無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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第118話_自由研究

--- 韋編三絶 ---

 

ミルボッツ領内にあるオーハイネ湖を望む丘の中腹に据えられた商家の別邸。

静かな屋敷のテラスで今、丸テーブルを囲む3人の姿があった。

 

「汝らの手掛けし物、もはや汝らの手より零れ落ちたり」

 

口火を切ったのは、女から見て右に座る男。

黒いマントを羽織り、黒い胴着を纏った翁だ。

顔に刻まれた皺や声から察するに相当の年齢であるが、その四肢の太さと筋肉の張りが老体とは思えぬ気配を見せる。

 

「占星術師殿は機関を乗っ取って何をされるや?」

 

翁の言葉を受けて答えたのは切れ長の目と長い睫毛の女性。

これまた上下を黒でまとめているが、立て襟と胸元のフリルだけは上着全体の生地とは異なり白く、ポイントになっている。

またボトムはキュロット型の短パンを穿き、かつ肌をなるべく露出させぬようにと股下までの長い靴下で覆われている。

ファッションは先のマントの男とは対照的に突き抜けていて優雅さを醸し出すような特異なものといえた。

やや古風な言葉遣いは老翁に合わせたものらしく、本人の見た目とはちぐはぐな感じが否めない。

2人のやり取りは続く。

 

「けだし新たなる国、興さんが為也」

 

男の方が質問に答えるも、

 

「国を興し何とする。

 貧しき民に幸せな夢でも見せようぞ?」

 

と女が批判めいた質問を重ねる。

 

「術師、人の力集め以って龍の神子を退治せんと欲す」

 

再び律儀に男が応える。

その応えに「ハッ」と鼻で笑った女が空を仰いだ。

馬鹿にする意図を隠す気はないらしい。

 

「術師殿の妖術が(いにしえ)に失われり数多(あまた)なる魔術を発掘せしは事実。

 されど機関の意義を履き違え私物化せんとは嘆かわしや」

 

「しかり。

 唯一なる者、龍の神子也哉と術師は騙れど、彼の者は禍々しくも元凶なりし者になし。

 以って術師の技いよいよ偽物(ぎぶつ)と知る」

 

「さても尊者殿。

 貴殿の『チャクラ』にも些かの疑義は生じましょうぞ」

 

「我、チャクラの導きに只従う者也」

 

「それでは妖術となんら違いがないでしょう!」

 

苛立ちのせいか、相手に合わせた古い言い回しも忘れて女は口走り、同時にテーブルを軽く叩いて立ち上がった。

他方、翁は身動(みじろ)ぎ1つない。

見かねたか、最後の一人、白いライトプレートを身に着けた男が口を開く。

 

「ストーイ博士、落ち着きましょう。

 私も尊者様と意見は同じです」

 

その言葉にも激情を抑えられぬと見え、博士と呼ばれた女は立ったまま「落ち着いているとも勇者殿」と口を開く。

続けて、

 

「同意見と言うならば納得のいく根拠が示されるのでしょうな」

 

言い終えると、女博士は椅子へとどかっと腰を落ち着けた。

勇者と呼ばれた男は「ええ、構いませんとも」と口にしながら大きく頷いてみせる。

そこからは勇者と博士の会話となり、尊者は静観する構えを見せた。

勇者は説明を厭わない。

 

「龍神がばら撒く邪悪な波動は強大。

 であればこそ占星術師殿はそれを感知し、大敵(アークエネミー)と認定したと思われます。

 ただし、それは残念ながら誤りだと私も信じます」

 

「して、その根拠は?」

 

「龍神は尋常ならざる強さを合わせ持つ者。

 博士の旧友クロスビン教授を夢にて唆し、闘神鎧のレプリカを作らせる理由がない。

 むしろ鎧は彼を倒す側にこそ必要です」

 

その含みのある言葉に、博士は何事かを悟ったように目を見開く。

だが、判り易く何かを口走ったりはしなかった。

その様子に1つ頷いた勇者は、

 

「夢の中に現れるというやり口は、かつて私を龍神の元へと導いた者によく似ています」

 

と締め括った。

暫しの沈黙。

しかし、博士は残念ながら納得しなかったらしく、

 

「その龍神が鎧を必要とする程の敵がいるというだけのこと」

 

と首を小さく振る。

「いませんよ」と勇者は否定するが、

 

「龍神より強いとされる列強1位、技神と闘うとしたらどうか。

 手口の類似性は、敵の策略の模倣や我々を混乱させる為の一手とも考え得る」

 

と博士は可能性だけを提示した。

ややずるいやり口に対し、「否定はできません、しかし……」と紳士に受答えする勇者だが。

 

「元凶なる源、(うつつ)にあって姿無き幻。

 龍の神子、理の外に在りと言えど夢人ならず」

 

と痺れを切らし沈黙を破った尊者はすっくと立ちあがる。

その様は見た者に予感させる。

 

「チャクラの導きによりて交わりし我ら、いつか再び時を同じくする運命(さだめ)と見ゆ」

 

再会の予告は決裂ありき。

残された2人に言葉が染み渡るより早く、尊者の姿は湖を囲む森の中へと消えていった。

博士はテーブルに両肘をつき、頭を抱える。

 

「機関の設立者として苦楽を共にした諸兄を信じたい。

 しかし生じた疑義を払拭する根拠は欲しいのだ。

 尊者様には悩みがないと見ゆ、ですぞ」

 

森へと投げつけるような博士の言霊はおそらく尊者に届かない。

勇者こと、シャンドルは内心でそう思いながら困り顔を絶やす事はなかった。

 

 

--シルフィ視点--

 

王都2日目。

早朝の自主訓練を終えて汗を拭う。

それからナンシーさんと連れ立って向かった場所は、カフェに分類される店だった。

私が気にしていたから気を回してくれたのだろうけど、それでいて心は妙に冷めていた。

いつか行ってみたかった場所……のはずなのに。

 

浮ついたところが少しもないしっとりとした店内、余計な物音を立てない店員。

通り沿いの喧騒が嘘のような静けさを醸している。

出された朝食は新鮮な野菜と焼きたてのパン。それから搾りたての牛乳。

実家の食事と大差ないそれらも、具材が良いからか、環境の違いからか不思議に風味を感じとらせる。

けれども。

期待していた感動が湧いてこない。

――期待? 何を?

なぜ私はこんなにも残念がっているのだろう。

そんな想いに囚われている間に、ナンシーさんが食事を済ませる。

 

「お代は払ってあるから、もう出るわね」

 

今日も予定があるらしい。

まだ残っている私の分の朝食が片付くのを待ってはいられない様子。

 

「遅くなりますか?」

 

立ち上がるナンシーさんにそう声をかける。

 

「えぇ。

 お昼は一人になるけれど」

 

「適当に済ませます」

 

「そう。じゃぁね」

 

ナンシーさんの後ろ姿が見えなくなって、私は食事を再開した。

気を遣ってカフェに連れてきてくれたのに感謝の態度を示せなかった。

溜息1つ。

悪い事をしてしまったと思って。

 

--

 

宿への短い道のりで心の(もや)に蓋をする。

ベッドに座って考えるのは別の事。

今ここに居る理由。

為すべき事。片付けるべき物について。

頭に浮かんだのは昨日の指摘。

行動案の軸不足と感知技の検証。

どちらから始めても良いけれど、昨晩の内に少し論理化できている感知技の続きから着手する。

 

もしかしたら私が闘気を物体に通すとき、普段使う物と比べて闘気の特性が変化しているかもしれない。

それとも、放出した闘気からの感触を知覚できるように肉体を強化しているのかもしれない。

両方とも違うかもしれないし、両方が同時に起こっているかもしれない。

兎に角、私の勘違いでなければ放出した闘気網を物体に通すと、なぞるような手応えが返る、気がする。

いや。気がするでは駄目で、闘気網が伝えてくる反応の正体を突き止めなくてはいけない。

と同時に、闘気網で捉えられない物があるかどうか、もしくは回避する方法があるかどうかを調べる。

それがたぶんナンシーさんの言う信頼性?なのだと思うから。

 

瞼を閉じて壁へ右手を突き出す。

昨日の闘気の感触を思い出し、同じように練り固め、網を放出。

一瞬の間をおいて返って来る感触。

両手の指を開き壁をなぞった感覚を、同時に上下左右にしたような手応え。

とりあえず瞼を開けてもう一度。

闘気網は本物の網と違わぬ放射状に広がりながらぶつかり、そのまま消えた。

頭の中で感じたものとほぼ同じ感触を確認。

どうしてか空気自体に網は反応しない。

まぁそれは触感からして自分の指の知覚と遜色がないので、当たり前かもしれない。

指で空中をなぞってもほとんど触感はないし。

 

さらに何度か試して1つやり方を変える事にした。

というのも網型にするのは面で捉える事ができるメリットがあるものの、無駄? 余分?がある。

デメリットと呼んでも良いのかもしれない。

それは3つある。

――網型の闘気を練るのは結構な手間な点。

――感覚情報を得たとしても目で見ることなく触れた物の形状を理解するのに慣れていない点。

――そもそも触れた物の形状を認識する必要は無い点。

要約すると、形状認識のために網を投げる事は私が必要とする感知技としては冗長だ。

では私が欲しているのは何か。

それは動いている物や何かがあるといった情報。

だったら面ではなく線で十分。つまり1本の糸を飛ばせば良い。

そういう流れでまずは網型から糸型へと使い方を改めた。

 

糸を使うようになって――その単純さが功を奏したのだろう――性質に目が向いた。

闘気糸の性質は2つある。

1つは糸の生成時の注ぐ闘気量に関するもの。

闘気量に比例して距離が変わり、少なく注げば近くに、多くを注げば遠くに届く。

もう1つは糸が接触したときと接触しなかったときの挙動。

何かに接触した場合は触れたという反応を返して糸は消え、何にも接触しなければ闘気量で決まる距離を進んだ後に消える。

 

基本的な部分の考察はこの程度。

本当にこれで良いんだろうか。

もっと詳しく調べた方が良いのではないだろうか。

でもどこで終わりになるんだろう?

一瞬、物足りなさにも似た不安が漂う。

そこではたと気付く。

魔術の基礎にしたって、そう難しい理論がある訳ではない。

だから、たぶんこれくらいシンプルなもので十分だろう、と。

 

さて基礎理論が完成し、理論のシンプルさが魔術に通ずるものがあると判ると1つの疑問が湧く。

体外へ放出した闘気はなぜ進む?

詠唱した魔術にはその詠唱文の中に、予め決められた射出速度が定義されているという。

また無詠唱の魔術ではその機能は省略されるため、設定待ち状態の魔術実体に手ずから魔力の流れを操作して射出速度を設定する。

一方で闘気糸は勝手に進み、つまりは詠唱魔術に近い挙動だ。

肉体を強化する闘気は体内の一所(ひとところ)に固める物。

『進む』イメージとは合致しないし、剣に闘気を纏わせる物は気穴を通じて闘気を体外に発出する点で探知技との共通点があるけれど、これもまた『進む』イメージに合致しない。

ならば闘気糸を放出する場合、無詠唱魔術のように射出速度を無意識下で設定している?

 

実証の段取りを少し考える。

まず体内で闘気を練って全身を強化すると、五感が研ぎ澄まされて窓越し壁越しに外の雑踏が聞こえるようになった。

その状態を維持して再度、闘気の糸を靴へと伸ばす。

闘気の糸はまたしても勝手に進み、靴に触れたという反応を残して消えた。

さらに次。

枕下に隠していた短刀を取り出して闘気を纏わせる(・・・・)

そう、剣に闘気を纏わせている。

剣に闘気を作用させ、強化する。

同じように肉体を強化するなら肉体に闘気を作用させる。

だけれど、闘気糸は何かに闘気を作用させていない。

これは闘気のようであり、魔術のようでもある。

だから闘気的でない効果を生ずる……という仮定が成り立つ。

 

試行は続く。

短刀は枕下に戻し、道具袋から旅の途中で服を(つくろ)うための糸巻きを取り出す。

棒に巻き付くように留めおいた結びを解いて糸を伸ばし、壁に向かって投げる。

糸は壁に届かない。1歩先程でふにゃりと落ちた。至って自然な現象。

手元に残った糸から投げた側の端を手繰り寄せると、糸全体に闘気を纏わせてから投げる。

纏わせた闘気は短刀に込めるときと同じ要領で。

すると、糸は後ろ部分を棚引かせながら壁へとぶつかり……ぶつかった位置で壁に張り付いた。

闘気を糸に作用させると糸の何らかの機能を強化し、このような現象を引き起こす。

そして糸状のものが全て闘気糸と同じように強化されている訳ではないとも分かる。

類似の試行として闘気を剣型に固めてみたが、やはり剣としては使えなかった。

また闘気を纏わせた糸と接続が切れてしまうと、糸は一気に失速して床に落ちてしまうし張り付く素振りもなくなる。

これは想像通りだけれど、だとすると北神流の剣を投げる戦術の有効性に疑問符がつく。

もしかしたら闘気を纏わせたまま剣を投げる方法があるのかもしれない。

 

さまざまな試行を経て情報は収束し、そして最後に1つの疑問が残る。

闘気糸を作る際の闘気は本当に何にも作用していないのだろうか?

これは自分の立てた仮定に対する反問でもある。

私は意識上、闘気糸を出す時に何かに闘気を作用させたつもりはない。

練り固めた闘気は気穴から放出されて飛んでいくだけ。

けれど実際の糸の実験にもある通り、接続さえ切らさなければ手元で闘気を作用させた物を投げる事もできる。

やはり自分の仮説が少し怪しい気がしてくる。

闘気で感触を得ているというのは触覚を強化し、その強化した機能を闘気の塊として体外へと放出している?

 

午前中を費やして考えてみただけで疑問は尽きない。

闘気の奥深さ、気の奥深さ、ひいては魔術の奥深さは底知らずだ。

 

--

 

昼時となったので階下におり、宿屋の小間使いらしき子供を捕まえて子供1人で食事ができそうな店を聞くと難しい顔をされた。

どうやら店での食事は難しいらしい。

結局、通り沿いの出店で串焼きを買って宿に戻り、腹を満たす。

スラム街で売られていたような羽虫付きという訳ではなく、味も悪くはないのだけれど。

朝より一層、味気なくて参ってしまった。

 

食事を終え、串を火魔術で燃やして片付けてから検証を再開。

次に考えるべきは闘気糸で捉えられない物の存在だ。

見逃しが起きれば感知技の信頼性を大きく損なう。

発生するという事実、可能性が信頼度に直結する。

つまり、闘気で捕捉可能な物と状況を確定させなければいけない。

枕の下の短刀、鞄の中の木彫像、四方の壁、自分の後ろにある窓、通りから一本外れた路地の先にいるかもしれない敵、魔力で出来た物――即ち、魔術や闘気。

止まったままでいるとき、街中を歩いているとき、戦闘の最中。

おもいつく限りの状況で手近にある物全てを試す。

けれど、全ての状況で全ての物が感知できる。

想定通りに感知可能。

よって結果に基づき「信頼性を高い」と評価する。

視界による感知と組み合わせれば十分に実用に足る技。

そう確信を持てるようになった。

 

精度についても検証を行った。

といって信頼性よりも悩む部分は少なく実質は鍛錬になった。

午前中に判明したように飛距離は注いだ闘気量で決まる。

また大雑把な距離感でも対象にぶつかって停止するので不都合はないのだけれど、無駄にせずに必要十分な闘気量で飛ばせるようになるのは鍛錬として利がある。

なので人間一人、指一本、爪の先1つ、さらにその半分、半分の半分の距離を単位として自在に動かせるよう操作した。

と同時に、その単位で動かして感触に違いが起きるかどうか、つまり触覚の精度についても調査。

正直、指でなぞって感じる以上の感覚的変化はない。

この事からも闘気糸が感覚の伸長技という可能性が強くなった。

 

尚、速度の設定方法は判らなかった。

速度をゼロもしくは限りなくゼロに近づけることができれば、糸を張り巡らすことで鳴子罠のような設置型としての運用が出来たのに残念だ。

 

--

 

ナンシーさんに言われた宿題を終え、一息。

日差しは大きく傾き、部屋のなかに橙と黒の世界を彩る。

けれども、今日もナンシーさんの帰りまでには時間があるだろう。

そう考えて、宿題の内容を越えた研究に着手する。

 

闘気の糸で何をするか。何ができるか。

つまり技の機能を定義し、明確にしよう。

感知技は"感知が出来る"、というのは思考停止した考え方に違いない。

だからその考えを頭から除外し、『闘気糸は感知も出来る』と考える。

けれどそれが全てかは判らない。

考えるために靴を脱いで膝を抱えそのまま横になり、午前に糸を投げつけていた壁を見つめる。

 

真横になった世界。

私の脳裏では足払いを受けた師匠が真横になっていた。

師匠が無いはずの右手を突こうとする。

あの男と闘う夢。私はそれを昨日見ていた。

転がるすんでの所で師匠/私は右肘から無意識に伸ばした闘気糸によって体を支える。

荒い息遣いの師匠/私が集中を乱すと、糸は消えて師匠/私が大地に仰向けになる。

それが偶然にも頭を狙った蹴りを躱す。

僅かな隙を縫って師匠/私が身体を起す。起き上がる瞬間に左手は剣へ。

だがそこまでは許容されない。あの男が剣を突き入れる。

執拗な剣が師匠/私に剣を取らせない。

3度の攻防の末、4度目にして師匠/私は剣を取る振りでこれまでと同じように動いた男を騙す。

師匠/私は大きく弧を描いて剣の間合いから外れると、またしても無いはずの右手で剣を拾い上げる。

拾い上げた剣は御手玉の要領で左手へと収まる。

師匠/私の反撃開始。

 

そこで現実に帰ると、体を起こす。

闘気の糸を伸ばし、脱いだ靴を拾おうとするも触れた直後に糸は消えてしまう。

網を作る要領で糸を指のように太くしてみるが、それでもやはり消える。

太さは関係ないらしく、触れる感触が返ってくるだけで物を動かせる雰囲気は微塵もない。

何がダメなのか。

それとも元々無理なのか。

静かな部屋で、一人考え込む。

 

魔術で靴を感知するならどうする?

――靴の形を指定して結界魔術を使う。

魔術で靴を動かすならどうする?

――土魔術で持ち上げる、もしくは押し出す。

魔術の場合、用途に応じて魔術の種類が異なる。

魔法陣を使うもの、詠唱/無詠唱で体内の魔力を決められた流れにして特定の魔術へと変換し、放つもの。

体内でも魔力への変換方法は個別に分かれている。

 

感知する闘気と物を掴む闘気は種類が違う?

――かもしれない。

物質に干渉できる闘気があるとして、どこの誰がそれを修得している?

――知らない。判らない。

 

行き詰った考え。上手くいかない工夫。

どうにもこの闘気糸に感知以外の機能は見つからない。

だからといって飛ばした闘気の全てが感知の機能だけとは考えないけれど。

 

『そもそも、どうして感知できるんだろう?』

闘気が肉体の強度を上げる。

闘気が筋力を高める。

闘気が剣を強化する。

闘気が感覚を研ぎ澄ます。

私の知る闘気の働きには『強化』という共通点がある。

けれど細かく見れば効果・効能、意味はそれぞれが別物だ。

その中で私は都合良く『感知』を手に入れた。

これも私の潜在的な能力の強化、ということだろうか。

 

『だけれど都合が良すぎる……』

感知の技は欲しいと思っていた。

だから、それが手に入ったなんて。

否定の気持ちをさらなる否定が上書きする。

そうだ。

ナンシーさんは言っていた。

"普通"の剣士は闘気を無意識/無自覚に手に入れる、と。

避けられないはずの攻撃を避けるために。

斬れないはずの魔物の外殻を両断するために。

それと一緒だ。

避けられないはずの攻撃を避けようとして闘気の使い方に目覚める。

――そこで手に入った力が、剣を振るう力を強化するものだったら?

折角、闘気に目覚めた剣士は攻撃を避けられず、命を落とす。

硬い外皮に守られた魔物が倒せない。そんなとき闘気の使い方に目覚める剣士。

――そこで手に入った力が肉体を強化するものだったら?

折角、闘気に目覚めた剣士は外皮を破ることができず、魔物に殺される。

 

そうか。これは"普通"の剣士と同じなんだ。

だから私の闘気糸は感知が出来る。

私は『感知が出来る』と思って、咄嗟に、自然に、ほぼ無意識に、闘気を放出して曲がり角の先に人が居ない事を確認した。

あの時の感覚を思い出す。

私は出来ると思った事をしたに過ぎない。

 

だったらと、自分の右肘を見る。

この右肘が無いものとすれば、いいやいっそ腕を切断してしまえば。

命懸けの戦闘で闘気を使って肉体の代わりになる技を編み出せる、かもしれない。

やる価値があるかどうか。

一瞬の迷い。

手に入るかもしれないなら、手に入るのなら……短剣でこの右腕を。

失ってしまった腕はどこかでより高位の治癒魔術を手に入れれば……

 

そこまで考えて握っていた剣を手放す。

手放した剣は無造作に落ち、幸運にも床を傷つけることなく転がって止まる。

渦巻いている陰鬱な感情がそれを拾う気にさせない。

その間、己の感情と闘う。

短くない時間が過ぎた。

闘いの末、不鮮明な感情がゆっくりと輪郭を表していく。

私は剣士である前に、魔術師だ。

そして魔術は彼に教わった。

あの魔神が師匠の腕を治そうと思ったなら、遠からず魔法大学で高位の治癒魔術を手に入れて腕を治してしまうだろう。

グレイラット家はラノアに向かうだろう、とナンシーさんも言っていたし。

でも治してくれるならまだ良く、治せるのに治さないなんていう場合も考えておく。

助けられる人を助けなかった彼ならば、やるだろう。

その場合、治そうとする私は彼の邪魔となる。




次回予告
生き方はさまざまだ。
能力も生まれも、時代すら異なった人々が同じ生き方を選ぶなど道理に反しよう。
自分のために、自己の欲するままに。
そんな生き方だって良いだろう。
社会のために、社会がそう願ったから。
そんな生き方もあるかもしれない。

次回『望み』
ルディが願う、シルフィが自ら決めた道の先に何が待つ。

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