無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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赤竜の下顎(街道)の風景描写はWEB版に準じて、馬車で通行可能なものとしています。国家間を結ぶ街道としての機能を持つと判断するのは拙作における完全オリジナルな判断とは考えませんが、書籍版やアニメの描写などと大きく齟齬を感じるようであれば、拙作のご利用はお控え頂くのが無難かと思います。


第124話_逸話

--- 疑心暗鬼を生ず ---

 

「ッグォォぉ」

 

目前に立っていたはずの剣士の悲鳴。

残された下半身がその場で後ろ向けに(くずお)れる。

一方、天井付近まで舞い上がった上半身。

そこにぶら下がっている頭が「ぉぉっ」という悲鳴とも感嘆とも形容可能な声をたなびかせる。

それが床へと叩きつけられるのに数秒の時を要した。

重力に任せて墜落した身体がみじろぎもせず、即死かと思われたが。

その剣士の顔にはまだ僅かな生気があった。

 

剣士の顔には助命を嘆願する者の悲哀が深く刻まれている。

だが、皮肉にも残りのパーティメンバーが理解したのは全くの逆。

剣士はもう助からない。

目の前にいる迷宮の守護者たる巨大な人型の石像。

その右手にある石剣。

前衛の一角であった剣士を秒殺した強敵。

そう悟ったのだった。

 

「アッシュッ」

「どどどどどどどうする」

「ににににげるしかないだろ。後退だ」

「階段まで!」

 

慌てふためきながらも残った戦士、シーフ、射手、魔術師の4人は意見を纏め、走る。

走るが。

剣士ですら為す術なく、秒殺する石像。

その運動性能で逃げ切れるかと問われれば。

動く石像の大股が一歩、また一歩と近づき、たちまち最後尾の魔術師を間合いに収めてしまう。

そして無慈悲に振り上げられた剣が彼の者の脳天に達する直前。

石像の頭部が爆砕し、石像はほんの僅かに体勢を崩した。

 

 

-- ルーデウス視点 --

 

もう少しだけ早く到着できていれば。

石像を射程に収めながらそのさらに向こう側で真っ二つになっている男が視界に映る。

後悔と焦燥。

胸を占めるそれら。

でありながら、心の奥は冷静だった。

今、なすべき事をすれば全てが間に合うはずなのだという確信。

 

その想いが岩砲弾を練り上げ、守護者の剣を撃ち抜き、右腕を肩ごと吹き飛ばす。

けれども石像の動きは止まらない。

ゴーレム・人形系の魔物にありがちな生体器官をもたない魔法生物に近しい存在。

岩砲弾を放ちながらも剣を引き抜き、石像と魔術師の間に割り込んでいたのはその可能性を考慮したが故。

闘気を纏った剣で襲い来る左腕を撃ち返すと、怯んだ石像の残りの四肢を1つずつ岩砲弾で撃ち抜く。

地響きを伴いながら胴体が倒れて沈む。

石像の形を成した魔法生物に"死"という概念が適応できるかは定かではない。

究極的に言えば四肢を失っても移動や攻撃が可能かもしれない。

だが、幸運にも人型の石像は動かなくなった。

 

一息ついて後ろを振り返る。そこに先程の冒険者4人の姿はない。

残ったのは2つに分かたれた剣士だけ。

そんな男に対して跪いて手をかざす。

対して男は口元を少しだけ動かそうとして、こぽりと力なく吐血。

その光景が過去のよく似た記憶をフラッシュバックさせ、我知らず仮面の中で目を閉じながら、手当てを躊躇う暇はないと理解した。

 

「静まれ、鎮めよ。数多の精霊。

 我声に耳傾けるは誰ぞ。其は誰ぞ。

 我が呼び声に応じる者。誰とて構わぬ。

 捧ぐは魔力。足りねば血と肉。

 望む代償を求め給え。

 さぁ(ことわり)歪める受胎儀式を今始めん!

 再生、分裂、複製、結合、眠りし胚いま呼び起こせ。

 さぁ踊りだせ、理従う再誕の儀式!

 復元、成長、癒着、加速、失いし形いま取り戻さん。

 来るか!来るならば生まれて出でよ!

 『アークヒーリング』!」

 

詠唱を進めるにつれ荒々しく吸い出される魔力。

内においては錬気の応用でこれを制し、外においては纏気の応用でこれを御す。

倒れた剣士の腰より下はぱっくりと開き内臓を覗かせていたが、魔術によってその切り口から白い骨と神経が延び、骨の周りには肉と血管が生え、肉を包むように表皮が張られる。

僅かに遅れて血の気が通うが、当然の如く下半身は丸出しに。

 

剣士の胴鎧を外して身体を横にし、軽く背中を叩いてやる。

口の中に残っていたのだろう血を吐き出す為、反射的に剣士が咳き込んだ。

体勢を仰向けに戻し、呼吸と心臓の鼓動を確認。

どうやら間に合ってくれたらしい。

 

緊張の糸が切れ、魔力の過剰使用による疲労で足元がおぼつかない。

王級治癒魔術『アークヒーリング』の欠点は傷の深さ・重さに応じて魔力を際限なく消費してしまう点。

魔法陣と魔力結晶を使うか、無詠唱魔術で自己治癒するならこの点の制御問題は無視できるのだが。

予定外の行動。

成人男性1人分の下半身をまるごと再生し、ショック死しかけていたその他の臓器や細胞を復元、失った血をも複製すれば今の自分の魔力量の8割くらいをもっていかれるようだ。

それも無理矢理一息でとなると厳しい。

石像の残骸に暫くもたれかかり、気力が戻るまでの僅かな時間。

アッシュと呼ばれていた男の顔に、ここ数年で見たよりも少し年老いた父の顔を重ねる。

あの日、あの時、転移の迷宮での光景。

転移災害から皆を守るための資金調達のためにやってきた迷宮攻略で、あの時と同じような事象に遭遇した事については後日、考えるべきだろう。

 

魔力を回復しきるのには時間がかかるが、やる気さえ戻れば。

そうして重い腰を上げる。

パーティーメンバーが戻ってきてくれれば、後は任せられるのだが。

残念ながら彼らが様子を見に来る気配はなし。

 

仕方なく動かない剣士の傍らに転がったままの下半身から靴と脛当て、ズボンを剥ぎ取る。

何とか苦労して着替えさせると、残った半身を焼却処分。

次に迷宮の財宝は簡易的に設置した転移ネットワークへ。

そして剣士を背負って村を目指し、迷宮近くにある村の治療院に運び込んだ。

 

 

暫くして王都での活動に戻っていると、道の端で吟遊詩人の吟じる新作の『迷宮攻略伝』を耳にした。

物語のさわりに差し掛かったところで話がどこから来たのかを得心する。

助けた剣士が広めているのか。

それとも大迷宮の攻略を成し遂げたと聞いて詩人があのパーティーを取材したか。

どちらだろうか、と考えている間に歌は終りを迎え、そして近くにいた聴衆の1人が疑問を口にする。

 

「身体が半分に切られた男を救った?

 んなわけあるかよ。

 ミリスの高位神官以外にそんな高等魔術を使える訳がねぇ」

 

男の言いざまは物語を台無しにしかねないものだった。

 

「なら、そのミリスの高位神官の誰かなんだろうね」

 

それを察してか吟遊詩人は穏やかに相槌を打つ。

だが、残念ながら男は「はん」とスカして笑い、馬鹿にした声音で、

 

「そんなお偉方が迷宮の奥に居るかね。

 シルバーパレスの奥の部屋で引き籠っているもんだろうにさ」

 

と言い放った。

吟遊詩人の想像通り、興醒めしたと三々五々に聴衆は離れて行く。

道に置いていた羽帽子は空っぽのまま。

詩人は肩を落とし、「はぁ」とため息とも難癖男への相槌ともつかぬ声だけで応じて片付けを始め、

 

「死にかけた冒険者が話を盛ったにしてもな。

 盛り過ぎて粗が目立っちまうようじゃぁ、三流よ」

 

難癖男は周りを気にした様子もなく、そう続けてガハハと笑った。

どうやらルード・ロヌマー活躍伝が青髪の冒険者の物語と双璧を成す事は無さそうだった。

 

 

-- シルフィ視点 --

 

アスラ王領を抜けて街道沿いを歩きながら、心苦しさと闘っていた。

信じて送り出してくれた両親、共に旅してくれたナンシーさん。

3人を裏切ってしまったのは辛い。

けれども王都アルスが彼の庭だという事実を知った以上、悠長に居られる訳もなかった。

3年という歳月。

村を離れていれば王都に来ていて何らおかしくはない。

ここで彼は店を開き、商売を始めた。

お金を稼いで何をしていたかは知らない。

悪事が露見しても自らが助かる為の根回しのために商売をしていたとしたら?

それで本来覆るはずのない王宮での公開審理を切り抜けた?

勝手な憶測だとは判っている。

でも、もしそうだとして彼が移り住んだというのなら北はもう駄目、新たな庭になっているはず。

ならば、私は知っておくべきだ。

この街道の東の先、アスラ王国を抜けた先のどこまで彼の手が及んでいるのかを。

 

--

 

ウィシル領の最南端、南方砦手前の町。

ここまで野宿で済ませて来たものの、一人旅は足止めを食っていた。

このままでは峠越えの間に立ち往生するという計算のせいで。

だから、この町で宿を探してやり過ごし、さらに次の当たり日までに大陸中央部へと進出するタイミングを見計らう。

 

ということで一泊大銅貨1枚の安部屋を借り、体勢を整えるため冒険者ギルドへ。

と思ったが、この町には冒険者ギルドが無かった。

仕方なく活気のありそうな酒場へ向かい、情報収集する。

主に治安、仕事、地理に関して。

治安は宿屋と今後の旅路のために。

仕事は資金節約のために。

地理把握は一人旅の計画の練り直しに。

 

お金のことを考えていて思い出すのは、これまでの宿泊費や食事代をナンシーさんに払ってもらったままだという事。

図書館の補償金も1階の分は預けたままだ。

冒険者活動で貯めた分は手元にあり、なんなら王都の宿に置いてくるべきだった。

でも今さら、か。

もしどこかで、またナンシーさんに出会えたなら利子をつけて返すつもりでいるしかない。

そう吹っ切ってこの件をなるべく頭から追い出すようにした。

 

冒険者ギルドも無い、小さな町での仕事。

初日に頼まれたのは病気の奥方に代わっての家事だった。

前金で銅貨3枚。

町には治療院があり、受診済みなのだそうだが経過が芳しくないらしい。

数日分の溜まっていた炊事洗濯をさっと片付けると、横になり安静にしている彼女に上級治癒魔術をかけて酒場に戻った。

大銅貨1枚の宿屋に泊まっている関係で、同日にさらに別の仕事を探す。

選んだのは町外れにある農場での収穫の手伝い。完熟のトマツだけを選んで採って欲しいという依頼。

見た目と色味(いろみ)を教わって、用意された籠へと収穫する。

20籠を数えたところで今日はもう充分と、後金で大銅貨2枚を受け取った。

酒場に戻り、完了を報告。

酒場のマスターが目を白黒させているのは、少しだけ王都で配達を始めた頃を思い出す。

そんな調子で午後からも細々(こまごま)とした依頼を3つ。3つ合わせて大銅貨4枚分。

2日目は近くの林に行って(きこり)の真似事をし、木材を製材所へと運び込む。

私の顔をみて「こんな小さな女の子が来てもな」と不平を漏らしていた製材所のおじさんが、帰りには「明日も来れないか」と打診する変わりよう。

丁重にお断りを入れ、歩合に応じた額として銀貨1枚を頂戴しておく。

 

 

懐がそれなりに(ぬく)もったところで図ったように腹痛が訪れ、止む無く休養を取る。

その間は何もせずただ部屋で想いを馳せていた。

結局、お父さんの望んだ旅の目的とは何だったのだろうという想い。

これまでの旅のおかげで私の中にはいくつかぼんやりとした答えがある。

 

1つは「悩み」。

いじめに悩んだ経験、行方不明だったルディに対する焦燥もそれに近い感情だった。

解消したときの安堵。

ずっとブエナ村で過ごすつもりでいた自分は、悩みなど無い方が良いと本気で思っていた。

いつか村を出て行かなければならない、という方針の転換さえ訪れなかったら。

お父さんからは「見聞を広めるように」と曖昧な指示を受け、試される王都への小旅行。

何の見聞を広めれば良いのか、という悩みもあった。

自分が体験したことで充分に広められたといえるのか、という悩みもあった。

でも私は少しずつ分かって来た。

基礎。仮定。3つの案。ナンシーさんの思考方法を組み合わせる。

 

私が悩むのはなぜか。

それは指示が曖昧だから。

もしくは答えが1つとは限らないから。

 

3つの案を出すのはなぜか。

それは欲すべき回答が未知だから。

比較・検討により最悪の選択を逃れたいから。

 

悩みと複数の案出し、両者は似ている。

それは基礎の部分が共通しているから。

かもしれない。

だとして、悩む事が私の将来に必要だとすれば。

そう。

私の将来・未来は未知であり曖昧だ。

だから何が必要かは、お父さんだってナンシーさんだって知りようがない。

極論。判らない事に悩み過ぎ、気に病むのは無駄だろう。

でも分らないからこそ複数の案を考えて準備しておく心構えは馬鹿に出来ない。

私はそれを旅行を通して学び得た。

知識だけ、教えられるだけではおそらく理解し得なかった。

確信を伴った境地に至った。

 

 

別の答えは「仕事」。

仕事とは人が暮らして行くための生産活動だ。

王都で見たそれとブエナ村のそれによってさまざまな知見が得られたように思う。

例えばブエナ村の主だったものは農業と酪農で、商売を専門で取り扱う者は村に住んでおらず行商人に任せる形をとっている。

また騎士においてはフィットア領の領主ボレアス家が任命権を有していて、パウロさんのように派遣された者がその任に就く。

治癒術師もボレアス家の派遣で成り立っているけど、村毎に派遣される騎士とは違い地域単位での派遣となる。

ゼニスさんや私が派遣術師不在の際に代理を担うのも、派遣術師が他所の村へ出張する場合があるからだ。

そしてお父さんのような狩人は各村に数名ずついるのが一般的。

ブエナ村の場合はお父さんが有能過ぎて1人だけで充分だったらしい。

また伐木、製材、建築、警備、水管理については村の男衆が協力して行っている。

 

対する王都では商売が主。

これは塩害で作物の生育に適さない土地柄で、かつ街道が整備されて流通の要衝となっているため、らしい。

アルスが王都に遷都するよりもずっと前、町の発展の初期段階では外壁の建築や見張りは住人の役務となっており、体制的にはブエナ村と似通っていたとみて良い。

けれども人口の増加に従って全ての仕事は細分化され、それぞれを専任の担当者に振り分けた。

伐木は(きこり)、製材は木工職人、建築は建築士と大工、警備は兵士、水管理は水質検査士といった具合だ。

 

では自分が生きるため、社会で暮らすにつき何をして働くか。

この命題に対してブエナ村の村民なら実家か嫁ぎ先の仕事をするのが一般的だ。

"仕事を選択する"必要がないと言い換えても良く、それに対して王都では"仕事を選択する"という違いがある。

確かに長耳族の血が私より濃いお父さんは私より長生きかもしれず、お父さんが狩人として優秀すぎればブエナ村で狩人の道は閉ざされている。

だから将来を見据えて違いを認識させるのが、お父さんの狙いだとしたら。

王都の少年少女が冒険者ギルドを通じて仕事を選択するのを知り、自分に合う職業、自分の得意な業務、やりがいのある仕事を探させようとした。

そんなお父さんの思惑も、丁度良い仕事が見つかれば狙い通りだったに違いない。

けれど。

実際に働いてみて見え方は大きく変わってしまう。

闘気と魔術を使えば人より短い時間で、人より多くのお金を稼げる。

特に短い時間で稼げるというのは大きなアドバンテージになる。

というのも短い時間であれば自分に合っていなくても、やりがいがなくても気にならないから。

そして自分の得意なものをこなし続けたくても、王都ですら需要がついてこない。

人より多くお金が稼ぎたい訳でもなく、人並みで満足するならおそらく私はどこででも暮らしていける。

肉体労働も苦にならないのだから、人里離れて農地を開墾したって良い。

こんな考えはお父さんの意を汲んでいると言えるだろうか。

でも事実は曲げられない。

 

私には選択肢がある。

だから"悩む"。

他の人にない無数の選択肢。

でも、どれ1つとってもこれを選ぶべきだという納得のいく理由がない。

 

"そうして一日何をして生きる?"

――わからない。

 

"他の人よりも少しだけ長い時を、死を待つために生きるのか"

――究極的には誰だってそうだ。なのになぜ、それが悪い事のように感じるのだろう。

 

"もし悪い事なのだとしたら"

――私は何をして生きればいい?

 

--

 

4日間の足止め、この町での滞在は7日となる。

ややお腹の痛みが和らいだのを確認し、買い出しくらいならと町に出る。

旅を再開できる状態になったのは翌8日目だった。

町から街道に戻り、また歩く。ひたすらに歩く。

 

そうして中継地の南方砦を経由してあっさり王国の外へ出ると、赤竜山脈が冷たくも慈悲深く迎え入れてくれた。

山頂の万年雪から降りてくる冷気が吐く息を白く彩る。

刻まれた巨大なクレバスが街道を吸い込む様も実に寒々しい。

街道の難所。人々が『赤竜の下顎』と呼ぶ場所に到着すると、景色は山肌を削って造られた横開きの洞穴へと移った。

昔、妹ちゃん達に読み聞かせた『世界を歩く』や王立図書館で得た知識を思い起こす。

確か、中腹からの湧き水が長い年月をかけて山脈を削りとって渓谷を生み出したとか。

でも渓谷を使っての山越えルートを遥か昔の人々は選ばず、海族との遭遇の危険があってさえ南端の断崖絶壁に僅かに作られた狭路を進んだという。

それが変わったのは山脈に赤竜が棲み着いてから。

海岸沿いのルートには親子竜の姿が散見され、次第に廃れてしまった。

 

ちなみに現在、顎の南端は『子落山』と呼ばれている。

親竜が子竜を断崖絶壁に落とすことで飛び方を覚えさせる場所だから、なのだそうだ。

もし飛べなければもう1匹の親竜が咥えて救ってくれるというが、『飛翔』の魔術の訓練のときに感じる自由落下に似た感覚を味わうのだとしたら。

正直言って、無理矢理させられるのはぞっとしない気分で、赤竜の子に僅かばかり同情を覚えてしまう。

 

話は戻って。

ルートを断たれた国家、もしくは商人達は新たな交易ルートを探す。

ある者は炭鉱族が残した洞窟を。

ある者はベガリット大陸経由の海路を。

そしてまたある者は渓谷の側道を、といった具合に。

 

渓谷の側道を使い出した者の誰かが"『赤竜の下顎』に赤竜が降りてこない"という事実に気付いた。

成長した赤竜は空を舞い続ける生物であるが故に、谷底のような狭い空間を忌避する。

それに側道の勾配も馬車でぎりぎり越えられる。

だとしたら。

一人また一人と利用者が増え、いつしか側道は街道へと発展する。

そうして、この頃から渓谷を流れる川は『赤竜の(よだれ)』と呼ばれるようになった。

 

街道が発達し交通量が増えてくると、馬車の交互通行の問題が大きくなってくる。

問題解消のために渓谷沿いの岩をくり抜き、横開き洞穴が出来上がる。

そう。それがこの場所だ。

 

どの国家にも属さない赤竜山脈での工事。

誰が資金を工面したかは伝えられていない。

普通に考えれば近隣諸国の雄であるアスラ王国。

もしくは国力の観点からアスラ・王竜王国、ミリスの三国共同事業。

はたまた商人ギルドの音頭といった所だろう。

では実際の工事は誰が行ったか。

炭鉱族(ドワーフ)

それとも聖剣街道と同じく高位の魔術師?

私なら……闘気を纏った剣で岩を斬る。

案外、(いにしえ)の剣士が私と同じように考えて作ったものかもしれない。

 

--

 

横開きの洞穴は滝の中を潜って川向こうへと進み、そこからは左右の向きを変えてまた横開きの洞穴が続いた。

暫く洞穴坂を登っていると、開口部の先に轟々と音を立てる滝が見える。

端から覗きみれば、崖の上から怒涛の水が崖下の渓谷へと落ちていく。

あれが『赤竜の涎』の源流点とするとして。

言い伝え通りだとすれば、あのあたりが山の中腹なのだろう。

そして、滝は二又に分れて山肌に沿って片方は来た道を、そしてもう一方が道の先へと向かっている。

そうか。

源流点を過ぎても赤竜除けのための崖が続く理由。

滝が二又に分かれて東西に流れているから。

だからここは山の中腹ながら最も低い尾根なんだ。

予想通り勾配は次第に平坦から、暫くもしない内に下り始めた。

 

伝え聞くだけでは疑問にすら思わなかった事。

実際に現場に赴き、直に体験したからこそできる発見。

限られた人生の時間の中で効率的かどうかは別にして、それは確かにある。

 

--

 

洞穴から谷間の景色へ。

そして谷間が途切れたのは赤竜の下顎をかなり下ったところでだった。

山裾と呼ぶにはまだ標高は高く、されど赤竜が飛び交うにはもう低いのだろう。

つまりは十分に安全で、景色を楽しむ余裕がある場所。

眼下の光景。

想像していた異国とは程遠い景色。

短く茂った草から剥きだした岩がところどころに点在し、西側へと流れ行く川に沿って延びる街道。

森と思しき濃い緑色の一帯も遠目にできる。

正直に言ってしまってアスラ王国内、その町の外で幾度か目にした風景と代わり映えはしない。

気候と植生、付近の資源と立地。

そこから生まれるはずの歴史、生活様式、食生活。

まだそれはアスラ王国と比較して大差ないらしい。

一目でわかるほどの違いが出てくるのは、もう少し先なのだろう。

きっと王竜王国、いやその属国たるシーローン王国辺りなら。

 

そう思っていたのだけれど。

街道に沿って最初の村まで半日、そこからさらに自分の足で凡そ7日の距離毎に整備された宿場町。

それらを通過していく内にアスラ王国との違いが早くも見えて来ていた。

 

最大の違いは宿場が防壁で守られている事。

城塞都市風の頑強な防壁もあれば、土塁で囲って木で組んだ櫓を付けただけの小さな村もある。

アスラ王国でもマリーバードや王都アルスは立派なレンガ積みの防壁で囲ってあった。

が、ここのはそれらとは少し趣が違う。

最近出来たとみられる剣痕や燻った臭い。

焼け焦げた板材が散乱し、何事かのために埋め戻されたような土の盛り上がりもある。

それから補修された防壁。

ここでは今尚、本来の使用用途のために使われている。

 

治安の悪さは仕事にも影響している。

たとえば王国内でほぼ見なかった魔物と野盗の討伐依頼がギルドの一番見える場所に掲示されている。

上はAランクから、下はDランクまで。

下位の依頼でも銀貨数枚と、高めの報酬が設定してある。

だから常駐・滞在する冒険者はいろとりどりで、ひよっこからベテランまでが混在する。

ちなみに私は相変わらず町中でこなせる雑務の依頼を好んで選んでいた。

 

そうは言っても街道での不意遭遇は避け難いものがあった。

既に2回、付近にいた魔物を感知して討伐している。

魔物を討伐したら火魔術で灰にするのはゾンビ化を防ぐための措置。

しかし、討伐の証に部位を持ち帰る必要がある。

王都での水路探索と同じだ。

そう思っていたのだけれど。

ここではもっと厳格なルールがある。

まず持ち帰った部位によって討伐した魔物の種類と頭数が判らなければならない。

それはつまり部位によって種類が分かり、且つ1匹に1つしかないものが条件となる。

手っ取り早いのはほとんどの魔物が1つ持っている頭部を持ち帰る事。

でも頭数が多いと頭ではかさばる。

血抜きを充分にしても、糧食が入った背嚢に放り込む訳にもいかず、できれば腰巾着に入る大きさが望ましい。

だから、耳があるものなら耳が一番適している。

複数集めてもかさばらず、出血量も少ないので衣服を濡らさず、そもそも切り取るのが楽。

それでいてギルドの職員なら耳だけで魔物の種類も区別がつくという。

でも耳は2つあるから2つ切り取って2匹討伐したという嘘がつけてしまわないか。

そう思ったが、ちゃんと左耳を左耳とわかる範囲で切り取るものなのだそうだ。

最初から左耳がない個体もいたら?

そういう場合は右耳でもいけるらしいけど、数を証明する場合は最悪ノーカウントもありえるのだそうだ。

ついでに耳がない昆虫系の魔物は、やはり運べるのなら頭部か心臓をという話になる。

そして頭が大きい大型昆虫はこの辺りには生息していないので対処方針も決定していない、らしい。

えぇと、あと魔物によっては素材となる部位もあり、ギルドでは買い取りを行っている。

単身の冒険者では荷物の邪魔になるため狙うとしても魔石なのだそうだけど。

 

さて。

厄介なのはもう1つの方。

魔物退治と同じく私は既に2回、野盗らしき者たちと不意遭遇している。

けれど私は彼らと接触せず、その場を去った。

最初の一団は10人くらいの武装強盗団。次はずっと小さな4人組み。

後者の話を立ち聞きするに冒険者崩れらしかった。

そんな彼らは街道を行き交う商隊を狙って悪さする。

被害者を思えば見過ごしてはいけない、私には倒す能力もある。

だとしても野盗の討伐は単独で行うにはあまりにも面倒事が多く、手に余ってしまうのは容易に想像できた。

 

野盗の処遇。

もし討伐すると決めたなら、皆殺しにしてはいけない。

最低でも1人、できれば数人を捕虜にして町まで連行する。

捕虜はギルドに引き渡し、ギルドが尋問して事情を把握する。

こちらの主張が認められれば、その場で依頼を受領し、任務達成だ。

アジト持ちの場合、アジト壊滅までを任務にされる事もある。

その場合、ギルドの検査員を同行させねばならず、かなり面倒だということで冒険者には不評らしい。

壊滅させ、それを確認させなければならないが冒険者パーティーは1つの仕事仲間であり、余計なお荷物を背負うのは嫌われるためだ。

だから、壊滅させてからギルドへ場所を報告する方が賢いやり方だと言われている。

でも検査員を同行させて確認させるという点は同じなので、魔物の討伐と比べれば明らかに手間だ。

そもそも尋問にかかる時間によっては旅に影響が出てしまうし、字句通りに進むなんてのは希望的観測でしかない。

 

現実的に、もしくは悲観的に考えればどうなるか。

そもそも捕虜をとる行為にはあまりにも多くの問題が含まれている。

全員を捕虜にできたとして、彼らの手首を縛って数珠繋ぎにして歩かせる。

こちらはソロの冒険者なのに?

私が捕虜なら、町に到着する前に逃げ出す算段を整えて、必ず実行する。

そして全員を捕虜にできなかった場合。

もしくはアジトを壊滅させる、という表現の意味するところ。

即ち人死、人殺し。

 

この地では、それが当たり前の如く許容されている。

だとしても。

自分を襲撃してきた野盗が普段、一般人として振舞っていたら?

旅行者の私には知る由もない背景があるかもしれない。

その人を殺してギルドに届け出た結果、証拠不足となれば殺人犯にされるかもしれない。

或いはただの一般人を隠れ野盗という濡れ衣で殺せてしまう。

国の秩序は法によって定められ、法によって警察が取り締り、法の名の元に司法が裁定すべきもの。

冒険者、旅行者が土足で踏みにじればたちまち秩序は崩壊してしまう。

でも、この国この町この村が秩序立って暮らしを営めている。

秩序は崩壊していない。

それはなぜ?

出会った時に、マリーバードで、王都で。

ナンシーさんが言っていた事を総合すれば。

人は法だけに縛られて生きている訳ではない、と説明してくれていた気がする。

なら法とは何だろうか。

そういえばナンシーさんはこうも言っていた。

社会を円滑に運営するために法が出来た、と。

その前に何か別の事も言っていた気がする。

そう。

そうだ。

人が寄り集まって社会を形成して生きるのは、第一に安全を得るためである、と。

ならその社会を逸脱し、アウトローの者らは安全を捨てる代わりに何を得たのだろう?

 

わからない。

野盗達は何を得ているか。

彼らはどうやって生きているか。

彼らはいつ野盗になったのか。

わからない事ばかりだ。

真実はどこにあるのか。

いや、どこかに真実はあるのか。

わからないけど、わからなくて良いのかもしれない。

ナンシーさんから学んだ教えを忠実に守ればその不意遭遇自体を回避できるのだから。

 

--

 

そんな訳で。

トラブルを避ける旅の過ごし方を手探りながら身に付けて、いつしか冬がゆっくりと流れていった頃。

シーローン王国に彼の手が及んでいるのかを調べるべく、その目と鼻の先にあるムルロアに辿り着く。

ムルロアは国境にほど近い町。

それなりに栄えていて冒険者ギルドもある。

ここでは今、"新たな迷宮が発見された"という事件……いやイベントが起きていた。

出来たばかりの若い迷宮ではなく、少し時間が経っているらしい。

既にいくつかのパーティーが挑み10階層へ到達するも、そこに守護者の姿は無し。

というのだから、最近攻略されたパルパライソにも劣らぬ大迷宮か、と憶測が流れている。

そんな調子で冒険者ギルドに出入りする情報屋が囃し立て、ベテランも新人も冒険者は迷宮へと誘い込まれていく。

 

その影響が町に混乱を招いている。

シーローン王国や近隣の町を拠点とする腕に憶えのある冒険者パーティーが押しかけ始めると、その煽りを受けて宿屋不足に陥っているのだ。

供給難が起こり、宿代高騰を誘発。

迷宮に興味を持ち、何度か挑んでいた冒険者の中でも、下位の冒険者は料金が払えず街を去っていく。

彼らがいなくなると?

元々、迷宮攻略で残置されはじめていた低ランクの依頼、それを受領する者が皆無になる。

そして町の治安や平穏が乱れ、町は混乱していく。

 

そこへ私がやってきて、いつも通りに低ランクの依頼を片っ端から請け負ったものだから、

 

「おはよー、シルフィ」

 

「あ、おはようございます」

 

「今日もがんがんやっちゃって」

 

笑顔の受付さんが拳を右、左と前に突き出して、気合の入った様子をみせる。

 

「依頼があればですけどね」

 

「たぁくさんあるから!

 心配しないで」

 

こういう状況だからこそ。

私向けにわざわざ依頼を制限するような事はされていない。

 

「それとこれ実家の畑で取れたトマツ。

 煮込み料理にするとおいしいのよ」

 

「折角ですけど、宿で食事が出るので……」

 

「あら、そう」

 

ギルドの受付さんは残念そうな顔でトマツの籠を受付台の上に置いた。

そうしながらも器用に手続きを完了させたらしく、間をおかずに依頼と共に提出していた冒険者カードを差し出してきた。

トマツには手を付けずギルドカードだけを受け取ってギルドの建物を後にする。

仕事をたくさん受けても嫌がられないし、頼りにされているのは少しだけ気分が良い。

何よりお金を多めに稼いでおけばナンシーさんに返すときに迷惑料も添えて返せるはずだから。

そんな風に考えていたものだから既に予定の期間を過ぎて長居していた。

 

--

 

一月が経過しようとしていた或る日。

宿屋での夕食を食べ損ねて仕方なく向かった先は、冒険者ギルドにほど近い酒場だった。

『本日、貸し切り』と店外に大書され、中に一歩踏み込めば既に多くの冒険者たちが飲み過ぎたのか、床で寝そべっている。

いつも夜のここは騒がしいらしいけれど、これは特別な状況なんだと思う。

まるでお祭りの後のようで、少しやつれた店員らが冒険者を避けつつ散らかった店内を片付け始めている。

 

「あの……」

 

「あら、シルフィちゃん。

 あなたも来たの」

 

声を掛けた相手は酒場の主人……の奥さんですらりとした美人のバーテンダーさん。

この短くも濃い期間、町中の依頼を受け続けたので顔見知りにはなっている。

相手は職業柄か、それとも偶然か。

私の顔を覚えてくれていたらしい。

 

「はい。

 宿の食材が持っていかれたと」

 

「あら、それは悪い事をしたわね」

 

申し訳なさそうな奥さんの態度に、軽く首を振って応えておく。

私が本当に気にしていないと判ったのだろう。

 

「じゃぁ、空いてる席で待っていて。

 手がついてないやつを持ってきてあげる」

 

そういって奥さんは他のテーブルへと駆けて行き、いくつか残った料理を見繕っている。

言われた通りに席を探すが、どこも空いている席がなかったため、床に突っ伏している冒険者を起さないように移動させる。

最後の一人を動かそうとすると、男の脇から小銭袋がぽとりと落ちた。

私はそれが再び落ちないようしっかりと懐へと戻してやる。

そうしながら宿で聞いた話を思い出す。

今日の昼。

街中の依頼をこなしている間の事。

協同していた3つのパーティーが迷宮より帰還し、彼らはその足で冒険者ギルドを訪れて迷宮の攻略完了を報告。

攻略に成功した者らは迷宮の最奥にある魔力結晶や魔力付与品で一攫千金を手に入れ、またその他の攻略組も迷宮内の魔物が落とす魔石でそれなりの稼ぎを得ている。

そんな彼らは当然のようにこの酒場に来て酒盛りを開始。

町で休息していた冒険者や遅れて帰還した他の冒険者も話を聞いて合流し、次第に酒盛りは盛大な攻略祝いとなった。

 

「はい、お待たせ」

 

そう差し出された一皿にはこれでもかと料理が盛られている。

見上げると、そこには奥さんの笑顔。

 

「ゆっくりしていって」

 

「あの、こんなに沢山」

 

「大丈夫。いいから」

 

こんなに食べると思われてる?!

の、だろうか。

もし、そうならちょっとショックなのだけど。

と考えている内に、

 

「寝てる男達が無礼講だと誰彼構わず奢っていたから。

 お代は気にしないでいいの。

 少し冷めてしまってるのだけは勘弁ね」

 

手を付ける前に奥さんはそう言い残して掃除へと戻っていく。

確かに口へと運んだ料理はすっかり冷めていた。

けれど、峠越えの際に糧食を温める術を得た私にとっては大した問題ではない。

手早く魔術で温めるためのプレートを作り、熱し、そこに料理を移せば。

 

ジュゥジュゥという音と共に香しい匂いが立ち込める。

それを口に運ぶと、あら不思議。

ちょっと残念だった残り物も出来立てみたいなおいしさに。

 

「ん……もう朝か?」

 

「いつつ、飲み過ぎた」

 

黙々と食事を楽しんでいると、テーブル下から声が聞こえる。

そこには先程の、懐の緩い男。

頭を押さえているのは飲み過ぎのせい?

 

「お水、どうぞ」

 

手近にあった空きのコップに魔術で水を足し、手渡す。

男は一息でそれを飲み干し、ぷはぁと息を吐きだす。

 

「助かったよ」

 

「いえ」

 

「どうやら、まだ朝じゃないみたいだな」と呟いて、男がこちらをじっと見て来た。

そして、

 

「あんた、あれだろ?」

 

あれとは何だろう。

判らないでいると男は続けて、

 

「攻略に参加せずに町の依頼をこなしてる低ランク冒険者の」

 

どうやら攻略組でも目端が利く者がいる、それとも私は目立ち過ぎている。

 

「ええ、あぁそう、ですかね」

 

「名前はなんてんだ?」

 

「シルフィです」

 

「シルフィね。

 俺はアッシュ。

 Aランク冒険者だ」

 

名前を教え合って友達にでもなりたいのか。

良く判らない。お父さんやパウロさんと同じくらい? の年齢の男の人に見えるし。

友達という関係は奇妙。いや同じ冒険者だし『冒険者仲間』という奴?

意図が判らなければ不用意に話題を出すのも難しく、黙ってそのまま食事を再開してみる。

男はまだ床に座ったままこっちをみつめて、

 

「あんた出身は?」

 

出身はブエナ村。

そんな話は王都の道場でも話して、結果は逃げ出すハメになった。

 

「アスラ王国です」

 

「一人旅、だよな?」

 

「ええ」

 

「そう、か」

 

それだけ聞いて男は立ち上がってひとつ伸びをしてなぜかテーブルの反対側へ移動し、席に着く。

アッシュは口を開こうとして、

 

「なにが、"そう、か"だ。

 アッシュ。その娘は危うい。

 わかってるだろ」

 

私から見えていなかった、テーブルの向こう側。

アッシュが着席した席のさらに背後のテーブルに突っ伏していた男が顔だけをあげてそう呟いた。

アッシュは肩越しに振り向いて、声の方へと顔を向けて

 

「フィラーハ」

 

と一声。たしなめのニュアンスがあったのは間違いない。

それでもフィラーハと呼ばれた男は口を止めない。

 

「赤竜の下顎を単独で越えて来たんなら、それなりの腕だ。

 Eランク冒険者の実力であるはずがない。

 だろ? アッシュ」

 

「んなことはわかってんだ。

 黙っとけ酔っ払い」

 

話は終りだとアッシュはフィラーハから視線をこちらに戻した。

私からはフィラーハが何か言いた気ではあるのが良く見えた。

けれど、そのままフィラーハは何も言わずにテーブルに突っ伏し直していた。

 

「余計な話を聞かせちまったな」

 

「いえ」

 

「で、だ。

 俺が聞きたかったのは」

 

そこでポリポリと頭を掻き、言い淀んだアッシュ。

1つ咳払いをした彼は、

 

「いや、1つ俺の話をしたい」

 

私が何かを言う前に、男は勝手に話し出す。

2年前、既にアッシュはパーティ名"ビーストチェイサー"を組んで、シーローン周辺の迷宮に挑戦する日々を過ごしていた。

仲間は彼を含めて5人。

残りのメンバーは戦士ライアン、策士カルロバツ、射手アンベルグ、魔術師フィラーハ。

今も同じパーティで活動している。

当時、彼らが挑んでいたのはパルパライソ大迷宮。

苦労して辿り着いた最奥。

しかしそこで守護者の致命的な一閃を受け、胴を2つに両断されてしまう。

死。間もなく死ぬ。

薄れゆく意識の中、動けぬ身体で彼は仲間が一目散に遠ざかる姿を見ていたらしい。

 

「人の身の丈の5倍はある巨大な石像だったんだ。

 あんなものアッシュで無理なら俺らに倒せる道理がない」

 

語りに補足したのは勿論フィラーハ。

それだけ言ってフィラーハは立ち上がり、「気持ちわりぃ」とぼやきながら店の外へと消えて行く。

 

フィラーハの言う通り、勝ち目の無い状況でパーティの判断に異論はないとアッシュは考えている。

そして彼らが逃げていく姿に追いすがる守護者。

アッシュの目からは石像の後ろ姿しか見えなかったが、逃げ切れないかもしれないと思った刹那。

室内で使うのは躊躇われるはずの大魔術が守護者を爆砕した。

アッシュの意識があったのはそこまで。

次の記憶は迷宮最寄りの村。

その宿屋兼治療院のベッドで目覚めた後の事。

彼を運んできたのは仮面をつけた小人族の男だったと知る。

それから冒険者ギルドを訪れて、迷宮の攻略届を出した冒険者を探して登録名を発見。

彼を助けたのは"ルード・ロヌマー"と名乗る剣士だった。

剣士? 石像は魔術で爆砕され、真っ二つになったはずの自分を治癒したのは高位の治癒魔術のはず。

なら彼のパーティメンバーとか?

そう考えたがルード・ロヌマーはパーティを組んでいないし、冒険者カードも提出しているならば別人でもない。

それよりも例えばミリスの高位神官であるが故に冒険者登録を行っていない仲間が居て、治してくれたとか。

 

「という事があってだな。

 俺はルード・ロヌマーと名乗る命の恩人を探してる。

 せめて感謝くらいしたくてな。

 心当たりは?

 アスラの王国でそういう人物を見かけたとかよ」

 

記憶の中を洗ってみてもどうにも思い当たる人物はいない。

そもそも小人族に出会った事もないし。

だから軽く首を横に振る。

 

「同じ内容の歌っているのを耳にしたことは?

 この話、王都アルスへ向かう吟遊詩人にも聞かせてやったんだが」

 

「数か月の単位で王都に滞在してましたけれど初耳ですね」

 

「シーローンの商店も空振りだった。

 情報を広めるのも集めるのも、どうにも上手くいかねぇな」

 

「商店?」

 

「あ? あぁ。シーローン、サナキア、キッカとあるんだ。

 丁度、俺が助けられたくらいに立て続けに開店した店で、名前から関連があるとも思ったんだが」

 

「それってルード商店という名では?」

 

「そうそう。なんだアスラにもあるか」

 

「ええ……」

 

余り聞きたいとは思えない名前だ。

だが、私が知るべきものは既にキッカ王国まで手を伸ばしているらしい。

それを知れたのは素直に喜ばしい。

 

「とすると、アスラ王国でよくある名前がたまたま同じ時期に展開したってことかよ。

 紛らわしい話だ」

 

などと勝手にアッシュは納得する。

アスラ王国でルードという名前が一般的なのか、私には良く判らず口を挟むことは憚られた。

 

「おい、アッシュ」

 

「なんだ。フィラーハ」

 

「もう宿に戻ろう。

 いつの間にかカルロバツの野郎とアンベルグは宿に帰ったみたいだぞ」

 

「ライアンは?」

 

「宿の外で寝てる。

 俺だけじゃ運べないんだ」

 

「わかったよ」

 

そうアッシュは応え、

 

「悪いな嬢ちゃん。

 俺だけ話しちまって。

 今度会ったらで良いからよ、あんたが旅する理由も教えてくれよな」

 

アッシュは身体を乗り出し、握手を求めて来た。

酒臭い息に辟易としつつ手を握り返すと、入り口のフィラーハと合流した彼はそのまま酒場を去り、私は取り残される。

「おいライアン、重すぎんだよったくよぉ」という声が直ぐに聞こえてきたりもしたので、会話の通り宿へと帰ったのだろう。

 

「なんだったんだろ」

 

疑問符が浮かんだものの、それ以上は深く考えず食事を摂り終えて宿へと戻り、眠りについた。

 

--

 

次の日から攻略組の冒険者たちは一組また一組と次の迷宮を求めてムルロアの町を後にする。

宿はもぬけの殻となり宿代も徐々に元の値に落ち着くと、別の町に行っていた低ランク帯の冒険者が姿を現し始めた。

私の役目も終わりだろう。

そう判断してギルドの受付に別れを告げ、シーローンへと向った。

途中。

まだ若い、私と同じくらいの冒険者の風体をした少年少女を目にする。

彼らは成人しても背の低い他の種族と同じような背丈だ。

私も2年前ならあれくらいだった。

と思ったところで、"2年前"と言ったアッシュの声が頭の中で木霊する。

 

彼は未登録の魔術師が同行しているのだろうと語った。

しかし剣士にして魔術師。いや魔術師にして剣士。

単独の冒険者になるのなら、私もそうしたように剣士を名乗る。

それに小人族に間違われてしまうほど背の低い、いや単純に子供の剣士にして魔術師が存在し、しかも大迷宮の最奥に単独で辿り着くなどという想定は頭に無かったに違いない。

だからこそ起きた誤認識?

 

ルディは7歳になる直前、旅に出た。

そうしてフィットア領の領主に会いにロアへ赴いたり、王都へと向かったりした後、1年半ほど行方知れずとなった。

その時、彼が何をしていたかは判っていない。

でも旅に出てみれば、少しずつ新しい景色がみえるものもある。

彼が辿った足跡、いや残滓とでもいうもの。

 

少なくとも彼は『ルーディアン物語』という本を作り、王都で販売している。

販売先は多分、あのバティルスの香りのするルード商店だ。

元からあったお店に卸しているのかもと思ったけれど、どうやら最近になって各地に展開しているという。

ならば、もしかしなくても彼が店を開いたと仮定できる。

 

彼が開いたルード商店。

そして時を同じくして現れた仮面の剣士ルード・ロヌマー。

彼の剣術と魔術の力があれば迷宮を単独で踏破でき、そしてその場で怪我人を治癒できる。

話に齟齬は無く、辻褄は合う。

合ってしまう。

短くない冒険者活動によって、それを為せる人物の希少性を私に理解させてしまう。

そして自分の立てた仮定を正解だと後押しする。

だが、それは何のためなのだろう?

王都だけでなく、サナキア王国までも出張って店を開き、シーローンで迷宮探索を行う理由。

単純に考えればお金だ。お金を稼ぐため。

 

でも私だって思うのだ。

そんなに稼いでどうするの? と。

自分が暮らしていけるだけのお金なんて彼の能力があればすぐに稼げてしまうはずなのに。

 

行き詰まりを見せる仮定。

そこに新たな記憶が呼び起こされる。

「彼はフィットア領に悪いことが起こるのを防ぐために旅をしているらしくて、防げなかったときのためにお金を稼いでいるそうね」

昔、帰って来ないルディを探しにロアへ行こうとした私に、お母さんがそう教えてくれた。

 

その時は、"防げなかったとき、何にお金が必要か"なんて、よく考えなかった。

でも事実が、歴史が教えてくれている。

彼が資産を投じ、王様の判断すら捻じ曲げるためにお金を必要としたのだと。

だとして、今もまだお店は続いている。

彼はまた何かをするつもりなのかもしれない。

 

街道沿いはきっと、もう駄目だ。

だとしたら私の進む道はもう中央大陸中央部なのかもしれない。




次回予告
重力魔術、禁忌の術。使い手2人。
出会うは偶然。もしくは必然。
"解放せよ。力を"
運命は迫る。
束の間、襲い来る新たな影。
立ちはだかる格上。
ここは紛争地帯。

次回『バニシングポイント』
長い長い旅の道の果ては地平の先へと延びて見えない。

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