楽になる。実際、木製の車軸受けは自作の旋盤を使って作ったため旅の途中で壊れると修理が非常に面倒だ。鳩目金具を何個か予備で持っておくだけで鳩目部分が傷んでも大規模な修理に至らずに済むだろう。

一頭曳きの常歩(なみあし)で歩くだけなら車軸の回転速度は遅いのでおそらく熱は考えなくて良い。残った問題は金具と車軸の間に発生する摩擦に対して金具の厚みをどれだけにするか、どのように面取りをして研磨をするのかということになる。

 

実験するために土魔術で2種類の金属を生成し、同時に炉に()べて合金を作る。炉に焚べ終わってから2つの石で鋳型を作り、厚みの異なる40個分のパーツを成型できるようにした。

鋳型を作り終え、一段落つこうと石のコップへ水を注ぐ。水を一口。

 

「ねぇ、ルディ」

 

そこへゼニスの声が右斜め後ろからかけられた。

彼女が迷いながら近くに来たことは、その近づき方から察せられた。

振り向いて彼女の顔を窺うと、予想通りに戸惑いを含んだ表情が見える。

 

「母さま、どうしました?」

 

それでも気付かない振りをして俺は用件を聞いた。

 

「あの人の腕は治せないのかしら?」

 

「治癒魔術師の母さまならご存知かもしれませんが、王級治癒魔術で欠損した肉体を再生することはできます」

 

ゼニスの質問の意図と迷い。彼女の声音。

質問の意図が『俺の魔術で』腕を治せるか?であったとしてもそれを素直に答えてはいけないと思わせた。

 

「失った腕を治すなら帝級治癒魔術でしょう?」

 

ただ魔術的な知識として答えるだけに留めたのだが、俺の言葉はゼニスを混乱させてしまったようだった。パウロの腕を治せるかどうかの回答の前に治癒魔術の理論について説明する必要が生まれる。それは少し本題と外れることになり、誤魔化す態度に見えないだろうか。

まぁ良いだろう。俺は真摯に答えるだけだ。

 

「教本レベルではそのように書かれていますね。

 でも結局のところ魔術とは魔力をどのように構成するかということに尽きます。

 治癒魔術は相手の肉体から修復情報を読み取り、魔力によって流れを正して修正力を発生させ、肉体の回復を加速させます。さらに王級以上になると修復情報から不足部分を魔力にて復元する工程が追加されます」

 

「王級と帝級に違いはないの?」

 

「少し難しい理論になりますから良く聞いてください。

 帝級と王級の違いは魔力にて復元する工程の中で、より細かい工程として対象者の欠損を治すために必要な魔力量を最初に読み取る工程があるかどうかです。

 帝級治癒魔術にはそれがあるため、対象の欠損量に応じて必要な魔力が変動します。ですから不足すれば魔術自体がそれ以上発動せずに終了します。

 王級治癒魔術にはそれがなくて魔力の量は固定ですが、発動しても修復に必要な量が得られなければ完全には治らずに終了します。また今の父さまのように一度、体内の魔力が安定してしまうと修復対象に見ないという問題もありますね」

 

「そうなの。

 なら間違っているかもしれないけれど……やっぱり帝級治癒魔術でないとあの人の腕は治らないということかしら?」

 

「そんなことはありません。

 王級治癒魔術でも重ねがけによって無理矢理魔力を追加することが可能ですし、解毒魔術やもしくは少し荒っぽいですけど、物理的な方法を使って安定してしまった魔力を不安定化することができます」

 

「そう。それなら」

 

ゼニスは最初の意図に戻ろうとした。その意図は前世がどうとかに関係なく察せられるつもりだ。だがそれを言わせない方が良い。そう思えたので言葉を被せる。

 

「母さま。厳しく聞こえるかもしれませんが、腕1本を治すために家族の命を危険に晒すのも、妹たちの勉学の時間を治癒術師捜索に費やすのも賛成できません。そう言った僕の意見をこの際は考慮に入れなくても構いませんが、今回のことを最終的に決めたのは父さまですから、ご相談する相手は父さまが良いと思います」

 

「……そうね。

 ……そうよね」

 

ゼニスは反論せず少し落ち込みながら同意した。

その様子に若干の罪悪感を感じるが、俺には俺の予定がある。

そしてゼニスにもゼニスの思い描く予定があるだろう。

そう思って次の反応を待った。

 

「……私ね。ルディ」

 

「ええ」

 

「あなたにも普通の子でいて欲しかったの」

 

「それはご期待に沿えなくて……ごめんなさい」

 

「謝らなくても良いのよ。

 それはお母さんの考え違いだったんだから」

 

「そうなんですか?」

 

前世には救世主となるよう運命づけられた子を持つ親だった。だから俺は普通の子でいて欲しいという気持ちもわかる気がした。でもゼニスはそれが間違いだったと言う。

 

「昔の仲間にね、『息子との溝を埋めたい、どうすれば埋めることができるのか』って相談したの。そうしたら仲間が言ってくれたの。その溝は私が作っているだけだって。私はそんなことないって思ってたから、じゃあ私はどう考えていたんだろうって思い返してみたの」

 

俺は家出した。溝を作った。でもギレーヌかタルハンドかギース、もしくはその中の複数人がそれは違うと言ってくれた、ということだろう。そう解釈しながらゼニスの打ち明け話を黙って聞いた。

 

「昔はちょっと才能がある、それ以外はどこにでもいる普通の子だって思ってたはずなのにね。

 それがいつの間にか何も言われなくても頑張ってしまう子だって思うようになっていたの。

 自分とは違う、普通ではない子だって……だから考えも判ろうとしなかった」

 

その言葉に悪い気はしなかった。やはりゼニスは俺のことを能力的な面で恐ろしいとは考えていなかったのだ。それが嬉しい。

なにより人の想いを推し量ることは難しい。人には色々な隠し事があるものだし、俺にだってある。

全ての気持ちを曝け出して自分を全部解って欲しいなんていうのは青春時代に感じる無茶な要求に過ぎない。翻ってゼニスがこの話を俺にすることで気持ちが楽になるなら、口を挿まずに聞いてみようと思えた。

 

「だけど、それは違うなんて言われたから私が何かを言ったのかもって考えて、いろいろ思い返してみたけれど、それでもしっくりこなかった。

 その内に『言われなくても』っていう前提は違うかもってふと思ったの。

 勝手に頑張ってしまうんじゃなくて、普通の人と同じように目標があるから頑張ったのかなって考えてみたの」

 

俺は自分の手元にあるコップの水を飲み干して、自分の分に水を注いでから同じようにゼニスの分を用意した。

ゼニスはそれを両手で取り上げて、彼女自身の方へと引き寄せたが口を付けずに話を続けた。

 

「旅に出るとき、フィットア領で良くないことが起きるからそれを解決するんだって言ってたわよね。あの災害の状況をみて、あぁこれがルディの言っていた良くないことなんだろうって納得したの。でも災害が起こってもそれで人が沢山死んでしまってもシルフィの前で喜んでしまうくらい嬉しかったんでしょう? ならルディの旅の目標は達成されたってことだと気付いたのよ。それって何なのか考えたの。あの災害を止めるためではなく、起こってしまった後の復興資金としてお金を稼いでるって聞いていたし。

 そしてルディの目標は、災害が起こった直後には判断が付けるくらいの事だったんでしょう。光に巻き込まれた人の中で誰が死んだの? その数は? それはきっとすぐには判断が付かないわ。判っているのは既にキャンプ地に居た人は助かったってことよ」

 

ゼニスはようやく一口、水を含む。

 

「あのキャンプ地に居た人。私達家族? エリスちゃんの家族? シルフィやシルフィの家族っていう可能性もあるのよね。

 それでまずはパウロに話を聞いたり、リーリャに相談したりしたわ。

 そうして判ったのはルディが旅の直後に私にだけ像をプレゼントしてくれたってこと。

 ねぇルディ。この災害をルディが止めようと動かなかったら、私ってどうなったのかしら?」

 

ゼニスの質問は俺が曖昧にしていた事に辿り着いた。気付いて欲しかったと明確に思ったわけでもないが、いつの間にかそうしてしまったという可能性は自分の中にもあった。知らないことが幸せだと思いながらも前世の後悔が残っていたんだと思い知らされていた。

 

「僕の占いでは母さまはその、色々あって……」

 

「ルディは私のことを助けようと頑張ってくれた。そう思ってもいいのかしら」

 

「はい。母さまのことをもし助けられなかったとしたら、あの旅は全部失敗だったと思います」

 

「そうだったの……」

 

ゼニスが立ち上がる。少し遅れて俺も立ち上がる。

 

「抱っこさせてくれる?」

 

ゼニスの申し出に俺は両手を広げた。

最初、ゼニスは俺が広げた両手を見て脇の辺りを持ち上げようとして何か違うと思ったらしい。

腰の辺りをホールドされて持ち上げようとした。

旅の後半に食欲が減退して痩せ気味だったが、最近はストレス性の味覚異常も無くなり、筋肉質な身体を取り戻しつつあるし、ゼニス自身の元冒険者の腕力もしくは育児と家事で鍛えられた力を過信しすぎだ。

仕方ない。俺が少しバランスを取ると視線がリフトアップする。

 

「うーん。また大きくなったわね。もう子供扱いされるのは嫌?」

 

確かに。抱っこされた俺はゼニスの頭頂部が見えるくらいには大きくなった。

ゼニスはそんな俺を見上げている。

 

「そんなことはないです。僕はいつまでも母さまの子供ですよ」

 

俺は真面目にそう言った。どう受け取ったのかゼニスは少し考えた素振りを見せる。

そのまま復興途中のブエナ村を無言で二人で眺めた。

 

「ルディ」

 

耳元でゼニスが囁いた。

 

「なんですか?」

 

「ありがとう」

 

それからゼニスの耳が俺の心臓の辺りに押し付けられる。

彼女は満足がいくまで俺を抱っこし続けた。

そんなゼニスが実に幸せそうで俺は抱っこが終わるまで重力魔術を細かく調節することになった。

 

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ゼニスとの会話と昼食をはさんで作業場に戻ってくると、炉の中の物を取り出す時間が来ていた。

そこで炉の栓を抜いて中の溶けた金属の出来を調べるために石の柄杓で受け取り、確認する。

粘度を確認して問題がないと判断。そのまま鋳型の注入口へと注ぐ。ゆっくりと気泡が出来ないように。

鋳型が作り出す空間に溶けた金属が流れ込み、空気の抜け口から中の空間にあった空気が抜けていく。そして空気がなくなれば空気の抜け口から(よだれ)のように金属がこぼれる。それを見て鋳型の中が満タンになったと判断すると、最初だけ水魔法で万力役のゴーレムごと鋳型を冷却する。後は焼き割れが怖いので自然に冷めるのを1日待つ必要がある。

 

 

さて時間はまだ昼が過ぎたばかりなので冷えた後の作業のことを考える。鳩目金具が冷えたら余分な場所を削って磨く。

金属生成魔術は前世で研究できていたが用途が見つからなかった魔術だ。そして現世でタルハンドによって合金への道が開かれたものの、まだ研究の時間は少ない。今回の合金に対する切削の方法と磨き方についても整理していこう。

 

引きこもり中に作ったプラモデルはさまざまな番手のサンドペーパーを使って表面を処理していた。

対する前世から始めた土像フィギュアは土魔術で形を造り、パーツ毎に削って形を整える方法を取る。岩砲弾の際に魔力を重ねがけしながらドリルの形に土塊を変化させるというのはやや特殊な手順である。多くの土魔術を詠唱すると魔力から生成した土を造形して形状を変化させたり、圧縮して強度を変化させる制御がある。単に土を生成するだけでは攻撃や防御には役に立たないから当たり前の話ではある。土魔術で詠唱に依らずに魔力制御するならば制御できる幅は広くなり、圧縮せずに形を変化させることができる。ただし、魔力で生成した土がどこかへ消えてなくなるわけではない。余分になった容積分は余り、削りカスのように落ちる。形を繊細に整えることが可能であるため、この場合は表面の処理は必要ない。

 

話は戻って魔術によって直接作れず精錬と鋳造の工程を経た合金の形を整えるには、切削加工と磨き加工が必要になる。魔術だけで言えば硬度を増した小さめの土槍を彫刻刀のように使って削る方法、水流を細く絞ってウォータージェットのように使う方法、氷霜刃で削る方法、風裂で斬る方法が考えられる。だが石から金型を作ったように効率的には闘気を使って削るのが最も優れている。

磨きについては適当な魔術もないので木か石を目立てしてヤスリを作る。闘気を使えば石のヤスリで硬い金属を研磨することもできる。

結局、切削加工や磨き加工をする場合は闘気を使うのが良いという事になると思う。

その他の加工としてはプレス加工や曲げ加工があると思うが、それらは重力魔術やゴーレムを使うことを検討している。

 

 

次の研究をしよう。

冷却中の鳩目金具の話はあるとしても車輪と車軸を組み立てたバーベルのようなパーツが出来た。次は前輪用のパーツと後輪用のパーツを連絡する部品について考えてみる。従来の馬車で言えばそれは荷台の箱部分となる。その設計に手を加えることにする。

例えば、例えば……うーん。馬車の荷台に座席とか収納スペースとかを付けるとかか?

これまでの経験を思い出してみよう。

貴族が乗る馬車には前向きに座る横並びのソファがついていたが、座り心地の良いものではなかった。馬車自体が揺れるのでわざと固めの設定にするらしい。そうしないと揺り返しが出て酔いやすい人は酔ってしまう。

乗り合い馬車は2頭立てで幅広の荷台をしており、荷台の中には横向きに向かい合わせになるよう木の座席が左右に1列ずつ並ぶ。座席と言っても大層なものではなく、荷台の側面に腰かけられるように木の板が渡してあるだけだ。手荷物は膝の上に載せておくか板の下に収めることができた。家族で聖剣街道を旅したときも似たようなものだった。

それとはまったく違ったのが商隊の荷馬車。商品の入った木箱がぎっしりと詰められるようになっていた。

そして転移事件後に旅で使った馬車。ルイジェルドは御者台にいて成人前のエリスと二人で何もない荷台に座るだけ。特段の工夫もなく、旅の荷物と一緒の扱いだった。

あれこれと考えてみて、ついには日が暮れてしまった。中々良いアイディアが浮かんでこない。出てくるまで時間が掛かる気がする。

 

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7日目に入り、まずは冷却の終わった鳩目金具を鋳型から取り出す。

取り出した金具には注入口やパーツ部分から次のパーツ部分へと繋がるためのゲート、空気抜けの穴、さらにパーティングラインといったバリが付いている。凝固時の収縮が予想よりも大きいとできるヒケもあるかもしれないので念入りに状態を確認する。

確認したところ幸運なことに大きなヒケは見つからなかった。元から削ることを前提に肉厚に作った物が多いのが主な理由だろう。

ヒケがあると鋳型の設計からやり直しになるので手戻りが無くて一安心する。

それからバリを削り落として形を整える。サンプルのバーベルパーツを一旦バラシて車軸だけにすると、そこに鳩目金具を付けて作ったヤスリで綺麗に回るように磨く。

 

金具の内周がガタガタだと車軸は綺麗に回らずに力のロスが発生する。そこで金具の内周を磨いて滑らかにすることで次第に回転がスムーズになる。磨きすぎると隙間ができるので慎重に。

 

無心で磨くというのも良いものだ。

『磨き過ぎないように綺麗に磨く』という1つの事だけを考えているわけだから無心ではない。

なんていう雑念も次第に薄れていく。

7日目、8日目があっという間に過ぎて、その間は効率化とか比較検討といった難しいことは考えなかった。

だから作業をしつつも良い休憩になった。

 

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そうして馬車の研究を始めて9日目。

磨き終わった鳩目金具を次々と車軸に嵌めて回していく。磨きながら十分に確認したので回転は綺麗だ。

それでも一見同じように磨いた物の中に僅かな違いが感じられる。

その違いを計測し、図面に起こす。図面から違いがある理由を想像する。

 

当然の結果に聞こえるかもしれないが、車軸と接している面積が多いと動き出しの抵抗が大きくなるのではないか。そう気づいたのは完全に磨き切ることで車軸との接地面積はある時点から増加し、動き出しの抵抗が大きくなったからだ。視点を変えると、適度に磨くことで滑らかな内周が回転のスムーズさを実現しつつ、磨き切った場合より接地面積を少なくできるということになる。顕微鏡があるわけではないので想像でしかないが、それがどういうことか図示してみる。

 

磨き過ぎた面をどうすれば適度な磨きに戻せるだろうかと考えてみる。

接地面積を減らす。図面の中で鳩目の内周と車軸の接する部分を減らす。

接する部分を減らすために等間隔に削り線を入れてみる。削って滑らかでなくなった面があたらないように削った頂点を滑らかな線で結ぶ。その結果、内周が波型になった。

でも車軸と全く接しない部分を綺麗に削るのは無駄だ。だから波型ではなく小さい半円柱(かまぼこ型)を敷き詰めたようにする。

 

この方法が一番良いかどうかは判らないが、図面通りに削ってみる。

さらに鳩目金具が収まるように径を大きくした車軸受けとそれに合わせた車輪を組み直す。

金具の外側が車軸受けと接する部分もガタガタしないように磨く。

そして不思議なことに気付いた。もともとは車軸受けの摩耗を車輪から守るために作っていた鳩目金具だが、磨いていくと車輪の回転よりゆっくりと中の鳩目が回るのだ。回るというよりは滑る、そんな感じだ。

中の鳩目が滑るからといって揺れが増すとかいうこともない。

ならば内側と同じように削ることでもっと楽になるかもしれない。

可能性があるならやってみるべきだ。そう考えて実際に削って手で車輪を回すと鳩目が滑った方が車輪を長く回すことができた。

理由も曖昧で細かい計算もできていない。あくまで経験と偶然の産物でしかないからどれくらいの耐久性があるかは未知数。それでも元々の課題解決が形になったので満足だ。

ついでにこの鳩目金具は車軸を通すとヒマワリのような形になったのでサンフラワーと呼ぶことにした。

 

9日目のメモ:『魔術や闘気を用いたサンドペーパー、砥石、研磨剤の研究』、『金属同士を効率的に滑らせる方法』

 

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10日目に入っても馬車の内装に関しては良い案が出てこなかった。

収納スペースをどれくらい確保すべきかも分らない訳だし、内装のブレイクスルーは実際に乗る家族の意見から課題を考えた方が良いかもしれない。

時間は限られているので別の課題について考えよう。

 

目の前にはようやくできた車輪と車軸を組み立てたパーツが2つ。多めに作っておいたボルトとナット、車軸用の鋼棒の残り、それに失敗作の残骸の山。

とにかくこの2つのパーツを繋げて、4輪の台車を作ってみよう。

そう考えてこれまでの手順を元に角鋼棒を作り始めた。

 

角鋼棒を冷やしている間に図面を描く。

描いていてこれは馬車の骨組みだなと思えた。骨組み、もっとイカした言い方をすればフレームだ。

『第3世代のムー〇ブ〇フレームがあればウェイ〇ライダーに完全変形できる』という雑学に基づいて馬車に変形機能を持たせる必要性はないとしても、荷台の機構をフレームと居住空間に分けることにはメリットがある気がする。

 

まずはフレームを明確に定義しよう。フレームは居住空間以外の全ての部分とする。即ち、車輪と車軸を合わせた走行装置と車軸上に作った長方形の鉄骨の枠だ。

こうすることで耐久性や剛性の計算が簡単になる気がするし、そういう計算については詳しくないので居住部分を作らずにフレームだけトライ&エラーで作ってみて、すぐ壊れるなら再検証も容易になる。

そういう訳でボルトとナットで留めて4辺の長方形に組み、前輪軸と後輪軸の上にのせ、適当な位置で同じくボルトとナットを使って固定する絵を描いた。

 

角鋼棒が冷えて作業に取り掛かれるのは明日以降だろう。そう思って手に任せて馬車を描く。描いた絵の特徴は今まで乗ったことのある馬車の面影を見せた。その中の一つに目が留まる。ルイジェルドとエリスと3人で中央大陸を旅して、フィットア領の真新しい復興キャンプ地まで乗ってきた馬車だ。その馬車の揺れを使って今と同じくらいの若さのエリスが「バランスの訓練よ、ルーデウスもやったら?」というようなニュアンスの言葉を投げたことを思い出す。

あの時の俺は馬車の突き上げるような振動で尻が痛い時があったので真似をするか迷った。が、目線の先にあるエリスのまだ十分には鍛えられていなかった太ももを眺めることを優先していた。仁王立ちするエリスの太ももを目に焼き付け、たまに揺れる丘の柔らかさを想像していた。そして夜な夜な用を足しに行くついでにピンク色の欲求を開放したのはまさに童貞の所業だと言えよう。

 

そうだ。馬車の一番の問題は揺れだ。これを改善するのが大きなブレイクスルーになると思う。

残念ながら車輪の研究では耐久性の改善について考えることができたものの、揺れの軽減になるだろうゴムタイヤの代替物は発見できなかった。だから走行装置と居住空間の間、つまり骨子(フレーム)に何らかのアイディアを導入したい。

揺れを抑えるために必要なのは衝撃吸収機構だ。俺は自動人形セブンスターシリーズを作るために狂龍王のノートを基にザノバと協力して人工関節と人工筋肉を研究している。自動人形が飛んだり跳ねたりできるように材料の構造や組成によって衝撃吸収機構を作ることはできる。だがこれでは『元異世界人としてのブレイクスルー』にはならない。だから少なくとも起点となる考え方は異世界技術を基にしたい。

そこで前前世の自動車の構造から考えてみよう。自動車は高速に移動でき、現世の馬車よりもずっと快適な居住性を実現していた。ということは自動車には衝撃吸収機構が備わっている。それが何か。1つは空気の入ったタイヤだろう。だがこの世界でゴムを見たことは無い。曖昧な記憶を頼りにもっと思い出してみると、砂漠を走るバギー車(オフロード車)のタイヤの内側には大きなスプリング(螺旋状のバネ)とその真ん中に良く判らない筒を差した物があった気がする。あれが衝撃吸収機構に類するモノだろう。

 

真ん中の筒の意味は解らなかったので試しに土魔術を使ってスプリングを作る必要がある。

段取りとしては鋼棒を作り、熱い内に適当な太さの棒に巻き付け螺旋の形状へと加工する。そして熱処理によって弾性を得るようにする、ということになるだろう。ただ問題は剣のような硬さと靭性を出すためのやり方についてしかタルハンドから学んではいない。

タルハンドから習った知識で言えば、熱した金属を何度まで冷やすか、温度が判らなければ何秒水につけるかというのを熱処理という。その方法や回数によって金属に粘りを出すことができる。タルハンドがルード剣の最初の一本を作るまでに多少時間がかかったのもルード鋼から作った刀身をどうやって鍛造しながら熱処理するかという最適解を見つけるための時間だったと聞いている。そのかかった時間の長さを考えればスプリングやバネの熱処理方法を研究する暇はない。

 

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前世日記や前前世のメモは前に見た。当初思っていたような螺旋状のバネは作れない。作り方が判らない。そうだとしてもバネは衝撃吸収のキーになると思う。

もっと言えば振動による運動エネルギーをバネの持つ弾性エネルギーに変換する。さらに弾性エネルギーの開放をバネの復元する分に抑え、残りを熱か光か別方向の運動エネルギーへと変換する。

 

元に戻るだけのバネ。何か昔に調べた気がする……バネ……。

 

あぁそうだ。

昔作ったチャクラをどうにかするオーガニックな巨大ロボットの模型に備わっていた『板バネ構造』を利用することができるかもしれない。

この『板バネ構造』なる代物は板バネを使って負荷を逃がしている。俺は当時この原理が良く判らず、設定資料集を読んだり、ネットで質問したりしていたから未だによく覚えている。当時の理解によれば、それはSF設定ではなく現実に負荷(つまり衝撃)を吸収することができる。一番納得が出来たのはスキー板だ。

スキー板はただ真っ直ぐの板になっているのではなく、スキーの靴をセットする部分が頂点になるように弓なりに反っている(これをキャンバーと言う)。そうすることで上から荷重がかかった時に真っ直ぐになる。反りがないと、自分の自重で板が逆に反ってしまいスキー板の面圧を一定に保つことができなくなる。

 

昔の自分と同じようにスキーの板がバネなのか?という疑問もあるだろう。

そこでバネとは何かもう少し詳しく定義しておく。

弾性、つまりは力を加えると変形し、加えるのを止めると元に戻る性質を持つ物は全てバネとする。コイルバネのように力を加えるのを止めたときに反対方向に飛び出すかどうかは正確なバネの定義とは異なる。

兎に角、弓なりに反った板状の物で反りを押すと一定方向に伸び、押すのを止めると元に戻るのが板バネだ。例えば板バネに3cmの反りがあって、それを真っすぐになるまで(0cmの部分まで)押すと、板バネは真っ直ぐの長方形の板になる。押すのを止めると反った状態に戻る。つまり衝撃によって生じる運動エネルギーを一時的にバネの弾性エネルギーとして保存して、バネの復元力として放出する。

 

そんな板バネをフレームと車軸の間に挟む。板バネが目的としているのは路面の凸面を乗り越えようとした際に発生する車軸の突き上げる力を弾性エネルギーに変換することだから、スキー板をひっくり返したような形になる。ただし、板バネの上にフレームを乗せ、フレームの上に居住空間となるボディを乗せることを考えると板バネは上から下への荷重に逆アーチ型のまま耐える必要がある。そうしないと板バネが折れたり、横から見た時にS字を倒したような形になったり、反りが裏返って戻らなくなってしまう。当然、下からの突き上げるような力に対しても強すぎる力が加われば板バネは折れてしまう。馬車の重量をスキー板のような物で支えようとすればスキー板は簡単に折れてしまうということは想像に難くない。

これをバネ限界と呼び、バネ限界値を超えた荷重が掛かれば先の課題が発生する。バネ限界値を増やすためには板バネを何枚も重ねると良い。荷重に対して板バネを直列に並べることでバネ限界値を増加できる。一本の矢では簡単に折れてしまっても二本、三本と増やすことで折れにくくなるってやつだ。

板バネを上手く重ねるには長さの違う板バネを用意する。一番長いバネを親バネ、長さの短いバネを子バネとするときに親バネの反りの外側に子バネを重ねる。そうするためには子バネの反りは親バネの反りより曲率が大きくなり、層状に重ねる結果、反りのある逆三角形の衝撃吸収装置が出来上がる。

重ねたものを纏めるために全ての板の中央部分にボルト穴を貫通させボルトとナットで固定する。

 

さて、この積層板バネを車軸の上に固定するには積層した板バネの中央部分のボルトを車軸にさらに貫通させ、ナットで固定すれば良い。そして親バネの両端をどうやって固定するかというのは少々悩ましい。なぜなら親バネの両端は動くので固定できないからだ。

完全に固定してしまうと親バネとして機能せず、子バネが弾性エネルギーに変換した部分だけの衝撃吸収しかできない(子バネが移動するときに他の子バネや親バネと摩擦が起き、熱が発生するのでもう少しだけ力の減衰は起こる)。これでは板バネが生み出す衝撃吸収効果ははるかに小さくなる。

そこで同じ積層板バネを用意して中央が上になるようにし、親バネの両端を車軸側の親バネの両端と結合する方法を思いついた。さらにもう1つのアイディアとして親バネの一端を固定し、他端とフレームの2点をピン留めした板で繋ぐ方法だ。この方法は固定端、車軸側の固定ボルトと合わせて4節の形になり、その内ピン留めした2点が自由に動くことで板バネの動きを固定にさせることができる。尚、親バネの一端を固定せず両端をピン留めすると動作が不安定になる。

 

バネ製作で分かるように中卒の俺は前前世の工業系の知識や技術を何でも理解しているわけではない。知っているのは興味があったパソコンと模型、掲示板で偉そうに知ったかするために調べた知識くらいだ。それと前世で研究した自動人形の持つ複雑で連続的な局面と剛性、人間的な動作を実現するために、機械的な機構について多少勉強と研究をした。また材料については一家言持っており、この世界の素材を使って弾力のある反った板なら作ることができる。

 

ビッシリと文字の入ったメモ用紙。そこから設計図を引いて必要なパーツを整理する。

型が必要なものには石型を用意し、手元に材料が足りない物をリストアップする。それが終わると、空いている炉を使って鉄を溶かす作業をして、炉に火を入れたまま目を離すのは危険なので材料を取りに行く前に炉の周りを土壁(アースウォール)で塞ぐ。

妹達が間違って近づいて怪我等しないようにした。

 

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魔大陸に飛び、魔物を倒し、材料を揃えて戻って来る。それらを作業場に持ち込むと、前世の知識を元に成型容器に剥離剤を塗る。次に材料を混合した混合液と凝固剤を入れて固まる前に型に流し込み、完全に固まるのを待つ。

炉の中の鉄はまだ溶けていないが、もう夕餉の時刻だ。

寝る前になったら炉の中の鉄を型に注いで冷却処理しておこう。

予定を組みながら肩を回す。そして夕支度で漂い出した匂いにつれられて家に帰った。

 

 

10日目のメモ:『鉄を熱処理することによって弾性を持たせる方法』、『衝撃吸収機構とエネルギー変換』

 

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11日目に入って反応が終わった板バネからは、長さの違う板バネを5枚で1組にして2セット用意できた。

それを積みあげて組み立て状態を確認する。

収縮の度合いから設計図のように綺麗には重ならない。

といってもこの状況は想定内なので、設計上の曲率になるように闘気を纏ったナイフで丁寧に削り、削っては重ねて状況を確認していく。

重なりに満足できたら車軸とフレームに対する位置決めをしてボルト穴を開け、ボルトとナットで固定する。

できた積層板バネは別にスキーの板のように弾力を感じられるわけではなく、闘気を込めずに力を入れても全く撓みが直りはしない。馬車は重い。恐らく何トンという荷重がかかる。だからこれで機能は十分にあるだろう。

正確には荷車を組み立てて乗り心地の確認をしたら判るだろう。

 

板バネは4輪全てに必要なので計8組が必要だ。だから成形容器を増やして量産する段取りをしつつ、もう一つのアイディアに必要なピン留め板を作っていく。

板バネの使い方の2つのアイディアはどちらが良いかを比較していかなければならない。乗り心地の問題だとすれば馬車を思い切って2台組み立ててしまおう。2台あれば比較も楽な上にボルトの位置、鋼材の強度や耐久力の試験も2倍の速さで進む。

このまま作業を進めればきっと荷車が出来る。その目途が付いた。

 

 

そんな風に研究と実験で10日余りを過ごした後のこと。

舞台は夕食終わりのひと時のことだ。ダイニングのテーブルにロキシーと俺が残っている。暗黙のルールで朝は二人で食事の片付けをし、昼は俺が、夜はロキシーが他の家族と一緒に食事の片付けをするのでこんな風に夜の食卓に2人が残ることは最近はなかった。これは何かがあるのだろうと思い、静かにそのときを待つ。

夢の中で子供を2人産み、約100歳になったロキシーに関する記憶と目の前にいる40代中盤で新婚のロキシー。それに新たに加わった要素が俺の研究に触発された1人の駆け出し研究者としてのロキシーだ。どちらにせよロキシーは既に大人の女性であり、俺が無闇に甘やかす存在ではなく、この数か月の間、何度も彼女に相談をしてきた。頼れる存在だ。そして今回も彼女は自分の力で研究したい、優しく甘やかさないで欲しいと俺に伝えている。優しさが侮辱になるときもある。そのように理解して黙って彼女が何かするのを待った。

 

「調子はどうですか?」

 

ようやく口を開いたロキシーの声のトーンには躊躇いが含まれていて、質問の内容も身体の調子か研究の調子か迷うような、もしくはどちらについて答えても良いように俺に委ねたものだった。質問を受けた俺にはいくつかの選択肢が浮かび、そして選ぶ。

 

「休養しろと言われていることは判っているのですが、いざ休んでみると少し手持ち無沙汰というか」

 

「ええ」

 

「身体も心も充実している感じがありますので、休養というよりは次の何かに備えようと思っています。もちろんのんびりと過ごしながらですけどね」

 

彼女は少し驚いたように瞬きをして、一言「そうですか」と応え、また黙ってしまった。この沈黙が示すモノ。聞いて欲しいのはロキシーの悩みのようだった。

 

「ロキシーはどうなのですか?」

 

「ダメダメです。中々上手くいきませんね」

 

「ふむ……」

 

「で、でも問題はありません。あまり上手くは行っていないですけど、元々作れる目途はありませんでした。それでも挑戦してみて色々考えることが何かの役に立つかもしれないですから」

 

上手くロキシーをフォローするためにはロキシー自身をどのように導けば良いのかという方針を決めなければいけない。俺は既に馬車製作の技術的な検討については洗い出している。ただそれだけでは足りなかったようだ。まぁ良い。手遅れということはないだろうから方針を決めよう。情報が足りなければ情報収集をしてから方針を決めれば良い。

 

「そうですか。もしかしたら今は役に立たないこともいつか役に立つ時がくるかもしれません」

 

「でもルディは次に起こりそうな危機に備えているんでしょう?」

 

「え?」

 

「違うのですか?」

 

なるほど俺の最近の日記からそのように判断した訳か。

 

「違いますね」

 

俺は上手く説明する言葉が咄嗟には思い付かず、短く答えた。

 

「どう違うのでしょうか……」

 

どう違うのか。ロキシーの認識は災害の前までなら正しかった。そしてそれは変わってしまった。それを説明せねばならないだろう。

 

「そうですね。孤独な予言者ルーデウスの人生は災害の結果を大幅に変えたことにより終りました。そしてロキシーと2人で共に生きるただのルーデウスの人生が始まったのです。そもそも僕には未来を予測する力も深い洞察力や思考力があるわけでもありません。災害までにできたことはその未来を知っていただけで、これからの未来に何が起こるかは予測がつかず、それに備えた行動をするのも難しいのです」

 

「でもこれからのルディの人生もただの一般人のそれとは思えないのですが」

 

「ただのルーデウスの人生といっても前世の知識がありますから、龍神の手先になるのならそれなりに癖のある人生ですね。といっても何か都合の悪いことが起こるのだとしても予言で先回りができるのではなく、普通の人と同じように持てる知識を使って都度対処していくことになります。ロキシーの意図しているところはその辺りのようですね」

 

「そうです」

 

「でも大丈夫です。

 そんな状況でより良い結果を得るにはどうすれば良いかの結論を僕は出しました。

 それは『研究しなかった物事について考え、課題の解決を図る』というものです。つまり準備と称してやっていることは新しい分野の研究です」

 

「はぁ。ルディの言っていることや日記に書いてあることを真似してみて、あまりの難しさに愕然としました。ルディはなぜそんなことができるのですか?」

 

俺は一度、目を閉じて考える。ロキシーの言葉は俺自身よりも信頼できる。つまり彼女の言っていることを正しいとする。とすると俺がそう思わない理由が俺の発言や日記に書かれていないところにあるということだ……考えがまとまるとゆっくりと目を開けた。

 

「僕はロキシーもシーローンの軍事顧問としての実績や詠唱短縮など面白い取り組みをされていると思いますよ。

 それと前世日記に経緯を書かなかったかもしれないのですが、僕は龍神を倒すために魔道鎧や武具の開発をしました。他にも苦手分野の克服という形で剣術、魔術に関する研究をしました。友人の手伝いとして自動人形の製作のための素材研究や技術開発もしました。龍神を手伝うために魔力回復ポーションの研究もしています。

 ですが一人で出来たわけではないです。誰かにヒントを貰って、それでも足りなければ協力を仰ぎました。

 むしろ一人で抱え込んだ剣術の一部については理論だけで終わってしまいました。運よく実践する機会を得たので今生で試しましたけれどね」

 

「言いたかったのはですね。そういった中で失敗しながら、もしくは他人の考えに助けられながら基礎的な考え方を身に付けました。 ロキシーが感じたような難しめの応用的な研究もその基礎的な研究があればこそです。最初から出来たわけではないんですよ」

 

「雷魔術の研究作業でも薄々気が付いていました。ルディは熟練の研究者なのですね」

 

「熟練……そうですね。あまり意識はしていませんでしたが40年近くの研究歴があります」

 

「ではルディのしている準備とは馬車の製作のことを指していたわけですか」

 

「……うーん。どうしたら正確に伝えられるのか悩ましい話です。

 ロキシー。僕はあなたの邪魔をしたいとか同じ研究を別々にやって嫌な気持ちにさせようなんて思っていません。

 ロキシーが馬車を作る。きっとこの限られた材料と道具しかないブエナ村でも既製品と同等かそれに近い質のものを作ってくれると考えています。僕がやっているのは、その先にある問題を解決する研究です」

 

「その先にある問題?」

 

「ええ。知っての通り、現代の馬車は車輪の寿命が短く、乗り心地が良くないという問題があります。あとは出来れば旋回性能の問題を何とかしたいのですが後者はまだ解決の糸口がみつからない状況です」

 

「そういうことですか。つまり私がちゃんと馬車を作らないとルディの研究は無駄になってしまうのですね……」

 

「大丈夫です。その時は2人で協力して馬車を作る方針にシフトしましょう」

 

「私はまだ甘かったのですね。基礎研究に応用研究。ルディがさらに高みへと向かうなら40年の隔たりを覆すための努力をせねばなりません!」

 

「究めんとすれば道は長く険しいものです。焦らずに一歩一歩、確かめながら行きましょう。その方が早く欲する物が手に入る気がします」

 

 

そこからさらに数日、ロキシーは1人で悩みながら馬車作りを進めているが遠目で見ても馬車の形が見えてくることはなかった。

それで良い。

 

--

 

一方、ロールズが狩りから帰って来たと連絡があったのでパウロとゼニスと3人でロールズ家での話し合いが行われた。

話し合いの結果、ロールズの秘密は暴かれるもパウロ達はそれを受け入れてシルフィと俺の結婚を応援してくれるという運びになった。ロールズがドラゴンロードの名を取り戻すという話にはならなかったので、俺はあの家族をいままで通りロールズ家と呼ぶ。そんなロールズ家との話し合いを最後にパウロの村人への挨拶回りも終わったようだ。

 

「2人で何かやってるみたいだな」

 

ノルンを片手だけで器用に背負ったパウロがやって来てそう話す。その雰囲気はどこかで聞きつけたといった雰囲気がある。恐らくその通りなのだろう。

 

「僕というよりロキシーがですけどね」

 

「子供を連れて旅に出るなら馬車があると良いと思ったのです」

 

「へぇ馬車ねぇ。とても馬車を作ってるようには見えねぇんだが?」

 

パウロの言葉は別にロキシーを馬鹿にした言葉ではない。むしろ馬車についての見識があればそう思うだろうなとは予想が付いていた。

 

「馬車の車輪が綺麗に回転するように調整する方法について僕の考えた案を説明していたんですよ」

 

「そんなもん。職人が勘でやるもんだろう?」

 

「まぁ、そうなんですけど。工夫次第で勘に頼る部分を減らしたり、調整するのに便利な道具を用意できますよって話していたのです」

 

「またわけわからんことをやっているなお前は」

 

パウロの声のトーンから頭をぽりぽりと掻いているように幻視する。

 

「そんなことないんですよ。ルディの説明を受けたらなるほどなという点が沢山ありました。むしろなぜ自分はこういったところを気付けなかったんだろうという悔しさがあります」

 

「まぁおまえらが楽しみながらやってるというなら口を挿むことはないんだがな」

 

「パウロさん、何か思うところがあるのですか?」

 

「旅で使う馬車ってぇのを俺はあまり信用してねぇ。まぁ街道を走るだけなら文句はないけどな。

フィットア領内は道がわからなくなっちまったんで泥濘(ぬかるみ)に嵌るのが一番怖いし、思った程には乗り心地が良くねぇし、街に着いても通れるルートが限られるせいで良い思い出がねぇな。しかも旅の途中で壊れると修理が大変だぞ」

 

「でも妹たちの体力を考えたら馬車は必要です」

 

「まぁ壊れなければな」

 

「私はきっとドナーティ領で調達するって考えていたのだけど。

 最初から馬車があるなら荷物をある程度もっていけそうよね?」

 

話が聞こえたのだろう。リーリャより早めに夕食の支度から戻って来たゼニスが台所との境から問いかける。

 

「母さま、出来たモノの完成度によりますよ」

 

「きっと凄いモノができるんでしょう?」

 

「趣味のようなものなのであまり期待しないでください」

 

「あら、そうなの」

 

「どうされましたか? 奥様」

 

「それがね、ルディ達が……」

 

ゼニスはリーリャに呼ばれたのか、そのまま台所に逆戻りしていった。ゼニスが話を切り上げたせいで取り残されたダイニング組。それを打ち破ったのはノルンだった。

 

「パパ、お話のやくそく!」

「あぁ、そうだった」

 

パウロが肩に顎を乗せたノルンに髭を擦りつけ、それをノルンがひとしきり嫌がると、反応に満足したパウロがこっちを向いた。

 

「まぁなんだルディ、気楽にやれよ。それからロキシーあんたもな」

 

「そうですね。心に留め置きますよ、父さま」

 

俺は返事をし、ロキシーは頷いた。

 

「ねぇ、おはなし!」

 

そう促されてパウロはリビングの方へと歩いて行った。

 

--

 

夜のしじまが灯り1つない自室を支配する。安心できる熱だけが俺の右腕に絡みつくものの、隣からは寝息すら聴こえてこない。

それが微かに意識の端に引っかかりはしても俺にはやらねばならぬことがあった。虚空を見据える眼差しは現実の世界を捉えず、頭の中で幾百回目の思考実験を繰り返す。

 

「眠らないのですか?」

 

ふいに心地よい音色が耳元から入り、思考は強制的に中断された。答える前に整理したことを頭の片隅にメモする。

 

「それとも眠れないのですか?」

 

返事をするのに変な間が空いてしまったからか、心配そうな声が再び耳朶を打つ。

 

「心配させてしまったみたいですね」

 

一旦、顔をロキシーの方へ向けて右手を大きく動かすと、右腕に絡まれていた彼女の腕が(ほど)けた。その右手で彼女の左手を探し出し、指を絡め、心配いらないことを身体で表現する。

 

「耐久試験の段取りを少し整理していただけです」

 

言い終わってから視線を元の天井に向け直した。その方がロキシーの声が頭に入って来る。

 

「もう休みましょう。気を張りすぎるといざという時に力が出ませんよ」

 

「僕はね、ロキシー。根っからの怠け者なんです。すぐに気を緩めてしまうのです」

 

「とてもそうには見えませんけど」

 

「それはそのように振る舞っているからです」

 

「どうしてですか?」

 

「夢の中で『これではいけない』そう思えたから」

 

「ならルディはやはり怠け者を克服したのでしょう」

 

「人の根はそう変わりませんよ。油断するとすぐに怠けの芽が顔を出し、全てを台無しにするのです」

 

そうだ。夢の中の人生は満足の行くものだった。でも怠けたせいで多くの後悔もした。まぁ別に同じことが起きるだけで起こりうる未来を知っていれば、こんな努力無しに上手く対処はできるだろう。でもこれからは知らない運命が待っている。その運命に流されずに切り開くなら、きっと今は備える時だ。

 

「でも適度に気を休めねば災害後の恐怖を繰り返すことになります」

 

「そうですね。そうかもしれません。ロキシーが居なければまた繰り返すことになるでしょう。でも今は貴方が傍に居てくれる。こうしているだけで僕の気は充分に休まるのです」

 

「本当ですか?」

 

「ええ」

 

「なら、ルディが眠るまで私も起きています」

 

「ロキシーがそうしたいなら構いません。でも途中で寝てしまっても気に病むことはありません」

 

会話が途切れ、静寂が再び支配する。熱を感じながら作業を再開した。

半刻ほどで明日やるべきことを整理し終え、欠伸が自然と洩れ出る。耳を澄ましてみても寝息はまだ聴こえない。それでも寝てしまっているかもしれない。

 

「眠くなってきました」

 

先程よりずっと小さな声で呟く。

 

「眠りましょう」

 

すぐに眠た気な声が返って来た。優しくて好きな声。ずっとこうして居たい誘惑が頭を()ぎり……

 

「いつまでもこうして」

 

『貴方が望む限り』そうロキシーが応えたような気がしたが、途中で俺は眠ってしまった。

 

 




次回予告
失敗を恐れて足を(すく)ませる。
誰もが知るであろう感覚。
だが奇妙とは思わないか?
行いの先に成功を信じられるなら
失敗の先に成功を信じるだけで
何を恐れる必要がある?

次回『ReCreation-再創造_前編』
経験が恐れを生むか、それとも糧となるか。

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