無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
--- 立ち向うことなく、逃げた先に待つのは概ね絶望さ ---
街道を外れて横道に入った旅路はいつしか森の中だった。
もう糧食は持ち分の半分を切っている。
次の町や村へ到着できるかどうか。それを知って居ないなら引き返すべき頃合い。
無理に進めば森の中で食料を探さなければならず、見つかりそうもなければ飢えに苦しむハメになる。
では、どこまで引き返すか。
ムルロアか、王都か。
いっそブエナ村か。
両親の待つブエナ村。
両親だけが待つブエナ村。
ただ世の中に希望がないと知るための旅を終えて。
そんな夢心地は、針ほどに細く強い殺気によって阻まれた。
殺気は次第に強くなっていき、道より少し外れに造った簡易宿泊施設の中の私の肌を突き刺すように感じられた。
来る。
気配が膨らむその瞬間に施設の中からそっと顔を覗かせて周囲に顔を巡らす。
その瞬間、充満していた殺気は息を潜めた。
人影は無い。
冬が明けたといってもまだ冷たい空気がじわりと漂うのみ。
そのまま素知らぬ顔で闘気の網を放ちつつ、眠っていた身体を起こすように準備運動する。
準備運動に紛らわせて放った闘気網。
反応は11人。
等間隔でぐるりと囲まれている。
離れた場所から慎重に包囲していたとみえ、気付いたときには既に退路を断たれていたか。
さて、いつ仕掛けてくる。
それともこちらの姿を見て、考えを変えただろうか。
内心でそう思っていると、闘気の糸で捉えていた者の一人が音も無く弓を構えた。
そして闇の中で音を立てぬまま矢を放つ。
闇夜に飛来する矢、目標はもちろん私。
無詠唱の『風裂』でそれを打ち払う。
起き出したのも、弓を防いだのも、偶然だと思うほど呆けてはいないのだろう、
「貴様、何者だ」
という声は矢と同じ前方から響く。
「見えませんか? 旅行者に」
姿を現さない者との対話はひどく難しい。
「このような施設を作って過ごす者は旅人ではない」
「便利なのに」
「お前は既に帝国の領土を侵犯している」
「ええと、帝国に入るなと?」
「そうだ。
旅人ならば回れ右して帰ってもらおう」
「良く判りません。
そもそもあなた方はどなたで、何の権限で私に帰れと言うのですか?」
「命が惜しいなら、素直に従え」
その言葉だけを残して気配が薄く辿り難くなった。
この場から離れた訳じゃない。再び戦闘態勢に入ったのだ。
どうやら不審者たちは私の質問にまともな答えをする能力がないらしい。
「嫌だと言ったら?」
答えは返ってこない。
代わりに、多方向から同時に矢が襲い掛かる。
が、私は既に風魔術をアレンジして周囲に風の壁を纏っていた。
私が抜刀するのと同時、複数の矢がそれに阻まれて地に落ちる。
次の攻撃は背後。宿泊施設の屋根を駆けて1人目が短剣を突き出しながら飛び込んで来る。
それを時計まわりの回転の振り向きざまに受け、のしかかってきた威力を回転で逃がす。
闘気を纏った私の膂力がそんな芸当を可能にする。
そして闘気によって高まった気配感知が、回転している間に追加で5人の襲撃者の姿を捉える。
月明かりはあてに出来ないけど。
殺到してくる者らを順繰りに手早く押し返すも、有効な反撃は出来ずじまいだ。
攻撃の隙を埋めるように飛んでくる矢のせいで。
手応えや相手の動きには私の付け入る隙がいくつかあり、第一波を凌いだ。
脅威度は低い?
もし相手に何の制限もなければ、だけど。
1対1なら負けない、そんな感触。
私がそう感じたなら相手は?
もしこの遭遇が想定外だった場合、こちらの脅威度を上げたに違いない。
6人で迫り、それで体勢を崩せなかったのだから。
もしこの遭遇が想定内だった場合、こちらを崩す為の計略があるはずだ。
たぶんそれは数で押し切るという類いのもの。
確かに私の手は2本、剣は1本。それに魔術があるのみ。
対する相手の短剣は6本。躱しにくいタイミングを狙って来る矢が5本。
相手が魔術を使えないかは不明。
少なくとも、ブエナ村で戦った相手は火魔術を使っていたし。
考えている内に2本の剣が同時に迫る。
どうしても剣だけでは捌けない。
魔術は矢の対処に必要。
そういったあれこれが頭を巡って、咄嗟だった。
両手に持っていた剣を片手に持ち直し、左手だけの剣で一方の短剣を打ち払う。
残った右手は無手の状態。
闘気を纏っているとはいえ短剣を掴むのは恐ろしい。
だから。
短剣を躱しつつ相手の手首を右手で掴んで捻り、後ろからやって来る3人目を巻き込むように倒してやる。
グギリと嫌な感触。
骨を折ってしまったかもしれない。
「ごめんなさい」
なぜだか反射的に謝っていると、さらに残った3人が息を合わせて迫りくる。
頭の中で計算する。一人を剣で、もう一人は体術で、ならもう一人はどうする?
手が足りない。
魔術は? 矢の対処に必要。
どうする?
冴えたやり方は閃けぬまま1人目の剣の威力を受け、受けた瞬間に手首の返しでその剣を絡めとる。
剣を失い隙の出来た男と位置を入れ替えるともう2人目が目前。
突き出された短剣との相対速度は反射神経の限界近く。
それでも必死の想いで体を逸らし肩口からの体当たりで2人目の影に隠れているはずの3人目に向けて吹き飛ばす。
でも敵もさるもの。3人目は飛んできた仲間の背を駆けあがってきりもみしながら短剣をこちらへと突き立てようとする。
ええぃっ。
こうなったら!
矢は一旦無視する。
当たり所が悪くなければ治癒魔術で対処すれば良い。
痛いのは嫌だけど。
それでも短剣で刺されるよりはと魔力を固め、空中に『岩砲弾』を発生させる。
暗殺者がとびかかって来るまさにその軌道上へ。
ここまで一瞬の出来事。
剣が岩に触れるのと発射はほぼ同時だった。
砲弾は短剣を粉砕してそのまま暗殺者の腹へとめり込む。
空中では回避もままならなかったらしく吹き飛び地面へ。
死んではいない……よね。
第2波を凌ぎ切って脱落者は2人。
『土壁』は両断されると危険だという経験から、空中に生成した『岩砲弾』。
生成位置を調整するのは室内ランプに火を付ける訓練で慣れていたから出来ると思っていた。
無詠唱の重ね掛けで硬くして、視界を遮らずに相手の攻撃を阻害する。
獲物を失うと暗殺者風の者たちは襲ってこないらしい。
これは意外な気もするけど、そもそも侵入者を排除しようとしているのなら国境警備隊的な存在なのかもしれない。
恰好がややこしいのをさておけば、納得できる部分もある。
兎に角、そうとなれば話は簡単だ。
第三波も同じ要領でやり過ごしつつ、矢を感知しないタイミングを見計らって1人また1人と『岩砲弾』で武器を破壊。
接近戦を挑んで来た6人を無力化すると、森の中から指笛のような音が木霊する。
音が消える前にたちまち彼らは消えてしまった。
なんとかなった。
安心感が全身を包み、ふぅと一息。
――その瞬間だった。
カンッ。
耳元でやおら鳴る金属音は軽い。
聞き違いかとも思った。
それくらいの小さな音。
でも、ついとみれば剣と鉤爪が頭のすぐ横でぶつかり合っていた。
一人は、
「気を抜かないで」
聞き馴染みのある声。
視線はこちらにない。
……ナンシーさん。ここまで追って来てくれた。
「久しぶりに食べ損ねたァ」
次に聞こえたのはナンシーさんの剣を越えた先。
粘質質な声を漏らす男の顔が私の間近にあった。
目を隠した腕の長い男で、口にはホースの繋がったマスクを着けており、そのせいか声はややくぐもっている。
何より特徴的なのは6本の腕。このような異形。彼は魔族なのだろう。
そして手には形と長さがまちまちな手甲鉤。
ナンシーさんが受け止めてくれているのは彼の右上腕から伸びたそれ。
間に合わなければ、私の首を刎ねていた代物。
男がナンシーさんを見定めたまま後ろに跳躍し、間合いを取る。
その姿をナンシーさんが追いかけ、敵の着地と同時、切り結んだ。
ナンシーさんの剣を男は左右の鉤爪2つをクロスさせて防ぐ。
先と同じ武器とは思えぬ金属同士の重い衝突音が月夜の森に鳴り響く。
音が消える間もなく。
男が防御体勢のままに鉤爪を繰り出し、ナンシーさんが剣を引っ込めながら素早く身を翻す。
6本腕ならではの攻撃。
鉤爪という武器の選択。
攻防一体であり、手数に優れている。
ただし獲物のリーチは極端に短く、懐に入るためには相応の技術が要る。
たとえば今、男が見せているような気配を消して森の中へと入り、意識外から現れる歩法とか。
でもそれはナンシーさんに通用していない。
速度は五分。
相手が森からの奇襲攻撃を狙う手順を続けるせいで体力的には分がある。
そんな戦闘の行く末より気になるのはナンシーさんの動き。
私がいつも見ていたのと違い、直進的な動き。
これは剣神流?
見慣れたパウロさんの剣神流とは少し違う。
でも多分、剣神流。私の知ってるナンシーさんの剣とは表情をがらりと変えている。
私との手合わせでも水神流の道場での腕試しも使っていたのは北神流だったのに。
「お前のその剣ン」
その声が届いたのは私が気付いた少し後だった。
「安物だけど欲しい?」
ナンシーさんが剣をチラチラと揺らし、見せつける。
「違ウ。
見覚えのある太刀筋。
どこでそれを見タ」
「私も実際にみてみたいのよね」
「奴ァどこだ?」
奴?
「今なら居るはずだから」
「どこだ」
「話、聞いてる?
知らないの」
「教えろォ」
「人の話はちゃんと聞くものよ。
ライナルト」
「グォォォォ」
獣の咆哮のような叫び声を上げる男。
堰を切ったように飛び跳ね、回り込み、四方八方からの攻撃をナンシーさんに仕掛けていく。
ナンシーさんは躱し、もしくは剣で弾き、隙を見ては一撃を叩き込み返す。
何十、何百と同じやりとりが繰り返され、手を止めた男が軽く息を吐く。
「気が済んだ?」
ナンシーさんの声に男は応えない。
「そろそろ一線を退いたらどうかしら?
組織に死ぬまで尽くす価値があるとは到底思えないわ」
「ベッドの上で楽に死ねるなんて思っちゃいない。
そんなもんを望んだ奴はさんざん殺してきた
「そう……」
「だが、奴と一戦交えるまで死ねン」
言葉が聞こえるよりも早く男は闇に溶けて消えた。
--
結局、手傷を負った者らも鉤爪の男との戦闘の隙に逃げていた。
致死性の損傷を与えたつもりはないけれど、魔術で治癒できなければどうなるかは判らない。
ブエナ村での襲撃者は火魔術を使って処置していたし。
「今の人達って」
「襲撃を受ければ気になるわよね」
「いえ」
襲撃されたからというよりは魔術の治療が受けられるかどうかが気になっただけだ。
でも教えてくれるなら、それで良いと余計な事は飲み込んでおく。
「あれは冒険者ギルド子飼いの暗殺組織、
「帝国の領土がどうのと言ってきましたけれど」
「たしかに、そうね」と頷いたナンシーさんは少し悩んだようにみえた。
「ヴァーケルンが帝国と停戦交渉をしたという話は知ってる?」
初耳だったので首を横に振ると、
「その交渉材料として暗部が融通されているってことかしら」
「あの、つまりその。
帝国がヴァーケルンから借り受けて暗殺部隊を国境警備に使っているのですよね?」
それもかなり突飛な話なのだけれど、ナンシーさんは真顔のまま頷いて見せる。
「で、その。
暗殺ギルドではなくて、冒険者ギルドが暗殺組織を運営してると。
そしてそれにはヴァーケルンという国が関わっている?
そのあたり不勉強で」
「旅人なら周辺国家の最新の情勢を頭に入れるのは必須事項。
それを教える前に勝手に飛び出すものだから、こうなるの」
付け加えられた一言には、頭を下げるしかない。
「すみません」
「まぁ済んだ事ね。
それで質問に答えるならね」
そういう切り口でナンシーさんは冒険者ギルドと紛争地帯の情勢について話してくれた。
出だしは、かつて世界のどこかで発足し世界各地に広まったという冒険者ギルドの話。
最初期において同ギルドはおおよそ国家や地域に紐づく組織だったという。
それが現在の冒険者カードシステムを導入することで国家横断的な側面を持つようになり、ギルド同士が連携しだす。
そして世界が1つの冒険者ギルドで染まった時、ついにはミリス神聖国に本部が置かれるに至った。
けれども紛争地帯の冒険者ギルドは漸く纏まったはずのそれと袂を分かち、独自の道を歩み始める。
故に紛争地帯の冒険者ギルドを他の地域のものと区別するために"傭兵ギルド"と呼ぶ者もいる。
傭兵ギルドは国家に属さず、たとえその場所を支配する国家が変わっても変動しないという点で従来の冒険者ギルドと変わらない。
その普遍性は興亡を繰り返す領地の変動目まぐるしい紛争地帯において、何より得難い性質なのだそうだ。
しかも傭兵ギルドは仕事を斡旋し、金品を取り扱い、独自の戦力を備えている。
貧乏国家の多い紛争地帯でそれでも集まって来る人・物・金。
いつしか傭兵ギルドは紛争地帯のどこより権力基盤を備えた組織になった。
傭兵ギルド自身が国家を志向したかは判らない。
けれどもそれだけの権力構造を有しているという事実だけで周辺国家からすれば脅威となる。
そして国家相当と見做されるということは折衝面でも国家運営的な業務が増えてくる。
この要請に応じ、何も考えず傭兵ギルドが自然な形で国家を標榜したら?
普遍性は失われて他の木っ端な国と大差はなくなり、これまでの国々と同じ運命が待つ。
では普遍性という代えがたい性質を失わずに増加した業務をこなすには?
そう。表向きは傭兵ギルドを引き続き運営しつつ、裏側で傀儡政府を用意する。
そうして出来た国がヴァーケルンであり、国内の至る所に必要な組織が創設された。
表の政府内の事務方人事から暗部の実行部隊まで。
「というのが通説。
でも私は少しだけ違うと思ってる」
通説といっても、少し調べれば出てくる情報な訳がない。
暗殺結社とか裏の顔が巷で出てくるような話のレベルとしては余りにも物騒だ。
少なくとも、シーローン以西の地域ではそんな話までは聞かなかった。
「どう違うと考えるのでしょう」
「冒険者カードは龍族の技術が使われている」
そういってナンシーさんは首元に下げたカードを服の下から出して見せる。
私もそれに倣って自分のカードを取り出す。
専用の装置で魔力を補充でき、かつ蓄える事もできるカード。
しかもその魔力を使ってランクや氏名、性別を保存できる便利アイテム。
先の説明でもこのカードは出てきている。
「このカードのおかげで冒険者ギルドは国家横断的な組織になったとか言ってましたが」
それが違うというなら、どう違うのだろう。
判らない。
そんな想いが顔に出ていたのだろう。
「その技術の出どころは?」
ナンシーさんの問いかけ。
「龍族もしくは龍族から技術を提供された人。
あるいは龍族の遺産を研究した人でしょうか?」
答えが満足いったらしく大きく頷いたナンシーさんは、さらに続ける。
「でも、先の説明通りならそれはミリシオンに本部が置かれる以前に導入された」
「だから私は思うのよ」と呟きながら顔を真っ暗な森の方へと向けたナンシーさん。
「その誰かは紛争地帯の、いえヴァーケルンが興されるはずの場所に居た誰かだった、とね」
仮に紛争地帯の冒険者ギルドでシステムの導入が始まったとしたら。
その目的は紛争地帯で国家横断的組織を作るためであり、ひいてはヴァーケルンを傀儡化するための布石としてだった。
そんな可能性をナンシーさんは信じているようだった。
--
それから数日。
昼頃にいくつかの木が伐られた見通しの良い場所に出る。
アルス近郊と同じ、近くに村があるのかもしれない。
けれども、そこは嫌な感じになっていた。
血生臭い匂いと数人の死体、切り株に座った男が1人。
「新手か?」
肩下まで伸ばした髪とぎらついた目が特徴的。
戦士らしさのない身軽な装備。普段着に剣だけの男。
一方の倒れた者らは先日の暗殺者たちとよく似ている。
言葉とともに、剣を僅かに鞘から引き出す男。
「旅人なの」
「旅人?」
ナンシーさんは不用意に男の間合いへ入ってしまう。
「ええ」
「暗殺者の跋扈する森を抜けて?
上手くすり抜けたか」
そう口にして男が剣を鞘に納める。
世界が広くなった気がして、私はナンシーさんを追いかける。
私が追いつくと、
「一度、襲撃を受けたわ」
とナンシーさん。
「ほぅ。
撃退されてそのまま通すとは、らしくない」
「来たわ虐殺者ライナルトなら」
「何? 奴を無傷で撃退したか」
「全盛期なら苦労したかしらね。
「確かに、奴のあれは厄介だ」
ナンシーさんと男は少しだけ笑い合い、再び剣を引き抜き合う。
「新手か」
「さぁ私達の追手かも」
「両方かもしれんな」
私も2人に遅れて剣を構えると、開けた場所の周りに人が現れる。
村人の身なり。近くの村の?
「服を奪うのに村人を殺したな」
軽装の男が苛立たし気な声を抑えて呟く。
村人風の者らは何も答えず、各々の獲物を構える。
彼らの数人は血で汚れた者が混じっているのに、闘気の流れは正常。
そこで遅まきながら私は軽装の男の言葉の意味を理解する。
なんて事を。
彼らは国境警備の任に就きながら、ここまでの非道を行うのか。
帝国は知っているのだろうか。
もし知らずにいて、知るところになればヴァーケルンとの停戦条約はご破算。
国の大事に発展するのでは。
そんな色々な事が頭の中を巡っている、その時。
軽装の男がにわかに詠唱を始める。
「星に魂を縛られし者達よ。
その鎖を解き放ち、茫漠たる空へと旅立つ術を汝らに与えん。
水が空へと落ちるが如く、竜が天へと昇るときなり。
舞い上がれ!
重力魔術。詠唱有りの空間指定。
発動と同時、指を向けた先の空間、丁度の距離には暗殺者。
彼は森に落ちていた葉や枝もろとも重力を失って空中へと舞い上がった。
身長の10倍程度だろうか。
脱出を試みようと手足をばたつかせるも意味はない。
仲間のはずの他の暗殺者も突然の事に動揺し、空を見上げて動けないでいる。
その隙に軽装の男が新たな詠唱を紡ぐ。
「天を地に地は天に。王竜と星神の盟約に従い今。結びたまえ! まさしく疾風の如くに!
私は『引力』という魔術を知っている。
けれど。
軽装の男は知っているものより少しだけ長い詠唱文を唱えた。
その結果、空中の暗殺者は術者に向かうように進む運動ベクトルを付与される。
つまり軽装の男へと一定の速度で向って行く。
結果に驚くべきものはない。
『引力』を無詠唱で唱えた時に行う、射出速度設定を詠唱で行っただけ。
しかも、サイズ設定ができないからだろう。
『引力』を指定せず『無重力』との二段構成にしたわけだ。
包囲陣は崩れ、ついに暗殺者は軽装の男が構えた剣へと吸い込まれ、身体を両断されて大地へと激突する。
むごたらしい死体が1つ。
それを見届けて、漸く呆気に取られていた他の暗殺者が再起動。
軽装の男とナンシーさんにそれぞれ3人の暗殺者が前後左右から襲い掛かり、私にだけ2人の暗殺者が迫る。
以前の襲撃のように射手の存在を考慮しつつ、1人目の剣を水神流で打ち返し吹き飛ばす。
吹き飛ばした暗殺者は宙を舞い、落ちるより先。
切り払った姿勢から次の体勢に移る時間はない。既に2人目の暗殺者の間合い。
相手が手にする短剣が極至近距離で横薙ぎで向って来る。
体捌きだけで軌道を躱すのは不可能と判断し、体勢不十分ながら手首を蹴り飛ばす。
短剣を失い、手首を負傷したらしい暗殺者と先に吹き飛ばした暗殺者は、周囲に誰も残っていない事に気付き、再び森へと消えていく。
他の2人は既に対峙した者らを斬り伏せ、剣についた血糊を拭いて鞘に納めようとしている。
どうやら射手はいないらしい。
そして、
「ライナルト、居るのだろう!」
語気を強めた軽装の男の声が周囲に沁み込んでいく。
それに応じるように森の中から現れる6本腕の男。
「サラディン。
お互い不干渉だろウ? あまり邪魔をするナ」
軽装の男の名はサラディンというらしい。
「貴様こそ。
国境いの守護者が村人を殺す?
帝国が許すとは思えんぞ」
「大丈夫ダ。
なにせ、この件に関しては万難を排すよう指示されていル」
「国許か? いや帝国がか」
サラディンの声に応えずライナルトは風に溶けて行った。
--
近くにはやはり小さな村があった。
家と家が離れていて、間に農地。
馴染み深い田舎の風景。
そこへ私達3人が足を踏み入れても誰かが出てくる気配は無し。
サラディンと呼ばれた男が呟いた通り、この村に人は残っていない。
村の人がどうなったか。
少し考えて気分が悪くなる。
そして、さきほどの暗殺者達。
私が不殺を貫いているすぐ横で、この2人は当然のようにその命を奪った。
そのことについても本来、問いただすべき事由はある。
けれど、
「サラディンさん」
名を呼ぶと、彼は少しだけこちらに目線を向けた。
「さきほど重力魔術を使いましたよね」
こう付け足しても彼は微動だにしない。
ただ、口だけは開いた。
「詠唱文で気付いたか?
若いのになかなか博識だ」
会話が成立するという確信から本題へ。
「人前で使うべきでない魔術をなぜ使ったのかが気になりました」
「待て。
重力魔術を人前で使うべきではない、だと?」
男は私の言葉尻を捕え、眉をひそめる。
「重力魔術は非常に強力な魔術で、使い手も限られている。
だから重力魔術師と知られると危険な目に遭いやすいと思うのですが」
「危険な目に遭わないように人前で使うのを控えよと?
くだらん」
「くだらない、ですか?」
「それは未来を危ぶむばかりに力を抑え、目前の死を受け入れるのと同義だ。
くだらないだろう?」
私が答えるより早く。
「それに重力魔術を使えるからという理由で命を狙われた事などない」
サラディンはそう言って会話を打ち切るように向けていた身体を元に戻した。
そこへ、
「シルフィ、あなた重力魔術が使えるのね」
とナンシーさん。
「何?」
ナンシーさんの言葉に私が反応するまでもなくサラディンが驚く。
私が否定せぬままでいると、
「それはヴァーケルンでか?」
サラディンの言葉に今度は頭を横に振る。
「そうか」
質問の意図は良く判らない。
勝手に納得してしまった彼に、深く聞いて良いかも判らず沈黙を選んだ。
--
そのまま日を跨ぎ、動きがあったのは翌日の早朝。
「来たわ」
最も早く動き出したナンシーさんの声。
僅かに遅れてサラディンも何かに気付いたように「ライナルトめ……そういうことか」と吐き捨てて立ち上がり、剣を引き抜く。
遅れて2人の視線の先、納屋のような建物の脇から5人の剣士が姿を現した。
見た目は暗殺者ではない。だからといって暗殺者でないとも言い切れない。
前回の村人風の偽装もあり得るから。
でも想いは僅かな時間で消し飛ぶ。
巨大な大剣を片手で軽々と持ち歩く大男によって。
太い腕、広い肩、張り出した胸筋。異様に目立つ赤いコート。
この者は暗殺者ではないという確信。
あれは生粋の剣士。
全容を現したと認識した瞬間、その大男は既にナンシーさんと切り結んでいた。
大男が駆けてくる動作は一切見えず、その大男の速すぎる斬撃の勢いを殺すためかナンシーさんは後ろへと吹き飛んでいき、男だけが残る。
ナンシーさんがどうなったのか。
振り向いて確認する余裕は無い。
それでも考えてしまう。
敵襲。これは敵。
理由は判らない。
最悪、この村で残虐行為をした犯人と誤認されている可能性もある。
判らないけれど、問答無用で来るならば対処しない訳にはいかない。
私が頭の中で考えている間、既にサラディンは呟いていた。
「舞い上がれ!
呟きは得意の重力魔術として完成する。
けれど空間指定で高速移動する相手を捕えるのは至難。
魔術は誰もいなくなった場所を無重力にする。
そして再び大剣を振りかざした男がサラディンに食らいつかんと迫るのを視界に収める。
集中できている。だから動きが見えつつある。そう感じた刹那。
身体がもどかしいほどに動かない事に気付く。
"スローハンド"現象。動体視力と全身の筋肉に割り振っている闘気バランスが崩れている。
闘気で凝らした感覚を以てしても大男の剣の振り下ろしの動作は未だすっぽ抜けて見えるのに。
そして2人が既に交差した状態だけが認識されているというのに。
さらに多くの闘気を練り纏えば、相手の動きを認識しつつスローハンド現象を免れる可能性もある。
けれど、それを訓練無しのぶっつけ本番でやるのはこれまでの鍛錬を否定する愚行。
在り物の力でどうにかする工夫が必要。
工夫。
工夫だ。
恐怖を乗り越えて普段通りの闘気バランスへ戻そう。
切り替えが終わると時間が進んだように感じられ、サラディンが一瞬の連撃を防ぎきれず地に伏せた。
赤い幽鬼がこちらへと振り向く。
振り向くのを認識できた。
それを逃す手はない。
練り込み済みの魔力を使って
効力展開。
もちろん無詠唱。
射出速度設定はゼロ――つまり運動エネルギーを新たに追加しない。間合いを短くするのは自殺行為だ。
そしてこの魔術の本質は対象の加速度を自分の方向に向かって乗算する。
狙うは重力加速度。
単純に展開した場合、同一地平面上という括りで自方向に相手を引き込んでしまうこの魔術。
直交するはずの重力加速度に影響を与えるのは難しい。
けれど大男と私にある身長差から、自分と相手を結ぶベクトル平面が地平と水平ではないことを利用すれば?
大男にとっては前方、やや地面よりに引っ張られる事を意味し、対象の肉体に掛かる垂直の重力加速度に影響を与える事ができる。
そして水平方向の加速度がゼロなら前方への引っ張られる力はいくら乗算してもゼロのままだ。
けれど重力加速度は既にあり、影響を受ける。
私はそれを『飛翔』の訓練の後に鍛錬した。充分に。
自信がある。
急激な重力変化のおかげ? 大男が膝をつく。
後ろに控えていた剣士風の男達がそれを見て俄に戦闘体勢を取るのがみえた。
だが大男が大剣を杖代わりに立ち上がり、剣を構え直して一歩を踏み出す。
大男の瞳孔が開き、鼻孔から血が滴った。
けど終わりではない。
終わりな訳がない。
大男の足の動きが私にそれを伝えた。
見逃せなかったのかもしれない。
さばき方とこれまでにみた筋力の使い方から予測される間合い。
1歩2歩3歩。右足が前になるはずだ。
そして次に見るべきは腕の長さ。
大剣の軌道線。
ナンシーさんには上段の一撃。
サラディンさんには上段から下段の連撃。
ならば最有力は上段。剣でその軌道を防ぐ。
中段と下段には『岩砲弾』の生成による時間稼ぎで対処する。
僅かに軌道を逸らすだけでも良い。
全てのセーフティとして『物理障壁』を待機させよう。
大男に掛かった超重力がこれだけの思考を間に合わせる。
大男が認識外へと消える。つまりスローハンドが起きてはいない。
と、予測通りに剣と剣がぶつかり、剣を通した莫大な剣圧が襲い来る。
これをナンシーさんは受け流し、サラディンは一撃耐えて見せた。
2人の技量への賞賛とさらにその上を行く強大な敵への戦慄。
簡単には下がれない。
下手に後退しようとすれば追いつかれて一撃を叩き込まれるだけだ。
魔術で対処できるかもしれない。
けれど、対処が充分かは未知数だ。
動けないまま、一瞬の膠着。
大男が剣を緩めた。
緩めたと理解したときには再び消え、横手に現れて上段からの攻撃が振り下ろされる。
今度も私は防いでみせた。
そこで予想外の事態を目にする。
大男の大剣が白く光り始めたのだ。
嫌な予感。
でも逃げられる保証はない。
そうこうしている間に私の闘気で固めたはずの剣がピシピシと聞いた事の無い悲鳴をあげる。
わざわざ目を凝らさなくても大男との間に差し込んでいる関係上、良く見える。
剣にひびが入ってきている。
それは瞬く間に広がっていき、ついに剣はその機能を失って。
すぐさま展開した『物理障壁』すら意味をなさず――
気付くと暗い箱の中に私は居た。
身動きの取れない状態。
肩口からの激痛をどうにかして治癒魔術で鎮めるも身体は倦怠感に包まれ、頭が割れるように痛い。
闘気の糸を伸ばして周囲の状況を確認する気にもなれない。
この時なら、まだ逃げるチャンスはあったかもしれない。
けれどいつの間にか眠ってしまった。
次に目が覚めたとき私は知らない場所で知らない者達に囲まれていた。
その中の1人、知らない男が輪を外れて一歩前に出る。
そして、
「目が覚めたようだね。フィッツジェラルド」
と私に向けて呼びかけた。
どうやらベッドの上で横たわっていた私は、それに気づいて上半身を起こす。
誰の名前? 誰かと勘違いでもしているのか。
でも視線は間違いなく私に突き刺さっている。
周囲を見回しても、取り囲んでいる誰かが返事をする気配もない。
「気分はどうだい?」
「特には」
短く答えてみたものの、何か違和感がある。
そもそも声が、自分の声じゃない。
咄嗟に喉を抑えてみると、喉がおかしい。
風邪でも引いてしまったのだろうか。
「例のモノを」
男が別の者ら2人に指示を出し、別の男ら2人が姿見鏡を私の前に、私の前に……?
「だ、れ?」
鏡に映っているのは見た事のない白い髪の少年。
何? 意味が分からない。
自分が手を動かすと、少年も手を動かす。
それは水面に映った自分の姿をみるようで。
そう理解したとき、男は私の自問自答に答えてくれたようで、
「誰って君さ、フィッツジェラルド」
そう言って肩に手を置く。
ここまでされれば、間違いようはない。
「わたし? ふぃっつじぇらるど……?」
「君はフランシス・フィッツジェラルド。
親しい者からはフィッツと呼ばれている。
忘れないでくれよ?」
次回予告
8章はここまでとなります。
9章は2024年中に公開予定です。
詳細は活動報告にて。
ヒトガミの使徒が3人であれば敵対者も3人か?
ルーデウスが初めて現れた時間軸を体験するまでの龍神オルステッドならば
これに「是」と答えただろう。
しかしその時間軸で起こったビヘイリル王国戦を経て、彼は認識を改める。
使徒が3人でも勧誘役を1人使嗾すれば実質その数に制限はないと知ったのだから。
次回「インターセプトポイント」
では使徒が3人だったという情報の意味とは?