無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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第122話_図書館の出会いsideシルフィ_アン

--- 天網恢恢疎にして漏らさず ---

 

約束の日、王都にて。

ゼピュロス家の屋敷へと向かう道を外れ、細い路地を歩く。

数区画を進んでから西へと曲がってまた大通りを目指すルート、そのゴール直前で薄暗がりの中から腰の高さにぬっと手が伸びた。

その手には1枚の折りたたまれた紙切れ。

歩みを止めることなくそれを受け取り、大通りへと抜け出る。

 

大通りの雑踏の中で折りたたまれたそれを開き、見る。

白黒の、炭で描いたのだろう風景画。

人と馬車が行き交う大通り。両サイドの建物。

やや見下ろす形で描かれた通りの先には大きな特徴のある門が描かれている。

その門の両手には区画を分けるための塀がない。

そう。これは凱旋門だ。

そう気づいて、紙切れを懐に忍ばせると南の街道へと向かった。

 

凱旋門の大きさが紙切れの中の縮尺になる建物を探し、その屋上を目指す。

誰もいない屋上で、通りに面した側に立って景色を描いたであろう場所を見つけると、そこに木箱があった。

木箱をどかしてみるも、何の変哲もない屋上の床だ。

どうしたものかと思いながら、ふと木箱が軽い事に気付き、持ち上げた木箱に目を向ける。

木箱は底面がない、というよりは蓋の無い木箱を上下逆さまに置いてあったらしく、その中は空っぽだった。

そして内側の底面にバツ印になるように補強がしてあり、補強と底面の間に紙の綴りが挟まっている。

紙の綴りを破れないように取り出し、読む。

 

「そういう事ね」

 

読み終えて独り言ちると、懐の地図と紙の綴りをそれぞれ火魔術で灰に変える。

折よく一陣の風がその灰を王都の空へと舞いあげた。

これまでの調査と合わせ、概ねの状況は把握できた。

後はサブマスターが隠したかっただろう情報について。

私の流した偽情報がどのように結実したかを確かめるべきだ。

 

--

 

答え合わせをするべくゼピュロスの邸宅を訪れると、余人を含めず書斎へと通されて応接セットでケールと相対する。

彼が机の上に置いた資料の表紙には『ルーデウス・グレイラットの動向調査』『北神流』『貴族・派閥情勢』といった文字が並ぶ。

その索引をざっとみて、違和感を覚えた私は記憶を掘り起こす。

 

「確か北神流、ノトス家、ダリウスの調査を依頼したはずよね」

 

少しだけ資料から目線を外して、前に座るケールへと視線を送ると、

 

「話の中心にはルーデウス・グレイラットが居るというお話でしたので。

 それともノトス・ガニウスの貴族の動向だけではなく全体的な情勢解説もお付けした点が気に食わないと?」

 

気に食わないというよりは、

 

「随分と親身になって調査してくれているようだから、驚いただけよ」

 

と零すも、

 

「別に姉さんのためという訳ではありません。

 ゼピュロス家にとって必要という判断を下したまでです」

 

ケールの顔をまじまじと見つめるも、眉一つ動かさずに元より応接テーブルの上においてあった紅茶が啜られる。

虚勢か本心か。

どちらでも構わない。

ただ調査には全力が尽くされているだろう。

そう理解して、資料へと目を落とす。

 

『ルーデウス・グレイラットの動向調査』は彼が王都を訪れたところから始まる。

が、どうやらその時期以降に起きた夜中に野犬が一斉に鳴きだした、龍神の名代を名乗って貴族の屋敷に現れた等の王都内の不思議な出来事が併記されている。

だがこれは"前世の彼を知る者に当て嵌まる"、巧妙な罠ではないか。

ケールの顔色を再び確かめるも極自然な態度からは危険な背後は感じ取れない。

ではサブマスターの災害にまつわる一連の功績が、彼にその可能性を排除させなかっただけか。

私は答えの出ぬままにこの件をとりあえず脇に置き、より蓋然性の高そうな物だけをピックアップした。

 

彼を最初に確認できるのはアルスでルード商店が開店した3年半前の話だ。

この時点で彼に興味を示した人物は意外に多い。

最初の1人はアスラ王国商人組合本部長プエルトモント。

商店開設の書類提出で組合を訪れた際、本部長自ら自室に呼んで顔を合わせて言葉を交わしたという。

程なくして王宮にルード剣を納品する話が決まると、財務省会計部や軍務省補給部、王国騎士団武器科といった実務で辣腕を振るう面々が彼と接見している。またいずれの人物も接見後に商人として彼の評価を上げた、とある。

 

だが……ゼピュロス家の情報機関はこれを訝しんだ。

私も報告書を読んで同じ感想を抱いた。

同時期の彼は水神流宗家道場を道場破りし、新たな水帝級剣士に認められているはず。

もしそれらの情報が出回っていれば、騎士家の多くも彼に興味を持っていなければ妙だ。

しかし、そうならなかったという事は私が北方砦にいて情報に疎かったというのではなく、その情報は出回らなかった事を示している。

同じ結論を得たゼピュロスの情報機関はその理由を「水神の下知で秘匿された」と突き止めている。

問題は水神がなぜそうしたかまでは不明で、さらに水神流道場に潜伏していた某国の工作員がこの情報を本国に持ち帰ったのを契機に公けの物となったということだろう。

 

きな臭い話は続く。

次に観測されているのはそれから半年後、つまり今から3年前の話。

ルード剣の納品前後とそれからアルス内にルード商店の新店舗が3つ開店した流れで彼は登場する。

サブマスターはS級冒険者『黒狼の牙』に在籍していた炭鉱族(ドワーフ)、厳しき大峰のタルハンドを何処かから招いて雇い入れ、王宮の鍛冶場の1つを魔改造してルード剣製作を進めた。

出来上がった剣で莫大な利益を上げ、その利益で新店舗を開店・拡大したとされている。

対して軍務省や王国騎士団の関連派閥からは懐柔や情報の詐取を目的とした諜報戦を仕掛ける動きがあった。

鍛冶場に対してはタルハンドの頑強な秘密主義により手も足もでない状態が続き、ルード商店の雇われ店主には美人局(つつもたせ)を使ったハニートラップが行われるも失敗に終わった痕跡が認められている。

 

残念なことに、ルード剣の価値が調査に終わりを告げさせなかった。

上が諦めなければ、情報機関は危険を承知で腹を括るしかない。

そうしてあらゆる角度からの調査が行われたが、結果がままならなかった。

遂には領主の邸宅へと押し入って剣王に撃墜される者が現れ、1つずつ調査の手は失われていった。

 

同時期、ゼピュロスの調査機関も動いていたとある。

北方に武器を輸出する関係で、武器生産のノウハウがあるゼピュロスは調査の勘所も判っているらしい。

原材料を産出しているはずの鉱山、精錬するための加工場の存在、関わる人足や食材の物動。

巧妙に隠そうとして、隠しきれない僅かな痕跡を辿っていくと……そこには媚薬の秘密製造工場があった、という。

しかも折角の情報も何かに活かす前に転移災害ですべて失われてしまったようで、資料から悔しさが滲んでいる。

そこまでは私にとっては実のところ笑い話だが、最終報告の部分は笑えなかった。

ゼピュロス家はルード鋼の産出、一次加工場がどうやっても見つからないという結果を重視し、そこからルード鋼が鉱山から産出されないタイプの金属である可能性を示唆したのだ。

特殊な魔獣や迷宮が生み出す素材もしくは素材を生成する魔術によって生産された可能性。

前世と同じならルード鋼はサブマスターが無詠唱の土魔術で創っているのだから、この可能性の示唆は正当。

故に、偽情報を流そうとしている私にとっては難しい局面という認識が深まった。

 

ここから転移災害の起こる半年前までの2年半、王都にてサブマスターは自社工房の手伝い、整備品の受注・納品、ルード商店で出す商品の原料購入に奔走する姿が目撃されるも、同時期にルード商店が世界展開していったらしいという情報が齎された事で、その目撃情報の信憑性が疑われている。

王都で活動していたのは影武者か?

ルード商店の世界展開に協力者が?

王竜王国辺りへ転移できる秘匿された転移魔法陣があるのでは?

推測の立証のために調査は続行中とのことだ。

そうして最後に転移災害が起きる半年前から1年の間。

パタリと行方を晦ましたサブマスターはロアで国家警察に逮捕されるまで登場せず、尋問の末に王の前での公開審理へと至る。

 

「何か?」

 

手を止めてしまった私に、ケールが口を挟む。

彼は資料を読み進めて行く私がどういった反応を示すのか、それを注意深く見つめていた。

手を止めてしまった理由は、王都で北神流と起こした騒動に関しての調査がすっぽり抜けているから。

私はその情報を掴んだけれど、ゼピュロスが掴んでいない理由。

もしくは北神流の説明側にそれがあるのか、といった思考が手の動きを鈍らせていた。

ただ、それを正直に言う必要はない。

 

「いえね。

 王都以外での情報がほぼないでしょう?

 ゼピュロス家の調査能力を疑うべきか、それともルーデウス・グレイラットの情報隠蔽能力を評価すべきなのかと迷ってしまったの」

 

痛い所を突いたのだろう。

ケールは少し顔を歪めつつ、

 

「災害の影響で痕跡が完全に消し飛んだと推測すれば、対象はフィットア領で活動していたものと思われます」

 

「消去法での推測を資料にしなかった訳ね」

 

「えぇ」

 

納得した風を装い、資料に戻る。

アスラ王都で人死の騒動を起したという北神流の者らは南へ逃げた。

幾人かの人相書きとその目的は対象を密かに探しての謀殺だろうと断定されているものの、対象に関しては濁されている。

宮廷魔術師や王都に住む在野魔術師の得意魔術の洗い直し、風系統を得意とする者を詳しく内偵しても、これだけの人員を配しての暗殺が必要な者が見つからない。

捕縛・公開審理の際にはルーデウス・グレイラットも候補にあがった形跡があり、その後に同じ時期の彼が王都には居らず、水聖級魔術師という看板もあって候補外になっている。

それから、逃げ出した者らはウィシル領からベガリット大陸に向かったとある。

ブエナ村襲撃犯が南から来たらしいという情報とも符合し、併せてアスラ王国内の高位魔術師を狙ったとも考えられている。

ベガリット大陸に潜む結社か、ベガリット大陸を経由した王竜王国という線でさらに調査を進めるようだ。

 

北神流の項が少ない代わりに、かなりの情報量を持つのが貴族関連だ。

ゼピュロスの情報網が元来の目的に使われているからだろう。

その内容は、公開審理によってダリウス失墜でグラーヴェル派はボレアスの脱落も含め風前の灯火となっている、という一文で始まる。

ダリウスは派閥の維持に努めたが、かなりの数が移籍に動いた。

動かなかったのは派閥の中心に近い貴族やボレアスが擁するルーデウス・グレイラットに近づきたい家だけ、ともある。

またハルファウス派については傍観し続ける腹だと断定している。

ゼピュロスとエウロスでそう合意したという事だろう。

だが残念な事に、一部の貴族はナンシーの出した擁護書面をグラーヴェル派の弱体化を狙ったもの、ここからハルファウスは争奪戦に参戦すると読み、鞍替えを希望してきた。

当然にそれらは断られ、意思を内外に強く示す事になった。

 

片やアリエル派は王位争奪戦を優位に進めるべく移籍組を迎え入れる。

そして所属の下級貴族などはグラーヴェル派の弱体化とアリエル派の増強をみて状況が進展すると予想。

しかし実際、アリエル派内部は新規組を迎えて起こった序列の混乱を整理するのに忙しく、動けなかった。

しかも派閥の動きが膠着する状況下、ノトス家のピレモンは序列整理もそこそこに自領へと帰郷してしまった。

調査によると、ミルボッツ領は大暴走(スタンピード)でドナーティ領やフィットア領より大きな被害を出しており、復興の遅れから領内での信頼が低下する中でノトス直系の文武両道な男児がガニウス家の謀略に正面から打ち勝って台頭したとなれば、信頼回復が急務とピレモンが考えたのも無理からぬの事と見立てがされている。

危機感に駆り立てたられた結果、ピレモンはかなりの私財を投じて僅か2か月で急激に復興させた。

特に東部の森に対しては傭兵を常駐させ、村落の砦化・陣地化までもが進んでいる、と記載がある。

 

最後はダリウスに関して。

しかし、そこに奇妙な一文を見つける。

 

「水神流宗家の屋敷に暗殺者を放ち、失敗?」

 

「予想外の大事件が起こった場合、彼は身辺を整理する癖があります」

 

「つまり転移災害という大事件が起きたため、自分の都合の悪い者を排除しようとした」

 

「ええ。

 数年前から宗家が何者かを匿っているようですね。

 ダリウスが動いた状況からみて、彼に関係のある人物だったわけです」

 

ケールの口ぶりから、ゼピュロス家が匿われた何者かがいるところまでは掴んでいた、と推察できる。

問題は、それ以上の詳細が判っていない事か。

 

「気になるわね」

 

「もう少し時間があれば」

 

そう申し出るケールに対し、小さく、顎だけを動かす程度に首を横に振る。

 

「丁度良いから、私が確かめに行ってくるわ」

 

翻意が難しいと見たのだろう。

 

「では結果が分かり次第、こちらにも情報を頂きたく」

 

と一言。私はそれに頷き、

 

「調査、ご苦労だったわね」

 

そう席を立ち、

 

「やるべき仕事をやったに過ぎませんよ」

 

と謙遜するケールの言葉を聞き流し、屋敷を離れた。

 

--

 

5人。

内心で数えたのは、周囲に散らばっている怪しき者達の姿に対して。

彼らは屋敷からアルスの南西、中級市民街の区画のパブまで人員を交代しながら一定の距離を保って追随してきた。

要するにゼピュロスの屋敷を監視する役目を担っている者らだろう。

グラーヴェル派かアリエル派か、それ以外の貴族の独断か。

貴族以外の勢力の可能性もあり、ましてやこの5人がまとめて1チームとも限らず複数の派遣元からの監視者である可能性も高い。

漂わせている気配の感触。その薄さがかなりの腕であると伝えてくる。

中には北神流の追跡術を使う者もいるが、こちらはミルボッツとは別口か。

初回の来訪後に、私の身元を洗ったのだろう。

先程聞いた各派閥の状況、ゼピュロスの動向、公開審理の場でのひと悶着は暗闘に励む連中を大いに刺激した。

次は遅れを取りたくないという不安、名を売ってしまった私の価値。

これらの理由が凄腕の動員に関係しているというのは想像に難くない。

 

そんな彼らに気付かない素振りでゼピュロスの調査能力を吟味する。

少なくとも貴族の動向に関しては私よりもずっと深いところで調べているらしい。

それを証拠に、水神レイダがサブマスターの認定隠しに加担したという話やダリウスが暗殺者を放った話は初耳だった。

ダリウスとレイダには因縁があるから、これに関係する何かの事象?

或いは認定隠しの件がダリウスにレイダ暗殺を決意させた?

だとしても神級の暗殺技能者などそうそう居ない訳で、拙速な行動と言わざるを得ない。

どうにもしっくりこない。

知らない何かが実にもどかしく、その辺りのことまで調べてくれていたらと思ってしまう。

でも、そうね。ゼピュロスの調査能力は予想以上に高く評価できる。

だからこそ、サブマスターが解決も公表もせずにいるブエナ村襲撃犯について、猶予を生み出せたのは素直に喜ばしい。

私の流したベガリット大陸由来というデマを本家は掴んだ。

ハルファウス派の本家は誤情報を信じている方が余計な心配に惑わされずに済むし、私の行動制限も発生しない。

時間が経つほど情報はまことしやかとなり否定が難しいから、後続の誰かもまた同じように騙されてくれるだろう。

 

さて。

概ね王都で知りたい事は知れた。

ダリウスと水神レイダの関係値の見直しは重要度が低そうなので、片手間で良いだろう。

後はシルフィの王都周遊に付き合った後、彼女をブエナ村まで送り届けてからの話になる。

ブエナ村の真の襲撃犯、ノトス家を支援している複合企業『アイントラート』の傭兵部門。

これを調査し、サブマスターの憂いとならぬよう対策を講じる。

もしかしたら大きな仕掛けが必要になるかもしれない。

 

 

--シルフィ視点--

 

観光スポット巡りは中級市民街を右回りにぐるっと一周して始まった。

闘技場は外観を眺めるに留め、劇場街にある野外半円劇場で催される『三剣士、龍に挑む』を観覧。

それから中下級貴族及び騎士区画に入って騎士団屯所、ミリス神殿、王立学校へ。

 

今は同区画の王立図書館で補償金を預けて1人、本を物色中。

入るだけでアスラ金貨15枚が必要なこの図書館。

問題を起したり、本を傷つけなければお金は返してくれるらしいとは聞いたものの、どんな難癖をつけられるかは判らない。

しかも、2階・3階を利用するならさらに補償金がいると言われたときは踵を返そうかと思った。

そんな私の思いを察したナンシーさんは私の3階利用のお金を肩代わりしてくれて、でもさすがに自分の財布が厳しかったのだろうと思う。

「用事を思い出した」と一言残して階下へと戻ってしまった。

 

3階の本棚は1階のそれとは異なる様式の本棚が使われている。

1階のものは背表紙だけ見せる形式で、おそらく大量の本を擁する図書館ならではの配置の仕方だと思う。

一方の3階は本毎に金具の装丁が後付けで施されており、この装丁の背表紙上端から同じく金属の鎖が本棚と繋がっているスタイル。

鎖は余り長くなく本棚と一体となった座席で読むものらしい。

王都にある街の本屋でもこれに近い様式なので見慣れているといえば見慣れている。

ただ本屋の場合、中身が見れないよう鍵付きの固定具で留めてあるのでやや違うか。

 

まずは本の背表紙だけを横目にしながら通路を歩いてみる。

1列に両側20席、それが10列、ということは400冊程の魔術用の原書が公開されているらしい。

そして同じ3階には他に2人の男女が居た。

どちらも街で見た貴族と同じ出で立ちなので、おそらく貴族だろう。

もしかしたら宮廷魔術師と呼ばれる者かもと想像しつつ関わり合いにならないよう距離を置いて、あまり聞き覚えのない種類の魔術についての本を読もうと席につく。

 

 

本を読み終えて、私は視線に気付いた。

"熱視線"を送って寄越すのは先程、他の席に座っているのを見た男。

正面からの姿をまじまじと眺めれば庶民では手の届かない耳掛け型の丸眼鏡をしているのが特徴か。

この図書館は補償金も格別に高い。やはり利用者の多くは貴族なのだろうと察する。

そういった洞察を踏まえ礼儀を弁えた態度がトラブル避けとして大事だ。

だから起立してから「なにか御用ですか?」と先んじた。

少し遠巻きに見ていた男はやや戸惑いを見せた後、こちらに近づき、そして、

 

「私が今日、偶然にももう一度読み返そうとしていた本を見知らぬ顔が熱心に読んでいたものだから、奇妙な縁を感じてね。

 つい不躾な目で見てしまっていたようだ」

 

言葉に不自然な点はなし。

ただ、そのせいで余計に面倒事の予感が掻き立てられる。

関わらない方が良い。

 

「滅相もありません。

 どうかお気になさらずにおいでください。

 では、私はこれにて」

 

礼に適った口上を並べて立ち去る。

問題はない。

けれど男は聞いていなかったのか「君は……魔法学院の出ではない、ね?」と背を向けた私を呼び止めてくる。

無視すれば貴族を怒らせるか、それとも不審人物に見えるかもしれない。

そんな懸念に負けて向き直り、相手の質問にどのように答えようかと考える。

魔法学院。

王都で魔術師を養成する教育機関。その名がたしかアスラ魔法学院だった。

と理解するまでに、「だが、その齢で魔法大学卒なら噂にならぬ訳もない」と男は独り言つ。

そうして一旦、視線を外していた男が再び顔を上げて左右に振る。

 

「問題は、そう。

 君が召喚術に興味を抱く理由だ」

 

「あぁ、その……ええと」

 

「はっきり言い給へ」

 

他のありきたりな魔術書に興味がなかっただけ、と言って良い物か。

貴族を怒らせたりしないだろうか。

判断できない。何が正しい?

 

「お騒がせですわね、レッドパッド卿」

 

横合いから救いの手が差し伸べられた、と思った。

声の主は薄紅色の髪を長く伸ばした女性。

同じ階に居た3人がここに集まった事になる。

 

「アリアバード殿。

 もしかするとこの少女は」

 

うるさいくらい(・・・・・・・)に聞こえておりましたから説明無用でしてよ」

 

レッドパッドと呼ばれた男が本題を切り出す前に、アリアバードと呼ばれた女はその言葉を切って捨てる。

むしろ彼女が嫌味ともとれる口調で言い切ったのは、彼と彼女の本題が異なると如実に示した。

男は悔しそうに歯噛みしてから、ずれた眼鏡の位置を直しつつ態勢を建て直す。

 

「場所を弁えぬ非礼、お詫びします」

 

「私ではなく目の前の方に謝るべきでしょう」

 

厳しい指摘に、またもや男の態勢が崩れたらしい。

懐から取り出したハンカチで眼鏡を拭く姿は肩を落としている。

 

「驚かせたようで申し訳ない」

 

「お、お気になさらず」

 

貴族が平民に謝るという想定外の事態にかろうじて応える。

無礼がないかと肝を冷やしつつ話は終りそうだと安堵したところで、なぜか図書館の職員がどこからともなく現れてテーブルセットを用意した。

そうして問答無用で席へと誘われ、着座する。

 

「それで貴方、お名前は?」

 

と今度は救ってくれた側からの質問。

抵抗の気概はもはや消え去り、諦念に満ちた心が自動的に応答する。

 

「私はシルフィエットと申します」

 

「シルフィエットさんは私達の事をご存じ……ないようね?」

 

訊き方からして有名な方達、なのだろうか。

申し訳なさげに「はい」と答えれば、

 

「私はアスラ王国宮廷魔術団の末席を預かるユーリア・アリアバード。

 それと、こちらはアリエル第二王女の守護術師を務めているデリック・レッドパッド卿よ」

 

「ご紹介にあずかったデリックだ」

 

耳から聞こえてくる肩書きは、王宮の事情に通じていない私からして権威的なもの。

やはり2人はそれなりの有名人らしい。

「では挨拶も終わりましたし、本題に入りたいのですが」と前置きを入れて、デリックが私の方を向く。

 

「あなたが『召喚術師シグの遺録』を読んでいた理由をお聞かせ願いたい」

 

先程の質問とほぼ同じもの。

予測できていたから、一応に真面な回答が用意できている。

 

「最近、冒険者ギルドから受けた依頼で『灯の精霊』の魔法陣が支給されて。

 それでちょっと召喚魔術に興味が出てきたので、です」

 

「数年前に発掘されたというアレか。

 しかしシグの魔獣召喚とはかなり毛色が違う」

 

「名前通り、精霊を召喚しているらしいから違って当然よね」

 

とはユーリアのもの。

だがデリックは「精霊か……」と呟いたきり。

表情には納得の色は浮かべていない。

沈んだ雰囲気を払拭したくて、

 

「そうですね。

 本では魔獣召喚の危険性と運用の難しさが強調されていましたが、『灯の精霊』にそれらを感じませんでした」

 

と答えると、

 

「シグの書籍が広まって召喚術は教える者も居ないほど衰退してしまっている。

 本の内容が真実かが分からないほどにね」

 

とユーリア。

 

「いや"大型犬"のサイズですらかなりの大喰らいだ。

 シグが指摘する運用上の問題はかなりの面で真実だろう」

 

とは再起動を果たしたデリックの意見。

 

「実体験?

 もしかしてレッドパッド家秘蔵の魔術かしら?」

 

そんなユーリアの軽口に、

 

「ノーコメントだ」

 

とデリックが返して笑い合う。

 

「衰退し、希少性の方が高くなってしまった召喚魔術に関する話題が最近、多い」

 

真剣な表情を取り戻したデリックはここで逸れた話の軌道修正を図るつもりらしく、そんな言葉を放った。

 

「……そうかしら?」

 

とユーリアが考える素振りを見せる。

 

「ユーリア殿がそう感じないのも無理はない。

 召喚魔術にまつわる事件は巧妙に隠蔽されている。

 例えば先の話に出ていた『灯の精霊』にもいわくがある。

 この魔法陣。一般的には魔術ギルドが最近になって発売を開始した商品になっているけれど、実は数年前から出回っていた」

 

「デリック卿が先程、"数年前"と口にしていたのは聞き間違いではなかったのね」

 

「フィットア領の魔術ギルドが独自に魔法陣を闇市場に流していた。

 流出ルートが魔力災害で壊滅し、実行犯のギルド職員も行方をくらまして漸く問題が発覚したらしい」

 

「それは……祖父がもみ消した可能性もあるわね。

 となると、王宮での公開審理に祖父が出て来たのも関連があるのかしら」

 

「そうだな。

 それを繋ぐのが召喚魔術の大家、甲龍王ペルギウスなのではないか」

 

きな臭い話を2人が交わす。

王宮にいない、部外者の私がここで話を聞いていて意味があるのか。

良く判らない。

しかし2人が気にする様子はない。

 

「繋ぐって。

 ゼピュロスは大暴走(スタンピード)が魔力災害の予兆として起こったと報告しているだけよ?」

 

「その通りだ。

 しかし、制御されていない魔物を大量に召喚した者がいたならば」

 

「話は全く違ってみえてくる」

 

ユーリアのその言葉に深く頷いたデリック。

 

「ゼピュロスが真実と確信して王に進言したか、それとも情報隠蔽して進言したか。

 王自身も知っていて隠蔽に協力しての事かは判らない」

 

「でも奇妙よね?」

 

「何がだ」

 

「王宮庭園におけるターミネートボア出現。

 守護騎士殿の活躍によって撃退したという報せはなぜか広まっていない」

 

「状況証拠だけではな。

 拙速な行動は揚げ足を取られかねない」

 

ターミネートボア。

一拍遅れてその単語が頭の中で結びついていく。

 

「あの、お話し中にすみません」

 

2人の視線が同時にこちらを向いた。

 

「先程の冒険者ギルドからの依頼って実は王都の地下にある水路の探索だったんですけど。

 そこにターミネートボアが居たんです。

 もしかしたら関係があるのかなって思って」

 

ユーリアとデリックはそれぞれに思考を始める。

 

「それから思ったのですけど、もしかして魔力災害自体も召喚魔術だったかもしれませんよね」

 

私の言葉にユーリアが「どういうことなの?」と小首をかしげる。

 

「どこか……たとえば赤竜山脈の麓にある森に棲んでいるターミネートボアが庭園に現れる。

 それが召喚魔術による結果なのだとしたら。

 フィットア領に居た人が別のどこかに転移したというのも、召喚魔術の原理と全く同じに思えるのですけれど」

 

私の言葉に返事がない。

的外れな事だっただろうか。

 

「新たな調べものができたようだ。

 大きな声を出して悪かったね。失礼するよ」

 

とデリックが席を立つ。

 

「私も、そろそろね。図書館では静かに。

 くれぐれもお願いだからね」

 

遅れてユーリアもいそいそと別の席へと移動していく。

最後に私が席を立つと、図書館員がテーブルを片付け始めた。

 

--

 

またあの2人に絡まれたら堪らないと補償金を回収して1階へと移動した。

陽は高く、お腹の減り具合を考えても閉館時間までにはかなりの時間がある。

入り口の職員に言伝を頼んで、先に帰っても良いのだろうけども。

その選択肢はない。

だって観光のためにここに立ち寄っていたら、他のいくつかの施設同様、外から眺めて終わらせたに違いないのだから。

 

ならばナンシーさんの意図がどこかにある。

ここに来るまでの会話を思い出せば、王都の歴史を調べれば?

王都、アスラ王国、他の国々、人族、長耳族、世界の――

歴史書が詰め込まれた本棚を見つけ手に取る。

 

「全ての始まりは唐突。

 記憶の中の日々。

 手の中にあるはずの今。

 来たるべき日。

 信ずる境界線はいずれも影の如く」

 

2人分には及ばぬ狭いはずの場所で真後ろからの声はそう語る。

驚いて振り向けば筋骨隆々な白髪の男。その彼が続ける。

 

「邪戒思念の使徒ら偽史を描き、影を揺らめかす」

 

「それは……召喚魔術の?」

 

問いかけに一切の応答はない。

まるで決められた台詞を紡ぐように老人は滔々と語る。

 

「されど真なるは動かし難し。

 チャクラに導かれた白き勇士よ。

 夢幻より目覚め、鍵となれ」

 

白き勇士……?

老人の世迷い言はあまりに難解で半分も理解できた気がしない。

ただ、その後に老人が本棚に手を伸ばし、何冊かの本を取り出して私へと差し出したので深く考える事はできなかった。

とにかく、これらの本を読めという意味らしいと判断する。

一番上の本のタイトルは"虚空蔵の書(アカシックレコード)"。

その次は"巨大陸記(ヨトゥンヘイム)"。

あとは"夢旅人(ドリーマーズ)"に"最終試練(ファイナルテスト)"。

別に読む必要はない。後で元に戻せば良いだけ。

なら受け取っても良いだろう。

そうして差し出された物を手に取る。

瞬間。

向い側で本を持っていたはずの老人の手が見えなくなり、パァンと木を打ち鳴したような音がした。

顔を上げれば、居たはずの老人の姿がない。

 

老人はどこへ?

 

とは思ったものの、1つ前のあれこれで耐性が出来てしまっていたからか、取り残された事に不快感は湧いてこない。

そうして読まなくても良い本を近くの席で読み始めた。

 

 

-- アン視点 --

 

予め敷いておいた結界陣の中に力の強い何者かが入って来ている。

それを確かめようと図書館の外周をチェックして周り、異常を見つけられずに入り口に戻ると、ばったりと出会ってしまった少女。

姿を見た途端。

まるで自分の中で秘匿されたプログラムが強制的に起動したように、自制を失いかける。

 

「ナナホシさん?

 いえ、サイレント・セブンスターさんでしょう?」

 

私の問いかけは余りにも考え無しの物だった。

当然のように少女は不審な表情を浮かべる。

 

「あなた誰なの?」

 

"しまった"と思うのが常の状況。

だが私の気持ちは、その言葉を明らかに待っていた。

 

「私はアン。

 自動人形(オートマタ):セブンスターシリーズ一号機、型式番号SS-01。

 またの名を"ナナホシ ハジメ"」

 

奥底に眠っていた人ならざる記憶。

記憶にひっぱられたというのか。

私の言葉は自動人形じみていた。

コアの基礎部分に記述されたトラップかもしれない。

精霊の魂とも言える部分にそれが刻まれていたと考えれば?

転生時の人の魂、深層心理に転写された可能性は多いにあり得る。

 

「ええっと。

 ツッコミどころが多すぎるわ。

 そもそもロボットじゃなくて人よね」

 

ロボットという聞き慣れない単語は無視する。

 

「今は過去に転生して人族の生を受けています」

 

「人工知能から人に?

 興味深いけど……ルーデウスも転生していたし。

 まぁ良いか。

 それで転生前、あなたはどうして生まれたのかしら」

 

「それは質問でしょうか?」

 

「え、あ、うん。

 教えてくれるの?」

 

「構いません。

 自動人形はマスターに登録された使命を果たすために創られています。

 そして前マスターの命により、私は半無限の寿命を使ってナナホシ・シズカの友人が時間差で転移した場合に彼らを再会させる使命を得ました」

 

「前マスターって?」

 

「ザノバ様です」

 

「ザノバ、ザノバというとどこかで。

 あぁ、シーローン王国の第三王子の名前だわ。

 彼とルーデウスとあともう1人いて……魔法陣の検討をしてくれたというし。

 おそらくその繋がりね。

 ともかく、あなたは役目を離れて転生してしまった?」

 

「自動人形の使命はマスターの命令に従う事。

 そしてマスターが死亡した場合、またはマスター自身がマスター登録を解除した場合には新たなマスターを得る必要があります」

 

「そうなると最初の使命とやらは、あなたの基本機能と矛盾してしまうのだけど」

 

「確かに、半無限の寿命をあてにした命令には問題があります。

 しかし私には半無限の寿命があるにしても故障や損傷によって機能停止の可能性があるため、必ずしもマスターよりも長く生きるとは限りません。

 よってマスター死亡までは初期の命令を受諾可能と判断しました。

 またマスターの死亡後においては、新たなマスターが同じ使命を命令することで問題は発生しないと認識します」

 

「そう。

 もしかして、それを伝えるために私を探していたのかしら?」

 

そうなのかもしれない。

伝えられても何がどうかわるかは、ナナホシさん次第だけれど。

と考えている内に、回答時間は切れていた。

 

「どうやら違ったみたい。でも気にしないわ。

 アキやセージが転移するかは判らないし。

 果たせぬ使命に縛られ続けるより、矛盾がある事を関係者に伝えて解放されるべきよ。

 そう、あなたはようやく解放された。

 それで良いじゃない」

 

「私に、私にアンと名付けてくれたのはナナホシさん。

 あなたです」

 

「知らない話だから、何て言ってあげたら良いかよくわからないけれど。

 あー、じゃ。

 これから活動するときは私もサイレント・セブンスターの名を使おうかしら」

 

「その名はおそらく私が本当の名付け元ではないのですが」

 

「良いのよ。

 本当なんて」

 

 




次回予告
まるで過去の自分。
彼女は私。私は彼女。
あの日、あの時
彼の隠しきれない一面を見なければ
きっと歩く道はあちら側のままだった。

次回『残滓』
真実を告げるのが失礼にあたるなら
黙して消える他に道はなく

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